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SEASON FINAL ACT.13

 わたしを窓から突き落とした、本物のギャングが、女の子版アル・カポネと化してしまったわたしを見ている……。ふふふ、とか、脱力した笑みを浮かべている場合ではない。

 いますぐに、この着ぐるみを脱ぎたい!

「……やれやれだな、ニコル。今度はちびっこギャングか?」

 ソファに座っているアーサーが、わたしを見て苦笑する。

「そのドラマ大好き! 子どものころ、再放送をよく見てたわ!」

 即座にキャシーがいう。

「おれも見てた。スパンキーのファンだった」

 わたしの友達の会話に、すんなり入るマノロの存在に、なにか納得がいかない。

 くわえたばこのレベッカがわたしに近づき、そばにしゃがむと、ボーイズサイズのスラックスの裾が長いとつぶやく。なるほど、このタキシードのサイズは、十二歳の男の子用なのだ。十二歳の男の子よりも、わたしの足は短いらしい。というよりも、どうしてこのサイズのタキシードを用意していたのか、疑問がわく。デイビッドにこのサイズがピッタリなわけはないので、どう考えても、あらかじめわたしを想定していたとしか思えない。

 裾を上げるから脱いでとレベッカにいわれたので、結局浴室で、ジャケットとスラックスを脱ぎ、シャツにタイに、もともと履いていたデニムという間抜けな恰好で、くつろぐはめになる。

 リビングにいるマノロが、なにしろおっかないので、モードチームの影に隠れるようにして、奥のリビングのソファに座る。それにしても、ジョセフはまだ手術中のはず。そのうえパーティまでまだ時間があるというのに、マノロはどうして、のん気にこの部屋で、葉巻を吸っているのだろうか?

 そんなわたしのクエッションマークを察した、のかどうかはわからないけれども、カルロスさんがジョセフの容態について訊ねる。マノロは焦ることもなく、わたしをじいっと見つめたまま、大丈夫だろうと返答した。

「大丈夫かヤバそうかくらいは、ひと目でわかる。ガキのころから、たんまり見てきたからな」

 なるほど。経験してきた重みというべきか、納得のいく答えを、ありがとうございます。そしてマノロはまだ、わたしに視線を送っている。ペットの面影がなくなったことに激昂し、いましもピストルを(コーラの瓶を持つ手軽さで)振りまわすのではないかという、恐怖におののきつつ、メイク道具を片付けるミス・ルルの巨体のうしろに隠れていると、いきなりマノロがいった。

「……エレベーターで、リチャード・フランクルを見たぞ。あの刑事、まだここにいるのか?」

「警部殿にはお帰りいただいたんだけどね、彼には協力してもらっているんだよ」

 カルロスさんが答えると、マノロがにんまりとした。

「ほう。どういう協力なのかはわからないが、女とキスしてたぞ?」

 その場にいた全員の動きが、一瞬ピタリと止った。葉巻を吸い殻に押し付けたマノロが続ける。

「顔が変わってたような気もするが、あの女は、きみらの仲間なんじゃないのか? ディオールの香水」

「スーザンだ」

 デイビッドの声に、全員の視線がカルロスさんにそそがれた。そこで、ミス・ホランドのささやきが部屋にひびく。

「……復讐ね。きっとそうよ。浮気性な男性への復讐」

「スーザンさんって、リックより十歳以上年上?」

 リックに恋心を抱いていた、キャシーの疑問に答えたのは、ガウン姿でコーラを飲むデイビッドだ。

「スーザンは二十六歳だよ」

 わたしから見えるアーサーの横顔が、凍る。そばに座っているキャシーが、ぐっと顔をしかめてアーサーをにらんだ。

「まあ、年上だけれど……、リックの好みは、もっとちょっと、違うんじゃなかった?」

 そう、リックの好みは十歳以上年上の女性なのだ、アーサーの嘘によれば。不穏な空気が流れはじめたところで、さりげなくカルロスさんが部屋を出て行った。なにもいわず、無言で。そこで、アーサーはポーカーフェイスのまま、眼鏡を上げるといった。

「ミス・ジョーンズも、媚薬を持ってるんだろう」

「え! もしかしてそれ、売ってるの?」

 目を丸めて、キャシーがアーサーを見つめる。 

「……売って、るんだろうな」

 平然とアーサーが答えた。うん、そんなわけはない。

★  ★  ★

 

 スラックスの裾を上げ終えたレベッカは、アシスタントとミス・ルルとともに去った。カルロスさんはまだ部屋に戻らず、時間は刻々と過ぎていく。その間にわたしは二度、WJのようすをたしかめるために、寝室をのぞいた。WJはぐっすりと眠っていて、頬を指でつついてみたけれど、起きる気配がなかったので、ちょっとだけ額にキスしてみた。

