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SEASON3 ACT.18

 中心街のメインストリートで、妙な音をたてながら、ガックンとガス欠になった車が停まってしまった。歩道に車を寄せたデイビッドは、こぶしでゴツンとハンドルを叩くと舌打ちし、降りるようにわたしをうながす。

 交差点付近では車が渋滞しまくっている。あちこちでクラクションが鳴りひびき、大きなバッグを背負ったヘルメット姿のメッセンジャーが、マウンテンバイクで信号無視し、車の間をぬうように疾走していく。空はすっかり闇だというのに、摩天楼のど真ん中は、無数のライトのせいで昼間のようだ。

 わたしの手を取ったデイビッドは、人混みにまぎれて歩道を走りだした。

「ど、どこへ行くの?」

 背後を振り返りながら走るデイビッドは、地上九階建てのデパートのドアを押す。超高級&有名ブランドが両側に並ぶ通路を走れば、通りすがりの人たちや店員が、デイビッドを目にしてぎょっとした。

 顔なんて隠していないうえに、ただでさえデイビッドは目立つし、なにしろ有名人なのだ。でも、そんなことなどおかまいなしで、デイビッドはデパートの中を駆け抜ける。なんとか前のめり気味に走って、肩越しに振り返ったわたしの視界に、ガラス張りのドアを押して、デパートへ入る三人の男の姿が飛び込む。上品なスーツ、ポマード頭、中のひとりはクラシックハットをかぶっていて、周囲を見まわし、わたしとデイビッドを見つけると、いっきに向かってきた。

 エレベーターゾーンに立って、連打でボタンを押すデイビッドが、また舌打ちをする。エレベーターが遅いのだ。

 デイビッドは背後を気にし、ぐいっとわたしの手を引っ張ると、ジュエリーブランドの角をめがけて足早に歩き、小さな出入り口から外へ出る。路地に面したそこから、メインストリートへふたたび出れば、歩道に寄せられた白いシボレーの運転席のドアが開いて、たばこをくわえた男が降りた。わたしとデイビッドをみとめたとたんに、ジャケットの中へ右手を入れる。同時にデイビッドが駆けだした。

「まだ走れるか、ニコル?」

 い、息切れがすごいけれど、もちろんだ!

「ど、どうするの?」

「ここまで来たら、会社のビルまで行きたいところだけどね」

 肩越しに振り返って、デイビッドが苦笑した。

「……着けないかも。すごい執着だな」

 たしかに。車から降りた男と一緒に、デパートで巻いたはずの男たちの姿も、人ごみの中から見えていた。

「い、い、命がかかってる、からかも!」

「命って?」

「ジョ、ジョセフの!」

 ボスになったことで、兄弟から恨まれているらしいジョセフは、デイビッドを引き換えにして、自分の身の安全を保障させるつもりでいる。ジョセフはデイビッドがパンサーではないと、気づきはじめているけれど、兄弟たちはそんなことを知らないし、いまやデイビッドは能力をうしなったスーパーヒーロー、ギャングにとってはかっこうの、これは復讐のチャンスなのだ。

 なにもない歩道でつまづいて、うっかり転びそうになったわたしを、デイビッドがとっさに抱きかかえてくれる。それで、わたしは肩で息をしながら、自分が足手まといになっていることに気づいてしまった。

「デ、デイビッド、会社まで行って!? わたしはいいから、大丈夫!」

 走りたいのはやまやまだけれど、もはや息切れが尋常ではないレベルだ。運動神経はにぶいほうではないけれど、さすがにデイビッドのスピードにはついていけない。残されたところで、キンケイド・ファミリーはわたしをスルーするだろう、……たぶん。まあ、相手がマエストロなら話は違うけれど。

「きみを置いて行けるわけないだろ。ひとまず駅へ入ろう」 

 わたしの手を取り、周囲を見まわしながら、デイビッドが前方に見えるターミナル駅めがけて走る。

「わ、わたしの体力のせいで、あなたの安全が保証できないのは、すっごくせつないの!」

 琥珀色のライトに包まれた、ターミナル駅のメインコンコースは、たくさんの人であふれている。広い空間の両側には、さまざまなショップが並んでいて、天井付きの小さな街といった雰囲気だ。いったん立ち止まったデイビッドは、高さ百二十フィートはありそうな球状の天井を見上げてから、周囲を見まわし、また走りはじめた。

 あああ、大理石の床が磨かれすぎていて、ものすごくすべる!

