SEASON2 ACT.22
ギャングから身を隠すために、一緒に暮らしているのだから、いつかはこうなるはずだったのだ。わたしがしゃべらずとも、キャシーの目の前にはいま、デイビッドがいて、パンサーがいる。
「……あなたは、デイビッド」
デイビッドを指して、キャシーがいう。
「で、あっちは……」
窓を指し、数秒沈黙してから、
「うっそ」
これで嘘をつかずにすむし、あれもこれもキャシーにしゃべれる! 安堵しすぎてめまいを覚えたのもつかの間、キャシーはわたしに近づいて来て、
「……ニコル、あなた知ってた?」
はい、ずいぶん前から。
「う、うう。キャシーごめんね。ずうっとしゃべりたかったんだけど、カルロスさんがしゃべったらだめみたいな感じで、無言の圧力をかけてきてたから」
「あのにやけ男ね?」
すごいキャッチフレーズだ。
「じゃああれは」
キャシーが窓をふたたび指した。「誰?」
パンサーが窓からいなくなる。開け放たれたドア越しに、廊下のほのかな灯りがもれる暗さの中で、アーサーとデイビッドが視線を交わした。
「ドアを閉めないからだ、警官気取り」とデイビッド。
「最後に入って来たのはおまえだぞ。閉めなかったのは誰のせいだ? おれではないはずだが」とアーサー。
デイビッドとアーサーが、にらみ合っているのもおかまいなしで、あなたも知っていたのかと、キャシーがアーサーに訊ねる。偶然に知るはめになったことをアーサーが伝えれば、キャシーはわたしに訊いた。
「じゃあWJも知ってる? 一昨日も今日も、ディナーの時間に眠ってるとか、あのにやけ男がいってい……」
女の子の勘はするどい。両手で自分の頬を包むと、キャシーが興奮気味に叫んだ。
「……どうしよう、嘘でしょう? ありえないわ、でもそうなのね! うっそ!」
興奮しているキャシーを、ぼんやりと見つめている場合ではない。デイビッドとアーサーがにらみ合っているこのすきに、いまこそこの魔界ゾーンから脱出すべきだ。まともに動いてくれない打撲と筋肉痛だらけの腕を伸ばし、わたしはキャシーの右手を握り、急いで部屋を出る。背中越しに「待て!」と叫ぶデイビッドの声が聞こえたけれど、もちろん無視でドアを閉め、忘れずに外から鍵をかけた。
これで外へは出られない! ……って、アーサーには申し訳ないけれど。
キャシーの手を引っ張って、女性チームにあてがわれた部屋へ入れば、眠るにはまだ早い時間のため、アリスさんもスーザンさんも階下にいるのか不在だった。……まあ、スーザンさんはここであってここではない部屋を、使っているんだろうけれど。
さらにこの部屋にも鍵をかけてライトを灯し、わたしはいっきに、ツインベッドの片方、ドア側のそこへうつぶせに倒れ込む。
……ああああ。やっと自由に……なれてないけど、なれた気がする。
「なんだかわけがわからないし、よくわからないことだらけだし、デイビッドとパンサーとWJのことを知りたいけど、その前にあなた、大丈夫?」
わたしのそばへ来たキャシーが、ベッドへ座ってわたしの背中を撫でてくれる。わたしったら、キャシーにお礼をいっていなかったじゃない! うつぶせのまま顔だけキャシーに向けて、
「キャシー、昨日はわたしのそばにいてくれたんだね。ありがとう」
「え?」
わたしはちょっとだけにやりとする。
「実はさっき、起きてたの。アーサーとあなたが部屋に来てくれて、しゃべってるのも聞いちゃってた」
「いやだ、なにそれ!」
キャシーもベッドに寝転ぶ。どんなに見つめていても、絶対に飽きないきれいな顔をわたしに近づけて、大きな瞳をちょっと細めた。
「……あなたったらわたしになんにもいってくれないんだもの。朝起きてみたらアーサーといなくなってて、帰りを待っても全然戻って来ないし。そのうちにみんなが騒ぎはじめて、わたしはわけもわからずにオロオロ。よくわからないけれど、あなたもアーサーもギャングに追われてるとかいうし、なにが起きたのか誰も教えてくれなくて、ウイークエンド・ショーなんて見てられなかったわ。だって、ただごとじゃないのははっきりしていたから、心配しすぎて倒れそうだったんだもの。結局わたしはスーザンさんとお留守番。それで夜更けに、なんだか生真面目そうな顔の、ドクターみたいな男と一緒に、ぐったりして戻ってきて」
もう! とわたしの背中を軽く叩く。
「死体かと思ったわ!」
「心配してくれて、ありがとう」
「生きていてくれたから、いいけど! これでおあいこよね、わたしたち!」
それで、二人でクスクス笑いはじめる。
「それよりもさっき、まずい場面に出くわしちゃったわ、わたしったら!」
……あああ。全然いいんです。
「わたし、デイビッドと付き合ってるわけじゃないの」
え、とキャシーが凍った。それはそうだろう、付き合ってもいないのに、じゃあアレはなんだったんだということになるはずだ。それでわたしは、もらったピアスのことは伝えずに、いままでのことをいっきにキャシーにまくしたてた。
