SEASON2 ACT.12
スーザンさんが遅れたのは、伝線したストッキングに気づき、高級デパートで新たにストッキングを購入し、トイレで履き替えていたからだった。
無線機の電池が切れてばかりいたのは、パンサーをライトバンに描いてもらうため、カルロスさんに渡された前払い分のギャラを、ミスター・スネイクが有名アーティストにほとんど費やしてしまったからだ。結果、電池は自分の家に転がっていたもので済ませちゃった……らしい。
ちなみに「めちゃクール」なライトバンは、アーサーの予想どおり派手すぎるので、ガソリンスタンドに面したブロックのすみに停められていたことが判明する。わたしたちに取り付けられた発信器が、異様な動きを見せるも、電池の切れた無線機で連絡できるはずもなく、マルタンさんがスタンドへ買いに行けば、最後の電池をアリスさんが購入してしまったあとで、連絡がつかず、ともかくバンを動かして、アリスさんを拾い、リックとキャシーを乗せたのちの、アーサーの運転する車の前にあらわれるにいたった。そしてスーザンさんの車と合流し、とりあえずダイヤグラムの会社のあるビルへ集合。パンサー号がビルの前にあったとしても、宣伝の一部としてみんな微笑ましく通り過ぎてくれる、はずだから。
身を隠すようにして車に乗っているデイビッドと、パンサー号の運転席にいるミスター・スネイクの弟を残し、全員が車から降りてビルに入る。
ビルのロビーを、スーツ姿の大人たちが行き交っている。そのすみっこに陣取っているわたしたちは、かなりあやしい。とはいえ、こちらを気にする人なんていない。他人を気にするよりも、目の前にぶら下がっている自分の仕事しか視界に入らないのが、クレセント・シティのビジネスマンだ。
「なによもう、しょーがないじゃない! だって、フォーシーズンズのストッキングの種類の多さったらないのよ? 色でも悩むし素材でも薄さでも悩むわ。ついでに下着も見ていたら、いろいろ試着してみたくなるのが女ってものでしょ?」
スーザンさんが肩をすくめて、悪びれるでもなくいい放つ。……ああ、いろいろ試着も、していたんだ。
「グレゴリー・ファイだぜ? あのグレゴリー・ファイ! いま流行ってるクラブの内装は、全部ヤツのグラフィティでうめつくされてるって、あんたら知らないのか? そりゃ全財産なげうってでも、描いてもらいたいって思うのがあたりまえだろ」
当然、みたいな顔をして、ミスター・スネイクがいう。その前に、電池を買うぐらいのお金は、残さなかったのだろうか。いや、わかってる。残さなかったのだろう。
と、どこからともなくあらわれて、地面に着地したパンサーが、ロビーの窓から見えた。気づいたのはわたしだけのようだ。即座にデイビッドの乗っている車の座席へ、身をすべらせる。パンサーに車を転がされたグイード・ファミリーの一味は、いまごろ大量に警察に捕まっているはず。
タバコに火をつけたカルロスさんが、まぶたを閉じてうなだれたまま煙を吐いた。
「ともかく」とカルロスさん。「ぼくはスーザンとデイビッドを連れてテレビ局へ向かうよ。明日の番組の打ち合わせがあるからね。それからWJは……」
いって、窓を振り返ろうとするので、わたしは車を指でしめす。カルロスさんが小さくうなずく。それから、リックとキャシーを見た。リックの名前を呼んで、二人が輪から離れていき、顔を近づけてこそこそ話をはじめてしまった。
「きみのご両親は?」
隣に立っているキャシーを、アーサーが心配そうにのぞきこむ。すんごい優しい口調で、わたしはポカンと口を開けてしまう。さっき怒鳴っていた男の子は、どこへいってしまったのだろう。
「パパとママはあなたのお父さまと一緒に、先に出発したの。あとからわたしが、リックと遠まわりの別ルートで向かったんだけれど、まあ、あんなことになっちゃって。でも助かったわ。というか、あなたたちはなにをしてたの?」
こっちもギャングに追いかけられてました、なんていまはいえない。それにキャシーは、デイビッドをパンサーだと思っている。どこまで話せばいいのかわからないので、アーサーとわたしは視線を交わし、まだ話せないと伝えるにとどまった。それよりも、わたしはいまにも泣きそうだ。しゃべりたくてもしゃべれないことが、山のようにあるけれど、でもだからこそ、いまわたしのそばにキャシーがいてくれることが、本当に嬉しいのだ。
「ニコル、どうしちゃったの、そのバンドエイド」
わたしの目の前に、童話のお姫さまみたいな顔が近づく。
「う、ううううう」
キャシーはわたしの右腕を優しく撫でてくれる。
「……よくわからないけど、わたしはデイビッドのことをなんとも思っていないから、心配しないで。ただの噂だし、マスコミの誤解よ? 相手はあなたなのに、こんな誤解、失礼しちゃうわよね!」
ちっがーう! そんなことは全然心配してないです、っていいたいけれども、やっぱりいまはいえない。
それよりも、とキャシーが、カルロスさんとしゃべっているリックへ視線を向けた。わたしの気のせいでなければ、キャシーの耳や頬が、WJさながら、赤く染まり、はじめてる?
