真夏の面積戦争 ★ 04
おそるべき面積についての嫉妬
WJの了解が得られないので、半袖パーカーを着込んだ格好でビーチボールで遊びはじめたものの、はしゃぎすぎと暑さのせいで、とうとう顔が火照ってきてしまった。アーサーもキャシーも水着だし、サングラスをかけているデイビッドだって、いまや上半身裸にストライプのハーフパンツ姿だ(ちなみに、ビーチにいる人たちはデイビッドの存在に気づいていない。たぶんサングラスのおかげ)。
いよいよ耐えられなくなってきたから、パラソルの下で、シートに寝転んで本を読んでいるWJにおうかがいをたてるべく、輪から離れてよろよろと近づいてみた。
「と、とっても暑くなってきちゃったから、パーカーだけ脱いでもいいかな?」
この際、デイビッドの視線はスルーする!
WJは左手に持った本をずらして、そばに座ったわたしを見たとたん、慌てたようすで起き上がった。
「うわ、ごめん。きみの顔が真っ赤だ」
ちょっとパニくってるみたいな口調でいって、右手をわたしの頬にあてる。WJの手がほんの少し冷たくて気持ちいい……と感じるのは、わたしの頬が火照りすぎているせいかも。
「顔が真っ赤なのは、わたしがはしゃぎすぎてるだけで、なにかのおっかない症状じゃないから、大丈夫」
プラス、この暑さのせい。というわけで、もう一度おそるおそる、脱いでもいいかなと訊ねたら、WJはため息をついて、哀しげな眼差しをわたしに向けた。
「……そうだよね。せっかく遊びに来てるのに、ぼくが妙なわがままいったから、きみに不自由なことさせちゃってるよね。それで、きみの顔がこんなに真っ赤に」
あなたは女の子とおしゃべりする時、たいてい真っ赤になっちゃってるよと、からかいたい衝動におそわれたけれど、きゅっと口を結んで我慢する。
「デイビッドだって見慣れちゃったら、わたしなんかすぐスルーすると思うな。だって、ほら見て? キャシーとも本気で戦ってるでしょ?」
振り返って三人を指す。一度覚悟を決めたせいか、すっかり吹っ切れてしまったキャシーは、スカートだけ身に付けた格好で、宙に浮かんだボールに向かってジャンプする。そんなキャシーにぼうっと見とれているのはアーサーのみで、キャシーによってアタックされたボールを、デイビッドは砂浜を転がるいきおいで、本気で追いかけていた。
「ね?」
WJはため息をつくと、わたしの頬から手を離してうつむいた。
「……ちょっと嫌だけど、でもこの暑さに我慢しながら、顔を真っ赤にして遊んで欲しいわけじゃないし。……うん、いいよ」
よかった、了解を得ることができた! パーカーを脱いだらいっきに涼しくなって、ふうと息を吐きつつうっとりする。
「あなたも一緒に遊ばない?」
隣にいるWJを見たら、目が合ってにやりとされた。
「ああいうボールって、力の加減がわからないんだ。だから破裂させるか、ありえないほど遠くまで飛ばすか、どっちかになるよ」
本を読んでいる理由は、そういうことだったらしい。
「じゃあわたし、もうちょっとだけ遊ぶことにする。いっぱい遊んだらお腹が空いて、バーベキューがもっと美味しくなりそうだから!」
軽く腰を浮かせたら、WJがクスクス笑った。
「ニコルの食いしん坊」
そのとおり。わたしはミス・食いしん坊! と、鼻息荒くシートから立ち上がった時だった。
わあっ! とどこからか悲鳴に近い声が上がる。驚いて見まわしたら、家族連れらしき人たちが集まって、海を指していた。それで、ボールで遊んでいたアーサーたちも振り返り、わたしとWJも海を見た。
ずいぶん遠くで、不自然な水しぶきが立っている。これはもしかして、あきらかに!
