SEASON2 ACT.16
もっとも避けたかった事態に、おちいっている。
髪をブロンドに染めて、サングラスをかけ、デイビッドを装って番組収録へ行くとWJはいったけれど、それこそマスコミのド真ん中に、立たされることになるのだ。目元以外はたしかに似ているから、うまく変装すれば、なりきれるかもしれない。だけど、うっかりサングラスをはずすことになったら? 誰かが違うと気づいたら? 心配すぎてめまいをもよおしてきた。
「なにがどうなっちゃってるの!?」
困惑するキャシーの背中に手をそえて、アーサーはキャシーをリビングへ連れて行ってしまう。わたしもついて行こうとしたら、カルロスさんに呼び止められた。
「ミス・ジェローム、少しいいかい?」
カルロスさんのうしろを歩いて、ダイニングへ入る。壁に背を寄せたカルロスさんは、あごを指でなぞり、ふうっと息をついた。
「……デイビッドは、きみのことがとても好きらしい。彼はあんなふうだけれど、器用ではないんだ。ほっとかれて育ったからね、誰かを本気で好きになったこともないし、黙っていても女の子は寄ってくる。寄ってくる女の子に対しての扱いには慣れているけれど、そうじゃない場合には情緒不安定になって対処できないんだろう。とくに、どうやらきみは、デイビッドにとって、とっても手強い相手らしいし、だからこそ強引になってしまうのかもしれないけれどね」
たばこをくわえて火をつける。吸い込んでから煙を吐く。
「WJで収録するかどうかは、徹夜で相談するよ。ぼくの本音は中止が希望だけれど、テレビ局にも病院にも、すでにかなりな資金で手を回しているし、それが水の泡になるのは、建前としてはまずいという部分もあるんだ。このことは海の向こうの、会長には伝えていない。だからぼくはクビ覚悟なんだよ。成功すれば、あとで知られても、まるくおさめる方法はある。でも、失敗すれば、ぼくは確実に無職だ」
カルロスさんが苦笑した。
「まあ、すぐに適当な職にありつけるのはわかっているけれどね。でも、ぼくはこの仕事が好きだし、デイビッドのことも弟のように思っている。だから、まあ。つまり、なにがいいたいのかっていうと」
わたしを見下ろして、微笑んだ。
「デイビッドに優しくしてやってもらえないかな? 彼は寂しがりやで、友達はいないと思っているんだ。そばにぼくやスーザンがいたところで、しょせんは世代の違う人間だ。WJとは微妙な距離感で、ともかく、仲良しな友達がひとりもいない。付き合ってくれとまではいわないよ、それはきみの自由だから。でも、嫌ったり、避けたりはしてもらいたくないんだ。ほんとうはさまざまなことをひとりで抱えてる、優しい心の持ち主だから」
わたしはうなずいて、そのままうなだれた。
「……でも、カルロスさん。デイビッドはわたしに、なんだか大人モードなことをしようとするの。それで、WJが見かねて、たぶんあんなことになったんじゃないかなって」
「大人モード?」とカルロスさん。
「あ、う。ええとう、スーザンさんとカルロスさんみたいなことです」
く、とカルロスさんが笑った。
「……なるほど。それはすまなかったな。でもそこはうまくやって」
ポンとわたしの肩をたたいて、カルロスさんが行ってしまった。うまくやってって、そんなスキル、わたしにあるわけがない。だけどたしかに、このままデイビッドを放っておくこともできない。ああ、とってもややこしいし面倒だ。わたし、いまにデイビッド・ストレスで、胃炎になるかも。
ダイニングを出て、厨房の前を通ったら、WJがグラスに水を注いでいた。眼鏡を頭にのせて、眉間を指でつまみ、軽くマッサージをしている。それから、グラスを口に寄せた時、わたしに気づいてこちらを向いた。ぎゅうっと、わたしの胸が、押しつぶされたみたいにきしむ。寝癖があるけれど、相変わらずとってもセクシーで神秘的でハンサムだ。パンサーになって戻って来てからの、こんなごたごたのせいか、グレーの瞳の奥がなんとなく眠たげで、疲れているように見える。
「ニコル?」
「……うん」
「悪かったよ。だけど、きみが嫌がってるみたいに見えたんだ。それで、無意識のうちにあんなことに」
いってから、うつむいて小さく微笑む。
「ごめん、いまのは嘘だ。無意識じゃなくて、かなり意識的」
