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SEASON3 ACT.09

 ダイヤグラムの巨大ボードが逆さまになり、フェスラー銀行に強盗が入り、ホランド先生の姪御さんはいまだ行方不明。ケリーは偽者で、カルロスさんにも偽者疑惑がかけられている。カルロスさんの場合、もしも偽者なのだとすれば、本物はいったいどこにいるのだろう? ……まるっきりわからないし、どれがたんなるギャングの仕業で、どれがミスター・マエストロの企みなのかも不明だ。

 ……この街、どうなっちゃうんだろう。

「フェスラー銀行で盗まれたのは一億万ドル。なぜか最新設備の監視カメラに、犯人の姿は映ってない、あざやかというしかないわね」

 たばこの煙をくゆらせながら、ローズさんがいった。ピエロの衣装を脱いでたたむわたしに、窓際の望遠鏡をのぞきこむアーサーが、わたしのパパとママとエドモンドさんがしゃべっている姿が、はっきり見えるという。

 ローズさんの住処は、なんのへんてつもない家具付きアパートの一室だった。窓は北向きで、ビルとビルのすき間から一直線の向こうに、芸人協会のビル(もとい、エドモンドさんの部屋)がバッチリ見える場所にある。

「ウイークエンドショー見たわよ、デイビッド。あれはWJね?」

 WJがパンサーだということを知っているローズさんは、にやりとしながら、ひとり掛けソファに座るデイビッドに顔を向けた。

「ミスター・ブラックホールをうまく使ったようね。催眠術師の」

 なんだかおっかない名前だ。

「きみに連絡したのはカルロス、だよね?」とデイビッド。

「声はそうだったわよ」

 偽者だとすれば、どこから本物カルロスさんと入れ替わったのだろう。カルロスさんにも発信器がしかけられていたはずだけれど、その靴をいま、偽者が履いているとすれば、まったく意味がない。そのうえもっとも心配なのは。

「……ほんとに偽者だとすれば、本物カルロスさんは、そのう……、ドボン、じゃないよね?」

 こわごわと声を上げてみたら、みんながいっせいにうつむいて、口を閉ざしてしまった。と、そこで。無線機のじりじりとした音が聞こえはじめる。WJとアーサーがバッグをまさぐりはじめた直後、デイビッドのジャケットのポケットから声が聞こえた。

『……発信器を投げ捨てて、どこにいるのかしら?』

 デイビッドが無線機をつかむ。声の主はスーザンさんだ。

『今夜の予定がたてこんじゃってるのよ。会社に行ったら、緊急の取材依頼の電話に電報、それからパーティの招待状が、カルロスのデスクにごっそり届いていたわ。ミスター・スネイクはあなたを見失ったっていうし、パンサーが使えなくなったアリスは、次シーズンの戦略をゼロに戻さなくちゃいけなくなって、機嫌は最悪、暴れまわるし、アリスに引っ張りまわされてるマルタンは、ストレスのせいでデスクで嘔吐してたわ。会長からもひっきりなしに電話がきてるのよ。この件に関して、カルロスからまったくなにも聞いていないって、だから彼は間違いなくクビよ! ……それはともかく、ホテルに戻ったらあなたもカルロスもいなくて、カルロスに連絡すればつながらないし、わたしはいますぐあなたを見つけたいんだけど!?』

 スーザンさんがいっきにまくしたてるので、デイビッドは無線機を自分の耳から離し、げっそりした顔になる。それからローズさんの顔を見て、くいっと片眉を上げた。スーザンさんに訊ねるべき重要項目を、思い出したらしい。

