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SEASON FINAL ACT.31

「おまえはちっとも連絡をよこさない。パンサーを勝手に引退したかと思えば、昨夜いきなりの復活。こっちの戦略チームに、クビにしたはずのカルロスから連絡が入り、ウイリアムが」

 言葉をきって、わたしたちを見まわしたキャシディ氏が、着ぐるみの頭をデイビッドへかぶせると、外で話そうと告げる。パンサーがらみの内緒話を、見るからにただの高校生の、わたしやキャシー、アーサーの耳に入ることを気にしたのだ。すると、デイビッドはふたたび、かぶせられた着ぐるみの頭を自分で脱ぐ。

「いいんだよ、父さん。みんな、なにもかも知ってる。おれの友達だ」

「友達?」とキャシディ氏。

 信じられないといいたげな、けげんな表情を浮かべると、

「おまえに友達?」

 片眉をくいっと上げて、わたしとキャシー、アーサーを順に目で追った。

「……なるほど、いくらで買収したんだ?」

 デイビッドの、ブロンドの頭ががっくりと垂れた。

「……そんなことするかよ。ああ、マジでウザったい!」

 さすがは大金持ち、キャシディ氏は、なんでもお金がらみで考えてしまう人、みたいだ……。

「まあ、それはともかく」

 キャシディ氏は、スラックスのポケットに片手を入れ、デイビッドに友達がいる、という事実が不思議なのかなんなのか、今度はアーサーをすっ飛ばし、わたしとキャシーに、交互に視線を送りながら、

「ウイリアムが入院したと教えられて、慌ててジェット機を飛ばしたというわけだ。おい、デイビッド、それで」

 わたしとキャシーに向かって、くいっとあごをしゃくった。

「どっちがおまえの恋人だ? それとも二人ともそうなのか?」

 デイビッドはさらにうなだれる。

「……だ・か・ら! 友達だっていってるだろう、このエロじじいめ!」

 ほう、とキャシディ氏は眉根を寄せ、デイビッドを押しのけると、ケーキのナイフを持ったままぽかんとしている、キャシーの目の前に立った。

「ふうむ……きみはかなり美人だな。もう少し背が高ければ、ヤングラインのモデルにぴったりだったのに。だがまあ……」

 キャシーの足のつま先から、頭のてっぺんまでを見て、

「美人すぎて、のびしろがない。ダメだ」

 軽く首を振りながら、肩をすくめた。

 ……のびしろ? ってなに? なにがダメなの? 呆気にとられて、バカみたいな顔をしていたら、ふいにキャシディ氏のブルーの眼差しが、わたしをとらえた。

「きみは……」

 わたしの顔をぱっと見るなり、パチンと指を弾く。

「問題外」

 すぐさま顔をそらし、ふたたびデイビッドのそばへ戻った。なにが問題外なのか、わたしにはまったくわからないけれども、厳しい美意識の持ち主だということだけは、納得できた。

「ここまでひとりで来たのかよ?」とデイビッド。

「駐車場でカルロスと出くわした。いまウイリアムの主治医と話している。この街の全新聞に目をとおしたが、ウイリアムはかなり無茶をしたらしいな。そのおかげで、パワーを使い果たしたかもしれないと、カルロスにいわれたぞ。デイビッド、なぜ止めなかったんだ?」

 デイビッドの横顔がこわばる。

「止めるとか止めないとか、そういう状況じゃなかったんだよ。誰かがなんとかしないと、シティがヤバいことになりそうだっただけだ」

 ちょうどその時、病室のドアが開いた。姿を見せたのは、無精髭にネクタイの曲がりまくった、ゾンビモードのカルロスさんで、ぐるりとわたしたちを見まわす。

「WJの肋骨にヒビが入っているらしい。でもこれは、たぶん、ほかの人よりも早いスピードで治癒するはずだけれど、問題は」

 息をつき、疲労感いっぱいのようすで、片手で自分の顔を撫でる。

「脳波も脈拍も心拍数も正常なのに、なぜか深い睡眠状態。通常、人の睡眠にはリズムがあるはずが、WJにはそれが」

「ない、んですね?」とアーサー。

 カルロスさんがうなずいた。

「わからないといわれたよ。原因不明。いつ目覚めるのかわからない、とね」

 また、ホテルでのあの状態、ということだ。たしかに倒れてしまう間際、パンサーはわたしに「ひどく眠い」と、つぶやいた。でもきっと大丈夫、またすぐに目覚めるはずだ、そう思うのに、無性に胸がどきどきする。

