SEASON3 ACT.16
アーサーが語るには、三時限目、経済学の授業中にいきなり、アーサーのうしろの席に座っていた女の子が「ひゃあ」と声を上げたため、その場にいる全員が振り返るはめになり、視線がアーサーの右斜めうしろに集中したという。声を上げた女の子の右隣、そこに座っていたのはWJで、アーサーが振り返った時、WJは右半分の素顔をさらしていたのだそうだ。耳にひっかけるためのテンプル部分と、フレームがはずれてしまったため、WJがあわてて指でおさえるも、今度は左部分がはずれる。要するに眼鏡が眼鏡として機能するためのパーツが、なぜか突然、はずれてしまったのだ。
「だが安心しろ。彼の眼鏡は修繕されたぞ。次期チアリーダー候補のサリー・カーティスによって」
「え」
学食で、サラダを頬張りながらアーサーがいう。
「彼女がバンドエイドを持っていたんだ。それではずれたパーツを、ぐるぐる巻いてやっていた。なにしろジャズウィットには、なんにも見えない状態だったからな」
……それはよかった……って、いや、そうなの? ん?
「サリー・カーティスは、アメフトの上級生と付き合っていたが、別れたばかりだ。ギャングやマエストロに追われまくってるきみには、そんな場合じゃないだろうが、思い出せ」
おもむろにアーサーが、学食の壁を指す。視線でたどればその先に、プロムのポスターが貼られてある。
「もちろん、忘れてるわけじゃないけど?」とわたし。
サリーとはなんの接触もないけれど、かなり美人の女の子だ。もちろん、キャシーほどではないけれど、わたしやキャシーにはないアクティブさが彼女にはあって、ジェニファーみたいにセクシーさをひけらかすタイプでもなく、なんというか、同性にも好かれる健康的美人の代表選手だ。
みんなに親切で優しく、成績優秀、スポーツ万能。デイビッドに恋しているという噂も一時期あったけれど、アメフトの上級生と付き合いはじめてから、彼女が一緒に行動するのは、上級生のグループ。だからなんとなく、高嶺の花、みたいな雰囲気が、同級生の間には流れていたのだけれども。
「思うに、サリー・カーティスは、恋人と別れて焦っている」とアーサー。
「……彼女なら、プロムの相手なんてすぐに見つかるでしょ?」
キャシーがいう。すると、アーサーがにやりとした。
「別れたいきさつは知らないが、同じタイプはもういい、と思ってるような気がするけどな。これ見よがしなアピール、自信満々、スポーツ万能だが、知的さに欠けるタイプ。きみらは知らないかもしれないが、経済学の授業中に、彼女はよくジャズウィットにしゃべりかけてたんだぞ。まあただたんに、ジャズウィットの成績が一番だから、授業内容について、だが」
「……だから?」とキャシー。
「だから」
アーサーが眼鏡を押し上げる。
「ジャズウィットが優しいということを、彼女はすでに知っている。顔を真っ赤にして、しどろもどろで答えるジャズウィットを、微笑ましく見ていたかもしれない。だいたいほとんどの女子は、ジャズウィットを冴えないと思っているが、優しい性質は見抜いているんだ。まあ、普段は完璧にスルー対象だろうが。それがあのハプニングによって、いまや大穴状態」
「お、大穴?」
わたしが眉を寄せると、アーサーがふ、と口角を上げた。
「学校一のハンサムは優しいうえに、異性に免疫がない。もうすぐプロムのこの時期で、女子にとっては、面白すぎる相手として、いっきに浮上したってことだ。で、だ。休憩時間に噂が広がり、それを耳にしたジェニファー・パーキンズが、廊下でジャズウィットの眼鏡をわしづかんで、取って見てしまった。まあ、あとは想像にまかせる」
「……アーサー。つまりそれって、サリーがプロムの相手に、WJを候補にしちゃってる、ということ?」
キャシーが訊けば、アーサーがうなずく。
「サリー・カーティスのアプローチは、バンドエイドからすでにはじまっているぞ。もちろん、ジャズウィットは気づいてないだろうが。おっと」
アーサーがわたしの肩越しに、学食の入り口を見た。振り向けばWJが、デイビッドとあらわれる。デイビッドのそばにはもちろん、ジェニファーがくっついているけれど、あきらかに普段見かけない顔ぶれが、グループの中にいる……って、見事に女の子ばっかりだ。
トレイを持ったWJの横にいるのは、スタイル抜群のサリーだ。ふんわりとしたロングヘアをかきあげながら、WJになにやらしゃべりかけている。するとデイビッドの腕をつかんだままのジェニファーが、WJとサリーの間に、強引に割って入り、二人を遠ざけようとしはじめた。
「……わたし、ジェニファーのこと、なんだか好きになってきたわ」
キャシーがいう。デイビッドとわたしが「いい感じ」になるのを阻止するためとはいえ、わたし以上になにか、がんばってくれている気がする。よくわからないけれども、眼鏡損傷ハプニングによって、地味だったWJの存在が、いっきに目立つ位置へと移行してしまったようだ。
……女の子たちの間で!
