SEASON FINAL ACT.30
いますぐアパートを出なければ遅刻してしまう! というのに、着ていく洋服がさっぱり決まらない。そのうえ、まだシャワーも浴びていないし、朝食も食べていない。まだパジャマのままだけれど、バックパックを背負って部屋を出るべき? おっとその前に、リビングの、つけっぱなしのテレビを消さなくてはいけない。というわけで、テレビの電源ボタンを押す。でも消えない。何度も押すのにまったく消えない! どうして? どうしてパパもママもいなくて、テレビは消えてくれないのだろうか?
ああああ、とっても焦る、学校に遅刻しちゃう、どう、
「しよう!」
叫んで目覚めたら、どこだかわからない真っ暗闇の部屋のベッドに、横たわっていた。窓を隠す薄地のカーテン越しに、街灯の光がほのかに射し込んで、狭い一室をぼんやりと照らしている。ここはいったい、どこなのだろう? そう思いながら、なんとか上半身を起き上がらせたら、ブランケットからはみ出した、得体の知れない、巨大化した自分の右足が視界に入った。
ん? んんんんんん!?
手探りでサイドテーブルをまさぐり、スイッチらしきものを押すと、部屋にライトが灯る。壁時計の針が、午前二時を超えていた。なるほど、ここは病室。ということは、わたしはどうやら、意識を失ってからすぐに、病院へ搬送されたらしい。
わたしの右足首から下が、包帯でぐるぐると巻かれてあり、まるで象の足さながらに膨らんでいた。それを形づくっている包帯の、足の甲部分に、なにやらたくさんのメッセージが、黒いマジックで書かれてあった。
〈骨折じゃなくて、ヒビが入っていたらしいぞ。まあ、よかったな→アーサー〉
……う。よかった、といえるのだろうか?
〈いっぱいおしゃべりしたいところだけど、また来るわね! ともかくゆっくり眠って→キャシー〉
もちろんわたしも、たくさんおしゃべりしたい!
〈WJの病室は、下の階の205だ。朝までねばろうと思ったけど、キャサリン・ワイズににらまれたから、今日は帰る→デイビッド〉
ああ、デイビッドも来てくれていたのだ。ということは、デイビッドの傷は本当に、たいしたことがなかった、ということだ。ほっと息をついてから、窓際のパイプチェアの上の荷物に気づく。この二週間、うろうろし続けたわたしのささやかな荷物を、誰かが持って来てくれたようだ(たぶん、キャシーだろう)。それから、「芸人協会」とプリントされた大きな紙袋も、床にあった。ベッドの脇にたてかけられてある松葉杖をつかみ、なんとかベッドから降りて紙袋に近づき、まさぐると、中にはわたしの着替え一式が入っていた。
「あ。パパとママも来てくれたんだ。連絡してくれたのは、アーサーかな」
マルタンさんやアリスさんは、沿岸警備隊から解放されたのだろうか。それに、テリー・フェスラーはどうなったのだろう、というよりもこれから、どうなるのだろう。まあ、それは明日、アーサーにでも訊ねることにしよう。ともかく、これでわたしは家に帰れるはずだ。
それにしても。
「……うううう、湿布くさいし、あちこちがとっても痛い」
ため息をつきつつ、今度は荷物を開ける。一番上に、ウサギのぬいぐるみ、ミルドレッド博士がきゅうくつそうに、きちんと突っ込まれてあった。わたしはそれを、グリーンの入院用パジャマのボトムの中へ押し込んで、カンガルーみたいな恰好のまま、松葉杖をつきながら病室を出た。
午前二時の病院内は、静まり返っていたけれども、廊下の天井のライトが灯されてあるので、意外にも明るかった。なんともいえない右足の、窮屈な違和感を引きずりつつ、ゆっくりと松葉杖をつきながら、エレベーターのありそうな方向へ進む。なのにまったく、見あたらない! しばらくうろついてから、やっと見つけたエレベーターに乗り、下の階で降りて、またもやうろうろする。
「こういう時って、普通に走ったり歩けたりするのが、すごいことだったんだって、思っちゃうなあ」
ひとりごちてから、病室の番号を確認しつつ廊下を歩く。なのにおかしい。204と206号室が、廊下を挟んで真向かいに位置しているというのに、どんなに捜しても205という番号のプレートがないのだ。ただし、廊下のつきあたりに、プレートなしのドアがある。もしやここかもと、ドアを引いてみる。鍵はかかっておらず、淡い間接照明に包まれた、豪勢な病室がのぞけた。さらにぐぐぐとドアを引いて、おずおずと中へ入ってみる。
