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SEASON FINAL ACT.24

 ビルの屋上に降り立ったミスター・マエストロが、ゆっくりとハットを取る。右目をおおうアイパッチの顔があらわになって、コートの下からタキシードのタイが見えた。さっきまで船にいたテリー・フェスラーは、いまやミスター・マエストロそのものの姿で、闇夜を照らすシティの灯りの中にいる。

 パトカーと救急車のサイレン、それに、ヘリコプターの轟音が、ひっきりなしに遠くから聞こえているというのに、わたしの鼓膜にはなにもとどかない。ミスター・マエストロが一歩、近づくたびに、波打つ自分の心臓の音ばかりが、がんがんと頭の中でひびいてしまうからだ。

 わたしの視線の先になにがあるのか、すぐに察したWJは、振り返りもせずにパンサーのマスクをかぶる。せっかく落ち着いていた息が、またもや荒くなりはじめ、なにかを決心したかのように、口元をぎゅっと結ぶと、給水塔に手をつきながら、わたしを背後にして、立ち上がった。

 だけど、パンサーはすでによろめいている。折れているかもしれない肋骨を、守るみたいにして、胸に手をあてたまま、前のめり気味に、マエストロと対峙する。

 マエストロはハットをまた、斜めにかぶりなおし、コートの内ポケットに手を入れた。

「かわいらしい友情は、奇妙なパワーを生み出すようだ。パンサー、きみがネズミのように動きまわるから、疲労させるために手を打ったというのに、わたしの考えは水の泡らしい。なかなかしぶとい。だがどうだ? 息が上がって、いまにも倒れそうじゃないか」

 しゃべりながらたばこを取り出し、くわえた。ずいぶん余裕があるみたいだ。火をつけ、深く吸い込むと、にやりとしながら煙を吐く。

「テリー・フェスラー。どうしてこんな無意味なことを?」

「……ほう、無意味?」

 パンサーの言葉に、マエストロが自嘲気味な笑みを浮かべた。

「ヴィンセントもキンケイドもグイードも、いまや虫の息だ。はじめはもっとも力のあるヴィンセントのボス、次は偶然にもグイード。キンケイドの新たなボスは内部抗争で病院送り。どのファミリーもごたごただ。おかげで移民のチンピラどもが、勢力を伸ばしつつあるが、全市民の住民票を、ナンバー化し、コンピュータに保管すれば、居場所はボタンひとつで把握できる。組織化されていない犯罪者など、無力なネズミ同然。それを手に入れるのはわたし。そして、邪魔をする者は船の上」

 全市民の住民票を、ナンバー化し、コンピュータに保管するという、そのシステムを開発したのは、ミス・ホランドの会社だったはず。ということは、テリー・フェスラーの事業というのは、つまり、ミス・ホランドの会社から盗んだシステムを実現させる、ということだったのだ。

 マエストロはたばこを落し、革靴でつぶすといった。

「これはわたしの正義なのだよ、パンサー。安全に暮らせるシティを牛耳るのは、全市民の動向を把握する、わたし、テリー・フェスラーだ。もちろん、悪者には消えてもらう。悪者というのは、この姿、元ヒーローのミスター・マエストロ」

 マエストロの言葉がのみこめない。ああああ、ここにアーサーがいたら、丁寧に説明してくれるはずなのに! わたしの無線機は海の底だし、たぶんWJの、パンサーの無線機も同じ運命をたどっちゃってる。どうしよう、テリー・フェスラーの、マエストロのしゃべっている意味が、さっぱりわからない!

 マエストロがコートの中へ手を入れた。ローズさんから奪ったピストルを出すと、ゆっくりとこちらに向ける。そして、左手を差し伸べ、わたしにいう。

「どこにでもいるお嬢さん、ニコル・ジェローム。パンサーを死なせたくなければ、本物のバックファイヤーを渡すんだ。配管工から受け取ったクリスタルの物体をはっきりと見たぞ。まさかプレゼントされたネックレスかなにか、というわけでもないだろう、違うかな?」

 う!  マエストロの銃口が、いまだ給水塔に手をついて、なんとか立っている状態のパンサーに向かう。渡してしまうべきだろうか。だって、どう考えても、WJはギリギリだ。

「渡しちゃダメだ」

 パンサーにいわれて、黒いコスチュームをまとった、大きな背中に手を添えながら、わたしは震える。

「……だ、だ、だって。だけど、そうしたらあなたが。あなたが」

「弾丸をはね返す素材だから、心配しないで」

 マエストロがひきがねに指をかけ、パンサーの足元に弾丸を放った。本気だ、という脅しの行為だ。

 なんとか逃げられないだろうかと、屋上を見まわす。だけど、出入り口のドアはマエストロの背後にあって、どう考えても逃げられない。飛ぶ以外に、逃げる方法はなさそうなのだ。こんな時、芸人協会の風船師が、大量の風船を手にして通りかかってくれないかな! そうしたらその風船でなんとか飛んで……って、なんとかなるわけがないし、そんな逃避的妄想におちいっている場合でもないんだってば、わたし! ううう、ううううううー。

 マエストロがまた、ひきがねに指をかけた時だ。振り返ったパンサーは、わたしを抱きしめると、かばうみたいにしてその場にしゃがんだ。とたん、発砲音がこだまして、わたしはきつくまぶたを閉じる。満足に動けないパンサーの背中に、WJの背中に、マエストロの放った弾丸があたった気がして、こわくてまぶたを開けられない。

 パンサーが死んじゃう! WJが……、死んじゃう! 

