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SEASON FINAL ACT.22

 ミスター・マエストロが、テリー・フェスラーに変装していたのではなく、テリー・フェスラーが、ミスター・マエストロ、だったなんて。

 どろどろでびしゃびしゃのタキシード姿のまま、スネイク兄弟の車に乗り込み、わたしは思いきり頭を抱えた。うううー! どうして家族は気づかなかったのだろう。そのうえ、友達は? 輪郭には面影があるのだし、似てるね、って話題になったって、よかったはずだ、ハイスクールで。

 それに、テリーは自分で事業を立ち上げるつもりで、数日前、パーティを開いたのだ。そこへ、デイビッドはローズさんとおもむいて、その場にテリーがいるのを確認している。なのにわたしは路地裏で、カルロスさんにピストルを向けるミスター・マエストロに出くわした、というのに?

「ニコル、両手で頭を包んでいても、髪は乾かないと思うけど?」 

 後部座席の隣にいるデイビッドにいわれる。ちなみにこの車は、配管工をしているという、スネイク兄弟の知人の車だ。というわけで、車の中には配管工用の帽子と、汚れた青いつなぎの制服が三着、大きな袋(バッグとは呼べないしろもの)の中に、突っ込まれてあった。着替えてもいいぞとミスター・スネイクがいってくれたので、わたしが頭を抱えている間に、デイビッドはすっかり、配管工になってしまっている。

「数日前に、テリーはパーティを開いたでしょ? それで、ローズさんは盗聴器を一度仕掛けたんだよね? でも、その時わたしは路地裏で、ミスター・マエストロを見かけちゃってるんだけどな……って、思って」

 袋の中からもぞもぞと、制服を出しつついってみた。デイビッドは、ぐっと髪をかきあげて、青い帽子をかぶる。

「テリーは目を離したすきにいなくなるって、いっただろ。盗聴器は仕掛けたけど、それから着ぐるみのマルタンに助けてもらうまで、テリーのことなんて頭から吹っ飛んでたよ。なにしろおれは、キンケイドに追っかけられてたからさ」

「うーん、じゃあ、その間にマエストロになって、カルロスさんを倒しに行った、ってこと?」

 ローズさんが、テリーのジャケットのポケットへ、盗聴器を入れたのだとすれば、脱いでしまえば盗聴はされない。マエストロの姿から、テリーになって、パーティのおこなわれている部屋へ戻ったとしても、キンケイドとデイビッドの一件で、ごたごたしていたから、誰も気に留めなかったとか? 

 ありうる、とってもありうる。

 さらに、デイビッドとキンケイドのことすら、テリーの想定内だとすれば、ものすごくおそろしい気がする。ただの偶然とも思えるけれど、そこまでの筋書きがすでにできていた、なんてことだったら、とてもじゃないけれど、警察なんかじゃ太刀打ちできないのではないだろうか。まあ、テリーであって、元ヒーローなのだから、もとから太刀打ちは無理、のようにも思えるのだけれども。

 のろのろと、ジャケットを脱いでシャツのボタンを……って、考えることが多すぎて、デイビッドに凝視されていることを、うっかり忘れそうになっていた。これはとってもよろしくない!

「あっち、あっち! 窓を向いていてくれないかな!」

「なんで?」とデイビッド。

 え? なんで?

「……って、なに? というか、このままびしゃびしゃでいたくないもの、いいからあっちを見ていてってば!」

 デイビッドの頬に手のひらを押しつけ、窓へぐいぐいと追いやる。本物のバックファイヤーを、おかしげな博士の孫から受け取るため、渋滞しまくりのシティのど真ん中を走る、というよりも、のろのろと動く車の窓からは、上空を見上げる人びとでごった返す光景が見えた。まるでなにかのパレード状態だ。タクシーの窓から上半身を出すビジネスマンに、空を指さすマダムに子ども。ともかく、誰もが空を見上げていて、交通整備の男性が、笛を吹きながら両腕を振りまわし、交差点を駆けずっていた。

 ボブが、車のラジオの音量を上げる。

『……です! 速報です、パンサーです! この時間は緊急番組に変更いたします。速報です。引退したと思われていたパンサーが、先ほど上空に出現いたしました。誰かに追われている模様? 詳しい状況は伝わっておりません。公衆電話から市民の中継をつなげます、ジェニファー?』

 ディスクジョッキーの声が、あわてふためいていた。ん? ジェファー……って、おんなじ名前の別人かな?

