SEASON2 ACT.24
未来の自分を……信じられない。というよりも、信じていいのはロルダー騎士だけだったのかも、といま、わたしは少しばかり反省している。まあ、やってしまったことは仕方がない。
「……べつにいいんだが」
女性チームのベッドルームで、アーサーがため息まじりかつ、苦笑まじりでわたしにいった。ベッドに腰掛けたわたしは頭を抱えたまま、またもやゾンビと化している。突っ走ってしまったことに後悔はしていない。なにしろわたしの片思いに、やっと終止符が……一応打てたわけだし。そのうえ、とっても素敵な景色も見られて、本当に夢のようなひとときを過ごすことができたのだ。だから最高にハッピーなはず。でも、わたしとWJが超短時間の逃避行をおこなっていた間に、ストレスの豪邸では、とんでもない事態が巻き起こっていたらしい。
いまから少し前、ここへ戻ったわたしとパンサーは、まず地面に着地して、女性チームのベッドルームの窓へ小石を投げた。二度投げて、顔を出したのはキャシーで、ひとさし指を唇にあてると、いったん隠れ、ライトを消し、カーテンを開け放ち、窓を思いきり引き上げる。「そうっと、ここへ来て!」を意味する身振りをしたので、パンサーと共に飛び、窓から二階の部屋へ入った。すかさずカーテンを閉め、ライトのスイッチを入れたキャシーは、マスクを取ったWJを見て「あなた誰!」と小声で叫び、WJは案の定、顔を赤くする。
キャシーのほかには、アーサーしか部屋におらず、ドアは壊されていなかった。アーサーはげんなりした顔をわたしたちに向け、眼鏡を指で押し上げると、ことのなりゆきを語りはじめる。
アーサーによれば、わたしがいなくなってから、デイビッドがこの部屋の合鍵を探しにリビングへおもむき、あっさりドアは開けられて、キャシーしかいないことを見てとると、不気味に黙り込んだのだそうだ。
「……不気味に?」とわたし。
「不気味だったわ」とキャシー。
そしてキャシーは、窓のそばに立っているWJをまじまじと見つめて、またもや「あなた誰?」と首を傾げる。
「ジャズウィットだ、キャサリン」
腕を組んでアーサーが答える。うっそ、とキャシーはWJに近づいて、ぽかんと口を開けたまま、つま先から頭のてっぺんまで視線を動かした。キャシーが間近に迫ると、照れているらしいWJは、困惑した顔をそむける。
「……ヘンかな、キャシー。ぼくは眼鏡をしていない自分の顔を、ちゃんと見たことがないんだ」
「ヘンどころか、あなたとっても素敵だわ!」
WJの顔がありえないほど真っ赤になる。うーん、意思の疎通ができたばかりだし、他意のないキャシーを相手にやきもちをやきたくはないけれど、やっぱりどうしてもWJのこの態度が気になるのは、わたしの心の狭さのあらわれなのだろうか。うーん、うううーん。
「そうかな、そんなことはないと思うけど」
キャシーがWJを、至近距離で見上げていう。
「そんなことないわ、すっごく素敵」
背伸びしてそんなに近づいたら、WJの頬にキスしそうな距離になっちゃうよ、キャシー! と、ゴホンと咳払いをしたのはアーサーだ。おかげでキャシーが、アーサーを振り返ってくれた。
わたしにはなんでもしゃべるWJが、キャシーやほかの女の子を相手にすると、シャイすぎる小さな男の子みたいになるのって、なんだか納得がいかない。キャシーに恋愛感情がまるでなくても、いまみたいな場面を目にするたびに、わたしはやきもきして、やっぱり一番仲良しの友達だったから、その気持ちと混同して、勘違いしてるだけなんじゃないかって、疑ってしまいそうになるから。
それに、WJには絶対に眼鏡をし続けてもらわなければ。でなければ学校で、ものすごいことになるもの! ……って、あれ? ハッピーどころか、わたしったらさらに悩みが……増えてない?
