SEASON2 ACT.23
眼下に流れるルーナ河が、漆黒の海に流れていく。夜空にそびえる光の群れが、セント・ジョン・ブリッジの向こうに見える。
「怖くない?」
吊り橋の、平らな塔の上に降り立ったパンサーが、わたしにいった。ブリッジのライトが下から放たれているので、暗闇というわけではない。でも、柵もなにもない石造りの塔の上は、あまり広くはないし、足を踏みはずせば最後、下へ真っ逆さまだ。高所恐怖症ではないけれど、怖くないといえば嘘になる。だけどそんな怖さも吹き飛ぶほど、目の前に広がる光景は最高に素敵だ。無数の巨大なクリスマスツリーみたいな、中心街の摩天楼。それに、雲に隠れていた満月が姿をあらわして、水平線の輪郭を照らしている。橋を渡る車はおもちゃみたいに見えるし、なによりそばにはパンサーが、WJがいる。
「こんなところ、あなた以外の人は来られないよね?」
パンサーは海側に顔を向け、塔の端まで歩く。そこで腰を下ろすと、両足を宙へ投げ、マスクを取って髪をかき上げた。
「そうだね。整備の人以外だと、ぼくだけかな」
「整備?」
「強度を調べたり調節するために、年に数回だけ整備の人が、命綱をつけてここから向こうまで、渡って行くんだ。だから彼ら以外だと、たぶんぼくだけ」
おずおずと、WJのそばへ近寄る。とはいえ、さすがに宙に足を投げ出す勇気はない。WJの背中が見える位置で腰を下ろせば、WJが振り返って、
「おいでよ」
右手のグローブを取ったWJが、それをわたしに差し伸べていう。
「う、うーん、なんか落ちそうな気がするから」
苦笑気味に答えると、
「ぼくがいるのに?」
にやっと笑う。そのとおりだ。というわけで、WJの右手を軽く握り、のろのろと隣に座る。軽い刺激が伝わってきたけれど、身体中に浸透するほどではない。ちなみにわたしの足下は、コンバースがジョセフによって焼かれたため、いつの間にか部屋に用意されてあった、黒い革製のハウスシューズだ。明日は学校へ行かなければいけないのに、わたしとアーサーはハウスシューズで登校するはめになるのだろうか……なんて、こんなことはいま、どうでもいい。握った手を離そうとすると、きゅうっと強く握られたので、おどろいてWJを見る。WJはわたしに横顔を向けて、じいっと海を眺めていた。
前髪が風になびいている。鼻筋の美しい輪郭。大きくて鋭い眼差しには、さぞかしぼけまくりの景色が映っていることだろう。そんな横顔を見つめていると、わたしは胸がドキドキしてきて、つまったみたいになって、やっぱりなんにもしゃべれなくなる。
WJはわたしとデイビッドが、恋人同士だと思っている。まずはその誤解をとくべきだ。でも、誤解をといたら、どうして恋人同士みたいに振る舞っていたのかと訊かれるだろう。一昨日だって、WJはわたしに、デイビッドと付き合っていてくれて、よかったといった意味のことをわたしにいっていたのだ。でなければ自分がどうなるかおそろしい。そんなふうにいっていた気がする。にもかかわらず、昨日、WJはわたしに、気持ちを伝えてくれたわけで、それはWJにとって、とても勇気のいる、大変なことだったはず。
まあたしかに。昨日はアーサーですら、冷静でいられないみたいな状況だったのだから、WJの口からどんな言葉が飛び出しても、おかしくないといえなくもないけれど。
それでも、伝えてくれたことに変わりはないのだ。
「……デイビッドとはべつに、付き合っているわけじゃないよ」
覚悟を決めて、ぶちまけよう。
「え?」
WJがゆっくりと手を離し、わたしを見た。
「あなたが、わたしのことを、そのお。なんていうか。つまり、す、す」
照れすぎてどもりまくるわたしに、助け舟を出すかのように、うん、とWJが顔を近づける。
「……というわけで、そうなったら、きっとおっかないことになるって、デイビッドがいったの。わたしもそうかもって思っていたから、付き合ってるわけじゃないけど、そういうふうになれば、あなたとわたしの距離が離れるというか、その、つまり、なんていうか」
わかるよ、とWJの顔がさらに近づいたので、ちょっとのけぞる。
「それに、なんというかなんでか、デイビッドがわたしなんかのことを好き、みたいになって。だけどでも、わたしはあなたのことが、やっぱりす……」
すごい間近で、WJがわたしの顔を、食い入るように見つめているのは、視力のせい?
