SEASON FINAL ACT.05
ずいぶん長いこと、マノロは無言で立っていて、口元はにやついているのに瞳の奥は笑っていないという、超悪魔的な表情を崩さずに、ゆったりとした仕草でたばこを吸っていた。
わたしといえば、ソファの上でまるまって、そんなマノロのおっかない視線から目をそらせずにいる。肉食の野生動物に出くわした時、視線をそらしてはならないという生存方法を思い出したので、いまそれを体現しているところだ。
まあ、マノロは野生動物ではないけれど、ぶるぶると小さく震えながらも、相手を威嚇するかのごとく、頬をふくらませてふんばっていたら、背もたれ越しにWJの大きな右手が伸びて、わたしの顔を包んで隠してくれた。
視界がさえぎられて安堵したら、ジョセフがマノロの名前を呼んだので、その場からやっと、たばこのにおいが遠ざかる。わたしの顔から手を離したWJは、ものすごく険しい横顔で、ジョセフのそばへ行くマノロを目で追っていた。
「もしかして、きみを突き落とした張本人?」
顔をマノロに向けたまま、WJがいう。
「う。そ、そう……っす」
でた。対マノロの、このイケてない語尾!
「ミスター・スネイク、無線機をひとつ借りてもいい?」
ジョセフのそばに立つマノロをにらんだまま、WJが手を伸ばす。ほらよ、とミスター・スネイクが放ったので、受け取ったわたしは、WJの手に渡す。
「アーサー、もうひとつの無線機をオンにして、彼らの会話が聞けるようにしておいてほしいんだけど、いいかな? それから、ぼくの眠っていた寝室に、ニコルを連れて行くから、十分くらいしたら、キャシーを連れて来てほしいんだ。ニコルたちはここにいないほうがいいと思うから。この部屋の会話は、無線機で聞くよ」
無線機をかかげる。
「向こうにも寝室があるぞ?」
スーザンさんのメイクをほどこす、ミス・ルルたちのいる方向を指でしめし、アーサーがいう。
「そうなんだけど、奥の寝室は南東に面していて、バルコニーも広いし、嫌な感じがするんだ」
海にはマエストロの船がある、WJはそのことを懸念しているのだ。うなずいたアーサーは、たしかに、と前置きして、
「ちなみに、その十分、というのはなんなんだ?」
WJはマノロを視線でとらえたまま、少しばかり深刻そうな気配をただよわせる。
「ニコルとちょっとしゃべりたいんだ」
告げて、わたしを立たせた。だからわたしは、またもや怖くなる。WJは優しいけれど、心の奥にいつもなにかを秘めていて、それをさらけだすことがあまりないから、WJの考えていることが、わたしにはときどき(というよりも、常にかも)さっぱりわからないし、予想がつかないのだ。
どうか妙なことをいいださないようにと願いつつ、WJのうしろにくっついて、寝室へ移動する。その間、楕円形の大きな、マホガニーのテーブルを前にして立つマノロは、例の悪魔的表情でじいっとこっちを見ていて(ちなみに、デイビッドもわたしを見ている)、その視線から逃れるために、WJの背中に手を添えながら、王室御用達みたいな寝室へ急ぐ。
WJが眠っていたベッドは、簡単に整えられてある。ベージュを基調とした壁紙には、薄いグレー色の小花柄が品よくちりばめられていて、ベッドカバーは薄いパープル。天井にはもちろん、お約束のシャンデリアだ。光沢のあるカーテンが、天井から床まで垂れ下がっていて、直立する高層ビル群が、窓の向こうに見えている。
ドアを閉めたWJは、ライトを灯すとカーテンを閉る。
「座って」
