SEASON FINAL ACT.33
沈黙を守り続けるテリー・フェスラーの身柄が、市警からFBIの管轄になり、移送されたというニュースが流れた土曜日の夕方、わたしはリビングで、三脚の上のカメラと戦っていた。
フィルムはパパが巻いてくれたし、タイマー用のスイッチを押すだけでいいのだといわれたけれど、どうにも自信がない。週末の芸人は稼ぎ時で、もうすぐパパもママも出かけてしまうというのに、いまだにカメラの操作方法をマスターできていなくて焦る! いっそここに、スネイク兄弟を呼ぶべき? だけどギャラが発生してしまうおそれがあるし、考えてみたら連絡先も知らないのだ。まあ、デイビッドは知っているだろうけど。
「うううう、パパ、全然わからない……」
ピエロの衣装を詰めたバッグを背負ったパパが、慌ただしくダイニングテーブルに説明書を置いた。
「アーサーか誰かが知っているだろう? でなければこれを読むんだぞ」
ああ、たしかに。アーサーなら知っていそうだ。依然、松葉杖を手離せないわたしの頬に、ママがキスをしてくれる。
「お留守番を頼むわね! ああ、こんな日にあなたがひとりぼっちだなんて、ほんとにもう」
「大丈夫、大丈夫! テレビもあるし、サンドイッチ作って食べてるから」
それに、ぬいぐるみの背中を、縫ってあげなくてはいけない。ほうら、わたしの今夜だって、かなり忙しいのだ。パパとママを見送ってから、ドアに鍵をかけてリビングへ戻り、ふたたびカメラの前に立つ。
「オーケイ、ミスター……か、ミスかわかんないけど、カメラ。いまからたんまり友達が来るから、わたしの操作が多少マズくても、うまいこと撮影してね」
もちろん、返事はない。
「……あなたって、眠ってるWJみたい。まあ、返事がないのは、機械だからあたりまえだけど」
午前中、パパの運転する車で病院へ行ったけれど、WJは眠ったままだった。わたしは今夜のことを一方的にしゃべって、ほっぺにキスし、シャロンと少しばかり話したけれど、本当は、なんとなく、今日目覚めるかもって、期待しちゃっていた。もちろん、WJが目覚めたところで、わたしは怪我をしているから、プロムに参加はできないけれど、夜通しおしゃべりすることはできたはずだし。それに。
「一緒に、アーサーのロルダー騎士ぶりを見たかったなあ」
目覚めたWJに、写真を見せてあげたい。だからこそ、このミッションをぼやけまくりなショットで、失敗するわけにはいかないのだ!
固く心に誓ってダイニングの椅子に座り、むむむと説明書を読んでいたら、いつの間にか夕日に染められていたリビングが、ほんのりと暗くなりはじめる。説明書を持ったまま、片足ジャンプでリビングをうろつき、ライトを灯し、窓にカーテンを引いたタイミングで、チャイムが鳴った。壁の掛け時計を見たら、もうすぐ七時になりそうだった。
デイビッドの豪邸とは違って、たったの数歩でたどり着けるドアでよかったと思いつつ、鍵をはずしてドアを開ける。なんと、タキシード姿のデイビッドが誘ったのは、あろうことか、意外にも……光沢のあるブルーのドレスを着たジェニファーだった。
「うわあっと……、な、なんというか」
ジェニファーのドレスとデイビッドの瞳の色が同じなので、ジェニファーが誰を想定してドレスを選んだのかは一目瞭然だ。
「まさかモンキーの家に来る日が訪れるとは、思わなかった」
ジェニファーが肩をすくめて笑った。まあ、わたしも同感だ。
「あなた、とっても素敵だよ、ジェニファー!」
わたしが素直な感想をのべたら、ジェニファーがにやっとする。
「知ってる」
これぞジェニファーという返答をされた。
家に招くと、トイレを貸してとジェニファーがいう。げっそりしているデイビッドは、ジェニファーがトイレのドアを閉めるのを見計らって、わたしに耳打ちする。
「……女の子を頭の中で選別してるうちに、面倒になったんだよ。参加するだけだから誰でもいいかと思っただけだ。深く突っ込まないでくれ」
「でも、ジェニファー素敵だよ? あなたに合わせたドレスを選んだんだね」
デイビッドはため息をついて、うなだれた。
「……ああ。こっちが誘ってなかったら、一生呪われたね」
アーサーとキャシーは一緒じゃないのかとわたしが訊けば、うなだれていたはずのデイビッドはいきなり吹き出し、お腹を抱えて前のめりになり、狭いアパートにひびくほどの爆笑をはじめた。こんなに笑っているデイビッドを見るのは、たぶんはじめてだ。
「え! いまわたし、なにかおかしいこと訊いた?」
「そ、そうじゃないんだ。カルロスがリムジンを手配してくれたから、い、一緒に来たんだけどさ」
笑いをこらえながらドアにもたれる。そんなデイビッドの肩越しに、フロアの階段を上って来る……ブロンドの髪が見える。ふわふわとカールされた髪を揺らし、フロアにあらわれたのは、童話から抜け出したお姫さまだ。というか、パールピンクのドレス(この場合、どこかのブランドのシックなドレスといった類いではなく、あきらかにパフスリーブの中世ヨーロッパ貴族スタイル)のすそを持ち上げ、階下に向かって手を差し伸べているのは、愛すべきわたしの親友、キャサリン・ワイズ、なのだった!
