top of page
title_mgoz2009.png

SEASON FINAL ACT.18

 スネイク兄弟は、システムナインで、テリーらしき声を聞いたといっていたけれど、パーティの準備をしただけで、そのあと船から降りちゃった?

 考えてみたら、そうしてもおかしくはない。だって、スネイク兄弟とデイビッドの豪邸で、テリー&ジョージアの内緒話を盗み聞きした内容からすると、テリーはジョージアと付き合っていた、みたいだった。なのにジョージアは、テリーの異母兄弟であるジェイクと婚約してしまったのだ。

 テリーにすれば、面白いわけがない。パーティの準備を手伝っただけで、理由をつけて欠席しても、フェスラー家からなんとなく疎外されているテリーを、無理に出席させる人なんて、いないのではないだろうか。

 ということは。この船にはマエストロしか、乗っていない?

「ずいぶん人がいるな。おかげでひとりの人間を見つけるにも苦労する」

 さっさとくっつけてしまいたいのだろう、マノロが指に、小さな盗聴器をつまんでかかげた。

「早く来い」

 前を歩くマノロが、ずんずんと階段を上る。上った先には、天井の低い四部屋の客室があり、ドアの前にさまざまなカップルが立って、グラス片手に談笑している。

 テリー不在説で頭がいっぱいになり、階段の途中で立ち止まったわたしに気づき、あきらかにイラついているようなしかめ面で、マノロが肩越しに振り返った。

 マノロがクリス・カーターをどうするつもりなのか、わかりたくもないけれど、それ以前に、テリーがいないのなら(まだわからないけれど)、このままマノロにくっついて行くべきではない、という考えにおそわれる。だからわたしは、逃げることに決める。

 まあ、逃げるとはいってもここは船の中で、しかも海の上。逃げられるわけもないけれど、人ごみにまぎれつつ、なるべくマノロから離れて、テリーが乗っているのかいないのか、誰かに訊ねることにしよう。

「あ、のう。ちょっとトイレに……」

 告げた瞬間、船がほんのすこし揺れる。

 階段に手をついたマノロの指から、盗聴器が転げ落ちて、わたしの革靴にあたる。すぐさま拾い、マノロがわたしのそばまで降りてくるのを待たず、背中を向けていっきに走る。もちろん、マノロは追って来る。だからわたしは、料理ゾーンを抜け、船尾デッキへ通じる手前、船内左側のドアを開ける。そこは女性用の化粧室だ。けれども残念なことに、鏡に向かって化粧をなおしていた中年女性に「きゃあっ!」と叫ばれる。タキシードを着た男の子だと、思われてしまったのだ。

「し、失礼!」

 わたしは女の子なのに! まったく、だからあの魔女チームにいじられたくないのだ。どうして? どうして、フツーのドレスを着させてくれなかったの! 

 ドアを開け、周囲を見まわせば、マノロは反対側通路へ出て行った。そのすきに対面しているドアを、勇気をふりしぼって開けてみた。そこは男性用トイレで、タイを整える高齢の男性がいるだけ。わたしを一瞥したものの、男性はなにごともなく出て行った。わたしはふたつ並んだ個室の奥のドアを開け、閉めてからほうっと深い息をつく。

 それにしても。とうとう盗聴器が、わたしの手に入ってしまった。とはいえ、テリーが乗っていないのなら、くっつけることもできない。つまんで観察すれば、赤いライトが点滅している。これは作動してます、というしるし、なのだろうか? わからないけど、そのままポケットに入れてみた。

 ともかく、ひとまず落ち着こう。とりあえず、マノロからは逃れたし、いまわたしがすべきことは、テリーが不在かもという個人的見解を、誰かに伝えることだ。というわけで、無線機のスイッチを入れる。

「お、応答せよ、こちらニコル!」

『……まだ料理ゾーンの下なのか?』

 アーサーの口調は、きみにかまってる暇などない、といわんばかりだ。

「もう出たよ。それで、パトリシアに迫られて、デイビッドがわたしを見つけてくれて、だけどクリス・カーターもいて、クリス・カーターがデイビッドに、いやーな感じのことをいったの!」

『なんですって、クリス・カーター!? ニコル、それって、イケてないロルダー騎士役の俳優じゃない!?』

 いきなり、声がキャシーに変わった。

「う! そ、そうそう、そうなの、キャシー。もう、ほんと最悪。性格もおかしげな感じで、いやみたっぷりだったんだから!」

 あいつの首をいますぐ締めて、とキャシーが叫ぶ。わたしは、映画の制作会社に、ロルダー騎士役を代えてくれという手紙を、大量に書くことをキャシーと約束した……って、ん? あれ、わたしなにをしゃべってるんだろ、と気づいたところで。

『用事はそれだけか? 切るぞ!』

 アーサーにいわれる。おっと、大変だ。いや、そうではなくて!

