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SEASON FINAL ACT.26

 どんどん足の痛みが増していく。だけどこの、緊迫した状況の中で、痛みに気をとられている場合ではないのだ! わたしの足の痛みよりも、パンサーの身体のほうが心配だ。

 フランクル氏いうところの、悪魔的存在の二人を追いかけるため、市警集団を乗せたパトカーは猛スピードで、クラークパークを左手にして北上する。最後尾のパトカーの、後部座席にいるわたしの隣で、アーサーが無線機をつかんだ。ワイズ博士を呼び出して、パンサーの発信器の位置を確認する。ブリッジの近く、ルーナ河の上で点滅しているという、ワイズ博士の声を耳にし、わたしはパニくる。

「は、早く、早く!」

 パンサーを止めなければ、ミスター・マエストロを葬るために、装置を使ってしまうからだ!

『ニコル!』

 いきなり無線機の声が、キャシーに替わった。

「キャシー!?」

『あ、あなた大丈夫なの? というか、テレビがすごいことになっているの! もうどのチャンネルもパンサー一色。それに、それに、ほんとうにごめんなさい。パパのせいで、全部全部パパのせいで、みんながこんなことになっちゃったんだもの! そうでしょ、パパ!』

 パパ! とキャシーは、無線機が壊れそうなほど、絶叫した。そんなことないと伝えるため、わたしが口を開きかけたら、アーサーがいう。

「キャサリン、そんなことはない。きみのお父さんは自分の仕事をしていただけだぞ」

『でも、エキゾチックな物質を、消すためのモノがあるだなんて、嘘をついていたのよ! わたしにも、みんなにも。そうでしょ!』

 涙声でキャシーがいった。キャシーはとても後悔しているのだ。そしてたぶん、キャシーのパパも。

「だが、そのおかげで助かっている、という部分もある。はじめから、正しいバックファイヤーの存在を知っていたら、とっくの昔にマエストロの手に渡っていたかもしれないぞ。そうなっていたら、パーティのゲストはいまごろ、この世界に存在していなかったかもしれない。少しの時間でも稼げているんだ、不幸中の幸い、ということだ、違うか、キャサリン?」

『だけど、そうだけど!』とキャシー。

 すまない、というワイズ博士の声が、キャシーのすすり泣きに重なった。

「それに、悪者はほかにいるぞ。きみのお父さんじゃない。きみのお父さんは、この世界の謎を解きたかっただけだ。それが学者の仕事だからな。大丈夫だ、きみの友達は、おれが死なせない」

 アーサーがちらりと、わたしを横目にする。そして、にやっと笑った。

「……まあ、きみの友達は、おれの友達でもあるからな」

 ありがとう、とか細い声でキャシーが答えた。大丈夫よ! とわたしが叫ぶと、少し安堵したような声で、キャシーがいった。

『ありがとう、ニコル。WJのこと、無事でありますようにって、祈ってることしかできないなんて、わたしってすっごく間抜けだわ』

「そんなことない。だったらわたしだって、おろおろしてるだけだし、あなたよりももっと間抜けだよ。でも、意地でもWJをマエストロから守るって約束する。それで、月曜日はみんなでちゃんと、登校するの!」

 無線機越しに、クスッという息がもれた。そうね、とキャシーはささやいて、通話を切った。わたしは、アーサーの友達発言に、ちょっぴり感動していた。ほんの二週間ほど前まで、わたしにとってアーサーもデイビッドも、気に食わない相手だったのに、大事な友達になっちゃってる。そう感じているのはわたしだけではなくて、アーサーも、きっとたぶん、デイビッドも、なのだ。それに、キャシーもWJも同じように思っていて、だからこそ、なんとかしたくて、いや、するために、お互いのために心を砕きながら、いま、動きまわっているのだ。

「なんとかしなくちゃ」

 わたしがいうと、ボトムに無線機を突っ込んだアーサーは、腕を組んでつぶやいた。

「同感だ」

 とはいえ、なにをどうやって、なんとかすればいいのかは、わたしにはまるきり、わかっていないのだけれども。ううう、ううううう!