「……スーザン。カルロスと最近、キスした?」

 いきなりのデイビッドの問いに、全員が前のめりになる。しばしの無言のあとで、スーザンさんが答えた。

『……し、したわよ、それがなにかしら?』

「で? どんな感じだった?」 

 声をはっきり聞くために、さらに前のめりになりながら、全員がそろそろとデイビッドに近づく。

『どんなって。まあ、普通よ。ああ、でも』

 ふう、とスーザンさんがため息をつく。

『なにかしらね。なんだか違う感じなのよね。素っ気ないっていうか、気持ちが入ってないっていうか。……って、もしかしてまた浮気してるのかしら! もしかしてまたあの女優? それとも胸ぺったんこのFBI女と会ってたりして? 今朝もきちんと髭なんか剃ってるから、妙だと思ったのよ!  あなたの会見が決定したあとならわかるわよ、でも、起きてすぐそんなことしはじめたんだから。そのうえ香水までつけちゃって、この激務にオシャレなんかする余裕ないくせに、よ! デイビッド、あなたなにか知っているのね!』

 無線機を手のひらでおさえて、デイビッドがいった。

「やっぱりニセカルロスだ」

「そのようね」とローズさん。

 カルロスさんは忙しいと、身なりをととのえないらしい。たしかにわたしの記憶にあるカルロスさんのイメージは、第一印象以外では、ハンサムなのにぐったりのネクタイと無精髭でゾンビモード(それはほとんど、デイビッドのせい、なのだけれども)だ。デイビッドの手によっておさえこまれた無線機から、スーザンさんのキィーッという雄叫びがもれている。デイビッドは手を離して、

「父親には、おれから電話しておくよ……まあ、そのうちに。あと、今夜の予定は全部キャンセルしてくれ。さすがにおれも疲れた」

『そうもいかないのよ。取材は断るにしても、せめていくつかのパーティには出席してもらいたいわ。キャシディ家と関係のある相手もいるし。ロバート・ブライアンの最新アート発表イベントとか』

「パス」

 有無をいわさずデイビッドが答える。

『資産家のマーク・ラズリーが、夜会を催すわよ』

「それもパス」

 そのあと、スーザンさんは山のようなパーティの予定を伝え、デイビッドはパスしまくり、無線機を切ろうとしたら、これで最後よとスーザンさんが告げた。

『ええっと……、テリー・フェスラーの新事業立ち上げパーティ。これも今夜だわ』

 全員が瞬時に視線を交わす。フェスラーって、もしかして、あ・の、フェスラー?

「テリー・フェスラー?」とデイビッド。

『あなたの屋敷から一マイル先の、あの豪邸のご子息。招待状は週末に届いていたみたいだから、銀行がこんな事態になってしまって、今夜実際にパーティをするのかはわからないけれど、キャンセルのメモも見あたらなかったから、やるんでしょうね。場所はシティの中心部、高級アパートの最上階。これはたぶん、自宅ね』

「婚約してる人?」

 わたしが訊くと、ローズさんが答える。

「違うわ、その兄。デイビッド」

 そしてデイビッドを見下ろす。

「わたしも行くわ。だから出席して」

 デイビッドはうなずいた。

「わかった、スーザン。それは出席するよ。だけど、ひとつだけ教えてくれ。なんのつながりもないおれに、どうして招待状をよこすわけ?」

『そんなの決まってるじゃない。話題のパンサーとキャシディ家を味方につけたいのよ……って、まあ、パンサーは不在、になっちゃったけど。業界内の噂だけど、テリー・フェスラーはフェスラー家とかなりな確執があるの。お金持ちにありがちなことだけれど、弟で跡継ぎのジェイク・フェスラーと母親が違うのよ。事業を後押ししてくれる資産家は、つねに募集中といったところね。出席するのね? それでいいのね? あ、わ、わたしがしつこく念を押したからって、減給はしないで。これがわたしの仕事なのよ! それであなたはいまどこっ』

「招待状をマルタンに渡しておいてくれ」

 そこでデイビッドは無線機を切った。

「愛人の子か?」とアーサー。

 部屋を歩きまわり、テーブルの灰皿に吸い殻を放ったローズさんは、腕を組むとうなずく。

「そうよ」

「じゃあ、跡継ぎになっていて、きれいな婚約者のいるジェイクとかいう弟が、ほんとうの奥さんの子どもなんだね」

 わたしがいうと、ローズさんは首を振った。

「いいえ。テリーが本妻の息子なのよ」

 ……え?