もちろん、わたしの気持ちも、一昨日のごたごたのことも、昨日パンサーが助けてくれた時のことも、かいつまんであらいざらい、キャシーに伝える。キャシーは小さな顔から、大きな瞳を落っことしそうなほど見開いて、わたしがすべてをしゃべり終えるころには、口を半開きにしたまま、蝋人形のように固まっていた。
「……じゃあやっぱり、WJがパンサー?」
わたしはうつぶせのままうなずく。とはいえ、顔はベッドにくっついたままなので、うなずいているように見えるのかは、微妙だ。
「じゃあ、わたしを助けてくれたのもWJなのね? ……ああ。ああ、それならすごくわかるわ。デイビッドのくせに、妙だなって思ってたから。あなたに話したわよね?」
パンサーがキャシーを助けようとした時、照れたみたいに躊躇したということを、入院先の病室で、教えられたことを思い出す。
「んもう、だったらわたし、あなたとデイビッドとのこと、すっかり誤解しちゃってたってことだわ。たしかにあなたが妙だなって、思ってはいたけど、てっきり喧嘩でもしてると思ってたんだもの。だから、早く仲直りすればいいのにって」
それはキャシーのせいではないし、そう考えるのも無理はない。
「あなたは、WJのことが好きなのね?」
そのとおり。わたしがうなずくと、キャシーが続けた。
「それをデイビッドが邪魔してるってこと?」
「……邪魔、ともいえない感じだから困ってるの。だって、わたしがWJといい感じになっちゃったら、WJはわたしのために、なにをするかわからない、みたいだから」
うーん、とキャシーが困ったような声をもらす。
「あなたのよさを知ってくれたデイビッドには、友達として感謝したいけど、彼のしつこさはわたしも知ってるから、なんともいえないのよね……」
デイビッド・ストレスの経験者同士、同時にため息をついてから、そんな場合でもないのに、なんとなく笑ってしまった。
「デイビッドって、妙よね。すっごくゴージャスだし、オシャレだし、憧れてる女の子なんて、山ほどいるのに、どうしてわたしやあなたを気に入っちゃうのかしら?」
「そうだよね。ほかにもっと、うまくいく相手がいるのに。だけどそういっても聞いてくれないんだもの」
「でも、あなたのことはよっぽどなのかも。さすがにわたしに対して、あなたみたいな迫り方しなかったもの。それにいま考えてみると、わたしにはけっこうカッコつけて接していたってことよね。きっと、あなたと一緒にいるのが、心地いいんじゃない? カッコつけなくてもいいから。とはいえ、だとすれば、さっきのはさすがにナシだわ! 知ってたら、スープ投げつけてやったのに!」
「……魔界に引きずられるかと思ったよ」
でしょうね、とキャシー。そこでふいに無言になったので、キャシーを見れば、寝転んだままわたしを向いて、満面の笑みを浮かべている。ふふふと声をもらすと同時に、なぜかいきなり興奮気味に、あお向けになってキャーッと叫び、口に両手をあてて、
「あなたったら! あなたったら! WJのこと好きだなんて! しかもWJもだなんて! わたし、完璧にあなたのこと応援するわ、デイビッドのことはまかせて。なにか考えるから! ……って、まったくなんのアイデアも浮かばないけど! それで? あなたはWJのことどうしたいわけ?」
いきなりキャシーに訊かれたので、うつぶせを解除し、ベッドの上でキャシーと向き合う。
わたしはどうしたいのだろう。いや、わかっている。答えるまでもない。ただし、ひっかかっていることが山のようにあって、突っ走れないのもたしかなのだ。わたしはげんなりした顔をして、キャシーにいった。
「……ハイスクールで、こんなことになるなんて思ったことなかったのに」
「こんなことって?」
「だって。男の子たちったら、わたしのことなんて見えてないみたいな感じだったから。あれって、ちょっとさびしいけど、でも慣れるとすっごく心地いいのに。わたしがなにをしても誰も気にしないし、いちいち男の子の視線とか、気にしなくてもいいし」
「ああ、ジェニファーみたいに?」
キャシーが苦笑しながらいった。わたしは少しだけ吹き出す。
「でも、ちゃんとしゃべったらちょっと面白いよ。ジェニファー」
キャシーが起き上がった。ベッドの上にあぐらをかくと、依然寝転んでいるわたしに向かって微笑む。
「わたしはあなたと、こういう話ししてみたかったわ。まあわたしも、ロルダー騎士以外考えられなかったから、たしかにびっくりな展開だけど」
そういえばキャシーは、リックのことをどうするのだろう。アーサーの嘘を真に受けて、あきらめるつもりなのだろうか。
「キャシー、リックは?」
キャシーががっくりと肩を落とす。
「……もう、ここへ来てからのわたしったら、夢が破れてばかり。キャロル・スイートはむっさい中年男だし、リックはすっごく大人の女性しか好きにならないってアーサーにいわれたし。ロルダー騎士役の俳優はイケてないし」
ああ、まだ気に入らないんだ。
「いつまでも夢見てられないのかも。だからわたし、アーサーとプロムへ行ってみることにしたの」
びっくりだ。なぜだろう、なんとなくアーサーの首を絞めたいような衝動におそわれてきた。だって、すんなりなんでもうまくいってるっぽい感じが、無性に気に入らないから!