「ともかく」
アーサーがため息まじりにいい放った。
「とうとうオシャレ王子が、引退を宣言したぞ」
「え?」
それで、倒れ込みそうになったわたしはベッドに手をつき、そのままゾンビと化したのだ。
★ ★ ★
リックはまだ市警本部にいる。リビングでは現在、大人チームがデイビッドを囲み、パンサー引退について考えをあらためるよう、説得がなされているとアーサーに教えられた。昨日のウイークエンド・ショーでの成功もあって、パンサー人気はシティ市民の中で、確固たる地位を築いたのだから、いま辞めるのは懸命ではない、というわけだ。ダイヤグラム・チャイルドの新シーズンの発表も、そろそろさまざまな雑誌に掲載されていくし、デイビッドのスケジュールもそれによって、山のように増えていくだろうし、それらすべてを蹴散らすいきおいで、いま引退だなんてことになれば、ブランドの売上げにもひびくのは間違いない。まあそれ以外にも、大人の事情がたんまりあるんだろうけれど。
「……それって、わたしのせいじゃないって、誰かいってくれないかな」
「べつにあなたのせいじゃないでしょ?」
ベッドに座ってうなだれるわたしに、キャシーが励ましの言葉をかけてくれる。
「きみのせいじゃないよ、ニコル。ぼくのことが気に入らないんだ」
パンサーでいられなくなるというのに、WJの声も優しい。そんな二人の思いやりに水をさすアーサーの無情な意見が、わたしの頭上にふりかかった。
「いいや、きみらのせいだろう。まあ、どちらかといえば、きみだろうが」
わたしを指して、きっぱりといい放った。……うん、まあ、その意見が正しいのはわかってる……って、あああああ。
こうなるんだろうなあと予感はしていたものの、実際に現実になると、ものすごく気分が落ちてくる。だからって、どうしようもないわけで、わたしは両手で髪をわしづかみ、アーサーに向かって懇願した。
「……アーサー、お願いだから、なにかいい方法教えてくれない?」
はあ? とアーサーは、あるわけないだろうといいたげに顔をしかめた。
「いい方法って、なんだ?」
「デイビッドが落ち着く方法。わたしのことはべつにいいよねってなって、みんなと仲良くしてくれて、いろんなことが平和に解決する方法」
はは、とアーサーに失笑された。
「いっただろう、ここは魔法の世界じゃない」
……そうですか、……ですよね。
「ほんとうにニコルのせい? もともと引退したかったんじゃない?」
キャシーがアーサーに訊ねた。WJは壁にもたれて腕を組み、うつむいている。アーサーは軽く肩をすくめて、
「さあ。でもひとつの原因にはなってるんじゃないのか? なあ、ニコル?」
いまさらだけど、自分で決めたことはなんとしても押しとおすという、デイビッドについてのマルタンさんの解釈を思い出した。デイビッドが引退するのはべつにいいのだ。でも、パンサーは? WJはパンサーのコスチュームを手放して、普通でいるために我慢し続けることになる。その苦しさはわからないけれど、人目をしのんで空を飛んだりしたところで、そのうち誰かが目撃するはずだ。
それにもしかしたら。もしかしたらそんな日々に耐えられなくなって、家族のいる農場へ戻っちゃうかも。そうしたらシティからWJがいなくなっちゃう。想像のしすぎかもしれないけれど、いままで考えが、ここまでおよばなかった自分に文句をいいたい! でも、どうにもできないのよ、わたし!
よっぽどわたしの顔が、げっそりして見えたのだろう。キャシーがアーサーに近寄って、
「ニコルのいうとおり、なにかいい方法はないかしら、アーサー。まあ、わたしはべつに、デイビッドが引退してもいいとは思うんだけど。でも、そうすれば、シティからヒーローがいなくなっちゃうってことなわけでしょ? あなたはどう? WJ?」
WJが顔を上げた。わたしを見つめてから、微笑む。
「……ぼくもいいよ」
嘘だ。二件目のあの隠れ家で、パンサーでいることが好きだといったはず。パンサーでいる間は、誰かの役にたっていると思えるし、なにも我慢しなくていいからと、いったはずだ。まさか。
まさかわたしのために辞めてもいいって、思ってるわけじゃないよね?
