SEASON3 ACT.13
ローズさんの住処となっている、アパートの屋上に降り立ったWJは、抱えていたわたしから腕を離すと、はあ、と深いため息をついて一歩しりぞき、横向きになって、両手で顔をおおってしまった。
わたしはうつむいて、もじもじと両手のひとさし指をつつき合わせながら、なんと謝るべきか考える。とはいえ、わたしも最初は、警察に通報すべきかもとか、アーサーのパパに連絡すべきかもとか、一番よさそうな手段を、いちおうは思案したのだ。
……い、いちおうは(さまざまな理由から、すぐに挫折したけど)。
「うろうろするなっていわれたし、わたしもそのつもりだったけど、無線機をいじってたら、デイビッドとローズさんが、キンケイドに囲まれてるみたいになって」
両手を顔から離したWJが、眼鏡越しにわたしを横目にした。
「……うん。それで?」
う。ものすごく目が細い。
「そ、それで。ジョセフの声も混じって、デイビッドをただでは帰さないみたいなことをいうし、デイビッドもローズさんも、パーティから出られないかも、みたいな感じになって」
WJが腕を組んで、わたしの前に立ちはだかる。
「……うん。それから?」
うううう。普段おだやかな人が怒ると、とっても怖いのは知ってるつもりだったけど、WJがこんなに怒るとは思わなかった。口をつぐんでしょんぼりしていると、WJのため息がわたしの頭上にそそがれる。
「……ぼくはじっとしててっていったんだよ。それって、きみが危ないと思ってるからだって、わかってるよね?」
もちろんだ。わたしはうなずく。WJが来てくれなかったら、カルロスさんの額にはおそろしい穴が開けられるはめになって、そのうえわたしも、悪玉マエストロになにをされていたのか、想像しただけで震えてきた……って、ちょっと待って。
もしもわたしがエドモンドさんの部屋にいたままだったら、カルロスさんはあそこで殺されちゃっていたのかも。だけど、わたしが置き手紙をしたから、WJはあそこに来ることができたのだ。これって、結果的にオール・オッケー! ということなのではないだろうか?
なるはずだ!
「で、でも」
そう訴えようとして、満面の笑みで顔を上げると、
「でもじゃないよ、もう!」
怒られた。あ、はい。
街灯と、隣接しているビルやアパートのおかげで、夜だというのに屋上は明るい。だけどWJが叫んだとたん、窓からもれる近隣の部屋の灯りと街灯が、一瞬だけじりっと消えかかった。
WJはうつむいて、手で髪をくしゃりとつかむ。
「……ぼくが行かなかったら、きみがどうなってたのか、考えるだけで不眠症になりそうだよ」
わたしのことを心配しているから、これほど怒ってくれているのだ。それは痛いほど伝わっている。も、申しわけない……。
「す、すみません」
ぐったりと首を下げてしょんぼりすると、WJの呆れたみたいな笑みの声がもれたので顔を上げる。WJはちょっと微笑んで、わたしの頭に手をのせると、いたずらをした子どもをあやす父親みたいに、撫でる。これはあきらかに恋人同士的な関係からは遠い、ような気がする……。わたしにちょっとでも、ジェニファー的なセクシーさがあれば、いまみたいな感じではなくて、もっとこう、なんというか、映画のラブシーンみたいになる、のかもしれない? どうだろう、うううーん、わからない……って、いや、いまはこんなことどうでもいい。
「そういえば、WJ。ニセケリーはいたの?」
わたしの頭から手をのけて、WJは肩をすくめた。