 今夜のウイークエンド・ショーに、パンサーが登場することはないだろう。当初の予定どおり、コメディの特集が流れて、わたしはデイビッドとマノロと一緒に、フェスラー家の婚約パーティへおもむく。テリー・フェスラーに、マノロが盗聴器をしかけたら、すぐさまマルタンさんたちの乗っているボートに移り、船から去る。たったそれだけのことだ。そう考えると、たいしたことではないように思えてきて、ほっとする。

 それにしても。

 ホテルのこの部屋に、マエストロのあらわれる気配は、まったくない。ミス・ホランドがここにいることを、知っているのかいないのかはわからないけれど、船に装置があり、今夜なにかをするつもりなのであれば、ミス・ホランドは必要な存在のはずだ。だからこそ、この静けさがとっても不気味だ。

 寝室を出たところで、無線機を片手に持つアーサーがいう。

「スネイク兄弟と連絡がついたぞ。FBI女に盗聴機器を借りたそうだ。録音できるテープの時間は百二十分。港で待機しているらしい」

「港で落ち合うってのも、目立ちそうで嫌だな。いったん戻ってもらったらどうなんだ?」

 デイビッドの提案に、だったら、とマノロがさらに提案する。

「おれの店で受け取ればいい。ダウンタウンのロストクラブで」

 ロストクラブは、いかにもギャングが取り引きに使いそうな、高級キャバレーだ。できることなら、行きたくはない。すると、マノロが寝室のドアを閉めたばかりの、わたしを指した。

「着替えろ。行くぞ」

 ん? わたしではなくて、わたしの背後に、マノロの手下がいるんじゃないだろうかと、振り返ってみた。うん、ドアしかないし、誰もいないし、あきらかに、わたしに対して命じているようだ。それに、まだ午後になったばかりなので、受け取るには早すぎる時間といえる、のではないだろうか?

「わ、わたしはここで待ってま……っす」

 眉根をひそめたマノロは、この恰好では行けないんだと両手を広げる。たしかに、マノロは今朝見かけた時と同じただのスーツ姿で、パーティ用の正装ではない(しかも若干、袖口のあたりが真っ黒ににじんでいる気がする。それはジョセフの血のあと……だったりして?)。だけど、自分の装いとわたしが行くことには、なんのつながりもないはずだ。

「あんた、いったん帰ったらどうなんだよ?」

 おそろしい。ギャングに対しての正しい口調とは思えない、投げやりな声音でデイビッドがいった。マノロの片眉が、くいと上がる。

「くそ生意気なガキはお静かに。能力をうしなったヒーロー、元パンサー?」

 いえ、本当のパンサーは眠ってます、なんていえるわけないし、いうつもりもない。

 空になったコーラの瓶を、ぶらぶらと揺らしながら、デイビッドがマノロをにらむ。どうしよう、最高におかしげな気配が流れはじめてる。と、デイビッドがコーラの瓶を掲げて、力いっぱいに放った。それはマノロの頬すれすれに過ぎ、なんと、扉近くのゴミ箱にすっぽりとおさまったのだ。

「ナイスシュート」とアーサー。

 するとマノロが、ジャケットの内ポケットに右手を入れる。ホルスターがのぞいて、わたしはドアに背中をくっつける。逃げてデイビッド! と叫ぼうとしたら、取り出したのは、内ポケットに入っていたらしい、たばこのボックスだった。ああああ、心臓に悪すぎる。マノロはたばこをくわえて火をつけると、わたしを上目遣いにして、早くしろとまたいった。

「ニコルは行かなくてもいいだろう?」

 デイビッドがいう。 

「いや、チャックは連れて行く」

 チャック。それは過去、マノロが飼っていたペットの名だ。おかしい、わたしはモードチームによって、自分で自分を好きになってしまうという、ギリシャ神話の誰か、みたいなことになりそうな姿に、変わったはずなのに、マノロの中ではなんにも変わっていない、みたいなのだ!