「パンサーがいなくなったら、ギャングは好き放題ね」
なんとかならないかしらと、キャシーがアーサーににじり寄る。キャシーにお願いごとをされて、まんざらでもなさそうなアーサーが、ふうと息をつくとにやりとし、なにか思いついたらしく眼鏡を上げ口を開きかけた、のと同時に、なんとドアがノックされてしまった。
おそるおそるドアに近づいたのはキャシーで、静かにノブを回す。立っていたのはわたしと同じく、いまやゾンビと化したカルロスさんだった。
「ああ、戻ったんだね」
わたしとWJをみとめると、ネクタイをゆるめてわたしを指し、くいと軽く曲げる。わたしがベッドから腰を上げた直後、WJがドアに突進して、カルロスさんの前に立った。
「カルロス、アーサーからだいたい聞いたんだ。ぼくがデイビッドと話すよ」
「いや、いいんだ。きみとはぼくがあとで話したい。先に彼女と少ししゃべらせてくれないかな」
じりじりと部屋のライトがまたたきはじめた。なにかしらとキャシーが天井を見上げる。電球が弾けてしまう前に、WJを安心させるべきだ。ドアまで歩いてWJの背中に手をそえ、なんとか微笑む。だけど、わたしを見下ろすWJの眼差しは不安げだ。
「心配しないで。カルロスさんと、ちょっとしゃべってくるだけ」
部屋から出ると、カルロスさんがつきあたりの書斎まで歩いて行く。ドアを開けてわたしをうながすので、足を踏み入れると静かにドアを閉め、カルロスさんがソファを指した。わたしが座ると、部屋をゆっくりと歩きながら、カルロスさんが話しだす。
「……かつてない事態になっているんだ、ミス・ジェローム。どんなに気に入らないことがあっても、パンサーを辞めるといいだすことはなかったんだよ、わかるね?」
わたしは頭を垂れたまま、がっくりとうなずく。
「グイードは警察に捕まったし、かなり強引だったけれど、キンケイドのボスは決まった。残るはヴィンセントだけど、動き次第で首をつっこむか手を引くか、決めることにしたんだ。もう数日、そうだな、一週間程度ようすを見て、なにもなければきみらも家に帰ってもいいだろう。それまでは」
カルロスさんがたばこをくわえて、火をつける。
「パンサー続行の方向で、なんとか説得したよ。ただし困ったことに、デイビッドから条件を出されてしまったんだ」
「条件?」
顔を上げると、カルロスさんが同情をこめた目で、わたしを見ていた。
「きみは明日からひとことも、WJと会話しないこと」
自分の口が開きすぎて、あごがはずれそうになったのは、いうまでもない。
「ばからしい条件だけれど、ぼくはきみにお願いしたい。たったの一週間だし、そのことでデイビッドの機嫌がなおるのであれば、こちらとしては喜ばしい事態だからね。それに、一週間が過ぎたら、家にも帰れるし、生活もいつもどおり、好きなだけWJと会話してくれていいんだ。きみらは、付き合ってる?」
そうなる、のかもしれないけれど、あんまり実感がないので、曖昧に首を傾げる。
「それは、そのお、WJにも?」
カルロスさんは煙を吐いて「もちろん」と答えた。
「正直ぼくは、きみとWJが付き合ってもいいと思っているよ。きみらの自由だし、ここは自由の国だ。ただ、デイビッドがね」
苦笑して、続ける。
「デイビッドに振り回されているぼくら大人が、きみらにはさぞかし滑稽に映っているんだろうね」
というよりも、大人を振り回すデイビッドがすごいといえる。アーサーにいいアイデアを伝授してもらうところだったのに、その前にこんな提案をされてしまったら、もうどうすればいいのだろう。
いや、わかってる、のっかるしかない。
一週間だし、それが過ぎたら生活はもとどおり。自分の家から学校へ通って、WJとも好きなだけ会話できるし、なによりデート、なんてこともできるはず! それに、その間にデイビッドの機嫌がなおって、まだパンサーでいてもいいってことになれば、WJもパンサーでいられる。明日からはみっちり学校で、この間にデイビッドが、わたし以外の女の子を好きになれば、まるくおさまるんじゃない? ……って、まあ、そんなにうまくいかないような気もするけれど、いつでも希望を持つことは大切だ。
わたしはWJに、パンサーでいてもらいたい。シティのためとか、ギャングがいるからというだけではなくて、WJがパンサーでいたいと思っていることを、知っているからだ。
「わ、わかりました、カルロスさん。でも、わたしはデイビッドと、もう二人きりになりたくないなあって、思っているんですけど」
WJと約束したし!
わたしの訴えに、カルロスさんは笑みを浮かべて、きっぱりと返答した。
「この屋敷にいる間は、避けられないよ、ミス・ジェローム」
ああ、そうですか。であればこの屋敷にいなければいいということだ! わたしはカルロスさんに右手を差し伸べて、いった。
「じ、じゃあ、寝袋ください!」
★ ★ ★
カルロスさんが寝袋を取りに行っている間、わたしはひとり、書斎に残される。のっかってよかったのかどうなのか、だんだん自信がなくなってきたけれど、一週間なんてあっという間のはずだ。WJとおしゃべりできないのは苦しいけれど、そうだ、手紙を書けばいい。それで、こっそり渡すとか? 交流する方法がないわけでもないし、まあなんとかなるだろう。それともこれって、かなり楽観的すぎ? 考えれば考えるほどわからなくなってきた。
ともかく。わたしは今夜、寝袋を抱えてパンサー号へ行くつもりだ。打撲および筋肉痛だというのに、ベッドで眠れない自分が情けない感じだけれど、切羽つまった状況だし、WJとの約束はなにがなんでも守りたい。一週間耐え抜けば、それこそ本当のハッピーが待っているはずだもの!