「ち、違うの。わたし、いまマノロから逃げていて、男性用トイレにいるんだけど」

 ふ、とアーサーが笑ったような気がしたけれど、気のせいだろう。

「もしかしたら」

 テリーは乗っていないかも、といおうとした矢先、ドアの開けられる気配を感じた。マノロだと思ったので、とっさにスイッチを切り、便座の蓋の上に座って足を上げ、両腕で膝を抱く。

「鍵をかけろ」

 けれども、入って来たのはマノロではなかった。声が違う。しかも、ひとりではなさそうだ。そのうえ、鍵をかけろだなんて、誰にも入ってほしくはない、らしい。ということはこれは、あきらかに、内緒話、なのでは?

 さらに力を込めて膝を抱き、う、と息をのむ。

「わかっている。ネズミはほうっておけ。どのみち暗黒行きだ」

 ひとりがいう。

「キャシディが乗ってます」

 もうひとりがいった。

「あいつはパンサーではない。ただの金持ちのガキだ。パンサーはほかにいるが、ダメージをくわえたぞ。装置は隠しておけ。ホランドも追いかけるな。もう役目は終わりだ。なにがそんなに不安なんだ? 不安なことなど、なにもない」

「ええ、まあ。……そういえば、あの娘が見あたりません」

 その言葉に、さっきと同じ声音の男が、静かに答えた。

「大丈夫だ、乗っている。化粧で化けているんだろう。名前も偽名で乗船しているはずだ。カツラをつけているかもしれない。そういえばさっき、キャシディがデッキで、誰かとしゃべっていたな?」

「同年代ふうのガキです。タキシードを着ていたので、男です」

「……わかった。今朝見ただろう、あれに似たような背格好の、着飾った娘を捜せ。それよりも、もう呼び出すな。腕時計の針は合わせてあるだろう。筋書きどおりに動けば、なにも失敗はない。今夜シティから、すべてのギャングが消える。そして、もっとも力を持つのは、わたし」

 ゲストのふりを続けろと、男がいう。トイレのドアが開くたびに、デッキから流れる音楽の音量が増す。わたしは身体中の震えを、なんとか押さえ込むために、まぶたを閉じ、膝の中へ顔を埋める。

 ドアが閉められる。でも、まだ誰かの気配が残っている。

 その気配をただよわせているのは、ミスター・マエストロだ。タイルの床を、革靴の歩きまわる音がたつ。ふたつしかない個室の、隣のドアが開けられた。それから、わたしのいる個室のノブが、くるりとまわされる。もうダメだ、と思ったところで、また音楽が大きくなる。

 誰かがトイレに入って来たのだ。手が離れたのか、ノブの動きが止まる。

 入った誰かが、マエストロに向かっていった。

「失礼。お父さまが捜しているわよ。スレイドさんがここから出てきた時、ドア越しにあなたの姿が見えたから」

 それは女性の声だった。そして彼女が、告げた。

「いらして、テリー」

★  ★  ★

 

 女性用の化粧室へ入れなくても、男の子に見えるおかげで、どうやらわたしは命拾いをしていたようだ。

 呆然としたままトイレから出たので、マノロに見つかっても、逃げるという思考が働かなかった。マノロはなにやら文句をいいながら、わたしの腕を引っ張って、またもや二階へ向かって行く。

 その間わたしは、アーサーの手に入れたマエストロ本のことを、思い出していた。マエストロは変装の名人なのだ。だからテリーに変装して、船に乗っていた、ということになる?

 でも、変装には難しい部分がある(まあ、わたしもある意味、変装していることになるけれども)。たとえば、老人に化けるなら、髭をつけたり、白髪のカツラをかぶったりできる。でも、眼鏡すらかけていない、健康でハンサムな若い男性に変装するって、いったいどうやったらできるのだろう? それこそ、デイビッドの、いつかの特殊メイクさながら? 暗がりならまだしも、不自然さは絶対に残るのではないだろうか。それにデイビッドは、誰かになりすましたわけではない。

 テリーを見かけた誰もが、その姿におかしげな部分を見つけられない、というほど、マエストロの変装技術は科学並み、ということ? もしくはテリー自身が、カルロスさんみたいに、マエストロに催眠術をかけられちゃってる、とか? 

