top of page
title_mgoz2009.png

SEASON2 ACT.21

 堂々めぐりとはまさにこのこと。前進もしなければ後退もしない。ただし、複雑な悩みだけはふくれあがっている。

 夜になって雨が上がったので、パンサーとなったWJは、今日もパトロールへ出かけたようだ。みんながダイニングでディナーをとっている時、部屋にがんじがらめのわたしは、いっときもそばを離れてくれないデイビッドに、見られ続けるというストレスに、耐えるはめになる。

 眠くもないのに眠いと嘘をついて、ベッドにもぐりこんだまではよかった。でも、デイビッドはわたしの足先へ頭を寄せて、ベッドの上で寝転がり、じいっとわたしを見張っているのだ。

 まるで罪人と看守のようだ……って、おっと、そうだ。

「昨日のこと、教えてくれない? なにがどうなって、ああなっちゃったの?」

「なにがどうなってって、なにが?」

「ウイークエンド・ショーよ。ドン・キンケイド」

 ああ、とデイビッドがあくびをする。

「もともと弱ってたんだ。見舞いにも一度ジョセフが来ただけで、ほかには誰も来ない。しかも病室の前には誰もいなかったみたいだし」

「ドン、なのに?」

「ほかの兄弟は抗争で忙しいだろ。それで、カルロスがボランティアを送り込んだんだよ、金曜日に」

 デイビッドによれば、いろんな施設や病院で、本を読んでいる学生のグループがあって、その中のひとりをドン・キンケイドのもとへ行かせ、ゲーテの「ファウスト」を読ませたのだそうだ。

「タイトルは知ってるけど、どういう内容?」

「悪魔と契約を交わして、いろんな経験をする男の話しだよ。最後に悪魔に引きずられそうになって、でもめでたく天に召される、そんな内容だね。さすがに長いから、あらすじを伝えて、ラストをいっきに読ませたみたいだけど」

 その物語に自分の人生を重ねたのかどうなのか……はわからないけれど、ドンは涙したらしい。

「……悪さしてきたギャングのドンなのに?」

「しょせんは人間だよ。しかもほかのファミリーのドンよりも、老いているし、身体も自由がきかなくて、病み上がり。精神分析医のアドバイスらしいけどね、物語の選択は」

 カルロスさんが、いろいろなところへ手をまわしたというのは、ほんとうみたいだ。

「その夜看護士に、眠っているドンの枕元で、静かに賛美歌のテープを流してもらって、翌日、だから昨日だけど、昼ごろにボランティアに化けた催眠術師を送り込んだんだよ。それでオーケイだ」

 ……催眠術師まで出ちゃった。

「そ、そ、それって、どういう」

「ファウスト、っていう単語で、善人になるとか、ジョセフにまかせたい気分になる、みたいなことだ。こいつはローズの紹介だ。似たようなことをFBIだってやってる。ファウストを読み聞かせたのは、催眠がかかりやすくするための、暗示の意味もあったわけ」

 ……なぜだろう、納得できなくもない。

「じゃあ、パンサーは、ファウスト、っていうだけで、よかったってこと?」

 そういうこと、とデイビッドがまたあくびをする。このまま眠ってくれたら、わたしは自由になれるはず。少し起き上がって、なるべく優しいみたいな感じの、まったりとした静かな声で、デイビッドに話しかけることにする。

「その時あなたは~、どこにいたの~?」

「……ライトバンだよ。きみと警官気取りの場所を、調べまわってるリックが特定して、連絡してくるのをカルロスと待ってた」

「キャシーは~?」

「スーザンとここで留守番」

 番組が終わりそうな頃になって、リックから連絡が入り、パンサー号ともう一台、マルタンさんとアリスさんの乗った車が南下をはじめる。そこでぞろぞろと、おかしな車に尾けられていることに気づいたらしい。

「……気づいたわけじゃない。予想していたから、カルロスたちが」

 びっくりだ。

「そうなの?」

「そうだよ。どうせくっついてくるだろうと思っていたみたいだから。きみらのことがなければ、逃げきる作戦をたててたけど、互いに争わせれば、こっちは自由になるし、ちょうどいいから引き連れたまま、突っ走ったってわけ」