「きみを残して行くほうが、おれとしてはせつないね、こっちだ!」

 ショップとショップの間にある通路のつきあたりに、化粧室がある。ドアを開ければ、誰もいない。公共機関の化粧室なのに、とてもきれいだ。デイビッドは個室にわたしを押し込めると、自分も入って鍵をかけた。

「……さて。どうするかな」

 肩で息をしながら、デイビッドがベルトに押し込めたピストルを取り出し、慣れた手つきで弾を確認する。すると顔をしかめてつぶやいた。

「……パイソンか。苦手なんだよな、これ」

 またベルトの中へ差し込み、ため息をつくとわたしを見る。

「……いまさらなんだけどさ」とデイビッド。

「う、うん? なに?」

 デイビッドが苦笑した。

「学校のオフィスから、マルタンに電話すればよかったね」

 あ。……そ、そのとおりだ……。

「でも、SPの盗聴器から、そういうのが聞こえちゃったかも? それに、学校で待ってる時間が長かったら、あやしまれたと思うよ?」

「まあね。どっちもどっちか」

 ため息をついて、髪をかきあげる。デイビッドの命があやうい。そのうえキャシーも心配で、アーサーとWJがどうしているのかも気がかりだ。いっぺんに解決させるなんて、わたしにはまるっきりできそうもないけれど、ひとつぐらいはなんとかしたい!

「デイビッド。いまならまだ間に合う気がするから、やっぱりあなたは会社に行って? わたしはここでじいっとしてるから」

「じいっと?」

 わたしはうなずく。

「だって。わたしはマエストロに目をつけられている、みたいだけど、べつにキンケイドに追いかけられてるわけじゃないもの。わたしがのろのろしてるせいで、あなたが危なくなるのはいやだから」

 ドアに手をついたまま、デイビッドがじいっと、わたしを見つめる。どうにもわたしとデイビッドは、化粧室の個室に縁があるようだ。いや、全然嬉しくない縁なのだけれども。

「……あのさ」

「な、なに? 行くなら急いだほうが、いいと思うんだけど?」

「……まあ、そうなんだけど」

 なにしろ個室は狭いので、便座ゾーンと壁に挟まれて立っているわたしと、ドアの前に立っているデイビッドの距離は、間に人がひとり入れる程度だ。

「おれ、もしかしたらキンケイドにやられて、死ぬかも、だよね?」

 そんなおっかないことを、どうしてにやりとしながらいうのか、意味がわからない。

「そんなことないってば! 大丈夫、いますぐここから逃げて、マルタンさんとかアリスさんに会えたら……」

 わたしの言葉をさえぎって、なぜかデイビッドが右手を差し伸べる。

「だからさ。最後の思い出に、キスさせて?」

 ……え、ええええ? どうしてそうなっちゃうの! わたしはずるずると、壁に背中をくっつけて、デイビッドから遠ざかって……って、まったく遠ざかれないし、いまや隅っこに追いやられてしまっている。

「い、生きる方向を、心からおすすめしてもいいかな?」

「もちろんそのつもりだけど、万が一ってことがあるかも。だろ?」

 むうっと頬を手で挟まれてしまった。と、そこで。誰かが化粧室へ入って来る気配がした。わたしの顔寸前で、デイビッドは両手を離し、動きを止める。入って来たのは女性らしい。キツめの香水のにおいがかすかにただよったので、わたしが目を伏せてほっとしたら、軽く頭を下げたデイビッドの顔が近づき、あ、と思った瞬間唇に、デイビッドの唇がほんの一瞬、触れてしまった。

 う! と壁に背をくっつけて、わたしは硬直する。でも、声を上げることはできない。両手で口をおおった直後、蛇口をひねる音がする。化粧直しに立ち寄っただけなのか、香水かけまくりの人物は、すぐに出て行ってしまった。

 ……こ、こんなことをしている場合ではないのだ、間違いなく! 