『あ、あ、あたしってば、マジで、これ、ラジオに出ちゃってるわけ!? デイビッド、あたし、あたし、ジェニファー! ……って、いま飛んでる最中か。まあいいわ、がんばって!』

 この声は……、別人じゃなくて、本人だ。デイビッドは前のめりになって、ラジオにしかめ面を寄せた。

『ママとプロムのドレス買ってたんだよね! そうしたら、みんなが騒ぎはじめて、あたしとママも見ちゃったってわけ! なんか、誰かを追いかけてるっぽいんだけど。ていうか、追われてんのかな? わっかんないけど、ヘリ飛んでるし、ああ、あああああ、南のほうへ行ったかも……、ううん、戻って来た! デイビッドォ!!』

「……ああ、おれはここだけどね」

 げんなりとした顔でつぶやいたデイビッドは、身を引いてからまたもやわたしへ視線を向けたので、あわてて制服のジッパーを引き上げる。よかった、なんとかよろしくない姿を見られなくてすんだようだ。

「なっんだよ、ニコル! 楽しみにしてたのに!」

 デイビッドに舌打ちされた。マノロに触らせてしまった胸が、男の子と間違えられるほどのサイズでしたと伝えるべきだろうか。いいや、こんなことをしゃべくっている場合ではないのだ、あきらかに。

「WJ、というかパンサーは、いまどこにいるんだろ。警察はなにしてるのかな!」

 そのうえ、車はのろのろだ。あちこちでクラクションが鳴り響き、おまけにヘリの音でシティは騒音だらけ。車の窓を開けて顔を出せば、ヘリコプターのサーチライトが、ぐるぐると高層ビルの間を照らしていた。でも、どこにもパンサーは見えない。ミスター・マエストロも見えない。

 あの船に乗っているゲストたちは、こんな騒動なんて知らず、のんびりとビンゴゲームの続きをしているのだろうか。それとも、うまく乗り込めたアリスさんとマルタンさんが、操縦席を占拠して、陸地へ寄せているところかも? 

「すげえ渋滞だぜ! こりゃ歩いたほうが早いかもな」

 くわえたばこのミスター・スネイクが、ハンドルをペシリと叩いた。アーサーに教えられた住所によれば、ここから五ブロックほど、西へ向かった場所になる。

「わかった、ミスター・スネイク! 走って行ってくることにする!」

 ドアに手をかけたら、デイビッドに制された。

「おれとミスター・スネイクで行くから、ニコルはボブとここにいろよ。歩道に車を寄せて、待ってればいいだろ」

「ええ!?」

 ドアに手をかけたデイビッドに、苦笑された。

「ええ!? じゃないって。この緊急事態に、のろのろ走るきみの手を、のんびり引っ張る余裕なんかおれにはないね。ボブ、サングラスを貸してくれ」

 モヒカンのボブがサングラスを外す。優しい性格そのままの、マルタンさんもびっくりな、とってもキュートでつぶらな瞳があらわになってしまった。

「べつに気にしてるわけじゃないけど、パンサーの苦労を水の泡にしたくないからさ」

 サングラスをかけたデイビッドが、ドアを開けた。同時にミスター・スネイクも車から降りる。気をつけてといったら、二人ともどうってことないみたいな感じで、肩をすくめて、歩道を走って去ってしまった。運転席に座ったボブは、車を歩道へ寄せて、ぐるんとわたしを振り返る。

