SEASON2 ACT.14
学校でのデイビッドのイメージは、爽やかで誰にでも(特に女の子に)優しく、育ちのいいお金持ちの男の子、だ。もちろんわたしは苦手だったし、デイビッドがキャシーを追いかけまわしていなければ、それこそこんなことになる依然に、接点なんてまるでなかっただろうと思う。けれどもふたを開けてみたら、そんな姿はまるで幻想、というか、演じているだけ。実際は頑固でわがままなのだ。うすうすわかってはいたけれど、こんなにまでとは思わなかった。わたしの想像を超えている。
自分がどういう存在なのか、自覚してもいるので、さまざまなことを考えて対処してきただろうことはわかる。だけど、ときにはそれを理由にして、周囲を巻き込んでいくのだから、たまったものではない。
WJはデイビッドのことを、いいやつだという。少なくとも悪いやつではないだろうと、わたしも思っていた。だけどこうなってくると、いいやつでもないような気がしてきた。
「ニコル、WJはどこ?」
ダイニングにある大きなテーブルについて、マルタンさんの素晴らしい料理をほおばっていると、右隣に座っているキャシーに訊かれた。パンサーとなったWJは、パトロールに出かけたので不在だ。夜のパトロールはいつもどおり、デイビッドと一緒ではない状態で続行されている、らしい。
「眠っているよ、ミス・ワイズ」
カルロスさんがきっぱりと答えた。リックとキャシーには知られたくないのだろうか。それともこれ以上、パンサーの正体を知っている人を増やしたくないだけかも? どちらにしても、カルロスさんのこの返答で、わたしとアーサーは、キャシーとリックに、真実を伝えてはいけないのだと、無言の圧力をかけられたことになる。ちなみに、さっきからわたしはずっと、すきあらば外へ飛び出そうとチャンスをうかがっている。だけどデイビッドがわたしのそばを離れないので、こうして料理を堪能するはめになっているのだ。こうなれば食事を終えた一瞬がチャンス、かもしれない? ……わからない、まったく。
わたしの左隣に座っているデイビッドは、スーザンさんに渡された原稿を持って、
「おお、そなたに出会えた今宵のひととき、目に見えぬ妖精たちの気まぐれに感謝しよう。魔物の王よ、もうよかろう? この街に巣くう魔物どもを追い払うべく、わたくしとともにいざ行かん……って、おい。なんだよ、これ」
いきなり読み上げて、目の前にいるスーザンさんを見た。
「おまえはこれを、おれにいわせるつもりなわけ? ドン・キンケイドを前にしたおれに? 視聴率四十パーセントを超えるウイークエンドショーで?」
サラダをごっくんと呑み込んだスーザンさんは、ふうっと息をついてから、
「……文句ならアリスにいって、デイビッド。彼女ったら、数時間前からひっきりなしに、専属ライターに電話して、電話越しに聞いた言葉を自分で筆記していたの。だけど、どれもこれも気に入らないみたいで、できたそれをやぶっては、違うライターに電話のくりかえし。あなた専用ライターのレイは入院しているし、時間は過ぎるし全然仕上がらないしで、仕方なくわたしが別ルートで手配して、同じようにわたしが原稿にしたのよ。い、いいじゃない、ロマンチックで、シェイクスピア的、……で?」
……だから減給しないで? とは告げなかったけれど、スーザンさんの眼差しは、あきらかにそう訴えている。スーザンさんの隣で、ワインをあおるみたいにして飲んだアリスさんは、テーブルにグラスを置くと、椅子から立ち上がって叫んだ。
「豚だよ! 最悪で最低、全然使えないね。デイビッド、貸しな!」
デイビッドから原稿をひったくり、やぶろうとする。待て、とカルロスさんが叫んでも聞く耳持たず、アリスさんは原稿をまっぷたつに引き裂いて、床にたたきつけ、立ったままワインをぐっと飲み干した。
「んで? どーすんの?」
脚本を用意するよといったのは、あなただったのでは……? なんて、しがない高校生がいえる雰囲気ではない。カルロスさんに視線を向ければ、さすがにまずい展開だと思っているらしく、ゾンビモードに戻りそうな顔でげんなりしていた。
「……デイビッド、朝まで待ってくれるかい? ……ぼくが考えるよ」
「別ルートって、誰なんだ?」とマルタンさん。
スーザンさんは肩をすくめる。
