top of page
title_mgoz2009.png

SEASON FINAL ACT.20

 久しぶりに、アランの夢を視た。

 内容は覚えていないけれど、その夢に引きずられてか、意識がはっきりする前のまどろみの中で、アランが倒れた時のことを、ふいに思い出した。

 いつだったか、ある時、アランとわたしは、アランの家の屋根裏部屋で、ミスター・マエストロごっこをしていた。じゃんけんで負けたわたしがギャングの役で、アランはパパの帽子をかぶり、葉巻型のチョコをくわえて、おもちゃの入った木箱からジャンプする。あっけなく捕まったわたしが、もだえるふりをして床に倒れると、追いかけっこさながらだった激しい動きに、息の荒くなったアランも倒れる。

「あなたは倒れなくてもいいんだよ?」

 笑いながらわたしがいえば、アランは顔をぎゅうっとしかめて、ぜいぜいと妙な息を吐きはじめた。あわてたわたしは、アランのママを呼ぶため、屋根裏部屋のはしごに手をかける。すると、

「大丈夫。いいんだ、ニコル。こうしていれば、いつもおさまるから」

 胸を手でおさえて、アランが笑みを作る。

「ママはおおげさなんだもの。だから、いいんだ、大丈夫」

 夢中になりすぎて、激しい遊びをしてしまったことに後悔して、わたしは何度も謝った。そのうちに、アランの息が落ち着いたのでほっとすると、大の字になって床に寝そべったアランが、いったのだ。

「病院で、ミスター・マエストロのファンに会ったよ」

 アランは何度も、シティの病院へ行っていた。検査入院することもあって、そんな時に出会ったのだとわたしに話す。

「ほんとう? その子もあなたとおんなじ病気?」

「ううん。なんか、目を手術するんだっていってた。眼帯をつけてたよ」

 てっきり、自分たちと同じ子どもなんだと思ったら、相手は大学生くらいの男性なのだとアランはいう。

 病院の待合室には、テレビがある。モノクロのテレビ画面に流れるボクシングの試合に、大人たちが熱狂している中、アランはひとり、ミスター・マエストロのコミックを夢中で読んでいた。すると、隣の椅子に座っていたその人に、話しかけられたらしい。

「そのコミックの続きは出ないだろうって、その人に訊かれたから、そうだけど、ぼくは好きなんだっていったんだ。ニュースにミスター・マエストロが出なくなって、学校でもボクシングの話題ばかりだけど、ぼくと友達はミスター・マエストロのファンだよって教えてあげたよ。そうしたらその人に、友達は男の子かって訊かれたから、ニコル・ジェロームっていう女の子だよって、ぼくはいったんだ。その人はすごく驚いて、女の子か、って。きっとさ、その人もミスター・マエストロのファンなんだ。だって、ぼくがコミックの裏表紙を見せたら、笑ってたから」

「裏表紙で、どうして笑ったの?」

 すると、アランは床に寝そべったまま、くすくすと笑う。

「ミスター・マエストロはサインしないから、自分でいっぱい、裏表紙に書いちゃったんだよ。本物はどういうのかなって思って。うまくいったら、いつかきみに、嘘をつけるかなあって思って。でもぼくの字、全然へたくそだもの」

「え! わたしに嘘つくつもりだったの?」

「うん。ミスター・マエストロにサインもらったって、びっくりさせたかったから。でも、そんなのダメだよね。本物じゃないもの。その人にそういったら、本物が欲しいのかって訊かれたよ。だから、ぼくも欲しいけど、ニコルにあげたいんだっていったら、笑ったままなんにもいわないんだ。大人だから、嘘のサインに、きっと呆れちゃったんだね」

 アランは屋根裏部屋の窓に、視線を向ける。窓からは西日が射し込んでいて、まぶしそうに目を細めたアランがつぶやいた。

「ああ、ミスター・マエストロみたいに、空を飛んでみたいなあ」

 その数年後、アランは手術を受けることになり、わたしはシティへ引っ越したのだ。

 ニュースにミスター・マエストロは登場せず、警察がギャングを追いかけまわすだけの場面が流れ、わたしはいつの間にか、高校生になっていた。

 はっきりとしない意識のもたらす、重たげな頭を床にぐぐぐと押しつけ、まぶたを開けたら、さまざまな人の笑い声と音楽が鼓膜にとどいて、そうだ、パーティの最中だったのだと、はっとした。ということは、わたしはまだ海の上の船の中にいる、ということになる。

