SEASON FINAL ACT.12
午後からもたんまり予定があるのにと、ブツブツ文句をつぶやきながら、ミス・ルルはわたしの手を引っ張って、奥のリビングへ大股で歩いて行く。
イスにわたしを座らせ、誰と行くのかしらと、ハサミを持ったミス・ルルはわたしを見下ろし、ぼさぼさの髪をつまみ、げんなりした顔を近づける。
「……ああ、とっても眠いわ。まるで誰かに呪いをかけられてるみたいに眠いわ!」
ぶんぶんと頭を左右に振る。
「で? デイビッドと行くのかしら?」とミス・ルル。
「い、いいえ。う、はい」
「どっちなの!」
寝不足なので、不機嫌のようだ。一緒に行くけれど、厳密にいえば、デイビッドはわたしのパートナーではない。だけどパートナーか否かって、わたしの変身になにか意味があるのだろうか?
「デイビッドとも行くけれど、一緒なのはマノロ・ヴィンセント……です」
トランクから大量の洋服を出す、アシスタントたちを眺めるレベッカの、いましもたばこへ火をつけようとしている手が、一瞬止った。
「あら。それは……すごいわね」とレベッカ。
「誰だかわからない感じにしてもらえると、助かるんだよ」
カルロスさんが近づいてきていうと、腰をかがめてわたしをのぞき込んでいたミス・ルルが、ぐいっとカルロスさんに顔を向け、叫んだ。
「ちょおっと! いったいどういうことかしら、カルロス・メセニ! アタシのメイクはどうしちゃったの!?」
まずい、といった顔つきで、カルロスさんが背を向ける。
「ともかく頼むよ。まったくの別人に仕上げてくれ。じゃないといろいろマズいからね」
いい残し、ミス・ホランドたちの座っているソファへ、逃げた。
「ったく、アタシのメイクをなきものにしておきながら、わがままホーダイのことをいう男よね! ちょっと自分がいい男だからって、甘えないでほしいものだわ、それに、お金を積めばなんでもやってくれると思ってるんだから! もちろんやるけれど!」
ふう、とため息をついたミス・ルルは、腰に手をあて、天井をあおぐようにしてまぶたを閉じる。
「……苦行ね。なにもかもが苦行なの。禅よ、禅の世界なんだわ。二次元顔を三次元に何度も引き戻してるというのに、神さまはまだ、アタシに苦行を押し付けるつもりみたいだわ。そうでしょ、あなたたち!」
そのとおりです、ミス・ルル! と、ソファの上にメイク道具を広げながら、三人のアシスタントが叫んだ。わたしはものすごいデジャヴ感におそわれつつも、念を押すために意を決して告げる。
「カ、カルロスさんのオーダーどおり、別人にしてください!」
でなければ、マエストロにバレる。というよりも、連れ去られたあの船に、どうしてわたし、もう一度向かうはめになってしまっているんだろ?
「べ・つ・じ・ん・?」
ミス・ルルが、ぐいっとわたしのあごをつまんだ。
「う! そ、そうです。できれば、び、美女的な感じで!」
ミス・ルルが、凍った。
「……なぜかしら。あなたの言葉が空耳みたいに聞こえちゃったわ。もう一度いってちょうだい」
そばにアーサーがいなくてよかった(アーサーは、キャシーの引きこもった浴室のドアの前で、なにかしゃべっている)。もしもいたら「ほらな」と笑われていた、だろうから!