「いま二人でコミックを描いてる、原作者のほう。つかまえられたのはその人だけだったのよ。前に一度、ダイヤグラムのイベントに来ていて、名刺交換していたから、わたしの必殺ファイルに挟まってて助かったわ……って、誰かさんに原稿、やぶられたけど」
「……それは、どなたなの?」
わたしの右隣に座っているキャシーが訊く。スーザンさんはボトルのワインをグラスに注いでから、平然と答えた。
「ああ、キャロル・スイートとかいう名前よ。実際は絵を描いてる人と、ストーリーを考える人と、二人らしいんだけど」
キャシーの興奮は、尋常ではなかった。椅子から立ち上がり、わたしの肩をわしづかむと、ぶんぶんと揺すりはじめる。
「うっそでしょう! ニコル! どうしよう! キャロル・スイートよ、キャロル・スイート! ずっと会いたいって思っていたキャロル・スイートが身近になってるなんて、信じられない!」
手を離したとたん、はあ、とまぶたを閉じて、両手を重ね合わせ、
「……ずっと夢見ていたの。二人だっていうのは知らなかったけれど、でもいいわ。きっと二人とも素敵な女性なのよ。ちょっと憂いのある感じで、執筆する部屋はバラがいっぱいなの。ハーブティーなんか飲みながら、二人で優雅に語り合って、ストーリーを決めているんだわ。それで、お互いの過去の恋愛をひもといて、昔愛した相手にロルダー騎士を重ねているのよ! そうでしょう? そうなんですよね!」
キャシーはテーブルに両手をついて身を乗りだし、スーザンさんを見つめた。スーザンさんはワインを飲み、
「……あなたがどうしてそんなに興奮しているのか、わたしにはわからないけれど。申し訳ないけれど、キャロル・スイートは二人とも」
グラスを置く。
「むさっくるしくて軍隊あがりみたいな、やたらがたいのいい中年の男よ? そういえば一度、なにかの用事で事務所へ行ったことがあるけれど、まさにゴミ溜め。ああ、バラじゃないけど、観葉植物は窓際にあったわ。すっかり枯れてるやつが」
「え」
凍った。のはもちろん、キャシーだった。
キャシーは「衝撃の真実」を教えられて呆然、美しいフランス人形さながら、以後ひとくちも料理を口にせず、微動だにしなかった。けれどもやがて、大きな瞳からほろほろと涙をこぼしはじめて、
「……信じられない、そんなこと、絶対に信じられないわ!」
椅子から立ち上がってダイニングを出て行ってしまった。わたしと同時に腰を上げたアーサーが「おれにまかせろ」的な眼差しでわたしを見つめ、キャシーを追いかける。残されたわたしは、デイビッドに腕をがっしりとつかまれて、
「とりあえずきみは、食・べ・ろ」
わたしがテーブルについている全員を見まわすと同時に、リック以外のみんなが、わたしから視線をそらすのはどうして? ひとりのんきに料理をほおばるリックは、
「……よくわからないが」
肩をすくめると苦笑しながらいった。
「きみたちは個性的だな」
正しい感想だ。
★ ★ ★
食事を終えた人が、順々に席を立っていく。わたしもエントランスへ突進するつもりだったけれど、ひとりで片付けるマルタンさんの姿に見かねて、ともかく後片付けを手伝うことにする。まあいい、厨房でお皿を洗って、そのあとでうまくすきを見て外へ出よう。もしくはマルタンさんに、裏口のような抜け道がないか訊いてみるという方法もある。
後片付けを手伝っていると、ほおづえをついたデイビッドに、じいっと見つめられていたことに気づく。表情は険しいのに、眼差しにはさみしげな雰囲気がある。デイビッドのこの視線は苦手だ。まったく、わたしにどうしろというのだろう。そしてわたしはどうするつもりなのだろう。誕生日に返事をするといったものの、付き合うつもりはいまのところまるでないのだ。だけど断ったところで、デイビッドは絶対に聞き入れない、ような予感がする。というかそれはすでに経験済み。これこそ堂々めぐりだ。
デイビッドの視線に気づいちゃったマルタンさんが、あとは自分でやるよと告げて、残りのお皿をカートにのせて、厨房へ持って行ってしまう。ダイニングには、やることがなくなったわたしとデイビッドの二人が残されて、気まずいことこのうえない空気が流れはじめた。いまこそエントランスへ向かい、扉を開けて、パンサー号まで突進すべき時だ。だけど逃げたって明日はどうするの? その次の日は?