「と、ともかく。だからわたしは断ったんだけど、デイビッドは聞きたくないってなって」
まったく、言葉に不自由すぎる。
「でも、あなたは電球を弾いたりして、これはまずいってことになって。だけどわたしはこのことをあなたにいって、あなたが傷ついたらいやだなって思って。でも、結局傷つけるようなことをいってしまったし、それに変な態度もとってしまったし、それから」
どうしよう、しゃべりながらなぜか泣きたくなってきた。もっと早くぶちまければよかったのにとか、まだいうべきじゃない気がするとか、そういったいろんな気持ちが、しゃべればしゃべるほど脳裏を過っていって、わたしのささやかな脳みその機能が、混乱しはじめているらしい。とはいっても、すでにわたしの口はだだもれ状態だ。いままで我慢してきたせいか、せきをきったように言葉も気持ちもあふれてしまう。
「……それでその、だけどわたしは、つまり」
WJがわたしの頭に手をそえた。くしゃりと髪をつかむと、そのまま自分の肩に押しつける。
「わかったよ、ニコル。ありがとう、いいんだ。きみの気持ちがわかって、すごく嬉しいよ」
やっぱり刺激が伝わってくるけれど、そのことが気にならないほど、わたしの思考回路がショートしそうになってきた。飛ぶ時と似たような体勢だとはいえ、命がかかっている状況で近づくのと、純粋に近づくのとでは、意味がまるきり違うから!
「きみが悩んでたのは、ぼくのことだったんだね」
「……うう。うん」
「気づけなくて、ごめん」
わたしの背中に、腕がまわされた。ぎゅうっと、抱えられるみたいに抱きしめられたので、わたしの頬に、WJの冷たい頬がくっつく。いまや刺激は、かなりすごいことになっているけれど、それ以上にわたしの心臓の鼓動が、ありないほど波打ちはじめている。わたしもWJの背中に腕を伸ばす。するとWJの重心が、わたしのほうへ寄りかかりすぎたので、ただでさえ筋肉痛と打撲だらけのわたしに支えきれるはずもなく、お互いのバランスが崩れて……って、塔から落ちそう!
「う! お、落ち……!」
「おっと、まずい」
片手でわたしを抱いたまま、グローブをはめている手を石面に押しつけて、WJがくすくすと笑いだす。わたしもWJにしがみついたまま、つられて笑ってしまった。
「と、飛べるのに?」
「そうだけど。気持ちがゆるんでいたから、いまのはさすがに焦ったよ。なんだかかっこうつかないね」
WJが腕をゆるめたので、わたしも身体を離す。並んで座ったまま、海からただよってくる潮の香りや、夜風の感触にひたる。ドキドキしすぎて倒れそうなので、冷静になるためにまぶたを閉じ、大きく息を吸い込んでいたら、
「……デイビッドのいっていることは、正しいよ」
まぶたを開けて、WJに顔を向ける。目を伏せて、また海を眺めていた。
「彼のほうが、ぼくよりも早く気づいていたんだね。きみと一緒に暮らしはじめて、力をおさえこむのが難しくなって、どうしてだろうとずっと考えていたんだけど。はじめは友達だから、きみのことを心配していて、そのせいかなと思っていたんだ。でも」
そこでなぜか、口角だけ上げて、自嘲気味に笑う。わたしをちらりと横目でとらえてから、ふたたび海を見下ろして、
「ぼくはとんでもなく、やきもちやきみたいだ。いったけど、きみがほかの男の子と仲良くしてるのが気に入らなくてたまらない。だから、もういっちゃうけど、きみが眠ってる時、ちょっとキスしたことがあるよ、まぶたに」
……まさにあれだ。まぶたにあたった感触に悩んだ、間抜けな自分の行為が思い出されて照れくさくなり、WJの横顔から、なんとなく視線をそらしてしまった。
「う、ううう、うーん」
「え? なに?」
「う、うん。それって、間違ってあたったのかなって、思ってたんだけど」
起きていたのかとWJがいうので、小さくうなずく。
「なんだ、ほんとに? まいったな」
口に右手をあてて、恥ずかしそうにする。もしかしてもしかすると、いまこの瞬間、もっと周囲が明るければ、奇跡的なWJがおがめたかも! それはわたしに対して赤面するWJだ!