「がんばれニコル。おれは忠告してやったぞ。恋人同士らしくふるまって、悪い虫を遠ざけろ」
アーサーのいうとおりだ! というわけでわたしは椅子から立ち上がる。すると、トレイに料理を載せたWJが、こちらに顔を向けてにこっとする。近づいて来るので、なんとなくほっとしてふたたび椅子に座ると、WJの横にくっついて、サリーもついて来てしまった。
「ハーイ!」とサリー。笑顔が最高にキュートだ。
真四角のテーブルに座れるのは六人。あとから来たデイビッドが、当然、といった顔つきで椅子を引けば、ジェニファーがあぶれてしまう。
「ちょっとサリー。あんたどいてくんない?」とジェニファー。
「あら、どうして? あなたのお友達もデイビッドの取り巻きも、あっちへ行っちゃったわよ?」とサリー。
……おかしなことになってきた。トレイを持ったままジェニファーが、
「真面目男と前世紀的三つ編み姿の地味美人、あたしとデイビッド、で、そこのモンキーとセクシー男で、いい感じのグループの出来上がりなわけ。あんたは入れない」
デイビッドはまぶたを閉じたまま眉を寄せ、アーサーはにやりとする。WJはきょとんとしていて、指でバンドエイド部分をおさえながら、わたしを見てまたにっこりする。つられてわたしもにっこりしちゃったところで、サリーがわたしを見ていった。
「どうしてニコル・ジェロームと、WJなの? まあ、仲良しなのは知ってたけど、ただの友達でしょ?」
勝ち誇ったような顔で、ジェニファーが答える。
「付き合ってんの。だから誰かさんが邪魔なの! さあ、どいて!」
サリーがわたしを見る……見る……ものすごく見ている……、嘘でしょう、どうしてあなたが? といいたげな眼差しで。
「……そう。まあ、お似合いよね。仲良しの延長って感じで」
椅子を引いて立つ。トレイを持って、わたしを見下ろすと、またもやキュートな笑顔で、
「ほんと、た・だ・の・仲良しの延長、って感じよね」
どうして、念を押すみたいに二度いうわけ? ジェニファーを横目にしたサリーは、肩をすくめて、ほかのテーブルへ去って行った。
「……おれときみは、べつに付き合ってないけどね」
頬杖をついたデイビッドがいうと、ジェニファーはおかまいなしで、サンドイッチにかぶりつく。
「いまにそうなるわよ!」
「め、眼鏡! 眼鏡、どうして壊れちゃったの?」
「昨日からぐらついていたんだよ、ニコル。……このままで、いろいろしたから」
それでわたしははっとした。わたしを助けるために、飛びまわったあげく、マエストロを倒そうとしていたことを思い出す。あの時、かなりのパワーを使っていたはずなのだ。そういえばエレベーターにデイビッドが閉じ込められていた時、WJは眼鏡をはずして、エレベーターを動かしたはず。
ちょっとのことなら、かまわなくても、よくわからないけれど、昨日のパワーかなにかのせいで、眼鏡のパーツがゆるんでしまったのだ。
「で?」とアーサー。
ジェニファーを見やり、気にしながら、キャシーに向かってささやく。
「ほ・ん・と・う・に・なにもなかったのか?」
課外授業のことについて、訊いているらしい。もちろん、キャシーはきっぱりと答えた。
「……なにも、なかったわ」
嘘ではないともいえる。なにしろ時間が、止められていた間の出来事なのだから。
★ ★ ★
発信器は今夜ふたたび、ミスター・スネイクに取り付けてもらうことになっているけれど、残念ながら無線機は封印されてしまった。
今夜からふたたび、みんな一緒に「どこか」に身を隠す(?)はめになってしまったので、マルタンさんかカルロスさんが迎えに来るまで、図書室で時間をつぶすことにする。クラスを出て図書室へ向かおうとした時、電話をかけたいとキャシーがいうので、一緒にオフィスへ立ち寄った。わたしもいちおう、芸人協会に電話をすれば、元気いっぱいのパパとママが出たので、早々に受話器を置く。
「パパとママはいた?」
わたしが訊くと、うつむきがちに微笑んだキャシーがうなずく。
「……ええ。大丈夫。家にいたわ」
「……なんだったっけ。あのお、バックファイヤー? あれって?」
「……まだC2Uにあるみたい。まあいいわ。もう気にしない。リックもいるし……」
いいかけてから、トイレに寄ってから行く、とキャシーが微笑んで、わたしの肩をポンとたたく。なんとなく元気がないように見えるのは、マエストロにされたことの衝撃が、いまになってキャシーを襲っているからかも。もちろん、わたしもものすごく怖かったし、いまもおっかないけれど、それよりもひっかかっているのは、マエストロのいった言葉だ。
友達などいたこともない。わたしは化け物だから。
「……はあ」
うなだれて、ため息をつきながら図書室へ入る。すでにWJもデイビッドもアーサーもいて、カウンターそばの席に陣取っていた。かなしむべきは三人に、マエストロに会ったことをしゃべれないことだ。肩を落としたままのろのろと近づいていると、わたしの背後から颯爽とあらわれ、追い越したサリーが、教科書を抱えてWJのそばに立った……って、いや、というよりももう、隣に座ちゃった!
