SEASON2 ACT.20
わたし、もしかしてものすごい妄想を生みだして……しまった?
ぼんやりしながら目覚めれば、豪勢なシャンデリアが見えて、元幽霊屋敷の現豪邸、デイビッドとわたしに(なぜか)あてがわれた部屋にいるのだと気づく。
キングサイズのベッドに横たわり、違和感のある自分の顔に触れてみる。わたしの左頬ったら、電球の破片で切れた傷がなおったとたん、今度は湿布に隠れている。これ以上悪化(たとえば、額からあごにかけての、海賊みたいな傷になるとか)するような事態に、巻き込まれないよう祈るしかない。
……というか、あれは妄想? それとも事実? わからない、なにしろいっきに意識がとんでしまったから。
雨の降る音が、部屋にひびいている。窓に顔を向ければ、空は雲におおわれていて、そのせいで部屋がいやに暗い。とはいえ夜ではなさそうだ。そして部屋には、わたししかいない。
うーん、まだ少し眠いかも。うとうとしながらまぶたを閉じると、階段をのぼってくる足音が聞こえる。ぼうっとしたまま、ベッドの中へもぐりこみ、枕に顔を押しつけると、ドアが開けられた。
「まだ眠ってるみたいだわ」
キャシーの声だ。
「たっぷり眠ったほうがいいんだ。きっと疲れたんだろう。おれもだが」
これはアーサー。
夜でもないのにアーサーがいる、ということは、月曜日ではない。だから今日は日曜日だ。
「平気よね?」とキャシー。
「大丈夫だ。あの生真面目顔のドクターは、パンサー専属らしい。彼が、ニコルはたんなる空腹と疲労と寝不足のせいだといっていたから、眠って起きればけろりとしているはずだ。あとはあちこちの筋肉痛と軽い打撲。きみも少し眠ったほうがいい。ずっとつきっきりだったじゃないか」
そうなんだ! ああ、キャシーに心配かけちゃってる。
「顔はなおるの? ひどいわ、女の子なのに」
「なおる、大丈夫だ」
二人の会話ったら、なんだか娘を心配する、新婚夫婦みたいじゃない……なんて、ほほえましく盗み聞きしている場合ではないけれど、いまさら起きて邪魔をするのも気がひけてきた。キャシーには、あとでたっぷりお礼をいうことにして、そのまま静かにしていると、やがてドアが閉じられる。
意識を失ったわたしの病名は、空腹と疲労と寝不足。なにか間抜けな感じがしなくもないけれど、疲労はたしかに間違いない。グイード・ファミリーがどうなったのかはわからないけれど、きっとリックに捕まって、いまごろ警察にいるのかも。
それにしても、アーサーは着実に、キャシーと仲良しになっている。あのすきのない行動を見習いたいけれど、キャシーに対して嘘つきまくりだと、ぶちまけたい気持ちもないわけではない。でもまあ、アーサーはわたしをからかうけれど、それなりに助けてくれてもいるので、まだ黙っておくことにしよう、とりあえず。
それよりも。
……それよりも、どうしよう。あれって、わたしの、妄想? それとも事実なの?
あまりにも意識がおぼろげすぎて、夢だったのか現実だったのか、記憶の中でごっちゃなことになっている。できれば事実であってほしいけれど、自分の妄想だと判明しちゃったら、激しく落ち込みそうだ。
でも、事実だとしたら? そうだとしたら、わたしはどうすればいいんだろ。衝動的にわたしもよ! といった気もするけれど、その直前にふうっといろんなことが遠のいていったので、たぶん答えていないはず。もしかして、この記憶すらも妄想だったりして? どうしよう、自分の脳に自信がもてない。
「う。ううううう」
わけがわからなくなってきたので、ひとりでもだえる。そこでふたたび足音がする。静かにドアが開けられたので、またキャシーかアーサーだろうと思った。今度は起きたほうがいいだろう。というわけで、なんとか上半身を起き上がらせ、ドアに顔を向けた瞬間、ぐうんと胸が高鳴った。
WJだ。
「う」
髪の色はもとに戻っていた。相変わらずの眼鏡をかけた姿で、ノブに手をかけたまま戸口に立って、わたしを見る。ちょっと心配そうに微笑んで
「起きたんだね」
そう、みたいです。
「どう?」
ドアを閉めて、WJが歩いて来る。ベッドを指して、
「座ってもいい?」
もちろんだ! うなずくとベッドに腰かけて、わたしの頬に貼られた湿布に、眼鏡越しの視線を向ける。
「痛くない?」
「う……」
照れくさくなってうつむいてしまった。