「……う。いえ。なんでもないです。別人、みたくしていただけたら、もうそれでじゅうぶんです。でも、エッセンスとして、そのお、なんというか、さらに素敵な女性、みたいな感じを入れてくれると、いろいろと助かるといいますか」
うまくすれば、きみなんて知らないという感じにマノロはなるはず、なのだ。香水をぷんぷんさせて、荒野のようなこのわたしの胸を、なんとかジェニファーレベルに押し上げればいいだけ。ただし、そうなると、デイビッドに対しての、いちまつの不安が浮上しなくもない。どうしよう、いま気づいちゃったけど、素敵な女の子的になってしまうと、デイビッドの友達宣言がおかしな方向へ流れそうだし(ただでさえいまでも、なんだか微妙な雰囲気なのに)、かといって、そうでなければ、マノロはわたしを、過去かわいがっていたペットとだぶらせてしまう、のかもしれないのだ(そのうえ、ペットレベルだと、間違いなくマエストロにバレる)。
どうなっても魔界行き、ということかも? うううー、深く考えるのはやめよう。どちらにしても、わたしはくっついて行くだけなのだし、ニコル・ジェロームだと、一発でわからなければいいのだ。
ミス・ルルがゆっくりと、自分の背後でたばこを吸っている、レベッカを振り返る。レベッカは煙をくゆらせながら、作戦会議よといわんばかりの表情で、くいっとあごをしゃくった。それからは例のごとく、魔女同士のこそこそトークがはじまる。取り残されたわたしは、すでにレベッカから手渡されたタキシードを抱えて、寝室に向かうデイビッドの背中を眺める。
カルロスさんは、ワイズ博士たちと話しをしている。アーサーはまだ、浴室のドアの前で、身振り手振りでなにやらしゃべっている。そしてわたしの鼓膜には、魔女同士の会話がかすかにとどく。
「……一緒に行く相手に合わせるべきだわ。そうでしょ、レベッカ」とミス・ルル。
「……そうね、別人、という意味なら、そのほうがいいわね。いろいろ用意しておいてよかったわ」とレベッカ。
「メイクは極力薄めでね。ライトの陰影で印象が変わるぐらいの」
「スタイルは悪くないのよ。細いからタイトなラインで、小物でぐっと引き締める感じ。フフ、一度やってみたかったのよね」
「髪の長さはいまのままでいいわね。セットで見た目の年齢を、三歳は上に引き上げてやるわ。ワイルド&クールよ!」
ワイルド&クール……、どちらもわたしにピッタリな単語ではない。こそこそとした会話が聞こえるたびに、不安が増大してきた。薄めのメイクでわたしが別人になるわけはないし、やせ型の身体に似合うタイトなドレスって、いったいどんな感じなのだろうか。しかもワイルド&クール? 娼婦みたい、ってことかも!
おそるおそる振り返れば、二人の魔女と目が合ってしまった。にやりとしたミス・ルルが、寝不足の瞳をきらきら(ぎらぎらかも)させて、わたしを見つめる。
「オーケイ、テーマが決まったわ!」
レベッカはくわえたばこで両手を叩く。そのテーマというやつが、いつもいつもおっかないのだ!
「な、なんですか!」
ミス・ルルが、わたしを指して叫んだ。
「その前にシャワーよ!」
ああ、それはごもっともです。
★ ★ ★
キャシーがこもっている浴室の前で、アーサーが棒立ちになっていた。寝室にくっついている浴室は、たぶんデイビッドが使っているはずなので、なんとしても、キャシーに出ていただかなければならない。というわけで、アーサーの味方になるつもりはないけれど、ドア越しに説得をこころみることに、なってしまった。
「キャ、キャシー。大昔のキス、みたいだから、スルーしてもいいんじゃないかな?」
「……わかってるの、ニコル。わたしだって十六歳だし、潔癖なわけでもないから、そういうことでがっかりしているわけではないの」
ドアの向こうから、キャシーのどんよりとした声が返ってきた。
「え? じゃあ、なにに対してのがっかりなの?」
アーサーが、横に立つわたしに、珍しく期待を込めた眼差しをそそいでいる。がんばるんだニコル、そんな無言の圧力の気配に、いまにも押しつぶされそうだ。奥のリビングからはミス・ルルが、早くして早くしてと叫んでいるし、WJの眠っている寝室の、隣の寝室からデイビッドは出て来ないしで、わたしも焦ってきてしまう。すると、キャシーがいった。
「……ロルダー騎士は存在しないのよ、ニコル!」
うん、え?