 頭を動かして目をこらすと、十二フィートほど離れた場所にある、得体のしれない物体が、いきなり視界に飛び込んだ。

 低い天井のぎりぎりまで伸びる、直径七フィートほどの、継ぎ目のない鉄製の球体。ぐるぐると床を這う、無数のケーブルに、点滅するライトをくっつけた、灰色のロッカーみたいな装置が、壁に沿うように配されていた。

 ロッカー的な装置のてっぺんには、デジタルの数字が赤く点滅している部分があり、手前に、巨大な計算機としか表現できないような横長の機械がある。それが、レジのレシートに似た細長い紙を、ダラダラと吐き出していた。

 寝転んだまま見まわすと、部屋の窓に黒いスモークフィルムが貼られてある。広さは二部屋分の客室、といったところで、天井のライトのワット数が少ないのか、かなり暗めだ。 

 もしかするとここは船の三階。しかも、目の前にあるのがまさしく、例の装置だろう。ミス・ホランドいうところの、ガーゴイル・エンジン。ソ連の誰かが設計した、時間を止める装置……そのもの? 生まれたての子鹿みたいに、よろよろと起き上がろうとしたところで、

「きみをどうしたものかと、迷っているところだよ、お嬢さん」

 背後から突然、声がそそがれてぎょっとする。とっさに振り返れば、革張りのひとり掛けのソファに座った男性が、足を組んだ恰好で、葉巻をふかしていた。ぼんやりしたライトに照らされているその人物の、右目だけが、ガラス玉みたいに不自然に輝いているように見える。ということは、やはりテリー・フェスラーは義眼なのだ。わたしが知らなくても無理はない。だって、間近で彼を見たことなど、いままで一度もないのだから。

 ていねいに梳かされた明るめのブラウンの髪、灰色がかった瞳、細面のハンサムな輪郭。髪を黒くし、眉の形をメイクかなにかで変え、アイパッチで右目を隠せば、たしかに似ている、というしかない。

「う! ……マ、マ……、マ?」

 おっかなさのあまり、こんりんざい、うまくしゃべれない気がしてきた。肘掛けに肘をあてたテリー・フェスラーは、ゆったりと甘い香りの煙をくゆらせながら、わたしに催眠術をかけたあげく、わたしに運ばせた物体を、左手で放ってはつかむという遊びを繰り返している。

「あ、あ、あ、あ、あなたが。や、や、やっぱり、あなたが!?」

 テリーが、にやっとした。笑うと口角に、渋みのある皺が浮かぶ。

「わ、わたしに! わたしに催眠術をか、かけ」

 テリーは答えず、ただにやついている。

 ホテルで、パーティの時間がせまって、出かけるという時になって、WJの眠っている寝室のサイドテーブルに、なんとなく手が伸び、なんとなくポケットに入れてしまい、入れたことすら忘れるという、どうしようもないアクションを起こした原因は、ママもビックリのマジックさながら、いつの間にかかけられていた、催眠術のせいだ。

 着ぐるみハム状態だったあの時に、たぶんかけられちゃった、のだ!

「うう、うううう! あ、あれって。というか、こ、これって。というか、そ、それは!」

 どうやらわたしには、通訳が必要らしい。できればアーサーにお願いしたい。この場にいたら、だけれども! 

 ともかく。なんとか息をととのえて、逃げようかと思う。なにしろわたしはハム状態ではないし、手錠をかけられてもいないのだ。ドアに視線を向けたら、テリーもとい、ミスター・マエストロがいう。

「人というのは面白いものなのだよ、お嬢さん。少しの違いで他人と判断する。髪の色に髪型、眉の太さ、肌の陰影。わたしがミスター・マエストロなのだとわかる者は、ひとりもいなかった。ハイスクールにも、家族にも」

「えっ、ハイスクール?」

 びっくりして訊けば、テリーは放った物質を、ぎゅっと握る。

「わたしがミスター・マエストロとなったのは、高校生の時だ。クラシックハットと葉巻で、もっと大人と見せかけてはいたが。さて」

 テリーが腰を上げ、腕時計を見た。

「そろそろ時間だ。もう物質は手に入れた。ずいぶん遊ばせてもらったよ。楽しかったともいえる。どちらにしてもこの船は魔界行きだ」

 だからそれが、その意味がわからないのだ!