 猛スピードで南下するパンサー号とマルタン号。邪魔が入りそうになれば、空からパンサーが応戦。というわけで、同時にあのアパートに着く、ことになって、そしてあんなことに。とはいえ。

「……ジョセフはほんとに、キンケイドのボスになっちゃうのかな」

「知らないね。昨日はキンケイドも追いかけてきたけど、シティのほとんどの住人が見ているテレビで、あんなことになったわけだし。兄弟の間がどうなってるのか、おれはまったく興味がないけど、それぞれの下っ端についてるやつらの中には、ドンを絶対視してるやつだっているだろ? そういうやつらがジョセフにつけば、おさまっていく可能性もある。まあ、あとは好きにやってくれってとこだね。……もうどうでもいい」

 デイビッドが寝返りをうって、背中を向けた。

「……ドン・グイード、とかは?」

 ものすごーく静かに訊いてみる。

「……リックが市警本部に連れて行ったよ」

「牢行き?」

「……さあ。保釈金の資金もあるだろうし、悪い弁護士もくっついてるだろうし、完全にシティから、いなくなるってことはないだろうな」

 それは残念だ。

「そういえば、わたしとアーサーって、聴取とかうけなくちゃいけないのかな?」

「……警官気取りの家族のおかげか、それはあとにするとかいってたけど」

 そこでわたしは口をつぐむ。デイビッドが寝息をたてはじめた。そうっとカバーをはいで、四つんばいになり、背中を向けているデイビッドに近づく。おだやかなシャンデリアの灯りに照らされたデイビッドは、長いまつげをふせて眠っていた。こうしてずっと、永遠に眠っていてほしい。

 そのままベッドから離れようとした時、いきなり右足がつかまれて飛び上がる。え、と思って振り返れば、デイビッドは起きている。

 ずるずると右足が引きずられる。しかもまたもや、打撲ポイントにあたってる!

「痛い、痛い。眠ってると思ったのに!」

「そんなわけないだろ。ムカついてるのに眠れるかよ」

 どうしよう、完璧に起きてる。

「う、嘘ついたの?」

「演技といってほしいね」

 ……いまやとってもまずい体勢になっている。これこそ大人モードな体勢といえる……って、冷静に描写している場合ではない。足から手を離したデイビッドは、わたしにおおいかぶさるみたいにして、

「あちこち湿布だらけだね。いくつあるか、数えてもいい?」

 数えなくていいの!

 そこで救世主がドアをノックしてくれた。デイビッドが開けるなと叫び、わたしは開けてくれと叫ぶ。おずおずとドアが開けられたので、上向きに顔を向ければ、トレイを手にしたキャシーだった。

「うっわ! ごめんなさい!」

 ちっがーう、誤解しないで、行かないで! 料理を持って来てくれたのだ、そのトレイを手にしたまま、キャシーは顔を真っ赤にして、ドアをきっちりと閉じてしまった。

 信じられない、どうしよう!

「な、な、な、なにするの!」

 わたしに馬乗りになっているデイビッドは、にやりとすると、もうどうでもいいといわれた。

「え。ええええ?」

 もしかして、やけっぱち?

「ど、どうでもいいって、なに?」

「ことばどおりだよ」

 ほらね、やっぱり意味不明。

「こういうのって、なんていうんだろうな。かわいさあまってってやつかもね。どうせおれがなにをしたって、きみはおれを好きにならないんだろ。だったら我慢するなんて、アホらしくてもうやってられない」

 顔が近い。のけぞってもベッドの上なのでのけぞれない。うーん、どうしよう、って、どうしようもないみたい? いや、あきらめないで、わたし!

 デイビッドの額に両手を押し付けて、ぐぐぐと押しやろうとしても、打撲と筋肉痛だらけのわたしに、そんな力があるわけもない。首筋にデイビッドの顔が近づいて、こそばゆくて思わず笑……ってる場合でもない!

