SEASON3 ACT.17
キンケイドに追われているデイビッドと、マエストロに目をつけられているわたしは、学校に残って大人チームの迎えを待つことになってしまった。アーサーはわたしのマウンテンバイクでC2Uを目指し、WJはたぶん……とりあえずはバスで、そのあとでどこからか、飛ぶ、のかもしれない。
エントランスで、背負ったバッグの中から黒いパーカーを出したWJは、校舎を出る前にそれを羽織り、フードで頭をおおうと、ちょっと心配そうにわたしとデイビッドを交互に見る。
「……デイビッド、ニコルを、頼むよ」
「心配するなよ。全然大丈夫」
ぐ、とWJが一瞬だけ顔をしかめてから、デイビッドを指して、
「……口説かないでよ」
「それは約束できないね」
「変なことしないでよ?」
「……まあ、努力はする」
う。うううううう。ありえないつっこみだけれど、わたしを取り合っている場合ではないし、わたしのことなんかよりも心配なのは、キャシーとマエストロと、あなたの照れ性だ!
「わ、わたしの心は動かないから、WJ気をつけて! マエストロが、どっかから見てるかもしれないし」
笑みを浮かべてうなずいたWJは、アーサーとともに校舎を出て行く。空は黄金色に染まっていて、すっかり夕暮れだ。
二人を見送っていると、背後からサリーがあらわれて、わたしを横目にするとにっこりした。
「じゃあね、ニコル・ジェローム。わたし、あきらめないわよ?」
……あああ、そんな場合じゃないのに、ものすごく爽やかに宣戦布告、されてしまった。
「それにしても、彼ってすっごい静電気だわ。妙にバチバチするのよね」
肩をすくめてひとりごちる。う。
「バーイ、デイビッド」
軽いウインクをして、笑顔のまま髪をかきあげ、サリーはキュッと上がったお尻をふって、駐車場方向へ歩いて行った。
「最高にセクシーだね」
「え! ほんとう? だったらあなたが、いますぐ口説いて!」
出入り口を指して叫ぶ。いろんな意味で解決できそうだから、ジェニファーには申しわけないけれども、できれば切実にお願いしたい! だって、サリーはもともと、デイビッドに恋していたはずなのだ。だから、デイビッドが口説きはじめたら、すぐさまいい感じになるような気がするのだ!
するとデイビッドはげんなりして、
「あんなの見飽きてて、うんざりだ。行こう」
有無をいわさずわたしの手を取って握り、図書室へと歩きはじめる。放そうとするけれども、力が強すぎて振り払えないので、わたしはうなだれる。
「最高にセクシーっていったじゃない」
「個人的には、べつに褒め言葉じゃない」
……ああ、ああそうですか。もうつっこむ気力すらわたしにはない。キャシーが心配だし、そのうえアーサーとWJも心配だ。そしてある意味、いまの自分のこの状況も。
「……嘘つかなくちゃいけなくなったね、マルタンさんとかに」
「警官気取りのおじいさんが危篤だから、WJと一緒に病院へ行ったって? まあすぐバレそうだけど仕方ないだろ。それにしても遅いな」
そうなのだ。お迎えがものすごく遅い。こんな時、無線機が使えないのって、ものすごく不便だ。持ち歩ける電話とか、あったらいいのになあ。
「仕事で手一杯なんだよ、たぶん」
「……だろうね。おれのわがままのせいだけど」
自覚はあるらしい。いや、反省している、みたいな意味のことを、昨日からデイビッドはいっているので、本当に後悔しているのかもしれない。
パンサーを辞めたことを。
「キャシー、大丈夫かな」
「おれたちは動けないんだから、まかせるしかないさ、あの二人に」
内緒でひとりで行くなんて。キャシーらしくない無謀な行動だけれど、それだけパパが心配なのだろう。マエストロに会ったことを、唯一知っているわたしに、本当は告げたかったはず。だけど、そうすれば、うろうろ禁止令を出されているわたしも、一緒に行くといいだすかもしれないし(もちろん、間違いなくそうする)、であればわたしも危険な目にあうと思って、なにもいわずに行ってしまったのだ。