 昨日、あんなにすごいことをやってのけたのだ。もしかすると、もしかすれば、永遠に、ずうっと、今度ばかりは……なんて、おっかないことを考えてしまったら、胃のあたりもきりきりと痛んできちゃった!

 カルロスさんがいい終えたあとで、顎に指を添えたキャシディ氏は、しばらく間をおいてから、きっぱりと告げた。

「なるほど。まあ、起きてしまったことは仕方がない。休日だが関係ない、ダイヤグラムの全社員を呼べ、カルロス。さっそく、ヒーロー不在のための、新しい戦略会議をはじめよう。ともかくも、おまえのクビは却下にしてやる、なにしろ便利だからな。それからデイビッド、おまえの口座の桁が減った理由は、あとでたっぷり聞くとして、パンサー不在ならこの街にいる理由はないぞ。野放しにしていると、湯水のように金をばら撒くようだからな。すぐにてきとうなパブリック・スクールの手配をしてやる。荷物をまとめておけ」

「なんだって!?」

 デイビッドが叫んだのと同時に、またもや病室のドアが開く。入って来たのは……、シャロンだった。こんなに狭い病室に、高校生四人(うち、ひとりはベッドの上、それはわたし)プラス、大人が三人でぎゅうぎゅうだ。

 シャロンは、肩越しにドアを振り返ったキャシディ氏を視界に入れ、後ろ手にドアを閉めると、その場に突っ立ったまま固まった。

「……仲良しの女の子の病室に、遊びに来てみたら」

 デイビッドを見て、

「デイビッド、さっきはウイリアムの病室に来てくれて、ありがとう」

 キャシディ氏をにらみつけたまま、シャロンはものすごくテンションの低い声音でいう。同じくデイビッドも、

「ああ、それはいいんだよ、べつに」

 首を絞められているみたいな暗い声で答える。どうしよう、大変だ。なにかとてつもないことになってきている、ような予感がするのはわたしだけ? WJは目覚めないかもしれず、デイビッドは海の向こうのパブリック・スクール行き? そしてシャロンは、なにやら確執がありそうな兄、キャシディ氏と出くわしてしまったのだ。

「シャロン。自家用飛行機を使ったな?」

 にやりとしたキャシディ氏がいう。

「あら、そうよ、悪い?」

「畑まみれの貧しい生活に、そろそろ嫌気がさしたんじゃないのか? ミスター・オーバーオールはどうした?」

 ミスター・オーバーオール、って誰?

「ロイよ! そういう呼び方、いい加減にやめてくれないかしら! それに私たちは貧しくはないわよ、心豊かな生活を楽しんでいるだけ! まったく、嫌気がさしているわけないでしょう? もう結婚して二十年も経っているんだから! それよりも兄さんのほうが問題ありね。ミセス・キャシディはどうしたのかしら? わたしよりも十歳以上も若い、胸もお尻も振って歩く、わ・た・し・の・姉・は・!」

 ピュウッとアーサーが、ありえないタイミングで例の笛を吹いた。肩をいからせたデイビッドがアーサーを振り返り、イラついたようすで叫ぶ。

「フ・ラ・ン・ク・ル・! その笛をやめてくれ!」

 う! 笛を指に挟んだアーサーは、窓際に立ったまま無表情でいう。

「ずいぶん、個性的な家族に囲まれているんだな、キャシディ。おかげで、やっといまおれは、きみと仲良くなれそうな予感におそわれてるぞ。今後はお互い、傷をなめ合っていこう」