 異議を申し立てようとして、口から手を離したのと同時だった。いきなり、ガツン、と勢いよくドアの蹴られる音がして、デイビッドがわたしの口を左手で、押さえつけるように塞ぐ。そのまま右手を背後にまわし、顔をドアに向けると、ものすごい眼差しでにらんだ。

 個室のドアが、端から蹴られていく。もっとも奥に位置するこのドアが、いましも蹴られそうになった時だ。化粧室へ入ろうとしたらしい女性の、「きゃあっ」と叫ぶ声が上がり、すぐさま靴音が遠ざかっていった。すると、はあ、とデイビッドが息をついて、わたしの口から手を離す。これは、もしや。……助かった、のかも? 

「た、助かった?」

「さあね。まだどこかにはいると思うけど」

 わたしの手をまたもや握って、個室のドアを細く開けたデイビッドが、化粧室のようすをうかがう。

「……誰もいないな。出よう」

 化粧室から出たデイビッドは、周囲を見まわしながら足早に通路を歩きはじめた。

 というか、というか!

「あ、あなた、さっきすっごくどさくさにまぎれて、わたしにしちゃったでしょ?」

「しちゃった、だって。いやらしい表現するね、ニコル。あんなのただの挨拶だろ」

 ギャングに追われているというのに、にやついた顔でわたしを振り返っていう。ううううう、ひどい!

「好青年、だったでしょ!?」

「じゅうぶん、好青年っぽいキスだっただろ? あんなの全然おれじゃない。知ってるくせに」

 う! 豪邸でされたキスを思い出してうなだれる。……ああ、ああそうですか。わたし、対デイビッド的に、もっと気をつけるようにすべきだ。きっとどこかのろのろしているから、デイビッドにつけこまれてしまうのだ! これはとってもよろしくない。

「わたしも気をつけるけど、あなたももうしないでね!」

「はあ? そんな約束できるわけないだろ」

「そ、そんなあ!」

 無情すぎる。ぐいぐいとわたしを引っ張って、デイビッドがコンコースを走る。駅から出ようとすると、とっても見覚えのある人物とすれ違い、お互いに立ち止まるはめになった。

「ア、アーサー!?」

「なにをしてるんだ!」

 わたしとデイビッドを見て、アーサーが思いきり顔をしかめた。アーサーが立ち止まったのは一瞬で、わたしとデイビッドに指をさすと、

「しゃべっている暇はない。チケットを買いに来たんだ。きみらもここから逃げろ!」

 叫ぶと、ずんずんと売り場カウンターへ向かっていく。

「……なんだ?」とデイビッド。

「どうしたんだろ」

 WJの姿はないし、意味がわからなくてデイビッドを見上げたとたんに、誰かがぐいっと、わたしのバックパックを背後から引っ張る。そこにいたのはキャシーだ。

「ニコル! あなた、どうしてここにいるの?」

「キャシー? あなたもどうし……」

 いいかけた時、キャシーのそばに立っている男性に気づく。白いシャツにスラックスという恰好の中年男性は、目もとがキャシーにそっくりだった。わたしのパパとは雲泥の差、ハリウッドスターのポール・ニューマンに似ていて、ものすごくハンサムだ。

「パパなの。パパととりあえずシティを出るわ」

「え!?」

 両手で、わたしの両腕をぐっとつかんだキャシーは、

「内緒で出かけてごめんね。いろいろしゃべりたいけれど、いまはともかく逃げなくちゃいけなくなったの。あとで話すわ!」

 わたしから離れたキャシーが、パパと一緒にカウンターへ走って行く。その時だった。

 立ち止まってしまったせいだ。どこからともなくあらわれたギャングが、ジャケットからピストルをのぞかせて、囲むみたいにしてわたしとデイビッドの前に立ちはだかった。

「声を出すな。車に乗れ」

 ひとりがいう。握っていたわたしの手を離して、デイビッドがつぶやく。

「ほら、いっただろ」

 わたしを横目にして、

「最後かもって」

 デイビッドがそういった直後、わたしの視界に、人波にまぎれてメインコンコースへ入る、トレンチコートを着た人影が飛び込んだ。クラシックハットを斜めにかぶり、葉巻をくわえている。ゆっくりと周囲を見まわすと、わたしをみとめて、にやりと口角を上げた。

 マエストロがゆっくりと、コートをひるがえしながら、近づいて来る。ゆったりとした優雅な足取りで近づきながら、すっと右手を上げ、いっきに大きく振りかぶる。たちまち無風のコンコースに、小さな竜巻があらわれる。