「……うん。べつに痛くはないよ」
「触ってもいい?」
どうしよう、わたしの心臓が口から飛び出そう! ありえないほどもじもじしていると、そうっと指先が頬に触れたので、ビクつく。するとWJが、
「ああ、そうだね。でもいまは大丈夫、びりびりしないから」
そうではない。もっとこう、違う方向でビクついただけ。わたしの頬から指先が離れた。顔を上げると、WJと目が合う。でも、WJは目をふせた。
「きみを助けるつもりだったのに」
「助けてくれたよ、そうでしょ?」
WJの口元に、うっすらと笑みが浮かぶ。
「そういってくれると嬉しいけど。でも、あいつがきみにひどいことをするから」
あいつとは、ドン・グイードのことだ。またわたしの頬を見る。女の子なのにとWJがいうので、わたしはおどけて、たいした違いはないと答えてみる。WJはくすりと笑うけれど、少し眉根を寄せて、
「そんなことないよ」
手のひらを広げて、わたしの頬に近づける。包む、までではないけれど、大きな手のひらをわたしの頬にかかげてくれる。ううう、どうしよう、いますぐ抱きつきたくなってきた。これって、女の子としてはあきらかに、下腹の圧迫感に続く、ありえない行為カテゴリーの上位だろう。そんな行為におよんでしまう前に、会話の糸口を提供すべきだ。
「き、き、昨日のウイー……」
妙なところで言葉が途切れたのは、わたしの息切れのせいだ。酸素が足りなさすぎる!
WJはゆっくりと手を引っ込めて、
「ああ。……うん。結局ぼくが出たよ。髪を染めて。ほんとうはデイビッドが、出てもいいっていっていたんだけど、収録の最後の打ち合わせの前に、きみとアーサーの発信器が一カ所で止って、消えてしまったって、ミスター・スネイクから連絡が入って。それでリックが調べてくれたんだ。そのあたりにはグイードのアジトが何カ所かあるってことになって、すぐに助けに行きたかったけれど、意味もなくうろうろする時間を考えれば、リックに場所を絞り込んでもらったほうが、結果的にはいいということになったから。それでぼくが出ることにしたんだ。生放送中でも、すぐにパンサーになって行けるからね」
出演したのがデイビッドだったら、あんなふうにパンサーになって、すぐさま窓から飛び出すことはできない。でもWJだったら、それが可能だ。
「デイビッドが出たとしても、どのみちぼくは彼のそばを離れられないし」
WJが、髪を指でくしゃりとする。
「ああいう時って、すごく時間が長く感じられるよね。ぼくは気が気じゃなくて、早く終わってくれ、って感じだったんだ、ずっと」
「でも、そのお。テレビであんなことしちゃって、ほかのマスコミももっとやってって、依頼が殺到しちゃうんじゃない? 変身シーン」
WJが苦笑した。
「だからデイビッドとカルロスは、いまその始末に追われてるんだ。悪いことをしたと思うけど、これに関してはデイビッドもカルロスも、賛成してくれたし、彼らも加担してる。だから誰も悪くないし、きみが気にすることじゃないよ」
ということは、いまデイビッドは不在? それだけで安堵するのはなぜだろう。
「あなたは一緒じゃないの?」
「うん。弁護士に会うとかいっていたから、なんとか逃げたよ。ちょっと疲れたしね」
デイビッドのふりをして、カメラの前にはじめて立った、慣れない緊張もあっただろうし、そのあとのパンサーになったことも含めて、疲れないほうがおかしい。
はあ、とわたしが息をつくと、
「……デイビッドのことが心配?」
探るような眼差しが、わたしに向けられた。そうではなくて、あなたのことが心配なの! ……って、いますぐいってしまうべき? それとも黙っているべきなのだろうか。だって、あれが自分の生みだした妄想だとしたら、あなたが心配だと伝えちゃったとたん、とっても気まずくなりそうだから。
迷いながらわたしはまたもや、自分に似つかわしくない仕草、つまりうつむいて、指先でカバーをもじもじと、つまんでみたり引っ張ったりを繰り返す。
「なにしてるの?」
「え?」
うっかり顔を上げてしまった。ものすごい近くに、WJの顔があって、わたしの指先を見つめながら、くすっと笑った。
「子どもみたいなことしてるからだよ。カバーを引っ張ったり、つまんだり」
もじもじしてるの! なんていえない。ぱっと手を離し、またうつむく。するといきなり、WJがいった。
「昨日ぼくは」
え?
