SEASON2 ACT.19
キンケイドのボスは、めでたくジョセフに任命された。どうしてそんな展開になったのか、あとでたっぷり教えてもらいたいけれど、そんな時間はわたしにもアーサーにも、あきらかに残されていない。
ちらりと見えたテレビ画面では、カメラに背を向けたデイビッドもしくはWJが、洋服を脱いでパンサーのコスチュームになると、サングラスをはずしマスクを装着した。カメラマンが興奮しているのか、画面が大きくブレて、ドン・キンケイドの病室の窓から、外へ飛び出すパンサーを映す。リサ・アンダースンと老若男女の入院患者が、なぜかドンの病室へ押し寄せて、拍手喝采。よくわからないが、病気で弱っていたのか、病気のせいで別人になってしまったのか、ドン・キンケイドですらにこやかに拍手しているありさまだった。だからやっぱり、あれはデイビッドではなく、WJだったという証拠だ。
ともかく。今週のウイークエンド・ショーの視聴率は、かなりすごいことになったはずだ。
そしてふたたびロバート・マッコイ。マスコミ初のパンサー変身シーンに、鼻息のあらいコメントを寄せ、ラストはランドール・シスターズの出演、新曲発表でエンドロールが流れ、終了した。
現在九時。テレビは消され、ともかく番組は無事に終わったようだ。無事ではないのは、ソファに座らされたわたしとアーサーだけれど、もうどうすることもできない状況においやられている。相手はギャングで、いつでも本気なのだ。泣きたくなってきたけれど、泣いている場合ではない。
約束の時間よりも早いけれど、アーサーの足下には、いまやバケツが置かれ、アロハシャツのこねたコンクリートが、流し込まれている。固まるまでどのくらいの時間がかかるのだろう。わからないけれど、もはや海へ落されるのは確実だ。
ピアスはアリスさんが持っていると、やっぱり告げるべきだろうか? しゃべってしまえば、あとは大人チームがなんとかしてくれるかも? だけどしゃべったところで、わたしもアーサーも助からない予感もする。であれば口をつぐんだまま、この世を去ったほうが、なにか自己犠牲的な美談めいていて、クールなのではないだろうか。
……って、クールとかクールじゃないとかの基準で、決めていいわけ? どうしよう、自分でもわからなくなってきた。
「どうして強情をはるのかな。それはきみらも、あの価値を知っている、ということになるからだろう?」
ぶらぶらとピストルを揺らしながら、赤シャツがいう。
「じゃあこうしよう。きみは知っているのかな、在処を?」
赤シャツが、アーサーに向かって訊ねる。ピストルはわたしの額にぴったりとあたっていて、さすがのアーサーも険しげな眼差しをわたしに送った。く、と眉根を寄せると、
「彼女は持っていない」
いってしまった。
「じゃあ誰が持っているのかな?」
アーサーの眉が、さらに寄る。これはものすごいトラウマになりそうだ……って、生きていたら、の話しだけれど。ああ、最後にパパとママに会いたかった。キャシーと「闇の騎士シリーズ」の映画を観たかったし、それに。
それに、WJに気持ちを伝えたかったかも。
こんなにおそろしいめにあっているというのに、できなかったことが悔やまれてくる。そのうえ胸は恐怖ではりさけんばかりだし、混乱してきて涙があふれてきた。わたしったら、なんにも成長していないんだもの。アランの時みたいに、後悔ばっかりしているじゃない、もう、もう、もう!