「アパートに行ったら、ルームメイトしかいなくて、帰ってないっていうんだ。それで、知人をかたっぱしから訊いて、バスと地下鉄で移動して、探しまわったけどどこにもいなかったよ。明日学校へ行ったら、学食スタッフの面接に受かったかどうかはわかるだろうけど、受かっていても来ないだろうね。彼女の役目は、ぼくの邪魔をすることだったはず、だから」
「バスと地下鉄?」
飛べるのに? わたしの疑問にWJが苦笑する。
「こんな恰好で飛びまわるわけにいかないじゃない。……まあ、そういうはめになったけどね、きみの置き手紙で」
……そのとおりだ。
「そ、そうだよね、ありがとう。わたしったら、ちょっと無謀なことしちゃった、んだよね?」
「……そうだね。そういうことになるよ。それに」
WJが眉根を寄せた。
「どうしてミスター・マエストロは、ぼくを本物のパンサーっていったんだろう」
「無線機だよ」とわたし。
「無線機?」
わたしはうなずく。
「よくわからないけど、無線の会話はかしこい人なら、誰でも聞けるって。だからマエストロはずっと、わたしたちの会話を聞いていたみたい。それで、いろいろ利用されてしまった感じだったよ。カルロスさんは催眠術師に化けたマエストロに催眠術をかけられて、そのまま別人みたくなっちゃって」
カルロスさんは偽者ではなくて本物だったのだ。ただし、マエストロの思考回路が乗り移っていたみたいなので、ある意味別人になってしまっていたといえなくもない、けれども。
「……催眠術って、おっかないんだね」
わたしがいうと、WJがぐっとわたしに顔を近づけ、うつむきがちで分厚いレンズの眼鏡から、大きな瞳を上目遣いにずらして、
「いや、たぶんもっとおっかないことになっちゃった、気がするのはぼくだけ?」
そうなの? ぽかんとしているわたしを見つめたまま、WJがつぶやいた。
「ぼくがパンサーだって、マエストロにバレてるんなら、ギャングを手玉にとってる彼にとって、一番邪魔くさいのは、デイビッドじゃなくてたぶんぼくだよ」
……そ、そのとおりだ。眼鏡を指で押し上げて、WJが続ける。
「たぶんぼくを誘い込んでくる、そんな気がする」
「さ、誘うって、どうやって?」
WJが片眉を上げて、わたしを見つめた。
「きっと、きみを使うんだ。キャシーの時みたいにね」
「え! それって、今度はわたしが誘拐されるってこと?」
もうそんなことにはならないと思っていたのに? だいたい、キャシーにもらったピアスはアリスさんに渡したのだし、催眠術をかけられていたカルロスさんがそれを受け取って、間違いなくマエストロに渡しているはずなのだ。まあ、どういう方法で渡したのかは、わからないけれども。だから、わたしはマエストロにとって、邪魔くさいかもしれないけれど、ほうっておいても害はない、一般市民カテゴリーへ入れられていると、近頃のわたしは思っていたのだ。だからこそアーサーだって、家に戻ってもいいんじゃないかみたいなことを、わたしにいったのだろうし。
ペチン、とWJがわたしの両頬を、両手で押さえ込む。とたん、わたしの口はアヒルみたいになる。同時に、じわじわと例の刺激が、身体中に流れ込む。
「ひゅ? うううう?」
ひゃあ、髪が逆立ちそうだ。間抜けすぎるわたしの顔を、WJがぐうっと、自分の顔に近づけた。これはもしかしてキス……される感じではない、まったく。なぜならわたしの顔に近いWJの表情が、かなり険しいからだ。
「……わかってないみたいだから、いっておくけど、ぼくがきみのことを大事にしてるって、マエストロにはバレちゃってる、んじゃないの? 普段着のぼくが血相変えたみたいになって、きみを助けに行ったんだから。どう?」
頬を挟まれたまま、わたしは視線を泳がす。うううーん、そういうことになる? ……って、なっちゃうかも。それって、わたしがうろついたせい?