 そもそも、マエストロの片目は義眼だ。まさか、義眼、というのも嘘だったりして? うーん、ううーん。もしも義眼が嘘だとすれば、アイパッチで片方の顔を隠せるという利点はある。でも、わざわざそんなことをするかな? だって、そんなの、まるで誰かが……、とまで考えてぎくりとする。

 それとも……。それとも、まさか。

 まさか!?

 ひとつの考えが過った時、マノロが客室のドアを開けて、中にいた見知らぬカップルを追い出してから、わたしを押し込め、ドアを閉めた。だけどわたしの頭は、いまやマエストロとテリーのことでいっぱい。これはいますぐ、アーサーに伝えるべきことだ、間違いなく! はっとした瞬間、いきなり現実に引き戻されて、おののく。

 わたしったらいつの間に、客室のベッドに腰掛けていたんだろ。

「逃げるとはいい度胸だな、チャック。クリス・カーターをどうにかするまえに、きみをきちんと手なずけておいたほうがよさそうだ」

 ドア口に立ったマノロは、たばこをくわえて火をつけた。これはとっても、マズい状況だ。だけど、ここにマノロといたら、マエストロには見つからないかも? 見つかったとしても、わたしひとりではないから安心かな……って、いや、そんなわけはない! というか、というか、だから、こういうふうなことになりそうな予感がしたから、逃げていたんだってば、わたし!

 なんというデジャブ感。木目をよそおった壁に、真っ赤な絨毯敷きの床。低い天井に埋め込まれたライトはぼんやりと暗くて、狭い客室はすみからすみまで、シルク素材のカバーのかかった、大きなベッドに浸食されていた。こんなの、こんなの、いますぐ大人モードなことをしろと、いっているみたいな空間じゃない。

 そんな狭い空間を、たばこの煙を揺らしながら、マノロが歩きまわっていた。そのようすをベッドに座って、見ていることしかもはやできない。

 こういった場合、もっともおっかないのは、相手がなにをするつもりなのか、予測がつかないということだ。しかもその相手は、生粋のギャングなのだ。

 どうしよう、もう、なにもかもがおっかない。テリーとマエストロのこともおっかないし、テリー(マエストロ?)のいっていた「暗黒行き」といった言葉の意味も、ものすごく気になる。マノロにいうべきだろうか……というよりも、あ、そうだ。

「テリーいました! 盗聴器を……」

 って、仕掛けるどころか、わたしが持っていたのだった。まさに本末転倒、うう、うううううー!

「時間はまだある。よこせ」

 わたしの目の前に立ったマノロが、くわえたばこで左手を伸ばす。それから、ベッド脇のサイドテーブルの灰皿に、右手で吸い殻を押し付けた。氷みたいな冷たい視線で見下ろされ、おそろしすぎて身動きも満足にできない。

 震えながらもなんとか、ポケットに右手を突っ込み、拾った盗聴器を差し出したけれど、思いきり手首をつかまれて、無理矢理立たされた直後、肩を押されて、背中からベッドに落とされた。

 かつてないほどのマズさだ……なんて、冷静に観察、している場合ではない! とっても、とっても、とってもマズすぎる体勢だ! どうしよう、いや、どうにもできない、でもなんとかすべきだ。というわけで、両腕を天井に向けるみたいにして、つっぱらせてみる。そのつっぱりの先にあるのはもちろん、マノロの肩だ。こういう時のために、普段から腕立て伏せをしておくべきだった。

 身体中の力を腕に込めてみたものの、せいいっぱいのチャレンジもあっさりくつがえされて、ものすごい重みがのしかかる。うーん、この重さは……パン何個分くらいかな? って、逃避している場合でもない! まぶたをきつく閉じたら、首筋に柔らかいなにかがぞわぞわと這っていて、これは芋虫だと思うことにしてみたけれど、うまくいかない。

「いい子にしていれば、悪いことはなにもない」

 いいや、悪いことだらけですから! 蹴ってやりたいのに、パン一億万個分(たぶん)の重みがのしかかっていて、ずぶずぶとスプリングに身体が埋まっていく。もっとこう、押すと弾かれるぐらいの、固いスプリングのベッドをいますぐ希望したい! ひゃあ、ひゃああ、あっちこっちにいっぱい手のある化け物みたいだ。ああ、シャツの下に手が!

 硬直して動けずにいたら、いきなりドアが開けられた。姿を見せたのは、ベストにシャツ姿のウエイターで、トレイを持ったまますぐに

「おっと。失礼」

 ドアを閉めてしまう。いいや、全然失礼ではないし、むしろご招待します……って、もう、どうしよう!

