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SEASON FINAL ACT.09

「装置は、それほど大きいものではないの」

 ホテルのレターセットとペンを持ち、テーブルを前にして座ったミス・ホランドが、さらさらと装置のようすを描く。

「直径七フィートほどの、継ぎ目のない鉄製の球体が、コンピュータの端末につながっていて、球体の中央に細い管が通っている。エキゾチックな物質はここに貯められていて、作動するたびに減っていく。作動すると、球体の内部は、一種のブラックホールのようになって、ものすごい引力を引き起こす。それらは数式となって端末にあらわれて、微妙な調節を必要とするから、装置を作動させる時には、わたしは一歩もそこから動けなかったわ」

「では、あなたがいなければ、装置はやっぱり動かせないんですね?」

 カルロスさんが訊ねる。ええ、とミス・ホランドはうなずく。とっても大事な会話をしているのはわかっているのに、けれどもわたしの頭には、さっきから、とあることしか浮かんでないのだ。

 WJがわたしを、プロムへ誘おうとしてくれていたなんて!

「設計図はソ連の仲介者から手に入れたと、マエストロの仲間が話していたのを聞いたわ。わたしはそういったことに詳しいわけではないけれど、タイムトラベルに執心した科学者がソ連にいる、といった噂は、大学で耳にしたことがあったから。その時彼は、すでに他界していたけれど、さして極秘でもない夢の設計図は出まわっていて、マエストロはそれを手に入れたのだと思うわ」

 ペンを走らせる手を止めて、ミス・ホランドがため息をつく。うーん、ちょっと待って、WJはわたしを、プロムへ『誘おうとして』いたのではなくて、さっきすでに『誘ってくれ』た、ということになるのでは? だとすれば、もちろん行くと答えるべきだろう……って、あれ? さっきわたし、行くって答えたっけ?

「誰もがバカにしていたし、笑ったわ。でも、内心では興味もあったわね。結局、タイムトラベルは不可能でも、時間に齟齬をおこさせる、微妙に少しずつ遅らせて、そのうちに停止させる、ということは可能なのではないか、といいだす友人もあらわれて、彼らはその科学者の論文を捜しまわっていたの。ある時、読んだという知人がいったわ。論理的には筋がとおっていても、そのために必要な物質が、現時点では、この世界にはないから、やっぱり不可能だと」

「その物質を抽出してしまったのが、わたしというわけです」

 キャシーのパパであるワイズ博士が、ミス・ホランドの言葉をついだ。うん、答えてない。行くっていってないから、きちんと返答すべきだ。パンサーが戻って来たら、すぐさま伝えよう。それにしてもどうしよう、何を着ていくべき? もちろん、ドレスなんて持っていないのだから、選びに行かなくちゃ。だけど、ママがどのくらいの予算を設定してくるかに、すべてがかかっているといっても過言ではない。そうだ、古着屋さんへ行ってみるのはどうかな?

「偶然の産物です。小型の粒子加速器を開発した友人を頼って、自分の理論を現実のものとするべく、さまざまな角度から実験をおこなっていた矢先、抽出されたのが、わたしたちがエキゾチックな物質と呼ぶ、それでした」

 ワイズ博士がいった。古着屋さんというアイデアは悪くない。安いし、選び放題だし、どれも一点もので、誰かとドレスが同じ、なんてことにもならないのだし!

「マエストロはいままでに三度、時間を止めています。実験的に、あなたがたの、ダイヤグラムの巨大広告を逆さまにするためと、それが成功してのちの、フェスラー銀行強盗のため、それから、博物館で。彼は首に、少量の物質を入れたペンダントをしていて、停止した時間の中でも、装置と融合しており、動くことが可能です。いつ、どこで、どのくらいの時間を停止させるかは、端末の役目で、作動した装置はその箇所まで、目には見えないワームホールを伸ばす。ホールを通れるのは、マエストロだけ、というわけです」

 なるほど、とカルロスさんがうなずいた。リビングのテレビには、音量を下げたニュースが流れており、発信器の位置をしめす、画面のそばから離れないアーサーは、わたしたちとは離れたソファに座ったまま、ときおり顔を上げて、ニュースを見ている。そこで、いきなり奥の寝室のドアが開き、パンサーが戻って来た。