「わたしなんか面白くないのに!」

「べつに面白さは求めてない。昨日の続きをしたいだけ」

 昨日の続き? それはわたしが枕と化していたことを意味する。

「それは、それはあなたが勝手に」

 おっかない! ぎゅうっとまぶたを閉じてから、身をこわばらせてよじらせると、わたしの背中とベッドのすき間に、デイビッドが腕を回す。それで、ぎゅうと抱きしめられてしまった。

「……なんでおれじゃだめなんだよ」

 かすれてるみたいな声で、デイビッドがいう。

「おれだって、きみが好きなんだよ。絶対にいやだね」

 デイビッドの大人っぽい香水のにおいが鼻先をくすぐって、しかも息苦しいうえ、混乱しまくっているために、同時に泣きたくなってくる。

「い、い、い、い、い、いやだって、なにが?」

 大変だ、わたしのどもりはいまや、聞き取れないほどのレベルになっている。

「きみから離れたくない」

 ……どうしよう。

 と、ノックもなしにいきなりドアが開けられた。この部屋に感謝したい、なにしろ中から鍵がかからないので、誰でも自由に出入りできるからだ。でも、誰が救世主なのかは、身動きできないわたしにはわからない。

「……すごいことになってるな。テディベアに抱きつく三歳児にしか見えない。ミスター・メセニが呼んでるぞ」

 アーサーだ。

 やっとデイビッドの腕がゆるまる。腕立て伏せをするみたいに、デイビッドは顔をドアへ向けて、

「……ああ、くそっ。なんだよ、警官気取り!」

 デイビッドの下にいるわたしは、両手を胸のあたりで組んだままの状態で、まるで死体さながら。衝撃のあまり指一本も動かない。

「見てわかるだろ。あとにしてくれといえよ」

「そういいたいが、いますぐ来てほしいそうだ。どうぞ」

 いまだけアーサーに抱きつきたい。いや、カルロスさんかも?

 はあ、とデイビッドがおおげさにため息をつく。それからわたしを見下ろすと、ふたたびぎゅうっと右頬をつねり、

「おれは許さないから」

 ベッドから降りて、部屋から出て行った。

 ……許さないって、なにが?

「ア、ア、アーサー、わたしいまに、ま、ま、魔界に引きずられる気がする」

 アーサーが歩いて来る、気配がする。

「あいつは悪魔か?」

 わたしにとっては、そうなりつつある。

「ゆ、ゆ、許さないって、なんだろう」

 わたしと同じく、左頬に小さな湿布を貼りつけたアーサーは、ベッドに横たわるわたしを見下ろして、死体を分析する検死官みたいに、眼鏡を上げると腕を組んだ。

「いっただろう? 男の嫉妬のほうが、じつはおそろしいんだ。しかしなぜだ? おれにはわからない……」

「……わ、わたしにも、わからない、かも……。と、ともかく、助けてくれて、ありがとう」

 なんとかどもりレベルを下げていう。アーサーは、またもやげんなりした表情を浮かべた。

「それにしても、なんの色気もない場面だったぞ。キャサリンが顔を真っ赤にしていたから、こっそり訊いて来てみればこのありさまか。礼ならジャズウィットにいうんだな」

「WJ?」

「きみらは恋人同士だが、きみが嫌がりそうなことを、デイビッドがしそうだったら、うまくかわしてくれといわれたんだ。パンサーになる前にな」

 じゃあ、もしかしていまのって嘘? そう訊けばアーサーはあっさりと答えた。

「嘘だ。ついでに」

 アーサーが、グレーのパンツのポケットから、無線機を出す。じゃあ急いでここから出なければ、デイビッドがすぐさま戻って来るじゃない! なんとか、ベッドから起きたものの、あちこちが痛くて動きがにぶい。最悪だ。