まるでホテルのシングルルームみたいだ。松葉杖をつきながらゆっくりと進むと、点滴用のチューブを腕に注入し、ベッドで眠っているWJがいた。急いで近づき、寝顔を見下ろす。
意識をなくしてしまったので、あれからどういった状態でここへ搬送されたのか、わたしにはわからないけれど、治療した医師にはきっと、WJがパンサーだと、知られてしまっただろう。わたしと同じ、グリーンの入院用パジャマを着て眠っているWJの枕元に、ため息をつきながらミルドレッド博士を置く。
「これはあなたのものだから、あげるね」
いまにも目覚めそうな気がして、しばらく居座ることに決め、窓際に配された小さめのカウチまで、ひょこひょこと近づく。それにしても、カウチのようすが妙だった。そばには、大きな荷物が置かれていて(WJの荷物ではなくて、あきらかに女性用の旅行バッグ)、まるでいままで、そこに誰かがいたかのように、ブランケットがくしゃりとまとめられてあり、インテリア雑誌と音楽雑誌が、重なるように肘掛け部分に積まれてあったのだ。
首をかしげつつも、ソファに座ろうとしたら、突然ドアが開いた。びっくりして、うっかり松葉杖の片方を落してしまう。入って来たのは、四十代くらいの女性で、わたしに駆け寄り、すぐに松葉杖を拾ってくれた。
濃いめのブロンドの髪を無造作にまとめていて、デニムに白いシャツという、快活なカジュアルスタイルの女性の瞳の色は、明るいブルーだ。なんだかとっても、誰かに似ている気がする。だけど、それが誰なのか思い出せない。
「トイレを捜してたの。こんなに広い病室なら、洗面所をくっつけるスペースだってあるのに」
しゃべりながらわたしを見て、にっこりした女性の目尻に、優しげな皺が浮かぶ。
「はじめまして、ウイリアムの母親のシャロンよ。あなたは」
「ああ!」
そうだ、デイビッドに似ているのだ!
思いあたった、という感激で、思わず声を上げてしまった。WJのお母さん、ということは、デイビッドの叔母さんということになる。どうりで、誰かに似ている気がしちゃったわけだ。
「あ、ええとう。わたしは」
自己紹介をしようとしたら、ミセス・ジャズウィットはわたしの目前で、手のひらをぱっと広げた。
「待って……、大丈夫、あなたの名前はわたしの知識に入ってると思うわ。深夜にいきなり登場したあなたは、ええとう……、キャサリン? じゃないわね。ああ、ニコルね、そうでしょう? ウイリアムからの手紙に最多出場している女の子、ニコル・ジェローム!」
広げた手のひらを軽く握り、わたしを指して笑った。最多出場していたことは知らなかったけれど、妙に照れくさくなってしまい、カッと耳に熱が帯びる。
「う。そ、そうです」
「やっぱり! まあ座って。あなたも入院しているの?」
しゃべりながらブランケットをよけて、座るスペースをつくってくれる。わたしが腰掛けたら、ミセス・ジャズウィットも隣に座り、足を組んで、眠っているWJに視線を移した。
「カルロスから連絡があったのが、午後八時過ぎ。ああ、カルロス・メセニを、あなたは知らないかしら?」
「あ、知ってます」
ミセス・ジャズウィットは、ぐいっとわたしに顔を向けて、目を丸めた。
「そうなの? さすがウイリアムの親友ね。じゃあ、いろいろ知ってるわけね? ……ということはまさか、あなたのその、象さんみたいになっちゃってる足って、わたしは詳しく知らないんだけれど、今夜の出来事に巻き込まれちゃったせいかしら?」
巻き込まれたというべきか、そもそもは巻き込んでしまった、というべきか。もじもじしていたら、ミセス・ジャズウィットが笑みを浮かべる。
「ウイリアムが入院したっていうものだから、急いで来てみたんだけれど」
「飛行機で、ですか? ミセス・ジャズウィット?」とわたし。
するとなぜか、ミセス・ジャズウィットが、げんなりした表情をつくる。
「シャロンでいいわよ、ニコル。最終便は出たあとだったから、最終手段を使ったの。本音をいえば、あまり使いたくないんだけれど。兄が喜ぶから」
兄? というのはもしかして、デイビッドのお父さん、のことだろうか?
