SEASON3 ACT.34
わたしが寝室にいないと、最初に気づいたのはキャシーだった。寝室のライトは消され、窓は開いていて、スニーカーが放られてあるありさまで、ただごとではないと察したキャシーが、大声でみんなを呼んだ時、屋敷にリックとキャシーのパパが登場。リックからカミングアウトされた事実に、全員が絶句したのはいうまでもない。
市警内部に、フェスラー家（の誰か）とつながりのある何者かがいるため、リックはウサギのぬいぐるみの中へ、バックファイヤーなる物質を隠したのだと、アーサーに教えられた。
バックファイヤーがあれば、時間を止めるために必要な、その名も「エキゾチックな物質」は溶けてしまう。このことは、まさに、ミスター・マエストロがドン・ヴィンセントを騙して、資金を出させてまで所有した、時間を止める装置「ガーゴイル・エンジン」を破壊できる、ことを意味する。
……すっごい。これが学年末試験に出たら、確実にわたしは満点だ。ただし、問題として出されるのは、わたしの選択していない科目なのだろうけれども……とか、考えている場合ではない。
とにかく。リックはぬいぐるみに、バックファイヤーを隠してしまった。そのことを知っているのは、キャシーのパパとリックだけ。敵をだますにはまず味方からを、体現してしまったリックは、自分の父親であるフランクル氏にすら内緒のままに、ぬいぐるみをプレゼントする。フランクル氏のそばにあれば、誰も手出しはできないし、まさかウサギのぬいぐるみの中に、そんな物質が隠されているなどと、考える人もいないだろうとふんだのだ。かつ、物質はキャシーのパパが持っている、ということをにおわせておけば完璧。ワイズ博士に近づこうとする人間が、フェスラー家（誰か、というか、たぶんテリー・フェスラー）＆ミスター・マエストロから、とおってもたくさんのお金をもらっている人だと、認定できる一石二鳥作戦だった、はずだった。
……それが……まあ。あろうことかわたしの手に渡ってしまった。というよりも、いまやわたしの右膝に突っ込まれているという、残念なことになってしまっている。
それにしても、まさかミルドレッド博士の中に、バックファイヤーやら無線機やらが入っているなんて、まったく気づかなかった自分をどうにかしたい。だって、ちゃんともこもこだったし、感触に固さの「か」の字もなかったんだもの！
ちなみに。どうして無線機も一緒に、ぬいぐるみの中におさまっているのかといえば、市警に発信器がないため、万が一、誰かに盗まれた場合、電波の周波数で、居場所を逆探知できると考えたから。
素晴らしい！ ということは、わたしの居場所もわかるということだ！
鼻息も荒く、アーサーにそう訴えたら、
『……かなしいお知らせだ。内部に内緒だから、警察には頼める者がいない。ここには、それができそうな人物がいるが、その人物は、現在行方知れずだ』
どんよりとした声でいわれた。
ミスター・スネイクは現在、弟のボブと（もしかすればカルロスさん＆スーザンさんと一緒に）ミスター・マエストロのアジトと思われる辺りを捜索中、のはず。ただし、そこはわたしのいるココとは違う場所なのだ。もう、どうしてくれよう……！
無線機越しに「落ち着けジャズウィット！」と叫ぶ、アーサーの声がする。その声に、カルロスさんの不在をマルタンさんに向かって責めまくる、デイビッドの声も混じって、とんでもない状態だ。デイビッドはどうやら、マルタンさんに八つ当たりをしている……らしい。あああああ。
みんなまさか、ミスター・マエストロが屋敷にあらわれるなんて、思ってもいなかったのだ。わたしもそうだったのだから、誰も責められない。
「と、ともかく！ わ、わたし生きてるから、これからどうすればいいかな？」
ハム状態のまま身体を折り曲げ、着ぐるみと化した自分の右膝に口をくっつけて続ける。
「なんだか、わたしがこういう目にあえば、みんながぐっちゃなことになって、大イベントの邪魔をされないからって、マエストロはいっていたよ」
『大イベント？』とアーサー。
『なんだい、それは？』これは、たぶんリックの声だ。
「うーん、それはわかんないんだけど……」
一瞬の沈黙。すると、アーサーがいった。
『……まあいい。ともかく。できるだけ詳細に、その場所のことをいってみてくれ』
詳細に、といわれても。