「誰が持っているの、かな!」
赤シャツが叫んだ。アーサーの時と同じ、ピストルを握った手で、今度はわたしの頬が殴られる。わたしは身体ごと床にたたきつけられて、意識を失いそうになった、けれども残念なことに失わない。わたしったら、強すぎる。
その時だ。
急ブレーキをかけるエンジン音が、外から聞こえた。ものすごい音だったので、その場にいるファミリー七人が、いっせいに窓へ視線を移す。ジョルジョとアロハシャツが窓を上げる。身を乗り出して、
「……なんだあのライトバンは?」とアロハシャツ。
「……おい、パンサーが描かれてあるぞ」とジョルジョ。
まさか、パンサー号? 床に転がるわたしは、ソファに座っているアーサーと視線を交わす。するとジョルジョがふたたびいった。
「……まずい、まずい、まずいぜ! バンのうしろに山ほどシボレーがくっついてる」
「シボレー? ……まさか、キンケイドか!」赤シャツが答えた。
そこでものすごい銃撃の音がこだました。
「わからない。だけど、妙なライトバンになぜかくっついて来ちまってて、仲間の乗った車ともめはじめてるぜ!」
ジョルジョが叫んだ。もしかしてアーサーのいうとおり、外で待機していたパンサー号めがけて、わらわらとギャングの車がおしかけたのかも。それらを引き連れたパンサー号が、この建物まで来てしまったのだ。
赤シャツがわたしにピストルを向けた。
「……くそ。もういい、さようならだ、お嬢さん!」
やけっぱちになっちゃった? 引き金に指がかけられた。アーサーがわたしの名を叫んで、わたしはきつくまぶたを閉じる。なにが起きているのかわからないけれど、自分が殺されかけているのは間違いない。同時に「うわっ」というアロハシャツの叫びが聞こえて、ジョルジョとほかの男たちの声が、それに重なった。
「パンサーだ!」
まぶたを開ければ、黒くてしなやかな獣が、窓枠にしゃがんでいた。わたしと目が合ったように思えたけれど、サングラス越しなのでわからない。
ピストルをかかげたジョルジョの身体は、パンサーが軽く手をひるがえしただけで、壁にたたきつけられる。ほかの男たちも同じめにあう。わたしにピストルを向けた赤シャツは、昨日のデイビッドのように動けないようだ。そのことに気づいたアーサーが、コンクリートから足を引っ張り上げ、起きろと叫ぶ。なんとか起き上がったわたしは、テレビの横に置かれたチェストと壁のすき間にすべりこんでしゃがんだ。アーサーがわたしの隣に来たので、二人してチェストの影になり、ようすをうかがう。
窓の外からは依然、発砲音の止むことがない。けれどもこの部屋だけ、妙な沈黙に包まれている。
無言のままパンサーが、部屋の中へ足を踏み入れる。微動だにしないドン・グイードの前に立つと、ゆっくりと手からピストルを奪う。すべての弾を床に転がしたところで、ピストルを放り投げた。やがてじりじりと、部屋の電球がまたたきはじめる。
「ぼくには必要がないから、こういうことは、あまりしたくはないんだけれど」
いって、くるりと身体を回転させ、そのいきおいのまま片足を上げて、ドンの身体を蹴った。動きを制限されているドンの身体が、壁に突き飛ばされ、床に倒れる。その姿を見下ろすパンサーが、開いた右手を腕ごと突き出した。するとじょじょに、パンサーの周囲が、青白い、奇妙な光に包まれていく。
ドンの身体がマジックみたいに、床から離れる。つきだした腕の手のひらを、ぐっとパンサーが握ると、強風にあおられたかのように、宙を浮いたままのドンの身体が、強く壁に押し付けられる。
そこで部屋のドアが開いた。入って来たのはマルタンさんとアリスさんで、起き上がったジョルジョをアリスさんが蹴る。マルタンさんは、チェストの影に隠れているわたしたちを見つけて、
「……すまなかったな!」
斜め掛けしたバッグをまさぐり、細長い針金のようなものをつかむ。それを手錠に差し込むと、ものの数秒で手錠がはずれた。
「な、なにがどうなって?」とわたし。
「あとで教えてやるさ」とマルタンさん。「ともかく逃げよう」
外ではいまだに銃撃戦の音がしている。とはいえ、誰かが通報したのか、パトカーの音が遠くから混じりはじめ、発砲音がいきなり止んだ。と、車が逃げて行く音とともに、パトカーの音もそちらへ消えていく。
アリスさんが倒れている男たちに次々と、手錠をかけていく。それからパンサーを見て、
「もういいよ、パンサー」
パンサーはまだ、ドンの身体を締め上げていた。息ができないのか、ドン・グイードの顔が、みるみる赤くなっていく。
「もういいって。それ以上やったら、死んじまうよ」
苦笑まじりにいうけれど、アリスさんの表情から笑みが消えた。
「パンサー!」