自分にいいきかせ、鼻息をあらくしていたら、ドアが開く。カルロスさんかと思えば、着替えて眼鏡をかけたWJだった。いまのうちにたっぷり会話をしておこう。
「着替えたの?」
「カルロスの部屋でね」
「スーザンさんも、だね」
WJがくすっと笑う。書斎のドアを閉めて、
「なにをいわれたの?」
「うーん、まあ。あなたにもカルロスさんが話すっていっていたよ。だけど、わたしとあなたが付き合うのはいいって。それから、わたしは今夜から、パンサー号で眠ることにするよ」
「平気? あちこち湿布だらけなのに」
WJが心配そうに近づいて来る。わたしの隣に座って、にっこりと微笑んだ。
「いいね。きみがはっきり見えるよ」
「そばかすまで数えられる感じかな?」
冗談っぽくいったのに、WJが真顔になった。
「そんなの全然目立たないよ」
顔が近づく。わたしのまつげに、WJの眼鏡があたりそうなほど近づく。わたしは息をつめて、ぎゅうっとまぶたを閉じながら、そうか、この人はわたしの恋人なんだと思って、ぼうっと頬が熱くなるのを感じた。
すっごい、ありえない! わたしに彼氏ができちゃったんだ!
わたしの頬に、WJの指先が触れた……ところで残念なことに、ドアがノックされてしまった。WJに、シャイな子どもみたいになっちゃうことで、やきもきする自分について訴えたかったし、もちろん、いまの続きの先にある、正真正銘のキスも中断されてしまったので、ふうと息を吐きまぶたを開ける。緑色の寝袋を抱えたカルロスさんが、
「すまない、ミス・ジェローム。マルタンのでいいかい?」
まさか自分に、芋虫になる番がやってくるとは思わなかった。
★ ★ ★
書斎にカルロスさんとWJを残して、周囲をうかがいながらそうっと廊下へ出る。リビングから話し声がもれているけれど、吹き抜けの二階から階下を見下ろせば、どこにもデイビッドの姿が見えない。いましかないと芋虫寝袋を抱えなおし、いっきに螺旋階段を降りる。やっぱりエントランスにデイビッドはいないようだ。扉を開けて、外へ出る。そしていっきに、パンサー号へ向かって走った。とはいえあちこちがまだ痛くて、走っているつもりなのは自分だけだろう。他人が見れば、よぼよぼと歩くおばあさんにしか見えないかも……って、なんだかまるきり、やってることが変わってない気がするのは、わたしの気のせい?
森の向こうに見える、小さな灯りをたよりにして、丘を駆けながら、書斎にいるカルロスさんとWJの場面を想像し、ため息をつく。本当はこういうことではなくて、もっと違う形で、デイビッドといい関係になれたらいいのに。だって、こうしてデイビッドのいうことをきいてしまえば、デイビッドはまた、なんでも思いどおりになるのだと考えてしまうだろうから。
「……オーケイ、わたし。明日学校で、ほかにいい方法がないか、もう一度アーサーに頼んでみよう」
というよりも、キャシーから伝えてもらったほうが、アーサーははりきってくれるかも。うーん、わたしったら、だんだん悪知恵が働くようになってきちゃってる。
パンサー号までたどり着き、息を整えていると、例のごとく折りたたみチェアに座ったミスター・スネイクが、今夜は丸焼きのチキンにかぶりついていた。
「よお、ちっちゃいの。昨日は最悪だったな」
その瞬間、わたしのお腹がぐうと鳴る。考えてみたら長時間、まともに食べていないのだ。屋根つきテントの下で寝転がっていた弟のミスター・モヒカン(名前を知らないから勝手に命名)が起き上がって、
「焼いたハムとチーズがあるよ。パンに挟んであげようか」
見た目は怖いのに、とっても優しい。
「うわあ、食べたいです! わたし、今日、ここで眠ってもいい?」
「ああ、いいぜ。天気は最高、気温も最高、好きにしろ」
テントの下に入り、寝袋を広げてから、サンドイッチを手際よく作るミスター・モヒカンに見入る。渡されたそれをつかみ、大口を開けてかぶりついたところで、ミスター・スネイクの視線が、なぜかわたしの背後にそそがれた。サンドイッチで頬をふくらませたまま、その視線をたどって、肩越しに振り返れば。
デイビッドが立っていた。