SEASON2 ACT.13
エントランスをはさんだリビングの反対側、一階の奥には、キッチンと呼ぶには立派すぎる厨房とダイニングがある。食材は昨日のうちに買い込んでいたらしく、クーラーバッグを抱えたマルタンさんが厨房に向かう。
わたしはパパとママに電話をして、お互いの無事を確認し合う。パパもママもいたって元気だ。パンサー活躍のニュースを見たパパは興奮していて、ママはいまだに、アーサーをわたしにおすすめしてくる。もうむしろ、自分がほんのり恋心をよせているのではないかと、疑惑を抱かせるほどの熱弁だった。
受話器を置いてから、会話しているアーサーとリック、アリスさんをリビングに残し、マルタンさんを手伝うためキャシーと一緒に厨房へ行く。途中でエントランスの扉が開き、打ち合わせから戻って来た四人と、ばったりでくわした。
「ハーイ、WJ! あなた、デイビッドと一緒だったのね?」
キャシーが声をかけると、WJはやっぱり耳を赤くする。
「ニコルに訊いてももごもごしてるだけで、どこにいるのかはっきり教えてくれないんだもの。でもあなたたち」
デイビッドとWJを交互に見て、
「……学校帰りに一緒に行動しちゃうほど、仲良しだったかしら?」
わたしはキャシーの腕をひっぱり、厨房へ急ぐ。白一色で統一された、清潔感あふれる広い厨房で、マルタンさんがてきぱきと食材を並べていた。手伝いますと声をかけたわたしの腕を、逆にキャシーがひっぱって、美しい顔を近づける。
「……ねえ、ニコル。あなたなにか隠してない?」
さすがキャシー、というか、女の子の勘は鋭いのだ。
「な、なにか、って?」
キャシーの形のいい片眉が、くいっと上がる。
「……まあ、いいけど。でも、さっきだってWJに挨拶もしないし、車に乗っていた時も、どことなーく、デイビッドを避けてる気がしていたんだけれど。もしかして、デイビッドと喧嘩中なんじゃない?」
「う」
そこでアーサーがあらわれた。キャシーの名前を呼んでから、少し話したいといって連れ去ってしまう。アーサーとしては、ひとつ屋根の下というこの状況を、まんべんなく活用して、キャシーのリックへの興味を、自分のほうへひきつけたいはずだ。がんばれアーサー! ……なんて、アーサーを応援している場合じゃないんだけど。
「野菜を洗ってくれるかい?」
マルタンさんにいわれ、蛇口をひねって大量のアイスバーグをひたす。サラダ、パエージャ、オムレツ、豆の煮込み、といったスペイン料理を作るという。
「マルタンさん、すんごい。なんでもできるんだね!」
「おれはスパニッシュだ。母親の料理にはおよばないが、祖国の味は大切にしたいだろ? だから覚えたんだ」
ウインクをするけれども、まあ、ただのまばたきだ。
「そうだな。保安官ふうにいえば、おれの包丁さばきは……」
「神からの贈り物だ!」
わたしがひきとると、マルタンさんが笑った。ああ、パパに会いたいなあ。ママの手抜き料理もなんだか懐かしい。ちょっとしょんぼりすると、
「早く落ち着いた生活をしたいだろう? まあ、おれたちも、だけどな」
マルタンさんが、エビを器用にむきはじめる。
「ああ、……ですよね」
それにしても、ものすごく不安だ。明日の作戦が実行に移されて、どうなるのか想像もつかない。そんな不安げなわたしのようすに気づいたのか、マルタンさんが微笑む。
「大丈夫かしらって顔になってるな。大丈夫さ。やる時はキッチリ決める、みんなそういうやつらだ。おっと」
わたしに顔を近づけて、
「おっかないのがひとりいるけどな、マジで」
間違いなくアリスさんだ。くすくすとわたしが笑っていると「ずいぶん楽しそうだね」というデイビッドの声が厨房にひびいた。マルタンさんが絶句する。
打ち合わせはうまくいったのかどうなのか。わからないけれども、機嫌は最悪、らしい。思い返せば今日学校で、わたしはデイビッドを避けたってことになる、のかも?