キャシーは、わがままな飼い猫をなだめるみたいな声色で、階下に向かってしゃべる。
「早く来て、ロルダーさま! あああ! 魔女の追っ手があなたのすぐうしろに!」
……どうしよう、わたしいま、なにかの寸劇を見せられてる? 笑っているデイビッドの横で、ドアノブに手をかけたままあ然としていたら、のろのろと階段を上がる人物が目に映る。キャシーの手を取った黒髪の人物は、黒いマントをひるがえしながら、眼鏡をはずした真っ青な顔を、こちらに向けた。
「……助けてくれ」
タキシードではない、コミックの騎士に扮装したアーサーは面白すぎた。だって、腰にきちんと剣をおさめているし、両肩には金細工の紋章だし、細部まで異常なほど凝っていて、本当にコミックから飛び出したみたいに、なっちゃっていたのだ!
興奮したキャシーは、両手を広げてフロアで叫ぶ。
「見てニコル! すっごいでしょ! こ・れ・が・ロルダー騎士よ、そうでしょ!」
その横に立ったアーサーは、がっくりと肩を落してまたいった。
「……誰か助けてくれ」
いいえ、助けられません。もちろん、わたしも爆笑した。手のひらで口をおおって、お腹の筋肉をふるわせつつ、なんとか「入って」と告げる。
「フランクル。おれは今夜おまえのことを、ロルダーって呼ぶことにするよ」
はははと笑うデイビッドが、ドアの開け放たれたリビングへ行く。
「正しくは、ミヒャエル・シューヒュエンス・シャザベル・ロルダー、よ!」
ドレスのすそをひらひらさせながら、デイビッドを追いかけて、キャシーが訂正した。トイレから出たジェニファーが、
「うっわ。なにその名前。どこの国の人なわけ? フランス?」
廊下に立っているロルダー騎士、ではなくて、アーサーを見て苦笑した。すると、わたしの横でアーサーが答える。
「……トゥーラ国だ」
わたしは右足を上げたまま、廊下の壁にもたれて笑いをこらえる。ジェニファーがリビングへ行くと、アーサーはわたしを見てつぶやいた。
「彼女の家へ行って、ミセス・ワイズに渡された衣装に着替えたところで、後戻りできない状況におちいった。正直にいうぞ。本音をいえば、タキシードにマントをつけるていどだと思っていたんだ」
「ああ、それは間違ってるよ、アーサー。だって、キャシーだよ?」
「ここまでとは思わなかった」
「じゃあ、今後は思って。だけどとっても、似合ってるよ? それに、キャシーは本当のお姫さまみたい!」
たしかに、とアーサー。廊下からリビングを見て、デイビッドとジェニファーに、いかに「闇の騎士シリーズ」が面白いか説く、ジュリエッタ姫の姿を眺めて肩をすくめる。
「よし、なりきってやる。いっそそのほうが、羞恥心から開放されそうだ」
マントをひるがえすロルダー騎士は、リビングへ行って姫のもとへかしずき、手のひらにキスをした。デイビッドはソファに寝転がって笑うし、ジェニファーはちょっとうらやましいみたいな眼差しで、二人を見つめながら口をすぼめる。
それから、興奮しまくりのキャシーを落ち着かせ、写真を撮るのに三十分もかかり(結局、デイビッドがタイマースイッチを押してくれた)、プロムへ向かう四人を見送ってからも、わたしはひとりで笑い続けた。
★ ★ ★
