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SEASON FINAL ACT.10

 カルロスさんがジョセフに渡した無線機に、応答したのはマノロだった。一緒にこの部屋を去ったのち、自分の車に仲間二人とジョセフを乗せて、ジョセフの事務所へ向かった、ところで、ビルの影からギャングが登場、先に降りたジョセフの脇腹を、一発の銃弾がかすめ、もう一発が脇腹にくいこむ。

 激しい銃撃の音に反応したのは、パトロール中のパトカーで、あとはもうニュースのとおり、ジョセフをおそった数人を警官が捕らえて、逃げる数人は追跡中。ジョセフはERに搬送されて現在手術中。ただし、付き添っているマノロによれば、意識はあるらしい。というよりも、けっこう元気、みたいなのだ。とはいえ、パーティへ行けるわけはない。というわけで、突然のハプニングによって、ジョセフの代わりとなる人物との、通話を終えたカルロスさんにいわれたひとことに、わたしはWJの背後で凍る。

 ……これはまるで、デジャブ、かも?

 以前、誰かに似たようなことをいわれて、どこかへ行ったような気がする……と、デイビッドを見てから思い出し、わたしは肩を落とす。そうだ、ウッドハウス家でのパーティで、デイビッドがわたしに対して押し付けてきたことと、これはとっても……酷似しているのだ。ああ、ああああ。

 めまいを覚えて、寝室のドアにしがみつく。

 ダメに決まってるだろうとデイビッドがいうのと、なにをいってるんだカルロスとWJが声を上げたのはほとんど同時で、わたしを見たカルロスさんは、まるでスターにいたずらを仕掛ける仕掛人が、ネタばらしをする時のような笑みを浮かべると、もっともだというようにうなずく。

「つまらないな、わかってるよ、ちょっとしたジョークのつもりだったんだけどね。もちろん、きみは行かせない。マノロはぼくがいいくるめるさ」

 あああああ、よかった。でも、こんなジョークの通じない状況で、ビックリハプニングみたいなこと、心臓に悪いからやめてほしい!

「なんだよ、嘘かよ」とデイビッド。

「いいや。なぜだかミス・ジェロームを連れて行きたいと、マノロはほんとうにいってる」

 カルロスさんの言葉に、わたしの前に立っていたWJの肩が、ぴくりと動いた、ような気がしたけれども、気のせいかも? 続けてアーサーの、

「システム・ナインのキャッチ範囲は約○・四マイル。船が港から離れたら、キャッチは不可能だと、ミスター・スネイクがいってます」

 無情の声が部屋にこだました。

 任務遂行の責任者らしく、カルロスさんはあごに指を添えて沈黙した。その姿はわたしには、まるきり真剣に見えない。なぜならミス・ルルのメイク手腕のせいで、にやけたジゴロ、みたいになっちゃっているから。

「アーサー、スネイク兄弟に、ローズの居場所を伝えてくれるかい? 彼女はFBIの盗聴機器を持っているから、借りよう」

「……お言葉ですが、ミスター・メセニ、盗聴機器なら、あなたがたも持っているのでは?」

 アーサーの疑問に答えたのは、デイビッドだった。

「ああ、それは全部あの豪邸に置き去りだよ」

「なぜだ?」とアーサー。

 悪びれるでもなく、肩をすくめたデイビッドがいう。

「誰かさんと誰かさんが、おれとの約束をやぶっていないか、たしかめるために設置しただけ。責めるなら過去のおれを責めてくれ」

 そういえば、わたしとWJにおしゃべり禁止令を発令したデイビッドが、豪邸のあちこちに盗聴器を設置した、のだった。なんという、無駄な使用方法だろうか。めまいが頂点に達したわたしは、ドアにしがみついたまま、ずるずると額をすべらせて、これ以上ないほどうなだれてしまった。 

「アーサー」

 グローブをはめて、手にしていたマスクを装着したWJが、リビングを歩きながら、

「バックファイヤーを渡して」

 アーサーに向かって右手を差し伸べ、くい、と手のひらを上に向けて指を曲げた。アーサーは透きとおった球体を、デニムのポケットから出す。

「どうするんだ?」

 アーサーの近くにいたキャシーが受け取る。キャシーはそれを、パンサーに手渡す。握ったパンサーがカルロスさんを見た。

「……もう、面倒だよ。そんな手間をかけなくても、ぼくがやればいい。いまマエストロを捕まえれば、誰もパーティへ行かなくてもいいし、テリー・フェスラーとのつながりだって、マエストロから聞き出せばそれで済むんだ。ミス・ホランド、装置があるのは、あの両面扉の向こう?」