「監視塔にライフガードがいない」
わたしとWJが三人のそばへ駆け寄ったら、デイビッドが砂浜に建っている監視塔を指した。
「え! いないの? じゃあ、ほかのライフガードは!?」
わたしがおろおろすると、アーサーは眼鏡の奥の目を細め、周囲を見わたしながらしかめ面をした。
「ここはビーチの端だからな。向こうまで行けば」
右方向を指す。ゆるやかに弧を描いた海岸は、海にせり出したあたりがもっとも賑わっていた。
「等間隔に監視塔が建っているんだが」
「じゃあそこまで行って、ほかのライフガードを呼んで来よう」
走り出そうとするデイビッドをアーサーが制した。
「いや、目立つ行動はやめてくれ。きみが誰か知られたら、ビーチがパニックになるぞ。ほかの誰かが呼びに行っているかもしれないし、きみはここにいてくれ。トイレに行ってるだけかもしれないから、おれが捜して来る」
「わたしも行く!」
「わたしも捜すわ!」
わたしとキャシーが海に背を向けたら、WJはおもむろにかがみ込んで、デニムの裾をまくりはじめた。
「少し波の荒いポイントだね。距離がありすぎて、誰も助けに行けないんだ。でも、急がないと大変だよ」
しゃべりながら眼鏡を外す。外したとたん、切れ長で大きな瞳を険しげに細めた。
「うーん、視界が不自由なのと、飛べないから正攻法しかないってのが、辛いけど」
いって、WJはTシャツを脱ぎ捨てると、海へ向かっていっきに駆け出した。
「え、WJ!?」
波打ち際まで走ったWJが、海へ飛び込んだ。同時にわたしの耳には、あちこちから発せられた女の子たちの声が届く。
「あの人誰? かっこいい!」
その十数分後、救助した人物を抱えて、全身びしょ濡れのWJは無事に生還した。見守っていたすべての人が、安堵したように拍手する。直後にあらわれたライフガードに向かって、中年のおじさんは説教をはじめた。
救助された人物に意識はあって、がっしりとWJの首まわりに腕をからめていた。砂浜へ戻ったというのに、WJが降ろそうとしてもまるで離れず、見るからに力いっぱい……抱きついてる。
助かってよかったと思うと同時に、こうなるととっても複雑な心境だ。
「うう」
声にならないうめきをもらしたら、わたしの隣に立つアーサーがいった。
「あれは……。面積的に便せん三枚分だな」
裸ぎりぎりな面積だ。
「……そしてグラマー」
追いうちをかけるように、デイビッドがいう。
WJが助けたのは、白いビキニ姿で小麦色の肌の、とおおっても美人な女の子だった。ブルネットのロングヘアが神秘的で、異国の人魚姫みたいに見える。その人魚姫がなかなか離れてくれないため、困り果てたようすのWJは、砂浜にしゃがんで人魚姫をそっと降ろす。そこでようやく腕をゆるめた人魚姫は咳き込みつつ、両手で顔をおおうと泣きじゃくった。
「……とても怖かったわ! 気分よく泳いでいたら、足が動かなくなってしまったの」
いい終えたあとでどこからともなく「シルビィィィィ!」と叫びながら、魔女的面積の水着をまとった二人の女の子があらわれて、人魚姫のそばへ近寄った。美人の友達は美人と相場が決まってる……けど、あれ? でも、キャシーの友達はわたしだから、その相場はあまり信用ならないかも……なんて、考えている場合ではない。
「シルビィ! あなたったら、泳ぎが得意だからってどこまでも行ってしまうんだもの! でも、あなたなら大丈夫って信じてたわ!」
ひとりが叫ぶと、アーサーが苦笑した。
「大丈夫って、なんの根拠もないな」
「わたしたち、ライフガードを捜していたの! だけど、途中で会った男の子たちに食事に誘われちゃって、それでそのお……」
「ナンパされて浮かれて、友達の危機を忘れたんだ。すごい友情」
腕を組んだデイビッドは、肩をすくめるとひとりごちた。
ともかく助かったということで、集まっていた人たちが少しずつ散りはじめる。砂浜にしゃがむWJは、濡れた髪を両手でかき上げながら、全世界の女の子が卒倒しちゃうみたいな笑顔で(もちろん、本人にその自覚は皆無だ)告げた。
「えーと……。まあ、大丈夫みたいだから、よかったね。気をつけて。それじゃあ」
立ち上がろうとするWJのデニムの裾を、シルビィという名前の人魚姫は、まつげの長い両目をうるませてぐっと握った。
「待って! あなたの名前を教えて欲しいの! ……というか、今日はすぐに帰っちゃう? 泊まるならどこに泊まるのか教えてくれない?」
「おっと、すごい。積極的だ」
アーサーがいったら、キャシーが顔をしかめた。
「魔女よ。あれこそトゥーラ国の魔女だわ」
ひとつだけよかったのは、眼鏡をしていないWJの視界には、美人も中年の男性も子どもも、全員がベージュのゴーストに映っているということだ。もしもこれがくっきりとした視界だったら、はしゃぎまわるわたし以上に、WJは顔を真っ赤にしていたはず。
「え、ぼく?」
「そう、あなた」
シルビィは甘えるような上目遣いで、セクシーに肩を寄せる。ただでさえグラマーなスタイルだから、胸が素敵に盛り上がった。自然、わたしは自分の絶壁を見下ろすはめになる。
……ううーむ、やっぱりちょっとだけでも、ねつ造すべきだったかな?
