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SEASON FINAL ACT.16

 楽しい時間はすぐに過ぎるのに、息苦しい時間はどうしてこうも長いのだろう。ほんの一分が一時間くらいに思える。

 港まで走るリムジンの中で、緊張しながら両手を握り、じいっとしていたら、ミス・ルルによってほどこされた、おそるべき変身メイクの額に、じんわりと汗が浮いてきた。暑いわけではない。おっかないからだ!

 こんなことになる以前、わたしにとって身近な大人は、パパとママ&キャシーのママか、芸人協会の人、それに学校の先生たち、だけだった。ほんの二週間前まで、わたしの日常は、おもに家と学校の往復で、たまにパパとママの手伝いで、お金持ちのイベントに呼ばれるていど。ピエロの恰好でお金持ちのイベントへ呼ばれたところで、誰かと仲良しになれるわけではない。そこには目に見えない薄い壁のようなものがあって、あっちの世界(お金持ち)とこっちの世界(庶民)が、きっちりくっきり、隔てられているのだ。

 呼ばれる家には、素敵な大人の男性が、たいがいひとりくらいいたりする。大学生くらいで、キュートなガールフレンドを連れていて、指をからませるみたいな感じで、手をつないで、こっちの(庶民の)お仕事(つまり、披露する芸)を、にっこりしながら眺めていたりする。そういった場面を、ピエロの姿で観察しながら、わたしにはあんなボーイフレンドはできないだろうと、よく落ち込んだ。だって、学校でわたしを気にする男の子なんて、ほんとうに、ほんとうに、皆無だったのだから。

 つまり、なにがいいたいのかというと。

 わたしはどうして、おっかない大人の男性、マノロ・ヴィンセントと車に乗っているのだろう、ということだ。

 マノロはわたしを殺そうとした張本人だし、そのうえギャングだ。フツーに暮らしていたら、絶対にお知り合いになるはずのない相手なのだ。なのに、お知り合いになってしまった。というか、なってしまっている。マノロの年齢はわからないけれど、少なくとも十歳くらいは上だろう。正装している大人の男性は、無条件で素敵に見えるけれど(大人じゃなくても素敵に見えるけれども)、いま以上にはお近づきになりたくない。というか、耐えられない。

「つ、着きました!?」

 真正面を向いたまま、叫んでみた。リムジンが出発して、もう三十分くらいは経ったはずだ。

「出発したばかりだぞ、チャック。なぜそう、緊張するんだ?」

 右隣に座っているマノロにいわれた。あなたがギャングだからですというべき? いいや、いえない。ここで胸を触らせてみるべきだろうか? でも、そんな行為におよべる余裕なんて、すでにない。

 マノロがたばこに火をつける。そして、わたしを横目にしている、気がする。気がする、というのは、真正面しか見ていないので、わからないからだ! しかも、首のあたりがもぞもぞする。もぞもぞしているのは、背もたれに左腕を添えたマノロの指が、動いているからに違いない。うううう!

 パニくりそうになりながら、きつくまぶたを閉じると、マノロがいう。

「緊張している人間を観察できるというのは、いいものだな。なんでもいうことをききます、という態度に思えて、気分がいい」

 ききたくないです。早く、早く着いて!

「そういえば、ファミリーの中にグイードの人間が混ざっていて、きなくさいと思って脅したら、あいつもいまのきみのような態度になっていたな」

 グイードファミリーの、自称アーティストに拉致されたことを思い出した。ヴィンセントファミリーに、スパイを送っていたと、赤シャツのドン・グイードはいったはずだ。

「そ、それで、そ、その人は?」

 アーサートラウマなんて考えていられない。まぶたを閉じたまま、うなじのあたりでぐるぐる動く、マノロの指の感触に耐えながら、おどおどした口調で訊く。くそう、もっと、氷の女王みたいな威圧的な態度になりたいのに!

「新聞は見ていないのか? まあ、見ていたとしても、よくある、たいしたことのない、交通事故の記事だから見落とすか」

 さすがギャング。交通事故に見せかけて……、これ以上はいわれなくてもわかります。パニくりが頂点に達してしまい、マノロがいったい、わたしを相手にして、なにをしたいのか追求したくなってきた。もしかして友達になりたいとか? ……って、わかってる、そんなわけない。

「あ、あなたは、わ、わたしと、なにがどうなってどうしたい……んですか!?」

 いきおいあまって、うわずった声になってしまった。まったく、氷の女王が聞いてあきれちゃう!