 ミス・ホランドがうなずいた。

「え、ええ。たぶん。でも、わたしはいつも両目を隠されていて、正しい場所はわからないの。それに、もしもあの船でパーティをするつもりなら、鍵かなにかをかけるんじゃないかしら。それに、そもそも動かせないわ」

 パンサーの口角が上がった。

「動かせなくても破壊したほうがいい。それに、鍵はぼくには関係ないですから。それで、エキゾチックな物質の入った箇所に、これを」

 球体をつまんでかかげる。

「投げ入れたらどうなりますか、ワイズ博士?」

 ハンサムなキャシーのパパは、パンサーを見つめて静かに答えた。

「……装置は動かなくなる、はずだよ。物質はもとに戻る。目に見えない世界へ消えていく」

 わたしたちに背中を向けたパンサーが、肩越しにカルロスさんを見る。

「撮影したければ、港にテレビ局のカメラを移動させなよ、カルロス。船の中のようすは、さすがに撮影できないと思うけど」

 そしてふたたび、奥の寝室へ向かって歩く。なんだかものすごく、焦っているように思えるのは、わたしだけではないようだ。カルロスさんとデイビッドが、パンサーの背中に声を掛けて引き留めると、パンサーが立ち止まって振り向いた。

「いまは午前十時をまわった頃だし、あの船でパーティをするなら、いろんな業者が出入りしているはずだよ。マエストロの仲間が見張ってるだろうけど、どさくさにまぎれるならいましかない、それにぼくも」

 そこで言葉をきってしまった。ぼくも、の続きがものすごく気になるのに、マスクに隠れていない口元が、きゅっと結ばれた直後、パンサーが告げたのは、まったく関係のない言葉だった。

「あなたのことはいつでも信じてるし、好きだけれど、状況が変われば、あなたの意見も変わるんだ、カルロス。それをぼくはよく知ってるよ。だからこそ、きっぱりいっておく。全部ぼくが引き受ける。マノロはパーティへ行かなくてもいい。だからニコルも行かなくていいんだ」

 濃いサングラス越しのWJの大きな瞳が、まっすぐに、わたしに向けられている気がした。

「きみが行く必要なんてないんだよ、ニコル」

 そういって、奥まった寝室のドアを開け、すぐに閉めてしまった。まいったなと、カルロスさんはため息をつき、両手で髪をかき上げる。そしてわたしは、ぽかんとしている……場合ではないので、寝室に向かって駆け出す。ドアを開けると、すでにパンサーの姿は消えていた。

「……カルロスに対する意見はおれも同感だけど、妙だな。なにを焦ってるんだ?」

 いきなりわたしの背後で、デイビッドの声がした。

「ニコルがあの、ハンサムだけどなんだかおかしげな人と、パーティへ行かなくてもいいようにしたかったんじゃない?」

 さらにその背後から、キャシーが顔をのぞかせる。

 きっちりと閉じられた、ガラス製のバルコニーのドアからは、真っ青な快晴に包まれた、シティの景色が広がっている。そこまで歩いて行ったデイビッドは、外から部屋のようすが見えないように、カーテンを引いてしまった。

 ひどく疲れていたようなのに、WJは、パンサーは、無理をしているように思える。だからといって、こうして寝室を眺めていたところで「やっぱりやーめた」なんていって、パンサーが戻って来るわけではない。でも、さっき感じた嫌な予感が、ふたたびむくむくとふくれ上がってくるから、わたしの心臓はいまや、破裂寸前だ。

「ど、ど、ど、どうしよう……」

「どうしようって、無事を祈るしかないさ。WJも無線機を持ってるし、発信器もくっつけてる」

 わたしの腕を引っ張って、デイビッドがカルロスさんのそばへ行く。部屋を歩きまわっていたカルロスさんが、ふと足を止めた。

「……オーケイ。パンサーを全力でサポートしよう。アーサー、盗聴器のことを、やっぱりスネイク兄弟に伝えておいてくれ。ローズにはぼくから連絡をしておく。必要じゃなくても、念には念を入れて、用意はしておいたほうがいいからね。それから、アリスとマルタンに、船が港にあることを伝えるんだ。あなたがたは」