「最終手段?」
わたしが訊ねると、シャロンが肩をすくめて、苦笑した。
「兄がわたしに押し付けた、自分の所有している自家用飛行機よ。もちろん操縦したのはわたしではなくて、別の人だけれど」
シャロンが「うううう」と、両手で顔をおおい、肘を膝にあてて前のめりになり、うなだれる。
「これで兄に負けたわ。きっと、ほら見たことか! とかなんとかいうのよ……。ほうら、金持ちは便利だろう! なんてね。目に浮かぶわ、くやしい!」
なにか、わたしには計り知れない、確執があるようだ。
「う。ああっと……そ、それで、WJ……ウイリアムくんのお父さんは、来なかったんですか?」
「農場の仕事があるから。ロイはわたしが戻ってから、こっちに来ることになっているの。そうだわ、今度ウイリアムと一緒に、遊びにいらっしゃい? 馬もいるし、鶏も猫も犬もいるのよ!」
それは最高に楽しそうだ!
「わあ、動物大好きです」
満足そうに、シャロンは微笑んだ。背もたれに背中を寄せ、ふたたびWJを見つめる。その眼差しは、とても温かだ。
「……友達ができてよかったわ。あなたはウイリアムについて、その……なんでも知っているのかしら? 彼がイギリスで」
わたしはうなずく。すると、シャロンが言葉を続けた。
「わたしとロイには子どもができなくて、もともと養子を迎えるつもりでいたの。だから、ウイリアムにはじめて会った時、嬉しかったわ。自分の内面をさらけださなくて、難しい気性だったけれど、ときどきにっこりするようになって、そうなるとこっちも燃えるのよ。ようし、ミスター・ウイリアム、もっと笑わせてやるから覚悟しな、みたいな感じになっちゃって」
わたしが笑うと、シャロンもクスッと笑う。
「彼が決めることはなんであれ、手助けするつもりで引き取ったの。だからいつかは、こういうふうに、入院することもあるだろうと、ロイと相談はしていたのよ。あなたはその……パンサーが」
WJだと知っているのか、といった気配をにおわせて、シャロンがわたしを見る。わたしが小さくうなずくと、安堵したのか、シャロンの口角が上がった。
「彼のもともとの家族は、成り上がりのわたしの家系とは違って、とても厳格な家系なの。社交界でも幅をきかせているし、いくつも有名な企業を所有しているわ。だからウイリアムの存在を忌んでしまったのも、わからなくはないの。とかく世間を気にする人種だから」
シャロンはため息をつき、腕を組む。
「どうしてウイリアムに、不思議なパワーがあるのか、わたしにはわからないけれど、それは悪いことではないと思ってるわ。正しく使えるように、わたしたちは導くだけ。選択するのはウイリアム自身だけれど、あなたや、キャサリンっていう子や、友達がいてくれるのなら、きっと間違った使い方はしないと信じているわ。だから、これからも仲良くしてね。孤独になった人がもっとも、おそろしいことをしてしまうから」
そのとおりだ。わたしの脳裏に、テリー・フェスラーの、ミスター・マエストロの姿が一瞬、過った。
シャロンが立ち上がる。WJのそばへ行き、髪を撫でる。その仕草は正真正銘、母親そのものだった。わたしも腰を上げ、松葉杖をつかむ。
「戻ります」
「送るわ。一緒に行きましょう」
それからも、こそこそと静かな声でおしゃべりしながら、シャロンと廊下を歩き、エレベーターに乗り、自分の病室へ戻った。わたしの病室を出る間際に、シャロンはドア口で立ち止まり、振り返った。
「ウイリアムはあなたのことが、好きなんだと思うわ。なにしろ、入学したての頃から、届く手紙にしょっちゅう、あなたの名前が書かれてあったから。あなたも、そうよね? 深夜病室にあらわれるっていうことは、そういうことじゃない?」
さすが、女性の勘はするどい。照れてしまい、うつむき加減でうなずくと、シャロンが満面の笑みを浮かべた。
「あなたがどんな女の子か、わたしにはちゃんとわかるわ、ニコル。わたしもロイも大歓迎よ。いつでも、遊びにいらっしゃい」
そしてドアを閉めた。
わたしはベッドに入り、WJと一緒に、動物たちとたわむれる場面を想像する。すると、ものすごく夢心地になってしまって、そのままのん気に、眠ってしまったのだった。
★ ★ ★
翌日、目覚めたらすでに午後で、わたしの病室の壁に「お誕生日おめでとう!」と描かれた、色とりどりの紙がぶら下がっていた。三角帽子をかぶったパパとママ&キャシーが、目覚めたわよ! と同時に叫ぶ。病室のすみに立っているアーサーが、息を吹きかけると紙のまるまる笛を、無表情でピュウッと吹いた。
そうだった、今日は日曜日で、わたしの誕生日だったのだ!
