SEASON FINAL ACT.02
トランクを持ってあらわれたアリスさんは、そのほかにもさまざまな物を持参していた。
ダイヤグラムの会社に届いている、キャシディ家の御曹司(つまりデイビッド)宛のたんまりな招待状、電報、そして、パンパンにふくれあがった真っ赤な革のバッグの中には、大量の……電池だ。紙袋の中におさまる電池を、バッグから取り出したアリスさんは、テーブルの上に飾られているフルーツにかぶりつくミスター・スネイクに、それをつきつける。ミスター・スネイクはぴゅう、と口笛を吹いて、アリスさんへ敬意を表した。けれどもアリスさんは、呆れてる、みたいな顔でぐるんと目玉を丸め、
「……ひとつの無線機に三十個単位の電池って、ったく、先が思いやられるね」
舌打ち混じりだ。その意見には、わたしも賛成したい。
WJはまだ寝室で眠っている。アリスさんからトランクを受け取ったカルロスさんは、マホガニーのテーブルの上に載せて中を開ける。
「両方に一着づつ、コスチュームが入ってるよ。ひとつは予備だとさ」
トランクを指して、アリスさんが説明した。そしてわたしたちは、まるでなにかの武器みたいに、パーツごとにたたまれてトランクの中におさまる、漆黒のコスチュームを見たのだ。ただし、たたまれてあるだけなので、デザインの全貌はまだわからない。
トランクのポケットの中に入っている書類の束を、カルロスさんが取り出す。めくりながら、
「闇にとけ込む特殊加工。伸縮自在のプラスティック素材が練りこまれていて、鋼鉄なみの強さだから弾丸を弾く。内部にこもる熱を拡散して放射するようになっているから、いままでのように、動きまわる周辺のライトを消してしまう、なんてこともなくなる、と。ふーむ」
書類はコスチュームの説明書らしい。テーブルの上に説明書を放ったカルロスさんが、マスクとグローブを手に取る。
「……WJが起きたら、試着してもらおう」
「おれが着てみるよ、カルロス。どうせサイズは同じだから、たるみとかゆるみ具合の確認はできる」
カルロスさんの横に立って、デイビッドがいった。というわけで、コスチューム一式を抱えて、デイビッドがリビングの、さらに奥のリビングへと消えた。
その間のやりとりを、ぽかんとした顔で見つめていたのはミス・ホランドだ。ソファに座ったまま、テーブルのまわりに集合しているわたしたちに向かって、片手を上げ、
「……あ、のう。それで、わたしはどうすればいいのかしら?」
たばこに火をつけたアリスさんが近づく。
「そういやさっきからいたね。ドブネズミみたいなナリしてるけど、あんた誰?」
「ミス・ホランドだよ、アリス。行方不明中のコンピュータ技師。アジトが船のマエストロに監禁されていて、WJが助けたんだ」
カルロスさんが答えた。
「船? あんたの潜在意識はどうしたのさ?」
「ぼくの潜在意識が記憶していたのは、マエストロの仲間との、たんなる連絡場所だった、工場街のどこかの一室。アジトじゃなかったという、残念なオチつきだ」
あらら、とアリスさんは片眉を上げて、ミス・ホランドを見下ろす。
「じゃあ、あんたにサインもらわなきゃ。このこと他言しないっていう同意書に。んで? 警察にいわなくていいのかい、無給男」
アリスさんにとってカルロスさんの名前は……、いまや「無給男」。ミスター・無給男は、説明書に視線を落したまま苦笑する。
「大々的に報じられている行方不明中の女性だよ。いま警察に伝えたら、どこに監禁されていて、いつ、誰に、どうやって助けられたのかと訊かれるし、見ず知らずの高校生が飛んで、助けてくれたなんて正直に答えたら、それは誰だということになる。どちらにしろ、彼女のことは派手に報道されるんだ。その報道に付随して、引退したはずのパンサーなのか、はたまた誰かといずれ騒ぎになる。騒ぎになるのは願ったりだけれど、便乗するタイミングをあと十数時間ほど、ズラしたいだけだよ、ぼくは。ミス・ホランド」
カルロスさんが顔を上げて、ミス・ホランドを見た。
「申しわけないけれど、今夜いっぱいまで、ここでじっとしていてもらいたいんだけれど、いいかな? ぼくらはダイヤグラム・チャイルドの社員で、自社ブランドを売り込むために、パンサーを扱っている。パンサーはあなたが監禁されていた間に、いろいろあって引退してしまったんだ。詳しく話すと面倒だからかいつまませてもらえれば、その引退はニューヒーローとして生まれ変わるために必要な時間だった、という筋書きで、華々しく再デビューさせたいと考えているところでね。ちなみにぼくの再就職もかかっている。同じ会社に、だけれど」
頭上に無数の、見えないクエスチョンマークを飛ばしてます……みたいな顔で、ミス・ホランドがあんぐりと口を開けた。