「チャック?」とデイビッド。「誰だそれ」

 わたしです。

「そいつだ」

 くいと、マノロはあごでわたしをしめす。くわえたたばこの煙が、目にしみるのか、片目を細めながら軽くネクタイをゆるめ、腕時計を見やった。

「二件の店に立ち寄ってから、病院。自宅で着替えてZENに寄る。それからジミー・ストレイに圧力をかけ、義姉のメリッサに金を渡し、ロストクラブでちょうど五時だ」

 よくわからないが、忙しいようだ。ちなみにカルロスさんはまだ戻らない。妙な修羅場になっていないことを祈るしかない。

「勝手にどうぞ。おれはニコルとあとで行くさ」

 そうなのだ、いっそ行かない、という手もある! ああ、でもそれではダメだ。行かなかったことを恨まれそうだし、いまでも味方なのか敵なのか、いまいち判断のつかない距離感なのだ。それに、どうしてマノロが協力してくれているのかといえば、ただたんに、自分の父親であるドン・ヴィンセント(いまだ留置所にいる)の、マエストロに対する恨みをはらしたいから、というだけ。

 ようするに、マエストロの胸に弾丸を、いますぐ撃ち込みたいだけなのだ。ただし、相手は神出鬼没の元スーパーヒーロー。だからこそ、パンサー率いるダイヤグラムの社員と手を組んでいるものの、本当のところは、そうできるなら、手を組む相手は誰でもいいのだ。

 カルロスさんがジョセフに声をかけたから、なしくずし的にこんなことになっているけれど、パーティへ行ったのが自分だけと知ったら、マノロは盗聴器をしかけるなんて面倒な仕事はほっぽって、仲間を引き連れてピストル片手に、この部屋に突進してくる、ような予感がする。なにしろ、面倒と感じるような、気に入らないことがあろうものなら、ピストルを軽々と揺らす危険人物、なのだ!

 ……どうしよう。家中がケチャップ、といった、ドン・ヴィンセントの言葉が過ってしまった。おそろしい、おそろしすぎて、うっかりいってしまった。

「い、行きます、行きます」

 奥のリビングまで突っ走り、ソファの背もたれに丁寧にかけられてある、スラックスを抱える。

「行かなくてもいいんだ!」とデイビッド。

「ああ、きみは来なくてもいい」とマノロ。

 うう、うううううう、マノロが面倒くさいといい出さないうちに、さっさと着替えるべきだという使命感におそわれたまま、寝室に入ってドアを閉める。デニムを脱いだところで、はたと思う。

「あれ? デイビッドとカルロスさんが行けばいいんじゃない、かな?」

 ああ、でもこれもダメなのだ、とすぐに納得した。ここにはミス・ホランドがいるのだ。それに、頬をつついても起きないWJも。私服の警官もいるとはいえ、中には、フェスラー家またはマエストロから、たっぷりお金をいただいている、あやしげな人がいるのかもしれず、だからこそスーザンさんもカルロスさんも、変装したのだ(約一名のメイクはとれちゃってるけど)。

 しかも、もしかすれば、修羅場(あきらかにそんな場合ではない!)……と、ない知恵を絞りまくっていたら。

「行かなくてもいいんだ!」

 いきなりデイビッドがドアを開けたので、かなしむべきことに、わたしのパンツ(パンティなんて、セクシーな発音はできない代物)姿を、ばっちり見られることになる!

「ちょおっと!」

 脱いだデニムで隠す。いや、隠れてないけど。

 ドアノブに手をかけたままのデイビッドが、目を見開いた直後、にやっとする。

「……スヌーピー?」

 お気に入りです。

「し、閉めて、閉めて!」

 わかった、といって、デイビッドがドアを閉めた。ただし、内側から。

「どうして入るの!」

 なんとか、ベッドの脇までいって、速攻でスラックスを履く。その間も、もちろんデイビッドは顔なんてそらさないし、ずうっとじいいいっと、こちらを見ていた。

「……なんて、アンバランスなんだ」

 ああ、そうでしょうとも。

「わーかってる。だけどいったでしょ? 下着なんてどうでもいいし、いまのわたしは着ぐるみなんだってば!」

 デイビッドが苦笑した。

「動いてしゃべらなければ、最高にクールなのに」

 ああ、なるほど。動いてしゃべらなければ、パーティ会場へ行っても、マエストロはさらに、わたしだとはわからないだろう……って、素直に納得している場合でもない。それにしても、その場にマエストロはいるのだろうか? なにが起きるのかまったく、なんにも予想できない。でも大丈夫、わたしはなにもしなくていいのだ、マノロとデイビッドにくっついて行けばいいだけ。わたしに話しかける人なんていないだろうし、しゃべらず、動かず、彫刻みたいにして立っていればいいだけ!