 ビックリしていたのは、ミス・ホランドの婚約者であるブライアンさんだ。なにしろ自分のそばにはデイビッドがいるのだ。デイビッドとパンサーに、交互に視線を向けるブライアンさんに気づいたカルロスさんは、アリスさんがミス・ホランドへいったのと同じことを告げる。まあ、他言しない、という同意書へのサインを求める、といった意味の言葉だ。

 そしてわたしも落ち着かない。いますぐ行くと叫ぶべきだろうか。ううーん、でも、ものすごく真剣な表情のみんなの前で、そんな場違いなことできない、あとにしておこう。

「どうだった?」とカルロスさん。

 マスクを取りながらWJが答える。

「ないよ。見あたらない。嘘だよ」

 猛スピードで捜しまわったのか、WJの息が荒い。それに、どことなく表情が暗い、ような気がするのは、わたしの気のせいだろうか。それとも、わたしをプロムへ誘ってくれたのに、わたしが答えていないから、それを気にしちゃってる……って、こんな危機的状況で、それはないだろう。

 ホテルの支配人に、爆弾の有無を伝えるため、カルロスさんが受話器を持つ。グローブをはずし、片手で顔を撫でたWJは、大きく息をついて、わたしたちを見まわすと、少し休みたいという。

「どうした?」

 デイビッドが訊く。WJは気弱な笑みを見せて、なんでもないよと答えてから、わたしがクローゼットに隠れていた、例の寝室へ向かい、ドアを閉めてしまった。

「なんだか、とても疲れてるみたい」

 わたしのそばに近寄ったキャシーに、耳打ちされる。わたしがうなずきかけた時、アーサーが声を上げた。

「船が動きはじめた。港に近づいているぞ」

 駆け寄って画面を見れば、WJが船に置いて来たという発信器のナンバーが、ゆっくりと港へ向かって南下していた。眉をひそめたアーサーが、新聞はないかと誰にいうでもなく訊く。テーブルの上の新聞をつかんだリックが、アーサーに差し出す。アーサーが新聞をめくりはじめるのと、カルロスさんが受話器を置くのと、ニュースの映像が切り替わるのは、ほとんど同時だった。

『臨時ニュースです』とテレビの男性キャスター。

「……めぼしい記事はないな」とアーサー。

 そして、男性キャスターが伝えた。

『さきほど、クレセントシティ五十八番街界隈にて抗争があり、ひとりの男性が銃弾に倒れた模様。中継はつながっていません』

 カルロスさんがテレビの音量を上げる。

『ただいま入ったニュースです。クレセントシティ五十八番街界隈にて抗争があり、ひとりの男性が……』

 キャスターの目の前に、画面の横から手が伸び、あらたな原稿に差し替えられる。

「……五十八番街、ジョセフの事務所があるあたりだ」

 カルロスさんが不安げな面持ちでささやく。直後、ざらついたカラーの画面越しに、キャスターが顔を上げた。

『失礼しました。ジョセフ・キンケイドが銃弾に倒れた模様』

 ……う、え!

 あ然としたのはわたしだけではない。その場にいた全員が、テレビの画面に顔を向けたまま、固まった。

『ジョセフ・キンケイドはフリーのジャーナリストでしたが、みずからの組織を改革すべく、先日トップに躍り出ました。兄弟間の抗争の銃弾に倒れた模様です。詳しくはわかっておりません。臨時ニュースでした。次のニュースです』

 カルロスさんが、両手で顔をおおってしまった。

「気をつけろといったのに、これだよ」

「生きてるのか、死んでるのか?」とデイビッド。

「さあな」

 アーサーがそっけなく答える。無線機を持ったカルロスさんが、リビングを歩きまわった。

「ダメだ、誰も応答しない」

 テレビのニュースが、さらに切り替わり、ゴシップコーナー風の華やかなロゴと音楽が画面を彩る。その背後に、以前撮られたらしい、幸せそうな若い男女が映る。その男女には見覚えがある。男性はジェイク・フェスラー、そして女性は、婚約者のジョージアだ! 