ちょおっと待って! という恰好で、書架の間で固まっている場合ではない。わたしに気づいたアーサーとデイビッドが、同時に顔を向ける。サリーはWJにものすごく顔を近づけて、しゃべりかけている。そのたびにWJは顔を赤くして、のけぞり気味になる。
て、照れないで!
わたしはなんとか近寄って、サリーに声をかけてみた。
「サ、サリー? チアリーディングの練習は……?」
サリーは例の、最高にキュートな笑顔で髪をかきあげながら、
「いやだ、ニコル・ジェローム、もうすぐ学年末試験だから、今週からクラブは休みよ?」
げ。さらにわたしは凍る。……学年末試験のことなんて、すっかり忘れていた……、ギャングとマエストロのせいで!
四人で埋まっている席には座れない。見まわせば、ほとんどの席が埋まっている。なるほど、だから図書室が、ほとんど満席みたいになっちゃってるのだ。
サリーは教科書を開いて、WJにしゃべりかけているし、それをいきなり邪魔するのも気が引ける。お人好しな自分にイラつきながらもうなだれて、空いている席を探す。これまたかなしいことに、ポツンと二カ所だけ、窓際の席が空いていた。と、アーサーが椅子を引いて立ち、自分の席を指でしめしてくれる。ここへ来い、ということみたいだ。けれどもすぐさまそれを制して、立ち上がったデイビッドが……来ちゃった。わたしの肩をぐっとおさえつけると、椅子に座らせ、隣に腰をおろして、
「最高の展開だね」
いや、最悪です。
「デイビッド、ジェニファーは?」
「ママのお誕生日らしいから帰ったよ。というか、頼むからその『ジェニファー押し』やめてくれない?」
げんなりしながらわたしをにらむ。だけどわたしの視線は二人に釘付け。WJがこっちを気にして顔を向けるたびに、サリーがWJのシャツの袖を引っ張り、教科書を指でしめす。あれこそいちゃつきの典型、なのではないだろうか……って、観察している場合ではない。
邪魔するべき? ここにデイビッドを残して、あの席に滑り込み、わたしも教科書を開いて、WJになにか質問したほうがいいのだろうか……って、まあ、選択している科目は、まったくかぶってないのだけれども。
と、アーサーが席を立った。わたしに近づいて、
「ニコル。キャサリンは?」
そういえば、ずいぶん遅い。
「トイレに行ったんだけど、遅いね」
見てくる、とアーサーが図書室を出て行こうとする。すでに十分以上は経っている。トイレがそんなに混んでいるとも思えないし、学校内だけれど、なんだかわたしも心配になってきた。
「わたしも行くよ、アーサー」
じゃあおれも、とデイビッドも立ったので、WJが気にして椅子から腰を上げようとすると、サリーに腕をつかまれ、むりやり座らされる。そのとたんに図書室のライトが、じりっと消えかかって、生徒がいっせいに天井を見上げた。
あっ、ああああ!
あっちもこっちも気になるけれど、ともかくキャシーを探そう。わたしは両手を広げてWJに、落ち着いて! と身振りでしめす。というか、わたしもまったく落ち着けないのだけれども。
手分けして校舎中を探すことにし、わたしはまず、一階にある二カ所のトイレをのぞいてみた。だけどキャシーはいない。ほかの階のトイレにいるとは思えないし、忘れ物でもしたのだろうかとクラスへ行っても姿はない。どんどん心配になってきて、エントランスでうろうろしていると、アーサーとデイビッドも別方向から走って来た。
「いないぞ?」とアーサー。
「オフィスは? 電話をしてるんじゃないか?」とデイビッド。
「電話はトイレに行く前に……」
……あ、まずい。ものすごく嫌な予感がする。するとアーサーが、校舎を出ようとしている同級生の男の子をつかまえて、キャサリン・ワイズを見なかったかと訊いた。キャシーは全男の子に有名なので、名前を聞いた男の子は肩をすくめ、
「ああ。帰ったんじゃないかな? ひとりで校舎を出て行くのを見たけど?」
……どうしよう。
アーサーが眉を寄せてわたしを見る。
「顔が青いよ、ニコル」
デイビッドにいわれて、立ちすくむ。電話をしたあと、キャシーは元気をうしなっていた。どうしてもっとちゃんと、気づかなかったのだろう。
きっとなにかあったのだ。そしてキャシーは、たぶんひとりで行ったのだ。
……クレセント・シティ大学、C2Uに!
