デイビッドとＷＪの関係が、もとに戻ったとはいえないけれど、ともかく協力関係は築いたらしい。それもこれも、本物のカルロスさんを助けるためだ。

「……ぼくはケリーに接触して、なにか聞き出すよ。ケリーって、偽者ケリーだけど。居場所も知ってるし、ヴィンセントやニセカルロスとなにかつながりがあるかもしれないからね」

　ＷＪがバッグを背負う。浴室でやっと、化粧を落し終えたわたしを見ると、指をさして、

「き・み・は、絶対にじっとしてること！」

　う！

　ローズさんの家にある電話を借りたデイビッドが、しゃべりだす。相手が誰かはわからない。

「あ、ああ、泣かないでくれ、頼むから。タキシードを一着用意してもらえる？　あと靴も。サイズはレベッカに訊いてくれ。いや、レベッカはいい。髪を少し切ってもらいたいから、きみに電話してる。ああ、それはいらない。え？　二次元顔は行くのかって？　それ、誰？」

　……ああ、わかっちゃった。電話の相手は、間違いなくミス・ルルだ。受話器を握ったデイビッドがわたしを見る。ふ、とかすかに笑みを浮かべると、

「……いや、さすがに今夜はそういうのじゃないから、ドレスはいらない」

　かなり危険なことになりそうな予感がしてきた。わたしとアーサーとキャシーは、三人一緒にソファに座り、同時に腕を組んで顔を見合わせた。

「……おれたちは不要らしいぞ」とアーサー。

　眼鏡の奥の瞳が、気に食わないと訴えている。蚊帳の外は気に入らないといっていたアーサーなので、プライドが崩れそうになっているのだ。とはいえ、たしかに、わたしたちにできことなんてなにもなさそうだ。

「宿題でもやっとく？　ニコル」

　キャシーがいう。そういえばフランス語の宿題が、あったようななかったような……。

「レポート用紙をあげるわ。でも、あなたとＷＪの荷物、なんとかしなくちゃいけないわよね」

　いったいいつ取りに行けばいいのだろう。うーんと首を傾げていたら、ＷＪが近づいて来て、わたしを見下ろした。顔を耳元に近づけて、

「……絶対にどこにも行かないでよ。すぐに戻ってくるから、それまでじっとしてること、いいね？」

　ささやかれた。デパートでうろうろする五歳児になった気分だ。ＷＪはアーサーに視線を向けると、

「ニコルを見張っててよ、アーサー。それから、やんちゃなことはしないで欲しいんだ」

「わかってるんだ、ジャズウィット。わかってるんだが、いつもやんちゃな目にあうんだ。きみのピエロといるとなっ」

　なにもかもがわたしのせい、みたくなっている。だけどたしかに、アーサーはわたしと一緒になると、なぜかおかしなことに巻き込まれているし、それはわたしのせいだといえなくもない。ううううーむ。

「キャシーも一緒だから、ここでテレビを見て、宿題でもやっておくよ、ＷＪ。あなたも気をつけてね」

　だからお留守番はまかせて！　と意気込めば、微笑んだＷＪがわたしの頭に手をのせて、くしゃりと髪を包み込んだ。これって、ジェニファーいうところの、いちゃつき要素に入るだろうか……とにやついていたら、ドアのそばで受話器を握ったデイビッドと目が合った。にらむというよりも、切なそうな眼差しをするので、なんだかものすごく申しわけない気分になってしまい、すぐさま神妙な顔をつくってうなだれた。ああああああ。

「明るいうちに行って来るよ」

　軽く手を振って、ＷＪがアパートを出る。お腹が空いたわたしは、こっそりとキッチンをあさることにした。冷蔵庫は見事に空っぽ、シリアルとミルクしか見あたらない。ローズさんは外食しかしないらしい。

「なにしてるの」

　振り返ると、デイビッドが立っている。

「お、お腹が空いたなあって」

　デイビッドがくすりと笑った。

「ミス・ルルにピザを頼んだから、待ってれば来るよ」

　それは大歓迎だ！　

「ありがとう！　すっごく助かる！」

　正直、朝からまともに食べていないので、倒れそうなのだ。まあ、倒れないけれど。キッチンから出ようとしたら、いきなりデイビッドに腕をつかまれたので、硬直する。豪邸でのトラウマがよみがえり、小刻みに震えていると、腕から手を離したデイビッドが、