 ミス・ホランドとブライアンさん、それからワイズ博士を見て、カルロスさんはにっこりする。

「ここにいてください。とはいえ、全員、これを装着して」

 これ、と濃紺の紙袋を指す。中に入っているのは防弾ベストだ。

「スーザンとリックが、私服の警官とホテル内を巡回してる」

 しゃべりながら、マホガニーのテーブルに、ずらりと並んでいるピストルのいくつかを、慣れた手つきでカルロスさんが選ぶ。

「ぼくは港に向かう。ミス・ルルのメイクの意味がなくなったね」

 イスの背もたれにかけられたジャケットを羽織り、苦笑するとアーサーを指した。

「アーサー、いちおう、マノロにはパーティへ行くつもりでいてくれと、ぼくが伝えておくよ。ミス・ジェローム」

 おろおろしているわたしを、カルロスさんが見つめた。

「きみも、誰も、行かなくてすむように、WJが判断したことだ。尊重したいし、彼に甘えられるならぼくらは楽だ。でも、いつでも一番危険なのは、彼なんだ、わかるね?」

 わたしはうなずく。もちろんだ。

「どうしてマノロがきみを指名するのか、意味がわからないけれど、きみは一緒に行かないとうまく伝えておくよ。よくわからないけれど、きみは個性的な人間に好かれるらしいね」

 それについては……、なにもいえない。

「その個性的ってカテゴリーに、おれも入ってるんだろうな」

 デイビッドがつぶやくと、カルロスさんは笑った。

 きっと大丈夫、マエストロをあっさり捕まえたパンサーは、にっこりして戻ってくるはず、そうすればマノロはパーティへ行かなくてもいいし(もちろんわたしも行かない)、アリスさんもマルタンさんも、マエストロの仲間を引きつけるなんて、危ないことをしなくても済むのだ。そうも思うのに、この得体の知れない不安はなんなのだろう?

「手配したテレビ局はどうするんだ? 撮影隊がそろそろ、このホテル近辺にカメラを設置しはじめるんじゃないのか?」

 デイビッドの疑問に、カルロスさんがにやりとした。

「そのままでいい。撮影できたら儲けモノ。そうでなくても、空を飛ぶパンサーを、市民の誰かはすでに見てるはずだよ。思惑はぼくにもたんまりあるけれど、こういう時は目的をシンプルにしたほうがうまくいくんだ。優先すべきはマエストロを捕まえること。ほかはおまけだ。臨機応変にいこう。アーサー、ここはひとまずきみに任せる」

 両手にそれぞれ持った無線機をかかげて、アーサーは満足そうにうなずいた。

「ぼくの得意分野ですよ」

 部屋のドアノブに手をかけたカルロスさんが、デイビッドを見て笑った。

「いい友達を持ったね、デイビッド」

 デイビッドとアーサーは、カルロスさんに向かって、同時にげんなりした顔になる。ふ、と笑みを浮かべたカルロスさんが部屋を出て行った。そしてわたしたちは残される。知的分野の大人三人に、高校生四人だ。ピストルを扱えるのは、そのうち一名だけ、つまり、デイビッドのみ。そのデイビッドが、沈黙するわたしたちを見まわして、いった。

「……で、ちょっと早いけどさ、ランチ、どうする?」

 うううー、その図太い神経を、お願いだからわたしに分けてくれないかな!

 

★  ★  ★

 ミスター・マエストロがなぜ、マエストロ(指揮者)というネーミングになったのかは、シティ市民なら誰もが知っている。ギャングを倒す時に、両手を振りかぶり、小さな竜巻を発生させるその動きが、オーケストラを指揮する指揮者を連想させたからだ。だけど、本名も出身地も誰も知らない。アーサーが買い込んだマエストロ関連の本にも、それは謎のままだ。 

 マエストロが登場する以前、シティにスーパーヒーローは存在しなかった。それまでのヒーローは、警官であり、消防士だったのだ。もちろん、いまでも彼らはヒーローだけれど、一般市民には計り知れない、スーパーな能力を発揮する、空を飛ぶ謎のヒーローは、マエストロがはじめてだったのだ。

 子どもたちは彼に夢中になり、若い女性は恋こがれる。男性たちは、バーやパブで、テレビのニュースに釘付けになって、ギャングが勝つか、マエストロが勝つのか、賭けをする。そんな日々が続いていたある日から、突然マエストロは姿を見せなくなり、テレビはボクシングを流すようになった。そしてみんな、マエストロのことを忘れていく。テレビにも、新聞にも、名前すら流れなく、載らなくなっていったのだ。

 わたしの着ぐるみの足底には、そんなマエストロのサインがある。マエストロがなにをしようとしているのか、どうしてテリー・フェスラーと、つながりをもったのか(だとすれば、だけれども。というか、もうそれは確実といって、たぶんいいのだ!)、わたしにわかるはずもない。でも、じゃあどうして、マエストロはサインをしたのだろう。だって、もしもわたしを海の底へ突き落とすつもりなら、サインが犯人の証拠となってしまうのに?

