SEASON FINAL ACT.04
ミラーズ・ホテルの最上階には、だだっ広い二部屋のスイートルームがある。以前ここを訪れた時は、男女別に宿泊したのだけれども、今回の目的は宿泊するというよりも、対マエストロの作戦本部的意味が含まれているため、もうひと部屋も押さえてあるとはいえ、こちらの部屋に全員の荷物が整理されないまま、そこら中に散らばっていた。
マホガニーのテーブルの上で、シティの地図を広げたマルタンさんのそばに、アリスさんとWJとデイビッドが集まってしゃべっている。カルロスさんはミス・ルルに腕を引っ張られ、奥まったリビングのソファに座らされ、アシスタントたちがメイク道具をテーブルに広げていく。
アーサーとミスター・スネイクがしゃべっている近くで、チェストの上にテレビを設置したわたしとキャシーは、ボブとともにスイッチをひねる。テレビのアンテナの位置がおかしいのか、画面はざらついた砂嵐で、アンテナを手にしたわたしが、またもや飛べないメリー・ポピンズみたいに、あちこちをうろうろしていたら、浴室から顔を出したスーザンさんが叫んだ。
「誰か! ちょっと!」
振り向いたわたしと目が合う。
「ああ、プチビートルズ! わたしのバッグからメイク道具を持ってきて!」
というわけで、アンテナをボブに渡して、スーザンさんのバッグをまさぐる。真っ赤なレースの下着、黄色いガーターベルト、透けまくりの……ブラジャーって、これ、下着の意味あるのかな? お花畑みたいな下着まみれになりながら、メイクバッグをやっと見つけたら、今度はアーサーがわたしにいう。
「ニコル、そこの電話帳を取ってくれ」
そこって……、どこ? ドア横のサイドテーブルの上の電話を見て、首を傾げる。
「そこじゃない、きみのすぐそばのミニチェストの中だ!」
だから、どこ!
「プチ、早くして!」
スーザンさんに叫ばれる。てんぱって、頭にスーザンさんの真っ赤なパンティをのせたまま、メイクバッグを手にして、おろおろしながら浴室へ向かうと、その途中でスーザンさんがわたしを指す。
「ああ、やっぱり、荷物全部を持って来て!」
くるりと半回転し、スーザンさんのバッグめがけて突っ走れば、今度は奥にいるミス・ルルが声を上げた。
「二次元! そこの目の前のティッシュケースを放ってちょうだい!」
そしてアーサーが怒鳴る。
「ニコル、電話帳!」
もう、もう、もううううう! なんにもしなくていいっていったのは、誰? 手伝うのは問題ないけれど、お願いだからいっぺんにいわないでくれないかな! 息切れしまくるわたしに見かねて、WJが電話横のミニチェストを開け、中から電話帳を取り出し、アーサーに投げる。ソファの上にあったティッシュケースを、ミス・ルルに向かって放り、スーザンさんのバッグをつかんで、低空飛行のフリスビーみたいに、浴室方向へとぴかぴかの床の上を滑らせた。
「ありがとう。い、いっぺんにいわれて、わけがわからなくなっちゃった」
WJがクスッと笑う。
「証券取引所への就職は、やめたほうがいいかもね」
「するつもりもないけど、いっぺんにいろいろいわれそうな職場は、避けることにする」
スーツ姿で颯爽とシティを闊歩する、ビジネスウーマンにはなれそうもない。ため息をつくと、これはなんだとWJが、わたしの頭の上にあるスーザンさんの下着をつまんだ。
「あ、あああ! それはスーザンさんの!」
「レースの紐だよ、髪飾り?」
「下着だ」
WJの背後に立って、デイビッドがいった。とたんに顔を真っ赤にしたWJが、デイビッドにそれを渡す。
「守るべき場所をあえて守らない下着だよ、WJ」
指でつまんだデイビッドが、左右に広げていった。WJは顔をしかめて、わけがわからないとでもいうかのように肩をすくめ、マルタンさんのそばへ戻る。たしかに、わたしにも理解できない形だ。
「……リボンがあったら、自分で作れそうだよ?」
料理は下手でも、ピエロの衣装を縫ったりできるママなら楽勝だろう。
「高級ランジェリーブランドのものだよ。百五十ドルはするね。どうしてスーザンがいつも金欠なのか、これでわかったな」
こんなのが百五十ドル! というか、それがなにで、どうするもので、いくらぐらいのものなのかがわかる、デイビッドがおそろしい、いまさらだけれども。
「大人になったら、こういうのはかなくちゃいけないのかなあ」