こんな状況耐えられない、というよりもわたしの人生にこれこそあ・り・え・な・い!
「……ねえ、デイビッド。その、じいっとわたしを見てますみたいな視線、やめてくれないかな? すっごく居心地が悪い感じになるの」
デイビッドが、なぜかにやりとした。
「それって、おれを意識してるってことだよね?」
なんでもいいほうに受け取れるというのも、りっぱな才能だ。
「あなたのそのポジティブさには敬意を表したいけど……」
ん? 普通にしゃべってる。ということは、もう人生最大の完璧なキレ具合は、満腹感でどっかにいっちゃった? 部屋のことを笑顔で訴えれば、パンサー号で夜を明かさなくてすむかもしれない。試す価値はありそうだ。
「落ち着いたのなら、部屋のわりあてを元に戻してくれない?」
デイビッドが一瞬視線をはずす。それからふたたびわたしを見て、椅子を引いた。
「……いいよ」
あれ? いまのってわたしの空耳じゃないよね?
「え? あれ? い、いいの?」
「いいよ」
このうえなく爽やかに、にっこりと微笑んでいる。その笑顔には一点の曇りもない。なにがきっかけだったのかわからないけれど、機嫌はなおったようだ。万歳、わたし! 今夜眠る前、これでたっぷりキャシーを元気づけることができそうだ。まあ、なんといって慰めたらいいのか、全然思いつかないけれど。
「おれも大人げなかったかもね。昨日からいろんなめにあって、イライラしてたんだ。悪かったよニコル。だから少しだけしゃべらない? もちろん、キレないし、怒らないから。ただ普通にしゃべるだけ」
デイビッドが謝った。奇妙だし不思議だけれど、デイビッドの口調には落ち着きがある。普通にしゃべるなら大歓迎だ。わたしがうなずくと、デイビッドがまたにっこりした。笑顔は雑誌の表紙さながら、素晴らしく友好的だ。たしかに考えてみたら、昨日は朝からマスコミに追われて、しかもエレベーターに閉じ込められ、今日は今日でギャングに追いかけられて、いろんなイライラが溜まって、わたしにやつあたりしただけなのだろう。
……たぶん。
「きみの荷物はベッドルームにあるから、おしゃべりする前にとってこないとね」
しゃべりながらわたしの前を歩いて、階段をのぼりはじめる。さっきデイビッドの脇腹をくすぐって逃げたため、入らずにすんだベッドルームのドアノブに、デイビッドが手をかける。ドアを開けると、電灯のスイッチを押して、
「どうぞ。荷物はあそこ」
デイビッドは戸口に立ったままなので、安心したわたしはいわれたとおりに部屋へ入る。自分の荷物を持ち上げた時、ドアが閉められた。しかもガチャリという音までする。
「あれ?」
首を傾げつつドアを開けようとすると、びくともしない。これって、もしかして。
「……外から鍵、かけられちゃった、わけじゃないよね?」
「そうだよ」
ドア越しにデイビッドがいった。
「きみはほんとに間抜けだね。すきあらば逃げてやれみたいな顔を、ずっとしてただろ、おれが気づかないとでも思ってたのかよ。ここはもともと物置だったんだ。それを一階の奥に移動したから、唯一外から鍵のかけられる部屋。だから残念ながら中からは出られないし逃げられないよ。そこでじっとしてるんだね、ニ・コ・ル!」
……すぐに人を信用する自分の頭を、壁にたたきつけてやりたい! こんなことを繰り返されたら、ものすっごく人間不信におちいりそうだ。
「ちょおっと! どおーしてこんなことしちゃうの? トイレに行きたくなったらどうすればいいの?」
「三十分ぐらい我慢すれば?」
デイビッドの声が、なぜだか楽しそうに聞こえるのは、わたしの気のせいだろうか。
「三十分!?」
「おれはさっきアリスがやぶった原稿の件で、カルロスと相談しなくちゃいけないからね。いいから、黙って、そこで、待・っ・て・ろ!」
誰ですか、デイビッドをこんなふうに育てちゃったのは! さすがにわたしの頭にも、とうとう血がのぼった。
「あなたの機嫌がなおったんだと思っちゃったじゃない!」
「そうかい、それはすまなかったね。だけどおれはいったはずだよ。人生最大にキレたって」
あごがはずれそうなほど、わたしの口が開く。キレは続行中、だったらしい。
「え?」
……えええええ?