いや、うろついたせいだ。
「へも、カルロスはんはらすかっらじゃない?」
頬を押さえ込まれているので、わたしの言葉がおかしげだ。するとWJが、ぷ、と笑った。笑みを浮かべながら、眼鏡を取ってとわたしにいうので、意味もわからずWJの眼鏡を取る。それにしてもいまだに、眼鏡の有無でドキドキする自分をどうにかしたい! ちょっと眠たげで、ありえないほどセクシーみたいな眼差しで、わたしを見ているので、呼吸困難におちいりそうだ。ここで心肺停止になるのは避けたい。だからわたしがゆっくりと、はずした眼鏡をWJの顔に戻せば、
「……なにしてるの?」
「ふ、ふん。ひ、ひんひょうするはら」
視線をそらして答える。
「緊張するっていってるの? だけどそうしたら、眼鏡が邪魔で、きみにキスできないじゃない」
そ、そ、そのとおりだ……、でもどうしよう。大歓迎だけど、ぼうっとしていて、頬を挟まれたまま失神しそうになってきた……と思ったところで、どこからかカルロスさんらしき声が聞こえた。やっとわたしの頬から手を離したWJが、デニムのポケットから無線機を出す。
「カルロス、聞かれてるんじゃない、コレ?」
『ミスター・スネイクに連絡して、邪魔する電波を出してもらってる、んだけど長くはもたないかもね。WJ、いまどこだい? ミス・ジェロームも一緒かい?』
「うん。とっても近くにいるよ」
というよりも屋上です。
『そうかい。なら、今夜もみんな一緒にいたほうがよさそうだから、来てくれるかい?』
来いって、どこへ? わたしが首を傾げると、無線機越しにカルロスさんがいった。
『ぼくのタウンハウスに』
「え! わ、わたしどうしよう。エドモンドさんに嘘ついて出てきちゃったし、パパとママは心配してるかも」
WJの持っている無線機に向かっていうと、カルロスさんが答えた。
『ああ、大丈夫。かと思って電話しておいたよ。ぼくが呼び出したことにしておいたし、ギャングがまだうろついていると伝えておいたから。さすがにマエストロの名前はいえなかったけれど』
でも、パパもママも知っているのだ。わたしとアーサーがマエストロに追いかけられて、海に落ちたということを……、いや、これ以上心配をかけたくはない。
「……わかったよ、カルロス。それで、もう平気?」とWJ。
『正直ぼうっとしているよ、情けないことにね。きみもアーサーも、ぼくが妙だと思ってたんだって? ローズから聞いたよ。もちろん、デイビッドにも。というわけでWJ、きみの力を借りたいんだけど、どうだい?』
WJが顔をしかめた。
「……いいけど、なに?」
ちょっと間をおいてから、カルロスさんがいった。
『……マエストロを、捕まえるんだよ』
う。え!?
★ ★ ★
ローズさんの部屋は、ベッドルームがひとつしかなくて狭い。エドモンドさんの部屋も狭いし、こんなことになってしまっては、わたしがあそこへ戻ると、パパとママにくわえて、芸人協会の人にもマエストロによる危険がおよぶ可能性が出てきてしまった。それに、デイビッドが会見を開いたホテルに戻るのもよろしくはないし、アップタウンの豪邸までは少し遠い。ほかのホテルへ泊まってもいいけれど、連泊すればデイビッドを追いかけている記者やらテレビ局関係者やらに見つかるともかぎらない。というわけで、自宅だというのにほとんど戻ったことがないという、カルロスさんのタウンハウスに、ともかくひと晩泊まることになって……しまった。
わたしって、宿無しみたいだ。もう自分の家がどこにあったのか、忘れそうになってきている。
ちなみに、ローズさんは、わたしのパパとママの監視を強化するはめになったので、アパートに残ったままだ。というわけで、マルタンさんの運転する車に乗って、一路タウンハウスを目指す。
助手席にカルロスさんが乗り、後部座席にはデイビッドとWJ……に挟まれた恰好で、ちんまりわたしが座っている。右側に座っているデイビッドはまだタキシード姿で、首もとのタイをゆるめると、
「助けに来てくれたんだろ?」
わたしを横目にしてにやりとする。
「う、うんまあ。そのつもりだった、んだけど」
なぜだろう、左肩あたりから微妙な刺激が、ぴりぴりとシャツを通して伝わってきている……のは、無言で窓の外を見ているWJのストレスのせいだ。
「助かったよ。パーティ会場にキャンディ売りのイヌがあらわれたおかげで」