……わかってたけど、わたしってすっごい無力。
デイビッドに手を引っ張られながら、しょんぼりしつつ図書室へ入ると、人影がまばらになっていた。
校門が見える窓際に座り、お迎えの車があらわれるのを待つ。ちなみに、マスコミ関係らしき車も数台、道路を挟んだ向こう側にまだある。窓の外を眺めながら、ぐるぐるとキャシーのことを考えていたら、ものすごい視線を、目の前のデイビッド方向から感じて、うっかり顔を向けてしまった。頬杖をついたデイビッドが、じいっとわたしを見ている。うっ。
「……な、なに?」
「……なんだろうな。人のモノだと思うと、さらにかわいく見えてくるね」
間違いなく、気のせいだ。
「う、うん、それたぶん、気のせいだよ」
背もたれに背中をくっつけて、のけぞり気味になり、目を泳がせる。
「そうかな。いや、そうじゃないな」
豪邸でのあれやこれやがよみがえりそうなので、この会話の流れをどうにかすべきだ。
「……と、というか、こんなことしゃべってる場合じゃないのに! なにもかもあなたの勘違いだし、落ち着いて!」
「おれは落ち着いてるよ、じゅうぶん。……でもあのさ、ちょっと訊きたいんだけど」
なんだろう? 首を傾げれば、
「WJの部屋で、なにしてたわけ?」
「なにって……べつに」
ちょっと抱き合った、ぐらいだった。いや、たったそれだけのことを思い出しただけで、顔がほてってきた。うううーん、これはまずい。するとデイビッドが、ものすごく目を細めていった。
「……にやついてるよ、ニコル。まあ付き合ってるんだから、い・い・け・ど・ね、べ・つ・に。でも、教えてよ、詳細に」
「しょ、詳細にって、なんで?」
「自分がどこまで好青年でいられるか、耐えてみたいと思ってさ」
……どうしよう、大変だ。デイビッドが、壊れはじめてる! と、図書室に事務員のミス・モリスンが顔を出して、わたしと目が合うとにっこりしながら近づいて来た。
「ミスター・キャシディ、ミスター・ロドリゲスという方から、さっきオフィスに電話があって、仕事で遅くなりそうだから、SP? というのかしら? わたしにはよくわからないけれど、そういう人が代わりに来るそうよ。校門の前にはマスコミがいるだろうから、敷地内の駐車場に停める、と伝言をあずかったわ」
ミス・モリスンが去って、二十分ほどが経ったころ、今度はホランド先生があらわれて、わたしたちを呼んだ。どうやらSPが着いたらしい。ホランド先生と一緒に、エントランスまで歩いていると、ふいに前を歩く先生がいった。
「……もうパンサーには、なれないのかね、キャシディくん?」
「……え? ああ、まあ」
先生が肩越しに振り返って、ちょっとかなしげな笑みを浮かべた。なにもいわず、廊下の先のエントランスを指し「また明日」と微笑んで、物理教室の中へ入ってしまう。
ホランド先生の姪御さんは、まだ行方不明のままだ。絶対にマエストロが居場所を知っているはずだけれど、そのことを先生はもちろん知らない。でも、パンサーがシティに存在していれば、いつか彼女を見つけて、助けてくれると期待していたのだ、そんな口振りだった。
「先生、期待してたんじゃないかな、たぶん」
「期待、ってなにが?」
「先生の姪御さんが、行方不明になっちゃってるでしょ?」
ああ、とデイビッドは髪をかきあげてから、うつむいて眉を寄せた。コーデュロイパンツのポケットに両手をつっこんで、しばらく無言のまま廊下を歩く。そしてエントランスを上目遣いにした瞬間、デイビッドがくっと片眉を上げた。
黒ずくめのスーツにサングラスのSPがひとり、後ろに手を組み、こちらを向いて、出入り口の前に立っている。間違いなくいつもの人だ。それにしても学校にSPって、ものすごく異様な光景かも。