「じゃあ、わたしは……、ここでじっとしていたらいいのかしら? でも、家族には無事を知らせたいわ。それから、ブライアンにも」
顔をしかめたのはスーザンさんだ。
「ブライアン?」
ミス・ホランドの顔が赤くなる。
「……わたしの婚約者。ただし、浮気していなければ、だけれど」
「浮気」ということばに反応したのか、スーザンさんが興味津々なようすで、前のめりぎみにミス・ホランドへ近づいた。
「浮気、しているの?」
「しているかも、と思っているだけなの。ブライアンにモーションをかけている同僚の女がいて、彼女、とてもセクシーだから。あなたみたいに」
セクシーといわれて、スーザンさんはいっきに気をよくしたみたいだ。ミス・ホランドの隣に座り、浮気者の恋人を持つと苦労する、などとこそこそとしゃべりはじめ、すぐさま意気投合してしまった二人が、カルロスさんを同時に、にらんだ。
「……ほうら、見てやって。ああやってにやけているけれど、どこかにいい女がいないかって、視線はいつも落ち着かないのよ。この前も、催眠術師の女をなめるように見てたわ。そしてわたしのおっぱいだけが目当てなの」
スーザンさんが、半目でカルロスさんを眺めながらいった。
「それはひどいわ。ありえないわね」とミス・ホランド。
女性二人の会話が、静かなスイートルームにひびいてしまい、全員の視線が、ゆっくりとカルロスさんにそそがれる、はめになった。すると、わたしの隣に立っていたアーサーが、腕を組んだ恰好でささやいた。
「……どんどんまとまりがなくなっていく、ような気がするのはおれだけか」
「いいえ、わたしもです」とわたし。
「……実はわたし、あと十年後に会いたかったって、いわれたわよ、初対面で」
キャシーの思いもよらないカミングアウトに、わたしとアーサーは凍った。ふう、と深く息をついたアーサーは、眼鏡を指で上げ、イラついたようすでまぶたを閉じる。
「ミスター・メセニに対して、一瞬殺意が過ったぞ」
「うん、その殺意はできるだけおさえて」
「いまだけキャシディの気持ちがわかったような気がするな。なるほど、かなりもやもやするぞ、こういう気分か。よく耐えられるな」
いいながら、アーサーがぎろりをわたしを横目にした。う! どうして? それでどおーしてわたしをにらむわけ!?
「そ、それって、焼きもち、的なこと?」
おそるおそる訊ねると、アーサーはまたもや、対わたしへのげんなり顔を見せて答える。
「焼きもち、だが、きみを相手に焼く気持ちは、いまだに理解不能だ」
わたしはうなだれる。わかってる、それはもう痛いほどに。と、キャシーが「すっごい!」とささやいて、わたしの腕を引っ張る。顔を上げたわたしの視線の先に、パンサーのニューコスチュームを着てあらわれた、デイビッドがいた。
「サイズはいいね。動きもスムーズ」
デイビッドが腕を伸ばしながらいう。マルタンさんは口笛を吹き、アリスさんも「豚だよ!」的文句を封印。スーザンさんとミス・ホランドは、ソファに座ったまま絶句し、ミスター・スネイクとボブは、お互いの肩を抱き合って、記念写真を撮りたいぜ! と叫んだ。
そしてわたしとキャシーは、同じことばを同時に発してしまった。
「すっごい」
ニューコスチュームは超クールだ。黒豹みたいな外見は変わらないけれど、シャープさが増している。関節部分の防護パッチは、コスチュームの中に内蔵されてあり、右腕のダイヤグラムのマークだけが、真っ赤なのだ。だから、真っ黒なコスチュームに、そのマークがシンプルに映える。デイビッドがくるりと一回転すると、窓から射し込む朝日が素材にあたり、その光の加減で、星のまたたきみたいにきらきらと輝いた。暗闇になれば、その素材は闇にとけ込んで、パンサーを透明人間さながらに、見えなくしてくれるのだとカルロスさんがいった。しかも。
「……そっくり」
キャシーがいう。細長いサングラス付きマスクを装着したデイビッドは、まさにパンサーそのものだ。口元がWJにそっくり、もとい、WJがデイビッドにそっくり、ということを再確認させられる。
「悪い、限界だ。おれにはこの度が強すぎる。頭が痛くなってきたよ」
デイビッドが、サングラス部分に手をかけて、ぐいっとマスクをはぎ取った。
「ほかにおかしなところはないかい?」
カルロスさんが訊く。いいや、とデイビッドは肩をすくめて、乱れた髪をかきあげながら、わたしと視線を合わせると、にやりとした。
「かっこいいだろ?」
もちろんだ! 大きくうなずくと「おれが? それともコスチュームが?」とデイビッドに訊かれる。
「コスチュームも最高。というか、あなたはコスチュームなしでも、いつもゴージャスじゃない?」
本音を込めて素直に答えたのに、なぜかアーサーに、ぎゅうと頬をつねられてしまった! ひゃああ!
