SEASON3 ACT.27
灯りの点いている廊下を挟んで、ドアが並んでいるけれど、白い布のかけられた、大小さまざまな物が、ほこりをかぶった床の上に、無造作に置かれてあるので、そのすき間をぬうように歩く。布をめくってみると、彫像に絵画、スツールに照明器具なんかのインテリア類だった。どれもとっても高そうなのに、ぞんざいに置かれてあるあたりが、いかにもお金持ち! といった感じだ。
使わないなら売ったほうがお金になりそうなのに、なんて考える自分の貧乏性にため息が出る。だいたい、このお屋敷だってもったいないのだ。キャシーのいうとおり、ドアで閉じられてあったここにも、無数の部屋がある。ただし、よっぽど長い間使われていないのか、廊下や壁のあちこちがほこりまみれだし、天井のライトもくすんでいて、電球が消えている箇所もある。
妙に静かだし、人の気配もないしで、物置さながらな廊下を歩いているうちに、どこかのドアからゾンビが飛び出してくるのではないかという、ありがちなホラー的妄想が過り、ドキドキしてきた。
……ぶ、不気味だ。
廊下をまっすぐ行くと、つきあたりが右に折れていて、なんと、真っ赤なカーペットの敷かれた、階段があった。上るべきか、それともいったん引き返し、一か所ずつドアをノックして、WJを呼んでみるべきか、立ち止まってちょっと迷う。う、うううーん。というか、本当にこんなところに、WJがいるのかな? いるとすれば、どうしてこんな場所に来ちゃったんだろ。
階段を見上げれば、左に折れていて、高い天井にライトが灯っている。踊り場部分の壁に、巨大なルネッサンス絵画がかけられてあって、なんてことのない状態(例えば真昼の美術館とか)だったら、美しく見えるのかもしれないけれど、こんな状態(深夜の広い屋敷、しかも物置さながらな場所)だと、なんだかわからない矢を天に向けている裸体の男性の目が動き、いまにもわたしにそそがれそうで、おっかないという感想しか抱けない。
よし、二階……はとりあえずおいておいて、やっぱりドアをノックしていこう。というわけで、きびすを返し、来た方向をもう一度歩きはじめたところで。
背後で、階段を下りて来る足音がした、ような気がして飛び上がる!
「ひゃあっ!」
「なにしてるの?」
驚きのあまり、壁に手をついて振り返る。なにをしにここへ来たのか、おっかなすぎて忘れそうになっていたけれど、目下、捜索中だった人物が、階段に立ってわたしを見下ろしていた。
「あ。あああああ……。び、びっくりした」
「ニコル、だよね?」
寝起きなのか、黒いTシャツにストライプのパンツ姿のWJが、大きな目を細めた。
「こ、ここで眠ってたの?」
「え? いいや、違うよ。なんとなく眠れなくて、散歩中」
WJが一段、階段を下りた。
「散歩中?」
また一段下りてから、長い足を折って、WJが階段に腰掛ける。まぶたを閉じると、両手の指先で目頭を押さえながら、
「こっちになにがあるのかなと思っただけだよ。きみこそどうしてここにいるの?」
「キャシーが、あなたがこっちに入るのを見かけたっていったの。それで、そのお……」
おしゃべりしたほうがいいのかなと思って、といいたかったのに、まぶたを開けたWJにじいっと見下ろされるので、ごっくんというべき言葉を、のんでしまった。だけど、唯一伝えなければならないことがあったことを、思い出す。
「あ! ……あなたにあげたやつ、なんだけど」
WJが眉を寄せた。
「え? ああ、お守りのこと?」
ちょっとだけ、口元がゆるんだので、ほっとする。
「うん。あれ、いらなかったら捨ててもいいって、いいたかったの。まあ、あげた時もいったんだけど。もしかすると、どうやって捨てたらいいのか、迷ってるんじゃないかなあと、思ってたから」
男の子禁制の会議の時、キャシーは「そうではなくて、それを見てわたしのことを思っているのだ!」といってくれたけれども、なにしろ真意がわからないので、念を押しておくことにする。
膝に、右肘をあてて、無言のままWJが頬杖をついて、目を伏せる。電球はじりじりもしないし、ビリビリした気配もない。リラックスしているからなのか、それとも新たな魔女(もとい、サリー)のことについて、なにか考えているからなのか、わたしにわかるわけもない。すると、WJがいった。
「……捨ててほしいの?」
「え?」
「ぼくにくれたのに、そんなにいわれると、くれたことを後悔してるのかなと思うよ」
「違うよ。そうじゃないんだけど」
WJがうつむく。頬杖をといて、両手で顔をなでながら、