「行きましょう」
SPが背中を向けたので、わたしも着いて行こうとする。すると、デイビッドがわたしの左腕をぐっと引っ張って、
「悪い、忘れ物したから取ってくるよ。ちょっと待っててくれ」
SPが肩越しに振り返るやいなや、デイビッドが足早に廊下を歩きはじめた。
「忘れ物?」とわたし。
デイビッドが小走りになるから、わたしは前のめり気味だ。
「あれは合図なんだ。逃げろ、の合図」
「あ、合図?」
「後ろに手を組んでただろ。いつもは前に組んで立つ」
一階を走りまわって、自分のクラスへ入ると、窓の鍵をはずして開けた。バッグを背負いなおしたデイビッドが、窓枠に足をかける。
「な、なにが……?」
窓から外へ飛び降りたデイビッドが、両腕を広げる。
「SPは二人いて、ひとりが車に残り、もうひとりが迎えに来る。その間になにかあって、たぶんおれたちを助けられない。あれはそういう合図なんだよ。ともかく逃げよう。おいで、ニコル」
わけもわからずのろのろと、わたしも窓枠に足をのせる。
「じゃあべつに、こんな嘘つかなくっても」
「誰かが彼に、盗聴器をしかけてるかもしれないだろ。おれが屋敷にしかけたみたいに」
「はあ?」
デイビッドがわたしの腰をつかんで、ぐっと地面に着地させてくれると、にやりとしていった。
「……屋敷のリビングにしかけたんだよ。ミスター・スネイクとマルタンに頼んで。きみとWJがしゃべってないか確認するためにさ。……まあ、アホらしいことをしたと、思ってるけど」
苦笑する。つられてわたしも苦笑したけれど、あきらかにそんな場合ではない。わたしの手をぎゅうっと握ったデイビッドが、校舎の裏手にまわって、門に囲まれた敷地内を走りだす。
「ど、どうするの?」
「さあね。いま考えてる」
「マエストロ? それともキンケイド?」
「どっちかだろうね、確実に」
最悪だ。
高さ七フィートのレンガ造りの門を見上げて、デイビッドがジャンプし、両手をかけてよじ登った。上に立ってしゃがむと、わたしに手を差し伸べる。わたしは背伸びをして、なんとかその手をつかんだけれど、スニーカーが塀にすべって、なかなかうまく登れない。
「う、ううううう」
デイビッドが両手で、わたしの腕を引っ張り上げる。
「カルロスもマエストロに狙われてる、みたいだから、マルタンに頼るしかないな。どこかの電話ボックスから、マルタンに電話しよう」
なんとか上に立てたとたんに、バランスを崩しそうになって、デイビッドに抱きかかえられてしまった。
「あ。なんかこの感じ。……久しぶりかも」
いや、ぎゅうっとわたしを、抱きしめている……場合ではないんです! デイビッドを引きはがすためにもがきつつ、
「昨日ホテルのトイレで、めそめそしてたくせに!」
「ああそう。そういうこというわけ? 好青年、撤回するけど、いますぐに」
すみません。
くだらないことで、もめている場合でもない。校舎の裏手には、車が一台通るほどの路地を挟んで、レンガ塀のアパートが建ち並んでいる。すでに空は暗く、街灯をたよりに着地して、バス停のある通りの反対側を目指し、いっきに走る。
「コーヒーショップがあったはず。上級生の溜まり場」
ぐいぐいとわたしの手を引っ張り、デイビッドがいう。もうすぐ大きな通りに出る、というその時だった。てかてかと光るシルバーのシボレーが、急ブレーキの音をひびかせて、目の前にあらわれてしまった。
……シボレー。よくある車だ。そのはず、だけれども。
ビジネスマンみたいなスーツ姿の若い男性が二人、エンジンをかけたままの車から降りてくる。デイビッドは舌打ちして、わたしの手を握ったまま反対側を振り返る。残念なことに白いシボレーが、こちらに向かってゆっくりと直進していた。
挟まれて、しまったらしい。
発信器はナシ。無線機は使用不可能。これって、まさに、八方ふさがりということ……みたいだ。うううう、うううううう!