「ちょっと待って。じっとして」

　顔を近づけるので、のけぞってしまう。すると、わたしの目元に親指をおしつけたデイビッドが、ぬぐう仕草をした。

「化粧の残りを発見しただけだよ。とれた」

　……あああ、なんだ、びっくりした！

「いちいちビビるなよ。まあ、そういうことをしてきたのはおれだけど。もうしないから、ほんとに。そんなパワー残ってないしね、いまのおれには」

　よっぽど会見やごたごたで、疲れているらしい。できることならこのまま、ずうっとお疲れモードでいていただきたい。

「デイビッド。わたしに連絡くれた時、もしかして泣いてた？」

　デイビッドは顔をしかめて、

「……教えない」

　ああ、泣いてたんだ。

「今夜、気をつけてね。なんだか危なそうだから」

「ローズもいるから平気だよ。……心配してくれてるわけ？」

　もちろんだ。いろんなことをされたし、いまも多少はおっかないけれど、

「友達、でしょ？　ええとう……まあ。わたしはそう思ってるけど」

　デイビッドが苦笑した。

「お得意の友達カテゴリーね。逆戻りか。三歩進んで五歩下がってる気分だな」

　デイビッドの手が伸びる。わたしの頭に手を置くと、思いきり髪をぐしゃぐしゃとかきまぜてからすぐさま手を離し、にやつきながらキッチンを出て行った。結果わたしの髪はぐしゃぐしゃだ。どうしてＷＪもデイビッドも、同じようなことをするのかがわからない！　頭に両手をのせていると、チャイムの音がひびく。キッチンから顔を出せば、すぐそこがドアだ。というわけで、のぞき穴から外を眺める。

　げ。

「開～け～て～ちょ～う～だ～い～っ！」

　荷物を持ったアシスタント一名をうしろにしたがえて、レースのハンカチで鼻をかんでいるミス・ルルの声が、ドア越しに聞こえた。

​

★　 ★ 　★

 

　ミス・ルルがデイビッドの髪をととのえている間、それを眺めながらわたしたちは、テーブルでピザを頬張る。涙をぬぐいながらデイビッドの髪を切るミス・ルルの手元がなんだか危うい、ような気がする。

「頼むから落ち着いてくれないか、ミス・ルル」とデイビッド。

「……パンサーが、パンサーがシティからいなくなっちゃったのよ、そうでしょ！」とミス・ルル。

「……そのとおりです、ミス・ルル」

　アシスタントが、いつもよりテンション低めな返答をした。デイビッドがアーサー並みにげんなりする。

「……まるで死んだみたいないい方だな」

「同じよ！　あなたに能力がなくなってしまったなんて！　この街はギャングだらけになってしまうわっ……、そうでしょ、二次元！」

　突然叫ばれて、ピザをのどに詰まらせてしまった。背中をたたいてくれたキャシーが、あれは誰なのかとわたしに訊くので、モードな人だと答えておく。わたしとキャシーがのんきにピザを頬張っている間、アーサーとローズさんは、こそこそとなにやら話し込んでいた。アーサーがカルロスさん悪玉説について語り、ローズさんがそれを否定しているといった内容だ。

「……カルロスは偽者ではなくて、もともとマエストロの仲間だといっているのね？」

　ローズさんは口角を上げた笑みを浮かべる。

「……さすが、市警の味方につくだけのことはあるわね。フランクルって、もしかして、フランクル警部長の関係者かなにかかしら？」

「父親、だ。ミスター・メセニが最初から邪魔をしているように思えたからだ。思い返せばＺＥＮでのことも、物質を手に入れるために、おれたちを利用したんじゃないかと考えられたしな。さまざまな角度からものごとを見極めるのは、妥当なことだろう、ＦＢＩ」

　ローズさんはおおげさに、納得したように肩をすくめて微笑む。

「ただしいといえるけれど、自分の意見に頑固に固執するのは、おすすめしないわよ。市警部長の息子さん。一度あやしむと、あやしいと思える考えばかりが浮かぶものなの。わかる気もするけれど」

　むう、とアーサーの顔が険しげになる。

「……マエストロは変装の名人らしい。その手ほどきをほかの者にしたのかもしれない。そういう可能性も、いまはもちろん、考えているが？」

　ローズさんをにらむ。ローズさんはたばこに火をつけると、またもやアーサーの顔に煙を吹きかけた。ある意味、アーサーにとってローズさんは、デイビッド以外の、犬猿の仲となるあらたな相手といえそうだ。そしてローズさんがいった。

「特殊メイクや整形、なんてものも存在するのよ、この世界には」

​

★　 ★ 　★

 

　ＷＪはまだ帰って来ない。ミス・ルルとアシスタントが去り、外は暗くなりはじめ、ぽつぽつと街灯がともりだす。

　ダイヤグラムの本社で、招待状を受け取ってからパーティへ行くつもりらしく、正装したデイビッドはドレスアップしたローズさんと一緒に、早めにアパートを出た。そんなローズさんのドレスの中には、どこに隠したのか二丁ものピストルがおさまっているはずで、ローズさんがレンタルしている車で行くとしても、道すがらなにが起きるかわからないから、ものすごく心配になってきた……って、いま、わたしにできることといえば、フランス語の宿題を解くことだけだ。無力すぎる。とはいっても、キャシーがさくさくと訳していく文章を、レポート用紙に写しているだけなのだけれども。