★  ★  ★

 

 北上するパトカーの前方に、シティから放たれるライトを背景にした、夜空に直立する輪郭が、森のような木々の向こうにあらわれる。クレセントシティ大学、通称C2Uの、時計塔だ。やがて、とろりとしたブラックベリーのジャムみたいなルーナ河に、ぽつんと浮かぶ二隻の船が、車窓越しに見えて前のめりになる。

「船だよ、アーサー!」

「一隻は沿岸警備隊の船だな」

 その警備隊の船は、パーティのおこなわれていた船から離れ、どんどんと南下して行ってしまった。

 パトカーがC2Uを背後にし、急ブレーキをかけて停まった。ドアを開けて降りれば、コンクリートと石で固められた河川に、正装姿のたくさんの男女が集まり、困惑顔でルーナ河の一点を眺めている。その視線の先にあるのは、あきらかに一隻の船だ。

 懐中電灯で自分の顔を照らしたフランクル氏が叫ぶ。

「あなたたちはなんですかな、なんの騒ぎですかな!」

 ゲストのひとり、恰幅のよい中年男性が声を上げた。

「おお、これは市警部長どの! パーティですよ! フェスラー家の婚約パーティを、あの船でおこなっておりましたら、銃を振りまわす二人の男女が、突然押し寄せましてな。操縦席を占拠されて、こんな場所で降ろされてしまったのです!」

 銃を振りまわす二人の男女……それは間違いなく、マルタンさんとアリスさんだろう。

「テロリストですわ! テロリストですわよ!」と女性。

「そうしましたら、あなた! パンサーがあらわれましたの! それに、もうひとり、あれは……誰なのかしら? パンサーのお仲間?」と別の女性。

「テロリストを捕まえるために、パンサーがあらわれたんでしょうな!」

 そうだそうだとゲストがざわつく。そうではなくて、あなたがたが乗っていた船にいた、フェスラー家のご子息のひとりが、あなたがたを魔界へ突き落とそうとしていて、それを、「テロリスト」に間違えられている男女とパンサーが止めるために、奮闘していたし、しているんです!

 フランクル氏が、わたしとアーサーを見た。

「テロリストだと!? おまえは知っていたのか、アーサー!?」

 アーサーがぐったりとする。

「……知っていた、というよりも、テロリストではありません。まあ、勘違いされても仕方ないですが。ピストルを振りまわした、のであれば」

 アリスさんならやりかねない。「豚ども、静かにしな!」とかなんとか叫んで、暴れるアリスさんの姿が、すぐに想像できてしまった。そしてその横でマルタンさんは、船酔いとストレスで嘔吐する……うううう。わたしは思わず、髪をわしづかんでしまう。すると、ゲストの中から、黒いドレス姿の女性が姿を見せる。ブロンドの髪をきゅっと、上品な夜会巻きにしている彼女は、テリーの母親違いの弟、ジェイク・フェスラーの婚約者、ミス・ジョージア・レスターだ。

「テリー・フェスラーの姿がないんですの、市警部長。まだ船にいるのかもしれませんわ」

 その横に、あまり背の高くはない男性が立つ。ジェイク・フェスラーを間近で、はじめて見たけれど、なんとなく気弱さをうかがわせる、優しい顔立ちの男性だった。

「ぼくの兄です。今夜のパーティも、船にしたほうが華やかだといって、いろいろ手配し直してくれたんです。ぼくと彼女も、彼の提案を喜びました。屋敷でのパーティには、ゲストも飽きているだろうと思っていたところでしたからね」

 二人の背後に、優雅な雰囲気の中年女性が立つ。深紅のドレスに、ゴージャスな宝石類。ふうわりとしたショートカットが夜風になびいて、手のひらで髪をおさえながら、ため息をついた。

「ですから、おやめなさいといったのですよ、ジェイク。ご覧なさい、このていたらく。ゲストの皆さまのリムジンも、この状態ではどうやって手配すればいいのか、まったく途方に暮れるというものよ。我がフェスラー家の厄介者のくせに、親族や有力なゲストに顔を売るため、あなたがたのパーティを利用しただけだと、なぜわからないの」

 ジェイクが顔をしかめ、ジョージアがうつむいた。

「母さんは黙っていてください」

 わたしははっとして、横にいるアーサーを見上げる。アーサーの眉が、きゅっと寄せられた。わたしはボブに教えられた、ゴシップを思い出す。ジェイクの母親は、テリーの母親を押しのけて、愛人から正妻になった強者だ。豊満でセクシーな美女だけれど、顔の皺に強欲さが刻まれている、ような気がしてならない。

「テリーはまだ、船にいるのだわ。どうしましょう、大変だわ」

 ジョージアがささやく。口にあてた手の指先が、小刻みに震えている。誰もテリーが、ミスター・マエストロだなんて、思ってもいないようだ。元ヒーロー、たくさんテレビに出て、たくさん悪者を捕まえた、葉巻をくわえて、クラシックハットをかぶり、コートをひるがえしてビルから飛ぶ、わたしとアランの憧れのヒーローだということを、誰も知らないだなんて。

 パンサーと一緒に飛んで、船に降りた存在が誰かも、ゲストはわからないでいる。ほんの十年前のことなのに、元ヒーローはテリーのいうとおり、過去の人物になってしまっている。もちろん、気づいている人もいるだろう。でも、ほとんどの人は、忘れているのだ。

 奇妙なことに、かなしい気持ちに包まれてしまった。あなたがたは、夢中でテレビを観ませんでしたかと、わたしは訊いてみたい。おもちゃやコミック、映画にお菓子。それすらも忘れてしまったというのだろうか?