「……大人の男性って、先生以外にまわりにいなかったでしょ? あなたにだけはいっちゃうけど、彼って、すんごく、ロルダー騎士っぽいって思わない?」
え。
「え」
短い声を発したのは、アーサーだ。
「だって、聞いてニコル。彼ったら、もうすんごいの。なんていうか、その場の機転がきくっていうか、それにギャングからわたしを助けてくれたのよ? もうどきどきしちゃって、闇の騎士シリーズの一場面みたい、って、最高に興奮したんだから!」
そう、みたいだ。ただでさえ大きなブルーの瞳が、これ以上ないほど輝いている。こんなキャシーをわたしは見たことがない。キャシーはアーサーを振り返って、
「彼って、二十四歳くらい? 年下の女の子って、どう思うかしら? ああ、でもダメね。きっと素敵な恋人がいるのよ、同じ職場で、交通整理とかしている感じの、大人で、超セクシーで、彼をまどわす魔女みたいな人が!」
凍った。のはわたしではなく、アーサーだった。
★ ★ ★
どうして? どうして誰ひとり両思い、みたいにならないの? まあたしかに、わたしはWJと両思い、っぽくはなれた……けれども無情にも、恋愛小説の主人公みたいな悲恋的運命のせいで、その関係は後退し、いまやわけのわからないことになってしまっている。
カルロスさんとスーザンさんは、WJとデイビッドを乗せた車で、テレビ局へ向かってしまった。リックはビルのロビーにある電話ボックスへ入る。ひっきりなしに誰かとしゃべり、電話を切ったのち、わたしたちと行動を共にすることになる。というわけで、マルタンさんの運転する車に、リックとキャシーとアリスさんが乗り、元幽霊屋敷、いまはたぶん、普通の豪邸にととのえられたはずの、デイビッド三件目の隠れ家へ向かうことになった。
ちなみに、パンサー号に乗っているのは、わたしとアーサーだ。首にヘッドフォンを下げたミスター・スネイクは、バンの中に設置された、五台のテレビ画面みたいなものを眺めながら、いつ買い込んだのかわからないハンバーガーにかぶりついている。彼の左隣に並んで座っているわたしは、隣のアーサーに向かって、
「……同情するよ、アーサー」
「……いまはなにもいうな。頼むからいわないでくれ」
ただし、ちょっとばかりわたしはアーサーに対して、意地悪な気持ちになっている。さんざんわたしをからかってきた、これは罰に違いない。
「うふふ……。そうだよね、ライバルがお兄さん、になっちゃったんだもんね……」
さすがにお兄さんには、あだ名をつけられないだろう。
「おれをからかっているつもりだろうが、いいのか? この数日間、おれたちはたぶん、ひとつ屋根の下だろう。あのオシャレバカにきみの夜這いをたきつけるぐらい、おれにはわけがないんだぞ」
すみません、忘れてください、もうなにもいわないし、からかったりもしませんから!