髪をポマードでととのえている二人の男性が、近づいて来る。と、ひとりがジャケットの内ポケットに、右手を入れる。
デイビッドがわたしを自分の背後にまわし、
「……ほんと、マジでおおげさなんだよ、やることが」
白いシボレーが、ずいぶん遠くで停まる。ひとりが降りて、たばこをくわえて火をつけると、面倒くさそうに歩きはじめた。
「SPからどうして逃げたんだ? せっかく運転席の男を脅して、車で待ってたというのに、手間をかけさせるなきみは。なぜ気づいた?」と男。
デイビッドの肩越しに前を見れば、ピストルをぶらぶらと揺らしながらしゃべっている。だからどうして? どうしてそんなおっかない物を、コーラの瓶みたいに気軽に持つわけ!
「……おれ、ここで殺される、とか?」
「場合によってはな」と、もうひとりの男も近づく。
「あ、そう」
わたしはぎゅうっとまぶたを閉じて、バックパックを胸にし、力一杯に抱える。それで、教科書に混じる筒状の輪郭に、はっとした。
「で? ジョセフ・キンケイドはどこにいるんだよ」とデイビッド。
わたしはそうっと、バックパックの中へ手を入れる。
「ボスと呼べ。おまえがボスにしたんだろ」
二人の男の顔が、ものすごくデイビッドに近づいた時だ。これって、いちかばちかな、賭けだけど!
「めっ、目を閉じてしゃがんで、デイビッド!」
叫ぶやいなや、デイビッドが反射的にしゃがむ。わたしはすぐさま、アーサーにもらって未使用のままだった催涙スプレーを、発射してみた。うめく二人のギャングの手から、ピストルが地面に落ちる。ピストル一丁を足で蹴ったデイビッドが、わたしの手を引いて、走りながらもう一丁のピストルを拾った。
白シボレーから降りた男が走って来る。走りながら、発砲した! 同時に停まっていた車が、いっきに走りだす。
こんなアクション耐えられないけど、なんだか慣れてきた気がする……って、慣れちゃダメだし、逃げなくちゃ!
「ああ、あああああ! わたし死ぬかも! ここで死ぬのかも!」
通りに停まっていたシルバーのシボレーに、デイビッドが乗り込む。
「死なないから乗れ、ニコル!」
助手席に滑り込んだとたん、デイビッドがアクセルを踏み、ハンドルをまわす。
「……マジで助かった、すごいもの持ってるな」
デイビッドがにやりとする。いったん車をバックさせ、ハンドルを思いきり回転させると、いっきにスピードを上げた。
「ア、ア、アーサーにもらったの、忘れてて」
「……あっそ。仕方ない、今度からあいつのことを名前で呼ぶよ」
デイビッドはぐんぐんと、車のスピードを上げていく。だけどバックミラーには、数台の車を挟んで走る白いシボレーが、きっちりと映っている。とはいえ、ひとまず安心……できそうにない。なぜなら車のスピードが、なぜかゆるやかに落ちはじめちゃったからだ。
「デ、デイビッド? スピードが」
「……ああ、アクセルは踏んでるよ、思いっきりね」
デイビッドが、げんなりした顔で、ガソリンのメーターを指す。
「……ギャングって貧乏なのか? 給油しとけよ」
え。えええええ?
メーターの針が、ほとんどゼロをしめしていたのだった。