お尻にスヌーピーがプリントされた下着は、封印しなくちゃいけなくなるのだろうか。すると、デイビッドがわたしの足先から頭のてっぺんまで、なめるように視線を動かした。
「……似合うとは思えないけど、逆にそのギャップがおいしいかもね」
おいしいって、なにが? はあ、と息をついたデイビッドは舌打ちし、軽く首を振りながらわたしに下着を握らせた。
「むなしい妄想はやめておくよ。ゴージャスなおれがデートもしないで、変態行為におちいる大人になりそうだからな。きみのせいで」
変態行為の詳細はわからないけれど、どうやらわたしのせいらしい。そんな大人になってほしくはないので、これ以上深く訊ねるのはやめておこう。
下着をスーザンさんに渡してから、とってもお腹が空いていたことを思い出す。思い出したのは、胃のあたりがきりきりしてきたからだ。空きすぎると痛むので、前のめりになって、メイク中のカルロスさんのそばへ行く。そんなカルロスさんは、健康的に日焼けした小麦色の肌の、なんだかまるで……、ワイルドなイタリア系ジゴロみたいに、なってしまっていた。
変装して監視する、というよりも、ナンパする気満々な観光客、といったほうが正しいかも。
「ぼくはもうすぐ終わるから、スーザンを呼んできてくれ、ミス・ジェローム?」
「そ、それはいいけど、カルロスさん。わたし、お腹がとっても空いてるんです」
カルロスさんが、腕時計を見た。
「ルームサービスを呼んでもいいけど、この惨状を見られるのはちょっとなあ。うーん、もう少し待ってね。もうちょっとで、食べ物を持った人が来るはずだから」
誰なのかはわからないけれど、食料調達係が新たに登場するようだ。わたしはうなずいてきびすを返す。すると、ミス・ルルにいわれた。
「二次元~。あなたちゃんとヘアのお手入れとかセットとかしてるの? アタシのカットが、ママに切ってもらった五歳児みたいになってきちゃってるじゃないの!」
さっきまでハム状態で、船の中に押し込められていたのだもの、お手入れなんてしている時間はないんです! なんていったら、さらになにかいわれてしまいそうだし、だからいうつもりもない。というか、いえない。
「紐みたいなちっちゃい下着が似合う大人に、なれそうもないから、このまんまでいいんです!」
納得していただくために訴えたら、あら、と、白いスラックスを腕にかけたレベッカが、片眉を上げてトランクをまさぐる。
「あなたにはそんな下着、似合わないわよ。ああ、あったわ、これがいいわね。あげましょうか?」
それは……チェック柄の、スリムでタイトなトランクスだった。
「そ、それって、男性用じゃないかな?」
ふん、と鼻でレベッカが笑う。
「これから提案するスタイルよ。女の子がこういう下着でガールズナイト、っていうモード。古着のトップスかなんかでワイルドにノーブラ、部屋はコンクリート打ちっぱなしなアトリエ風。ギターを抱えた退廃的なミュージシャンと、入り乱れるグルーピー的シーンを想像してみて」
想像……できない。
「レベッカ、それ、最高! だったらメイクはパンキッシュね、アイホールを麻薬中毒患者みたいに大きくする感じよ。ヘアスタイルはまさにいまの雰囲気で、ものすごくロングヘアの子と、そこの二次元みたいなヘアの子と、育ちは良さそうなのに、腕にタトゥーなんて入ってる感じの、悪っぽい貴族出身者的傾向のモデル! デイビッドにお願いしたいわ! そうでしょ、あなたたち!」
「そのとおりです、ミス・ルル!」
「あと二人はいるわね、誰かいないかしら!」
同意をしめしたアシスタントたちと、魔女(ひとりは男性だけど)コンビが、きゃあきゃあと盛り上がりはじめてしまった。提案されたシーンが、わたしにはさっぱり想像できないけれど、下着はもらってしまったので、その場を静かに離れ、スーザンさんを呼んでから、ソファまで行って空腹をまぎらわすために横たわ、ろうとしたら、またもやアーサーに命令された。
「ニコル、眠る暇があるなら、電池を入れる袋みたいなものを十枚ほど捜してきてくれ」
ううううう、わたし、ぜったいにアーサーの下では働きたくないって思う。その前に、アーサーは市警に就職するだろうから、試験を受けても百パーセント、わたしは落ちるだろうけど(受けるつもりもさらさらないけど)!