「悪りいんだけど」
いきなり、ミスター・スネイクがいう。
「おれの素朴な疑問を、あんたらにぶつけてもいいか?」
頬にソースをつけたまま、たばこをくわえてこちらに顔を向ける。
「ジャズウィットとかいう小僧にくっつけた発信器の動きが、さっきありえない早さで移動してたんだけど、なんでだ?」
気づかないミスター・スネイクもどうかと思うけれど、仲間に引き入れたのならカルロスさん、それ、伝えておくべきだったのでは? アーサーは眼鏡を指で上げて、腕を組んでからきっぱりと答えた。
「さあ、なぜでしょうね。おれたちにはさっぱりわかりませんが」
首を傾げたミスター・スネイクの頭上には、見えないクエッションマークが無数に飛び散っている。
「……たしかに。うまくいく気がしなくなってきたな」とアーサー。
わたしはうなだれる。
「わたしもその意見に賛成」
★ ★ ★
あまりにも目立ちすぎるパンサー号を、隠れ家の前に停めるわけにもいかず(というよりも、フェスラー家の前を通るわけにはいかない)、遠まわりして隠れ家の裏側、森の手前で駐車するよう、マルタンさんから無線で連絡が入る。ミスター・スネイクと彼の弟は、そこからじいっと点滅する発信器の行方を追い、不審な動きがあれば連絡し合い、パンサー号と共に突っ走る、作戦だ。
現在、デイビッドとWJのそばには、カルロスさんとスーザンさんがいるので、打ち合わせのあと、いざパンサーになるという場面におちいったとしても、彼ら(少なくともカルロスさんは)が、連係プレーを見せるはず。……まあ、カルロスさんとスーザンさんが、人目を忍んでの、大人モードな関係の楽しみを優先しなければ、だけれど。
わたしとアーサーは荷物を持ってバンを降り、だらだらと豪邸を目指す。すでに夕暮れで、日射しが傾きはじめていて、空が黄金色に染まっていた。おだやかな丘陵地帯の先に見える隠れ家。その一マイル先にはフェスラー家の豪邸がある。
隠れ家の中は、昨夜とはうってかわって、すばらしく豪勢な邸宅の姿を取り戻していた。もちろん、床に散った電球の破片はのぞかれ、塵もほこりも落ちていない。リビングに入ると、マルタンさんが長い棒をあちこちに向けている。棒の先には三角錐のアンテナらしきものがくっついていて、盗聴器を捜しているのだとマルタンさんに教えられた。作業員の中に不審な人間がいた場合、取り付けるのは簡単なことだ。棒をぐいぐいと縮めたマルタンさんは、
「無いな。二階も調べてこよう」
リビングを出て行く。アリスさんは、まだ暗くもなっていないのに、分厚いカーテンを引いて、電灯のスイッチを押す。天井のシャンデリアが優雅に輝いた。リビングには、巨大なテレビが置かれてある。アーサーがスイッチを入れると、下校時間にあらわれたパンサーの、ギャングとの攻防が、すでにニュースとなって流れていた。ソファに座っているキャシーが、手で口をおおう。
「……いやだ。これって、ついさっきのこと? じゃあ、あなたたちも、これに巻き込まれていたんじゃない? デイビッドが乗っていたし」
「……うん。まあ」とわたし。
「どうして?」
窓際に立っているわたしに顔を向けて、キャシーが心配そうに眉をひそめる。どこからどう話せばいいのか迷っていると、キャシーの隣に座っていたリックが立ち上がった。
「アーサー。ミスター・メセニからだいたいの事情は聞いたぞ。キンケイド・ファミリーのことについての作戦は、おまえが提案したのか?」
テレビのそばに立っているアーサーが「そうだ」と短く答える。テレビを消したリックは気難しい表情を浮かべて腕を組み、あごに指を添えた。それを見上げているキャシーのうっとりした表情は……ルネッサンス絵画の女神みたいだ、なんて観察している場合じゃない。
「どうしてジョセフ・キンケイドをボスにしたいのか、理由はわからないが」
デイビッドの個人的恨みからです。
「あのファミリーのボスが決まってもらえるのは、情けないがこちらとしても、少しありがたいんだ。ギャングそのものを排除したいのが本音だが、今じゃいろんな利権が絡んでいて、そうもいかない。ともかく、キンケイド・ファミリーの状態が落ち着けば、警察としても次の段階へいける。麻薬の密売の現行犯を追ってもいるが、内部抗争が激しすぎてキリがないし、それどころじゃないのが現状なんだ」
「ギャング同士をひとまず落ち着かせたい、ってことかい?」
アリスさんがいう。リックがうなずいた。
「だからおれも協力しよう。ただし、彼女を」
キャシーを手でしめして、
「少しこちらでかくまってもらえたら、助かるんだが」
もちろんよ! と叫んだのは、大人の会話にまったく関係のないわたし。これって、女の子同士のパジャマ・パーティーもできるってことじゃない! キャシーも同じことを考えているらしく、わたしと目を合わせて微笑んだ。おんなじ部屋で寝転がって、お菓子とか食べながらしゃべりまくれ……ないことのほうが多いけれども、間違いなく楽しいはず!