わたしも少しだけ微笑む。うーん、どうしよう、やっぱりあなたが好きだ。だけどこれは、叶えてはいけない気持ちなのだ。だから、いままでのように押し込めたままでいなければ! ……って、もう、もう! いらいらしすぎて、わたしもデイビッドみたいになってしまいそうだ。なれないけれど。
「デイビッドの代わりだなんて、どうするの?」
「ぼくが彼を怒らせちゃったからね。責任はとるよ」
「違うよ。そもそもわたしに怒っていたんだもの。あんなふうに……逃げちゃって」
WJは水を飲んでから、軽くうつむいた。
「きみが悪いわけじゃないよ。でも、どうしてデイビッドに触れられることを嫌がるの?」
「え?」
WJが苦笑した。
「……いや、そうじゃないね。きみは昨日、デイビッドといい感じだったし。その先に進みたい彼に、ついていけない感じだったんだね、今日は」
グラスを置く。
「嫌がってなかったのなら、謝るよ、ニコル。ぼくは約束をやぶって、邪魔をしちゃったから。……でも」
でも。その続きはなんなのだろう。
自分で置いたグラスに視線を向けているので、わたしにはWJの横顔しか映らない。息をついて顔を上げたWJの笑みは、どこか複雑そうだ。泣きたいような、笑いたいような、迷っているような表情で、厨房の戸口に立つわたしを見つめる。とたんにわたしの鼓動が大きくなる。さっき触れた、デイビッドの胸の感触を思い出して、息が苦しくなってしまう。
あの時、デイビッドもどきどきしていたのだ。いまのわたしみたいに。
WJがふたたび視線をそらす。そして、腕を組むと小さな声でいった。
「……きみがデイビッドと付き合っていて、よかったのかも。そうじゃなければきっとぼくは、たぶんほんとうに化け物だ」
「え? それ、どういう意味?」
「意味どおりだよ、ニコル」
大きくて鋭い眼差しが、わたしに向けられた。
「自覚してしまったらもう止められない。それで、ぼくは自覚してしまった。だけどきみには恋人がいるから、意識して制御していられるんだ。……いや、グラスを割ってしまったから、まだ難しいみたいだね。ごめん、きみには意味がわからないよね。気にしないで。ぼくのひとりごとだよ」
意味不明じゃないし、わたしが悩んでいることもまさにそれだ。WJもわたしを好きなのだ。とても嬉しいのに、昨日ひどいことをいってしまったことが、わたしの心にまだ重くひっかかっている。それでも友達でいたいとWJはいってくれる。でも、その先へ進むことは、たぶんないし、お互いに触れることも永遠にないのだ。そうなってしまったら、WJは制御不能のヒーローになる。それをWJも、自覚してしまったのだ。
んもう! 地味地味なわたしたちだったのに、いつからこんなド派手な運命に巻き込まれちゃったわけ? 神さまにいますぐ、異議を申し立てたい!
「ぼくにいえない悩みの行方はどう? 解消した?」
冗談めいた口調で、WJがいう。わたしはなんとか微笑んで、肩をすくめることしかできない。口元の端を上げたWJは、苦笑気味に微笑んで、
「おやすみ」
いって、軽く握った右手のこぶしで、わたしの肩をポンとたたき、眼鏡をかけると厨房を出て行った。
WJはわたしとデイビッドが付き合っていると思っている。それはそうだろう、そういうふうにしてきたのだから。でも、それはWJにとって、やっぱり悪いことではなさそうだ。昨日は混乱していて、わからないといっていたのに、制御不能におちいった理由を、自分なりにつきつめて考えて、WJもわたしと距離をおこうとしているのかもしれない。
たぶんそうだ。そんな気がする。
「……誰かタイムマシンを発明してくれないかな。そうしたらなにもかもやりなおしたい気分。フェスラー家で、トイレを捜さないってあたりから」
肩を落としたままひとりごちて、厨房を出る。エントランスを通って、のろのろと階段を上り、二階の廊下へ立って、一番奥の部屋のドアを見つめる。
「……オーケイ、わたし。デイビッドと大人モードなことは絶対にナシだけど、逃げても逃げても追ってくるなら、いっそ向き合わなくちゃ」
ああ、わたしったら最高に間抜けかも。逃げた部屋に自分から戻って来ちゃってるんだもの。