ベッドのそばへ、さっきわたしが移動させた椅子を指してから、無線機のスイッチを入れた。無線機からぼそぼそと聞こえるのは、カルロスさんとジョセフの、ピストルについて説明する声だ。
おずおずと椅子に座ると、WJはベッドへ腰を下ろした。膝がくっつきそうな距離で、お互いが真正面の位置になったとたん、いったん無線機を切ったWJは、まっすぐにわたしを見た。
ど、どうしよう、なにがどうなってそうなったのかは、わたしにわかるはずもないけれど、いまにも「やっぱりごめん」といわれそうな気がして、焦ってきた! そちらに会話が流れないように、なにか違うことをいうべきだ。
「ど、どうして無線機切ったの?」
「ぼくらの会話も聞かれちゃうだろ。アーサーに」
ああ、なるほど……って、うなずいている場合ではない。落ち着きなく視線を動かして、どうでもいいような会話の糸口を探していたら、WJが優しい声でいう。
「さっき、というか今朝だけど。ぼくがいったこと、覚えてる?」
あれ? どうやら「ごめんね」的な内容ではないらしい。安心しすぎて、胸に手をあてたまま、はあっと深く息を吐いたら、どうしたのとWJに訊かれた。なんでもないと笑うと、WJもちょっと微笑む。
「あなたがいったこと?」
「うん。きみにうろうろするなっていうのを、やめるっていったこと」
もちろん、覚えている。
「それがどうしたの?」
分厚い眼鏡越しの、ありんこみたいな眼差しで、わたしの心の中を探ろうとしているかのように、WJはわたしを見つめる。
「きみを捜している間も、さっきうたた寝していた時も、いろいろ考えていたんだ。ぼくはきみが心配だから、どうしてもじっとしていてほしいと思ってしまうけど、それはきみの行動を、ぼくが監視してるってことになるよね。そういうのは、すごく不公平な気がしたんだよ」
「不公平……って、どうして?」
「もちろん、きみのことが心配なのはいまもだけど、でも、だからといってきみの行動を制限する権利は、ぼくにはないから。それに、どこかでじっとしているきみは、きみらしくないのかなとも、なんとなく思って。きみはぼくの行動の制限をしないのに、ぼくだけきみになにかを押しつけるのは、マッチョぶってる不良みたいで嫌なんだ。それで、不公平」
WJのいおうとしている真意は、わたしにはまだわからない。軽く首を傾げつつ、続きを待つことにする。WJは、自分の気持ちをうまく説明するために、言葉を探しているようすで、視線を足元へ落し、間をおいてから顔を上げた。
「正直なところ、今日なにが起きるのか、ぼくにもわからない。できるかぎりきみのそばにいるけれど、ぼくの相手はマエストロだ。もちろん、ぼくひとりじゃないし、このホテルにはカルロスもスーザンもいる。二人とも銃を正しく使えるし、デイビッドもいい腕だよ。みんなが無事で、なにもかもがうまくいけばいいと思っているし、そう信じてる。だけど、この先、たとえば、すべてがまるくおさまった時に、きみがどこで、なにをしていて、どうしているのか、いちいち気にする看守みたいに、きみをしばりたくないと思ったんだよ。まあ、そうしたいのは山々だけれどね」
うまくいえないな、とWJはひとりごちて、自分の髪をくしゃりと握った。なるほど、WJがわたしに伝えようとしてることが、なんとなくだけれどわかってきた。つまり、いまみたいな危機的状況の時のことではなくて、これからのことを考えて、という意味なのだ。それはつまり、わたしとずっと仲良しでいてくれる、という意思表明なのではないだろうか!