 ブロンドの女性キャスターが、色っぽい声でニュースを読む。

『今夜おこなわれる婚約パーティが、船上に変更したとフェスラー銀行広報部より情報が入りました。今夜は快晴、海の状態は良好、最高にロマンチックなパーティになりそうですね!』

「それは……マズいぞ」

 アーサーが、顔をしかめる。

「……急に変更したんだな。いやな予感がするのはおれだけか?」

「ど、ど、どういうこと?」

 おろおろしながらわたしが訊けば、アーサーは画面を指していった。

「装置のあるマエストロの船で、やるということなんじゃないのか?」

★  ★  ★

 

 私服の警官が市警より派遣され、スーザンさんとリックが部屋を出て行った。部屋を出る前、リックのもとには、フランクル氏から無線が入り、キンケイド・ファミリーの兄どもを拘束したという情報がもたらされる。撃たれたジョセフは病院に搬送されて、現在弾丸の摘出手術中。生きてはいるものの、重体であることは間違いないという。待ち伏せしていた兄たちの誰かに撃たれ、ちょうど近くをパトロール中の警官に囲まれ、いっきに銃撃戦となったらしい。ジョセフがいままで無事でいられたことは、ある意味奇跡かもしれないとカルロスさんはいう。

「工場街を再開発するつもりだと、ジョセフはいっていたんだ。アーティストが集うようなヒップな場所にね。こちらも資金を提供する約束をしたばかりで、このありさまだ。しかも今夜のパーティに、ジョセフは行けない」

「ミスター・メセニ、スネイク兄弟に移動してもらったほうがいいです。今夜のパーティはフェスラー宅ではなく、船ですよ。しかもたぶん、現在港へ移動している、装置のあるマエストロの船」

 どういうことだとデイビッドがいう。アーサーは肩をすくめて、

「さあな。だが、おれが思うに、客の大半はシティのセレブだ。遠くから訪れる人間もいるだろう。資産家、有名人、政治家、シティ市長。そんな客を乗せた船で、なにができる? 答えはなにも、だ。中にマエストロがまぎれているとしてもな」

「まるで人質だね」

 ふう、と息を吐いたカルロスさんが苦笑する。

「ともかく。パーティには誰かに行ってもらわなければ。その場にマエストロもいるのなら、テリーと一緒の会話が録音できるかもしれない」 

「マエストロは変装してますよ」とアーサー。

「おれが行くよ、カルロス。どうせおれにも招待状は届いてるんだろ?」

 デイビッドがいうと、カルロスさんは首を横に振った。

「きみにはここに残って、ミス・ホランドを守ってもらいたい。マノロに行ってもらうよ。ギャングだが、最先端の店のオーナーでもあるんだ、招待状は彼にも届いているはずだ」

「マエストロはマノロのことを知ってるし、今朝、マエストロに発砲しまくっていたのに?」

 素朴な疑問をぶつけたわたしに、カルロスさんは渋い表情を見せた。

「……そのとおりだよ、ミス・ジェローム。でも、変装したマエストロは、セレブだらけの船の中で、マノロになにかするとは思えない。目的はもっとずっとほかにあるはずだ。招待状を持っているなら、マノロが参加するのは当然だ。誰も疑問には思わないだろう。どちらにしても、こちらとしては、会話をキャッチしたいだけなんだ。アーサー、スネイク兄弟に、場所の移動を連絡してくれ。それから、システムナインが会話をキャッチできる範囲が、どれくらいなのかも訊いてくれ」

 アーサーが無線機を手にし、スネイク兄弟を呼び出す。カルロスさんもマノロを呼び出すけれど、誰も応答しないとため息をつく。わたしは寝室に入ったきりのWJが気になって、ソファから腰を上げ、寝室のドアをノックする。答えがないので、眠っているのだろうと、静かにドアを開けると、WJはパンサーのコスチュームのまま、わたしに背を向けるかたちで、ベッドに座っていた。

「……どうしたの?」

 WJが肩越しに振り返る。にっこりとしてくれたけれど、どことなく表情にかげりが浮かんでいた。疲れている、というのとは、少し違うように思える。なにがどう違うのかは、わたしにもわからないけれど。

 ドアは開けたままで、ゆっくりとWJに近づく。グローブをはずした両手を組んだWJは、どこを見ているともいえないような、ぼんやりとした視線を、自分の足元へ落している。

「疲れちゃった?」

「……うん、そうかもね」

 く、と上がる口角とはうらはらに、眼差しの奥には奇妙な憂いがある。その眼差しで、正面に立つわたしを、無言で見上げる。まっすぐに見つめられているというのに、照れるどころかおかしげな不安におそわれてきた。