 パンサーとカルロスさんが部屋を出てから、どのくらいの時間が経過したのかわからないけれど、いてもたってもいられなくなっているわたしは、せめてなにか見えないだろうかと、窓際の望遠鏡をのぞく。そうしてからずいぶん経っているはずだというのに、う、ううううーん、どうしてさっきから、喧嘩しているカップルしか見えないんだろ? ああ、女性が髪を振り乱して、お皿を投げつけちゃった! ……とか、観察している場合ではないんだってば!

「ニコル、ちゃんと見えてるのか?」

 デイビッドが、わたしの背後に立つ気配がしたので、慌てて望遠鏡を動かしてみた。うん、灰色の壁しか見えない。

「……喧嘩してるカップルが見えてて、今度は灰色の壁しか見えない」

 望遠鏡から顔を離して訴えると、デイビッドに苦笑される。たくさんくっついている、よくわからないつまみをねじりながら、デイビッドが望遠鏡をのぞく。

「港が見える? パンサー見えた?」 

 ぺたぺたと、望遠鏡を触りながら気弱な声で訊けば、落ち着けとデイビッドにいわれる。たしかにそうだ、そのとおり、デイビッドのいうとおりに、少し落ち着くべきだろう……って、落ち着ける……はずがない! なのにわたしにはなんにもできないのだ。できるのはカップルの喧嘩を盗み見るか、灰色の壁を眺めることだけ。とっても情けない気分になってくる。

「港も船も見えた……けど、遠いな」

「見せてくれる? パンサーはいた?」

 デイビッドが望遠鏡から身体を離す。レンズをのぞくと、ビルとビルの狭間の向こうに、小指の爪、半分ほどの大きさの、海に浮かぶ二隻の船が映っている。でも、たしかに遠いのだ。これではまるで、フェスラー家の豪邸をのぞいた時と同じだ。中にいる人なんて見えないし、やたら小さななにかが(たぶん人だ)港を行き来しているのがやっとわかるていど、なのだ。

「ど、どっちがマエストロの船なんだろ」

 のぞいたままの恰好で訊ねる。すると、誰かの手がわたしの左肩に置かれる。しかも、その誰かは背後から、ぴったりわたしにくっついて、レンズの調節をはじめる。その誰かはあきらかにデイビッドだし、わたしの頬に、デイビッドの頬が、いまにもくっつきそう、みたいになっちゃってるのは、どうして!?

「……う。デイビッド、この体勢、意味ないんじゃないかな? 調節するなら、あなたがのぞかなくちゃ!」

 レンズから顔を離してのけぞる。デイビッドは、なにが? といわんばかりの顔で、わたしをのぞきこむ。

「べつにいいだろ、友達なんだから」

 そうなの? いや、なにか違う。あなたの指がわたしの肩に、とってもくいこんでいるんです!

「……不毛な会話をしているところすまない。ジャズウィットの発信器は、すでに船の中にあるぞ」

 アーサーの言葉に反応したわたしは、勢いよく振り返り、ソファの背もたれから身を乗り出して、画面に顔を近づける。たしかに、船のナンバーと重なるナンバーがある。それはWJの発信器のナンバーだ。

 マルタンさんたちは、ボートでルーナ河を渡っているところだ。スネイク兄弟は、ローズさんのアパートへ向かっている。そしてカルロスさんは、港で点滅していた。

「これは……すごいね。かなり高価なものだろう?」

 なぜか瞳をきらきらさせて、ブライアンさんがいう。

「たぶん高価なんでしょうね、持ち主からすると、とてもそうは思えませんが」とアーサー。

「もう、三十分くらい経つわ」

 ワイズ博士の腕時計を見て、キャシーがいった。デイビッドはまだ、今度はわたしの右肩に手を置いている。というか、がっちりと指がくいこんでいるので、動けない。う、ちょっと、痛い。デイビッドの指を左手で、一本ずつつまんで、肩から手を離させようとしながら、

「アーサー、カルロスさんかパンサーに、無線機でなにをしてるか訊いてみたらどうかな?」

 提案してみる(デイビッドの小指を上げて、薬指を上げたとたんに、小指の位置が元に戻るのはどうして!)。けれども、ようすを知りたいというわたしの熱意を、アーサーは嫌みたっぷりで拒否した。

「そうだな、朝方のきみがマエストロに見つかった時のような、素晴らしいタイミングにならなければ、もちろんそうしたいところだ」

 ようするに、もしも向こうが緊迫感あふれる場面だとすれば、いきなり「応答せよ」だなんて、一方的にこちらから声を流すのは危険だと、そういいたいのだ。ううー、たしかにそのとおりだ、けれども!