あああ、デイビッド、あんまりわたしに顔を近づけないで! だからわたしは、狭い車内でのけぞる。おうっと、まずい、左肩がやけどしたみたいにひりひりしはじめてきた。これはもしかして、WJのやきもち? だったら嬉しいけれども、喜んでいる場合ではない。わたしはそうっと、左手をWJの背中とシートの間に入り込ませて、Tシャツをつかむ。すると、窓を見ているWJが少し微笑んでくれる。
どうしよう、なんだかみんなに内緒でいちゃついてるみたいな気持ちになってきて、いまにも顔が赤くなりそうだ。よし、話を戻そう。
「……そ、それで?」
すると、ハンドルを握るマルタンさんが苦笑する。
「着ぐるみに対する警戒心の無さってのは、不思議なもんだよな。まあ、主催者はギャングじゃないし、会場にいた女性たちには大人気。おれに視線が集中しているすきに、デイビッドとローズが抜け出せたのはラッキーだったけど、かつてないほどの緊張感だったぜ。あれはアリスに向かってデザインのプレゼンをするほどのレベルだったな」
「……それは最悪だね」
カルロスさんが苦笑した。
「マルタンさんはどうやって逃げたの?」
「あそこは高級アパートだろ? かならずどこかの部屋では毎晩、パーティが開かれてるもんなんだよ。だから、場所を間違えたっていって、おさらばだ。あちこちにキンケイドのやつらがいたけど、不幸中の幸いというべきか、顔見知りの記者が数人、アパートの外でうろついてたんだ。金持ちのゴシップは売れるからな。そいつらをつかまえて、テリー・フェスラーのパーティ会場にギャングがいるぞと親切に教えてやったら、一目散でエレベーターに乗り込んでいったよ。それに気づいたファミリー関係者が追いかけていって、そのあとどうなったのかは、明日の新聞を見るしかないな」
カルロスさんがたばこをくわえた。シートに頭をもたれさせて、
「……申しわけないとしかいえないね。自分がいったいいつから、奇妙な動きをするようになったのか、それすらもよくわからないんだよ。ただ、なんというか、しっかり自分の意識はあるんだ。でも、まったく違うことをするんだ。まあ、ともかく」
ちらりとWJを振り返って、
「助かったよ、WJ。きみがいなかったら、ぼくはいまごろ、遺体だ」
WJはわたしに顔を向けてから、肩をすくめると答えた。
「そのせいでぼくは今日から、たぶん不眠症だよ」
決めた。わたし、もう絶対に、誰がなんといおうと、うろうろしないから!
★ ★ ★
カルロスさんのタウンハウスは、シティの西側、中産階級と上流階級の間ともいえる、出生街道まっしぐらな人たちばかりが住んでいる、閑静な住宅街の一角にあった。清潔で、整然と立ち並ぶ白い壁の二階建てと、歩道に植えられている街路樹を、街灯が照らしている。
階段をのぼり、ドアに鍵を差し込んだカルロスさんの、
「……いつぶりだろう、ここに戻るのは」
というささやきに、なにか悲哀を感じる。いやというほどデイビッドと一緒にいたのだ、たぶん自宅に戻ることなんて、なかったのだろう。同情したい、なんとなく。
ドアを開ければすぐに廊下で、シンプルなデザインの棚の上に、枯れた観葉植物が飾られてある。電気を灯したカルロスさんはそれを見て、ぐったりとした。
「……どうぞ」
廊下のつきあたりはキッチンだ。その手前にこじんまりとしたダイニングがあって、部屋のすみにカウチが置かれてある。うううーん、なんとなく全体的に、とってもほこりっぽいにおいがする。
「上がリビングで、ベッドルームはふた部屋しかないから、ぼくはここで眠るよ」
ちょおっと待ってください? カルロスさんの脳内にある今夜の部屋割りが、まったく理解できない。
「う! カ、カルロスさん、わたしがここで眠ります。だって、そのお。まあいちおう、なんというか。つまりわたしはここでいいってことです。そうすれば、カルロスさんとデイビッド、マルタンさんとWJ、でちょうどいい、ですよね?」
ちょうどいいって、なにが? ……と自分につっこみつつ、しどろもどろで説明する。直後、デイビッドとWJの視線が絡み合ったのを、見なかったことにしておきたい。というか、しておこう。
微妙な空気を察知したのか、カルロスさんがにやりとした。
「……きみがそういってくれてよかったよ。じゃあ、そういうことで」
「カルロス、ぼくとニコルは……荷物を置いたままなんだ、あそこに」
WJの発言に、さらにピリッとした空気が、一瞬だけデイビッドから流れた、ような気もしたけれど、気にしている場合ではない。明日学校へ行くためには、あの荷物が必要なのだ!