「ま、魔界行きって、なにをす、す、す」

 ああ、また言葉に不自由になっちゃってる! テリーはゆっくりと、わたしの前を通り過ぎ、巨大計算機的機械に向かって立った。

「……こういった機械の素晴らしいところは、無知な人間が無造作に動かせば、奈落の底へ行けるということだ」

「え!? じゃ、じゃあ、みんなに教えれば、みんな海に飛び込むはず! あなたがミスター・マエストロで、この船は、よ、よくわからないけど、危険だって!」

 わたしに背中を向けたテリーが、声を上げて笑った。

「誰が信じるんだ? そんな過去のヒーローとわたしを、同じとするような者などいない。酔ったゲストの夢物語だと判断されるだけだろう。違うかな、無力なお嬢さん?」

 笑いを止める。かすかに、肩越しに振り返り、

「きみが、小さな男の子の友達だと気づくのに、ずいぶん時間がかかった。名前をどこかで、聞いたことがあると思ったが、すぐに思い出すことができなかった」

 正しく扱えるはずの、ミス・ホランドが不在の装置を前にして、理由はわからないけれども、ミスター・マエストロだったテリー・フェスラーは、シティのセレブを乗せたこの船を、魔界へ落そうとしている。魔界、というのは、もちろんただの比喩で、実際には……たぶん……爆発……、みたいなこと、なのだろうか!

 一瞬、物質を取り返そうかと思ったけれど、わたしひとりでできるとは思えず、フランクル氏みたいにしつっこく、いろいろと問いただすべきかもとも悩む。けれども、わたしを相手にしゃべるわけはないだろう。結局、テリーが黙り込んだすきに、ドアを開けて階段を駆け下りることにする。

 とはいえ、目覚めたばかりで足元はふらつき、二階の通路でカクンとコケた。一階のデッキの通路でよろめいていたら、人混みの間から黒いもじゃズラ頭とブロンド頭があらわれて、わたしの目の前に立つ。

「WJ、デイビッド!」

 尋常ではないよろめき具合のわたしを見て、WJが眉をひそめる。

「トイレかと思って捜してたんだよ。じっとしてっていったのに、どこにいたの?」

 わたしはよぼよぼのおばあちゃんみたいに、腰を曲げた恰好でWJにしがみつく。

「さ、さ、さ三階に。三階にマ、マ、マ、マ」

「落ち着け」とデイビッド。

 いいや、落ち着けない!

 いっそここで、全員逃げてと叫ぶべき? いいや、そんなことをすればパニックになるし、マエストロのいうとおり、酔っぱらった危険人物と思われたわたしが、トイレかどこかに隔離されてジ・エンド、となる確率のほうが高そうだ。

 船がゆっくりと旋回をはじめる。ライトアップされたセント・ジョン・ブリッジが、進行方向に見える。最高にロマンチックな光景に背中を向けて、わたしは二人にカミングアウトした。

「わ、わ、わ、わたしが。わたしがバックファイヤーを、持ってて、マエストロに渡しちゃったの!」

★  ★  ★

 

 デッキの通路で、いきさつをなんとか説明すると、顔を見合わせた二人はとっさに、わたしの腕を両方つかんで、男性用トイレに突撃した。背の高い男の子に挟まれて、引きずられるわたしの姿は、SFコミックの捕まった宇宙人さながらだ……とか、冷静に表現している場合ではない!

「時間はないんだろ」とデイビッド。

「う、うーん、よくわかんないけど、もう時間だとかなんとか、いってたかも」

「このボートに、救助用ボートはないよ。カルロスにいって、沿岸警備隊に連絡させよう」 

 WJの発言を待たずに、デイビッドは無線機を手にする。スイッチを入れたとたんに、またもやわたしの通訳、もといアーサーが声を発した。

『どうしてまだ、船にいるんだ!』

「フランクル? カルロスはどうした!?」

 トイレ内を歩きながら、デイビッドが叫ぶ。

『ヒステリー女がとうとうヒステリーを起こしたから、ホテルのバーでなだめてすぐ戻るといい残し、無線機を置いて行った。盗聴完了だと知らせたから、安心したんだろ。なんだ、まだなにかあるのか?』

 おおありです。わたしの代わりに、デイビッドがことの成りゆきを説明すれば、アーサーが黙り込んだ。

「アーサー!?」

 WJとわたし、デイビッドの声がシンクロした。というか、わたしたちはどうして、頼るべきカルロスさんではなく、アーサーに判断のすべてを託しちゃってるんだろ!

