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真夏の面積戦争  06

おそるべき面積についての浸食

 別荘からデイビッドの姿が消えたので、わたしを追いかけて行ったのだろうとアーサーに教えられたWJは、髪を乾かすのもそっちのけで、走ってマーケットまで来てくれたのだった。だけど、偶然買い物中だった人魚姫チームに見つかって、呼び止められてしまう。どうやらシルビィとその仲間たちは、WJが眼鏡をかける姿を遠目で観察していたらしい。それで、シルビィを助けてくれた超クールな王子さまが、普段は分厚い眼鏡をかけていることを知っていたため、わたしの見た光景が繰り広げられるはめになったのだ。

「わ、わたし、さっきその場面に出くわして、だからあなたを救出しなくちゃと思ってパニくったんだけど、熱烈なファンに見つかって隠れてるデイビッドを、先にここから出さなくちゃと思って」

 わたしを見たWJは、開け放ったドアにコツンと額をあてて肩を落とす。

「どうして順番になるの? 見かけたんだったらただ普通に、その時すぐ、ぼくに声をかけてくれるだけでよかったんだよ、ニコル?」

 あ! そ、そのとおりだ……。

「……そ、そうだった。そうだよね」

 わたしとWJのこんなやりとりを、デイビッドは間に入って、手にした帽子を軽く揺らしつつ、にやにやしながら眺めていた。わたしがうなだれたら、ため息混じりにWJはいう。

「一緒に遊ぼうとか、ご飯を食べようって誘われたけど、ちゃんと断ったよ。まあ、ちょっと時間はかかったけど。でも、ぼくってそんなに、頼りない?」

 それはない。慌てて顔を上げて、否定する。

「え! 違う、違う。わたしがパニくりすぎて、どうしたらいいのかわけわかんなくなっちゃった、というか……」

 ドアノブに手をかけているWJに近づいたデイビッドは、その肩を軽く叩くと、ものすごくありえない意味深な発言をした。

「大変だよ、WJ。ニコルがおれを優先したみたいだ。もしかしてニコルって、自分では気づけない潜在意識で、おれのことが好きなのかもね?」

 ええええー!?

「ち、ちっがーう! だから、どおおーしてそういうふうになっちゃうの!」

「どおおーしてだろうね?」

 WJとすれ違いざまに振り返り、デイビッドはにんまり笑う。対するWJはドアを開けたまま……フリーズしている、みたいに見える。あああああ、デイビッドのいうような、そんな奥深い理由なんかこれっぽっちもないと、いますぐに訴えなければ!

「イ、イケてない帽子を買ったの、デイビッドに! その、デイビッドが持ってるやつ。だって、顔の面積を少なくしないとここから出られないみたいになるから! それで、デイビッドは長いこと個室にいたし、誰かにあやしまれたらやっかいだなって思って。女の子たちに囲まれてたけど、あなたのことは信じてるし、だから、デイビッドを優先してしまったというかなんというか、それでその……」

 なぜだろう、説明すればするほど、全部真実なのに嘘っぽくなっていって、ドツボにはまってるような気がする。うううう、わたしもWJも超恋愛初心者だから、デイビッドにおかしな屁理屈をこねられると、それに振りまわされそうになっちゃうのだ。というか、実際にいま、振りまわされているのだけれども。

 少しの間をおいて、WJは「はあ」と息をついた。横に立つデイビッドを視界に入れ、肩をすくめるとわたしを見る。

「……まあ。とりあえず炭を買って、早く戻ろう。ずっとここにいるわけにはいかないからね。デイビッド」 

 いって、WJはデイビッドに顔向けた。

「マーケットからすんなり出たいなら、その帽子にプラスして、いい方法があるよ」

「いい方法?」

 デイビッドがけげんな顔をすると、WJはにやっと笑った。

「たぶん、オシャレなきみには耐えられないかもしれないけど」

★ ★ ★

 

「……イケてない帽子に、きみのイケてない洋服、サングラスだけ唯一クール」

 別荘までの道のりを、デイビッドはぶつぶつと文句をいいながら、むっつりした顔で歩いていた。そんなデイビッドにはもう、オシャレ・オーラは皆無だ。なぜなら着ている洋服が、WJの着ていた洋服だから。

 女子トイレから出たあとで、男子トイレに入った二人は、そこでお互いの洋服を交換したのだ。

 二人が着替えている間に、買い物を終えたわたしは、出入り口で待つこと数分。こそこそと、小走りであらわれた二人と合流し、無事に敷地内から脱出できたのだった。

 ちなみに、帰ったのか人魚姫チームの姿はどこにもなくて、デイビッドの熱烈ファンは、まだマーケット内をうろうろしていたけれど、交換した洋服のおかげか、発見されたり叫ばれたり、追いかけられることもなく済んでラッキーだった。というわけで、現在にいたる。