「ああ、大丈夫。スーザンに取りに行かせてる。でも、きみが背負ってるそれはなんだい?」
着替えだとWJがいう。一瞬、ものすごい静寂がただよった。それはわたしとWJがどこにいたのかがバレた、ことを意味する……。うううう、ここにキャシーがいてくれたら、わたしとWJの味方になってくれて……とまで考えてから、キャシーのことを思い出すなんて、わたしってばアホすぎる、そうだった!
「そうだ! アーサーとキャシーが、キャシーのお父さんのいるところへ行っているんだった」
「どうして?」とカルロスさん。
わたしがいきさつを説明すると、マルタンさんが即座に無線機をいじりはじめる。だけどアーサーが出ない。
「……リックも一緒なんだろ?」とマルタンさん。
わたしがうなずくと、じゃあ大丈夫だろうとつぶやく。たしかにリックは警官だ。アーサーもいるし、なんとかキャシーのパパを説得したのかもしれない。それに、無線機がつながらないのは。
「……電池が、切れているのかも」
あああ、と全員がうなだれる。
「そうだ。なあ、どうして発信器を捨てたんだ? ミスター・スネイクがなげいてたぞ。おれの子どもたちが、とかいってな」
マルタンさんの問いかけに答えたのはWJだ。
「カルロスがあやしいと思ったからだよ、マルタン。だったらミスター・スネイクも、敵なのか味方なのかわからないし、事情を知らなくてもぼくらの位置が、彼には筒抜けになるよね? そうしたら彼はカルロスに伝えるはずだから」
「なにか覚えてないのか、カルロス? 催眠術にかけられていても、見たものとか、なにかさ。それにおれがミラーズ・ホテルから逃げたあと、自分がどこに行っていたか、とか」
デイビッドがいうと、カルロスさんは額に手をあてる。
「……それが記憶にあるなら、苦労しないよ、デイビッド。意識はあったけれど、なにもかもがぼんやりしているんだ。ただし、マエストロは不要になったぼくを殺そうとしていたからね。それはぼくが、かなり重要なものを見ている、という証拠には、なる。ともかく」
カルロスさんがふうっと息をつく。髪をかきあげてから、ダイニングテーブルを前にして座った。
「……パンサーを守りきれなかったぼくはクビ。あとでどうにでもなるだろうけど、会長の激昂はすごい、らしい。スーザンが全部受けてくれていたみたいだから、実際はわからないけどね。それで、まあ」
カルロスさんがWJを見上げた。
「マエストロを捕まえたいと思ってるんだ。ギャングも落ち着いて、もとの生活に戻れるかと思っていたのに、これじゃあまったく、先が見えないからね」
「……ぼくもそれには賛成だよ、カルロス。ほんとうはひとりでやるつもりだったから」
ほうらやっぱり! だからWJは発信器を捨てて、荷物にパンサーのコスチュームを押し込めて、そしてわたしとほんとうは今日、デートするつもりだったのだ。だけど、そうならなくてよかったと心の底から思う。ひとりでなんて絶対に無理な気がするからだ。だって、相手は元スーパーヒーローで、WJは一度ぼろぼろにされている。WJが強いとしても、ひとりで立ち向かえる相手ではないのだ。
「それはよかった」
カルロスさんが椅子から立つ。するとデイビッドを見た。
「……きみはどうしたい、デイビッド? パンサーは引退したままでいいのかい? ぼくとしては、会見手続きをした催眠中の自分に、怒りをぶつけたいところなんだけれど?」
デイビッドが腕を組んでうつむく。横に立っているわたしを見て、WJに視線をうつしてから、髪をくしゃりとやって、
「……子どもっぽかったって、後悔してることはたしかだよ。それにこのままだとイギリスに戻らなくちゃいけなくなるし。まあ、べつに戻ってもいいけど、でも、逃げたみたいで後味悪いし。それにおれはここが好きだ」
マルタンさんが大げさに肩をすくめた。
「……なら、決まりだ。やるしかないんだろう、どうせ」
いったいどうするつもりなのだろう。マエストロを捕まえるって、どうするのだろう?
そこで、部屋のベルがけたたましく鳴る。ダイニングを出たのはカルロスさんで、開け放たれたドアから顔を出し、狭いエントランスを見れば。
「……あなた、浮気してるでしょ!」
大量の荷物を抱えた、スーザンさんが立っていた。