「……あなたは気づいてないかもしれないけど、わたしとしゃべる時、全然顔が赤くならないの。それに、緊張してしゃべらなくてもいいって、いっていたし」
「え?」
「だけどキャシーや、あの、パーティで仲良くしてた、とっても素敵な女の子で、ええっとう、大学生でフォトグラファーの……」
名前が出てこない。
「ニナ?」
それだ。
「としゃべってる時、あなたったらすっごく恥ずかしそうにしていたから、わたしのことなんて、なんとも思ってないんだろうなって思ってたのに」
口もとからゆっくりと手を離し、WJがわたしを見つめる。すると突然、片目を細めて、にやっとした。どうしよう、信じられないくらいハンサムだ。
「それはやきもち?」
ううう、そのとおり。気恥ずかしくなって、またうつむく。
「……わたしは男の子に優しくされたことがないから、あなたのこといいなって思っていたよ。みんなは冴えないっていうけど、そんなの関係ないでしょ? だけど、キャシーのことが好きなんだと思ってたから、しょうがないかなって。それで、パンサーだってわかって、びっくりしたし、助けてもらった時も、やっぱり素敵だなと思ったけど。まるきりわたしの片思いだと思っていたのに」
「……のに?」
ちらりとWJに視線を向ければ、その先が聞きたくてたまらないみたいなようすで、微笑んだままわたしを見つめていた。あれ? なんだかわたしが、先に告白しちゃったって感じになってない?
「……う。あ、あなたって、ときどきすんごく思わせぶりなこというの、気づいてる? わたしがちっちゃなキーホルダーだったらいいのにとか、髪型似合ってるねとか、マーケットでジョセフに会った時も、手をつないでとかいうし。そのたびにわたしはパニくって、落ち込んで、大変だったんだから」
いっきにまくしたてたら、WJがうっすらと唇を開けたまま、ぽかんとした。
「な、なに?」
「きみは、そんな前から、ぼくのことを想ってくれてたの?」
ほうら、やっぱり! なんとなくわたしが告白したみたいになってる! いや、まあ、いいけれど。
「……そうなんだ」
WJはまた海を見て、くすりと微笑む。
「ふうん」
とっても満足そうなのはいいけれど、わたしの問いに答えていない。異議を申し立てたら、なにが? とWJに訊かれる。だからわたしは、どうしてほかの女の子には照れくさそうにするのに、わたしには思わせぶりなことをいったりするのかと訊いてみる。だって、それって、意識していないからこそ、いえることだと思うから。
WJはくすくす笑って、
「内緒だよ」
えええ、それってアリなの? あっけにとられているわたしに視線をうつして、またくすくす笑うのだ。
「ど、どうして笑うの?」
笑ったまま、WJは水平線の上に浮かぶ満月を見上げた。
「ぼくがほんとうのパンサーだって、知ってほしいと思ったのはきみだけだよ。まあ、結局キャシーにもバレちゃったけど。シティ中のギャングを相手にするはめになっているし、いまみたいに暮らしているから、もう仕方ないけど」
「それって、てっきり、キャシーのことが好きだから、知られたらキャシーはおどろくけど、あなたを見る目も変わって、両思いになるかもしれなくて、でも、パンサーだから好きになってほしいわけじゃないっていう、あなたの複雑な気持ちのあらわれかと思ってたんだけど」
WJが笑みを止めた。しばらく沈黙するといきなり吹き出して、夜空にこだまするほどの声で笑いはじめる。
「考えすぎだよ、ニコル。きみがいまいったこと、複雑すぎて、ぼくには全然理解できない。なんだいそれ、どうしてそうなるの?」
どうしてって、どうもこうもない。
「わたしはそう思っちゃったんだもの」
あんまり笑われるので、ちょっとむくれると、隣に座っているわたしの右肩に、WJが手をおく。それから撫でるように指を髪にからめて、自分のほうへ引き寄せ、わたしの頭に顔を近づける。
「……女の子と接することに慣れていないから、そうなっていたのかもしれないけど。でも好きってのとは違うよ。全然違うんだ」
前髪のあたりにやわらかい唇の感触を感じて、キスされていると察知しててんぱる。
う!