鼻息もあらく、わかったといってうなずけば、ほんとう? とWJが片方の口角を上げて、にやりとした。
「伝わった?」
「うん。もちろん、今日はここから一歩も動かないよ。わたしはスーパーな女の子じゃないし、水鉄砲しか使えないんだもの。だけど、この先っていう意味なら、いままでどおり、バイトをしたり、パパとママの手伝いをしたりすると思うな。それで、なにか面白いことがあったら、あなたに電話するね」
あれ? とWJが片眉を上げる。
「電話をくれるのは、面白いことがあった時だけ?」
そうつっこまれると、考えてしまう。たしかに、お腹を抱えて笑えるほどのことなんて、めったに起きるものではない。たとえば、どこかの偉そうな、お金持ちの人が、実はカツラで、それが強風にあおられて飛ばされちゃったのを見た、だとか。
「うーん……そうだよね。じゃあ、普通の時も電話することにする。ええとう、まあ、週末とか、学校で会えない時とか。だけど、長電話禁止令をママに出されているから、三十分以上はできないんだけど、いいかな?」
にっこりしたWJは、クスッと笑みをもらしてから、口角を上げたままクスクスと笑いはじめる。なにかおかしいことをいったのだろうかと、不安になって訊けば、そうじゃないよとWJはいう。そういっておきながら、腕を組んで前かがみになり、声を上げて笑いはじめてしまった。
「え! そんなに爆笑すること、いまわたしいったの?」
なぜだろう、とてもまともなことを伝えたつもり、なのだけれども?
「ごめん。そうじゃないけど、きみっていろいろ禁止されているんだなあと思って。ぼくにはうろうろするなっていわれたり、きみのママには長電話するな、だろ?」
あまりにも笑われたので、反撃するためにすごい寝癖を指摘したら、WJは慌てることもなく笑いながら、自分の髪を撫でつつ、わかってるとあっさり答えた。
「さっきバスルームで見たよ。でも普段の身なりなんてどうでもいいんだ。TPOはちゃんと守るし、オシャレをしなくちゃいけない時は、そうするからね」
たしかに、ウッドハウス家でのパーティの、タキシード姿は完璧だった、こちらがやきもきするぐらいに! だからこそ、普段はこのままでいていただきたいという思いもある。学校の女の子たちには、とっても素敵だということがすでにバレてしまっているので、いまさらではあるけれど。
「……まあ、わたしもそういう寝癖的なあなたのこと、けっこう気に入ってるから、そのまんまでいてもらえると助かるな」
「助かる?」とWJ。
「う。だ、だって! だって、あなたったら、サリーに目をつけられちゃってるって、気づいてる? わたしはやきもきして、なのにあなたのためかなとも思ったりして、ここのところすっごくぐるぐる、いろんなことを考えていたんだから」
笑いながらもぎょっとしたみたいに、WJの眼鏡の奥の瞳が、二倍の大きさになる。
「ぼくのため?」
「……だってそうでしょ? わたしがそばにいると、あなたはなんというか、いろいろうまくできなくなるから、距離を置かれたんだし、それで、わたしのことをあんまり考えないようにするために、サリーと一緒にいるのかなあって。サリーはキュートだし、キャシーほどじゃないけど、人気のある女の子だし、だから仕方がないのかなとか。まあいろいろ考えていただけだけど」
わたしはうつむいて、膝の上に置いた両手をもじもじと組み合わせながら続ける。
「わかってると思うけど、わたしはとっても地味だから、あなたにちょっとカッコいいみたいな恰好されると、いろんな女の子にモテちゃうんじゃないかなって」
もしもWJが、眼鏡も寝癖もなしで、デイビッドみたいなオシャレさんになってしまったら、わたしはたぶん、同一人物を目の前にしているというのに緊張して、気後れしてしまうだろう。
「そしたら、いつかあなたの前に、とってもすてきな女の子があらわれちゃったら、わたしはなにかの影から、そうっとあなたを見るしかなくなっちゃうかも。これって、いっておくけど、たぶんイケてないやきもちだと思う」
以前のように、しゃべれる関係に戻れたことをいいことに、いっきに気持ちをぶちまけたとたん、ありえないほどの気恥ずかしさにおそわれてきた。自分の膝にくっつくほど、前のめりになってうつむいていたら、ニコル、と名前を呼ばれる。顔を上げると、間近に、真剣な表情のWJの顔があった。
「……いっぱいごめんをいわせてくれる?」
「べつにあなたのせいじゃないと思う。あなたはなんとかしたかっただけだもの。そうでしょ?」
持て余している、マルタンさんいうところの「センス」というやつのせいなのだ。それをどうにかできるのは、WJ自身のみ。額がくっつくほどの近さで、見つめ合っていることに気づき、またもや自分の手元に視線を落したら、WJが優しい声でいう。
「……きみのいうとおり、ちょっとだけサリーのことを考えるようにしたよ。きみに嫌われたほうがいいと思って、いろんな女の子とデートしてみようかな、とかね。だけど、想像しただけで全然気分がよくないし、楽しくないんだ。わかってほしいのは、ぼくにとってきみは、この銀河系で一番、素敵な女の子だってこと、なんだけど」
シティで一番でもなく、世界で一番でもない告白だ。それは……すごい!