ドアの前に立って、ノックをしても返事はない。外から鍵をかける部屋なので、ノブを回すとドアが開く。電気もつけずに暗がりで、ベッドに腰かけたデイビッドがいた。カルロスさんが整えたのか、ベッドのシーツもカバーももとどおりに整えられてある。ただし、投げつけたのか、枕が床に散乱していた。
デイビッドはうつむいていて、わたしが入っても顔を上げない。電気をつけてドアを閉めても、デイビッドはむっつりと黙り込んだままだ。と、上目遣いの視線をわたしに向ける。どうして来たんだといわんばかりの表情で、
「……こんなに思いどおりにいかないことは、はじめてだね」
「そ、それはよかった。ちょっと現実について学んだ、ってことじゃない?」
くすりとデイビッドが口元をゆるめる。けれども目元はかなり険しい。
「優しくしてもダメ、強引にすれば逃げる、おれはきみになにをすればいいのか、教えてもらえない? いまもかなりキレてるけど、クールダウンはしたよ。ただし、WJには腹をたててるけどね」
「なんにもしなくていいよ、デイビッド」
それに、WJに腹をたてないで、と伝えたかったけれど、ふたたびキレられそうなので言葉を呑み込む。デイビッドが顔を上げた。いまにも泣きそうな顔だ。
「キレるのもパワーがいるのか。……なんだか疲れた」
両手で顔を撫でる。
「明日の収録は、絶対にナシ?」
「カルロスに説得してくれといわれたみたいだね。……ナシだよ、でも、いっただろ、きみ次第」
WJが代わりになるといったことは、まだ知らないようだ。ああ、今夜はキャシーと過ごしたかったのに、女の子同士のパジャマ・パーティとはいかないらしい。
「……わたしが、ここで、眠ったらいいの?」
「そうするつもりがあるならね。あんなに逃げまくってたんだ、ないだろうけど。それに、きみに気持ちもないのにくだらないさ、こんなの」
わたしは床に落ちている枕を拾って、部屋のすみに腰を下ろし、枕を抱えて、膝を折る。
「一緒は無理だけど。でもわたしはここで眠るよ。キャンプごっこと思えばいいかも。テントはひとつで、一緒に眠らなくちゃいけない、みたいな感じ」
「また五歳児みたいなこといってる。そうかい、よっぽど収録に行ってもらいたいらしいね、おれに」
「それもあるけど、でも、そうじゃないよ。あなたって、ちょっとみんなと距離がある感じだから。怒らないで聞いてもらいたいんだけど、アーサーとかと仲良くしてみたらいいのに。アーサーはキャシーに夢中だし、わたしとしゃべってもなんにもないから。あ、そういえばキャシーはリックに夢中で、アーサーはいまがんばっているところ」
警官気取りの前途多難が面白いのか、デイビッドがくすりと笑った。
「……ふうん。いい気味」
せっかく窓から逃げたのに、結局この部屋で眠るはめになっている。わたしのしたことって無意味だったのかも、なんて考えながら、枕に頬をつけてまぶたを閉じる。
「朝まで、そばに誰かいるなんて、はじめてだよ」
どさり、とデイビッドがベッドに横たわる音がする。
「そんなの忘れているだけじゃない? 子どもの頃は?」
「広すぎる子ども部屋に置き去りだったね。その記憶しかないけど」
「でも、あなたが泣いたら、誰か額にキスとかしてくれたはずよ。パパとか」
「さあね。太ったナニーがいたけど、そんな覚えはないな」
放課後、ギャングに追いかけられてからいままで、ものすごくいろんなことがありすぎて、どんどん眠気におそわれて、デイビッドの声も自分の意識も遠くなっていく。
わたしのしていることがいいことなのか悪いことなのか、わからないまま寝息をたてる。だってもう、仕方がない。どうすることがベストなのか、いまだによくわからない。今夜はこれ以上、考えるのはよそう。もうわたしの経験値を、はるかに超えていて、ありえなさすぎで、対処のしようもないのだ。
キャシーとたくさん、しゃべりたかったなあ。でもまあいいか。すべてが終わったら、泊まりがけでたっぷりしゃべる楽しみとして、とっておこう。
とろとろとまどろみながら、脳裏に浮かぶのはWJのことばかり。そのうちに、同じ部屋にデイビッドがいるなんてことも忘れて、浅い眠りにおちていく。意識が消えかかる前に、ブランケットがかけられた感触があって、なぜかふふふと笑ってしまう。そこでわたしの意識は、完璧に途絶えた。