★  ★  ★

 

 お金持ちは、いろんな意味でややこしいらしい。

 テリーの新事業とは、最新のコンピューターシステムに関するもので、成功すればおそろしいほどの利益になるのだそうだ。ただし、成功するまえにはものすっごくお金が必要なので、運営資金をグリーデイ銀行から出資してもらっているらしい。自分の家の、フェスラー銀行、ではなく。

 ローズさんがリビングを出て行く。アルミケースを持ってすぐに戻って来ると、中をたしかめるためなのか、ケースを開けた。中にはピストルやらナイフやらがおさまっている。そしてテーブルの裏に手を伸ばす。そこから取り出したのも、これまたピストルだ。それをケースに突っ込んで閉じた。

「わたしも行くわ、デイビッド。休暇中だけど、探偵ごっこはいい暇つぶしになるし、これはわたしの勘にすぎないけれど、テリーは偽者カルロスについて、なにか知ってそうな気がするのよ。それにあなたひとりがうろつくのも危険ね、能力の無くなったパンサー? あなたに復讐したくてうずうずしているギャングが、これからいろんな場所に出没するわよ」

 ……かなしいことに、そのとおりだ。デイビッドは顔をしかめて、ソファから立ち上がる。するとWJをまっすぐに見て、名前を呼んだ。WJがデイビッドに近づくと、二人がリビングから出てしまう。ケースを持ったローズさんが、寝室らしき部屋のドアを開けていなくなったので、顔を見合わせたわたしとアーサーとキャシーは、すぐさま二人を追いかける。そうっとリビングのドアを開ければ、廊下に立っている二人がいた。かなりの沈黙が続いたあとで、うつむいたデイビッドが髪をかきあげながら、

「……自分がわがままなのは自覚してるさ。思いどおりにいかないことがあれば我慢できないし、キレたらなにをするかわからない。かなりキレたし、いまもムカついてるけど、あやまっておきたいんだよ」

 嘘でしょう、とわたしの横にいるキャシーがささやく。雪が降るぞとアーサーもいう。うーん、わたしも同感だ。

「さっきニコルに助けられたよ。情けないけど、ニコルの顔を見たらものすごく安心した。アホみたいになって、勝手にパンサーを辞めて、あげくカルロスがおかしいと気づいて、気持ちが不安定になってた時、ニコルが来てくれて、嬉しかったんだ」

 WJはなにもいわずに、デイビッドとは反対側の壁にもたれて、腕を組んでいた。

「悪かったよ、WJ。シティからパンサーはいなくなった。だけど、おれはやっぱりニコルが好きだ。きみと付き合っていてもね。それに賭けをぶちこわしたのはきみたちだし、だからおれも、あきらめるのは白紙に戻したよ」

 う! デイビッドが顔を上げる。WJを見て、かすかに微笑む。

「小細工はもうしない。妙な賭けもしないし、自力でモノにするさ。それだけ伝えたかっただけだ」

 なぜそうなる? と呆れたような声でアーサーがつぶやく。たしかに、わたしのなにを気に入って、こんなにまでデイビッドが食い下がるのかが謎だ。うなだれたわたしの耳に、いきなり「いいよ」というWJの声がとどいて、びっくりしてしまった。

 いいよ? ……ってどういうこと?

「デイビッド。誰かを好きになる気持ちは自由だし、止めても止められないってことは、ぼくだってわかってる。そういうふうにきみがいってくれて、すっきりしたよ。だけど、大丈夫」

 WJがにやりとした。

「ぼくがニコルを離さないから、大丈夫」

 ひゃあっ、と小さく叫んだキャシーが、自分の口を手でふさいだ。頭まで血がのぼり、ぼうっとなってしまったわたしは、いまにも倒れそうになり、うしろにいるアーサーに背中を支えられるはめになる。

「……彼らの心理状態は、一般人からかけ離れてるみたいだな。いっておくが」

 わたしの顔をのぞきこみ、アーサーがげんなりした顔でいった。

「にやにやしてるが、きみの顔はまだピエロだぞ」

 すっかり忘れていた。

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