「ニコル、おれに嘘をついても無駄だぞ。全部知ってるとその顔面蒼白に書いてある」
ぐ、とわたしの肩に両手を置いて、アーサーがわたしを見下ろす。だけどいえない。いえばマエストロは、キャシーの大事な人を殺すといいきったのだ。それはわたしにもいえることで、誰かにいえば、そして動けば、マエストロはすぐに気づいてしまう。
だって。マエストロはギャングではない、元スーパーヒーローなのだから。
わたしが口をつぐんでいると、アーサーがオフィスへ駆け込む。
「……どうしたんだよ?」
うつむくわたしを、デイビッドがのぞきこむ。しばらくするとアーサーが戻って来て、
「親戚の家に電話したぞ。母親はいたが、リックはフェスラー銀行とヴィンセントの件でかり出されてる。そのすきにミスター・ワイズが家を出て、戻っていないそうだ。ニコル」
わたしの右肩に手を置いて、アーサーがいった。
「頼む、いってくれ。なんなんだ?」
黙っていても危険なことには変わりがない。わたしは大きく息を吸い込んで、顔を上げる。
「C2Uに行ったんだよ、たぶん」
「なんだって? どうして?」とデイビッド。
キャシーはパパが心配なのだ。ひとりきりでC2Uへ向かったパパが心配で、誰にもいわずに校舎を出てしまったのだ。それに、マエストロにバックファイヤーとかいう液体物質の在処をしゃべったことにも、責任を感じていたのかも。
とうとうわたしは、マエストロに会ったことをしゃべってしまった。どうして早くいわないんだとアーサーが舌打ちし、きびすを返すと図書室へと走り出す。あとを追いながら、
「ど、どうするの、アーサー?」
「目立った動きをすれば、マエストロにバレるんだろ? だったらこれ以上は誰にもいえない、警察にもな!」
誰にも、というのは、カルロスさんたちのことだろう。
「でも、あなたが動いてもマエストロにバレるかも! ボーイフレンドにもしゃべるなって、マエストロが!」
「だからって、ほうっておけないだろ? 大人数で動くわけじゃない、うまくやる。車が必要だ。それに」
図書室に入る。アーサーがWJのそばへ行って、耳打ちする。WJの顔が険しくなり、わたしを見るとうなずいた。行く、という意味だ。
わたしとデイビッドが近づくと、顔をしかめたアーサーがつぶやく。
「車で行きたいんだが」
「誰か、先生に借りようか」とWJ。
アーサーが思案しはじめた時だ、サリーが教科書を閉じて、
「……わたしのでよければ、貸すわよ? だけど、どうしたの?」
アーサーが深く息をついて、
「……助かる。おれの家族が急病なんだ」
すごい嘘だ。
ぴったりデニムのポケットから、ハート型のアクセサリーにぶら下がった車の鍵を出したサリーは、なぜかにっこりしてWJを見上げた。
「……いいけど、お礼はしてほしいわ。あなたに」
え? WJが困惑してサリーを見下ろせば、椅子から腰を上げたサリーがいった。
「キスしてくれたら、貸してあげる」
「ナイスプレイ」とデイビッド。
え。ええええええ!? どうしてそうなっちゃうの! アーサーがわたしを見てから、声に出さず「すまない」と口を動かす。無情すぎる。それからWJの肩に手を置いて、
「……すまないジャズウィット。切羽詰まってるんだ、挨拶だと思えばいい」
いいのかも? いや、よくない! ……だけどキャシーが心配だ。わたしが我慢すれば、ぎゅうっとまぶたを閉じて見ないふりをすれば、車が手に……って、待って! そこでわたしは、忘れかけていた自分の愛車を思い出した。
「待った!」
いましもサリーが、硬直しているWJの首に腕をまわそうとしているところで、わたしは自分のバックパックをまさぐり、握った品物をかかげて見せる。
「……じゃんけんか、ニコル?」
違います!
「わたしの車を貸してあげるから、アーサー!」
「……おい、きみが車を持ってるなんて、知らなかったぞ」
そうだろう。だって。
「最高に素敵な車だよ。なにしろ渋滞関係なし、歩道乗り上げ可能、自分しだいで猛スピード」
WJがほっとしたみたいにくすりと笑って、アーサーにいった。
「マウンテンバイクだよ、アーサー」