『……マエストロの本はおれが持ってるが、テリー・フェスラーに関する情報は、FBI女に現在手配中だ。とはいえ、ニコルが見聞きしたのなら、同一人物で間違いないな。どちらにしても、きみらは船から降・り・ろ・! おれたちの手にあまる事態だろう? なにしろ相手はマエストロだぞ。きみらはただの高校生。そうだろ、ジャズウィット?』

 WJが眉を寄せた。

『ミスター・ロドリゲスとデカ女のボートは、C2Uに近いルーナ河近辺に停泊している。きみらが海に飛び込むのを、待ってるぞ。ちなみに、マエストロの手下どももいるんだろ、その船に』

「セレブのふりして乗ってるみたい」

 わたしがいうと、WJが補足する。

「この船を操縦してるのも、手下だろうね」

『ともかく』とアーサー。『バーにいますぐ電話して、ミスター・メセニを呼び出す。それから沿岸警備隊に連絡を入れる。警備隊に、マエストロの仲間がいるかもしれないが、だったら海軍を出動させるという手もある。きみらはいますぐ、船から降りるんだ、あとは国かシティの組織に任せろ! 死ぬぞ!』

 ブチっと切れた無線機を、ポケットに入れたデイビッドは、やれやれと両手で顔をなでる。

「……どれが一番最良の方法なんだ? みんなにいいふらして、この船から脱出するように誘導するとか? でもダメだな。アルコールで酔っぱらってるし、泳げないゲストもいるだろ。じーさんとか、病気持ちとか」

「一番いいのは、ここにパンサーがあらわれることだよ、デイビッド。マエストロをやっつける、とまではいかなくても、この船からおびき出せば、装置を動かす人物は、ひとまず不在になる」

 WJがいうと、デイビッドが髪をかき上げる。

「そのすきに、マルタンとアリスを船に乗せて、操縦席を占拠すればいいのか。でもWJ、パンサーはおれであって、おれじゃない」

 WJがうつむいた。そうだね、といって真剣な顔になる。

「……まいったね。ここまでの危機的状況、本当にいままで、想像したこともなかった」

 腕を組んだデイビッドは苦笑する。

「たしかにね。だってパンサーは、小さな事件を解決する、ただのアイドルだったからさ。カルロスだってそもそもは、イメージ戦略のリーダーだ。こういった、マジな戦略のためのリーダーじゃない。まあ、いちおう元CIAだけど」

 顔を上げたWJは、デイビッドを見た。

「……試してみるよ、飛べるかどうか。落ちたところで、海の中だから」

「失敗したところで、パンサーはすでに引退してる。テリーがマエストロだという証拠は手に入れたんだから、あとはフランクルのいったとおり、どうにかしてもらえばいい。だけど、パンサーのコスチュームがないな」

 お手上げ、といった態度で、デイビッドが肩をすくめると、WJはおもむろに、トイレのすみにあるアルミ製のゴミ箱を押した。中から、ホテルの名前がプリントされている紙袋を出す。

「ワインを入れるために、持って来た袋なんだけど、一緒に」

 紙袋の中へ手を入れる。

「もしかして、と思って隠しておいたんだ」

 黒いグローブをつかんで、WJがにやりとした。というわけで、紙袋を持ったWJが、個室の中へ入る。その間、わたしは三階にいるであろう人物について、考えていた。冷静に思い返せば、なんとなくだけれど、マエストロのあの態度は、まるでわたしを逃がすために、わざとすきを見せた、ように思えてしまう。

「……どうしてわたしを、逃がすみたいな素振りを見せたのかな。わたしは意識をなくしていたし、そのまま海に落してもよかったのに。だって、わたしが生きていたら、いまみたいにいろいろしゃべるかもしれないのに」