「キレ、てたの?」
「キレ、てます、だ!」
わたしはうなだれる。すごすぎる。わたしの理解をはるかに超えている言動と行動、デイビッドこそがサタンの申し子だったのだ。ということは、ここはすでに魔界、かも? とか、のんきに現実逃避している場合ではない。
「……はあ。デイビッド。よくわからないけれど、わたしはあなたをすっごく怒らせちゃったみたいだね。だけど、なんていうか、うまくいえないけど、なんでも思いどおりにいくこととかって、わたしはないって思うよ」
デイビッドは静かだ。まだドアの向こうにいるのかいないのか不明だけれど、続けてみる。
「あなたはわたしにどうしてほしいの? あなたを好きになって、あなたなしではいられないみたいな、そんなふうになってもらいたいの?」
返事がないのでもういないらしい。がっくんと頭を垂れて、わたしは人生最大なため息をつく。すると、
「……さあね。だけどきみはいつも、予想外な行動をとるから腹がたつんだよ。おれはいままで、なんでも手に入ったんだ。ちょっと指をさせば、それがどんなに高価なものでも、数時間後には家にある。手に入らないものなんて、おれにとってはありえないんだよ、ニコル。思いどおりにいかないのはわかってるさ。でも思いどおりにするために、ものごとを力づくで動かすことは悪いことじゃない。そうだろ!」
ドン、とドアが叩かれた。とっても「個性的」な意見だ。
「じゃああなたは、わたしを力づくでどうにかしようと思ってるわけ?」
数秒、間があいた。やがてデイビッドがいった。
「いまごろ気づいたの?」
わたしはさらにうなだれる。いいえ、そんな気はしていました、なんて答えるのもいまさらだ。のろのろとドアに近づいて、頬と耳をくっつけると、デイビッドが去っていく気配がした。
窓を振り返る。こうなれば明日やその次の日のことなんて考えてはいられない。いますぐ、この三十分の間に、パンサー号へ逃亡しよう。窓に近づいてカーテンを開ける。遠くにフェスラー家の灯りが見えたので、あわててカーテンを閉め、照明を消してから、ふたたびカーテンを開けて窓を開ける。うううん、とっても高い。ジャンプなんかしたら両足骨折、全身打撲は確実だ。
ここは二階の一番端の部屋だ。身を乗り出して左右を見わたす。右側の奥に森がある。ということは、この豪邸の背後に広がる森を目指せば、近くにパンサー号があるはず。こういった場合、たいがいの人はシーツなんかを結んで垂らし、脱出をこころみるものだ。というわけで、キングサイズのベッドを丸裸にし、カバーとシーツを力いっぱい、しっかりと結び合わせる。地面までには足りないけれど、そこからジャンプすれば、尻餅ていどですむだろう。
窓には柵がついていた。シーツのはしを柵に固定して、ぎゅうっとひっぱってたしかめてから、外へ垂らす。こんなアクションありえない、だけど必要に迫られているのだ、あきらめよう。
「高所恐怖症じゃなくてよかった」
両手でシーツを握り、壁に足をつけて、一歩一歩降りる。もうジャンプしても大丈夫、というところまできて、地面に着地する。もちろん、尻餅つきで。
「わたしのお尻、いまにぺしゃんこになるような気がする」
ぺしゃんこになったところで、いまさらたいした痛手ではない。ひとりごちてから、いっきに森まで走る。ミスター・スネイクだけは、わたしの居場所を確認しているはずだ。スニーカーの中にくっつけられた発信器で……って!