ママの裁縫道具を床に広げて、傷だらけの我が同士(ぬいぐるみだ)たちの背中の手術に取りかかる。最初はクマのシャーリーだ。床に座ってサンドイッチを食べつつ、テレビを流しながらちくちくと、へたくそな縫い目に集中していたら、土曜日のお楽しみ、ウイークエンドショーの時間になる。特集は、ミスター・マエストロだった。しかも、司会者はロバート・マッコイではなかった。ヘリコプターでわたしにインタビューをした、ネッド・スポールになっていたのだ。
「あれれ。大変、シャーリー。この人、偉くなっちゃったみたい」
スクープをモノにしたネッド・スポールが、今夜から司会者は自分になったとしゃべり、やがて画面には、わたしが子どもの頃に夢中で見た、ミスター・マエストロの若かりし姿が、モノクロフィルムで流れはじめた。
斜めにかぶったクラシックハット、葉巻の煙、トレンチコート。ハットの影から笑みを浮かべる口元がのぞいて、ビルから飛び降り、華麗にギャングを倒すニュース映像だ。そこから画面は切り替わり、テリー・フェスラーの顔写真がアップで映る。わたしは床をずるずると這って、シャーリーの手でテレビを消した。
「ヒーローはヒーロー。犯罪者は犯罪者。わたしの中ではベツモノってこと。これってヘンかな?」
にっこりした顔のシャーリーは、もちろんなにもいわない。まあ、いまもっともヘンなのは、ぬいぐるみに向かってしゃべっているわたしだろう。
掛け時計を見上げれば、八時を過ぎている。キャシーもアーサーもデイビッドもジェニファーも、飾り付けされた体育館でダンスをしている時間だ。
「ホランド先生も、踊ってるね」
腰をくねらせて踊る先生を想像したら、ちょっと笑える。くすくすと笑いながら、残りのサンドイッチを食べ終え、コーラを飲んで、手術を続けていたら、いきなりチャイムが鳴った。
「……うわ、早いなあ。パパとママが帰って来ちゃった。床で食べてた証拠隠滅しなくちゃ」
お皿を持って立ち上がり、片足ジャンプでテーブルに置く。だけどおかしい。鍵を持っているはずなのに、どうしてチャイムを鳴らすんだろう……とテレビの上を見たら、あろうことか家の鍵がそこにあった。あああああ。わたしはうなだれる。
「……わたしが眠っちゃったら、どうするつもりだったんだろ? まあ、起きてるけど」
右足を上げたまま、壁をつたって廊下に出る。
「鍵忘れちゃったでしょ。わたし、眠ってたかもしれないのに」
しゃべりながらドアノブをまわして、開ける。
だけど、そこに立っていたのは、ママでもパパでもなかった。
このことは何度も妄想したけれど、さすがに今日の今日で、ありえなさすぎる。パニくったわたしは、いったん静かにドアを閉めた。高鳴る鼓動で吐きそうになったので、思いきり深呼吸し、今度はゆっくりと、ドアを開けてみる。ドアのすき間からのぞいたそこには、やっぱり、タキシードを着た男の子が立っている。
「……ど、どどどうしよう。妄想がリアルになっちゃった」
小さくつぶやいたら、ドアの向こうの男の子がいう。
「……よかった。いたんだね」
こういうの、知ってる! 生きているけれど、魂だけが眠っている肉体から離れて、あちこち飛びまわるというやつだ。ホラードラマで見て、あまりのおっかなさにその夜、パパとママのベッドに潜り込んだから覚えてる。でも、いまは怖くはない。
寝癖なんてない髪はバッチリきまっていて、眼鏡もしていない。間違いない、WJの肉体はいま……病院にある!