「え! それって、宇宙人よりも、ってこと?」
いたら、だけれども。WJはうなずいてくれる。膝に置いたわたしの手が、大きなWJの手に包まれる。額に、WJの額が近づいて、自分の前髪がこそばゆくなった。ひゃあっと思って、まぶたをきつく閉じようとしたら、そこでいきなりドアが開いた。
「おっと」
キャシーを連れたアーサーで、とっさにドアが閉められる。アーサーのことだから、きっかり十分で登場したはずだ。ううーん、くそう。でもまあいい、なにかとっても残念な気持ちが、くすぶっているけれども忘れよう。
そうっと額を離し、手をのけてから立ち上がったWJは、ベッドに置いた無線機をわたしに差し出し、スイッチを入れたらリビングの会話が聞けると告げて、にっこりする。だからわたしは、あらためて思うのだ。
わたしはこの人が好きだ。とっても大好きだし、なにがあってもこの人を守りたい……って、まあ、わたしが守れるのは女の子(年齢問わず)たちから、しかなさそうだけれど。
ともかく、そんなふうな思いにおそわれて、胸がいっぱいになってしまった……というか、大変だ、思いがあふれすぎて、むしろ息苦しくなってきた。興奮をおさめるために、胸に手をあてて息を整えていると、ドアのそばへ行ったWJが、ノブに手をかけた。けれども、いったん動きを止め、
「ぼくがいいたかったのは」
わたしを振り返るとにやりとする。
「行動を制限しなくちゃいけないのは、きみじゃなくて」
くい、とドアを指す。
「あっちにいる人の誰か、ってこと」
WJと入れ替わりに、部屋へ入って来たアーサーは、ZENとプリントされた紙袋をかかげて、
「……きみを突き落とした張本人の店の料理を、食う勇気はあるか?」
どうしよう、思いきりうなずけない。というか、どうしてそういういい方するの!
「ア、アーサー。わたし、すっごくお腹が空いているのに、そんないい方されたら、妙な意地をはっちゃうじゃない!」
ベッドへ袋を置いて、中から白い箱を出したアーサーは、フォークをくわえると立ったまま箱を開け、いきなり食べはじめた。
「そうか、ならやめておけ。おれは食うぞ。食べ物に罪はないからな」
わたしはうなだれる。お願いだから、だったらはじめからおかしなことをいわないでくれないかな!
★ ★ ★
キャシーとアーサーと三人で、無線機を囲み、キングサイズのベッドの上で朝食を食べる。無線機から聞こえてくるのは……マノロの声だった。マエストロが自分の父親に接触していたのはわかっていたと、マノロは語る。十年前は敵だった相手が、年月を経て悪玉と成り果て、友好的な態度で謝罪をしめし、一緒によからぬことをしようと誘われたら、ギャングのボスは誰でも、損得を考える。そしてドン・ヴィンセントは、得、と答えを出したのだ。
「どうでもいいが」
とろりとした茶色い液体のかかったヌードルを、フォークでかき混ぜながら、ものすごく静かな声でアーサーがいう。
「……世にも奇妙なヌードルだな。はじめて食べる味すぎて、うまいのかまずいのか判断できないぞ」
「魚介と野菜も入ってるわよ? パスタみたいな感じよね」とキャシー。
「おいひいよ?」これはわたし。
ふ、とアーサーが笑った。
「きみはなんでもうまいんだろうな。ロビンソン・クルーソーみたいな目にあっても、大丈夫だ、間違いなく生きていける」
それって、無人島的野生世界の意味不明な食物ですら、おいしく感じられるんだろうという褒め言葉なのだろうか? どちらかといえば、失礼きわまりない意見に聞こえたけれど、かなしいかな、否定できない。わたしはアーサーの意見に、いつも否定できない。正しい気がして! くそう!