さっき見かけたのと同じ、スタイリッシュな黒のパンツに白いシャツという、打ち合わせ用スタイルのままのデイビッドが、ひとさし指をくいっと曲げて、こっちへ来い、という仕草をする。
……避けた、ってことに、なってるみたいだ。
ミセス・リッチモンドにお説教される場面が浮かんで、わたしはうなだれたまま厨房を出る。デイビッドが螺旋階段をのぼっていく。階段の脇には、アーサーとキャシーがしゃがんで話し込んでいる。なんだかまだ、学校にいるような錯覚におちいってきた。
わたしを見上げたキャシーと目が合う。無言のまま「た・す・け・て」と眼差しで訴えてみたけれど、喧嘩したあとの仲直りと思っちゃってるのだろう、キャシーに「うまくやって!」的なウインクをされた。ううう、違うのに。いますぐ駆け寄って、なにもかもぶちまけてしまいたい衝動におそわれるけれど、必死に耐える。
重厚な木製のドアが並ぶ、濃紺の絨毯が敷かれた左右に伸びる一直線の廊下をデイビッドは迷わず右を向いて直進し、つきあたりの部屋のドアを開けた。
さすが元幽霊屋敷。本なんて一冊もない本棚に囲まれた、殺風景なそこは書斎だった。大きなデスクに椅子、その手前にソファと肘掛け椅子が置かれてある。
デイビッドは、どさりとソファに腰をおろして、前のめりになり指先を組むと、戸口に立っているわたしを上目遣いに見る。
「ドアを閉めて」
いわれたとおりにしておこう。
「教えてもらえる? 学食での態度の理由」
完璧にお説教モードだ。
「いや、まあ。だって、あの時あなたはジェニファーとかと一緒だったし、ややこしいことになりたくなかったんだもの」
デイビッドがうつむく。
「あ、そう。おれはけっこう傷ついたよ」
う。
デイビッドはうつむいたままだ。ジェニファーに責められるのが嫌で、いろんなことが面倒くさくなって、避けたのは事実だ。そんなことをしたところで、結局はジェニファーに責められてしまったのだけれども。疲れてるような気配を漂わせるデイビッドに、ちょっとだけ近づく。
「そうだよね。ごめん」
話をそらしてみよう。
「さっきは、おっかなかったよね」
「まあね。正直、死ぬかと思ったよ」
ため息まじりだ。
「打ち合わせは、順調に終わった?」
「どうでもいい」
「ジョセフをドンに大作戦」は、いまやデイビッドの中で、どうでもいい位置へおいやられているらしい。いいだした本人のやる気の低さと、成功する確率って、折れ線グラフにしたらどんなことになるのだろう。アーサーに訊いてみたい。
「WJと……」
どんな話してたの? と訊こうとしたけれど、名前を出しただけでにらまれたので、口をぎゅっと結ぶ。仲良くしてといったわたしの言葉を、忘れたわけじゃないよね? もっとつっこんで訊いてみたいけれど、いまはやめたほうがよさそうだ……って、おっと、そうだ。大事なことを忘れていた!