「きみのほうがかわいいよ」
ぽつりと、デイビッドがわたしに耳打ちした。
「え?」
顔を向けたら、デイビッドはにやっと口角を上げる。
「胸にまどわされるのは、脳内がガキの証拠」
いって、するっとわたしの足を、あろうことか撫でたのだ!
「ひゃあっ!」
一瞬過ぎたこそばゆい感覚に飛び上がったら、WJがこっちを向いた。視界がぼんやりしすぎているせいか、不機嫌そうに眉を寄せる。
「いやだ、デイビッド! それってセクシャルハラスメントだわ!」
キャシーが叫ぶ。
「べつにいいだろ。友達の足を撫でただけ」
「教えてやろう。友達の足は普通、撫でない」
くだらない会話がWJにも聞こえたらしい。シルビィの手を優しく払いのけると、WJはムッとした声音でいった。
「ぼくにはセクハラされてる彼女がいるから、彼女を助けに行くよ」
え? と三人の魔女的美女が、同時に首を傾げた。ベージュのゴーストの輪郭を、なんとかとらえようとしているみたいに、思いきり目を細めたWJは大股で近づくと、つんとすましたままわたしの腕を取って歩き出す。パラソルのそばまで来ると、わたしの腕から手は離さずに、腰を曲げてTシャツを拾い、頭を拭きながらいった。
「ほらね。こうなっちゃうかもって思ってたんだ」
「ちょ、ちょっと撫でられただけ」
「お人好しすぎ。どうして怒らないの?」
指摘されてはっとする。本当だ。これはたぶん、あまりにもさまざまなことをされすぎて(デイビッドに)わたし自身が慣れてしまっているからだ。
おそろしい! 由々しき事態だ!
「……ホントだ、どうしよう。わたし、慣れちゃってる!」
「え?」
Tシャツを肩にのせ、WJは眼鏡をかけた。
「いつものことって思っちゃって、デイビッドになにかされても、あんまり気にならなくなってることに、いま気づいたかも!」
「え!」
WJがアーサーたちのいる場所へ顔を向ける。つられてわたしも視線を移すと、デイビッドはにんまりした顔でこちらを見ていた。
「ああ、嬉しそうだ。ほら、もう! なんだよそれ、慣れちゃダメだよ」
ぎゅうと少しだけ、わたしの腕をつかんでいる手に力がこもる。
「そ、そうだよね。だけど、その……。それはそれとしてというか、なんというか」
「なに?」
WJがわたしをのぞき込んだ。
「さっき、その……。もちろん、あの女の子が助かってよかったって思ってるんだけど、そのあとがというか……。いろいろ仕方がないのはわかってるんだけど、あなたとあの子がピッタリくっついていて、それがそのお……」
しゃべりながら、はしゃいでいるわけでもないのに、素直な気持ちをカミングアウトする恥ずかしさで、顔が赤くなっていくのがわかる。
「ピッタリくっついていて」
うわあ、二度もいっちゃった!
「あ、あの子の水着の面積が、便せん三枚分くらいだったし、なんというか」
内面の吐露の気まずさに顔をしかめつつ、WJを見たら、にやっとされた。
「ぼくにはゴーストにしか見えていないよ」
「うん。それはわかってるんだけど、なんというか……」
ピッタリくっついていたのだから、グラマーな体型の感触がバッチリ……なんていえない。
「なんでもない。忘れて!」
いったとたん、お腹がぐうと鳴った。毎度のことながら、緊張感のない自分の食欲に尊敬してしまう、すごすぎる。
クスクス笑うWJは、わたしの腕から手を離すとアーサーたちを呼んだ。
「そろそろ、バーベキューをしようよ!」
三人が戻って来る間際に、本についた砂をはらいながら、WJはさらりという。
「必死だったからなにも考えてないし、感じてないよ」
「え?」
「ピッタリくっついてたけど、べつになにも思わなかったってこと。きみこそ」
クーラーボックスの上に本を載せてから、WJはTシャツをぎゅうっとしぼった。
「なにかされるのに慣れていいのは、デイビッドじゃないだろ?」
砂の上にぽたぽたと滴が落ちる。WJはわたしを見下ろして、にっこり笑った。
「ぼくだよね?」