　アーサーがテレビをつけた。画面に映ったのは「保安官シリーズ」だ！　ものすごく久しぶりすぎて釘付けになったものの、アーサーはあっさりと、チャンネルをニュースに変えた。……ああ、まあ、べつにいいけれど。

　ニュースでは、今朝のデイビッドの会見が流れていた。ラジオは聞いていたけれど、実際目にするのははじめてなので、わたしもキャシーも手を止めて、じっと画面に見入る。スーツ姿のカルロスさんは、どこからどう見てもカルロスさんそのものだ。

「……整形に、特殊メイクか」

　足を組んでソファに座るアーサーがつぶやく。

「でも、メイクってすぐにバレるんじゃない？　整形だったら時間もかかるだろうし」

　キャシーがいう。わたしはジェームズ・ボンドになりきったデイビッドを思い出して、

「特殊メイクって、ちょっと暗い場所だとびっくりするよ。明るいところでも、まあまあ。じっくり見てたら、不自然な感じがしてくるかもしれないけど」

「朝はおれたちだって、間近にミスター・メセニを見ていたんだぞ、キャサリン？　あれはミスター・メセニそのものだったとしかいえない。それに、常に一緒にいたオシャレバカも、すぐに見抜けないほどだぞ。どうにも納得できないな」

　眉を寄せたアーサーが、ふたたびマエストロ関連の本をめくりはじめたところで、会見のニュースがいきなり途切れ、違うニュースがわりこんだ。それはフェスラー銀行の前に群れる警官と、パトカーの映像で、マイクを持った男性が、テレビに向かって叫びはじめた。

「速報です！　フェスラー銀行に押し入った強盗団が判明いたしました！」

　本をソファに投げたアーサーが、音量を大きくする。

「強盗団の指紋が検出、犯人の中にはギャング関係者がいる模様。あ！　ただいまシティ市警本部長があらわれました！」

　クラシックハットを斜めにかぶった細面の中年男性が、画面に映った。口元には白髪まじりの髭、険しげな目元はまさに、誰かさんにそっくりだ。

「……ア、アーサー、あれって？」

「……父親だ」

　すっごい。テレビに自分のパパが映るのって、どういう気分なんだろう。フランクル警部長は画面をにらみ、ウザがっている態度を隠さず、マイクやカメラを手で押しやりながら叫んだ。

「暇人どもめ！　散れ！」

　……すごい人のようだ。すると警部長の横から、げっそりとした顔つきの若い警官が顔を見せ、マイクに向かって声をはりあげた。

「ヴィ、ヴィンセントです。ヴィンセント・ファミリーの人間です。我々の特殊チームが、現在組織に突撃しています！」

　うっ……え。えええええ？

「ご、強盗団って、ヴィンセント・ファミリー？　それが捕まっちゃったら、ミスター・マエストロも捕まるよね？」

　そもそもマエストロのよからぬ企みに、資金を出したのはヴィンセントだ。たんまりお金がありそうなのに、わざわざ強盗なんてするだろうか？　目的がわからないのでなんともいえないけれども、さすがのわたしにも違和感が感じられた。でも、ニセケリーを捕らえて、パンサーの邪魔をしたのはヴィンセント、みたいだったし、やっぱりヴィンセントの仲間が強盗をしたのかも？　マエストロが発明した機械を使って、時間を止めて？

　アーサーは無言で画面を見つめていた。洗剤のコマーシャルが流れても、アーサーは微動だにしない。

「……わけがわからないわ」とキャシー。

　わたしがうなずくと、アーサーがテレビを消した。ソファから腰を上げて、リビングをうろうろしはじめる。やがて立ち止まり、腕を組むと、わたしとキャシーを視界に入れた。

「……わかったぞ」

　ん？

「わ、わかったって、なにが？」

「ヴィンセントはハメられたんだ。不要になったから、捨てられたんだ、間違いない」

「す、捨てられたって、誰に？」

「マエストロだ。ミスター・マエストロ。警察に捕まれば、ヴィンセントはガタガタになるだろう。いくらきれいな仕事をしているとはいっても、ギャングだぞ？　きなくさいことを裏でやっているのは明白だ。一度捕らえたら、警察はどんどん罪をかぶせていく。ミスター・マエストロが手を組んでいる相手は、ヴィンセントじゃなくてほかにいるんだ。たぶんな」

　じゃあ、誰？　とわたしが訊けば、アーサーはにやりとした。

「……フェスラーだ」

​

<<もどる　目次　続きを読む>>

​