「うううー。そうだな。ええとう……、まずは油っぽいにおいがする。あと、中世のお城の地下牢みたいな感じなの。いまは光がないからなーんにも見えないんだけど、さっきマエストロがろうそくを持ってきた時に、そういうのが見えたから。それから、ミス・ホランドもいて、彼女のスーツとかとっても汚れていて、かわいそうだったな。あとは、マエストロはすっごく高そうなスーツ着てた！ もうギャングみたい！ というか、ギャングよりも最悪！」
『服装なんか、ど・う・で・も・い・い・ん・だ・！ 場所を説明しろといってるだろう！』
怒られた。アーサーは間違いなく、フランクル氏の血を受け継いでいる。アーサーが部下に向かって、激昂する姿が目に映るようだ……なんて、想像している場合ではないんだってば、わたしったら！
湿っぽい床、石造りみたいな壁、鉄のドア。見えた記憶をたどって、アーサーに説明した時だ。床のかすかな振動に気づいて、耳を押し付ける。すると、ゴウンゴウンと鳴り響く、エンジンのような音が鼓膜にとどいた。この音は、まさか時間を止める装置の振動音、だろうか？ それとも？
「……なんだか、揺れてる気がする」
『なんだって？』とアーサー。
わたしは大きな声で、なんだか揺れてるともう一度いう。
『どうして揺れるんだ？』
「わからないけど。たぶん、この建物の上で、マエストロが装置を動かしてる振動じゃないかな」
装置を動かして、なにをするつもりなのだろう？ 真っ暗闇の中で顔を上げ、見まわす。と同時に、違うよ、というＷＪの声が、無線機から放たれた。違うってなにがだとアーサーが訊けば、ＷＪがいった。
『建物じゃない。……船だよ！』
★ ★ ★
大変だ。わたしはどうやら、船の中のどこかにいるらしい。ＷＪがいうには、船の大きさにもよるけれど、海に沈んでいる船内部分の場所だと、揺れをあまり感じないそうだ。だからいままで、揺れている感覚がなかったのだろうか。それが装置の振動によって、感覚の鈍いわたしにも伝わる揺れになったということ？
「わ、わたし。それで、どうすればいいかな？」
『……どうすればって、どうすることもできないんだろう、縄でぐるぐる巻きにされてる、みたいだからな』
アーサーに冷静な口調でいわれた。……そのとおりだ。
『無茶するなよ。そのままじっとして、ぬいぐるみを確保したまま、とにかく動くな！』
デイビッドがいう。そこで、ドアが開けられたので、慌てたわたしはそのことを知らせるため「誰ですか！」と叫んでみた。直後、プチというかすかな音とともに、無線機が切られる。けれども、切られる直前に「待て、ジャズウ！」と聞こえたアーサーの声が、ものすごく気になる！
隔離されている部屋がふたたび、ろうそくに照らされる。入って来たのは、目隠しをされたミス・ホランドと、サングラス姿のマエストロの仲間だった。
「ハーイ、わたしよ」
誰ですかというわたしの問いに、ご丁寧に答えてくれたミス・ホランドの背中が押され、すみに追いやられて、目隠しをはずされる。サングラス男は部屋を出て行き、ふたたび真っ暗闇になったところで、ミス・ホランドがため息をついた。
「……だ、大丈夫、ですか？」
「……そうね。まだ、生きてはいるわ。装置のメンテナンス終了ってわけ」
わたしの問いかけに答えるミス・ホランドの声は、疲れきっている。どうやら装置を動かして、よろしくないことをしていたわけではなさそうだ。
「あなたの縄をなんとかしてあげたいんだけれど、ここからはどうせ逃げられないし、縄をほどいてしまったら、あなたもわたしも、すぐさま魔界的世界の住人の餌食になりそうだから、できないのよ、ごめんなさいね」
「ああ！ ああ、それはもう、いいんです、わかります！」
うーむむむ。いま現在、わたしにできることは、情報収集だろう。このまま誰にも見つからずに、海の底行きかもしれないけれど、助かる確率だってなくはないのだ。だって、もしかするとＷＪは、わたしを助けるつもりで、場所も特定されていないのに、あの屋敷を飛び出したのかもしれないし、だからアーサーが「待て！」と、叫んだのかもしれないから！
たとえ、ＷＪがここにたどり着けなかったとしても、わたしはまだ生きているのだから、わたしにだってできることはある。そう、パンサーの片腕、ミス・着ぐるみ（仮）として！ がぜん、情報収集にやる気のわいてきたところで、せつない生理現象におかされてきてしまった。もううううう！
「……う。あ、あのう。わたし、おトイレに行きたくなって、きちゃいました」
「まあ！ かわいそうに、そうよね、ちょっと待って」
ミス・ホランドが腰を上げた気配がする、と思ったとたん、ドアを三度蹴った。その音がこだまして、しばらくしてから、サングラス男がドアを開ける。どうやらドアを蹴る行為が、トイレへ行きたい、の合図らしい。