 それにしても、炭を買うだけですんごく時間がかかっちゃった。お腹が空きすぎて、心なしか足元もよろめいてきた。

「アーサーはもう、お肉とか焼きはじめてるかな?」

「うーん、どうかな。コンロの中の炭の量が少なかったから、まだ焼いていないかもね。それよりも、ひとつ質問してもいい?」

 買い物袋を抱えてくれているWJは、歩きながら眼鏡越しにちらりと、わたしを横目にした。

「……きみとデイビッドって、仲良しだよね」

「え!?」

 半歩先を行くデイビッドが、肩越しに振り返る。サングラスをつまんで下へずらすと、WJを上目遣いにしてにやりと笑った。

「だからさっきいっただろ。ニコルは潜在意識で、おれのことが好きなんだって、WJ。悪いね」

 これって、さっきの続き? どうしよう、頭が痛くなってきた。

「ちっがう! 違うよ! 仲良しかもだけど、だったらアーサーとも仲良しだし、キャシーとも仲良しだもの、そういうこと!」

「否定すればするほど、不自然だよ、ニコル。おれにキスされるすきを与えるってことは、気を許してるからだと思うけど?」

 WJが立ち止まった。

「え。キス?」

 もう、もおおおおうううう!

「デイビッド、どおおーしてそういうこというの!? ちがうってば! それに、あなたが勝手にわたしのほっぺにしただけで!」

 デイビッドは声を上げて笑う。

「そおおおーかな? 落ち着いて考えろって。実は、違うの反対の反対の反対だろ?」

 ん? 違うの反対の反対の反対って……、えーと、それってつまり……とか、真剣に考えている場合ではない。

「と、と、ともかく! とにかく! あなたのことは友達として好きっていうことで、だから気を許すとかそういうのじゃないのに!」

 なにをいってもデイビッドには通じない、のかもしれない。泣きたくなってきてうなだれる。いったいいつになったら、デイビッドと純粋な友達になれるのかがわからない。というか、純粋な友達だった気もするけれど、いつの間にかその関係が、デイビッドの中でナシになっちゃっているのでは?

 ……大変だ、そうかも。だったらとっても、おそろしい。ホリディに突入してから、まともに接したのは今日がはじめてだし、わたしだけが友達と思っているだけで、デイビッドの中ではもしかしてもしかするとやっぱり(なんとなーくヘンだなって思うこともあったけど?)、友達関係でよろしく宣言が、きれいさっぱり無かったことに……なっちゃってる?

「……ま、またわたし、わけがわからなくなってきたかも」

 うなだれたまま、つぶやいた時だ。

「デイビッド」

 WJが、抱えていた袋をデイビッドへ差し出した。

「ちょっとこれ、持ってて」

 デイビッドはサングラスをかけなおし、差し出された袋を抱えた。

「なに?」

「うん」

 うん、といいつつWJは、周囲を見まわした。車が一台過ぎただけで、歩いている人の姿はない。と、WJはいきなりわたしを抱きかかえて、

「先に行くよ、デイビッド!」

 地面をスニーカーで蹴って、飛んだ。

★ ​★ ​★

 

 着地した別荘の屋根から見下ろせば、コンロを囲んでキャシーとアーサーが談笑している。わたしとWJには気づいていないようだ。アーサーがなにかいうと、キャシーは肩を揺らして笑う。うーん、とってもいい雰囲気だ……なんて、WJに抱きかかえられたまま、下の二人を観察している場合ではない。それに、シャワーを浴びたばかりのWJの髪が、頬のあたりをくすぐっていて、そのにおいにうっとり……している場合でもない。

「そ、そろそろ、下ろしてもらおうかな?」

「ダメ」

 むすっとした顔と口調で答えられた。怒っている、らしい。

「で、でも。重いでしょ?」

「重くないよ。きみの重さには慣れてるから」

 にこりともせずにいう。はあ、と息をついたWJは、眼鏡越しに目を細め、わたしを見ると軽く口をとがらせた。

「……ぼくがもっと器用だったら、うまく立ちまわれるのはわかってるんだ。デイビッドみたいにね」

「え?」

「デイビッドは、女の子に接することに慣れてるから、いつもオープンマインドでいられる。わかってると思うけど、ぼくは逆。きみとキャシー以外の女の子は苦手だし、できれば避けたいんだ、いつも。だからどうしても、頼りない感じに見られるってわかってる。でも、断る時はちゃんと断るよ。しどろもどろになっちゃってもね」

「うん。……わかってるよ?」

「本当? でもきみはさっき、ぼくを助けなくちゃって思ったんだろ? それできっと、妙な気遣いをして、ぼくと彼女たちの会話の邪魔をしないように、タイミングを考えすぎたせいで、すぐ声をかけられなかったんじゃないの?」