「……すごく混乱してるんだ。きみとこれ以上しゃべりたくないし、自分がなにをしでかすかわからなくなってくるから、出て行ってくれない?」
そばにいたくない、という意味みたいだ。わたしはうつむいて、だけどぎゅうっと両手でこぶしを握る。
「あなたのこと、いろいろ考えたんだけど。なんていうか、わたしにできることって、ないのかな? わたし、あなたのことやっぱり好きだし、だけど付き合えないみたいなことも、ちゃんとわかってるから、わたしの気持ちを、押しつけたいわけじゃなくて、うまくいえないんだけど。あなたに、なんとか幻滅してもらえるように、がんばるから!」
……意味不明になってしまった。あまりの言語の不自由さに、さすがにしょんぼりしつつも、続ける。
「ようするに、友達のまんまで、仲良しでいられたらいいんだよね?」
WJが、困ったみたいな顔でわたしを見た。
「え? ニコル、幻滅、ってなに?」
それについて、うまく説明できる気がしないけれど、自分の考えについて整理しつつ、伝える努力はすべきだろう。
「ええっとう。なんていうか、わたしのことが気にならないようになれば、あなたも自分がおっかない、みたいにならないかもしれないでしょ? だから、あなたがわたしに対して幻滅して、どうでもいい感じの女の子になっちゃえば、仲良しでいても関係なくなるっていうか」
やっぱり意味不明だ。ううううーん、アーサーにわたしの気持ちを整理してもらって、レポート用紙に伝える言葉を、まとめてもらいたい衝動にかられてきた。
WJが、階段の手すりに頭を寄せる。笑いたいような、泣きたいような、迷ってるみたいな顔でわたしを見下ろすので、わたしはうなだれる。
「……意味不明だよね。やっぱりアーサーに、わたしの脚本を書いてもらったほうがいいみたい」
それ以上なにもいえなくなってしまった。WJはなにもいわないし、会話が続かなくなってしまったので、いわれたとおり、この場から去るべきかも。
「……ここで眠らないで、ちゃんとあっちの部屋で眠ってね」
なんとかにっこりして告げる。だけど、わたしの表情は、WJにはぼやけて見えないだろう。階段に背中を向けた時だ。
「それはすごく難しいと思うよ、ニコル」
WJの声がしたので、立ち止まって振り返る。
「え?」
WJが腰を上げた。
「幻滅させるって、どうするつもりだったの?」
うーん、それをいってしまったら、ネタばらしになってしまう、のでは?
「それ、いっちゃったら、幻滅してくれないじゃない」
その前に、そもそも幻滅させるだなんて、宣言したことがすでにネタばらしだ……と気づいて、間抜けすぎる自分にがっかりし、壁に手をついてしまった。つかないと、がっかりのしすぎで、倒れそうだったから。
WJが階段を下りた。それで、ゆっくりとわたしに近づいて来る。わたしすぐそばに立つと、にこりともしない整いすぎた顔で、わたしを見下ろす。間近で、眼鏡をしていないWJの、怖いぐらいの表情を目にしてしまうと、胸の高鳴りが恋的なもののせいなのか、恐怖的なもののせいなのか、混乱してきた。わたしは視線をそらして、布のかけられた装飾品の向こうにあるドアを見る。なにしろとっても……ち、近すぎる! WJののどぼとけに、自分の額があたってしまいそうだ!
「ち、近い……んじゃないかな?」
眼鏡をしていないので、距離感がいまいちつかめないのだろう。う、うううう……、近いのは喜ばしいことだけれども、いまの関係としては、かなり微妙な気分になってしまうので避けたい。だけど、わたしが距離感についてアドバイスしたというのに、WJはしりぞくどころか、左手を壁について、動かない。あれ?
「ど、どうし……」
「友達に戻れるなら、ぼくもそうしたいけど。だけど、自分の気持ちもコントロールできないのに、冷静に友達のふりをするだなんて、さらに難しいよ。きみがなにをしようとしてるのかわからないけど、ぼくは幻滅したりできないし、たぶんもっと……」
上目遣いにすれば、WJが苦しげに顔をしかめて、まぶたを閉じた。たぶん、もっと、なんなのだろう。疑問を感じた瞬間、WJの右手が背中にまわって、抱きしめられる……わけではない状況に、凍る。わたしの着ていたシャツの中に、ひんやりとした指先の感触があたって、壁に押し付けられるみたいな体勢になって、
「ど、どどどどどど」
どもる。これはまさか大人モードな! いやいやいやいや、そんなわけはないし、きっとこれはわたしの妄想から発した夢で、わたしはたぶん、あの寝室で眠っているはずだ……って、こんな妄想までしたことないのに!?