 おろおろしながら、パンサーの背中に腕をまわしたら、聞き覚えのある声が屋上を包んだ。

「クソいまいましい悪玉め! 動くな!」

 ゆっくりとまぶたを開けると、パンサーの肩越しに、マエストロへピストルを向ける制服姿の警官と、懐中電灯で自分の顔を照らす市警部長、フランクル氏の姿があった。たぶんわたしとパンサーの発信器の位置を、アーサーがフランクル氏に、伝えてくれたのだ。

 ピストルを放り投げたマエストロは、両腕を上げると大きく振りかぶる。その瞬間、強風にあおられ、飛ばされる枯れ葉みたいに、警官たちが吹き飛んでしまった。と、出入り口のドアに、なんとかしがみつくフランクル氏の背後から、なんと、アーサーが飛び出すのが見えた。

 わたしとパンサーに気づいたアーサーは、こちらに向かって駆け出し、滑り込む野球選手みたいにゴールを決める。

「ア、ア、アーサー!」

 感激のあまり、叫んでしまった。

「危機的状況みたいだからな。ミスター・ワイズに引き継いでもらって、おれも来てみたんだが、大丈夫……じゃなさそうだぞ、ジャズウィット?」

 アーサーがパンサーにいう。

「助かったよ、アーサー。ニコルを連れて、ホテルへ行ってくれる?」 

 パンサーがわたしから離れる。

 マエストロはまだ、屋上にいる。給水塔の上に飛び立って、そこからわたしたちを見下ろすと、バッと両手を広げ、突き出した。でも、立ち上がった警官たちがマエストロへ発砲する。乱れた弾丸が給水塔にあたって、水が漏れはじめた。そのすきに、わたしたちは屋上のすみまで走り、その場にしゃがんだ。

「ホテルへ行くのはいいが、きみはどうするんだ?」とアーサー。

「マエストロを追いつめるよ。だいぶ充電できた気がするから。ポイントは港で頼む。ニコル」

 わたしに、右手を差し出した。

「本物はぼくが預かるよ」

「え! ど、どうするの? でもこれ、アーサーが捨ててもらうって、わたしにいってたんだけど」

 とまどいつつ、ポケットから物質を出せば、受け取ったパンサーは肩をすくめた。

「コレを捨てる? どこへ?」

「あるべき場所へだ、ジャズウィット」

 アーサーが空を指すので、パンサーの口元がゆるむ。

「……宇宙? まさかNASAに頼むつもりじゃないよね?」

 ヒューストン、とアーサーはいったのだ。なるほど、そこにある機関といえば、まさにNASAだ! にやっとしたアーサーは、眼鏡を指で上げると、うなずいた。

「そのとおり、おれのアイデアだぞ。なんだ、そんなにビックリすることじゃないだろう?」

 すごいアイデアだ。アーサーは間違いなく、将来大物になるだろう。さらっとすごいことをいい出す、とんでもない市警部長になった姿が、容易に想像できちゃった。それでやっぱり、部下になった人たちは、げんなりした顔で動きまわることになるのだ。……いまの、フランクル氏の部下たち、みたいに。

「いいアイデアだけど、アーサー。もっといい捨て方があると思うんだ。賭けだけれどね」

 どうするんだ、とアーサーが訊いた。

「ぼくにしかできないこともあるんだよ」

 答えたパンサーが、物質をコスチュームのブーツの中へ突っ込んだ。視線は一点、給水塔の上にいるミスター・マエストロをとらえている。

「……彼が警察に捕まるとは、どうしても思えないんだ。もちろん、いまみたいに助けられたけど、留置場や拘置所へ入ったとしても、きっと逃げてしまうよ。それでまた、同じことの繰り返し。この街じゃなくても、どこかの街でね」

 パンサーは、その場にしゃがんで、前のめりになる。

「ぼくはこの街を守りたいわけじゃないよ。そんなにだいそれたヒーローじゃないからね。ぼくはただ、仲良しの友達がこの街で、楽しく暮らせればそれでいいだけだ。こんなこと、いままで考えたことなかったけど」