「ほ、ほんと?」
キャシーがにやりとした。
「だって、アーサーがプロムで、ロルダー騎士の恰好してもいいって、わたしにいってくれたんだもの!」
アーサーすっごい。それはキャシーもプロムへ行く気になるはずだ。その姿はぜひともおがみたいし、笑いたいし、キャシーも楽しみにしているみたいだから、やっぱり嘘のことは黙っていよう。
問題は自分のことだ。
「でも意外、どうしてWJのこと、好きになったの? いつからなわけ?」
わたしのことを気にしてくれる、はじめての男の子だったからだ。見た目は冴えないけれど、わたしにとってはあまり関係なかった。だいたいわたしだって、冴えないんだから。それがまあ、ほんとうはあんなに素敵で、しかもパンサー。まさか自分が、スーパーヒーローを好きになるだなんて、思いもしない人生だったのになあ。
でも、後悔はやっぱりしたくないし、もうWJを傷つけたくないと思う。アランの時みたいに、あの時こうしてればって考えるほど、不毛なことはないから。それに昨日だって、ドン・グイードに殺されそうになった時、伝えればよかったって、すでに後悔していたのだ。
「考えすぎちゃうのって、あなたの悪い癖じゃない? WJがどんなふうになるかなんて、わたしにはわからないけど、あとのことはその時の自分にまかせたらいいのよ……って、ロルダー騎士は盾持ちのバドラーにいってたわよ。ほら、ドラゴンの棲んでる山脈を旅する前に、バドラーが心配して、ロルダー騎士を止めようとする場面。あそこの彼のセリフ最高。「未来の自分にまかせるんだ、バドラー」。落ち込むとわたし、いつもあそこの場面を思い出すの! ……って、ああ」
なぜかそこで、キャシーがうなだれる。
「……アーサーのいうとおりよね。作品が素晴らしければ、キャロル・スイートがむっさい中年男でも関係ないのかも。むしろきっと、彼らが経験してきたことが、作品に反映されているんだわ、そう考えたら、もっとファンになれそうな気がしてきたかも」
なるほど。デイビッドのこともあとのことも、その時の自分に任せてしまえばいい、ということだ。わたしもきちんと、闇の騎士シリーズを読み返すことにしよう。とはいえいま、わたしがすべきなのは、もじもじしながらカバーを引っ張ったり、どもったりすることじゃない。きちんと自分の気持ちを伝えることなのだ。
オーケイ、わたし。WJの気持ちに、いますぐ答えなくちゃ!
「わかった、キャシー、ありがとう!」
わたしは起き上がる。ロルダー騎士になるのね、とキャシーにいわれて、微妙に思いきりうなずけはしなかったけれど、微笑むことはできた。そこで廊下から騒がしい物音がしはじめる。くい、と片眉を上げたキャシーは、ベッドから飛び降り、ドアに耳をつけ、
「あら、どうしてかしら。アーサーとデイビッドの声がする」
すっかり忘れていたけれど、無線機だ!
