SEASON3 ACT.03
グイードは警察に捕まって、キンケイドはボスになってしまったジョセフが学校へあらわれ、デイビッドをニセモノパンサー呼ばわりして去っていった。そしてヴィンセントがとうとう、動きはじめている。しかもどうやら、わたしを捕らえようとしているようだ。それはやっぱり、「エキゾチックな物質」とかいうものでできている、キャシーにもらったピアスの所在をあきらかにしたいからだろうか。うーん、わからない。
ダイヤグラム・チャイルドの広告ボードが、さかさまになっていた意味もわからないし、誰の仕業なのかも不明だけれど、ひとつだけたしかなことがある。
……わたしはいま、WJの部屋にいる、ということだ!
「眠い?」とWJ。
いいえまったく。むしろおかしげな興奮におそわれて、覚醒しまくっている、なんて伝えるのはやめておこう。
WJの運転する車は、ビレッジを渡って中心街を南下し、とあるアパートの前に着いた。赤レンガの七階建てアパートの五階、東向きの角部屋が、WJの部屋だ。はじめて訪れたWJの部屋は、こじんまりとしたワンルームで、棚になっている壁中が本だらけ。床にも本が散乱していて、タータンチェックのカバーがかけられたベッドにも、本が積まれている状態だ。
赤いレンガがむきだしの壁、窓際に沿って置かれているグリーンのカウチ。赤とグリーンで、まるで部屋中がクリスマスみたいだ。整頓されているわけではないけれど、デイビッドの住んでいた広い隠れ家の部屋よりも、心地よい乱雑さがあって安心する。
小さな対面キッチンのそばに、木製のテーブルと二脚の椅子。もちろん、テーブルの上にも本だ。
座って、とWJにいわれたので、椅子に腰をおろし、積まれている本の背表紙をなぞってみた。物理の本に古典にファンタジー、どうやらなんでも読むらしい。
「本が好きなのは知ってたけど、すごいね。本屋さんみたい」
キッチンでお湯を沸かしながら、WJが笑った。
「テレビはあまり見ないからね」
なるほど、だから「保安官シリーズ」を知らなかったわけだ。男の子の部屋に来たのは人生ではじめてなので、きょろきょろとあちこち見まわしてしまう。カウチの肘掛けに、ストライプのパジャマが放り投げられてあったので、ふふふと笑みをもらす。ううーん、とてもスーパーヒーローの部屋とは思えない。どう見ても、フツーの男の子の部屋だ。デイビッドのほうがたしかに、スーパーヒーローっぽい部屋の持ち主だといえる。ゴージャスで広くて無機質で、クローゼットにはパンサーのコスチュームがずらり、だったから。
「パンサーのコスチューム、どこにあるの?」
この部屋にはクローゼットがない。カップをふたつ手にしたWJが目の前に座って、テーブルにカップを置くとベッドの下を指す。身体を折り曲げてのぞいてみると、木製の引き出しがついていた。洋服みたいにたたまれて、あの中に入っているのかと思うと面白くなってきて、くすくす笑うと、おかしいかとWJに訊かれる。
「おかしくはないけど、生活感いっぱいだなあと思って」
WJもくすりと笑う。
「マスコミが知ったら、喜びそうなネタかもね。パンサーは庶民の暮らしをエンジョイ中、とか見出しをつけて」
軽いジョークに笑ってしまったけれど、それが真実になる一歩手前だということを思い出した。
「そうだ、マスコミといえば今日、ジョセフ・キンケイドが学校に来たの」
「え。いつ?」
「あなたがケリーとしゃべくってた時」
無意識のうちに唇をとがらせていたことに気づいて、慌てて通常モードになんとか戻す。
「つまり昼休みに。わたしの親類だとかいって、嘘ついて。それで、デイビッドはパンサーじゃないだろうって」
WJが眉を寄せた。
「全然知らなかったよ。誰かにいった?」
「うん。アーサーにもキャシーにも。カルロスさんにはアーサーが伝えてたよ、ダイニングで」
またもやさらに、WJが眉をひそめる。
「……どうしてきみが、カルロスに伝えなかったの?」
べつに隠しておく必要もないだろう。というわけで、アーサーのいっていた疑惑をWJに告げてみる。考え込むみたいに視線を落したWJは、口元に手をあてて指をそわせる。ずいぶん険しい表情だ。
「大人の事情とかよくわからないけど、意地悪だと思わない? 表と裏があるのかなあって思って、落ち込んじゃった。それにアーサーは、オシャレ国を敵にまわしたなとかなんとかいって、わたしをからかうし」
WJはまだ、考え込んでいる。
せっかく二人きりになったというのに、ギャングと大人世界のことについて語っているだなんて、どういうことなのだろう。まあいいけれども。