「まっずい。そうだ、ミスター・スネイクには口止めしなくちゃいけないんだ!」
デイビッドがわたしの不在に気づいて、無線機で連絡を入れてしまう前に、ミスター・スネイクに伝えなければ! ジーンズをまさぐってからはっとする。電池が切れているといったデイビッドに、わたしのそれを貸したままにしちゃっていたのだった! まあいい。ようするにわたしが急いでパンサー号まで行って、デイビッドからの連絡よりも先に、ミスター・スネイクに伝えればいいだけ……って、なんというべき? 逃げてます、って? これもまあいい、ことにしておこう。あとで考えよう。
暗がりの森の中に、ぽつんと輝く灯りがある。そこを目指して走りながら、追跡者がいないか振り返る。ギャングに追いかけられているせいで、こんな癖までついてしまった。最悪だ。
月明りのおかげか、空は完璧な闇ではない。雲が流れているのが見えるほどの藍色だ。
三度目に振り返った時、ずっと遠くから、猛スピードで飛んで来る黒い点があった。あ、と思って立ち止まってしまう。まばたきをした直後に、点の輪郭が大きくなる。またたく間に大きくなって、ズン、という地響きとともに、片手と肩肘を地面につけた恰好で、それはわたしのそばに着地した。
パンサーはふうっと息を吐くと、そのままの恰好でわたしを見上げる。
「……なにしてるの?」
「あ、う」
いきなりすぎてどもる。
「そのう。ううう。逃げてます」
「え?」
パンサーの息があらい。長距離を走ったかのようなあらさで、肩で息をしながらマスクを取る。グローブをつけた手の甲で額をぬぐうと、
「逃げてるって、なにから? もしかしてなにかあった? ギャング?」
「あ、ああ。違うよ。そうじゃなくて、デイビッドがわたしを」
おっと、いえない! 付き合ってると思わせる人物カテゴリーの上位に、WJはいるのだ。いやむしろそのカテゴリーには、WJしかいないといってもいい……って、ああ、もう、ややこしすぎていますぐ倒れたい! と、WJがわたしの腕をつかもうとして手を伸ばす。けれどもすぐにひっこめた。
「いってよ、ニコル。きみはなにか隠していて、それで悩んでいて、ぼくになんでもしゃべれないんじゃない?」
そのとおりよ、さすが入学以来の友達! ええい、いってしまえ! ……っていえるわけない。明日は大事な番組収録があって、ここでデイビッドとのことをしゃべってしまったら、WJとデイビッドの関係がどうなるのか、わたしには想像もつかないけれど、よくないことは間違いない。
……ああ。
「わたしとデイビッドがおんなじ部屋ってのは、つ、付き合ってるんだから、べつにいいんだけど、でもよくないのよ。そういうのって、……まあ、はしたないでしょ?」
わたしとしてはうまい表現だ。
「それにキャシーとしゃべりたいし、だからキャシーとおんなじ部屋がいいなって。そういったらデイビッドがむくれて、わたしを部屋に閉じ込めちゃったの。ああ、べつに喧嘩とかそういうことじゃなくて、だけど、そのお、まあなんていうか。だから逃げたってわけ」
しどろもどろな弁解だ。WJの表情を読み取るには、月明りがあるとはいっても、さすがに暗すぎる。
「……きみは今夜、デイビッドとはいたくない、ってこと?」
今夜にかぎらず永遠に、ごめんこうむりたい。
「うーん、まあ……」
WJの顔が少し上がり、わたしの背後へ向けられた。
「ああ。ミスター・スネイクのところへ行こうとしてたんだね」
「そこしかないでしょ。狭そうだけど」
WJが口ごもる。そろそろ豪邸から誰かが飛び出して来そうだ。しかもミスター・スネイクには、わたし失踪の連絡が入っているような気もする。
