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SEASON3 ACT.30

 同じフランクルでも、話しがすんなり通じそうなリックに会いたかった。でも、フランクル警部にエントランスで見つかってしまったので(会ったので、というべき?)、まるで悪さをした犯人みたいに、わたしたちは階段を上らされ、フランクル氏にうながされるまま、ひっきりなしに電話の鳴り響く、二階のオフィスへ行くはめになった。

 つらなるデスクの間を、駆けずりまわる警官たちの邪魔にならないよう歩き、ガラス張りの窓で閉じられた、奥の狭い一室に押し込まれる。デスクの上の新聞、書類は山積み、壁には新聞の切り抜き、犯人らしき写真が貼られ、ボードにも暗号みたいな(ようするに、読めない)殴り書き。デスクと向き合う形で、二脚のパイプ椅子があり、一脚にはなぜか、赤いネクタイを締めた、白いウサギのぬいぐるみが座っている。……ん?

「ああ、いるかね?」

 ぐいっとそれをつかんだフランクル氏が、わたしに向かって差し出す。え?

「わたしのこの、すさまじい日常には癒しが必要だろうと、リックが置いていったのだよ、くだらんことだ! ……まあ、たしかに、わたしはウサギが好きだ。子どもの頃飼っていたしな。しかしある日、ミルドレッド博士はいなくなってしまった」

「ミ、ミル?」

 キッとわたしをにらみ、フランクル氏が続ける。

「飼っていたウサギの名だ。白い毛並みがなんとも、白衣のようだったのだ。ともかく、ある日いなくなり、同じ日の食卓に、おそるべきことにウサギのスー」

 うおっと! それ以上は聞きたくない、予感がする。

「あ! あああ、わ、わかりました、なんとなく!」

 フランクル氏は、ぐぐぐとぬいぐるみをわたしに押し付けて、

「リックめ、どうせその話を覚えていたのだろう、まったく! たしかに癒されるが、部下にしめしがつかん。捨てるに捨てられず数日が過ぎてしまったのだ! いらんのかね!?」

「い、いいえっ!」

 ……もらうことに、しておこう。

 フランクル氏は、灰皿に吸い殻を放ると、それでなんだね、と訊ねる。WJがマルタンさんにキャップを返したので、それをかぶりながらマルタンさんが説明すると、

「キンケイドに追われていただと! わたしの部下どもは、なにを、どこを、見張っていたんだ!」

 激昂したフランクル氏が、ドンッとデスクをたたいた。山積みされた新聞と書類が、バラバラとわたしの足もとに落ちたので、おどおどしながら拾ったら、今朝の新聞が目に留まる。一面のすみの記事に、中年男性とにこやかに握手する、見覚えのある男性の顔写真。見出しは『世界が変わる? テリー・フェスラー、成功すれば、億万長者に』とあった。そう、見覚えのあるこの男性の顔は、デイビッドの屋敷から望遠鏡で眺めた姿そのものだ。

 すぐさま記事を読もうとしたけれど、フランクル氏がなにやら叫んでいて、ただでさえお固い文章が、まるっきりわたしの頭に入らない。マルタンさんがフランクル氏をなだめながら、リックとミスター・ワイズはどこにいるのかと訊ねる。息をついたフランクル氏は、ドアを開けて叫んだ。

「おい! 誰かリックを連れて来い!」

 オフィスが一瞬静まりかえったものの、電話は鳴りやまず、あたふたしている警官たちは、電話を取るべきかフランクル氏のいうことを訊くべきか、互いに視線を交して、無言のうちに役目を押し付けあっている、ようにわたしには見えた。フランクル氏は、むむむむとおっかない顔をさらにしかめて、

「おい、誰か! くそう、どいつもこいつも! まあいい、来たまえ!」

 オフィスへ出たところで、マルタンさんの背中を軽くたたいて、デイビッドも出る。ミルドレッド博士(と呼ぶことにする)と、新聞をたたんでこっそり抱えたわたしが、WJのうしろから出ようとしたとたん、デイビッドがWJの目の前で、バッタンとドアを閉じてしまった。

 ガラス越しにこちらを見たデイビッドは、口だけを動かして、わたしとWJを指す。それから、マルタンさんの背中を押して、フランクル氏と共にオフィスを出て行ってしまった。ん?