カップの中はコーヒーではなくてココアだ。ココアは大好きだ、というわけで、息を吹きかけつつ冷ましながら口へ運ぶ。と、WJがにらむみたいにして、わたしを見つめていることに気づいてしまった。
「う。なに?」
わたしなにかした? 自分が怖い顔をしているということに気づいたらしいWJが、ふっと表情をゆるめて髪をかきあげ、眼鏡をはずし、目頭を指でおさえる。
「ごめん。……なんだろう、なにかがつながりそうなのに、うまくつながらない感じなんだ。違和感があって」
「違和感?」
WJが小さくうなずく。
「偶然にしては、タイミングがはまりすぎてると思わない?」
「なにが?」
「ケリーのことだよ」
わたしは首を傾げる。それはそうだけれども、起きてしまったことなのだから、なんともいえない。
「どういうこと?」
「彼女が学校へあらわれたことも、ヴィンセントが彼女を捕らえたことも。それをきみが見ていたことも」
眼鏡をはずしたWJの険しい顔は、なんともいえないほどセクシーだ……なんて、見とれていてもこの場合はいいだろう。うっとりして眺めていると、WJがため息をつく。
「そんなにヘンなことかな? 運命、みたいなことだったりして」
女の子的発言すぎたらしい、WJがやっと、くすりと笑ってくれた。だけどそれはあきらかに。
「……それって、くだらないなあ、みたいな感じの笑い?」
ちょっとにらんで訊いてみる。
「違うよ、かわいいこというなあと思った笑い」
わたしはいっきに照れ、そしてうなだれた。ほうらね、こうやってさらっとプレイボーイみたいなことをいったりするから、困るのだ。
「どうしてぐったりするの?」
からかってる声音で訊かれた。
「ぐったりしてるというか、なんというか……」
もぞもぞとひとりごちていると、明日どうしようかとWJがいう。もちろん学校へ行くべきだ……って、いろんな物を詰めたバックパックは、豪邸に置いたままだった。そのうえ。
「すっかりフツーにしゃべっちゃってる」
「うん。それにぼくはきみを連れまわして、ここまで来ちゃったしね。もう逃れられそうもないかな」
「逃れるって?」
WJがふいに真面目な顔でわたしを見つめ、
「デイビッドだよ」
答えた。
★ ★ ★
表のパンサーと裏のパンサーは、超極秘事項のはずだったのだ。二人一緒でクレセント・シティのスーパーヒーロー。夜、悪党を倒すかたわら、雑誌やテレビに顔を出し、アイドルみたいに持ち上げられて、ダイヤグラムの売上げは右肩上がり。デイビッドは女の子に騒がれて、WJは静かに冴えない自分のまま日々を過ごす。そうやってこれからも、ともかく高校を卒業するまでは、続いていく、予定だったのだ、たぶん。
でも、わたしがフェスラー家で、うっかり悪巧みの会話を聞いてしまったものだから、そんな小さな出来事が、どんどん波状に広がって、とんでもないことになってきている。いまやWJは、デイビッドから離れようとしている、ように思える。だけど離れて、パンサーも辞めて、どうするつもりなのだろう。
「ほんとうに辞めるの?」
というかすでに、そうならざるをえない事態におちいっている。椅子に座ったままわたしが訊けば、ベッドの上の本を抱えて、本棚へ積み上げながら、枕を抱えてWJが振り返る。
「なるようにしかならないよ」
にっこりと微笑んでいう。鋭い瞳がほんの少したれ目がちになって、眼鏡なしモードの神秘的で、大人っぽいWJが、とたんに隣の男の子的雰囲気に包まれる。
「でも、それって、わたしのせい?」
「違うよ、ニコル。きみのおかげ」
「え?」
ベッド脇に立っているWJが、枕を抱えたまま片手を差し出す。こっちへおいで、という意味だろう。おずおずと椅子を引いて、WJに近づく。差し出された手を取ると、ぎゅうっと強く握られた。でも奇妙なことに、いつもの刺激がない。
「びりびりしないね」
「リラックスしてるからだよ」
なるほど……って、いまいち納得できないけれど、本人がそういうのだからそうなのだろう。おっと、そうではなくて。
「わたしのおかげって、どういうこと?」
手を握られたままで、WJを見上げて訊ねた。
「以前はきみのいうとおり、パンサーでいることが好きだったし、そういう自分が好きだったんだ。でも、もういいんだ。ときどき苦しくなるかもしれないけれど、うまくやっていく方法を見つけるよ。わからないけど、肉を食べないとか」
「もともとほとんどベジタリアンじゃない?」
まあそうだけど、とWJが苦笑する。
「でもいいんだ、ほんとうに」
WJの笑顔には、一点の曇りも感じられない。心底そう思っているらしい。
「それがどうして、わたしのおかげになっちゃうの?」
握っていた手をそうっと離して、WJが人差し指で、わたしの額をつんと押す。
「さあ。それはクイズってことにしておくよ」