「行くよ。ミスター・スネイクにわたしの居場所を特定されて、デイビッドに知られたら、さらにとってもまずいことになりそうだから」
背を向けると、
「どのみち知られるよ、ニコル」
それはそうだ。
「まあ、そうだけど」
「どのみち知られるなら。きみが嫌じゃなければ」
わたしは肩越しに振り返る。WJはふたたびマスクを装着して、
「……誰も来られない場所に、連れて行ってあげようか」
「え?」
「まあ、場所は特定されるし、ぼくと一緒ってのも、ミスター・スネイクにはバレちゃうけどね。それにきみはぼくを怖がっているし、だから無理強いはできないけど」
また口ごもって、軽くうつむく。昨日のことを気にしているのだ。
「ほんの少しだけ。朝までじゃなくて、ちょっとだけだけど」
いますぐパンサーになっているWJに抱きついて、連れて行ってくれと叫びたい。だけど、そんなことをしたら、WJのいうように、ミスター・スネイクにはバレバレで、あげくデイビッドにも速攻で知れわたる。ただでさえ人生最大にキレているのに、わたしがWJと一緒にどこかへ行ってしまったなんて知ったら、明日の作戦はナシだといいだしかねない。ナシになってもいいけれど(よくもないけれどこの際おいておく)、最悪な場合、デイビッドは本当に、表のパンサーでいることを、明日の番組収録なんていきなりのキャンセルで、やめると断言してしまいそうだ。ものすごくそんな予感がする。
「う。ううう、うーん……、うーん、それはちょっと、まずい、かな?」
わたしにどう答えろっていうの? うまい返答なんてまったく思いつかない。
妙な間があいた。パンサーは、腕を組んで、ふっと声をもらす。
「そうだよね。またばかなことをいっちゃったな」
背を向ける。
「ぼくはカルロスと一緒の部屋に戻るよ。眠っているふりをしないとね。きみのことは見なかったことにしておくよ。……気をつけて」
いい残し、その場から飛んで、一瞬のうちに消えてしまった。
わたしはくるりと森を向いて、パンサー号を目指し歩みを早める。だけど同時に、ものすごい後悔の念におそわれきた。
……誘ってくれたのに。いまのって、そういうことでしょ? 誘ってくれたってことじゃない? なのにわたしったらなんていったの? うーん、それはちょっと、まずい、かな? まずいかなってなにがよ! もう、なにいってくれちゃってるのって感じだ。もっとうまいこといえなかったわけ? あれじゃ、あなたとも一緒にいたくない、みたいな意味にも受け取られちゃうじゃないの!
「……わたし、いますぐこの世界から消えたい」
ずんずんと大股で、うつむいたまま歩いていると、やたら香ばしいいいにおいが鼻先をくすぐりはじめる。顔を上げれば視線の先に、アウトドア好きな家族さながら、パンサー号のそばには屋根つきのテントが張られてあり、折りたたみチェアに座ったミスター・スネイクが、バーベキューにかぶりついていた。バーベキューコンロで肉を焼いているのは弟だ。
発信器の画面なんて、全然監視してない、のでは……?
「お。どーした、ちっちゃいの」
わたしに気づいたミスター・スネイクが、顔を上げていう。とっても楽しそうだ。
「食べるかい? いい感じに焼けてるよ!」
サングラスにモヒカン頭の弟に、バーベキューを差し出される。見た目はおそろしいけれど、口調はとっても優しい。わたしにいま起こっている境遇なんて、あたりまえだけれどどこ吹く風、そののんきかつ楽しげな二人のようすがうらやましくて、わたしは叫んでしまった。
「う。ううう、もう、もう! どうしてみんなわたしをプチとかミニミニとか、ちっちゃいのとかいうの? わたしの身長は普通でしょ!」
ミスター・スネイクは肩をすくめて、
「決まってるだろ、イメージだ」
……なんのイメージなの?