と、アーサーがヌードルの箱をよけて、無線機に耳を近づけ、口にひとさし指を添える。
音をたてないようにヌードルを頬張っていたら、マノロがぼそぼそとした声でしゃべり続けている。フェスラー家でのパーティに、ドン・ヴィンセントが呼ばれたのは、マエストロの誘いがあったからなのだそうだ。そんなマエストロが、どうしてフェスラー家とつながりがあったのかは、マノロもわからないという。
考えてみたら、マエストロは元ヒーローで、いちおう有名人でもある。顔は広いだろうし、以前の知り合いという可能性もなくはないのだ。
銀行強盗の件も、マノロは知らなかったらしい。ただし、ドン・ヴィンセントは、マエストロにやたら期待をかけていて、シティを牛耳る日も近いなどと、豪語してはご満悦……になっていたそうだ。ちなみに、マノロはZEN以外にも数件のレストランや、クラブとキャバレーの経営を任されていて、ギャングらしいおこないといえば、会員制のカジノからの集金だけ。とはいっても、マノロ自身はかなりギャング的な存在感を持っていると、わたしは思う。コーラの瓶みたいにピストルを持つし、気に入らない人間がいれば、窓から突き落としちゃう(おもに、わたしを)のだから!
「アーサー、マノロは次男坊だよね? 長男とかいるのかな?」
大きく口を動かして、小さな声で訊いてみる。無線機を手のひらで押さえたアーサーは、わたしを上目遣いにして答えた。
「いたが、数年前に死んでるはずだぞ。詳しくは知らないが、なにかの抗争でな……」
しゃべりながらげんなりした顔で、自分の口元を指でしめす。わたしの口に、なにかがついているらしい。キャシーを見たら、笑いをこらえたキャシーが、ハンカチでわたしの口元を拭ってくれた。ヌードルのソースがべったり、あごのあたりまでついていたようだ。
わたし、WJにとっては銀河系で一番素敵みたいだけれど、一般的にはまったくダメな気がしてきた。まあ、いまさらだし、わかってはいたけれども、こんなわたしをWJが好きでいてくれるのかどうか、いよいよ不安になってきた。
しばらくの間、カルロスさんとマノロとジョセフの会話が続く。そこで、アーサーは腕時計を見て、無線機を置いたままベッドから立つ。
「どうしたの?」とキャシー。
「ミスター・ワイズを連れたリックが、そろそろ来るんだ。防弾ベスト数着を持って」
「え! ジョセフとかマノロがいるのに?」
「もうすぐ彼らも帰るだろ。鉢合わせしたところで、おれの父親じゃないから大丈夫だ。それに、ジョセフもマノロも現時点で、罪に問われることはしていない。マノロはたしかに、殺人未遂者だが、きみ自身が通報しなければ証拠不十分すぎて、警察は動かないぞ。おれもその場面を目撃しているわけじゃないしな。それに、パンサーの不在で、あちこちでくだらない事件が多発してるんだ、激務なのに証拠のあいまいな、しかも面倒な対ギャングの事件を追いかけてくれる暇人は、市警に存在しないぞ」
「じゃあ、わたしが通報すればいいんだね?」
嬉々としていってみる。
「ああ。でもきみはグイードの件でも、おれと来週あたり、市警に聴取されるぞ。そのうえ、学年末試験もろもろ、サマーホリディが家と市警の往復で終わってもいいのなら、おすすめするが?」
アーサーはヌードルの箱を捨ててから、寝室を出て行った。
……それは、避けたい。