 ドアの前に立ったWJが、ため息をついてつぶやく。

「……しゃべることがあるだろう、戻ってくるまでここにいろ、だって」

 ……どうしよう、車の中で「わたしとWJをくっつける」といったデイビッドの言葉は、どうやら本当みたいだ。なにか企まれてる? それとも、必死すぎるわたしに、さすがに同情しての、心からの行為なのだとすれば……雪が降るかも。ともかく、というわけで、この狭い空間には、わたしとWJと、ウサギのミルドレッド博士しかいない、という状況になってしまった。

 壁に貼られた写真や切り抜きを、WJが眺めはじめる。わたしはパイプ椅子に座って、膝に乗せたミルドレッド博士をじいっと観察、している場合ではない。

「あ! ね、ねえ、WJ! この記事知ってた? 一面のすみっこに、テリー・フェスラーが映ってるの」

 小脇に挟んでいた新聞を差し出す。振り返ったWJが新聞を受け取った。

「……ああ、うん。今朝ニュースで見たよ。画期的なコンピュータ技術を開発、だとかなんとか。一緒に映ってるのは、テリーに出資してるグリーデイ銀行の会長だね。でも、ミスター・スネイクは、妙だなっていっていたんだ。もともと別の誰かが、似たような開発をしていたはずだって。ミスター・スネイクは発明家だから、そういう噂は耳に入ってくるからって、いってたよ。ぼくも気になってたんだけど」 

 うーん、別の誰か、って誰なんだろ。WJは新聞をめくりながら、ため息まじりに折りたたんで、デスクの上に置いた。

「物盗りに強盗。パンサーがいなくなってから、小さな事件が多発してるね」

「夜のパトロール、していないものね」

 そうだね、とWJがささやく。そして気まずい沈黙が流れる。とたんにわたしは、ランチの時にしでかしたことをリアルに思い出して、気恥ずかしさにおそわれ、なにかしゃべらなくちゃと目が泳ぐ。う、ううううーん、あんなに立派なことをいったくせに、いざ二人きりになるとのどが詰まったみたいになって、なんにもしゃべれなくなるなんて、イケてなさすぎる! というよりも、そうだ! わたしには解明しなければならない謎が、あったのだ!

「そうだ、WJ! わたしじゃないって、誰?」

 え、と、デスクに腰をあてて立っているWJが、壁にかかったボードの暗号から顔をそらし、わたしを見て声を上げる。

「さっき。さっきサリーといた時、そういうこといってたでしょ? おせっかいをやきたい女の子がいるけど、それはわたしじゃない、とかなんとか……」

 デニムのポケットに両手を入れて、はあ、とWJがうつむいた。片手で寝癖まじりの髪を、くしゃりとやると、うつむいたままわたしから顔をそらす。

「……きみには負けるよ。きみって、ほんとにすごいよね。わかってたけど」

 口角が上がる。すると、ゆっくりした動作で腕を組み、なぜかいきなりクスクスと笑いはじめた。

「どうして笑うの?」

 だって、といったWJは、自分の口を手で覆い、わたしから顔をそむけて、肩を小刻みに上下させる。クスクス笑いがいまにも爆笑になりそうに、なっちゃってる、のはなんで?

「えええ? わたしなにか、そんなおかしなこといったかな?」

 というか、たしかにランチタイムにはしたかも。でも、あの時は、わたしなりに必死だったのだ、笑ってほしくはない。いや、久しぶりに笑ってもらえて、とっても嬉しいのは嬉しいけれど、なんとなく複雑な気分だ。

「わたし、べつにいま、そんなおかしなこといってないと思うけど」

 むくれつつ、訴えてみた。

 笑わないようにするためか、WJは顔をしかめて、ごめんという。形のいい唇を一文字に結び、うつむいてからわたしを上目遣いにする。すると今度は、眼鏡越しの視線をそらし、顔を赤く染めるのだ。なんなの!?

「……きみに嫌われようと思ったし、嫌われたかと思ってたのに。昨日」

 う! ううううーん、それについては、わたしの顔も赤くなる。

「……たたかれたし、ぼくは嫌われたと思ったよ。……まあ、それでよかったんだけど」

「た、たたいちゃったけど、だけど、あれはそのお。なんというかまあ。わたしに幻滅してもらおうと、思ったんでしょ? 威力はけっこう、あったけど。でも、ああいう状況じゃなければ、は、恥ずかしいけど、あなただったら願ったりっていうか」

 いや、ちっがーう! そうじゃないでしょ? わたしの口ったら、なにをいいだしちゃってるわけ! わたしの顔もほてってきた。もう、どうしようもない。と、クスリとWJが笑った。

「願ったり?」

「そ、そそそそ、そうじゃなくて。そうじゃないの! なんていうか、ああいうのはよろしくないって思うけど。でも、ちゃんと付き合っている者同士だったら、アリ、なんでしょ? わ、わたしにはとっても、上級すぎてうまくいえないけど」