 その場にいた人びとの叫び声が上がり、わたしは瞬時に巻き込まれて、デイビッドとギャングもろとも身体ごと飛ばされ、床にたたきつけられた。

 わたしこのまま、意識をうしなうのかも! ……って、まったくうしなわない。なんとか起き上がると、目の前にマエストロが立っていた。わたしの胸ぐらをつかみ上げて、葉巻を床に放ると、

「……きみのお友達は、わたしとの大事な約束を忘れたようだ」

 コートのポケットへ左手を入れ、なにかを取り出す。

「だから誰かを殺さねばならなくなってしまったんだ。わかるね?」

 まったくわかりません! 

 デイビッドのうめき声がする。うめきながらわたしの名前を呼ぶ。あっちにはギャング、ここにはマエストロ。もう悪玉だらけのこの街から、引っ越したほうがいいのかも? ……なんて現実逃避している場合ではない。

 マエストロが、取り出した物を床に落とす。それは眼鏡だ。はがれかけたバンドエイドが、フレームにくっついていて、レンズが割れている。テンプル部分も折れ曲がっていて、もう使い物になりそうもない、眼鏡。

「ダ、ダ、ダ、」

 名前がいえない。どうしよう……どうしよう! まぎれもなくそれは、WJの眼鏡だった。

「WJは関係ないのに!」

「そうかな?」

 時間は止められていないようだ。周囲に人だかりができていて、警備員を呼ぶ誰かの叫び声がする。ざわつきはじめて、人びとが口々に、マエストロの名前をささやきはじめる。

「WJはどこにいるの!」

 死んじゃった……わけじゃないよね!?

 叫んで暴れまくるわたしを、マエストロはやすやすと抱きかかえた。起き上がったデイビッドが、ピストルを両手で握って発砲したけれど、マエストロは弾を避ける。避けて床を蹴り、いっきに地上百二十フィートの高さまで飛んだ。飛んで、冷ややかな眼差しをわたしに向けると、無言のまま腕をゆるめた。

 ……ギャングもおっかないけれど、マエストロのほうがもっとおそろしい。だって、なんにもいわずにわたしを、地上百二十フィートの高さから落してしまうのだから。

 大理石の床に身体が落ちる寸前、猛スピードで突進してきたなにかが、空中でわたしをぐっと抱えて、抱えたまま背中から床にすべり落ち、チケット売り場のカウンターに衝突した。ものすごい衝撃と衝撃音に固まって、自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなる。ぎゅうっとまぶたを閉じてから、ゆっくりと開ければ、黒いパーカーのフードで頭をおおったWJが、わたしを抱えて身体を丸めていた。

「……あ。あああ! わ、わたしあなたが」

 素顔のWJは苦しげに顔をゆがめて、ゆっくりとまぶたを開けると、わたしを見つめる。

「……間一髪だよ。ギリギリだ。なんにも見えないからね。で、着地に失敗」

 く、と眉を寄せてから、わたしを離して起き上がる。軽く頭を左右に振って、

「どうしてきみがここにいるの?」

「キ、キンケイドがデイビッドを追っていて。あ、あなたは? アーサーとキャシーと、キャシーのパパにここで会ったんだけど……」

 はあ、とWJがため息をついた。

「マエストロに見られていたんだ。ぼくが彼の邪魔をしている間に、アーサーがキャシーたちを逃がそうとしていたんだけど」

 マエストロが、コンコースのど真ん中、床の上に降り立つ。誰もがマエストロを見ている。警備員がマエストロにピストルを向けても、マエストロは楽しげに微笑むだけだ。

 立ち上がったWJが、マエストロに近づいていく。人びとの視線が、やがてマエストロから、落ちるわたしを助けた謎の人物、黒いパーカーを着た男の子にうつってしまう。そして誰かが、パンサーみたいだと声を上げた。

 わたしはとっさに、WJを呼び止める。

「い、いいよ、WJ! わたしは無事だし、マエストロはきっと警察に捕まるから!」

「……捕まらないよ、ニコル。それに、ぼくはいま、とっても怒ってるしね」

 WJがマエストロの前に立つ。コンコースのライトがまたたきはじめ、ガチンと不気味な音をたて、いっきに消える。ターミナル駅が、闇に包まれた。

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