「キャサリンに借りた。こいつで連絡済みだ」

「連絡って誰に?」

 アーサーはにやけつつ、肩をすくめる。

「いっておくが、おれはべつに、きみがどっちとどうなろうがどうでもいいんだ。ただし、かなり興味深いことになっているぞ、ニコル」

 んもう、アーサーのかったるいいいまわしって、ときどきものすごくイラつく。とはいえわたしに逃げ場所はない。部屋を出ればデイビッドに出くわしそうだし、昨日みたいにイケてない青春ドラマ的方法をとったところで、同じこと。しかもわたしの動きは、たったいまの衝撃と、打撲および筋肉痛のため、生まれたてのポニーみたいにガクガクなのだ。部屋をおろおろと歩きまわることしかできない。

「老婆みたいだぞ」

 うううう。

「どうしてデイビッドは、わたしと一緒にいたがるんだろ。わたしなんか相手にしたって、面白くないのに」

「おれはじゅうぶん面白いぞ、オシャレバカとは違う意味で」

 このことに関して、完璧に部外者のアーサーがうらやましく思えてきた。

「アーサー、わたしいますぐ、あなたになりたい」

「あきらめろ、ここは魔法の世界じゃない」

 わたしは歩みを止めて、うなだれる。

「まあ、理由なんか関係ないからな。誰かを好きになるってことに」

「だけどわたし、デイビッドの気持ちに答えられそうもないのに。どうすればいいのかさっぱりわからない。だってなにをいっても、わかった、しかたないよねって、なってくれないんだもの」

「取り上げられたくないんだろう? 愛着のわいた、お気に入りのぬいぐるみを」

 どうして半笑いでいうわけ?

 階下からあきらかに、デイビッドとしか思えない足音が聞こえてくる。そしてわたしはどこへも行けない。たぶんデイビッドの怒りは、アーサーの嘘によって頂点に達しているはず。もはやなにをされるのか、想像するのも恐ろしい。

 いっそ全裸になって、腰に手をあてて堂々と出迎えるべき? そうすれば、あまりに平坦なわたしの輪郭にげんなりして、やっぱりジェニファーのほうがいいってことになるかも……って、なるかもしれないけれど、そんなことできる気がしない。

「ど、ど、どこに逃げれば……というか、どうすれば?」

 壁に背を向けて腕を組んだアーサーは、にやつきながら答えた。

「焦りは人を豹変させるな。なにかがよほど気に入らないんだろう。完全に頭に血がのぼってるぞ、あれは。時すでに遅しだ。もうなにをしても無駄だろう。まあ、おれも、できるかぎりのことはするが、期待はするな」

 アーサーがいい終えた時、戸口にデイビッドが立ったので、いっそ泣きわめいてみようかと思った。でも、泣く子も黙りそうなデイビッドの形相に、そんな考えも宇宙の彼方だ。わたしは凍って動けなくなり、デイビッドはわたしを凝視してからアーサーに顔を向け、前に立つ。

「……どうして嘘をつくんだ、警官気取り」

「……依頼があったからだ、オシャレバカ」

 依頼? とデイビッドがアーサーににじり寄る。自分につけられたあだ名を、気にする余裕もないらしい。

 と、そこで。コツンと窓が叩かれた。

「依頼って、誰だよ」とデイビッド。

 ふたたび窓が叩かれる。わたしは窓へ近寄って、カーテンから顔をのぞかせる。そこには、窓枠に手をかけて、柵の上にしゃがむパンサーがいた。

「彼だ」

 アーサーの声に振り返れば、窓を指している。デイビッドもこちらを見る。それから近づいて来るとカーテンをつかみ、思いきり開けてしまった。

 一マイル先にはフェスラー家の豪邸があって、ここには誰も住んでいないということになっている。カーテンで遮られた光が外へもれるのは、よろしくない状況だ。気をきかせたアーサーが即座に、シャンデリアのスイッチをきる。すると、外にいるパンサーの輪郭が、いっそうくっきりと窓越しに浮かんだ。わたしが窓を開けようとした時だ。

「どうしてデイビッドがいるのに、パンサーが外にいるわけ?」

 あきらかにわたしではない女の子の声が、いきなり廊下から放たれて、いっせいにそちらを向く。

 ぽかんと口を開けている、キャシーが戸口に立っていた。

<<もどる 目次 続きを読む>>

bottom of page