top of page
title_mgoz2009.png

SEASON2 ACT.15

 数分後、わたしはめでたく捕獲された。わたしを捕獲したのは、顔にパックをはりつけた、ジーンズにストライプのシャツ姿という、完全にリラックスモードのスーザンさんだ。わたしの腕をがっちりとつかみ、豪邸を目指して歩き出す。

「あなたがいないって核爆弾がわたしとカルロスにいうから、開いている窓から顔を出したのよ。そうしたら、イケていない青春ドラマみたいに、シーツとカバーが下がってて、行き先なんてミスター・スネイクのバンしかないってことになって、わたしが派遣されたわけ。まったくもう!」

 無線機すらいらなかったらしい。わたしの逃亡劇が無駄に終わった。

「……わたし、今夜はマルタンさんとリビングで寝ます」

「それ、可能だと思ってるの?」

 いいえ、まったく。

「いっておくけど」

 いきなりスーザンさんが立ち止まり、くるりとわたしを振り返る。

「わたしはこの姿でカルロスの部屋に行くわけじゃないわよ。すっごくセクシーな下着を買ったんだもの、ここで身につけずにどこでつけろっていうの?」

 高級デパートで試着して手に入れた下着のことだ、というか、ええっとう、なんの話しですか?

「え? ええっとう? ……だ、だけどWJが?」

 ふん、とスーザンさんはふたたび歩き出す。

「屋根で眠ってもらうわ!」

 決定。わたしも屋根で眠ろう。可能であれば、だけど。

 スーザンさんによって、豪邸のエントランスに押し込められる。エントランスに立っていたのは、腕を組んだデイビッドだけ。とっさに顔をそむけたので、デイビッドの表情は確認できていない。というか、する勇気もない。ちなみに、ダイニングのあるほうからは、マルタンさんとアリスさん、リックの話し声が聞こえていて、リビングからはテレビの音がもれている。

「プチ・ビートルズをつかまえたわよ、デイビッド」

 わたしの背中を押して、デイビッドの前に立たせたスーザンさんは、関わりたくないのか、さっさと二階へ上がってしまう。人生最大のキレ以上のキレって、なんだろう? おそろしすぎて顔を上げることもできない。こんなことならパンサーと、どこか遠くへ行ってしまえばよかった。そのパンサーであるWJは、いまごろ部屋にいるはず。ほんとうに眠っているのかどうかはわからないけれど。

 うつむいているわたしの視線の先には、シンプルだけどオシャレな靴、黒の革製ダービーのつま先。

「……そんなにおれが嫌なの?」

 妙にしんみりとした声で訊かれた。うっかり顔を上げそうになったけれど、なんとか我慢してうつむき続ける。

「嫌じゃないけど、フツーにしてくれないじゃない」

「きみのいう、フツーってなに?」

「わたしとアーサーみたいなことよ。会話して、おしまい。ただそれだけ。ね?」

 デイビッドがなにもいわない。というか、わたしったらまたやらかしたんじゃない? 警官気取りをひきあいに出しちゃって、もしかして核爆弾を着火させちゃったかも(というよりも、すでに着火している?)……。いよいよおそろしすぎて、床に額がくっつくほど腰を曲げてうつむく。 

「ニコル。きみはいまいくつ?」

「い、いくつって、なにが?」

 つま先が近づく。だからわたしは、一歩引き下がる。

「十六だろ。付き合ってる者同士が、どういうことをするのかも、わかってるよね?」

 またつま先が近づいたので退けば、背中にぴったりと扉があたる。困った状況になっている、らしい。ダイニングから聞こえていたはずの話し声が、ぴったりとおさまった、気がする。なのに誰ひとり、エントランスに姿を見せない。ということは、わたしとデイビッドのやりとりに、聞き耳をたてているのでは……?

「だから、まだ付き合ってないでしょう?」

 無駄だと知りつつも、なるべく静かな声で、けれどもきっぱりと訴えてみる。アーサーとキャシーはどこ? カルロスさんとスーザンさんは、なにをしているの? WJはほんとに眠っちゃった? 

 どうして誰も、ここを通らないの!