 たしかに、フランクル氏も強烈だ。ただし、キャシディ氏とは違う方向で。とはいえ、二人には共通点がある。どちらも、最高にワンマンなのだ。

 キャシディ氏がカルロスさんをあごでしゃくった。

「とりあえずたばこを吸わせてくれ。来い、カルロス。シャロン、おまえの態度がそのままなら、昨夜使用した飛行機の操縦者へのギャラと、燃料代、もろもろをおまえに請求してやるから、一括で支払え。それから、ウイリアムは明後日までようすを見て、目覚めないようであれば移送させる、いいな?」

「移送!?」

 その場にいる、キャシディ氏以外の全員の、声が揃った。

「どういうこと!?」とシャロン。

 げんなりしたカルロスさんは、うつむいて答える。

「FBIの研究施設から、前からオファーがあったんだ、シャロン。もちろん向こうは、パンサーはデイビッドだと思っているし、WJを移送させるとなれば、いろいろと面倒なことばかり。だからアーロン……会長、それはいかがなものかと思いますね、ぼくは。それに、あっちへ移送したからといって、WJが目覚めるとは思えない。であればこのまま、この病院へ入院させておいても同じでしょう?」

 ああ、ああああ、カルロスさん、もっといって!

「愚問だな、カルロス。移送させれば、入院費用はタダだ」

 ええええ? お金持ちなのに、ケチすぎる! いや、違う、お金持ちだから、ケチなのだ!

「そんなのわたしが払うわよ!」

「そして借金まみれか? 来いカルロス、たばこを吸わせろ!」

 叫んで、病室を出て行った。カルロスさんとシャロンが、キャシディ氏のあとを追う。よろめいたデイビッドは、壁に肩を寄せて、閉じた口の端からくぐもった声をもらす。

「あいつをいますぐ、誰・か・葬・っ・て・く・れ・!」

「……強烈だな。強烈な、ケチだ」とアーサー。

「昔はそうでもなかったんだよ、なんでも買ってくれたしさ。それが離婚を繰り返してるせいで、慰謝料で島がいくつも買えるほど使ってる。だからこっちにとばっちりがきてるんだ。腐るほど資産があるくせに。ああ、マジでイラつく!」

「……デイビッド。あなた、本当にイギリスに戻っちゃうの?」

 キャシーが訊くと、デイビッドは持っていた着ぐるみの頭を、バン! と壁に打ち付けた。

「いずれは社交界に、デビューしなくちゃいけないしな。もともとダイヤグラムの、パンサー戦略は期間限定、カーデナルの卒業が早まったと思えば納得……いくわけがないんだって、くそっ! 鼻持ちならないやつらの仲間入りかよ。敷地の広さはいくら、屋敷はいくつ持ってる、親戚に王族がいる、ベラベラベラベラ。くそ面白くもない!」

「……あなたがいなくなっちゃったら、さみしいな。それに、あなたはみんなのために、お金を使ってくれていたんでしょ? わたし、それって、ダイヤグラムの、会社のお金かと思ってたのに。ああっと、キャシーを助ける時の発信器とかを、あなたが買ってくれたのは、わかってたけど」

 わたしがいうと、デイビッドが上目遣いに、こちらを見る。

「……いまなんていった、ニコル?」

「え? ああ、だから、あなたがお金を使ってくれてたって」

「そうじゃない、その前」

 ん? わたし、なんてしゃべったっけ? すると、アーサーが棒読み的な声で、継いでくれた。

「あなたがいなくなっちゃったら、さみしいな」

「マジで?」

 もちろんだ。というか、アーサーの記憶力がすごい。わたしがうなずくと、デイビッドはおもむろに着ぐるみの頭をかぶり、もこもこの指でわたしをしめす。

「わかった。全力で阻止する」

 病室を出て行った。腕を組んだアーサーは、生クリームがとろりと溶けはじめた巨大ケーキを眺め、食べきれないなとつぶやく。

「ほかの患者さんで、食べられそうな人がいたら、分けましょうか?」

 キャシーがため息まじりで提案する。アーサーもキャシーも、ケーキのことについてしゃべっているのに、なんとなく、気もそぞろだ。それは、WJのことが気がかりだからだろう。もちろん、わたしもだ。