「どぉーうしちゃったの!」
全身の力をこめて、両手でWJを押しのける。ついでに、わたしとしてはあるまじき行為、つまり、衝撃のあまり、WJの頬をたたいたのだった。キスならまだしも(まだしも、なのだろうか!)、いまのはなに? デイビッドに訊いてみたい、いや、わかっている。これはとってもよろしくないし、ものすごくWJらしくない。びっくりしたし、かなしくなって、両手で顔をおさえてその場にしゃがむ。すると、WJの声が、頭上にそそがれた。
「ぼくのほうが簡単なんだよ、ニコル。幻滅してもらうのは」
そんなにしてまで、こんなにしなくちゃいけなくなるまで、わたしたちったら、ややこしくなっちゃったのだろうか。
WJの気配が遠ざかって行く。そのうちに、ドアが開いて、閉じた。ガツン、とドアの叩かれた音がひびいて、ビクつく。わたしに幻滅してもらうために、いまみたいなことをしたのだ。なんとも思われない努力をすると、WJにいわれたことを思い出して、縮こまる。
もう、もう、もうううう! 誰か、キャシーのパパかどこかの科学者、みたいな人が、WJのパワーを消す、もしくは押さえる薬、なんかを、発明してくれないかな! そうしたら、こんなことで悩まなくてもいいはずだから!
★ ★ ★
いっそゴーストと化してしまいたい。げっそりしたままドアを開ければ、そこにキャシーが立っていて、
「……どうしちゃったの?」
……さあ、どうしちゃったんだろう? 自分でもよくわからない。
「アーサーとデイビッドが、チェスで白熱してるから、抜け出して来たの。そうしたらWJが、ものすごくおっかない顔であらわれて、わたしなんて見えてないみたいな感じで、自分にいらいらしてるってふんいきで、ドアをたたいて」
エントランスのほうを指し、
「外に出て行っちゃったのよ? なにがあったの?」
シティのビジネスマンなら、こういう表現を使うだろう。
「……交渉、決裂したのかも」
はあ? とキャシーが首を傾げた。微妙すぎてキャシーに伝えることもできない。背中に、WJの指の感触がまだ残ってる。震えていたような気もするけれど、いまとなってはそれもよくわからない。無理にあんなことをしたのはわかるけれど、してほしくなかった。ものすごくがっかりしている自分に気づきながら、いっぽうでは、悔しくも思うのだ。だって、WJのいうとおり、さっきのことでわたしはたしかに、WJにちょっと幻滅しているから。だからって、嫌いになったわけではない。くそう! もう、もう! その場で、地団駄を踏みたくなってきたところで、二階から騒がしい声がする。
「……だ! おれの勝ちだぞ、フランクル!」
「ちょっと、待て、キャシディ! まだチェックメイトになってないぞ!」
深夜だとは思えない、騒ぎようだ。声がどんどん近づいてくる。二人が階段を下りてきたので、エントランスから見上げれば、胸ぐらをつかみあっていた。
……どうしよう、一刻も早く自分の家に帰りたくなってきた。うなだれたわたしの耳に、この豪邸の裏側にまわりこむ、車のエンジン音がとどく。車が停まってからしばらくすると、チャイムが押された。アーサーとデイビッドが、つかみあったままの恰好で止り、リビングからカルロスさんがあらわれて、扉を開けた。立っていたのは、つばの広い帽子をかぶった、トレンチコート姿の小柄な女性で、
「……ご立派なお屋敷ね」
サングラスを取る。セクシーな美女の登場に、カルロスさんがにやけた、のをわたしは見逃さない、というよりも、見逃せなかった。もしかすると、この人が催眠術師、なのかも? カルロスさんが、美女と握手を交わすのと同時に、さらにリビングからスーザンさんがあらわれて、
「美人じゃない! しかもわたしと同じ方向の美人だわ! なにかしたら許さないわよ、カルロス!」
叫ぶ。同じ方向の美人って、どういう意味なんだろう……なんて考える前に、WJがどこへ行っちゃったのか、気にするべきだ。
「……ああ、あああああ」
疲れすぎて、その場にへたりこみ、床に手をついてしまった。わたし、もう、男の子恐怖症になっちゃうかも。
「ニ、ニコル、大丈夫?」
「……わたし、女の子だけの国に行きたいかも」
「はあ?」
わたしの幻滅作戦よりも、WJの作戦のほうが、一枚上手だったといえる。いっそわたしが、WJを押し倒すべきだったのだろうか? それって、まるでジェニファーだし、根本的に違う気がする。
「うっ。ううううう!」
完全に、わたしの脳内キャパシティを、さまざまなことが越えてしまっていて、整理のつけようもない。床の上で小さくで丸まって、うめく。もはやわたしにできることなど、なにもないような気がしてきた。ああ、ああああああ。