 デイビッドがわたしの腕をつかんで、扉に押し付ける。いまやダービーのつま先は、わたしのスニーカーのすぐそばだ。

「その強情がいつまで続くか見モノだね」

 わたしがジェニファーだったら、甘い響きの声に、うっとりしちゃって顔を上げたりするのかも。だけどわたしには、魔界からの使者のささやきにしか聞こえない。

「どうしようかな。いったと思うけど、こんりんざいおれは、きみのいうことなんていっさい聞かないことにしたんだよ。覚えてるよね?」

 反撃するべき? それともいうことを聞くべき? だけど今後のデイビッドのためには、思いどおりにいかないこともあると、誰かが身をもって教えたほうが、いいのではないだろうか。そんな余裕、今のわたしにはまるでないけれど。ほんと、これって、ベビーシッターのバイトみたいだ。

 わかった。デイビッドを五歳児の男の子と思って接してみよう。

「じ、じゃあわたし、あなたになにかあっても、心配しないし、助けようともしないから。だって、それじゃあ友達でもないってことだ、もの」

「いい意見だね。声が思いっきり震えてるし、どもりまくってるけど」

 デイビッドには通じない取り引きだったらしい。この状況から回避する方法がまったく思い浮かばない。覚悟を決めるべき? ……って、なんの覚悟よ!

「ごめんなさいデイビッド。もういろいろ無理な気がする!」

 思わず顔を上げてしまったので、サタンの申し子と化したデイビッドをまともに視界に入れてしまった。

「無理ってなにが?」

 わたしの頭上にある端正な顔立ちが、ものすごい近さで、わたしを見下ろしている。

「おれはきみのいうことなんて、なにひとつ聞き入れないよ」

 額にブロンドの髪がかかっている。そのすき間からのぞくブルーの瞳の視線が、針みたいにわたしに突き刺さる。ううう。

 つかまれていない右手をデイビッドの胸にそえて、なんとか距離を保つ。その時、デイビッドの鼓動の激しさが手のひらに伝わって、びっくりして手を離してしまった。

「い、意地になってるだけだと思うな。キャシーの時とおんなじ。わたしが逃げるから、ムカついているだけでしょ? 冷静に考えてみたら、わ、わたしよりも、ジェ、ジェニファーや、ほかの女の子と一緒のほうが、た、楽しいって思うんじゃないかなって……」

 視線をそらしてうつむけば、腕が折れそうなほど握られる。痛さに我慢しきれなくなって、そう伝えたのに、

「きみはまったく、おれのことをなんとも思ってない、ってことが、おれのプライドを刺激するんだよ。ほんと、よくも逃げたね」

 とうとうわたしのスニーカーに、ダービーのつま先がぴったりとくっついた。デイビッドがおおいかぶさるようにして立っているから、わたしの視界が暗がりに包まれる。額が、デイビッドの肩にぴったりとくっついて、どうにもならない体勢になってしまった。

 こんなところでなにをするつもりなのかわからない。というよりも、どうして誰ひとり、ここを通らないのかが謎すぎる! デイビッドの右手が、わたしのわきの下に入れられた。まずいことこのうえないし、だけどわたしは逃げられない。

「わ、わたしなんか相手にしたって、面白くないのに!」

「そんなの、試してみたくちゃわからないだろ」

 試すって、なにを? いいえ、さすがにわたしにもわかってる。だから無理っていったのに! ……って、通じるわけない。

「きょ、拒否してもいいかな」

「却下」

 わたしはぎゅうっとまぶたを閉じる。ええい、もうなるように……なりたくない!

「ううううう! ごめん、ごめん。ほんとうに無理だから、お願いだからこういうことやめてくれない!? あなたのことほんとに嫌いになるような気がするから!」

「好きになるかもしれないだろ?」

 それはない!

「こんなのことしなくたって、あなたはじゅうぶん魅力的だよ。ただ、なんていうか、なんていうか」

「きみがおれを好きじゃないだけ、ってことだろ!」

 声は小さいけれど、かなり激しい口調だった。ビクついたわたしは、まぶたを閉じたまま硬直し、何度もやめてくれとつぶやく。と、その時だ。

「……なんだよ」

 ささやきが、わたしの耳にかかった。動きを止めたデイビッドに気づいて、ゆっくりとまぶたを開ける。デイビッドの表情が、かすかに歪み、瞳だけが右へ向かう。だけど動きは止ったままだ。

 わたしはデイビッドの肩越しに、吹き抜けになっている二階を見上げる。誰もいないけれど、そのまま螺旋階段へ視線を移せば、WJが立っていた。

 右手をかかげていて、くい、と手のひらをひるがえす。すると、デイビッドの身体がはじかれたようにその場を離れ、エントランスの床に、背中からたたきつけられてしまった。

 呆然としたわたしは、デイビッドとWJを交互に見る。一瞬、眼鏡越しにWJと目が合ったように思えたけれど、WJはすぐに背中を向けて、階段をのぼって二階へ上がろうとする。