「え? う、うん、そうだよ?」
「……そうよね、わたしってとってもおバカさんよね。でもね、いつかロルダー騎士みたいな人が絶対にあらわれるって、待ち望んでいたの! 知ってるでしょ、ロルダー騎士は、興味本位で誰かとキスするような殿方じゃないのよ!」
アーサーを見ると、口だけを動かして、わたしに訴える。
「(そんなやついるか?)」
わたしは首を横に振る。
「(いないけど、女の子の夢なの! 察してあげて!)」
「キャロル・スイートの首を絞めたくなってきたぞ」
とうとう声に出してしまったアーサーに、なんですってとキャシーが叫ぶ。そこで、ありえないことに、ありえないひとつのアイデアが、わたしの脳裏に浮かんでしまった、ので、試してみることにする。
「……キャシー。アーサーは、サリーに、ま、魔法をかけられて、たんじゃない、かな?」
あんぐりと口を開けたアーサーが、わたしを見る。もうこれしかないのだ。キャシーからの返答はないけれど、かまわずに続ける(ミス・ルルが地団駄を踏んでいるので、続けるしかない)。
「サリーは媚薬みたいなものを、持ってるんじゃないかな? そ、そうでしょ、アーサー? そういうのを、飲まされた覚えがあるでしょ!」
あるっていって! アーサーはものすごく生真面目な顔つきで、ものすごく冷静な雰囲気で、眼鏡を指で上げると、いった。
「すまない、飲まされた」
……完璧な、棒読みだ。けれども、浴室のドアが少し開く。中から、顔を半分のぞかせたキャシーが、じいっとアーサーを見つめはじめた。
「……あれは、そうだな。とても甘い香りのものだった。ハーブとハチミツとなにかが混ざっているような味だった。それでくらっとして、そうなった」
これもすごい棒読み。でも、キャシーには伝わったようだ。全開のドアから姿を見せたキャシーは、同情をしめす視線をアーサーに送り、うなずいた。
「だったらそういってくれたらよかったのに。わたしったら、すっかり誤解していたわ。あなたが興味本位で、サリーとキスしたんだろうって」
いや、興味本位だろう。でも、口が裂けてもそんなこといえない。
「男の子なんてもういいって、ちょっと思っちゃったわ。でも、だったらあなたを許すわ。ごめんなさい、ロルダー騎士と比べちゃって。まあ、これからも比べちゃうと思うけど」
しょんぼりしながら浴室から出たキャシーが、のろのろとワイズ博士のそばへ行く。安堵のため息をついたアーサーは、浴室に入ろうとするわたしの背後でいった。
「……うすうすわかってはいたが、おれのライバルは二次元の殿方らしいな」
「読んでるみたいだからわかってると思うけど、ロルダー騎士は超完璧だよ。強くて優しくてお姫さまひとすじ」
「なんだ、それは。まるでジャズウィットじゃないか」
びっくりして振り返ると、アーサーがにやりとする。
「……でもないか。避けきれずにうっかり、サリーとキスしてしまうしな」
う!
「あ、あなたはうっかりなわけ?」
「いいや」とアーサー。「興味本位だ」
ああああ、やっぱりね。
★ ★ ★
婚約パーティーは午後六時からなので、まだたっぷりすぎるほど時間はある。ガウン姿で浴室から出て来たデイビッドは、コーラを飲みながらうろうろし、やがて着せ替え人形と化しているわたしの目の前に立った。そんな人形と化しているわたしは、自分がどんなことになっているのか、鏡を見せられていないのでわからない。わからないけれど不安なのは、ハンガーにかけられてある洋服だ。
どう見ても、ドレスではない。あれは……タキシードだ。しかも、ビートルズ的でもなく、ロック臭のただよう、ストーンズ的でもない。黒くて、シックな、タキシードなのだ!
「……誰のだよ?」
ハンガーをつまんで、デイビッドがいう。にやりとしたレベッカは答えない。整髪剤を両手でもみしだくミス・ルルが、わたしの髪を上に引っ張る。大きな手で思いきり撫でまわし、押しつけ、前髪をつまむ。
デイビッドがあ然とした顔で、わたしを見下ろす。だからわたしの不安は頂点に達する!
「ど、ど、どーなっちゃってるの? ビートルズ? それとも、ストーンズ?」
「すごいな。さすがとしかいいようがない。誰だかわからないね」
「クールでしょ」とレベッカ。
「ワイルド&クールなのよ!」
デイビッドのきらきらした瞳の意味がおそろしい。きっと、やっぱり、娼婦的なのだ!