「それに、二人とも大量の電池を持ち歩いていないからな。重要な時だけしか使用できない、違うか」

 あああ、そういうことをすっかり忘れちゃってました。そのとおりです……。

 画面に見入るアーサーが、ソファの背もたれに身体をあずける。黒髪のつむじが、わたしの真下になったので、指でつむじをつつきたい衝動にかられたけれど、そんな場合ではないし、そんなことをしてさらに、言葉の攻撃を受けるのは避けたいので我慢する……と、アーサーが腕を組んだ。

「……時限爆弾は、ないんだよな?」とアーサー。

「WJはそういってたよ。どうしたの?」

 不安になってわたしがいうと、頭を背もたれに寄せたアーサーが、ぐいっと顔を上げた。

「ジャズウィットが、やたら疲れていたのが、気になっているだけだ。きみもだろ」

「……うん」

「おれもだよ」とデイビッド。

「わたしもよ」

 キャシーがいう。天井をあおぐみたいにして、アーサーがまぶたを閉じる。その時、ワイズ博士がいった。

「……だいたいのことは、リチャードから聞いている。そもそもの発端はわたしだけれど、起きてしまったことを後悔するよりも、収拾する努力をしなければならない。わたしや、そしてここにいるホランドさんもマードックさんも、ミスター・メセニたちのような行動力はない。けれども、冷静に判断する知識はある。わたしはひとつの仮説をたててみた。ミスター・マエストロが誰とどのようなつながりがあり、なにを企んでいるのかは、わたしにはわからない。けれども、誰を邪魔、としているのかは明白だ、そう思わないかな?」

 アーサーがまぶたを開ける。

「ええ。思います。今夜のパーティであきらかに邪魔なのは、ぼくたちでしょうね。というよりも」

「パンサー」

 続けたのは、ミス・ホランドだった。さらに、ワイズ博士がいった。

「ミスター・マエストロは、パンサーが疲労するよう、仕向けるため、嘘の爆弾の情報を流したとしたら? パンサーの能力が、どれほどのものかわたしにはわからないが、昨晩から動きどおしだったのだとすれば、小さな嘘もかなりのダメージになる。この仮説が、正しいか否かはわからないが、可能性はあるとわたしは考えている」

 WJの、パンサーの発信器は、まだ船上だ。そして少しも動かない。気まずい沈黙が流れる。わたしは不安でよろめきそうになり、ソファの背もたれに両手をつく。すると、アーサーがデイビッドに訊いた。

「キャシディ、あの得体の知れないモード部隊を、また呼ぶことはできるのか?」

「激務なやつらだからわからないな。ただ、連絡先は知ってる。今朝方のようすじゃ、夜通し遊んでそのまま、一睡もせずに来てるはずだから、この時間だと自宅で眠ってるはずだね」

「よし、こうしよう」

 そういって、アーサーがぐいっとわたしを見上げる。

「ミスター・ロドリゲスたちは船の上、盗聴チームのスネイク兄弟は港で待機、ミスター・メセニは、パンサーを加勢するために行ったんだ。リックもヒステリー女も、ホテルの中にはいてもらう。もちろん、ミス・ホランドもワイズ博士も、ミスター・マードックも。ということは、動けるのはおれをのぞいて、残りの三人だ」

 わたしか、キャシーか、デイビッド、ということだ。

「マノロ・ヴィンセントにミスター・メセニが、どう伝えていいくるめたのかはわからないが、いいくるめられなかった可能性のほうが高いと、おれは予想するぞ。あいつがどういう人間なのか、観察していればそれなりにわかるからな。そうだろう、ニコル?」

 どうして、ちょっと面白がってる、みたいな顔でいうのだろうか! 