「パーティの会場で合流すればいいだろ? なにもいまから、あいつにくっついて行く必要なんてないんだ」

 わたしに近づきながらデイビッドがいう。

「そうだけど、でも、あの人根っからのギャングなんだよ、デイビッド? 一般人の感覚がまだありそうな、ジョセフとは違うし、あなたのことをまだ、パンサーだと思ってるし、それに、逆らったりなんかしちゃったら、いますぐに部屋がケチャップだらけになっちゃう!」 

「ケチャップ?」

 正面に立って、デイビッドがわたしを見下ろし、またもや苦笑する。

「なんだよそれ」

「……う。まえにドン・ヴィンセントに、そういって脅されたの。わたしが盗み聞きしたあとで、誰かにしゃべったら、家がケチャップまみれになるって。それって、つまり……」

 怖すぎて声にできない。はあん、とデイビッドが目を細めた。

「血まみれって? 粋な表現するな」

 褒めている場合でもない、あきらかに。と、サイドテーブルのレターセットが目に入って、うっかり忘れるところだったことを、思い出した。WJに手紙を書いておかなければ。ペンをつかんで、レターセットを手にしたところで、またもやドアが開けられる。

「チャック、早くするんだ。首に縄をかけるぞ」

 ごめんこうむります。ああああ、わたしはニコル・ジェロームという名前の、ホモ・サピエンスなのに! 急いで短い文面をしるし(ひどい、まるで暗号のような文字、まるでフランクル警部みたいな文字!)たたんだところで、デイビッドがマノロに近づいた。

「おれも行く。着替えるから待ってろよ」

「ガキは飛んで来い、自在だろう。おっと、もう飛べないかな?」

 デイビッドは舌打ちし、ドアを開けたまま出て行く。こんなところで、ギャングと二人きりになりたくはないので、壁に沿うようにしてドアに近づく。でも、マノロに腕をつかまれた。なんというデジャブ感……って、いや、これは数時間前に経験した記憶のせいなのだ、わたし!

 ずるずるとわたしを引きずって、わたしのジャケットをつかみ、それをわたしに押しつけ、リビングに立ったマノロが、アーサーに手を伸ばす。くいと、手のひらを上に向けながら、

「必要なものをよこすんだ」

 まるで……お金かなにかの取り引きをせがむみたいな、声音だ。アーサーが無線機をマノロに放った。それから、わたしにも放る。

「防弾ベストは紙袋の中だぞ。とはいえ、その恰好じゃあ、無理があるな」

 ベストを着たら、ジャケットのボタンは、間違いなく閉まらない。もう、撃たれないことを願うしかない。無線機をポケットに入れたマノロは、わたしの腕をしっかりつかんだまま、デイビッドを待たずに部屋を出ようとする。

「デ、デ、デ」

 扉の前で、マノロが立ち止まった。わたしを振り返ると、

「チャック。おれたちは仲良しだ、そうだろ? きみの毛並みが少しばかりよくなったところで、仲良しだという事実は消えない」

 まるでペットを撫でるように、わたしの頭を撫でる。

「でも、あいつは仲良しじゃない。あいつはおれたちのファミリーじゃないんだ。わかるな?」

 いいえ、わかりません。

 ペットに語りかけるみたいな、諭すような口調でいわれる……って、うううー! どこからそんな奇妙な理屈が生まれるのか、誰かに説明していただきたい!

 顔をしかめて耐えていたら、キャシーが心配そうな表情でソファから立つ。手紙を渡してもらうために、たたんだそれをわたしが掲げると、キャシーが小走りで近づいた。

「き、き、気をつけて、ニコル! なにかあったら、絶対に連絡するのよ!」

 もちろんだ!

「ダ、WJがもしも起きたら、わ、渡してくれる? カルロスさんが殴られないように」

 わたしもキャシーもどもりまくりだ。すると、行くぞ、といって、マノロが扉を開けてしまう。デイビッドはまだあらわれないのに、マノロはわたしをぐいぐいと引っ張って、とうとう部屋から出てしまった。

 大変だ、どうしよう。このままではわたしだけが、マノロにくっついて行くはめに、なってしまっている。たとえ、ロストクラブでスネイク兄弟と会えたとしても、パーティ会場でデイビッドに会えたとしても、その間わたしは、どうすればいいのだろう。

 いや、どうにもできない。

「あ、あのう、あのう、ですね」

 なんとか時間を稼ぐべきだ。そうすれば着替えたデイビッドが、扉の向こうからやって来るはず! なのに、こんな時にかぎって、エレベーターがすぐに開くって、いったいどういうことなのだろう? しかも、誰も乗っていない。

 誰も乗っていないのだ!

 押し込むみたいにして、マノロがわたしをエレベーターに乗せる。エレベーターの扉が閉まる直前に、タキシード姿のデイビッドが賭けて来るのが見えた。でも残念なことに、ひと足遅かった。無情にもエレベーターの扉が、きっちりと閉まる。あああ、ああああああ。

「よし」

 扉の前に立ったマノロが、背後のわたしを振り返る。ほらな、といわんばかりの仕草で、にやりとすると両手を広げ、軽く肩をすくめて、いった。

「餌をやろう。欲しいだろ、チャック?」

 いりません。というか餌って……、お腹はもういっぱい……っす!!

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