ギャングよりも最悪と成り果てたマエストロでも、おもらし禁止な紳士的行為を重んじているようだ。それだけは、とりあえず感謝しておこう。
サングラス男によって縄がほどかれ、着ぐるみのえりくびをつかまれた恰好で、狭い通路へ出る。低い天井には、裸電球がぶら下がっていた。ドアを出て左方向に、鉄製の階段がある。たしかに、船の中といわれれば、船の中のような気もする。でも、地下室っぽくもあるわけで、なんとも断定できない。
ぐいぐいとえりくびを引っ張られて、隔離されている部屋のすぐ横に押し込まれた。窓のない、異臭のただよう狭苦しいトイレで、生理現象から解放されたのち、ミルドレッド博士を着ぐるみから引っこ抜いて、観察する。
背中の毛並みのすき間に、たしかに雑な縫い目があった。これは絶対に無くすことができない。もとの位置へおさめたけれど、どうにも不安で、博士を横にして胸のあたりにつっかえてみたら、ジェニファーみたいなビッグサイズの胸になって、ちょっと嬉しい……って、いや、そうじゃあない！
胸に入れても落ちてくるので、やはりもとの場所へ押し込めておくことにする。トイレを出ると、ふたたび例の部屋に入れられ、ご丁寧に縄でぐるぐるにされ、床に転がされた。わたし、なんだかほんとうに、ハムになったような気分になってきた。
ここは船なのだろうか。それとも、やっぱりどこかの地下？
「ページさん、ここって、地下室、みたいですよね？」
ふう、と息をついたミス・ホランドが、
「……そうね。でも、壁は偽物よ。石造りみたいだけれど、叩くと鉄の音がするの」
壁を叩く。すると、鉄特有のにぶい音がたつ。
「わたし、目隠しされなかったんですけど、通路みたいなところはすんごく狭くて、階段も鉄みたいな感じでした。もしかして、船かも……って」
「……そうかもしれないわね、でも、場所がわかったところでもう助からないわ。あと一回で終わりなの」
「え？」
「元ヒーローがなにをするつもりなのか、わたしにはわからないわ。でも、時間を止めるための物資の量は、あと一回分しかないの。外のニュースから離れてしまっているから、わたしにはなにが起きているのかもわからないんだけど、あと一回、時間を止める作業の手伝いをさせられたら、わたしは海の底ね」
そしてわたしも……海の底？ うううう、ぶるっと寒気がしてきた。
「す、数日前に。マエストロがわたしの前にあらわれたんです。博物館にいた時に。その時も周囲の時間を止めていて、でも、マエストロとわたしと、そばにいた友達だけは、動いてたんです。あれは、どうしてですか？」
「なるほど。元ヒーローに連れて来られたということは、やっぱりあなたも、そういうことに詳しいということなのね？」
はい。立ち聞きしてしまったおかげで。
「……い、いちおう、なんとなくは」
「……時間を止めるために必要な物質のごく少量を、彼は持っているの。装置を作動させるために使用する物質と、彼の持っているエネルギーが同調して、静止した世界での動きを可能にしているの。彼が軸となって半径五メートル以内にいる物も人も動くわ。だからいろいろなことができるの。わたしの会社から、新たなコンピュータシステム開発のための、全書類を盗むことも簡単」
「え！ ページさんの会社から？」
「そうよ。そのための協力をしてしまったのは、ここにいるわたし。なにに使うのかはわからないけれど、そのおかげでわたしの会社は、かなりの損害をこうむることになるわね、きっと」
……普段は頭のまわらないわたしにも、なんとなく気になる項目だ。おなじようなことで新聞に載っていた人物がいたのでは……って、それはあきらかにテリー・フェスラー！ でも、たぶん盗まれた証拠はない。とすれば、ミス・ホランドの会社は、泣き寝入りするしかないのだろうか。
「……ちなみに、それはどういうものですか？」
「シティの市民の住民票を、ナンバー化して保管し、整理するためのものなの。詳しくはさすがにいえないけれど、犯罪者がどこにいるのかすぐにわかるし、いろいろと便利な、画期的アイデアだったわ。ただし、問題点もあることにはあるけれど、成功すればかなりな利益になることが、約束されていたのよ。まずはシティに導入して、そこからほかの州でも採用していくでしょう。政府とつながりのもてる大きな仕事だったのよ。もちろん、極秘事項だったし、プロジェクト内で静かにおこなっていたことだったのに。まあ、どこからか漏れて、こんなことに」
どこにでも企業スパイはいる、ミス・ホランドはそういって、黙ってしまった。