「びっくりだね。テリー・フェスラーがミスター・マエストロ、なんてさ!」

「うん。だけど、誰も気づかなかったなんて、ヘンだとわたしは思うんだけどな。それに、自分の事業をやろうとしていた人が、どうして船ごと、魔界行き、みたいなことをしようとしてたんだろ。というか、いまもしようとしてるんだと思うけど……。それに、ギャングはいなくなって、もっとも力を持つのは自分だ、とかなんとかいっていたし」

 いまごろマエストロは、パンサーに邪魔をされて、頭にきているかもしれない、と思いあたって、だんだんおっかなくなってきた。WJは大丈夫なのだろうか。どうしよう、どうしよう!

 革のベストからのぞく、筋肉で盛り上がった腕を組み、ボブがまぶたを閉じる。

「たしかにギャングのボスたちは、みんな留置所だもんね。キンケイドのジョセフは病院だけどさ。もともと、キンケイドは、ボスが倒れてごたごたしていたし、三ファミリーの中でグイードのシマまで浸食しはじめてたヴィンセントが、もっとも力を持ってた、とはいえるけど、そのボスもマエストロにハメられて留置所。まともなファミリーが存在しなくなってる、とはいえるけど、全部マエストロの計画だとは思えないよね」

 そのとおりだ。わたしはうなずく。

「そうなの! それに、あの船をどうするつもりだったのかがわからなくて」

 それにわたしを、逃がしてしまったのだ。そう表現するしかない仕草を、マエストロであるテリーは、わたしに見せたのだから。

「うーん……、地味な生徒っているよね? そう思わない?」

 いきなりボブに訊かれたので、ちょっと考えてから、わたしはうなずく。

「うん」

 まあ、ある意味、わたしもそうだけど。

「誰も気にしない、そういう生徒だったんじゃないかな、テリーもさ。だけど、そういう生徒って、ほんとうはかなしい気分を抱えてるもんだって、おれのばあちゃんはいっていたよ。誰にも知られたくない秘密があるか、他人にわかるわけないって思ってるか、どっちかだって。テリーの両親が離婚したのは、マエストロになる前くらい、だったかも。その記事の切り抜きを、ばあちゃんなら持ってそうなんだけどな。金持ちのゴシップと、昼メロのファンだからね、おれもだけど」

 ミスター・マエストロとして、登場するくらいだ。テリーにはもともと、そういうパワーがあったのだろう。それを必死に隠していたのだとしたら? WJみたいに、誰にも接しないように、振る舞うかもしれない。だとすれば、わたしみたいな、おせっかいな誰かが近づいて話しかけなければ、テリーはずうっとひとりぼっちだ。

 きっと、家でも、学校でも。

「唯一心を許せたのは、弟と婚約しちゃったジョージアだったのかもね。まあ、マエストロだって教えてなかったとしても」

 デイビッドの豪邸に隠れて、近づく二人の会話を、システムナインで盗み聞きした時、テリーはなんといっていたんだっけ? たしか、この街でもっとも力をもっている人間が誰か、すぐにわかるはずだとかなんとか、そんなことをいっていたはずだ。そしてジョージアがいうのだ。

 まるで、スーパーヒーローみたいな口振りね。

 少しばかり、しょんぼりとした気分におそわれる。実際、テリーはヒーローだったのだ。十年前までは。

 友達なんていないと、博物館でマエストロはいったのだ。自分は化け物なのだからと、わたしにいったはずだ。お金で雇った手下はいても、助言してくれる、ちゃんとした友達は皆無。それって、とってもさみしいことかも。もしもそういう友達がいたら、マエストロはヒーローのまま、覚えているファンにとっては、栄光のヒーローとして、記憶に残ったのではないだろうか。たとえ、忘れている人がほとんどだとしても。