「おおおお、ニコル!」
パパが両手を広げ、わたしに抱きつく。う! パパの体重が増している、ような気がする。だって、胸とお腹のあたりの弾力が、尋常ではないことになっているからだ。窒息しそうになりながら、パパの肩越しにママを見れば、ベッドの脇のテーブルを引っ張りだし、その上に小さな箱を置いた。
ん? ……もしかしてこれは。まさかまさに、手のひらサイズのケーキ、なのでは、ないだろうか! 案の定、ママが箱を開けると、中には小さなイチゴのショートケーキが、ひとつだけ入っていて、
「お誕生日おめでとう、ニコル!」
ママがいった。ああああ、さすがはママ。手のひらサイズといったケーキが、本当に手のひらサイズで、わたしの目の前に登場した。とはいえ、ケーキはケーキだ。
「う。ううう、手のひらサイズだけど、まあ、いいや、ありがとう!」
プラスチックのスプーンをつかんだ直後。ドアが開け放たれてある病室の入り口から、巨大な白い物体の載ったカートが、がらがらと音をたてながら入ってくる。押しているのはクマの着ぐるみで、カートの上の物体というのは、なんと、ケーキだったのだ! 三段重ねかつ、フルーツがたっぷりのホールケーキ! クマの着ぐるみの中に入っているのは、たぶん芸人協会の誰かだろう。それとも、もしかすればエドモンドさんかもしれない、きっとそうだ。
「病室だけど、お誕生日おめでとう、ニコル!」
キャシーが手をたたく。
「わあ、すっごく嬉しい!」
どうやらこのことは、パパもママも知っていたらしく、顔を見合わせた二人は、満足そうににっこりした。
「ああああ、手のひらサイズだと思ってたのに、パパもママもありがとう!」
わたしが喜ぶと、そうじゃあないとパパがいう。
「このケーキはニコル、パンサーからだ! ミスター・デイビッド・キャシディ、昨日華々しく復活し、魔界の手先と化した元ヒーローから、シティを守った史上最大のヒーローからだぞ!」
「すでに新聞に載ってるんだ、ニコル。テレビでも流れてる。大騒ぎだぞ」
アーサーがつけくわえた。
この場にデイビッドはいないけれど、そういえばわたしが、自分の誕生日のケーキが手のひらサイズだと告げたら、でかいのをプレゼントしてやるとかなんとか、いっていたのを思い出した。
「あなたが昨日のごたごたに、巻き込まれたっていうのは、アーサーに教えられたからもうびっくりしないけれど、ともかく退院したら家に戻れるわよ! でも、昨日アパートを見に行ったら、すごい状態だったんだから」
やれやれとママは、目玉をぐるんとまわして肩をすくめた。
「きっとギャングの仕業だろう、家に盗めるようなものなんて、なにもないのにな!」
わたしから離れたパパが、声を上げて豪快に笑う。うううーん、実際はそうでもなかった、んだけれども。まあ、エキゾチックな物質製の、キャシーがわたしにくれたピアスを、ヴィンセントかグイードファミリーの誰かが、捜しまくったからだとは、教えないでおこう。ややこしいことを説明しなくちゃ、いけなくなるから!