「わ、わたし、娼婦みたい?」
ホホホホとレベッカが高笑いした。
「マノロ・ヴィンセントよ、あなた。悪名高き堕天使と行くなら、それなりにならなくちゃ意味がないのよ。わたしたちの腕を見くびってもらっちゃ困るわね」
「不可能はないのよ。これであなたは完璧に別人。だれも二次元だとは思わないわ。保証済みよ!」
どうやらわたしは百パーセント、別人になっているらしい。ただし鏡を見るのがおそろしい。
「だんだん気づいたんだけれど、あなたの顔って、いじりがいがあるのよね。ベースがフラットだから、どうにでもなるのかもしれないわ。ああ、神さま、アタシはまた、苦行を乗り越えたみたいだわ! 自分の才能がおそろしい!」
いったいどんなことになっているのかと、おそるおそるデイビッドに訊ねる。デイビッドはコーラを飲み干し、満足そうな笑みを浮かべる。
「めちゃくちゃクールだ。べつにおれは、もともとのきみもいいと思ってるけど、こんな女の子ははじめて見たね」
「娼婦? 娼婦的な感じなんでしょ!」
違う、とデイビッド。レベッカが、わたしの目の前に、ハンガーにかかったタキシードを差し出す。そしてなぜか……葉巻も。
「す、吸えません」
「小物よ。くわえるの」
できればくわえたくもない。どうしよう、自分の姿を確認する前に、めまいにおそわれてきた。こんなやりとりをしていたら、キャシーがソファから立ち上がり、大きな目をさらに見開いた状態で近づく。ぽかんと口を開けてわたしを見るので、きっと変なことになってるんだろうと訊けば、キャシーは首を振る。
「……ニコル! グレタ・ガルボだわ。あなた知ってる? グレタ・ガルボ!」
大昔のハリウッドスターだ。いやあ、まさかそれはない。できたわよとミス・ルルがいうので、のろのろとイスから立つ。ガウン姿で、手渡されたタキシードをつかみながら、ドレスじゃないって、どういうことだろうと首を傾げる。
「……どうしてわたし、タキシードなんですか?」
いまさらだけれど。
「だって、テーマがそうだもの」
おっかないテーマを、訊ねなかった自分の頭を、壁に打ち付けたくなったけれど、我慢する。
「そ、そのお、テーマって?」
すると、ミス・ルルが叫んだ。
「男装の麗人! 女性版、アル・カポネよ!」
アル・カポネ……って、シカゴのギャングスターじゃない!
★ ★ ★
わたしはいま、鏡の前で、頭を抱えている。どうして? どうしていつも、わたしのオーダーと真逆に、あの人たちはしてしまうのだろうか。異議を申し立てたいけれど、時すでに遅しだ。
たしかに別人だ。誰だかもう見分けもつかない。素晴らしい着ぐるみといえる。ただし、わたしはもはや、女の子なのか、男の子なのか、大人なのか若いのか、なにもかもが謎な蝋人形みたいに、なってしまっていた。とはいえ、単純に表現するとすれば、最高にワルそうな少年(もしくは青年)を装っている……美人な女の子、といったところだ。どうしよう、笑いたくなってきたけれど、まるきり笑えない。
繊細なアイホールのせいで、三白眼のような瞳になっちゃっていて、丁寧に筆で生やされた眉はとっても知的。たしかにメイクは薄いけれど、ミス・ルルのおそるべき手腕のせいで、浮きはじめていたそばかすもばっちり消えている。そのうえ、二十年代の男性アクターのようなこの、分けられて、横から前へと流された前髪、あとは耳にかけられて、撫で付けられたこの髪型が、かなしむべきことに、作り込まれた別人顔に、ピッタリだ。
ちょっと、上目遣いにしてみよう。というわけで、やってみる。おそろしい。こんな人わたしは知らないし、もしも知り合いにいたら……いたら……、妙な気持ちを抱くかも。妙な気持ち、というのは、好きかも、的な勘違いだ。
自分の顔におかしな気持ちを抱く前に、さっさとここ(浴室)から出るべきだろう。でも、出るのがおそろしい。とはいえ、ペット的ではなくなったので、マノロ方向の不安は解消された。女性が苦手なマノロ相手に、タキシードという姿も微妙だけれど、犬には見えないと思うので、大丈夫だろう。
デイビッド……は、その場へ行ってしまえば、いろんなセレブに囲まれて、セレブ牢状態になるはずなので、これもまあ、いい。いや、よくもないけれど、おかしなことにはならないはずだ。この顔とか姿に似合うよう、ちょっと男性的に、クールにふるまう努力をすればいいだけ。
シカゴのギャングスター、故アル・カポネを気取って(よく知らないけれど、イメージで。ううううう)エッジのきいた雰囲気をかもし出せば、マエストロもわたしだとわからない(すでにわからないとは思うけれど)はず。
まだ数時間もあるというのに、着替えてしまったので、ぐったりベッドで横にもなれない。このままパーティの時間まで部屋で待つだなんて、わたしにとっては拷問だけれど、あきらめよう。ため息まじりに浴室から出ると、リビングにいた全員が、わたしを見た。奥のリビングにいる、モードチームも、わたしを見る。そしていつの間に登場したのか、返り咲いた(?)マノロ・ヴィンセントが、葉巻をくゆらせて(本物のギャング!)振り返る。
げ。
凍るわたしを見たマノロの表情が、変わる。とっても険しい、方向ではなく、つま先から頭のてっぺんまでを、なめるように視線を動かして、片眉を上げた。
「……なるほど」
なるほど、って、気に入らない、ってこと、ですよね……? なぜだろう、この得体の知れない不安感は! うううー!