え。えええ? 答えはわたしが出すしかない、ということのようだ。ううーん、まるきりわかる気がしない。
「ヒントはナシ?」
「ナシだよ」
くすくすと笑うWJは楽しそうだ。けれどもすぐに表情を変え、一瞬だけ厳しい顔つきになる。視線を窓へ向けて、ひとりごちるようにいった言葉を、わたしは聞き逃さなかった。
「でも、ヴィンセントはなんとかするよ。ミスター・マエストロも。じゃなきゃきみは、いつまでたっても家に戻れないからね」
「……その前にデイビッドが、マスコミに向かって、パンサー引退宣言をしちゃうかも」
「それでもいいよ。ぼくの正体がバレてもね」
それこそオシャレ国を敵にまわす、ということになるのではないだろうか。ものすごく心配になってきた。
「……無茶しないでほしいな」
うつむいていう。返事がないので見上げれば、WJがわたしを見つめていた。というよりも、わたしの頭のてっぺんを。
「なに?」
「きみの髪、てっぺんがくしゃっとなってて、柔らかそうだなあと思って」
それはあきらかに寝癖だ。なにしろここへ来るまでの間、ずうっとふて寝していたわけで、手のひらで自分の頭を撫でてみる。
「そういうあなただって、いっつも寝癖つくってるくせに」
「つくってるわけじゃないよ。できちゃうんだ」
まあ、寝癖とはそういうものだ。くだらなすぎるやりとりにお互い笑うと、奇妙な沈黙が流れてしまった。とたんに、二人っきりだということや、ここにはデイビッドもキャシーもアーサーもいないということを意識しまくりはじめて、硬直する。
わたしたちったら、恋人同士なんだもの! それって、つまり、付き合ってるってことで、ジェニファーいうところのいちゃつきまくりなことをしても、いまは誰もいないわけで、デイビッドの邪魔もナシ、アーサーのひやかしもナシ……って、どうしよう。いきなり大人モードな場面が、超お子さまのわたしの脳裏を、ありえないスピードで過っていった。とはいえまあ、キスめいたことはしているし(挨拶みたいなやつだけれども)、抱き合ったりもしているし、なにをいまさら……と考えていたら。
「明日はどうしようか」
枕をカウチに放って、WJがいった。
「どうって、だから学校へ……」
「どうせなにもかもあの屋敷にあるんだし、ぼくらには発信器がつけられていて、デイビッドは怒りまくるんだ。彼らが目覚めないいまのうちに、あそこへ帰ったとしても、遅かれ早かれバレて、同じことになるよ。だったら」
デニムのポケットに手を入れて、車のキーをくるりと回し、WJがいたずらっぽく笑った。
「コレを借りて、どこか行っちゃおうか」
それって、つまり、今週末の慈善的課外活動を、(わたしの場合は)またもや参加する、ことを意味する。
「……すっごく大賛成だけど、わたし、先生たちの間で、ブラックリスト決定かも」
「ぼくが声を低くして、きみのお父さんの真似して電話してあげるよ。頭痛と腹痛とどっちがいい?」
呆気にとられたまま、WJを見つめてしまった。
「すっごい、WJ。そこまで悪巧みできるとは思わなかったよ」
「ぼくはアーサーじゃないよ。それにこんなこと、みんなやってるじゃない? だからたまにはいいと思うけどな。もちろん、たまに、だけどね」
「じゃあ、わたしもあなたの親戚、みたいな声で、なにか伝えたほうがいいかな?」
WJが笑った。
「ぼくは自分で電話するよ。大丈夫、ぼくは一度もイケてない生徒に選ばれてないから」
……まあ、それはそうだ。
窓の外が、うっすらと青みを帯びてくる。もうすぐ夜が明けるのだ。キャシーもアーサーも、デイビッドも大人チームも、目覚めてからわたしたちがいないことに気づいて、たぶん慌てふためくことだろう。
少し休もうといって、テーブルに置いた眼鏡をつかみ、WJがカウチに座る。
「考えてみたらWJ、ずっとベッドで眠ってないんじゃないかな? わたしがカウチで眠るから、あなたはこっちで眠って?」
どのみち数時間のことだ。だけどWJは本を手にして、にっこりした。
「ぼくはそんなに眠くないから、ここでいいよ。これを読むから」
眼鏡をかけて、カウチに長い足を伸ばし、枕を背もたれにして、本をめくりはじめる。というわけで、その言葉に甘えて、わたしはベッドに横たわった。本をめくるWJの横顔を、ぼんやりと眺めてからまぶたを閉じる。わたしにとってそばにいて、こんなにも安心できる男の子は、世界中でWJだけだろう。もちろん、どきどきもするし、ぽうっとなって見つめてしまうこともあるけれど、自分の気持ちがぴったりと、重なるみたいな安堵感を感じられる男の子は、WJしかいないのだ。
だから神さま、WJにおそろしいことが起きませんように。無茶したりして、この世界からWJがいなくなったりしませんように。