SEASON3 ACT.05
「すまない、ジャズウィット。と、ニコル」
アーサーにとって、もはやわたしはWJの「ついで」の存在に成り下がってるらしい。
市立図書館の二階、リーディングルームに先に着いたのは、わたしとWJだった。カウンター脇のボックスに設置されている新聞を、一部引き抜いたWJは、わたしの手を握りながら歩いて、すみの席に腰をおろす。どうやらWJのリラックスモードは、いっきに解除されてしまったようだ。微妙な刺激が手のひらに伝わりはじめている。二人並んで椅子に座り、広げた新聞を眺めていたら、頭上からアーサーの声がしたのだった。そしてアーサーは、ひとりではなかった。
あれ?
「……アーサーったら、トイレに駆け込んだと思ったら、ずいぶん出て来ないんだもの。あなたたちは朝からいないし、わたしは無線機の使い方がよくわからないし、今朝からもやもやしていたから、絶対にアーサーがなにかするとにらんでいたの!」
それで、トイレに入ったアーサーを待ち伏せし、ついて来ちゃったキャシーは……まあわかる。だけど、もうひとり。
「……デイビッドが学校に来ないから、つまんないなーって」
ガムを噛みつつ、市立図書館にそぐわない装いの女の子が、腰に手をあてて唇をとがらせる……って、どぉーして? どうしてジェニファーまでついて来ちゃったの?
「う、え? あなたは全然関係ないと思うんだけどな?」
「おれもそういったんだ、ニコル。だけど、今日の彼女はかなしいことに、父親のムスタングを運転して学校へ来ていたんだ。頼りたいおれの心境を察してくれ」
ふう、と息をついて、アーサーが前に座る。その横にキャシー、そしてジェニファーは、隣の席の椅子を勝手に移動させ、もっとつめてよキャサリン・ワイズ! と文句をいい、キャシーの隣に居座ってしまう。
「バスの時間に間に合わなさそうだったから、乗って来ただけよ。そうしたらデイビッドは来ないし、あんたもいないし、んで、あんたらがどっかにしけこんでるんじゃないかと思って、キャサリン・ワイズに訊くつもりだったわけ。ほら、あんたと仲良しだから、なんか知ってんじゃないかなって。そうしたら、アーサー・フランクルがトイレから出て来て、ロッカー脇に隠れるみたいにしていた彼女がアーサーを追いかけはじめちゃって、だからあたしもうしろにくっついて行ったら、タクシー停めようとしてるじゃない」
タクシーを停めるなら、自分の車を使えとジェニファーは提案し、まあ、結局のところ、ついて来てしまったということらしい。ジェニファーはきゅうに、周囲を見まわしはじめて、
「で? デイビッドはどこ?」
「ここにはいないぞ、パーキンズ」
はあ? とジェニファー。どうしてアーサーとキャシーにくっついて来たら、そこにデイビッドがいるはず、という思考回路になったのかがわからない。……まあいい、いや、よくもないけれども。だって、ジェニファーがいたら、つっこんだ話しができないのだ!
すると、アーサーがWJの名前を呼んで、おもむろに席を立ってしまった。男の子同士の会話を、館内のほかの場所でエンジョイ……するつもりらしい? あれもこれも謎のままで、気持ち悪いことこのうえないわたしは、結局置き去りにされてしまう。……あああああ、ジェニファー……。
「……んで? ジェローム、いちゃついてる?」
うなだれているわたしに向かって、ジェニファーがいった。いやもう、それどころじゃないっていうか、なんというか。今日のカーデナルは史上最高に、サボっている生徒だらけ、なのでは?