「いったい! なにするの?」
「すまない、きみのくせに、なんとなく思わせぶりなことばに聞こえたから、ムカついて思わずやってしまっただけだ。いいか、あの満面な笑みを見ろ」
こちらに向かって歩いてくる、満足げな笑みを浮かべるデイビッドを指す。
「せっかく友達でいようとしているのに、きみのくせにそうやって、あなたも素敵よ? 的なことばを吐かれたら、無駄に期待させることになるんだぞ、気をつけるんだな」
二度もつけ足された「きみのくせに」という部分に、ひっかかったけれど、つっこむと面倒なことになりそうなのでやめておく。それにしても、素直に感想を述べただけなのに、いまのは思わせぶりだったのだろうか? わからなくてキャシーに訊けば、キャシーは軽く首を振り、そうは思わないという。
「だって、基本的にデイビッドはゴージャスだもの。ニコルが絡むとヘンになるけど」
キャシーの返答に、信じられないといった顔で、アーサーが固まった。
「……キャサリン。……きみは、そう思っていたのか? キャシディが、ゴ・ー・ジ・ャ・ス、だと?」
気のせいだろうか、声がものすごく、震えてる? わたしを押しのけて、アーサーがキャシーに顔を近づけた。キャシーはのけぞって、好きとか嫌いとかはおいておいても、女の子はみんなそう思っているといいわけをする。
……うん、まあ、それは真実だ。
「悪いな、フランクル」
デイビッドがアーサーの肩に、自信満々な気配をにおわせて、ぽんと手を置いた。
「おれはゴージャスなんだ、フランクル。知ってたけど、うっかり忘れてたよ。ニコルにこてんぱんにされて自信喪失してたけど、思い出せてよかった」
アーサーがくるりと、デイビッドに向きなおる。
「……なるほどな。自信を喪失させられた人間のひとことで、自信を復活させたというわけか」
そしてぎろりと、またもやわたしをにらむ。だ・か・ら! だからどおーしてわたしをにらむわけ?
「だって、ほんとのことじゃない?」とわたし。
「そ、そうよ、アーサー。デイビッドはゴージャスだわ」
アーサーの思いがけない勢いに押され、わたしとキャシーは身体を寄せ合って意見してみた。アーサーはため息をつき、じゃあおれはどうなんだとつぶやく。おもに、キャシーに向かって。
……これも、アーサーの焼きもち、というよりも嫉妬なのだ! 面白すぎてにやけそうになったけれど、ぐっと我慢してキャシーの返答を待つ。キャシーはうつむいて、もじもじしながら、か細い声で告げた。
「……あ、あ、あなたは。あなたはじゅうぶん、素敵よ? わたしにとっては、変な新人俳優よりも、あなたにロルダー騎士を演じてもらいたいなって、思ってるくらいなんだけれど」
この答えは、アーサーにとって満点だったようだ。苦笑でもげんなりでもない爽やかな笑みを浮かべて(すっごい、はじめて見た)、キャシーを見つめた数十秒後、いまだに着ぐるみ姿のわたしに視線を向け、同時にきれいさっぱりと、その笑みを消し去った。
「で? きみはいつまで捨て犬でいるつもりなんだ?」
アーサーってわかりやすい。できることならそのわかりやすさの半分を、WJに分けてくれないかな? わたし以外の女の子に照れたりするのって、わかりずらくて仕方がないから!