「こっちに歩いて来てるわ!」
デイビッドが持っていないとしても、アーサーはキャシーから借りたそれを持っている。デイビッドが持っていたら、即座に外へ出ていたはずだから、たぶんアーサーが持っていることに、デイビッドが気づいて、誰かに連絡してしまったのだ。
「ニ、ニ、ニコル! わたしったら、まだノーアイデアなの」
「う、え?」
「デイビッドのことなんとかするっていうアレ。だから逃げて!」
逃げるって! 部屋の中でおろおろしていると、ドアがノックされてしまった。
「パ、パ、パンサーはどこ?」とキャシー。
そうだった。というわけで、わたしはライトを消し、カーテンを開けて窓を押し上げる。上半身を外へ出し、周囲を見まわしても、視界に入るのは遠くの小さなライト、一マイル先のフェスラー家の豪邸のみだ。
雨はすっかり上がって、月が雲に隠れているから、満点の星空が闇にまたたいている。こんな夜空は、ライトだらけの中心街じゃ絶対に見られない。
虫たちの泣き声が、静かな丘陵地帯にこだまする。夜風が頬をなでていって、わたしの背後ではけたたましいノックの音。デイビッドをさえぎっているらしいアーサーの声に、キャシーの「女の子同士の内緒話よ!」という声が混じる。
屋根を見上げてもパンサーはいない。どこかに飛んで行ってしまった? わたしは大きく息を吸い込んで、WJの名前を叫ぶ。返事がないので、やっぱりどこかに行ってしまったみたいだ。またもやベッドを振り返る。うーん、イケてない青春ドラマ的方法しか、わたしの頭には浮かばない。
いまやドアが大変なことになっている。このままだとマルタンさんが妙な道具持参であらわれて、ドアごと取りはずしてしまいそうだ。
窓に背中を向けて、むむむと考えていると、
「ニコル」
聞き覚えのある男の子の声がして、キャシーがこちらを向いた。わたしも肩越しに振り返る。柵の上に、パンサーが立っていた。キャシーがパンサーを指して叫ぶ。
「WJ、ややこしいことはぬきにして、いますぐニコルを拉致って!」
口元をぽかんとさせたパンサーは、
「やっぱりバレたんだね」
バレないほうがおかしい。
「逃げたい?」
パンサーがわたしを見下ろす。暗がりで、サングラス越しの眼差しは見えないし、表情もよくわからない。逃げたいのはやまやまだけれど、どのみちここへ戻って来なければいけないわけで、そのあとでデイビッドをうまくなだめられるのかも自信はない。だけどここは、ロルダー騎士の言葉をうのみにしたい。
未来の自分を信じるんだ、ニコル!
「逃げるというよりも」
パンサーに向かって、両腕を伸ばす。
「よ、よ、夜の散歩に、連れていって!」
パンサーが、くすりと笑った。柵の上にしゃがみ、伸ばしたわたしの両腕の下へ、腕をまわす。
「うん。行こう」
わたしをぎゅうっと抱きしめてくれる。グローブをつけた大きな手のひらが、わたしの髪にそえられる。
「大きく息を吸ってね。耳が少し痛くなるから」
いわれたとおりに息を吸い込む。わたしを抱きしめたままパンサーが、こつんとブーツで柵を蹴った。わたしはまぶたをきつく閉じて、重力に逆らったWJの世界に身をゆだねる。
子どものころのスーパーヒーローは、ミスター・マエストロだった。あんなふうに空を飛ぶのって、どんな気分だろうとアランはいって、いつか自分もヒーローになって、わたしを連れて行ってくれると約束してくれた。
なんてことだろ。いまさら気づくなんて。子どものころの、ただの友達だと思っていたけれど、アランはわたしの初恋の相手だったのだ。
WJにアランの姿を重ねているわけじゃない。まあ、初対面の時はそうだったけれど、いまは違う。でも、今度はしくじらないでと、アランにいわれているような気がする。
まぶたを開ければパンサーの肩越しに、暗闇に輝く無数の星が見えた。キーンと耳が痛くなって、つばをのむ。パンサーの背中にまわした腕の力を強めて、しっかりと指先に力をこめる。
「昨日、ぼくは」
わたしの耳もとで、パンサーがいう。わかっている、ちゃんと覚えている。大丈夫、あれはわたしの妄想じゃないし、もうなにもいわなくてもいいのだ。
おかしなものだ。自分が魅力的な女の子じゃないとか、男の子に相手にされないだとか、ずうっと思ってきたことがすべて、きれいに頭から消えてしまう。ジェニファーみたいに、不特定多数の男の子にちやほやされたいわけではない。自分の好きな相手だけ、気持ちが伝わりあえば、もっと自分を好きになれるし、それになんだか強くなれたようにも思える。それは誰がなんといおうと、最高に素敵なことだ。
世界中にたくさんいる人の中で、WJと出会えてよかった。もしもわたしが話しかけなかったら、いま、こんなことにはなっていなかったはず。
「ふ。ふふふふふ」
パンサーの肩に口をおしつけて、笑い声をもらす。どうしたのとパンサーが訊くから、わたしはいった。
わたしもあなたが、大好きだ、と。