 もちろん、いまマエストロは、とってもよろしくないことをしようとしている。それに、パンサーを危険にさらしている。でも、こんな時になって、わたしの脳裏にボブのひとことが、すっと過ってしまったのだ。

 結局、誰かに止めてもらいたいだけ、だったりするんだけど。兄貴はそういうよ。

 思わず、アーサーの着ているシャツの袖をつかんでしまった。

「止めなくちゃ」

「ああ、わかってる。だが、船まで近づくボートがない」

 アーサーがいった時だ。ああ、とルーナ河に顔を向けていたゲストが、いっせいに声を上げた。左手にあるブリッジのライトが、船から舞い上がる存在の輪郭を照らす。すっといっきに闇にまぎれ、かと思った瞬間、視界でとらえられないほどの早さで、夜空から降下し、片膝をつけてパトカーの上に降り立ち、ズン、と車体をへこませた。

 ああ! とゲストがしりぞく。ずいぶん遠くで、ヘリコプターの轟音がひびいていた。コートのすそを舞い上がらせ、ハットを手でおさえた人物が、ゆっくりと立ち上がる。同時に、ミスター・マエストロだと、誰かが叫んだ。というか、叫んだ人物がゲストを押しのけ、前に出る。さすがというべきか、その男性はウイークエンド・ショーの司会者、ロバート・マッコイだった。

「……やはり、やはりミスター・マエストロ! なんということ、大変だ、こうしてはいられない! カメラ、カメラはどこだ!」

 おろおろするも、カメラクルーはもちろん不在だ。

 警官たちがピストルを構え、マエストロへ向ける。パンサーはあらわれない。まだ船にいるのか、それともすでに、もしかして。

「アーサー、パンサーが来ないの」

「わかってる」

 く、とアーサーが顔をしかめたら、マエストロが両手を広げた。

「治安を守るささやかな蟻ども。おつかれさまといわせていただきたいが、発砲はしばしお待ちを。しょせんわたしにはかなうまい」

 顔を隠すようにハットを深くかぶり、マエストロは口角を上げた。

「華やかなパーティの邪魔をして申しわけない、ゲストの皆さん。あなたがたを奈落の底へ突き落とすはずが、歳月と労力、資金のすべてをつぎ込んだ計画が、すっかり狂ったというわけだ。強欲な資本主義の手下どもを、わたしの手中におさめたかったが、滑稽な筋書きを変えることなど、わたしにとっては容易なこと。シティの歴史に名を残す、悪の正体を証明すれば、せめてどこぞの家系を、根絶やしにできるかと考えた。たったいまより、計画を変更させていただく」

 うつむきがちのまま、ハットをぐっと、つかんだ。

「ゴシップは、人びとの信用を失わせるだろう。信用を失った銀行は破綻する。この街の住人は、単純明快な気質ですから」

 ハットを取る。顔からアイパッチをはぎ取り、えりを立てて顔を隠していたコートを脱いだ。ガラス玉のような右目が、不自然にまたたいた。

 ゲストが絶句する。静まり返ったその場で、正体をあらわにしたテリー・フェスラーが、告げた。

「いまのうちに資産を隠しておくんだな、ジャクリーン」

 ゲストがいっせいに、例の、赤いドレス姿の中年女性に視線をそそぐ。ジャクリーンとテリーに呼ばれたのは、ジェイクの母親だった。「テリー」というささやきが、あ然とした顔で口をおさえた、ジョージアの指からこぼれる。同時に、テリーの視線が、一点に集中する。わたしはその視線をたどる。立っていたのは男性だ。船で、デイビッドが握手を交わしていた男性、テリーとジェイクの父親である、ミスター・カイル・フェスラーの顔に、苦悶を隠さない皺が浮いた。

「……ああ、あなただけはわたし……いや、おれの正体を、知っていたんだったな。おれと母さんを気味悪がり、排除したんだ。おれの正体を、よく黙っていてくれたと思う、感謝しておく。だがこれまでだ。銀行に強盗へ入ったのは、ヴィンセントのやつらだが、誘い込んだのはおれだ。あの日、誕生パーティへの参加を、許してくれてありがとう、いまのうちにお礼をいっておこう。ちなみに、母さんは一週間前に施設で死んだ。海に灰を撒いておいたから安心してくれ。これでもう、誰もあなたの内面を読むような女は、どこにもいない。ゆっくり眠れるだろう、そこの豚みたいな女の横で」