「デイビッド。ジェニファーはあなたのこと、とっても心配してる、というか、あなたのこと、ちゃんと見てる女の子だった、みたい!」
あれ? タイミングを間違った、かもしれない? ふうん、とデイビッドは目を細めてわたしをにらむと、背もたれにのけぞって腕を組んだ。
「興奮気味になにをいうかと思えば。おれとジェニファーをくっつけようとしてるんなら、無駄だよニコル。彼女が一生懸命なのはわかってるし、かわいいところがあるのも知ってるさ。だから邪見にもできないんだ。公の場でのおれのイメージもあるしね。本音をいえば、ウザいけど」
わたしはジェニファーじゃないけれど、そこまでざっくりいいきられると、なぜか彼女の肩を持ちたくなる。
「それはひどいよ」
「お人好しもいいかげんにしてほしいね。ひどいのはどっちだよ」
どっちだろう? どっちもどっち? いや、わからなくなってきた。
「わ、わからない……」
デイビッドに苦笑された。
「ビートルズ・マニアのニックが、プロムにきみを誘いたいってさ」
「ああ。それはビートルズ・マニアだからよ。それに、わたしは参加するつもりないから」
はあ? とデイビッドがあっけにとられる。
「女の子ならみんな参加したいだろ? なんだよ、それ」
参加するならWJと一緒が夢なの! なんていったら、現実世界にいながらにして、魔界に落されそうだ。どのみちWJとだなんて、いまとなっては実現不可能。だったらいっそ誰とも参加せずに、シッターのバイトでもしていたほうが気楽だ。
「おれと一緒は嫌だ、ってことなわけ、それ?」
「そうじゃないけど。あれ? あなた、わたしを誘ってくれるつもりだったの?」
貴様はなにをいってるんだみたいな、歴史上の暴君を連想させる顔で、わたしをにらまないで欲しい。ただたんに、わたしの考えがそこまでおよばなかっただけ。
「あ、う。あ、あなたとわたしって、つりあわないし。それにドレスとか、たしかに憧れるけど、なにを着たらいいのかわかんないし」
「そんなのおれが選んでやるし、レベッカだっているだろう? ……ああ、そうかい、そうなのか、やっぱり堂々めぐりなんだ。もういい、もぉーうわかった」
立ち上がったデイビッドがわたしの右腕をぎゅうっと握る。
「ちょっと来い!」
ものすごい勢いでドアを開けると、廊下を大股でつっきっていく。わたしいまなにかした? というか、どうしていつもいきなり怒るの! どこへ向かうつもりなのかわからないけれど、行き先が魔界でないことを祈る。
階段でおしゃべりしているアーサーとキャシーが、こちらを見上げる。あうあうと声にならない声を発していたら、デイビッドが書斎の反対側、つきあたりの部屋のドアノブに手をかける。おっとまずい。ベッドルームだ!
こんなところで二人きりになるつもりはない。だからわたしは意を決して、つかまれていない手を伸ばし、思いきりデイビッドの脇腹をくすぐってみた。うお、とデイビッドが、デイビッドらしからぬ声を発して笑ったので、そのすきにゆるんだ腕を離し、廊下を走る。
……これじゃあまるで、五歳児同士の鬼ごっこだ。でもそんなことはいっていられない。昨日キスされて、おまけにさらに「大人モード」なおっかないことをされたら、たまったものじゃない!
階段を飛ばすためにジャンプするも、螺旋階段の狭い踊り場で、着地にまずって尻餅をつく。
「なにをしてるんだ」とアーサー。
「身を守るための鬼ごっこよ!」とわたし。
いっているそばから、もうすぐそこに、暴君顔のデイビッドが来ている。
さらにジャンプして、エントランスに着地成功。さてどこへ逃げるべき? いっそ外へ出て、パンサー号で夜を明かしたほうがまだましかも? だけどそうすれば、キャシーとの女の子トークが楽しめない。すっごい、これって、究極の選択だ! どちらにしても、考えている時間はない。いったん外へ出ることに決めて、扉に手をかけたところで、
「ストップ!」
デイビッドの声が頭上にそそがれた。
「え?」
階段に立ったデイビッドが、わたしを見下ろして指をさす。
「……オーケイ、ミス・ジェローム。きみはおれを、マジで怒らせたね。で、おれはいま、かつてないほど人生最大に完璧にキレた」
自己申告をありがとう、なんてありがたがっている場合じゃない! どうしよう、暴君顔どころか、笑ってる。しかも楽しくて笑ってる、なんていう顔じゃない。怒りをとおりこした笑顔だ。だけど、どうして? どうしてそんなに怒っちゃうの? たしかに逃げたけれど、そこまで怒ることじゃないじゃない?