★ ★ ★
デイビッドに渡したレベッカ私物の革ジャケットは、無事に返却されたようだ。テレビの設置も終わり、空腹すぎてソファの上でぐったりしていたら、ドアがノックされる。
白いスラックスに白いポロシャツ、サングラスを胸にひっかけた恰好の、ミラノから観光に来たお金持ちのイタリア人夫婦、というややこしい設定を体現しているカルロスさんが、ドアを開ける。やっと朝食にありつけるかもと、いきおいをつけて振り返れば、短いカーリーヘアで、ハンサムというよりは、なんとなく愛くるしい顔立ちの、身長のあまり高くはない見知らぬ男性が立っていた。
グレーのTシャツの上に紺色のジャケットを羽織っていて、よれよれのデニム姿、なんだか寝起きのまま、びっくりして飛んで来ましたみたいな恰好に見える。まあ、わたしも人のことはいえないのだけれども。
「ブライアン!」
シャツとスカートをスーザンさんに借りたミス・ホランドが、浴室から出てすぐに突進した。ソファに座るわたしとキャシーは、抱き合う二人を見守りつつ、顔を見合わせてにっこりする。
「浮気なんかする感じじゃないわよね?」とキャシー。
「うん、いい人みたい」
カルロスさんと握手を交したミス・ホランドの婚約者は、電話を受けたけれど、なにがどうなってなんなのか、わけがわからないという。それはそうだろう、ここにいる人たちは、FBIでも警察でもないのだ。三部屋ある寝室のひと部屋に、二人を連れてカルロスさんが入っていく……って、ちょっと待って? わたしの食べ物はどこかな? もしかして、食べ物はブライアンさんが持って来てくれる、はずではない、ということ? ということは、いったいこのほかに、誰が来るのだろう。どうしよう、減っているうえに期待が裏切られてしまったので、空腹感がマックスレベルに達しちゃってる!
「キャ、キャシー。ガムとかないかな?」
「あるぜ!」
答えてくれたのは、真正面のソファに座って、テーブルの上の画面から顔を上げたミスター・スネイクだった。手を伸ばして受け取り、たいして見もせずお礼を告げて口の中へ突っ込めば。ううー! 空腹に激辛ミントの味は地獄かも。きっと、なにもしないほうが空腹感が増幅するのだ。さっきみたいに、いろんな人に同時になにかいわれて、動きまわるのは無理だけれど、なにかできそうなことは……などと考えながら視線を動かしていたら、ソファの上でちんまり座る、ミルドレッド博士が目に入った。
というわけで、マエストロによって切り裂かれた背中を、縫ってあげることにする。お裁縫道具はないかとキャシーに訊いたら、持っているというので(さすがキャシー!)、受け取ってから道具をソファの上に広げて、博士の耳をつかみ上げた。
「ねえ、アーサー。博士の中にある物、どうしたらいいかな?」
ミスター・スネイクの横に座っていたアーサーが、わたしを見た。
「ああ、そうだな。そいつの中にいろんな物が入っていると、マエストロにはもう知られているんだろ?」
「物質が入っているのは知らないと思うよ」
「どちらにしても、取り出したほうがいい。おれが預かる」
大量の綿を抜くと、たしかに無線機が突っ込まれてあった。それから、ずっと足元のほうに、ものすごく小さな、中に透明な液体の入っている、水晶みたいな球体の物体があった。
「こ、こ、これって」
おっかなびっくりになりながら、手のひらに載せてアーサーに差し出す。
「それだな。落すなよ」
アーサーが手を伸ばした。でも、落すなっていわれたら、手のひらから転がって、いまにも落してしまいそうだ!
「お、おっかない! キャシー、受け取って!」
「握ればいいのよ、ニコル、落ち着いて!」
そうだった。でも、握ったら今度はぎゅうっと握りすぎて、つぶしてしまいそうな気がする!