「こ、ここ、こういうの、ドラマで見たことあるの! だ、だからおっかなくないし、とっても嬉しいけど、あなたの身体、きっと病院にあるって思う! それで、そのドラマでは、あんまり長い間、身体から魂みたいなものだけが離れてたら、戻れなくなっちゃうんだっていってた。だ、だからすっごく嬉しいけど、早く戻ったほうがいいんじゃないかな?」
その前に、できればハグしてほしいけど! というわけで、ドアを開け放って、両手を広げる。たぶん、魂だけだから、わたしに抱きしめられた感覚はないだろうと覚悟して、まぶたを閉じたら、腕のまわされた感触が背中に伝わり、意識を失いそうになった。
抱き上げられて、わたしの足が床から離れる。全部の体重をあずけても、肉体から離れたWJの魂はびくともしない。魂だけのはずなのに、清潔な洗剤のにおいがする。WJの首のあたりに鼻をこすりつけたら、くすぐったいと笑われた。
大好きな声だ。それに、ぬくもりのあるWJの体温を感じる。
「……お、起きたの?」
もちろん、嬉しさのあまり、わたしは涙でぐっちゃなことになる。
「あだだ、おぎらんらね!」
「魂、ではないと思うよ。たぶん、これがぼくの身体だと思ってるんだけど、違うかな。一緒に病院へ行ってみる?」
大変だ、WJのシャツの襟首が、わたしの鼻水で汚れてしまう! なんとか鼻水をすすって答える。
「い、行かなくていいよ、大丈夫、起きたんだね!」
「うん。みんなに心配かけたよね、ごめん」
「ずうっと起きないかもって、すっごくおっかなかったの。でも、起きてくれたからもういいよ。とっても嬉しい!」
「ぼくが妙なところへ行かないように、きみがすごくがんばってくれたって、シャロンにいろいろ聞いたよ。ありがとう」
「だあって! とってもケチケチなんだもの、デイビッドのお父さんが!」
WJが笑った。
「知ってるよ。だけど悪い人じゃないんだ。トップに君臨する人は、クセのある人が多いからね。でも、本当にありがとう」
わたしは力いっぱい、WJを抱きしめる。というよりもしがみつく。しがみつきすぎたせいで、笑うWJがあとずさってよろめいた。片腕をわたしの腰にまわしたまま、後ろ手でドアを閉めてから、廊下の壁に背中を寄せる。
「きみのパパとママは?」
優しくゆっくりと、わたしを降ろそうとするけれども、WJに抱きついたわたしの身体が動かない(というか、離れたくない)ので、あきらめたのか、ふたたびぎゅうっと抱きしめてくれる。
「挨拶をしたいんだけど」
「仕事に行っちゃった」
WJの肩に額を押し付けて答えたら、わたしの髪がくしゃりと、大きな手に包まれた。
「怪我のこと、シャロンに聞いたんだ。痛くない?」
「うん。でも、タキシードで来てくれたのに、こっちこそごめんね。ドレスもないし、プロムの参加は無理だから」
「いいんだよ、ニコル。きみのパパとママに、自己紹介したほうがいいかなと思って、オシャレしただけだから」
顔を上げたらWJがくすっと笑って、わたしの目を見つめた。
「一週間も眠ってたなんて、最長記録だよ。夕方、ぼんやり目覚めたら、シャロンに早く行って! って、腕を引っ張られて叫ばれたんだ。プロムは今夜だからって。きみは行けないけど、ひとりぼっちにしちゃダメだっていわれて、焦って自宅に戻って着替えて、タクシーに乗ったけど、本当は、もしかして、デイビッドと一緒かもって、どきどきしたよ」
「あなたと約束したんだから、あなたが起きなくっても、そんなことしないのに。それにデイビッドは、ジェニファーと一緒だよ?」
信じられない、といった顔で、WJが驚く。
「ジェニファー?」
「ジェニファーの、プロムに誘って光線に、負けちゃったんじゃないかな」
WJが微笑んだ。笑みを浮かべたまま、きれいな灰色の瞳で、じいっとわたしを見つめてから、わたしの頬に軽く唇を添える。
タクシーでここまで来たのだというし、窓からではなくて、チャイムを鳴らしてWJはあらわれた。ということはきっと、カルロスさんのいうとおり、もうパワーはないのだろう。訊ねずにまぶたを閉じていたら、WJが耳元でささやいた。