「……結局、おれたちは彼の邪魔をしてるってことになるけど、でも、ヘンだよね」

 ボブがつぶやいた。

「え? ヘン?」

「そう」

 腕を組んだまま、ボブが肩をすくめた。

「とっても頭がいいんだよ、マエストロは。だったら、おれたちのことなんて放っておいて、あの船を爆破しちゃえば、全部終わる。でも、そうしない。まるで遊んでるみたいだよ、そんな気がしない? それとも、そうだな……。おれも兄貴もワルだったから、ああいうタイプって仲間にひとりはいたりするんだけどね。目立つような、危ないことをしそうになるって感じのさ。それって、まあ」

 ボブの言葉を待つと、かわいらしい瞳を細めて笑みを浮かべた。

「結局、誰かに止めてもらいたいだけ、だったりするんだけど。兄貴はそういうよ」

 ボブがいい終わった直後だった。遠ざかっていたはずのヘリコプターの音が、またもや近づいてくる。同時に、通りを埋め尽くす車のすき間を、たくさんの人びとがこちらに向かって、なだれ込むように駆けて来た。あ、と思った瞬間だ。空から黒い物体が、猛スピードで背中から落下し、爆音と爆風とともに、タクシーをへこませる。タクシーの窓が割れて、運転手と乗客が、逃げるようにドアから飛び出す。

 目と鼻の先、一ブロックほど先のそのようすが、前方の窓から見えて、わたしは身を乗り出した。落ちたのはパンサー、しかも、黒いアイパッチで右目を隠し、クラシックハットのつばで顔をおおい、コートの襟をひるがえしているマエストロは、信号機の上に立って、パンサーを見下ろしていた。

「……ああああ、あああああ、大変、大変、どうしよう!」

 ドアに手をかけたら、ボブに止められた。

「ダメだ、危ない!」

 開け放った窓から、マエストロだという叫び声がとどく。でも、わたしの視界にはパンサーしか入らない。それに、どくどくと波打つ鼓動の音で、どんどん騒音が遠くなる。

 もう、もうううう、フランクル氏はどこ? というか、警察はどこ!? こんな時、おろおろすることしかできないなんて、無力すぎる自分の頭を、地面に叩きつけてやりたくなってきちゃった!

 信号機の上に立ったマエストロが、両腕を指揮者のように振りかぶる。すると、タクシーの上で横たわるパンサーの身体が、どんどんと車体ごと、圧力をかけられてへこんでいく。そんな二人を、ヘリコプターのライトが、激しく照らしていた。

「ボブさん、どうしよう! WJが死んじゃう!」

 WJはきっと、飛ぶだけで精一杯だったのだ。なのにどうして、無理をして、パンサーになっちゃったんだろう。

 ぐいぐいと、パンサーごと車体がへこんでいく。黄色い車体が、まるでプレスをかけられた、廃車みたいになっていく。思わずドアを開けて、歩道に出たら、ブロックの角のレストランから、シックなドレス姿の女性があらわれた。ドレス姿なのに、小さなバッグからピストルを取り出すと、マエストロに向かって発砲する。

 キャアッ! と声が上がって、誰もが頭を抱え、その場にしゃがむ。

 発砲したのは、ローズさんだった。けれども、マエストロはすうっと弾丸から身をかわし、地面へ降り立つと、ローズさんへ右手を突き出す。小さな竜巻が巻き起こって、ローズさんの身体がレストランの壁に叩き付けられてしまう。ローズさんが落としたピストルを、マエストロが拾った時だ。デイビッドとミスター・スネイクが、反対側の歩道から、渋滞する車の間を、すり抜けて来るのが見えた。

「乗って!」

 ボブに叫ばれたわたしが、ふたたび後部座席に乗り込んだところで、ブロックの角、前方にいたマエストロの視線が、ゆっくりとこちらに向けられたのがわかった。

 ミスター・スネイクが、助手席に乗り込む。わたしは反対側のドアを開ける。配管工の制服のポケットから、バックファイヤーを取り出して、座席へ乗り込もうとしたデイビッドの肩に、マエストロの弾丸が、かすった。

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