 パンサーの発信器は、まだ動かない。いやな予感が的中しそうでおそろしくなってくる。でも、できることはまだあるのだ。

「それって、盗聴器をしかけるために、マノロにパーティへ行ってもらいたいけど、それにはわたしも一緒じゃないと、マノロは行かないんだろうなあ、という、……予想?」

 アーサーがにやりとした。

「珍しく理解が早いが、ちょっと違うぞ。もう少しようすを見てみなければなんともいえないが、もしもこのままの状態なら」

 画面を親指でしめす。

「ヒーローも助けなくてはいけない、というミッション付きだ」

「そんなに危なそうな感じなの!?」

 だったらもちろん、できることはする!

「そうじゃない。いまはまだわからないが、もしも、という時のために心構えは必要だろう、そういう意味だ、興奮するな!」

 港で点滅している、カルロスさんのナンバーが、ゆっくりと海の上へと移動していく。海の上、それは船、を意味する。

「ああ、アーサー、カルロスさんが動いてる!」とわたし。

「頼むから興奮しないでくれ、ニコル」

 画面に顔を向けたアーサーが無線機を握った。でも、スイッチは入れない。

「なにが起きてるのか、とても気になるわ」

 キャシーの言葉に、アーサーは小さくうなずく。

「どちらにしても、用意はしておこう」

 そしてふたたび、わたしを見た。う!

 もちろん、これはとても危険なことだ。それにパンサーは、わたしがそんな目にあわないように、無理をしてまでマエストロの元へ向かったのもわかっている。でも大丈夫、わたしはひとりではない。

 ……まあ、若干の(かなりの)さまざまなおっかなさはあるけれども、少なくともわたしには、ギャングがくっついて、いてくれる……。とっても微妙だけれども。でももはや、そんなことを気にしている場合ではない。

「オ、オーケイ、アーサー。あなたがいおうとしてることはわかったかも。だから、お願いだから、ものすごくちゃんと、女の子に見える感じにしてもらえると助かるな!」

 そうすればマノロは、わたしにおかしげな感情を抱かない、はずなのだ(もちろん犬にも見えないはず)!

「そうか、素晴らしい意気込みに感謝するぞ、ニコル。だがその注文先は、おれではないぞ」

「ちょっと待てよ。だったら、ホテルの巡回はリックと警官どもに任せて、スーザンをここに呼べよ、フランクル。おれも行く」

 顔をしかめたデイビッドがいった。え?

「じゃ、じゃあ、わたしも行くわ! 友達だし心配だもの、ニコルのこともWJのことも!」

 キャシーがソファから腰を上げた。え!

「パーティって、パートナーが必要よね? あのおかしげなギャングとニコルが一緒なら、わたしはあなたと一緒に行けばいいわ、そうでしょ、デイビッド!」

 凍った……のはアーサーだ。

「ちょっと待つんだ、キャサリン。きみは彼らに、誘拐されたんだぞ?」

「ニコルもそうよ!」

 それは……、たしかにそうだ。すると、ソファから立ったアーサーが、背後のわたしを指していう。

「ニコルはいいんだ。な・に・が・あ・っ・て・も・死なないはずだからな!」

 わたし、いつからヴァンパイアの女の子版みたいなことに、なっちゃったんだろ(それともゾンビかも?)。

「……おい、そのニュアンス発言はなんだ?」とデイビッド。

 とってもアーサーらしくない、非論理的な意見に、キャシーはかわいらしい顔をぐうううとしかめる。

「だったらわたしも死なないわ! 誰も絶対に死なせないわよ!」

 アーサーが頭を抱える。落ち着くんだキャシーと、おだやかなワイズ博士の声が部屋を優しく包んだ直後、テーブルの上の無線機から、じりじりとした音が流れて、やっとわたしの肩から手を離してくれたデイビッドが、上半身をぐうっと伸ばして瞬時につかんだ。

『……ロス、こちらカルロス、応答せよ』

 電波に混じったカルロスさんの声に、みんながいっせいに反応して黙り込む。

「おれだよ、どうした、カルロス?」

『デイビッド、ドクターを呼んでくれ。詳しくは戻ってからだ』

 画面のカルロスさんのナンバーと、パンサーのナンバーが重なり、猛スピードで北上している。なにがあったのかとデイビッドが訊く。消え入りそうな電波の向こうから、カルロスさんの声が放たれる。

『……意識がない。パンサーが飛べないんだ。能力が』

 そこでブチリと通話が途切れる。え、と思ったわたしは固まり、大きく息を吐いたアーサーは、わたしたちを見まわしてから、デイビッドに顔を向けて、静かに告げた。

「……モード部隊も呼ぶぞ。番号を教えろ、キャシディ」

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