top of page
title_mgoz2009.png

真夏の面積戦争  05

おそるべき面積についての混乱

 別荘へ戻り、バーベキューの用意をはじめることになった。

 海に入ったキャシーは、二階にあるシャワールームへ向かう。一階のバスルームは、アーサーが先に使うことになったので、わたしとWJとデイビッドは、二人がシャワーを浴びている間、キッチンで食材を切る作業にかかる。ただし、わたしとデイビッドの包丁さばきは危険きわまりないという事実が、判明してしまった。

 わたしはもともと不器用だし、デイビッドにいたっては、普段料理をするわけがなく、結局すべてをWJに任せて料理番組のアシスタントよろしく、わたしとデイビッドはWJに指示されるがまま、ひと口サイズになった食材をバーベキュー用の串に刺すという、誰にでもできる作業に没頭する。やがて、シャワーを浴び終えたアーサーがあらわれ、入れ替わりにWJがバスルームへ入る、ことになったわけだけれども。

「……デイビッド。ニコルにセクハラしないでよ」

 振り返ったWJは、眼鏡越しの小さな目をさらに細め、わたしの横でお肉を串に刺しているデイビッドを見た。肩をすくめたデイビッドは、にやっと笑っただけでなにも答えない。むうとかすかに口をとがらせ、WJはさらにわたしに念を押す。

「なにかされたら、ちゃんと怒ってよ」

 もちろんだ! 大きくうなずいたら、WJはため息をついて、バスルームへ向かった。ちなみに、キャシーはまだ来ない。女の子の準備には時間がかかるのが常識なので、たぶん髪をブローするとか、ちょっぴりメイクをしたりとか、どれに着替えるべきか悩む、なんてことをしていると予想される。

「ガレージからバーベキューセットを出すから、誰か手伝ってくれ」

 グレーのハーフパンツと白い半袖シャツに着替えたアーサーが、開け放った窓から外へ出る。食材の用意はもう終わっていたため、わたしとデイビッドもアーサーにくっついて手伝うことにした。

 ビーチが丸見えの窓のそばにコンロをセッティングし、いざ火を起こすという段取りになって、麻袋の中の炭をのぞいたアーサーは、しゃがんだ格好で突然、がっくりとうなだれた。

「……そうだった。先週リックが使ったのを忘れていた。これじゃ足りない」

「どうしたの?」

 近寄って訊ねたら、すっくと立ち上がったアーサーがいう。

「炭が足りない。これじゃ生焼けで食うはめになるぞ。ちょっとマーケットに行って炭を買ってくるから、キャシディ、とりあえずあるだけの炭を使って火を起こしておいてくれ。火が馴染むのに少し時間がかかるからな。その間に戻る」

「おい、フランクル。おれに火を起こせると思うのか? このおれに? おれだぞ?」

 頭にサングラスをのせたデイビッドは、両手を軽く広げて笑った。いつも誰かがなにかしてくれる、御曹司のアイドルには無理、ということみたいだ。そしてもちろん、わたしにも無理。だって、もしもわたしが火を起こすなんてことをしたら、この別荘が炎に包まれる大事件になっちゃうかもしれないから……なんて考えていて、思いつく。

 あ、そうか!

「マーケットって遠い?」

「いいや。通りをまっすぐ、歩いて片道五分だ」

「じゃあ、わたしが買ってくる。その間、あなたが火を起こしてくれてたらいいよね?」

 そうすれば、ひもじいわたしのお腹も、ここへ戻ったとたんに満足できる! くいと片眉を動かしたアーサーも、それが最適な方法と思ったようだ。

「カウンターにおれの財布があるから、それで買ってくれ。全部父のおごりだから気にするな」

 すると、デイビッドが割り込む。

「おれも行くよ。炭って重いだろ? おれが持つからさ」

「いや、おまえはダメだ。なるべくうろつかないでくれ。自分じゃ気づいてないかもしれないが、サングラスだけでバレてないのはラッキーなんだぞ。食材を買った時も、おまえには車に隠れていてもらったんだ。マーケットでパニックになったらどうする?」

「ビーチでバレなかったじゃん?」

「人の少ない場所だったからだ!」

 危機感の薄いデイビッドと、危機感の濃すぎるアーサーがもめている間に、さっさとマーケットへ行こう。というわけで財布をひっつかみ、デイビッドの「あ、ニコル待て!」という声を背中で受け止めつつ、小走りで別荘を出た。

 街路樹のくっきりとした影が落ちている通りを、散歩気分でひたすら歩く。やっと、マーケットの看板が右側に見えてきたところで、ふいに背中をつつかれた。振り返ったら、なんと!

 デイビッドが……いちゃった。

「あれ!」

「フランクルが火を起こしてるすきに、冷蔵庫からドリンクを出すふりをして走って逃げてきたよ。あいつは心配しすぎ」

 ううーむ、そうかな? 