 ちなみに、わたしたちの場合は、付き合って「た」になるわけだけれども。

「……ぼくにとっても、かなり上級者向けだよ。でも、きみはこうやって」

 両腕を広げる。

「いつでもどうぞ、って。さっき……」

 うう! そ、それはつまり……なにもいえない。

 頭のてっぺんから、煙が出そうなほど恥ずかしくなってきた。やっぱり、あの時のわたしのことを思い出して、笑っているのだ。

「だあって! だって、なんだかいきおいがついちゃったんだもの! ホランド先生が、思うとおりにしていいんだとかなんとか、わたしにいうから、いろいろ考えちゃってたけど、全部吹っ飛んだ、というか」

「ホランド先生?」

 笑みを浮かべたまま、WJが軽く首を傾げた。

「昼休みに会ったの。その時、先生としゃべってて……」

 あれ? もともとのわたしの疑問に、ちゃんと答えてもらってないかも?

「じゃなくて。だから、さっきあなたのいってたのって、誰なのかな?」

 鼻息も荒く、問いただす。WJは頭を垂れて、はあ、と息を吐く。

「……負けたよ、ニコル」

 ん? なにが? そのままの恰好で、WJは続ける。

「きみはいちいち、そうやってぼくを気にするし、こういうの」

 ポケットに手を入れて、キーホルダーをかかげて見せてから、

「くれるし」

 軽く握る。また息をついて、キーホルダーをポケットへおさめると、顔を上げる。

「ぼくはきみと距離を置きたいのに、きみは木の実を探してるリスみたいに、ちょこちょこ動きまわって、ぜんぜんぼくの視界から消えてくれないんだもの。それにあんなこといって」

 それってWJにとって、いいことなのかな、それともよろしくないことなのだろうか。なんとなく、責められているように聞こえて、肩を落としてしまった。すると、少しの沈黙のあとで、WJがいった。

「怖いんだよ。いろんなことにきみを巻き込みたくないんだ、ニコル。きっとぼくはずっとこのままで、大人になったらもっと制御できなくなるかも。それに、もしかしたらミスター・マエストロみたいに、よくないことに加担するようになるかもしれない」

「あなたとミスター・マエストロは違うじゃない?」

 顔を上げれば、WJはわたしから目をそらし、自嘲気味に笑う。

「どう違うの? ぼくも彼もフツーじゃない。ぼくもああなってしまうかもしれない。もっとコントロール不能になるかもしれない、きみのことを考えなくてもね」

 う、うううう、これじゃ堂々めぐりだ。なにか解決策があればいいのに。ようするに、WJが暴走しそうになったら、それをうまいこと、止められればいいってことだ。そういう方法があれば、WJは自分や周囲に対して、恐怖心を抱かなくなるかもしれない。

 ミルドレッド博士の、ぬいぐるみ特有の毛並みをなでながら、ううーんと考える。それで、ふと、グイード・ファミリーにつかまった時のことが、わたしの頭に過った。あの時わたしは、暴走しちゃったWJに抱きついて(タックルかも)止めたのだ。

 ぐっと、ぬいぐるみを抱きかかえて見つめ、思いつく。そうだ!

「じゃあ。じゃあわたし、着ぐるみを持ち歩くことにする!」

 え? とWJが困惑する。

「い、いまなんて、ニコル?」

 わけがわからないようだ。まあ、そうだろう。

「まあ、ちょっと聞いて。大きなバッグにそれ入れて、あなたにくっついて歩いて、あなたが暴走しそうになったら、わたし、それを着て、あなたにタックルすることにする。そうしたら、あなたにはね飛ばされても、ケガをしないんじゃないかな。グイードの時、わたしがタックルしたら止ったじゃない? だから、いいんじゃないかなって! それにあれって、このミルドレッド博士みたいに毛並みがふかふかだから、それがこう、クッションみたくなるような気がする。わたし、あれを着て酸欠で倒れたことがあるんだけど」

 ……まあ、フェスラー家のイベントで。

「どこも痛くなかったから、イケると思うな。それに、いっそ綿なんかを詰めた特注を、つくってもらってもいいかも」

 わたしとしては悪くないアイデアだ。ただし、ここにアリスさんがいたら、豚呼ばわりされるアイデアかも。

 WJはぽかんとした顔でわたしを見る。

「ヒーローにも仲間は必要でしょ? マエストロみたいな悪い仲間じゃなくて、一緒に戦ってくれる相手。それが着ぐるみって笑えるかもだけど、わたし、あなたとはずっと仲良しでいたいんだもの。なのに、フツーじゃないってことだけで、おしゃべりもできなくなるなら……」

 あ! そうか、そうなのだ!