 ミスター・フェスラーは、呆然と立ちすくんでいた。

「母さんは、あなたを守ろうとしただけだ。強欲な女に資産のすべてを乗っ取られないように、助言していただけだ。それなのにあなたは、自分にとって耳の痛い言葉ばかりを告げる女性を、捨てたんだ。周囲の人間の心を読む、悪魔のような存在だと、忌んだ。その結果がこのありさまだ。どうだ、楽しいだろう? 欲深いその女は、誰にも知られずに、ドン・ヴィンセントと手を組んでいたぞ。資産を乗っ取り、シティを牛耳るつもりのようだったからな。LAに屋敷が購入されている。誰の名義か調べるんだな。ジェイク」

 テリーが立て続けに言葉を吐く。まるで、いままでいえなかったことのすべてを、ぶちまけるかのように。そうすればするほど、フェスラー家の人びとから、ゲストたちが一歩、また一歩と、退いていった。それはつまり、社会的立場からの脱落を意味する。

「優柔不断と優しさは別だ。決断するのはおまえ自身のはずが、母親の駒になっているとまだ、気づかないのか? ほんとうは、愛している女はべつにいるだろう? ガキの頃の育ちの悪さを忘れたのか? おまえの女はいまだに、ストリートに立って、金で男に抱かれてる。そういう女がいきつくのは、老婆になっても紙袋を手にして、ストリートに立つ運命だ。助けてやれるのはおまえ以外にいない。おまえがゴージャスな車から降りて、高級店で妻への指輪を買おうとする時、いつかホームレスの女に会うだろう。その時おまえは後悔するのか、それとも、昔の女がホームレスでも、優位に立った気になるのか? だったらおまえは、そのレベルの男ということだ」

 そして、テリーはゆっくりと、ジョージアを見下ろす。見下ろしただけで、テリーはなにもいわなかった。やがて、ロバート・マッコイを指でしめし、にやりとした。

「……あなたの番組に、生で出演できなくて残念ですよ、ミスター・マッコイ。わたしはこれから、あの船ごと消える。ああ、友をひとり連れて行く」

 ぎゅっと、わたしの胸がつまる。テリーはスラックスに両手を入れると、ゆっくりとわたしに視線を向けた。

「ひとりは寂しいからね、お嬢さん。意識を失っている青年を、連れて行ってもいいかな?」

 WJのことだ、ダメに決まっている! というか、いつの間にか、立場が逆転している。パンサーがマエストロを葬るつもりだったのが、マエストロであるテリーは自ら、船ごと姿を消す決意をしてしまっている。だからすべてをぶちまけたのだろう。ぶちまけて、自分ごとフェスラー家の信用を、台無しにしたのだ。こんなのまるで、復讐だ。

「ぜ、全部。……全部、ふ、復讐のため?」

 わたしはなんとか、声にした。

「ギャングとか、物質とか、キャシーの誘拐とか、全部……」

 よろめきながら、パトカーに近づくと、わたしの前にテリーが降り立った。震えるわたしを見下ろして、テリーが告げる。

「……そうともいえる。だが、わたしの正義、ともいえる。きみにはわからないだろう、お嬢さん。まあいい」

 スラックスのポケットから、左手を出す。指につままれていたのは、クリスタルの物体、バックファイヤーだ。

「もう手に入れた」

 そこで、わたしは全体力を振り絞り、テリーに体当たりをした。まさかわたしが体当たりをするだなんて、思ってもいなかったはずのテリーがよろめき、手からバックファイヤーがこぼれる。とっさにわたしは、それを踏みつけ、両手で握るも、背後からテリーに抱えられてしまった。でも、絶対に渡すことなんてできないのだ。渡してしまったら、テリーはおろか、WJまでも、パンサーまでもが、この世界から消えてしまうから! ああ、もっとこれが小さなものだったら、飲み込んじゃえるのに!

 撃て! と叫ぶフランクル氏の言葉の前に、わたしを背後から抱えたテリーは、地面を蹴って、飛んでしまった。そうだ、いっそ海へ投げてしまおう。ぎゅうと両手につかんだ物質に力を込めるも、あっという間に船に着いてしまう。ううう、もうううううう!

 わたしから離れたテリーが、苦笑した。苦笑したまま、マエストロの仕草を見せる。右手を上げたので、わたしはその場にしゃがみ込み、ボールみたいにぎゅっと身体を丸め、胸に物質を押し付ける。絶対に渡さない。いっそこのまま、自分ごと海へ飛び込んでやる!

 そう決心した、時だった。

「……なんだこれは。パーティは終わりか?」

 誰もいないはずの船内から、あきらかにWJではない声がした。そうっと顔を上げたわたしは、あんぐりと口を開けたまま凍る。船にはまだ、ゲストが残っていたようだ。そのゲストとは。

「……チャック。よくもおれをこんな目にあわせたな!」

 シルクのベッドカバーを引きずる、マノロ・ヴィンセント、だった。

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