雨の音が強まる。暗さが増して、世界中でわたしとWJしかいないみたいに思えてきて、息苦しくて胸が痛くなってきた。ここでアーサーかキャシーにあらわれてもらいたいような、ずうっと誰も来てほしくないような、おかしな気持ちにおそわれてまぶたを閉じる。
「ぼくは昨日、きみに」
びっくりだ。まさか、あれって、やっぱり?
そこで残念なことに、なにやらすさまじい物音が、エントランスのある階下からひびきわたる。いや物音というよりも、誰かが誰かに、なにかを命じる叫び声といったほうが正しい。その声の主はあきらかに。
いますぐ完璧に起きて、みんなのいるであろうリビングへ行くべき? それとも失神したふりをして、ベッドに倒れるのはどうだろう。迷っているうちに、力強い足音が、部屋に向かって近づいて来た。WJはわたしに顔を近づけたまま、ドアを横目にすると、右腕をそちらに向けて伸ばし、握っているこぶしをぱっと広げた。直後、外からノブが回されはじめる。けれどもドアが開かないようだ。やがてガツンと、ドアが蹴られる。
この部屋は、外からしか鍵がかからない。ドアが開かないのは、WJのしていることのせいだ。
「え? なにしてるの?」
「ただのいたずらだよ」
デイビッドが入れないのはありがたい。でもそこで、わたしは少しばかり怖くなる。
「そういうこともできるの?」
「うん」
面白いといえなくもないけれど、デイビッドはギャングではない。昨日もわたしを助けてくれるつもりだったとはいえ、デイビッドをあんなふうに飛ばしてしまったのだ。いままではギャング以外の人間に対して、そんなことはしなかったはず。
それって、もしかして、わたしがいるから?
「あ、あんまり面白くない、かも」
なんとか笑いながら、冗談まじりっぽく伝えると、
「……そうだね」
WJが右腕をおろした。とたんにドアが開いて、前のめり気味のデイビッドが、部屋に足を踏み入れた。
……すっごい、デイビッドから放たれる、目に見えない空気感。いつかのスーザンさんのいったとおり、月の裏側並みに寒い。行ったことないけど。
「妙だな」とデイビッド。
チェック柄の膝丈パンツのポケットに、両手を突っ込んだ恰好で、笑みを浮かべたまま片眉を上げ、ドアを振り返る。
「いつから、鍵がかかるようになったんだ?」
ドアを思いきり蹴った。壁にドアがあたり、反動で閉じかける直前、デイビッドがドアをつかむ。
……ああ、お願いだから、いますぐ誰か来てくれないかな。アーサーでもいいしキャシーでもいいし、誰でもいいから。いや、わたしが起きればいいのだ。というわけで、ベッドから起き上がろうとする。すると、
「ニコルは動くな!」
どうしてデイビッドに命じられると、身体が動かなくなるんだろう。ある意味、デイビッドにもWJみたいな能力があるといえるのかも。威圧感という名の能力が。
デイビッドはドアに手をかけたまま、WJに出て行けといわんばかりの態度をとる。WJはちらりとわたしを見て、それからゆっくりと腰を上げ、廊下を指でしめすデイビッドの横を通り、行ってしまった。ちなみに、動くなといわれて、ベッドの上で四つんばいになっているわたしは、どうすればいいのだろう……、わからない。
デイビッドがわたしを見た。とっさにわたしは視線をそらす。
「起きてるじゃないか。元気いっぱい、みたいだね。心配したおれがアホみたいだ」
それについてはお礼しかいえない。みんな心配してくれたんだ。
「あ、ありがとう。うん、大丈夫だよ。あちこち痛いけど」
「てっきり眠ってるかと思えば!」
デイビッドがドアを蹴って閉める。そういえば今日も、わたしの部屋はここなわけ? なんだかとても、今日こそ一緒は避けたい気がする。そうだ、もう収録は終わったのだし、ずうっと起きてリビングにいればいいのだ! わたしったら天才かも、なんて考えている場合ではない。デイビッドが近づいて来たので、四つんばいモードを解除し、ベッドの中へもぐりこもうとしたら、右腕をつかまれた。つかまれたそこが、ちょうど湿布の貼られた打撲ポイントだったので、ひゃあと間抜けかつ、生き返ったばかりのゾンビみたいな、気弱な声がもれてしまった。
「い。ててて」
デイビッドはおかまいなしだ。わたしを自分の隣に座らせると、なにをしていたんだと訊いてくる。
「なにって?」
それよりも打撲ポイントから、指を離していただきたい。