「そうだ、わたしもフツーじゃなくなれば、いいんじゃないかな! ミス・着ぐるみ!」

 思いつきとはいえ、このネーミングは、あきらかにイケてない。

「……ああ、このネーミングはどうかと思うけど。ともかく。あなたはわたしを巻き込みたくないっていうけど、わたしはすでに巻き込んじゃってるじゃない、……みんなを。そもそもわたしは、ひとりでなんとかしようとしたけど、ぜんぜんうまくいかなくて、こんなことになっちゃったんだもの。だったらいっそのこと」

 巻き込んじゃって! といおうとしたら、わたしの目の前に、WJが右手を差し出した。わけがわからなくて、

「あれ? どうしたの、握手?」

 右手で握ると、なぜか笑われる。

「……じゃないけど。きみの手を握りたいだけ」

 ぐっと握られた。わたしの手を握ったまま、WJは笑みを消して、苦しげに顔をゆがませる。

「……ぼくはきみに、なにができるんだろう」

「え?」

「……はじめは、気持ちだけでものごとがうまくいくと思ってたんだ。でも、現実が見えると、今度は怖くなる。ぼくはみんなとは違うし、ぼくはきみを、怖い目にあわせるだけかもしれないと思って、いろんなことを後悔したのに、きみはそれを、飛び越えちゃうんだ」

 ひとりごとみたいに小さくつぶやくから、わたしにはきちんと理解できなかった。でも。

「……よくわからないけど。わたしはべつに、あなたになにかしてもらいたいわけじゃないのに。もしもプレゼントって意味なら、わたしはチューインガム一個でも、あなたからもらえたら嬉しいけどな。もちろん、キャシーとか、みんなからも、だけど。それに、プレゼントなんかもらわなくても、わたしはあなたと、おしゃべりできればそれで」

 いいの、と言葉を続けて、エヘヘ、と照れ笑いするつもりだったのに、握られた腕がぐいっと引っ張られ、椅子から立ち上がったわたしは前のめりになって、WJの胸に体当たりしてしまった。持っていたミルドレッド博士が床に落ちる。うお、と変な声を上げそうになったのと同時に、ぎゅうっと抱きしめられて、あまりにも久しぶりな気がして、めまいにおそわれる。それに、酸欠にもなりそうになって、心臓はドキドキするし、倒れそうになってきた。

「……あ、のう。あのう、これって」

 距離を置かれる的なことは、なしってことかも? おっと、その前に!

「……そ、それで、誰なのかな!」

 わたしの髪にからまったWJの指が、もじゃっと動く。

「誰、って?」

「さっき。わたしが訊いたじゃない。わたしじゃないっていってたから」

 うっぷ。ものすごくきつく抱きしめられすぎて、息苦しくなってきた。WJがクスクス笑う。

「ど、どうして笑うの? というか……」

 とっても感激! したいところだけれど、せ、背骨が折れるかも! WJは笑っているだけで、答えてくれない。だけど、ひとつだけ気づいたのだ。

「あなた、ぜんぜんビリビリしない気がする」

 リラックスしているということ? うーん、状況的にどうなんだろう。

 WJが腕をゆるめた。ものすごい間近で、自分にびっくりしてる、みたいな顔で、わたしをのぞきこんでいう。

「……わからないな。ぼくはいま、すごくドキドキしてるから」

 もちろん、わたしもだ。ええい、いっそわたしも、WJを抱きしめてしまおう。WJの胸のあたりに額を押し付けて、背中に腕をまわし、ぎゅうっとしてみる。ものすごくドキドキするけれど、WJは大きくて、あったかくて安心する。

「わたしたち、仲直り?」

 嬉々としていってみる。わたしの髪にからまる、WJの指の感触が、とっても心地よくなってきた。うっかり眠ってしまいそうなほどだ。

「……こうなるはずじゃ、なかったんだけどな」

 かすれた声でWJがささやいた。

「きみはぼくを嫌いになって、距離ができて、そのままだって思ってたのに。まいったな、もう」

 わたしったら、嬉しすぎて、笑ったままちょっと泣いてしまいそうに……なっている場合ではない。

「それで、誰なの? 教えてくれない?」

 そんな子がいるのに、わたしと仲直りだとすれば、わけがわからないから!

 腕をゆるめたWJが、笑いをこらえているような顔で、わたしを見た。WJが口を開きかけたその時、わたしはWJの肩越しに、ガラス張りのドアの向こうからこちらを見ている、無数の警官、に混じったデイビッド、そしてマルタンさんとフランクル氏と目が合った。

 高校生が抱き合うのに、ふさわしい場所ではなかったのだった。ええとう……、もうすみませんとしかいえない。うう、うううう。

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