「遅れちゃったけど、誕生日おめでとう。きみになにかプレゼントしたいと思ったんだけど、ぼくはセンスゼロだから、とっておきをあげるよ」
「え! プレゼントとかいいのに。起きてくれたからそれでじゅうぶん! ……だけど、ちなみに、とっておきってなにかな?」
ちょっとわくわくして訊けば、WJが答えた。
「ぼくの秘密の場所」
★ ★ ★
船の中で起きた出来事について、WJは詳しくしゃべろうとはしなかった。ただ、テリー・フェスラーとの激しいやりとりの中で、奪われたバックファイヤーが装置に投げ込まれ、傾いて沈んでいく船にいて過ったのは、わたしや、みんなや、シャロンとロイの姿だったという。
それまで感じたことのないパワーが、身体中に満ちて、暗闇の中へ吸い込まれそうになった瞬間、逆に力を使い果たして、意識を失い、船底へと墜ちていくテリーの手を、とっさにつかんだのだと、教えてくれる。
「河川でアーサーと見てたら、どんどん船が沈んでいって、口から心臓を吐き出しちゃうぐらい、おっかなかったんだから」
リビングでわたしを床へ降ろしたWJは、かすかに目を伏せた。
「……間一髪、という時に、ちょっと妙なことが起きたんだよ。テリーの胸元が光って、ほんの一瞬なんだけれど、時間が静止した、感じがしたんだ。そのすきに、なんとか脱出できたけど、あれはなんだったんだろう」
そういえばミス・ホランドが、時間を止めるために必要な物質のごく少量を、テリーは持っているのだと教えてくれたような気がする。そのエネルギーと装置は同調していて、静止した世界でも動きが可能だとかなんとか、いっていたのではなかっただろうか?
もはやわたしに、わかるわけもないけれど、暗黒世界へ沈む直前、船の中の時間だけが一瞬、静止したのだとすれば? 奇妙だけれど、テリーがいたから、WJは助かった、ともいえるのではないだろうか。ということは。
……テリーの手をつかんだから、パンサーは脱出できたのだ。
「この世界から消える、というのが、テリー・フェスラーの最後の願いだったんだ。だったら、その願いは叶うべきじゃないって思ったんだよ。うまくいえないけど、ぼくがあの手を離していたら、テリーの願望が実現していたはずだから。それに、少し同情もあったかな。もちろん、彼のおかしてしまったことについて、納得はいかないけれどね」
WJがいい終えたあとで、わたしは自分の考えを伝えた。すると、WJはびっくりした表情を見せ、それからちょっぴり、微笑んだ。
「……きみのいうとおりだとすれば、すごく皮肉だよね。だって、この世界から消え去るつもりが、結局は、自分の身を助ける結果を引き起こしたってことになるから。もちろん、第三者、というか、ぼくがその場にいたからともいえるけど、それはきっと、生きて、まだすべきことが残っている、というなにかのしるしだよ。そう思わない?」
いってから、ふうっと大げさに息を吐き、胸に手をあてて苦笑する。
「……よかった。あの時、善良な気持ちにおそわれて」
WJの、こういうユーモアは大好きだ。つられてわたしもちょっぴり笑ってしまった。とはいえ。
「……これから、どうなるのかな? テリー・フェスラー」
わたしが訊くと、WJは窓際へ行く。
「両手も両足も拘束されているって、カルロスに聞いたシャロンがいってたよ。一生、拘束され続けるのかもしれないね。あとはFBIの管轄。ローズの仲間がなんとかするよ。ぼくらの役目は終わり」
なにをするつもりなのか、WJはしゃべりながらカーテンを開けて、窓を押し上げた。それからわたしのそばへ歩み寄り、わたしの膝の裏と背中に腕をまわして、いきなりひょいっと抱き上げた。
「うわわわ」
「ぼくの首に腕をまわしてね。すごく遠くまで行くよ」
「え? 行くってどこへ? というか、あれ? WJ、カルロスさんは、もうなんにもできないかもって……」
「そうだよ。ぼくはひとりじゃなんにもできない。でもきみや、みんながいたら、たぶんなんだってできるんじゃないかな」
ええええ? パパ並みに、答えになっていない。わたしを抱き上げた恰好のまま、WJは開けた窓から外の非常階段へ出て、ぐっと片手で窓を下げる。