「だめかも! だめかも、キャシー!」
まかせて! とキャシーがつまんでくれたので、なにごともなくアーサーに渡すことに、成功した。ただし、こんなに間近な距離だというのに、キャシーを中継地点として、だけれども。
呆れ顔で軽く首を振ったアーサーは、それをハンカチに包むと、自分のデニムのポケットへ入れる。もはやわたしに、いうべきことなんてないみたいな顔つきで、ミスター・スネイクとしゃべりはじめる。博士の身体の中に綿を詰め終えたわたしは、針に糸を通して、ちくちくと縫いはじめたけれども、なぜだろう、うまくいかない。
「ニ、ニコル。そんなに大きな縫い目だと、綿がはみだしちゃうかも」
たしかに妙だと思ったのだ。縫っているのにそのすき間から、綿がこんもりと盛り上がり、毛並みにからまりはじめていたから。
「あれ? あれれれれ?」
「わたしがやるわ、見ていてね」
針と糸とミルドレッド博士をキャシーに渡して、ソファの上にあぐらをかいてうなだれる。
「……キャシー。わたし、いい奥さんになれないかも」
「だったら、メイドを雇えばいいさ。相手がおれなら、だけれどね」
いきなりデイビッドの声がしたので、顔を上げたらどっさりと、右隣に座られた。ん?
「その発言はおかしいわよ、デイビッド。ニコルはあなたのお友達、じゃなかった?」
きれいな縫い目でさくさくと、博士の背中に針を通しながらキャシーがいう。
「わーかってるさ、わかってるんだよ、ミス・ワイズ。だけどスーザンの下着のせいで、ありえない妄想がおれをおそいつつあるんだ、スルーしてくれ」
くそう、といいつつむっとしたデイビッドは、腕を組んで足を投げ出す。その妄想がどういったものなのか、詳しく訊ねる勇気はわたしにはない。それにしても、キャシーは上手だ。どうして均等な縫い目になるんだろ?
「すっごいかも、キャシー! あなたはとっても、いい奥さんになると思うな。クッキー焼いたり、手作りのランチョンマットかなんかで、お客さんをもてなす感じの」
「そうだろう」
満足そうににやりとしたのは、アーサーだった。キャシーの頬が、少しばかり赤くなる。
「きみは遊びそうだな、子どもと一緒に。そしてどんどん部屋が片付かない」
アーサーにいわれて、否定できない自分がかなしい。
「……ううー、たしかに。子どもと一緒に遊んじゃって、壁を落書きだらけにして、はしゃぎそうな場面がいま、簡単に浮かんじゃった」
「べつにいいんじゃない、それでも?」
いつの間にそばにいたのか、ソファの背もたれに両手を置いて、WJがわたしたちを見下ろしていた。
「……誰が掃除するんだ?」とアーサー。
「わからないけど。べつにかまわないよ」
WJが答えたら、あばたもえくぼだとアーサーが呆れる。
「それ用の部屋を用意すればいいだろ? 広くて、全面の壁がキャンバス地の。で、取り替え可能」
デイビッドがいう。すると、わたしの左隣にいるキャシーが、ぐいっと顔をデイビッドに向けて、じいっと見つめた。その視線の意味を察したのか、デイビッドは顔をしかめる。
「……いいさ、なんとでもいえよ。妄想は自由だろ、誰にも迷惑かけてない。くそっ、スーザンの下着をいますぐ燃やしてやる!」
腰を上げて、去って行った。
「……なんだ、ミス・ジョーンズの下着、っていうのは?」
アーサーの質問に、
「赤くて、レースで、紐みたいな、百五十ドルもする高級下着」
わたしが答えると、ミスター・スネイクが叫んだ。
「そそられるぜ!」
大人って謎だ。燃やしたがるデイビッドの妄想も……ミステリーだけど、謎は謎のままにして、解かないでおくことにしよう、おっかないから。
テレビのチャンネルをまわすボブが、嬉しそうな顔でチャンネルを止めたので、なにを見ているのかと思えば、ママがよく見ている、大人向けドラマの朝の再放送だった。けれども無惨にも、ミスター・スネイクによって、ニュースにしてくれといわれ、かなしげな顔でチャンネルを変えるはめになる。そこでいきなり、電話が鳴った。
マルタンさんが受話器を持ち、いったん置いてから、寝室にいるカルロスさんを呼ぶ。出て来たカルロスさんが受話器を手にして、なにやらしゃべってから、電話を切った。その数十秒後、ドアがノックされる。わたしは噛んでいたガムを紙に包み、待ち遠しかった朝食に備え、意気揚々とドアを開けるカルロスさんを、振り返って見守っていたら。
一歩、カルロスさんが退いた。
「おっと。……これは」
ドアの影に隠れていて、誰なのかはわからないけれど、相手はスーツを着ている。
「……すまない。ついて、来てしまった」
この声をわたしは、確実にどこかで耳にしている。なんとなく縮こまり、ソファの背もたれに隠れるようにして、顔半分だけのぞかせていたら、入って来たのはなんと、くわえたばこで、両手にアルミケースを抱えた、ジョセフ・キンケイドだった!