 指の感触がぱたりと止る。細くまぶたを開けて、隣のマノロを横目にしてみる。マノロはわたしを、じいっと見ていた。たぶん、ほかの女性ならうっとりしてしまうような眼差しで。もしくは、同じ趣味の男性であれば、いますぐに抱きつくのではないかと思われるような、視線で。

「どうなって、どうしたいか、か……。いっておくが、おれは面食いじゃない。ジョセフもかわいい感じだろ?」

 そうは思えない。

「昔はもっとかわいい感じだった。小太りで頬が赤くて、始終鼻水をくっつけていて、髪がくしゃっとしてて、風に揺れると綿菓子みたいになって、ふわふわになるんだ。それが……大学に入る頃には、まるきり普通になってしまった。わかるか?」

 まったくわからない。女性が苦手なうえに、特殊な好み、みたいだ。

「祖父がドンだった頃、おれのファミリーとやつのファミリーは持ちつ持たれつ、わりと仲がよかったんだ。だからよく遊んだものだ。あいつは兄弟の中で、一番自由な感じだった。おれには兄と姉しかいなかったし、自分の家族がギャングだってこともわかっていたから、将来の選択なんて自由はなかった。もちろん、ファミリーのことは愛しているし、望んでこうなったともいえる。それでもときおり、ひどく疲れるものだ、こういった仕事は。だから、チャック」

 いって、わたしの右足に、ぐっと手を置いた。う!

「知ってるか? ペットは飼い主のストレスを緩和してくれるものだ」

 なるほど、日々、すごいストレスにおそわれているらしい……なんて、納得している場合ではないし、わたしの疑問について、なんの返答にもなっていない……のでは?

「じゃ、じゃあ、本物のペットを飼ったらいいです。もしくは、チャ、チャックと同じ種類の!」

 わたしの足に手を置いたまま、身を乗り出したマノロが笑う。ものすごく、皮肉っぽく。

「なぜわからないんだ? おれは自分のいいなりになる、会話のできるペットを欲しているんだ。ごつごつしている感じでもなく、柔らかすぎる感じでもない、ちょうどいい感触のペットだ。ZENできみを見た時、間違いないと思った。ところがきみは、おそるべき性別の持ち主で、キレたことはたしかだが、それについて謝るつもりはない。生きていてよかったな」

 決定。この人を育てたのは、ドン・ヴィンセントか、この人のママ、なんだろうけど、育て方があきらかに……失敗してる!

「わ、わたしはいまも女の子なのに!」

「それは納得した。この際それは許す。ただし、これ以上太るな」

 大変だ。マノロの中で、わたしがすっかり「ペットでオーケイ」宣言をしちゃった、ことになってる。

「は、犯罪、ですよ! わたし、未成年ですし!」

 悪魔のごとき笑みを浮かべて、マノロが声を上げて笑った。犯罪だなんてなにをいまさら、ということみたいだ。ええ、ですよね。

 車の中の灰皿にたばこを押し付けたマノロが、わたしの両頬をむんずとつかんだ。つかまれすぎて、口がアヒルみたいになる。これ以上は耐えられない。車から突き落とされてもかまわないので、カミングアウトするしかない!

「ボ、ボーイフレンロ、いるんれしゅ!」

 アヒルみたいな口なので、うまくいえなかったものの、ぎゅうっとまぶたを閉じて叫ぶ。するとさらに、マノロの指が頬にくいこむ。

「いまのは聞こえなかったな」

 泣いてもいいかな? いや、泣いてどうにかなる相手とは思えない。

「しゅ、しゅきなひとが、いるんれっしゅ!」

 うまく伝わった……気がしない。あああああ、もうううう! いますぐこの人を、警察に突き出したい!

「元パンサーか? あいつは本当にパワーがなくなったらしいな。車の中で暴れることしかできなかったみたいだぞ。だったらあいつを殺せばいい。そうすればきみのボーイフレンドとやらは、この世で不在だ」

 えええええ? どおーしてそうなっちゃうの? 

「ひょ、ひょれはダメれす! れいうか、違いましゅ!」

 ぱっと、頬からマノロの手が離れた。わたしに顔を近づけたマノロが訊く。

「違うのか? じゃあ、誰だ?」

 命にかかわらない相手は、この世界でひとりしかいない。ごめん、キャシー。

「……ロルダー騎士、です」

 のけぞったわたしの頭が、車窓にくっつく。わたしにおおいかぶさるみたいにして、同じく窓に手をついたマノロが、わたしを見下ろして、顔を思いきりしかめた。ブラウンの前髪が、わたしの額にあたってこそばゆい!

「……誰だ、それは」

 だからわたしは、答えるしかない。

「う。……闇の森に住んでいる、伝説の騎士、です」

 直後、リムジンが停まり、運転していたファミリーの男がいった。

「着きました」

★  ★  ★

 

 港にずらりと駐車された、リムジンの列。そこから降りる人びとが、フェスラー家に雇われているらしい、正装した男性たちに誘導されて、観光クルーズ用の施設へ入る。施設は横幅の広い石造りの、かなり古い三階建ての建物だ。とはいえ、中へ入ればホテルのロビーさながら、ピカピカの床に家具が配されてあり、中には乗船カウンター、格子の下ろされたギフトショップ、コーヒーショップ、ブックストアがある。