 すごい。自分では気づいていないけど、そうかもしれない。

「……そ、そうかも」

 やっぱり、とWJは苦笑した。

「じゃあ、これから約束して?」

「え。約束?」

 WJはわたしを見たまま、言葉を続ける。

「ぼくは自分が、女の子にモテるとか思ってないけど、もしもぼくがさっきみたいに、誰か女の子と話してる場面に出くわしたら、ヘンな気遣いなんかいらない。きみはぼくの彼女なんだから、堂々と声をかけてよ。ぼくはきみに、束縛されてもかまわないんだから」

「束縛?」

 そうだよ、とWJはにっこりした。それはつまり……わがままいったり、あの子としゃべらないで! なんて叫んだり、泣きわめいたりしちゃう、みたいなことなのだろうか? そういうのって、ドラマや映画のイメージだけど、とっても美人な女の子の特権、という気がする。もしもそんなことをわたしがしちゃったら? まるでコメディだ。

「う、うーん。わたしはあなたに、自由にいろいろしてもらいたいって思ってるから、すごい束縛は無理だけど、でも、あなたのいったみたいな場面に遭遇したら、すぐさま声をかけることにする」

 WJの肩に額を寄せていったら、ちょっとだけきゅっときつく、抱きしめられた。

「オーケイ。じゃあ、約束。それと、ぼくを信じてくれてありがとう」

「え?」

 顔を上げたら、WJと目が合った。

「さっき。ぼくを信じてたからっていってくれたから。もちろん、ぼくもきみを信じてるよ。だから、デイビッドがなにをいっても、なるべく気にしないことにしてるんだ。でもまあ、それでも」

 かすかに眉を寄せて、視線を落とす。

「やっぱりちょっと気になるかな。相手はデイビッドだし。それに、キスされたのって、本当?」

 寄せた眉の片方が、いぶかしむみたいにきゅっと上がった。

「う。……ほ、本当。だけど、ちょっとぼうっとしてる時に、ほっぺたに挨拶みたいなやつ。デイビッドといる時は、潜入捜査してるスパイみたいに気を引きしめていないとって、わかってるんだけど、うまくいかなくなっちゃって……。でも、もうしないでねってちゃんといったし、怒ったつもりなんだけどな!」

 WJの眼差しが、わたしへ向けられた。真剣な表情で、はっきりとした口調で訊かれる。

「……いまさらだけど。きみが好きなのって、ぼく?」

 もちろん、即答だ! 

「うん!」

 うなずいたら、WJがにやっとする。

「潜在意識でも?」

「せ、潜在意識がどういうものかわからないけど、でも、絶対にデイビッドじゃなくって、あなたのことでいっぱいなんじゃないかな。あ、デイビッドのことは好きだけど、それはなんていうか、さっきもいったけど、アーサーとかキャシーとかと同じ方向で、だから、デイビッドがいってるみたいなこととは違うよ。全然違うのに……」

 ……のに、わかっていただけない。主に、デイビッドに。思わず、うむむむとしかめ面になったところで、じゃあ、とWJがささやいた。

「じゃあさ」

 わたしを抱きかかえたままで、間近に顔を近づけたWJは、まっすぐにわたしを見つめていった。

「ぼくにキスして」

 キスをせがまれたのは……はじめてだ。女の子としゃべるだけで、顔が赤くなってしまうWJが、わたしにキスをせがむだなんて、天と地がひっくり返る、または、いますぐに雪が降りそうなほど、ありえない。

 ありえないから、それほど真剣なのだという思いが伝わってきて、嬉しくなった……ものの、とっても照れる! エヘへ、とみっともなくにやけそうだったから、この雰囲気を壊さないよう、顔の筋肉をなるべく緊張させて、のろのろと首をちょっと伸ばし、形のいい唇に自分の唇を寄せ……ようとした直前に、叫ばれた。

「焼けてるよ!」

 デイビッドの声だ。とっさに顔を離して、屋根から見下ろす。アーサーもキャシーもこちらを見上げていて、帽子を脱いだデイビッドはそれを振りまわし、ものすごく不機嫌な声音でさらに叫んだ。

「WJ、おれの洋服を返してくれ! おれの全身の面積が、きみの服に浸食されてて耐えられない!」

 すると、にやけ顔のアーサーが突っ込んだ。

「ニコルを返せの間違いだろ。なにがいいんだか、やれやれだな」

 そして、腰に手をあてたキャシーは、哀しげな表情で告げる。

「そこにいるのは、さっきから気づいていたの。邪魔をしたくなかったんだけれど、ちょっと前に戻って来たデイビッドに見つかってしまって。ともかく、そこから降りて? ほら」

 串に刺さったお肉をかかげた。

「お肉の面積が、素敵に焼けてるわ」

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