「……大丈夫よ、ニコル! 疲れちゃっただけよ、だから、昨日みたいに、きっとすぐに目覚めるわ。きっとそうよ」

 そういうキャシーの表情は、しょんぼりしている。わたしはなんとか笑顔をつくって、うなずこうとしたけれど、顔の筋肉がこわばってうまく笑えない。

「……FBIの研究施設って、どこにあるのかな? それ、わたしでも行ける場所?」

 わたしが訊けば、

「さあな。研究施設ということは、部外者は立ち入り禁止なんじゃないのか」 

 アーサーがうつむいた。

 そんなところにWJが行っちゃったら、もう一生会えなくなっちゃう! すぐさま松葉杖をつかんで、ベッドから降りると、どこへ行くのかとキャシーに訊かれた。

「ケーキは分けて食べてもらって、キャシー。いまお願いしてもいいかな? 悪くなっちゃうし」

「それはいいけど、ニコル。どこへ行くの?」

 ドアまで近づいたわたしの背後に、キャシーの声がそそがれた。だからわたしは答える。

「た、立てこもるの!」

★  ★  ★

 

 WJの病室まで行き、ドアに鍵をかけたら、こんなに緊迫した状況下だというのに、ぐうとお腹が鳴った。ううう、あ・り・え・な・い・! 考えてみたらわたし、ケーキしか食べていないのだ。もっと食べておくべきだったと思いながら、WJのそばへ行き、ぐっすりと眠っている寝顔を見下ろす。

 なんてきれいな寝顔だろう。どこかの国の、高貴な王子さまみたいだ。いまにも目覚めそうなのに、なのにWJは夢の中にいる。頬を軽くつねってみたけれど、反応はゼロだ。

「……どうやったら空を飛べるの? わたしも飛べたら、あなたを背負って、窓から飛んじゃえるのに」

 童話のお姫さまは、王子さまのキスでよく目覚める。この場合、性別が反転しているけれど、真似する価値はありそうだ。そんな思いにおそわれて、WJの唇に、自分の唇をぶちゅーっと押し付けてみた、えへへ……って、照れている場合ではない! しかも、反応はゼロ。

「あ、わかった、あれかも! 救命士なんかがする、空気を送り込むみたいなやつ!」

 というわけで、右足が床に着かないよう、左足で立って、松葉杖をベッドに立てかけ、WJの顎をつまむ……って、ん? その前に、鼻をつまむんだったっけ? WJの鼻をつまんだり、顎をつかんでいるうちに、ぐずぐずと涙があふれてきて、わけがわからなくなってきてしまった。

「あなた、いますぐ起きないと、おっかない場所に行っちゃうかもしれないから、早く起きてくれないかな! 昨日たくさん、がんばってくれたのはわかってるけど、ちょっと眠りすぎじゃない? ほら、ミルドレッド博士もあげたし、お腹も空いたでしょ? ちなみにわたしも空いてるけど、それに、それにプロムへ行こうって約束したじゃない? まあ、わたしは怪我しちゃって、行けないけど」

 そばにアーサーがいたら、あまりにもとりとめのない訴えに、死にたくなる気分になっていただろう。でも、なにかしゃべっていたら、いまにもWJの口角が上がって、くすくす笑い出して、寝たふりをしていたんだよとかなんとか、いってくれるような気がして、まるきり止らないのだ。