そんなわたしにはおかまいなしで、わたしの頭を腕で包み込んだWJは、ため息をついた。
「うーん。このままここにいたいけど、そうもいかないよね」
忘れかけていたけれど、ストレスの豪邸へ戻らなければならないのだった。それにそもそも。
「WJ、発信器つけてる?」
「つけてるよ」
ミスター・スネイクには居場所がバレバレ。そういえば昨日、WJがデイビッドに化けて収録していた時、デイビッドはライトバンにいたといっていたはず。ということはどうやら、とうとうミスター・スネイクの謎もとかれてしまったらしい。いや、こんなこともいまはどうでもいい……って、よくもないけど。
「きみとデイビッドが、一緒にソファで眠っているのを見た時、なんだよ、って感じだったな。嘘だろ、って」
ZENではちゃめちゃなことをして、そのあとデイビッドに連れられて行った、二件目の隠れ家でのことだ。そして、わたしとデイビッドがどんなふうでも関係ないといったWJの言葉を耳にし、わたしはゾンビに変貌したのだ。
「……あなたは、関係ないって」
「え?」
「デイビッドにいってるの、聞こえていたのに……というか、ごめんなさい、起きてました」
はあ、とものすごいため息をつかれてしまった。
「今度からきみが眠っていても、信じないことにするよ」
「ほんとうに眠ってる時もあるのに。なんとなく、たまたまそうだっただけ」
そういうしかなかったのだとWJはいう。まだ自分の気持ちがよくわからなかったし、なにしろはじめての感情なので、怖くて仕方がないともわたしにいった。昨日のことも、デイビッドを突き飛ばしたことも、冷静でいられなくなると、なにをしでかしてしまうのか、自分で予想をつけられなくなるのだと話す。
「きみとデイビッドが、いい感じならって思ってたけど。いまも自分がどうなるかわからないし、こんなことははじめてで、とまどってるのもほんとうなんだ。でもそれ以上に、もう我慢の限界だったから。だけど、きみのいうとおりなら、ぼくはデイビッドを絶対許せないよ。だって、そうだとすれば、彼はきみに無理矢理……」
「う」
二人で一緒のパンサーなのに、微妙な関係のバランスが、わたしごときのせいで崩れるのは避けてほしい。ミスター・マエストロは不気味に影をひそめているし、ヴィンセント・ファミリーだってまったくあらわれない。いまここで、デイビッドがわたしのことでむくれて、パンサーを辞めてしまったら、WJもパンサーでいられなくなるのだ。
「デイビッドのことは、わたしがな、なんとか、なんとかするから、あなたはなんにもしないで?」
少なくとも、わたしのことがなかった時には、二人はもっと仲良しだったはずだ。それが今では、満足に会話もしていない。あああ……というかデイビッド、もう、自分でもしつこいと思うけど、どうしてわたしなの!