「このタイプの窓って苦手だよ。鍵は開けられるけど、外からだと出入りが難しいんだ」
そういえばデイビッドが、あの隠れ家の窓を開けていたことを思い出す。ちょっと開けられていたそこは、パンサーの玄関だったのだ。
「デイビッドが、パンサーの玄関だっていって、窓を開けていたのはそのせい?」
WJがくすっと笑う。
「そうだよ。デイビッドはすごくいいやつだっていっただろ? でも、きみがらみで、ぼくもデイビッドもパニくったってこと、覚えておいてよ。気づいてないだろうけど、きみは本当に、すっごく素敵な女の子だよ。だからぼくはこれからも、きっとときどきパニくって、らしくないことをいったりしちゃったりするんだ。でも、お互いさまってことに、しておいてくれたら嬉しいな。きみの行動にぼくがハラハラするかわりに、きみはぼくの睡眠時間の長さにハラハラする」
にやっと口角を上げた。う! うううーん、なにか納得がいかないけれど、たしかにお互いさまといえば、お互いさま、なのかも? いや、どうだろう? むむむと顔をしかめていたら、WJがひょいと、わたしの身体を抱えなおし、わたしの左頬に、自分の右頬をくっつけた。
「シティの住人はテレビに釘付け。これからぼくの、とっておきの場所へ行くよ。三百六十度、全部が星みたいに見えるんだ」
飛ぶつもり、のようだ!
「ええ? そ、それって、ブリッジ?」
顔を離して声を上げれば、いたずらっぽくWJが微笑む。そして、月のない夜空を見上げてから、にっこりしてわたしにいった。
「しっかりつかまって」
★ ★ ★
眼下で、シティ中のライトが灯っている。夜空を見上げればそこは、満点の星だ。ときどきここへ来るのだと、タキシード姿のWJはいう。WJ以外の人は、けっして訪れることのできない場所。そこは、クレセント・タワーのてっぺんだった。
地上九十階から細く直立する電波塔の下、段になったコンクリートの、傾斜した屋外に腰掛ければ、まるで空中に浮いているかのような錯覚におそわれる。たしかに三百六十度、目に映るすべてが星のように見える。
「ここがあなたのお気に入りの場所?」
WJと手をつないだまま、目を細めて、無数のライトを眺めながら訊いた。
「うん。ここは展望台の上だし、誰も来られない場所だから、ずっとぼくだけの秘密の場所だったんだ」
「でももう、秘密じゃなくなっちゃったね。わたしも知っちゃったから」
うふふと肩をすくめて笑ったら、わたしの左手を、WJはぎゅうっと握った。
「いつかきみに見せてあげたいと思ってたよ。だけど、そんな日が来るのは、もっとずっと先か、もしかすると来ないかもしれないって、思ってた」
わたしも、WJの手を握り返す。WJの美しい横顔が、ライトに照らされてはっきりと目に映る。
「あなたになにがあっても、わたしはずうっと、あなたの味方だよ。もちろん、みんなもだけど」
眼下を見下ろすWJが、顔を上げてわたしを視界に入れた。
「きみや、みんなに、なにがあっても、ぼくにできることはなんだってするよ、ニコル。そういうことを教えてくれたのは、きみだから」
WJの言葉に、胸がいっぱいになる。わたしたちはひとりぼっちではない。心がつながっていれば、いつでも強くなれるのだ。WJのように、悪者を倒すパワーはなくても、この先に続く人生の中で、たくさんの出来事におそわれて、しょんぼりすることがあったとしても、言葉や、励ましや、抱きしめ合う行為があれば、前に進んでいく力になるはずだから。
「そういえば、リビングにカメラがあったね? みんなで写真を撮ったの?」
つないだ手を揺らしていたら、WJが笑った。
「そう、そうなの! それで、アーサーが完璧なロルダー騎士になっていて、キャシーは興奮するし、デイビッドがすっごく笑って、大変だったんだから! 現像したら見せてあげるね」
ふうん、とWJは眉根を寄せ、なにかを企んでいるみたいな笑みを浮かべた。それから、手を離して立ち上がり、わたしの背中に腕をまわす。
「なら、行かなくちゃ」
ん?
「え? 行くってどこへ?」
「そんなの決まってるよ」
笑いながら、わたしを抱きかかえて、WJがいった。
「カーデナル」