「起きて!」

 足のあたりを、揺すってみる。反応ナシ。まるで、眠ったまま死んでいるみたいだ。

「起きてってば!」

 直後、ドアがノックされた。わたしはとうとう、両手で顔をおおって泣いてしまう。

「鍵がかかっていますね」

 ドア越しに、誰かの声がとどく。主治医、だろうか。

「ウイリアム、目覚めたのか!?」

 続いた声には、聞き覚えがあった。キャシディ氏の声だ。パニくったわたしは、大声で叫んでしまった。

「目覚めてないです! だけど、WJをどこかへ連れて行くとかいうなら、わたし、ここでこのまま、なんにも食べないで餓死してやるんだから! そうしたら、ケチなお金持ちの眠っているベッドに、毎晩ゴーストになってあらわれてやる!」

「誰だ!?」とキャシディ氏らしき声。

「ニコル!?」これはシャロンの声だ。

「……餓死は困ります。ここは病院なので」

 冷静な声音で、医師らしき男性がいった。

「開かないのか、ここは!」

 キャシディ氏が叫ぶと、医師が機械的かつ平静に答える。

「プライベートを重視する患者さんのための、特別個室なので。ですので、ナンバープレートもはずしてあります」 

 この部屋に入院させたのは誰だと、キャシディ氏が叫ぶ。お静かにと医師がたしなめ、ぼくですとカルロスさんの声が続いた。わたしはドアへ近づき、耳を押し付ける。すると、デイビッドのバリトンの声が、着ぐるみの頭をかぶっているせいか、くぐもって聞こえた。

「……父さん、WJを移送させるのはやめてくれ。代わりといってはなんだけど、おれがすぐにあっちへ戻るから、それでいいだろ! 学校はどこでもいいし、社交界にでもどこにでも、引っ張りまわせばいいさ!」

 え! 

「そ、それはダメダメ、デイビッド! 全力で阻止するっていったのに!?」

 ドア越しに叫んだら、いいんだよとデイビッドが、あきらめ口調でつぶやく。

「たっぷり楽しんだからいいさ。じじいになるまで覚えていられそうな思い出ができたってことで、これがおれの人生なんだろ。マジで、クソみたいな人生だよ、ニコル」

 そんなの納得が……いかない!

「ちょ、ちょおっと待って! そんなのまるで、あなたが身代わりみたいじゃない? そうじゃなくて、わたしがいいたいのはそういうことじゃなくて」

 もう、もう、もううううう!

「くそう! もう、お金持ちのくせにケチケチしないで、ミスター・キャシディ! デイビッドは、どのみち卒業するんだから、それまで待ってくれたっていいじゃない! それに、デイビッドはみんなのためにお金を使ってくれたんだもの! べつに自分のためじゃないんだから!」

 ん? でも、リビングを観葉植物で埋めつくし、ジャングルみたいにしていたあのお金はどこから……って、この際それは忘れよう。

「そ、それから、WJをおっかない場所へ連れて行かないで! きっと目覚めるし、だからもうちょっとだけ、ここにいさせてもらいたいんです! それに、デイビッドも。みんな友達だし、大人になっちゃったら、どうせバラバラになっちゃうかもしれないもの。だったらみんなが四六時中、一緒にいられるのって、いまだけってことでしょ? わたしの家はすっごく貧乏だし、お金持ちの生活とかわからないけど、ともかく、とにかく、わたし、絶対にここから出ないんだから! だけど、すっごくお腹が空いてるってことは、つけくわえておくことにする。きっと、あと数時間で、餓死するんじゃないかな!」

 緊急事態だ、大げさにいっておこう。

「……餓死は困ります。ここは病院なので」とまたもや医師。

 すると、しばらくしてから、キャシディ氏がいった。

「……それで、きみはいったい、誰なんだ?」

「さっきあなたが、問題外といった、ベッドの上にいた、あのただの高校生です!」

 顔が思い出せないとささやく、キャシディ氏の声を、わたしの鼓膜が拾ってしまった。まあいい、そんなことはアーサーに「詐欺師顔」呼ばわりされた時から、自覚済みだ。

「何日でも、ずうっとずううううっと出ないですからね!」

「ウイリアムの点滴は、誰が交換するんだ?」

 キャシディ氏の、あざけったような声がとどく。う……、そ、それは考えていなかった。

「あら。そんなのわたしがやるわよ。隣の病室の窓から壁をつたって、ウイリアムの病室へ行って交換するわ。わたしが医師免許を持ってるってこと、忘れたのかしら、兄さん? そしてわたしは、ザ・アクティブな女。壁なんかいくらでもつたってやるわよ! それともいっそ落ちて、全身打撲か骨折するのも悪くないわね!」