 しゃがんだまま、わたしとアーサーをグラス越しに、上目遣いにして、にやりとした。でもまだ、息が荒いのだ。それに、肋骨が折れているかもしれないのに。

「でも、でも、それでも、警察に任せたほうがいいと思うな! だって、あなたはギリギリで、すごく疲れていて」

 わたしがいい終わらないうちに、前を向いたパンサーが告げた。

「ぼくを信じて」

 ブーツで、屋上の床を蹴り、いったん給水塔の上に立ってから、その場から姿を消したのだった。マエストロとともに。

「ああ、ああああ、行ちゃった! さっきまでひどい感じだったのに、どうしよう! WJ、なにをするつもりなんだろ」

 呆然とするわたしに、アーサーがいった。

「あの物質がなんなのか、ジャズウィットは知ってるんだろ? だとすれば、船ごと葬るつもりなんじゃないのか」

「ほ、葬る?」

 アーサーはため息をついた。

「ブラックホールの向こう側、誰も知らない異次元に、マエストロを、だ。だが、下手をすれば自分も。だから賭け、なんだろう」

 その場で凍りついて、動けなくなったわたしのもとへ、懐中電灯で顔を照らすフランクル氏が近づき、叫んだ。

「アーサー! あの悪魔的な者どもがどこへ去ったのか、いますぐ、三秒以内に答えるんだ!」

 アーサーがうなだれる。

「ああ、一秒で答えられますよ、父さん。港へ向かってください。ちなみに、電池の無駄遣いです」

 ふん、とフランクル氏が電灯のスイッチを押す。わたしはアーサーにしがみついて、声を荒げた。

「わ、わ、わたしも行く! 行ってそんなこと、止めなくちゃ!」

 

 カルロスさんと無線機で連絡が取れて、デイビッドが無事であることがわかって、ほっとする。傷を消毒し、数針縫っただけで済んだと、教えられた。いまはドクターの部屋に、スネイク兄弟とローズさんと一緒にいて、少し熱があるので眠っているのだという。

 本物のバックファイヤーを持っていた、キャシーのパパの友人、あやしげな博士の孫は、それがどういう物なのかも知らず、「じいさんからもらったアート的なオブジェ」として、おそろしいことに、部屋に飾っていたのだそうだ。デイビッドとミスター・スネイクが、アパートを訪れた時、退廃的な若者さながらなパーティがもよおされていて、音楽とアルコールでハイになった人に、なぜか歓迎され、すんなり入ることができたので、すぐさま見つけた「じいさんからもらったアート的なオブジェ」をこっそり手にし、逃げたらしい。その「アート的なオブジェ」は、いま、パンサーが持っていて、港へ向かってしまった。

 パトカーの後部座席に座り、窓に頬をくっつけて、渋滞しまくる中心部で、もしやパンサーが倒れていたらどうしようと、視線を動かしまくっていたら、

「けっこう無謀なことをするな、ジャズウィットは」

 運転している警官を気にしてか、アーサーが隣で、小声でいった。

「そ、そう思う?」

「まあな。だが、たしかに、パンサーのいうとおりでもある。捕まえたところで、しばらくはおとなしくしているかもしれないが、どのみちすんなり逃げるだろう。その能力はじゅうぶんにあるんだ」

「でも、もう、正体はバレちゃってるのに。逃げたって、どこへも行けないと思うけどな」

「変装の名人だぞ。それに、整形をするかもしれない」

 う! そうなったらもう、どこの誰なのか、完璧にわからなくなってしまう。

「……わけのわからないことを、いってたよ。悪者はマエストロで、自分は正義だ、とかなんとか。あと、船の中にいる人たちは邪魔者だって」

「なんだそれは?」

 というわけで、アーサーにマエストロがいった言葉を、なんとか説明してみた。わたしがしゃべればしゃべるほど、アーサーの顔は険しくなっていき、しまいには眉根を寄せまくって、わたしを見た。

「……わけがわからないぞ」

「そうでしょ!? そうなの!」

「違う! きみの説明が下手すぎて、まったくなにも伝わらないんだ!」

 叱られた。

「と、ともかく。ページさんの会社からシステムに関する書類を盗んだのは、マエストロで決定だってこと。そうすれば、市民の動向が全部わかるからって」

 テリーが! と、口だけを動かして伝えると、アーサーが半目になった。

「……やれやれ。その場にいたのがきみではなくて、おれならよかったのに、残念すぎるぞ」

 まあ、わたしもそれには同感だ。アーサーはため息をついて、眼鏡を上げる。

「とはいえ、指をくわえて眺めているわけにもいかないな。ジャズウィットは友達だ」

 腕を組んで、しばらく無言だったアーサーは、いきなり無線機を口へ近づけた。じりじりとした電波の向こうから、声を発したのは。

『……て、ロドリゲス! 吐くんじゃないよ!』

 アリスさんだった。

『なんだい、この切羽詰まってる時に!』

 アーサがぐったりする。

「……フランクルです。いまどこですか?」

『船に乗って地下にこもってるよ。あやしい動きの豚どもがけっこういるからね。これからいっきに操縦席を占拠するさ。パーティは盛り上がってるけど、で、なんだっつうわけ?』

「占拠したら、船を陸地へ寄せて、ゲストを降ろしてから」

 無線機をぐっと握りなおし、アーサーが告げた。

「装置のケーブルを、切りまくって逃げてください」

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