「武器商人よろしく、倉庫から各種ピストルを揃えたぞ。いいんだろうな、これで?」
その背後から、強面の中年男性が二人、「ZEN」とロゴがプリントされた、紙袋を持ってあらわれる。斜めにかぶったクラシックハット、ピンストライプのスーツに黒いネクタイという、暗黒世界の住人みたいな気配をただよわせた人物の登場によって、華やかなスイートルームが一転、いっきに魔界的雰囲気に包まれる。う!
し、し・か・も、だ。
「……復讐なら、加担させてもらう」
紙袋のプリントで、嫌な予感はしたのだ。テイクアウトなんてしない有名レストランの……たぶん、特別料理たち。どうして特別に、テイクアウト用として準備されたのかは一目瞭然、といえる。だって、その店のオーナーが、入って来ちゃったからだ!
床にアルミケースを置いたジョセフ・キンケイドが、ちょっぴりげんなりした顔つきで、横に立つ超ハンサムな男性を手でしめす。だからわたしは、息を止めつつ、背もたれに手をかけているWJの袖を握りしめる。その場にいる全員が、あ然とした顔で沈黙し、ヴィンセントファミリーの次男坊を見つめていた。ただし、約二名をのぞいて。
「……ちょおっと、レベッカ、最適なモデルがいるじゃない! 予約の取れないZENのオーナー、堕天使的甘い容姿の持ち主、マノロ・ヴィンセントじゃない! 彼よ、彼しかいないわ!」
奥のほうから、ミス・ルルの太い声が上がる。
「悪くないわね。普段はスーツのあの姿に、ミュージシャン的モードをまとわせたら? でも黒い噂があるから、掲載紙のカテゴリーから弾かれるかも」
レベッカの冷静かつ、怖いもの知らずな意見がこだました。思いきり顔をしかめたマノロ・ヴィンセントは、たばこをくわえて火をつけると、青い瞳を静かに動かし、視線だけで周囲を見まわす。そしてあろうことか、ソファの背もたれから目だけを出した、わたしと視線がからまって、しまった。というよりも、発見されて、しまったのだった。次男坊の片眉が、くいっと上がる。
逆ギレされるし、こ、殺される! この部屋の窓から、突き落とされる!
「……ひゃ、ひゃ、ひゃああ~」
いまわかった。わたしはいざという時になると、気弱な声しか出せないらしい。そんなわたしをかばうように、WJがわたしの前に立って、
「カルロス、彼はいいの?」
めずらしく不機嫌っぽい、いつもよりも低い声で訊いた。
「おれについて来てしまったんだ、なにがあったかは知らないが、ひとまずおいておいてくれ、デイビッド・キャシディの、実はハンサムなミスター・従兄弟?」
ジョセフがいった。そのジョセフにくっついて来てしまったという、殺人未遂者が、たばこのにおいをただよわせながら、ゆっくりとソファに向かって歩いて来る。そして、わたしを隠すかのごとく、立ちはだかったWJの横から顔を出し、縮こまるわたしを見下ろすと、
「……ほう」
にやりとして、煙を吐いた。いまやわたしは……猫ににらまれるネズミ状態だ。すると、マノロ・ヴィンセントがいった。
「おれを騙して生きていたのか、なるほど?」
騙したわけではない。勝手に勘違いされただけで。
ううう、うううーん、わたしはこういって逆襲したい。「わたしを殺そうとして、警察に捕まっていないわけか、なるほど?」……なんていえないし、いえるわけないのだ、おっかなすぎて!