 シャロンが叫べば、キャシディ氏の声音が一変した。

「なんだって!?」

「お静かに! 落下も骨折も打撲も困ります。ここは病院なので!」

 シャロンのおそろしい提案を、医師がつっぱねる。それにしても、シャロンは素晴らしい。生涯仲良くできそうだ。

「と、ともかくわたしは、ほ、ほ、本気ですからね!」

 念を押すつもりで叫んだわたしの声と、わかった、といったキャシディ氏の声が重なった。ん? あれ、え?

「わかった、わかった。シャロンも、問題外の娘も、もういい。じゅうぶんだ。こんなくだらないことに、時間を費やしている場合ではないからな。それにしても、なんて面倒な友達なんだ、デイビッド、だから庶民との付き合いは、たいがいにしろといったんだ。あんな階級がごちゃごちゃの、公立のカーデナルに通うから、こういうはめになるんだ。まあいい、わかった、貧乏で強情な……問題外の娘、わかったから、いますぐ鍵を開けるんだ!」

 どうやらわたしの餓死作戦の訴えが、聞き入れてもらえたようだ。嬉々として鍵を開けようとしたら、

「ストップ、ミス・ジェローム。まだ開けたらダメだよ」

 カルロスさんの声がした。

「いまのお言葉が真実でしたら、書面にサインしてもらいたいのですが、よろしいですか、アーロン? でなければ鍵が開けられた時点で、いまご自分でいった言葉が、あなたの脳内から、忘れ去られてしまいそうですからね」

 おっと、危なかった。鍵に指がかかった状態で、凍っていると、キャシディ氏が苦々しく言葉を発した。

「おまえはなにをいっているんだ、いったい誰の味方なんだ、カルロス? クビにするぞ!」

 はあ、とカルロスさんの、大げさなため息が、ドアを挟んだわたしにまで聞こえた。

「……クビね。ああ、そうですか。ええ、もうなんだっていいんですよ、好きにしてください。ぼくはとっくの昔にクビになってましたからね。彼らは命がけで、この街を奔走してくれたんですよ、パンサーと一緒にね。であればぼくの味方は、もはや会社でもなんでもない。……本当に、どうだっていいね。くそくらえだ。おっと、汚い言葉で申しわけない。寝不足すぎて頭がぐらぐらだ。ぼくはパンサーと彼らの味方です。クビにしたいならご自由にどうぞ。だったらぼくは、自分で会社を興しますよ」

「なんだって!?」

 キャシディ氏の声が、興奮しているのか、裏返った。カルロスさんが、半ば投げやりな、半ば面白がっているような声音で、告げた。

「PR会社。いっておきますが、ダイヤグラムの優秀な社員を、ごっそり引き抜きます。アリス・ランカートン、マルタン・ロドリゲス、スーザンも、レイも、ほかにも主要な人物を大勢ね」

 沈黙が流れる。わたしはドアにぺったりと、片耳を押しあてて息をのむ。やがて、キャシディ氏がいい捨てた。

「デイビッド、おまえの口座はすべて没収だ。WJは寝かせておけ! 会社へ行くぞ、カルロス! おまえは減給だ、いいな! それから、書面をすぐに用意して好きにしろ! まったく、なんだっていうんだ!」

 二人の靴音が遠ざかる。わたしはドアに頬をくっつけたまま、安堵のしすぎでめまいを覚え、そのまま床に尻餅をついてしまった。なんとか鍵を開けようと、手を伸ばすと、医師が念を押すように、いった。

「いいですか、餓死も打撲も骨折も困りますよ。ここは病院なんですから!」

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