「どうしてドアが開かなかったのか、教えてもらえる? わかってるけど、あ・え・て」
口調はおだやかだけれど、キレ気味なのはあきらかだ。なにしろ眼差しが怖い。直視できないので視線をそらせば、ほんの少し短くなったデイビッドの髪が、視界に入る。
「あれ。あなたの髪が短くなってる」
WJみたいに? とは告げなかったけれど、互いの長さを揃えたのだろう。デイビッドはなにもいわず、依然、打撲ポイントから手を離さない。むしろじりじりと強さが増している、気がするのは気のせい、ではない。
「ううう、痛い、痛い。おしゃべりしていただけなのに……」
ぐいっ、とデイビッドがわたしに顔を近づけた。
「アリスとマルタンに聞いたけど、パンサーがドン・グイードを殺す寸前だったって?」
否定はできない。だからうなずく。
「きみが止めたって、アリスはいってたけど? 止めたってどうやって」
眉根を寄せたデイビッドがわたしをにらむ。
「抱きつく……」
「抱・き・つ・く・?」
さらににらまれたので、
「というかタックル! タックルしたら、止ったみたい、だったけど」
やっとデイビッドが手を離してくれる。わたしから顔をそむけて、なぜかにやりとすると目を細め、じろりとわたしを横目にした。
「よかったじゃないか。告白されて、おめでとう」
う。……やっぱり事実だったのだ。
「てて、てっきりわたしの、も、も、妄想かなって」
わたしのどもり具合ったら、尋常じゃないレベルになってる。
「妄想?」
わたしはうなずく。デイビッドは苦笑気味にため息をつき、わたしの右頬を指でつまむと、ぎゅううとつねって、指を離した。
「いったい! なにするの!」
「くりくりした目で、行かないで、みたいにWJのこと見てたくせに。なにが妄想だよ。アリスもマルタンもいたんだ。きみが意識を失ってても、証人はいるんだよ。それで? きみは答えたわけ? わたしもよって?」
「……いっては、いないけど」
デイビッドが、はあ、と息をつく。
「それはよかった。はっきりいって、最悪な状況だから」
「最悪?」
最悪……なのだろうか。わからないけれど、手放しで喜んではいけないような、なにか嫌な予感がするのはたしかだ。それではっとする。さっき感じた、怖さを思い出して、うつむく。
「昨日からおれはやられっぱなしだ。いまだってドアが開かなかった。昨日はドン・グイードが殺される寸前。きみがWJとくっついたら、WJはきみのためなら、世界中を敵にするだろうね」
不安になって顔を上げると、デイビッドが髪をかきあげた。わたしを見て、にやりとする。
「モンスターの誕生だ」
さすがにそれはいってほしくはない。
「そういうの、やめてくれない? すごくかなしくなってくるから」
「きみだって、うすうす気づいてるくせに、そうだろ?」
そんなことないといったところで、嫌な予感はそれだと自覚する。わたしがWJを好きだといったら、めでたく付き合うことになるだろう。だけどわたしが嫌なめにあえば、WJは自分の能力を、そのことに対して使ってしまうのだろうか? そのたびにやめてほしいと伝えたら、そうはならない気もする。でも四六時中、一緒にいられるわけじゃない。WJをいちいち監視しているわけにもいかないのだ。
なにが起きるか、わからないということだ。
「……いいさ。好きにすれば」とデイビッド。
「え?」
ふ、と息をもらしてから、デイビッドが苦笑まじりに続ける。
「好きにすればっていってるんだよ。おれは知らない。勝手にすればいいさ。だけどおれもカルロスも、ダイヤグラムもパンサーから手を引く。モンスターを抱えられるほど余裕があるわけじゃないからな」
じくじくとデイビッドのことばが、わたしの胸につきささる。なんだか泣きたくなってきて、しょんぼりしたまま訴える。
「……どうしてそんないじわるなことをいうの?」
「きまってるだろ、きみの弱みにつけこむためだよ」
たしかに、若干つけこまれそうだ……って、ああああ、うまくいきそうなのに、全然うまくいく気がしない!
「……いますぐ倒れたくなってきたかも」
「どうぞ」
デイビッドが両腕を広げる。さすがにそこには倒れられないので、うなだれるしかない。
「ち、ちなみに。あなたはいま、とても落ち着いている感じ? それとも……」
デイビッドはわたしをにらんで、けれども口元だけにやりとさせて、答えた。
「最高にキレてるね」
……わかってる、たしかめてみたかっただけ。