「なにかあったの?」

「なにもないよ」

 WJはまた、にっこりした。もしかして、さっきわたしにぶちまけてしまった本音に照れている? ……とは、まったく思えない深刻な気配だ。

「わたしにはいってくれないかな? あなたがなにか考えてる感じって、すぐわかっちゃうから。それとも、コスチュームの着心地が悪かった?」

 WJがうつむいて笑う。

「いいや、すごくいい感じだよ。前のよりもね」

 前のめりになり、膝に乗せた腕を曲げて、両手を合わせ、口元をおおうとWJがいった。

「……マエストロを捕まえるよ、必ずね。それで、みんな自分の家に戻れる。きみも」

 まるで、自分に誓っているような、小さな声だった。もしかするとWJは、怖いのかもしれない。駅でのことが過っていて、マエストロを殺してしまうかもと、おそれているのかもしれない。そう思いあたって、はっとした。

「あ、あなたは大丈夫……って、なにが大丈夫なのかわからないけど。ともかく、なにがあっても、わたしはあなたの味方だし、なんというか、みんなも、キャシーとかみんなも、あなたの味方だよ」

 うまく伝えられた、気がしない、まったく。うううー、言葉に不自由すぎる! だから普段から、もっと本を読んでおくべきなのだ。こういった時に最適な励ましの言葉だとかを、ただでさえ空っぽな自分の頭の中に、普段から詰め込んでおくべきだったのに! こんな自分にイライラしてきて、その場で地団駄を踏みたくなったけれど、あまりにも幼児的行為なので、ぐっと奥歯を噛みしめて、我慢してみた……って、おっと、そうだ!

「あ! わたし、あなたとプロムへ行く!」

 わたしのとうとつな返答に、びっくりした、といわんばかりの顔で、WJが大きな瞳をさらに見開く。たしかに、会話の流れとしては、とうとつすぎたようだ。

「……いま、答えないほうがよかった、みたいだね」

 はははとWJが声を上げて笑った。

「そんなことないよ。さっきは変なこといってごめん。それから、嬉しいよ、ありがとう」

 笑ってくれたので、少しほっとした。

「わたしも。わたしのこと誘ってくれてありがとう。学校にめちゃくちゃ貼られてるポスター見るたびに、ほんとはちょっと落ち込んじゃってたの。わたしはこういうの、行けないだろうなあと、思って。でも、ホランド先生が、ひとりでも参加するっていうから、そういうのもアリかなって思ったりしてたんだけど」

 そうか、いっそホランド先生とカップル、というのも、悪くなかったのかもしれない。まあ、なんとなーくのけものっぽい地味な女子生徒が、みんなに優しい先生と参加するだなんて、学校創立はじまって以来のビックリハプニング、だろうけど。

 それにしても、プロム! その日の予定にシッターのバイトでも入れて、いじけてやり過ごそうとしていたイベントなのに、わたしがWJとプロム! ……の前に、学年末試験があったことを、いまのいままで忘れていた。しかもその前に、今夜が待っている。

「あ、そうだ。パーティは船でやるんだって。さっきニュースで流れてたの。しかも、ジョセフが兄の誰かに撃たれて、病院に搬送されたの!」

 WJの表情が曇る。眉間を寄せて、知らなかったとつぶやく。ベッドから立ったWJが、寝室を出ようとするので、休まなくてもいいのかと訊ねると、にっこりしてうなずいた。

「うん、大丈夫」

 寝室を出る時、WJが低い声でいった。

「……必ず、捕まえなくちゃね」

 なぜだかその時、またもやわたしの胸の中に、もやもやとした不安が広がっていくのを感じた。それがなんなのかはわからなかったけれど、たしかに、なにかが、おかしいと思ったのだ。なのに、寝室を出た直後、無線機に向かって、呆然としているカルロスさんを目にした瞬間、そんな不安におそわれたことは、いっきに吹っ飛んでしまった。

 カルロスさんがゆっくりと、わたしに顔を向ける。

「なんだよ、カルロス。マノロとつながったんだろ?」

 デイビッドがいうと、ジゴロ顔のカルロスさんがまぶたを閉じる。

「……ミス・ジェローム。申しわけない」

 あれ? わたし、カルロスさんになにか、謝ってもらうようなことをされたんだっけ? まるきり思い出せないので、首を傾げれば、まぶたを開けたカルロスさんが、かなしげな表情でいった。

「マノロが、きみと一緒でなければいやだといっているんだけれど、……どうかな?」

 どうかな……って、なにが?

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