時間を止められるのはあと一回。それを、ミスター・マエストロは、なにに使うつもりなのだろう。それが元ヒーローいうところの「大イベント」なのだとしたら、ものすごく、かなり、よろしくない予感がする。
そしてもちろん、わたしとミス・ホランドのこの現状も、とってもよろしくないのだ。かといって逃げられるわけでもない。
ミス・ホランドに、無線機を持っているとカミングアウトすべき？ それから、バックファイヤーを持っている、ということも？ どうしよう、どうしようと、床の上でごろごろしていたら、やがてミス・ホランドから寝息が聞こえてくる。
たしかに。時にはひらきなおることも必要だ。ハムと化したまま床の上を転がっていたところで、誰かがなんとかしてくれるわけでもない。ＷＪがわたしを捜してくれているのかもしれないけれど、とても見つけられるとは思えない。それに、危険な気もするから、できれば来て欲しくはない、ような気持ちもある。
どちらにしても、なんにしてもまあ、大丈夫。少なくともわたしには、ミルドレッド博士がついていてくれるのだ。マエストロにバレないよう、わたしは博士を死守し続けよう！
床に頬をくっつけて、まぶたを閉じた。どうか、どうか、このままなにごともなく過ぎて、ミスター・スネイクが屋敷に戻って来て、海の底へ沈められる前に、わたしたちの居場所を発見してくれますようにと願いつつ、そのままなんと、眠ってしまったのだった。
★ ★ ★
どういう状況でも、眠れる自分を尊敬したくなってきた。
おぼろげながらまぶたを開ければ、まだ闇の中。ミス・ホランドのいうとおり、なんだかとってもダークな気分におそわれそうだ。ＷＪが、やっぱりサリーのほうが素敵だと思って、わたしが生還した時すでに、二人はいちゃつく関係だったりしてなどという、ネガティブ妄想が頭をかすめる。ううううう、そんなことはないし、あったとしても、わたしが邪魔をしてやる、ジェニファーのように！
すっごい。環境で人は強くなるらしい。ただし、まったくかわいくない女の子的方向で。
ミス・ホランドのかすかな寝息がまだ聞こえる。眠ってからどれほどの時間が経ったのか、わかるはずもない。そのうえ、最悪なことに。
「……どうしよう、お腹がすいてきちゃった」
あ・り・え・な・い。この状況でお腹がすくだなんて、わたしの感覚ってどうかしてる。もしもここにアーサーがいたら、とってもげんなりされそうだ。
ミルドレッド博士の感触は、ばっちりいまだに、右膝あたりにあってほっと息をついた時だ。いきなり、ドアが開けられた。薄暗い、通路の裸電球の灯りが、部屋に射し込む。入って来たのは、マエストロの仲間の、サングラス男だ。
黒いスーツのサングラス男が、ジャケットの内ポケットへ手を入れた。同時に嫌な予感がする。ちょおっと待って。わたし、もしかしてとっても眠ってしまっていたのかも。ちょっぴりしか眠っていないというのは、ただの自分の思い込みで、ほんとうは二十四時間眠っていて、その間にミスター・マエストロは、最後の一回という大イベントを成功させ、フェスラー家の豪邸内では、フェスラー弟の婚約パーティが華麗に催されて、ミス・ホランドの役目も終了。いよいよ海の底なのかも？
……どうしよう、そうかも。そうなのかも！！
サングラス男が、ジャックナイフを取り出した。あああああ、あれで首を切られて、コンクリートに埋められて、海の底なのだ！
「ひゃあ……ひゃあああああ～、あああああ」
自分でもびっくり。なんという、か細くも気弱な……声。
サングラス男がしゃがむ。鋭いナイフの先を見せるので、硬直してごろごろすることもできないわたしは、きつくまぶたを閉じる。でも、そこで。
「お待たせ。ミス・着ぐるみ」
ん？ とってもＷＪの声に似ている。とうとうわたし、耳までおかしくなったのかも。でも、ざっくりとしたナイフの感触は、わたしの首、ではなくて、縄に向けられ、すぐに解かれる。
ゆっくりとまぶたを開ければ、サングラスをはずしたＷＪが、わたしを見た。
「あ、あれ？ ダ、ダ……」
これは夢？ いいや、現実だ（たぶん）！ あまりの嬉しさに、声にならない！ ＷＪはまた、サングラスをかける。
「とっても捜したよ。案の定船の中。詳しいことは訊かないで。時間がないから、いますぐ逃げよう」
わたしたちのやり取りで、目覚めたミス・ホランドが、ぽかんとしたまま誰なのかと訊ねる。紐から解かれたわたしは、いまや感激の涙で、ぐずぐずとなりながら、子どもみたいにＷＪにしがみついて答えた。
「ズーバーだ、わだじのジェームズ・ボンロでず！」
……うまく伝わった、気がしない。