「まあ、ちょっぴり危機感が濃いかなって思うけど」

 サングラスをかけていれば、デイビッドの顔は半分隠れてることになるけど、有名人特有なオーラみたいなものが、全身から放たれている気もするので、なんともいえない。

「あなたはちょっとだけ、危機感が薄いかも?」

 歩きながら助言してみた。デイビッドはパンツのポケットに両手を入れ、苦笑する。

「こんな田舎でバレるかよ」

 えええ? 田舎だからこそバレたらとんでもないことになるのでは……と思ったものの、バレる前にさっさと炭を買って、別荘に戻ればいいだけかと考えをあらためた。

 それにしてもいつものことながら、デイビッドにはちょっぴり同情しちゃうな。テレビや雑誌にひっぱりだこなぶん、プライベートはとっても不自由なのだ。だからこそ、今日みたいな超一般人の普通の休日を、一緒に楽しんでもらいたいとも思う。もちろん、わたしへのセクハラはナシで!

 とはいえ、アーサーの危機感濃度が正しかったのだと、わたしはすぐに後悔することになる。マーケットの敷地内へ入ってから、家族連れや若い女の子の集団が、ちらちらとデイビッドを遠目にしていて、オシャレでスマートな外見に見惚れてるだけかなと、たいして気にしなかったのが、よろしくなかった。

 いよいよ建物の中に足を踏み入れて、四人の女の子たちとすれ違ったとたん、その中の誰かがいったのだ。

「……ねえ、いまの、パンサーよ。デイビッド・キャシディじゃない?」

 立ち止まったわたしとデイビッドは、同時にフリーズする。

「そう? サングラスをしてるからわからないわ。でも……そうかも」

 見知らぬ女の子の声が、いやがおうにも耳にとどく。

「待って、きっとそうよ。あなた、わたしのパンサーファンぶり、知ってるでしょ? わざわざカーデナルの校門前で、待ち伏せしたことだってあるんだから。背格好がすっごく似てるわ」

 ……熱烈なファンとすれ違ってしまったようだ。

「でも、妙な女の子連れてるじゃない?」

 妙な女の子とは、わたししかいない。

「親戚の子とか、そういう感じでしょ? とにかく、絶対そうよ!」

 背後の彼女が叫んだ時だ。わたしの腕を取ったデイビッドは、即座にその場からの逃亡をこころみた。そのせいで、自分はデイビッド・キャシディだと証明するはめになってしまい、マーケット中に「パンサーよ!」という雄叫びがこだましてしまった。レジの女性も買い物中の人たちも、いっせいに周囲を見まわし、雄叫びの方向に視線が集中する。やがて、逃げまどうわたしとデイビッドに、その視線が集まった。 

 確実に、雄叫びを上げた女の子たちに追跡されている、気がする。ああああ、アーサーの濃すぎる危機感が、正しかった!

「ほうら、バ、バ、バレちゃった!」

 わたしの腕を取って走るデイビッドに訴える。

「……みたいだね!」

 商品棚の間をぐるぐる走り、デイビッドはマーケットのすみにあるトイレマークを見上げ、背後を気にしながら女性用のドアを開けた。ラッキーなことに誰もいない。いったん姿を消すために、デイビッドは個室にわたしを押し込め、自分も入るとドアに鍵をかける……というか、なんだろうこのデジャブ感!

「うっ。な、なにかこういうこと、ちょっと前に経験した気がする」

「実はおれもだよ」 

 ギャングに追いかけられて、デパートのトイレに隠れた記憶が、走馬灯のように駆け巡った。うううう!

「ギャ、ギャングもおっかなかったけど」

 走ったことによる荒い息をととのえながらいったら、デイビッドが続けた。

「おれのファンもおっかないね。ああー面倒くさい」

 ドアを背にして立ち、デイビッドはため息混じりで髪をかき上げる。その顔をまじまじと見つめていたら、わたしの脳裏に素晴らしいアイデアが浮かんだ。

「わかった! あなたの顔の面積を、もっと減らしたらいいんじゃないかな?」

「え? おれの顔の面積?」

「うん、そう。いまはほら、サングラスで半分くらい隠れてるって感じだけど、顔……というか、髪も隠すの! あなた、いつもそうしてたよね?」

「ああ、帽子か。バレないだろうと思って、持ってこなかったんだよな」

「やっぱり隠すべきだったんじゃないかな? だからわたし、急いで帽子を買ってくるから、ちょっとここで待ってて」

 告げて、こそこそとトイレから出る。女の子たちがきょろきょろとデイビッドの姿を捜しているすきに、日用品雑貨ゾーンを抜け、衣類ゾーンに突入した。

 オーケイ、わたし。デイビッドのオシャレオーラを抹殺してくれるような、なるべくダサい帽子を買おう。花柄かなんかで、ぐるっとつばのあるような、わたしのママが好んでかぶりそうなやつを!

 ちょうどいいことに、マーケットに並んでいる衣類にオシャレさは皆無だ。だけど、どうしよう、迷ってきた。オシャレさはなくても、わたしから見たらカワイイ物がたくさんある。あ、この星柄のキャップとか、普段かぶるのにどうかな? 鏡もあるから、ちょっと試してみよう……って、ちっがーう! 自分の帽子を選んでどうするの!?