「さっさと押し倒しちゃえばいいんだって。あたしがレクチャーしてあげようか?」
……おかしい、妙だ。どうして市立図書館で、わたしはジェニファーに、いちゃつきのレクチャーを受けるみたいなはめになっちゃってるのだろう。頭痛をもよおしそうになって、額に手をあてていたら、キャシーがいった。
「う、うーん。ねえジェニファー? すっごく下品な質問かもしれないけど、純粋な興味があるの、いいかな?」
なによ、とジェニファーがキャシーを横目にした。キャシーは顔を真っ赤にして、
「つまり、あなたって、そのお。なんていうか、男の子と」
ジェニファーがにやりとする。
「……あのさ。あんたらって、十九世紀の淑女なわけ? いまって二十世紀だって知ってるよね? たいがいジュニアで経験済みなんじゃないの?」
「そ、そうなの?」
おかしなことになってきたけど、食らいついていったのはわたしだ……って、こんな会話に食らいついている場合ではない。だけどアーサーもWJも、ずいぶん離れた席に座って、神妙な面持ちでこそこそとしゃべっているから、その会話に入れないわたしとしては打倒だろう。いや、打倒って、意味がわからないけれども。
「まあ、でもさ、べつに無理することもないんじゃない? あんたらって、地味で真面目っぽいし、どうせそういうのは、フランクルがうまーい具合にもってってくれるって。ああ、ジャズウィットはどーだかわかんないけど」
「わ、わ、わたしはべつに、アーサーと付き合ってるっていうか……」
キャシーの顔がリンゴみたいになってしまったところで、ジェニファーが席を立つ。
「なんかつまんないなあ。とりあえずトイレ」
リーディングルームから出て行った。広い館内で女性用トイレは三階のすみっこ、そこへ行くまで五分はかかるだろう。だから往復で十分、しかもジェニファーは、鏡で身なりを整えるだろうから、うまくすれば二十分は稼げるはず。オーケイ、いましかない! というわけで、神妙な顔つきのアーサーとWJのもとへ、キャシーと共に早歩きで近づき、椅子を引いた。
「お願いだから、二十分内でいままでの会話の内容を、シンプルにまとめて!」
「悪いニコル、それは無理だ」
ざっくりだ。
「ねえ、なにがどうなっちゃってるわけ? 今朝からデイビッドはもう、あなたたちがいないから、パンサーを辞めるってダイニングで宣言しちゃって、朝方会社から戻って来たアリスさんは暴れるし、大変だったのよ?」
予想はついていた、というか、まあそうなるだろうとは思っていた。広げられた新聞の一面には、素早いことにフェスラー銀行の記事が掲載されている。アーサーはそこに指をトンとついて、
「……防犯カメラになにも映っていないんだぞ?」
「防犯カメラ、ってなに?」とキャシー。
「小型のテレビカメラみたいなものを設置して、自動でフィルムをまわしておくんだよ。そうすると、あとでそのフィルムを見ることができる、そういう最新の機械なんだ」
少々耳が赤いほどで、珍しくWJがすんなりいいきった。これもわたし(恋人!)のおかげ効果だろうか……とか、自画自賛している場合でもないだろう。そんなWJの返答に、へえ、とキャシーが関心した。まあ、実のところ、わたしもだけれど。
「おれはこう考えるぞ、ジャズウィット。ダイヤグラムの広告ボードが真逆になっていたことと、これは同じだ。つまり、ボードを逆にする、というのは実験のひとつで、次に実践。実践がこれだ」
アーサーがふたたび、記事を指でつく。WJがうなずいた。
「ぼくもそう思うよ。だからたぶん、誰かが小刻みに時間を止めている、ということになるだろうね」
……あれ? だけどそれは。
「物質の量は足りないんじゃなかった?」とわたし。
「足りない量でも補えるなにかを開発してしまったのか、それとも、すべてを手に入れた、ということになるんじゃないのか? 考えろ、ニコル」
だけどわたしはアリスさんにピアスを渡したのだ……って、そこで。キャシーが眉根を寄せた。
「……似たような会話を聞いたわ。パパと捕まっていた時に。……ねえ、もしかして、それって、わたしのパパのせい? わたし、パパがどんな仕事をしていたのか、詳しくはよく知らないの。離れて暮らしていたし、知りたくもなかったから。それにパパも、しゃべりたくないみたいな感じだったし。だけど……って、ちょっと待って」
困惑しているキャシーが、わたしを見る。
「……そういえばニコル。あなたにあげたピアス、一度もしてないかなって、思うんだけど。もちろん、好きな時につけてくれてかまわないし、ただのアクセサリーだから、いままで気にしたこともなかったんだけど……」
キャシーの勘は鋭いのだ。だけど、今回は迷っているらしい。ええっと? と、額に手をあてるとうつむいて、しばし無言になる。そこでアーサーが、キャシーの肩に軽く手を置いた。
「キャサリン、すまない。きみは知らないようだったし、きみを傷つけたくなかったから、いわなかったんだが、ニコルに渡したピアスは、単純にいえば時間を止められる物質、からできていた、んだ。そしてもちろん、きみが持っているはずのネックレスも」
額から手を離したキャシーが、目を見開いてわたしたちを見まわした。
「……どうしていってくれなかったの?」
「だから、あなたが傷つくかなって」
わたしの言葉をさえぎるように、キャシーは首を横に振る。
「違うわ、そうじゃないの。いま知らされてもっと傷ついているわ。だって、そんな危ないものをあなたにあげちゃったのよ、わたし? 知らなかったじゃすまされないじゃない。それに、……ああ、どうしよう! ……だからね?」
ん? だからって、なにが? キャシーが両手で顔をおおってしまった。
「だからあなたも、ギャングに追われてたのね? グイード」
……まあ、そうともいえるけれど、わたしの場合はそれ以外にもいろいろあったわけで。
「キャサリン、心配するな。ニコルの場合は、そのほかにもやらかしてるから、それだけが理由なわけじゃない」
うん、キャシーには慰めになってるけど、わたしには微妙な答えになっちゃってる。だけどたしかにそのとおり。
「そうなの、キャシー。だから気にしないで……って、あれ? じゃあ、わたしのピアスはアリスさんに渡って、アリスさんはもしかして?」
WJがうなずいた。
「そうだね。たぶんカルロスに渡したんだ。こんな時にごめん、キャシー。きみの持っているネックレスは、もしかして家?」
キャシーがうなずいた。そこで。かなしむべきことにジェニファーが、リーディングルームに戻って来てしまった。周囲を見まわしてからつかつかと大股で近づき、わたしたちの席のそばに立つと、
「……女子トイレに入ってたら、大学生みたいな二人組がいて、すっごいことしゃべってたんだけど、どういうこと?」
どういうことって、なにがだろう?