「そうそう、まだまだ掃除をしなくちゃいけないのよ、ニコル。あなたのことも心配だけれど、まあ、元気ならいいわ。もうあなたがなにをしでかしても、びっくりしないことにしたの。だいたいわたしたち、ギャングに追いかけられて、生死の境をさまよったんだもの!」
う、生死の境……。たしかに、そのとおりだ。
キャシーがケーキを切り分けてくれる。アーサーがそれを、器用に取り皿へ移すのを見ていたママは、なにやらこれ見よがしに、大きなため息をついた。
「……あなたたち、なんだかとてもいい感じなのね。家のお婿さんにって思ってたけど、あきらめるわ、アーサー。キャシーはいい子だし、お似合いだもの」
キャシーの頬がピンクに染まったのと同時に、アーサーの動きが一瞬、凍る。けれどもすぐさま、ゆっくりとうなずいた。
「……そうしていただけると助かります、ミセス・ジェローム」
神妙な面持ちで返答し、ケーキの載ったお皿をわたしへ差し出した。するといきなり、パパがわたしの肩甲骨に、太い指をつんつんとあてはじめた。
「ニコル。そういえばおまえ、パンサーに恋人がいたんだぞ、テレビで見たか? 配管工の少女だ。暗くて顔はよく見えなかったが、キスする場面を見て、パパは心臓が破裂しそうになったんだからな。あの子は誰だ? おまえたちはいったい、どうなってるんだ?」
頬張ったケーキがのどにつっかえて、わたしは咳き込んでしまった。それはわたしですと答えるのはやめておこう。というか、顔がよく見えなかったというのは、とても喜ばしい。これで学校へ行っても、話題の的にならなくてすむし、とくにジェニファーの、おかしげな攻撃からは避けられる! それにしても、パパの言葉に反応したみたいに、カートのそばに立っているクマの着ぐるみの肩が、びくりと上下したように見えたのは、わたしの気のせい、だろうか……?
興奮するパパのシャツを引っ張ったママが、病室の壁時計を指した。時計の針は午後一時を超えていて、仕事と掃除があるから帰るという。また夕方来るといい残して、慌ただしく病室を出て行った。とたんに、着ぐるみが動き出し、がっしりとドアを閉め、頭をつかみ、すぽっと首から抜いた。中に入っていたのは、芸人協会の誰かでも、エドモンドさんでもなかったのだ。
「うわ、デイビッドだったの!?」
「顔バレするわけにいかないし、これが一番手っ取り早かったんだよ。レンタルだ」
なぜか、デイビッドがむっつりする。
「マスコミがパンサーを捜しまわっているからな」
ケーキを口に運びながらアーサーが苦笑する。
「ケーキをありがとう、デイビッド。傷は大丈夫なんだね?」
まったく問題ないと、デイビッドはさらにむっつりした。
「鎮痛剤のせいで睡魔におそわれて、ウイークエンドショーを見逃した。キスシーンってのは初耳だな。まあいいけどさ、マジかよ」
う。……いいけど、といっているのに、よくはないようだ。舌打ちされてしまった。
「で、でも、わたしの顔が見えてなくてよかったな。だけど、パンサーの正体は、病院の人にバレちゃったよね?」
「きみとジャズウィットの意識がなくなってすぐに、テレビを見ていたミスター・メセニが駆けつけてくれて、きみは救急車で搬送されたんだが、ジャズウィットはミスター・メセニとスネイク兄弟が運んだんだ。担当したのはドクターの知人という医師だし、病院に着く前に、コスチュームを脱がせて、着替えさせたはずだ。事件に巻き込まれた男の子、という理由で治療にあたってもらったらしい」
アーサーの言葉に、ちょっとほっとした。
「緊急事態だし、誰がパンサーかなんて関係ないけど、目覚めたWJのまわりに、いきなりマスコミが押し寄せたら、一番パニくるのはWJだろ。それでもWJとしては、よかったのかもしれないけれど、なにしろ意識が戻ってないんだ。WJがどうしたいのかわからないから、まだ内緒にしといたほうがいいかと思ってさ」
デイビッドがいい終えた時だった。わたしが、マルタンさんやみんなのことについて、訊ねようと口を開きかけたら、突然ドアが開いて、ものすごくハンサムかつ、かなり高価そうなスーツ姿の中年男性が足を踏み入れ、勢いよくドアを閉めた。
短髪のブロンドに、瞳はブルー。ものすごく、誰かさんと誰かさんの面影をにおわせているその男性は、とっさに着ぐるみの頭をかぶったデイビッドの肩をつかみ、頭を引っこ抜くと、いった。
「デイビッド。おまえの口座の桁がありえないほど減ってるぞ。豪邸でも買ったのか? それとも女で遊んだか?」
口元はにやついているのに、眼差しの奥がやたら鋭い。げんなりしたデイビッドは、視線を落して答えた。
「あんたじゃないんだ、女遊びなんかするかよ、……父さん」
わたしとキャシーの口が同時に、あんぐりと開く。ケーキを食べ終えたアーサーは、笛をくわえてピューッと鳴らし、間抜けな紙を伸ばして丸めた。
なんと、男性はデイビッドの、お父さん!?