「う! お、落ち着こう」

 キャップを戻してすぐ、大きなつばの、淡い水色に向日葵柄という、さすがのわたしも絶句する、おそるべきデザインの帽子が視界に飛び込む。間違いなくママのストライクゾーン。それにミス・ルルがこれを見たら、発狂して引きちぎりそうな代物だ。

「決定」

 レジで会計を済ませ、トイレに引き返すべく、商品棚の間をちょこまかと歩いていた時だ。三人の女の子に囲まれたとある人物を、缶詰ゾーンの棚の間に見つけてしまった。

 その人物とは……WJだ!

 Tシャツに、黒いスウェット素材のハーフパンツを履いたWJは、三人の女の子を見下ろして、硬直していた。というか、その女の子たちは、さっきWJが助けた人魚姫チームだった。なるべく肌を隠さないと決意してるみたいな格好で、WJに話しかけている。話しかけられているWJは、眼鏡をかけているので視界はバッチリ、そのせいで顔が赤い……けど、どうしてだろ。眼鏡をかけているのに、どうして人魚姫チームにバレちゃったの!?

 んもう!! あっちもこっちも、顔とか髪とかの面積を、お願いだからもっと隠して出歩いて!

 どうしよう、どうするべき? まずはWJを救出すべきだろうか? だけど、デイビッドは長いこと女性用の個室にいるから(わたしがのろのろしたせいで)、本当に使いたい女性に不審に思われて、いまごろけたたましくノックされているかも? ああ、パニくりすぎていて冷静な判断ができない! ようし、WJも心配だけれど、ともかく、とりあえず、ひとまずは、デイビッドにこのイケてない帽子を渡すのが急務だ。

 小走りでトイレに向かい、誰もいないのを確認してから、閉まっている個室のドアをノックする。

「こ、これ! これをかぶって!」

 デイビッドに帽子を差し出したら、世界一マズい食べ物を口に入れてしまった、みたいな顔をされた。

「……なんの罰ゲームだよ」

「ダサいほうがいいでしょ? だって、ダサくないと、あなたのオシャレオーラを消せないんだもの!」

 オシャレオーラという表現が気に入ったのか、帽子をつかんだデイビッドは、すぐさま機嫌をなおしてにやっとした。

「これ、メンズ?」

 おっと、それはまったく眼中になかった。

「た、たぶんレディース。だって、これが一番イケてなかったんだもの!」

「……まあ、かぶってもいいけどさ。きみとしては、おれにこれをかぶってもらいたいんだよね?」

 そのとおりだ! WJのことが気になりすぎて、個室の中で地団駄を踏みながらうなずく。

「うん、早くかぶって! 急がないとWJが囲まれちゃってる!」

「は? WJ?」

「わかんないけど、マーケットにいるの。もしかしたらわたしたちを追いかけて来てくれたのかも。そうしたらさっきの、あのシルビィっていう女の子チームに見つかったみたい!」

 デイビッドに帽子を渡すミッションは終了したから、次の救出先へ向かうため、ドアノブに手をかける。直後、誰かが入ってしまって、しかも音から察するに、手を洗っているのかメイクをなおしているのか、個室に入る気配がなく、出るに出られないハプニングにおそわれる。

 ううううう、蛇口から流れ続ける音がやまない。そんな中、デイビッドは背後からわたしをのぞき込むと、あろうことか(どさくさに紛れちゃったのか)わたしの頬に、ちゅっとキスをしたのだ! これもものすごいデジャブ感だ……なんて、のん気に回想している場合ではない。ひえええっと叫びたい口を両手でおさえ、水道音に耳をすます。

 大丈夫だ、外の人物にバレてはいない。

 声を出さないように口を結び、ぺちぺちとデイビッドの肩を叩く。なにが楽しいのかデイビッドは、にやにやしながらわたしを見下ろす。やっと水道音が消え、パタンとドアの閉まる音がたったので、個室を出てからデイビッドに訴えた。

「どおおーして、こういうことしちゃうの!?」

 またペチンとデイビッドの腕を叩いたら、デイビッドはクスクス笑いながら肩をすくめた。

「どおおーしてだろうね?」

 答えになっていない!

「もう絶対しないでね!? 絶対に絶対に絶対に絶対に!」

 鏡に向かうデイビッドの背後で念を押す。デイビッドはイケてない帽子のつばをピンと指で弾きながら、わたしの訴えなんて無視してつぶやく。

「すごいな、この帽子。これをデザインした人に、思いきり説教したい気分だ」

 わたしはあなたにお説教したい! ちゃんと聞いてと叫ぼうとしたら、これまたおそるべきことに、トイレのドアが押されてしまった。

 あ! と絶句して振り返ったら。

「……やっぱり。ここかなってなんとなく思ったんだ」

 WJだった。

<<もどる 目次 続きを読む>>

bottom of page