「ペ、ペ、ペ、ペットとこういうことは、しないと思います!」

 叫んでみた。どアップのマノロが、にやっとした直後、またもやドアが開く。さっきのウエイターだ。もじゃもじゃの黒髪に鼻髭で、おもちゃみたいな、丸い形の眼鏡をかけている。そんなウエイターの顔は、ライトが暗すぎてよく見えない。

「なんだ、頼んでないぞ、邪魔だ」とマノロ。

 ウエイターは顔をしかめ、マノロを気にせずわたしを見た。

「……もしかして、困ってる?」

 とおおおっても、困ってます! 小刻みに二度うなずいたら、ドアを閉めたウエイターが、ゆっくりとサイドテーブルにグラスを置く。そのようすをあ然としながら見つめていたら、マノロの頭に向かって、ウエイターがいきなり、トレイの角を振り落とした。

 手のひらで頭をおさえ、身体をよじらせるマノロから逃れる。助かったけれど、これはかなり最悪だ。マノロがジャケットの中へ手を入れる。あきらかにたばこを出すつもり、ではないだろう。

「ピ、ピストルを持ってます!」

 ウエイターがうなずいた。マノロの襟首をつかみあげると、振り返ったマノロの左頬を、なんと、殴ってしまった。それも、かなり思いきり。ウエイターはベッドをまわり込み、壁とベッドのすき間に落ちたマノロの胸ぐらをつかみ、またもや左頬を殴る。にぶい音とともに、壁に後頭部が直撃して、マノロは身体を丸めてうめく。

 ウエイターは、マノロの首のタイを引っ張り、後ろ手にしたマノロの両手首をぎゅうっと、それで、縛ってしまった。その間わたしは、ぽかんと口を開けて見ていただけ。変な髪型に変な形の眼鏡なのに、そんな姿に似つかわしくない華麗な動きで、びっくりしていたからだ。

「……この人、知ってるんだ。きみ、彼と一緒だったみたいな、女の子を知らない?」

 ん?

 立ち上がったウエイターは、右手を揺らしながら苦笑する。

「誰かを殴ると痛いってこと、ずっと忘れてたな」

「……お。女の子?」

「そう。きみぐらいの身長で、ビートルズみたいなショートヘアで、ドレスがどういうのかはわからないんだけど」

 このウエイターが捜している人物は、わたしのような気がしてきた。

「……あ、あなた、誰?」

「ウエイターだよ。そういうきみこそ、誰?」 

 よく見れば、身長は同じくらいだ。だけど、この船に乗っているはずがない。でも、もしも乗船に間に合ったのだとすれば、わたしのことがわからなくても仕方がない。だって、WJは、わたしがこんな姿になっていることを、知らないのだ。

「わ、わたし。わたしがニコル!」

 ウエイターが、のけぞった。

「え! 嘘だろ」

「WJ!?」

「そうだよ」

「ほ、ほ、本当。というか、あなたこそどうしてここにいるの? というか、それ、なに!?」

「ホテルのショップで見つけたんだよ。ええ? なんだって? じゃあ、ここであんな……」

 両手で顔をおおい、うなだれる。

「あ、あ、あのね、これには長い理由が」

「わかってる。きみのせいじゃない、きみのせいじゃない、きみのせいじゃないんだ。でも、だったら追加しなくちゃ」

 WJがマノロを見下ろす。マノロはうめきながら、こちらをにらむ。

「あとで見てろ。たっぷりかわいがってやる」

 しゃがんだWJは、マノロのジャケットをまさぐり、ピストルを取り上げるとベルトへ突っ込む。そして、胸ぐらをぐいっとつかみ、

「それは光栄」

 いって、ふたたび頬を殴った。とうとう床に伏したマノロを見下ろしてから、ため息をついてわたしを見つめる。

「あのさ」

「う、うん」

「ああいうことをしてもいい相手は、ひとりだと思うけど?」

「う。し、したくてしてたわけじゃないもの! というか、するとかしないとか、そんな大人モードゾーンまではいってない! 全然!」

 WJがおかしな眼鏡を取る。鼻にくっつけた髭も取ると、顔の輪郭がくっきりと、ライトに照らされた。とたんにわたしは嬉しくなって、泣きたくなってしまう。

「起きたんだね」

「そう。たっぷり眠ったよ。まだ完璧じゃないけど。それで? テリーはいたの? マエストロは?」  

 そうだった。だからわたしは、WJの手を取り、腕を引っ張って告げた。

「WJ。テリーが、ミスター・マエストロ、なんだよ」

<<もどる 目次 続きを読む>>

bottom of page