もうすぐジョセフもマノロもここからいなくなるのなら、関わりもなくなるだろう。多少のトラウマは残っているものの、助かったのだし、この先のわたしの人生で、ZENのような高級レストランへ行くことも、もうたぶんないはずだ。だったら静かにやり過ごすべきなのかも。だって、サマーホリディはキャンプに参加するつもりで、こつこつとおこづかいを貯めてきたんだもの! それを無駄にすることなんて、できる気がしない。
わたしも立ち上がり、きれいにたいらげた朝食の残骸を、ゴミ箱へ捨てる。そこで、食後の身体的予感におそわれてきてしまった。寝室には浴室がくっついているので、入ろうとした時、キャシーも立ち上がってドアを指す。
「わたし、あっちのお手洗いへ行って、すぐに戻るわね」
ミス・ホランドと婚約者のいる隣の寝室と、浴室はつながっている。便座に腰掛けながら、一瞬立ち聞きしようかと思ったけれど、悪趣味なので思いとどまってみた。うん、これは賢明な選択だ。
水を流して、ミス・ルルにいわれたとおりの髪型だということに、鏡を見て気づ……いたものの、なおせるわけもない。だけど、いちおう、恋する女の子なので、軽く手で撫でつけ、そのまま寝室へ戻ったら。
「う」
誰もいないはずの寝室にいたのは、お手洗いから戻って来たキャシー、ではなくて、なぜか! なぜかジョセフ・キンケイドと、マノロ・ヴィンセントだった! 二人が同時にわたしを見る。ジョセフはまだいい、いや、よくもないけれど、マノロよりはマシな気がする。だって、マノロはよくない、わたしにとっては、とおってもよろしくない人物だからだ!
どうして? どーうしてこの部屋にいるのだろうか! 棒立ちになって、浴室のドアに背中をくっつけ、あ然としていたら、窓際に立つジョセフが、リビングに面したドアを親指でしめす。出て行け、ということだろうかと、おそるおそるドアノブに手をかけたら、近づいて来たマノロの手が伸び、ドアをおさえられてしまう。同時にそのドアの向こうから、さらにとっても避けたい人物の絶叫が、聞こえてきた。
「なぜだ! なぜ、わたしを避けたがるのだ、リック&アーサー、説明しろ!」
……この声は、間違いなく……、フランクル氏だ(それが親指の意味だ)。行動の落ち着かないリックを、フランクル氏は追いかけていて、行き着いたこの部屋に、たどりついてしまった、といった内容のことを、声を荒げてしゃべりまくっている。なるほど、だからジョセフとマノロは、とっさに身を隠すことにしたのだろう、あろうことか、自分たちから一番近かった、この部屋に。なにしろ同じ空間に、ギャングと(元ジャーナリストで脱ギャングをもくろんでいる、とりあえずはギャングのドンと)シティの警部長が、仲良く一緒にいられる、わけはないから。
そしてわたしも、ここからは出られない。かつ、誰もここへは入れない。誰かが出入りすれば「そこにはなにがあるんだね!」と、フランクル氏が警官の勘を働かせかねない、だろうから。そのうえWJは、この二人の行動を制御……する時間も、与えられなかったのだろう。厳格な誰かさんの、突然すぎる登場のせいで。
おっかなすぎて、にやついてきた。よし、このまま浴室へ向かって、そこから結婚間近なカップルの邪魔をするべく、向こうの寝室へ行くべきだ、いますぐ、そうすべきだ!
ドアに身体をくっつけたまま、ゆっくりとマノロから退いてみる。すると、マノロは目を細めて、気に入らないみたいな雰囲気で顔をしかめ、じいっとわたしに視線をそそいだまま、静かにいった。
「きみはどうして、女の子なんだ?」
それはわたしの……ママとパパに訊いてください……っす!