「デイビッド、どっかのホテルでパンサー辞めるって、会見開いたって噂してたんだけど、あんたら知ってるの?」
早いな、とアーサーがつぶやいた。WJが席を立つ。
「車のラジオを聞いてみよう」
★ ★ ★
『能力がなくなった、ということです。彼のヒーローとしての能力は、すでにぎりぎりな段階にきていました。先日のウイークエンド・ショーでのシーンは、つまり最後のファンサービスと受け取ってください。今後はゆるやかに露出を控え、アクターになるための勉学に励む方向で、検討中です』
駐車場に停めた、マルタンさんの車のラジオから流れる声は、あきらかにカルロスさんだ。デイビッドはひとことも発していない。だけどたぶん、会見場にいるはず。とうとう、こんなことになってしまった。……ああああああ!
記者がけたたましく問いつめる。それに答えるのはカルロスさんばかり。そのうちに会見シーンは終了し、女性のディスクジョッキーが、これはミラーズホテルにて、先ほど録音したものだと伝えた。
「……マジ?」
自分のパパのムスタングを駐車したままで、なぜかこの車の後部座席にいるジェニファーが絶句した。
「マジだ」とアーサー。
「……怒ってるだけのくせに、頑固よね」
キャシーがつぶやく。わたしも同感だ。きっといつか、このことを後悔するような気がする。こうしちゃいられないと車を降りたのはジェニファーで、どこへ行くのかと訊けば、ホテルに決まってるでしょうと叫ぶ。こうしてジェニファーみたいな女の子が、いまごろあのホテルに詰め寄っているのだろう。あの、超ゴージャスで有名人しか泊まれない、一泊の料金が、わたしの家の月収ぐらいしちゃうホテルに。やがて駐車場から白いムスタングが、猛スピードで去って行った。
「……でも、なんだか、なんていうか」
キャシーのいいたいことはわたしにもわかる。
「うん。デイビッド、仕方なく突っ走ってる感じ、かも。自分でいったことだから、最後までつらぬいてるけど、ほんとうはそうしたくないって、どこかで思ってる、というか。だけどどうしたらいいのかわからなくなっちゃって、そのままというか……」
「よくわかるな、ニコル」
「あれ? あなたの人間観察力はどこへいっちゃったの?」
でかしたわたし、いまやっと、アーサーにチクリと攻撃できたかも! けれどもアーサーは、にんまりとして眼鏡を押し上げ、
「どこにもいってはいないぞ、もちろん。同情はするが、自業自得だろう」
全然気にしているふうでもないし、してやられたふうでもない。まったく、どうしてもわたしには負けたくないようだ、くそう。
「しかしなんだな。こうなるとオシャレバカに復讐したい暇人が、わんさかあらわれそうだが?」
「……ぼくもそう思うよ、アーサー。パンサーを辞めるって宣言してしまったんだ。待ちぶせの数も、かなりなことになるかもね」
「でも、カルロスさんたちがそばにいるでしょ?」
キャシーがいう。おっと、そうだ。
「そのカルロスさんなんだけど、どうしてあなたもWJも、悪玉みたいにいうわけ?」
悪玉なのかとキャシーがアーサーを見る。肩をすくめたアーサーは、その確率があるとだけ答える。だけどそんな答えじゃ満足できないし、納得いかないの!