パンサーには、アリスさんの声が聞こえないようだ。アリスさんのいうとおりだ、いまやドンの顔からは生気すら消えかけている。たぶん、息もできない状態なのだ。
止めようとしてアリスさんがパンサーに近づく。でも、差し伸べた指先が青白い光に触れただけで、すぐに引っ込め一歩しりぞく。
「手をださないでアリス。ぼくはいま、すごく怒ってるんだ」
「……ダメだ、ジャズウィット。やめろ!」
アーサーが叫んだ。これ以上続ければ、ドンは死んでしまうだろう。ギャングはおそろしいし、シティからいなくなって欲しいけれど、パンサーに殺してほしいわけではない。
「ジャズウィットは怒ってるんだ。きみがひどいめにあったから」
アーサーがいう。でもわたしは無事だ。わたしは大丈夫だとなんとか声をはりあげてみたけれど、パンサーは動きを止めない。このままではヒーローが、ほんとうにモンスターになってしまう。
アリスさんが呆然としていた。マルタンさんもなにもできずにいる。わたしはWJのいっていた言葉を思い出す。相手がミスター・マエストロなら加減しなくてもすむ。けれども普通の人間だったら? 加減できなくなる自分がおそろしい。そんなふうにいっていたはずだ。
わたしは立ち上がって、パンサーに近づいた。
「……WJ、もういいよ。わたしは無事だし、大丈夫だから」
サングラス越しにパンサーが、わたしを横目にした。
「……わかってるよ、ニコル。でもきみは死ぬところだったんだ」
ドンはもう、息も絶えだえだ。
「でも生きているじゃない。ほら!」
ひどく険しい眼差しでわたしを見つめてから、く、と表情をゆがませた。
「……止らないんだ。止めかたがわからない」
止めかたがわからないだなんて、まるで暴走しているも同じことだ。だからわたしは、二歩しりぞいてから、いきおいをつけてパンサーに抱きつく、というよりもほぼタックルだ。それしか方法が思い浮かばなかったから。
瞬時にわたしの身体を、ものすごい衝撃のしびれがおそって、吹き飛ばされ、床にたたきつけられてしまった。もう、ほんとうに、今日はいろんなめにあいすぎる。アーサーのいうとおり、レポート提出に遅れたのがいけないのかも。そんなくだらないことを考えながら、くったりと床に額をつけていると、どさりという物音が鼓膜にとどく。うっすらとまぶたを開けて見れば、わたしと同じように床に倒れる、ドンの姿が視界に飛び込む。大きく息を吸い込んで、うめきながら咳き込みはじめた。
……よかった、まだ生きていたらしい。
その手にアリスさんが手錠をかける。時間差でリックが姿を見せ、アーサーと会話しはじめる。デイビッドとカルロスさん、キャシーとスーザンさんはパンサー号にいるのだろうか、そんなことを思いながらまぶたを閉じれば、そばに誰かの立つ気配がした。見上げれば、パンサーだ。
パンサーがわたしの近くにしゃがんだ。ゆっくりとマスクをはずす。鋭くて神秘的な、WJの灰色の瞳。その大きな瞳に、憂いが秘められている。どこかかなしげで、さみしげな表情を浮かべていた。
両手をわたしに差し伸べようとする、でも、すぐに手を引いた。口元に皮肉げな笑みを浮かべて、
「助けようとした相手を傷つけるなんて」
わたしは平気、となんとか微笑んで答える。するとWJがささやいた。
「許されるならいま、きみをすごく抱きしめたいんだ」
ぜひ、そうして! むしろわたしが両手を突き出したい。でも、力つきてしまっていて、まるで身体が動かない。
「それでなぐさめたいんだよ。もちろん、友達として、だけど。でも、おそろしくてできない」
ぼんやりとしたような声を、WJに嘘をついた夜も聞いた。きっといまも、自分のことをモンスターだと責めているのかもしれない。そんなことないといったところで、なぐさめられるかは微妙なところだ。たしかに、あと一歩間違えば、ドンは死んでいたかもしれない。だからWJは自分におびえる、でも、パンサーでいることを好む。矛盾している気持ちを抱えるのは、ひどくせつないことだろう。
なんとか、わたしは上半身を起き上がらせる。腕が上がらないので、しゃがむパンサーの膝あたりに、思いきっておずおずと、頭をそうっと寄せる。今度は飛ばされない。しびれるような衝撃に耐えるぐらいは、どうってことない。
「助けてくれて、ありがとう」
するといきなり、腕がつかまれた。床に膝をついたWJの腕が、わたしの背中に回される。わたしの髪に、WJの指がからまる。それでぐっと一瞬だけ、強く引き寄せられて、抱きしめられた。ほんの数秒のことだけれど、じりじりと身体に流れる刺激に耐える。すると、WJがいった。
「……ごめん、ニコル。もう耐えられない。ぼくはきみが、とても好きだ」
夢かも、と思う。だからわたしは、わたしもだと答えようとした。けれどもとうとうその直前で、意識を失ってしまったのだった。