「パーティへお越しのゲストはこちらへ」

 一階の左側に、赤い絨毯の敷かれた階段があり(普段は違う)、そこにも誘導する男性が立っている。マノロはわたしの右腕をつかんだまま、招待状を掲げて、階段をのぼる。トレイにドリンクを載せたウエイターが、マノロに向かってグラスを差し出す。受け取ったマノロは、それをぐっとあおると、ふたたびわたしの腕をつかんで、歩き出す。

 階段をのぼった全面ガラス張りの正面に、これから乗船する、名付けて「恐怖のマエストロ号」が、ライトアップされて停泊しているのが見えた。その船のどこかには、時間を止める装置があり、テリーとマエストロがものすごく、よからぬことをおっぱじめてしまおうとしている、はずなのだ。そんな危機的状況の中、わたしはがっしりと、マノロに右腕をつかまれたまま、乗船口まで歩かされる。

 というか、デイビッドはどこ? デイビッドの姿が、どこにも見えないのはどうして!? 

 レストランの支配人さながら、招待客のリストを手にした男性に、施設内の乗船口で名前を訊かれる。そこでも招待状を見せたマノロは、自分の名前を告げて、自分のペット(もとい、プラスワン。それはわたし)を見る。

「……チャック・スミス、です」

 ちらりとわたしを見やった男性は、すぐさまにっこりして、乗船口へ通してくれた。というか、どうしよう、デイビッドがまるきり見つからない! そうだ、船のトイレに入って、無線機でデイビッドを呼び出せばいいのだ。とはいえ、視線は落ち着かない。着飾ったセレブたちの姿は、どれもテレビや新聞や雑誌で見たことのある顔ばかりで、ここに自分がいていいのかどうなのか、だんだん不安になってくる。

 ゆるやかに下降するトンネルみたいな通路を歩きながら、いきなりマノロがいった。

「クリス・カーターなら、来るかもしれないな」

 ん?

「クリス・カーター?」

「アホらしい映画の主人公を演じる、ステッドン・ハイスクールのガキだ。ZENにも来るし、テレビにも出ていたぞ。ロルダー騎士とは、そいつのことだな?」

 マズい。すっかり忘れていたけれど「闇の騎士シリーズ」は、映画化になるのだった。キャシーのいっていた、イケてないロルダー騎士役の新人俳優が、わたしの好きな相手だと、マノロは思ってしまったらしい。しかも、まさかシティの、お金持ちばかりが通っている高校の生徒だったなんて、まるきり知らなかった。そんなの、そんなの、身近すぎてリアルすぎる!

 見たことも会ったこともないクリス・カーターが、わたしのせいでギャングに殺される!

「ちっ、違う違う、違います!」

 足を止めたマノロが、わたしを振り返った。いい加減にしろ、といわんばかりに、片眉を上げるとわたしを見下ろす。

「……チャック。おれは嘘はきらいだ。わかるな?」

 とてもわかっています。

「そ、そうではなくて。わたしのいうロルダー騎士はコミックの」

 おろおろするわたしの言葉を、マノロがさえぎる。

「いいか、チャック。きみが仲良くなってもいいのは、飼い主だけだ。飼い主は誰だ?」

 にっこりする。そのにっこりが、最高におそろしい。

「そうだろう? ほかに飼い主はいらないんだ」

 くそう、くそう! もう、ここで胸を触らせてやる! パニくりがマックスを超えると、ひらきなおってしまうらしい。わたしはつかまれていた腕を振りほどき、マノロの手を両手で握りしめ、自分の胸に押し付けて、みた。 

 WJごめんね、あとできっとカミングアウトするから、許して!

「や、やわらかくって、気持ち悪いでしょ!」

 むうっと顔をしかめたマノロは、されるがまま、自分の手を見て、にやりとした。

「……本当は男なんだな?」

 信じられない、違うのに! どうしよう、自分のバストサイズに、いっきに自信をなくしてしまった。すると、いきなり背後でいわれた。

「あら。発展的な方」

 女性の声で、振り返る。通路のど真ん中で、大人の男性に胸を触らせる、性別不明なタキシード姿の……いちおう、その場に見合うメイク的着ぐるみをまとったわたしに、声をかけたのは。

「……あなた、素敵ね」

 胸の谷間がバッチリ見える、光沢のある黒いドレス、ミステリアスな風貌の、黒髪をきっちりとまとめた若い美女には、見覚えがあるどころか、いますぐサインしてもらいたい相手。

 かつ、デイビッドのおそれていた……パトリシア・リー、だった。

 濡れたような真っ赤な口元の口角を上げると、わたしをなめるように見る。くすっと笑ってから「あとでね」といわんばかりの、熱すぎる眼差しをそそいでから、わたしとマノロを追い越して、通路を歩いて行った。

 デイビッドはいないし、テリーもマエストロも、どこにいるのかわからない。こんなことをしている場合ではないというのに、わたしは自分の胸に、ギャングの手を押し付けている。

 もう、今夜が無事に終わる、ような気がしない。まったく!

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