「きみが?」
これ以上ややこしくさせるわけにはいかないし、二人の関係が悪化することだけは、なんとしても止めなければ。
「きっとキャシーも協力してくれるし、それにアーサー! アーサーもいいアイデアを思いつくかも!」
なんの根拠もない、かなり希望的観測だけれど。
「いや、ぼくが話してみるよ」
「う、うーん、それはちょっとだけ待って。あなたがしゃべったら、きっともっとむくれて、手に負えなくなるような気がするから」
まあ、すでに手に負えないわけだけれども。WJを上目遣いに見ると、ものすごく不機嫌そうに眉根を寄せていた。許さないとデイビッドにいわれたおそろしい記憶を、なんとか払いのけ、わたしはWJをまっすぐに見つめる。
「だ、大丈夫! なんとかする」
そもそも、はじめはきっぱり断ったのだ。でも、WJのことを持ち出されて、デイビッドのいいところを見てみようとたしかに決心した。自分の誕生日に、答えを出そうと思ったけれど、わたしはやっぱりWJが好きだし、デイビッドとは付き合えない。うすうすデイビッドもそのことをわかっていて、キレはじめ、わたしのいうことなんて、聞いちゃいられないみたいになってしまったのだ。
嫌いではないけれど、いまやわたしを魔界へ引きずる、悪魔さながらになってしまっていて、おっかないことこのうえない。だけどときどき、カルロスさんにいわれたとおり、寂しそうに見えるのも事実だ。避けたり無視したりすれば、解決するというものでもないし、なによりそんなこと、わたしはしたくない。八方美人的行為かもしれないけれど、ただ仲良く、いい関係になりたいだけなのに。
それは叶わないのだろうか。
「きっと、寂しいだけだと思うよ。みんなともっと仲良くなれば、気持ちも変わるんじゃないかな……って、わたしは思うし、思いたいけど」
「デイビッド?」
わたしはうつむいて、うなずく。
「うん」
WJが口をつぐんだので、おずおずと見上げれば、片眉を上げてわたしをにらんでいた。
「う。なに?」
「……きみのその、他人を思いやる優しいところも、いいなと思う部分だけど。そのせいでぼくがむくれるってことも、考えてもらえない? それでなくても、シティ中の電気を消すぐらい、いまぼくはかなりムカムカしているんだから。まあ、これはおおげさな表現だけど。デイビッドと抱き合ってるところも見たし、キスしているところも見ちゃってるんだからね。きみのせいだと思ってないけど、きみはすきだらけなんだよ。ぼくはいったはずだけど?」
……まったくだ、いわれたことはちゃんと覚えているけれど、どこをどうなおしたら、超然とした鉄の女みたいになれるのか、まるきりわからない。それに、WJが本音をあかしてくれるのは、とっても嬉しいけれど、すでにわたしの経験値のキャパシティーを超えていて、めまいにおそわれてきた。ここはアーサーに、すべてを託すしかない。というか、もうそれしか考えられない。
「と、ともかく。わたしはデイビッドと、もう絶対に二人きりにならないし、アーサーとキャシーと作戦を練るから、あなたはデイビッドとややこしくならないでね」
「すでにとってもややこしいよ」
……あああ、たしかに。WJの手のひらで頭を包まれたまま、わたしはうなだれる。
「ほらね」
くしゃりとわたしの頭を撫でてから、身体を離し、WJが立ち上がった。
「きみのいいところを見つける男の子が、いつかあらわれると思ってたんだ。ぼくの予想ではもっと先のことだったけど。しかもそれが、デイビッドだなんて」
髪をかき上げてから、グローブを右手にはめる。マスクをつけて、右手をわたしに差し伸べた。
「きみを信じるけど、きみの気持ちを知っちゃったんだから、ぼくはもう我慢しないし、面白くない気持ちでいるってこと、忘れないでよ? それにたぶん」
わたしも腰を上げて、WJの手を握る。するとぐっと、引き寄せられて、抱きしめられた。
「デイビッド以上にやきもちやきだからね」
大変だ、これは一刻も早く、なんとかしなければいけない。
「……なんだか、戻るのがおっかなくなってきた」
さらに、いろんな意味で。
「ぼくもだよ」
といっても、逃げまわれるわけでもない。さしあたっての問題は、今夜のわたしの寝床場所だ。希望は女性チームのベッドルームかリビング、だけど今夜こそパンサー号かも……って、もう、もう! 自分の家にはいつ帰れるんだろ!
「もう! シティからギャングなんかいなくなればいいのに!」
ふっと腕をゆるめて、パンサーがわたしを見下ろす。首を傾げると、
「……なにがどうなって、そのセリフが出たの?」
自分の寝床の心配をしていてこうなりました、と答える前に、ふたたびわたしを抱えたパンサーが、飛んだ。