「……ちょっと、待てよ」

 床から起き上がったデイビッドは、

「……WJ。おれの身体が動かなくなったとたんに、これだ。いまのはきみの仕業だろ!」

 足を伸ばして座ったまま、声をはりあげた。足を止めたWJは、こちらを見下ろすこともせず、

「……悪かったよ、デイビッド。だけど、ニコルが嫌がってるみたいに見えたんだ」

「きみには関係ないね、そうだろ? きみはそういったはずだけど」

 WJは答えない。とうとうダイニングから、リックとマルタンさん、アリスさんがあらわれた。リビングから、アーサーとキャシーが飛び出して来る。二階からも、シャツをはだけたカルロスさんと、ガウンを羽織ったスーザンさんが姿を見せて、こちらを見下ろす。

 ……最悪だ。ものすごく最悪な予感がしてきた。

「気晴らしにテレビを見ていて気づかなかったわ。どうしちゃったの?」とキャシー。

 目が赤いので、キャロル・スイートの件で、ずいぶん泣いたみたいだ。とっても慰めたいけれど、それどころではない事態になっているので、慰めるのはあとにしておこう。

 うつむいたデイビッドは両手で顔をおおい、そのまま撫でるみたいにして髪をかきあげると、叫んだ。

「カルロス!」

 シャツのボタンをとめながら、こちらを見下ろすカルロスさんが、階段を下りて来た。すると、デイビッドがいったのだ。

「明日の収録は中止だよ。おれは行かない」

 凍った。のは、その場にいる全員だ。デイビッドがゆっくりと立ち上がる。わたしのそばへ来たアーサーが、

「なにがあったんだ? まあ、だいたいの想像はつくが」

「……その想像で正しいと思うよ。……どうしよう」

「なるほどな。まあ中止だろう。オシャレ国の王子さまが中止といってるんだ」

 デイビッドがわたしを見つめながら、近づいて来る。

「ニコル、これはきみのせいだ」

 わたしをにらんでから、エントランスに立ったカルロスさんとすれ違いに、階段を上りはじめた。WJには見向きもせず、そのまま二階へ上がり、スーザンさんの背後を通る。そしてドアの閉められるけたたましい音が、エントランスにこだました。

 ……ひどすぎる。だけどこれって、わたしのせいなの? わからない、まったく。全員の目線がわたしにそそがれて、いたたまれない気分になってきた。う、ううう。

「ニコル……、どうしたのよ、大丈夫?」

 キャシーがわたしの前に立って、背中を撫でてくれる。わたし自身は大丈夫、だけどまったく大丈夫じゃない感じになってます。

「なんなの? わたしには全然、さっぱり、なにもかもわからないわ。ねえ、ニコル、教えてくれない?」

「心配するな、キャサリン。おれもだ」とアーサー。

 わかっているくせに、アーサーは嘘をつくのがとてもうまい。それはただたんに、表情が変わらないから、だけれど。

「……だそうだ。解散だ、解散!」

 マルタンさんが、もじゃもじゃの髪を指でくしゃりとさせながら、やれやれとつぶやいて、リビングへ向かった。深く嘆息したのはカルロスさんで、額に手をあてる。

「まあ、いいさ。このほうがよかったんだ」

「はあ? なにいってんだよ、カルロス。あたしをこの仕事に就かせたせいで、あんた、こっちのプロジェクトは止ったまんまになっちまってんだよ!」

 アリスさんが叫ぶ。リックは全員を見まわした。

「おいおい、期待していたんだぞ、おれは。彼のひとことで、なにもかもが終わる組織なのか?」

「リック、そういう組織だ」

 きっぱりとアーサーが答える。わたしはうなだれる。こうなったら、わたしが体当たりで、デイビッドの機嫌をとらなければいけないのだろうか……って、そんなことできる気がしない。

「いいよ」

 いきなり、WJの声が静かに響いた。マルタンさんは立ち止まって振り返り、みんなが階段に立つWJを見上げる。

「カルロス、ぼくがやるよ、明日」

 え。

「いろいろ用意してもらわなくちゃいけないけれど」

 一瞬の沈黙のあとで、首を傾げたキャシーがいった。

「……どうしてデイビッドの代わりに、WJが行くわけ?」

<<もどる 目次 続きを読む>>

bottom of page