「きみが昨日、おれにいったことなんて、いますぐ白紙だよ。だいたいどうして、きみのいうことをおれが聞かなくちゃいけないんだ? だよな、ほんとそうだ。おれったらどうかしてたね。いや、そもそも最初からどうかしてたんだ。きみのご機嫌をうかがうなんて、まったくおれらしくない」
え?
「おっと、すごいぞ」
アーサーの、いかにも面白がってるみたいな声がもれる。応援撤回、いつか絶対に、アーサーの口を縫ってやる。
「……あなたたち、まだ仲直りしてないわけ?」とキャシー。
「そうだね、そのとおりだよ、ミス・ワイズ。きみからも彼女にいってくれないかな? どうしても彼女は、おれから逃げようとするんだ。おれがゴージャスすぎて自分はつりあわない、とかなんとかいってね」
ん? なにかおかしな方向に勘違いされていないかな、それ?
「いやだ。そうなの、ニコル? 大丈夫よ、自身持って! あなたったら、すっごくキュートなんだから!」
決めた。今夜絶対に、誰がなんといおうと、キャシーにすべてをぶちまけよう。そうしたら彼女は、わたしの心強い味方になってくれる。ただし、いまは仕方がない。だって、わたしとデイビッドは恋人同士って、思っちゃってるんだもの。
デイビッドが階段を下りはじめる。
「きみの荷物はリビング?」
口調は優しいけれど、キレのよさは続行中みたいだ。なにしろ眼差しの険しさが尋常じゃない。と、そこで。厨房からグラスを手にしたWJがあらわれた。泡が発砲しているので、中身はソーダだろう。
……なんだろう、この気まずい空気感は。
「WJ、悪いけど部屋のわりあてを変えたから、伝えておくよ。きみはカルロスと一緒の部屋だ。マルタンはどうせ寝袋を持参してるだろうから、リビングで眠ってもらう。警官気取りと本物の警官が一緒。女性たち三人も一緒」
デイビッドがおだやかーな声でいう。ものすごくいやな予感。
「三人? 四人だよ、デイビッド」
WJはちらりとわたしに視線を向け、ソーダを口にふくむ。デイビッドはリビングのドアを開けながら、
「数に入ってないひとりは、おれと一緒だよ!」
バンッ、と音をたててドアを閉めた。同時にWJがむせて咳き込んで、手に持っていたグラスが、なんと弾けて割れてしまった。
「いやだ、いまのなに? どうしたの?」
キャシーが階段から身を乗り出して、WJを見下ろす。床がソーダで濡れて、ガラスの破片が散っている。
「たぶんヒビがはいって、いたんだよ、キャシー」
咳き込みながら、しゃがんだWJは破片をつまんで、手のひらに集めていく。わたしも手伝うつもりでしゃがむと、WJはうつむいたまま、
「触らないでニコル。危ないから」
わたしをつけ離すような口調でいう。立ち上がったWJは、掃除機を持ってくると告げて、エントランスから去ってしまった。
ヒビなんかはいっていたはずない。そんなグラス、すぐに気づくはずだもの。だとしたらいまのは、なに? まさか昨日と似たようなこと、なんかじゃないよね?
「……よかったな、ニコル。デイビッドはきみと仲直りするつもりらしいぞ。いろんな方法で」
いきなりアーサーがいう。もう、もう! アーサーの首を、いますぐ締めてやる! 背伸びして階段に座っているアーサーをにらむと、怪訝な表情のキャシーと目が合った。
「……うーん。なにかヘンなのよね。あなたもしかして、WJとも喧嘩してるの?」
ようし、もう我慢できない。いますぐ、デイビッドとは恋人同士とまでいたっていないことを、しゃべってしまおう。口を開けた直後、リビングのドアが開く。わたしの荷物を抱えたデイビッドが、
「覚悟しとくんだね、ミス・ジェローム」
怒りを抑えてますといいたげな声音のせいで、まともにデイビッドを見ることができない。というよりも、わたしの視線が拒否してる。
決定。わたしの今夜の寝床は、あの狭っくるしいパンサー号だ。なんとかうまく抜け出して、たどり着ければ、の話しだけれど!