「昨日、ケリーが学校へあらわれたよね? はじめはぼくもケリーだと思ったけれど、話し込んでみると違うって、すぐにわかったよ。でも、彼女はケリーのふりをしているから、調子を合わせただけなんだ。ぼくはケリーに自分の居場所を伝えていたし、ケリーも手紙をくれるよ、イギリスからね。ひと月くらい前にも手紙が届いたばかりなのに、そんな彼女がいきなりシティにあらわれるなんておかしいだろ? まあ、かなり似ていたけれど。それによく調べてたよ、ぼくのことも、ケリーのことも。たぶん、カルロスの雇ったアクターだ」
WJがにやりとしていう。
「どうしてすぐにそういってくれないの?」
おかげでわたしはやきもきして、あんな手紙まで書くはめになっちゃったのに! というか、文通していただなんて、どういうこと? うううーん、さらにもやもやしてきちゃったかも。いや、そんな場合ではないし、もっと落ち着いてから問いただすことにしておこう、とりあえず。
「きみがやきもちをやいてるみたいだったからだよ……というのは冗談だけれど。あまりにも演技がうまくて、確信が持てなかったっていうのが正直なところだよ。それで、彼女を助けて家まで送っていった時に、さりげなくいろいろ訊いてみたんだ。もちろん、ぼくはパンサーで、デイビッドということになってるから、それを崩さずに。向こうもさすがに、ウイリアム・ジャズウィットがパンサーだなんて情報まで、知らされていなかったみたいで、のらりくらりとぼくの質問をかわしていたけど、本物のケリーならたぶん気づくよ。それに、部屋のあちこちに台本みたいなものがあったから、におうなと思っただけ。ただ、やたらと会話をひきのばそうとするし、それで帰るのがすごく遅れたのはたしかだよ」
「パンサーが彼女を助けていた時刻に、誰かが時間を止めて、銀行に押し入ったんだろう。とすれば、おのずと黒幕が見えてくる。彼女を雇ったのはミスター・メセニで、ニコルのピアスも持っている、それをすでに、誰かに渡し済み、とすれば? そもそも、おれたちがZENに押し入った時から、C2Uにあるはずのほとんどの物質を、ミスター・マエストロに取られているんだ。おれたちはまるでピエロだぞ、ニコル。そうだろう?」
……ということは。ジェローム家もアーサーも、逆に時間を稼いでしまった、ということになる? ZENへ行って、誘拐されたキャシーの居所をつきとめるために奔走した、つもりになっちゃってたけど、その間にミスター・マエストロとヴィンセントの仲間は、すんなりC2Uへ向かって、物質を手に入れる。警察はそのことを知らないし、あの時、邪魔をする人もほかにいなかったのだ。だって、パンサーはわたしを助けてくれて、その時間だってかなりなロスだったのだし。
「だ、だけど! どうしてカルロスさん? ほかの大人チームは、そのこと知ってるのかな? というか、ということはつまり」
そうだ、とアーサーがいいきった。
「彼はミスター・マエストロの仲間だ。あくまでも仮定だが。ちなみに」
アーサーがバッグミラーを指す。ミラーには、二体のライオン像がそびえる市立図書館の正面が映っている……って、いや。そこへ寄せるみたいにして停まっている車はあきらかに。
「……発信器、取ったほうがいいのかな」
「いまさらだろうが、そうするか」
アーサーが、黒いスニーカーを脱いでしまった。わたしもスニーカーを脱ぐ。
「ねえ、それで? これからどうするの。学校へ戻ってもいいんだけど」
スニーカーを脱ぎながらキャシーがいう。
「時間がすでに止められているんだ、ということは、ミスター・マエストロが動きまわってることを意味する。リックに伝えたいところだが、彼は市警でグイードにつきっきりだ。ほかの警察じゃ難ありすぎる。かといっておれの父親……に、もう告げてもいいが、たぶんおおごとになるぞ」
「派手なことになるのは、まだ避けたいよね。ぼくらが一緒にいることは、ミスター・スネイクにはばればれで、もちろんカルロスも知ってるはずだけど。そうなると、ちょっとまずいことになりそうだ」
「そうだな。おれたちは冗談抜きで、オシャレ国を敵にまわしたといってもいいだろう。口封じにギャングを使ってくるかもな」
げ。
「そうなの?」
発信器をつまんだアーサーは、車の窓を開けると放り投げた。わたしもキャシーも真似をする。WJがエンジンをかけ、真っ赤なパンサー号の動向を探るように、バッグミラーを見上げた。
「整理する場所が欲しいな」とアーサー。
「ここでパンサー号に戻っても、行き着く先はあの屋敷だ。ミスター・スネイクがミスター・メセニの正体を知っている、とは思えないが」
まあ、わたしもそれには同感だ。なにしろWJがパンサーだと、すぐに気づけなかったぐらいなので。
「それに、夕ご飯に睡眠薬を混ぜられて、目覚めたらギャングのアジト、なんてことは避けたいからな。誰が悪玉で、誰がそうではないのか、じっくり検証させてくれ、お・れ・に!」
……なぜだろう、アーサーがいつになく、いきいきしているような気がする。これも争えない血筋のせい? わからないし、わかりたくもないけれど。
「わかったわ。じゃあこうしましょうよ」
ぐい、とキャシーが、後部座席から前のめりになって、わたしに顔を近づけると、微笑んだ。
「内緒の場所へ、案内するわ」