「さあね。妙な愛着がわいちゃったんじゃないのか? おれみたいにさ」

 わたしの隣に立つデイビッドが、腕を組んでいう。

「う。愛着……というか、あなた。デートの相手を捜さなくても、向こうからやって来ちゃったね、ガールズ集団! みんなどっかで見た感じだったな」

 ああ、とデイビッドはうなだれる。

「誰といつ、どんなデートをしたのか、まるきり覚えてなくて、マジでパニくったよ」

 わたしを横目にして、笑みを浮かべた。

「でも、きみとのことはようく覚えてるよ、もちろん。チェスしたことも、キスしたことも、一緒に眠ったことも、おれがキレてヤバいことしでかしそうになったこ」

 デイビッドがいい終わらないうちに、いきなり個室のドアが開く。コスチュームの上にシャツを着たWJの胸ははだけまくっていて、スラックスにグローブを押し込みながら、険しい顔で、デイビッドを指した。

「ダメダメ、それはダメだ、デイビッド」

「なんだよ、ダメってなにが? ただ思い出話にひたってただけだろ」

 いぶかしんでるみたいに、WJは目を細め、片眉をくいっと上げる。

「いいや、違う。ぼくにはわかるよ、そうやって誘導していって、妙な雰囲気を作るのがきみの手なんだ」

「……すごい観察力だな。まるでフランクルだ」

 ぽかんとしながら、そんな二人のやり取りを見ていたら、WJに大きなため息をつかれてしまった。

「……きみが鈍感で、助かるなあと思うこともあるけど、ときどきすごくイラつくよ。なんとか察知してよ、口説かれてるかなとか、キスされそうだとか、そういう直感、あるだろ? ぼんやりしちゃってるから、つけこまれるんだ。だからさっきだって」

 ぐっと顔をしかめ、言葉をのんだ。もちろん、わたしにも直感はある。テリーがマエストロかもだとか、キャシーはアーサーをきっと好きなのだとか!

「ええ? だってWJ、デイビッドはわたしと友達だから、もうなんにもヘンなことはないし、それにさっきは……」

 いったところで、ガクンと船が大きく揺れた。おっとそうだ、こんなことをしゃべくってる場合ではないのだ。急いでトイレから出て、楽しげに歓談する人びとの間をぬうように歩き、デッキへ出る。

 ブリッジがすぐそばに見える。進行方向の左側に、シティの夜景が見えていて、たくさんの人がその光景を楽しんでいた。

 わたしは船を見上げる。三階にいる人物は、装置を壊すために必要だった物質を手に入れ、いまや邪魔者はいないとばかりに、あの巨大な計算機みたいな機械に、指をはわせているのだろうか。

 でもいったい、なんの目的で、なんのために?

「みなさん、ゲームタイムです!」

 いきなり、ロバート・マッコイの声が、マイク越しにこだました。船尾のデッキへ、ゲストが顔を向け、歩いて行く。その場から人気が消えたところで、デイビッドが鉄柵をつかみ身を乗りだす。

「いまだ、飛び込もう」

 真っ黒な海に船のライトが落ちて、水面がゆったりと輝いている。わたしも鉄柵に両手をかけた。その時、右隣のWJが、わたしに顔を向けた気配がしたので、どうしたのかと見上げれば、WJの視線はわたしではなく、わたしの背後にそそがれていた。

 振り返ると、タキシード姿の男性が、階段を下りてくる。スラックスに手を入れていて、ゆったりと歩きながら、焦ることもなく近づくと、指につまんだ物質をかかげて、いった。

「……困ったものだ。だからきみを生かしておいたんだ。本物はどこかな、お嬢さん? これはニセモノだ」

 また、ドラムの音が鳴り響く。ゲストの歓声が上がる。誰もが楽しんでいる船のデッキで、ミスター・マエストロは物質を左手に握ると、一歩しりぞき、右手を軽く突き出す仕草を見せる。

「飛び込め!」

 デイビッドの叫び声が、けたたましいドラムの音にかき消される。ともかく、わたしたちは同時に、鉄柵からいきおいをつけてジャンプし、漆黒の海へ飛び込んだのだ。

<<もどる 目次 続きを読む>>

bottom of page