「さっき、彼女の親戚の家へ連絡を入れたが、両親はもちろん無事だ。こちらの事情はうまく伝えておいた。もちろん、あなたたちと一緒、といったことはふせてある。つっこまれたら、警察の内部にフェスラー家が、の、もろもろも話すことになる危険性があるからな」
マルタンさんが戻って来た。リックがマルタンさんに、なにか大きな紙とペンはないか訊ねる。それならとふたたびリビングから消えたマルタンさんが、数分後、ほこりまみれの巨大なホワイトボードを引きずってあらわれた。物置と化している密閉ゾーンが、一階にあるらしい。
ジャケットを脱いだリックが、ネクタイをゆるめてシャツの袖をまくった。わたしがキャシーの隣に座ると、
「……ほんと。最高に素敵だわ」
耳打ちされる。
「あの大きな手で、わたしの手をぎゅうっと握ってくれていたのよ、ずっと」
「……あ。うう。ア、アーサーはどうかな? ほら、リックはちょっと、大人すぎない? 無精髭みたいなのも生えちゃってるし、アーサーのほうがハンサムだよ」
別にアーサーの味方をしたいわけではないが、アーサーの気持ちになると、なんとかしたい衝動にかられてきた。
「うーん。まあ、アーサーがハンサムなのは前から知ってるけど。でも、そういうことじゃないっていうか。たしかに闇の騎士シリーズのファンだって知った時は、とっても嬉しかったけれど。だけどリックだってハンサムだわ。それに落ち着いていて、大人よ。ロルダー騎士も大人よ、ニコルっ」
ああ、そんな嬉しそうな顔を近づけないで! わたしは口ごもる。そしてボードになにやら書きはじめたリックを見て、キャシーがまたもやうっとりする。ごめんアーサー、わたしにはもう、どうすることもできない。
「キンケイドには兄弟が六人いる」
リックがしゃべりはじめた。
「長男のラリーと五男のダニーが手を組んでいて、四男は数日前の港の抗争で死亡。次男と三男も互いの手下を集めて、先日手を組んだという情報が入った。キンケイドは麻薬の密売をしている。それらをたばねているのが長男だ。彼はいままでのやり方で生き抜きたい。対する次男と三男は、警察の取り締まりのキツさを懸念していて、麻薬からいっさい手を引きたがっている。ヴィンセントを真似ようとしていて、クラブやキャバレーといった、まあ店の経営だな。裏で売春をさせれば、そこそこ稼げるが、麻薬ほどではない。ただし、取り締まりの網はくぐれる。ファミリーをもっと組織化させて、アンダーグラウンドなカジノから金を吸い上げていきたいと考えている。ようするに彼らは、互いの方向性で争っているんだ」
わかりやすい。いままで誰も説明してくれなかった内容だ。
「それで、だ。もしもここに末っ子のジョセフが登場したらどうなるか」
リックは、ボードにジョセフと書いて円で囲む。
「こいつは唯一大学を卒業し、ファミリーから抜けた男だ。だが、ボスである父親が、一番目をかけていたという噂もある」
「そうなの?」
わたしが訊くと、リックがうなずいた。
「ジョセフがドンになれば、麻薬密売チームは一網打尽だ。彼自身、現在ジャーナリストで、良くは思っていないだろう。では、次男と三男側につくかと問われたら、おれの答えはノーだ。彼はファミリーに残された資金を元手に、事業にくりだすはずだ。現在この街は高層ビルの建築ブームで、事業にのりだせば街の邪魔者、おそるべきギャングから、市民に愛される存在になれるかもしれない、と、彼は考えるだろう。だからこそ、C2UでMBAを取得したのだろうし、ファミリーから抜けたんだ。あくまでも楽観的なおれの予測だが」
そんなにすごそうな人には、まったく見えなかった。たしかに職業柄、やたら有名人のことは知っている、みたいだったけれど。
「そうなれば、ギャングがひとつ消える可能性もある、ってのか?」
マルタンさんが発言した。リックがにやりとする。
「時間はかかるだろうし、ごたごたは続くかもしれないが。いっておくが、こういったことは同僚たちも考えてはいる。しかし目先の事件に翻弄されて、長いスパンでものごとを把握できずにいるんだ」
「かと思えば、FBIが邪魔してくる、そうだろ?」とアーサー。
リックは指をパチンと鳴らし、そのとおりとうなずく。
どうやらリックは、パンサーチームがこのことに首をつっこんでいることを、歓迎しているようだ。とはいえチームはガッタガタで、いまだにうまくいく気がしない……のはわたしだけ?
「おまえのアイデアは悪くない。ウイークエンド・ショーで、デイビッド・キャシディが、ドン・キンケイドの入院しているクレセント・タワーズ病院を訪問する。子どもたちと握手を交わして、患者たちと対談しながらカメラを追いかけさせ、病院を案内しつつ、ドン・キンケイドの病室まで行く。カメラの前だ、病室の前にいるであろうファミリーの誰か、は、避けたがる。テレビ局が欲しいのは視聴率だ。派手なことは大歓迎だろう。いままさに、スーパーヒーローと意識のおぼろげなギャングのボスの、偶然をよそおったご対面。そこでボスにいわせるんだな。「次のボスはジョセフ」と。まあ、どうやってそういわせるか、にかかっているが」
「意識不明じゃなかった? 脳溢血かなにかで」とキャシー。
「半身不随だが、意識が回復したんだ。警察とファミリーしか知らないネタだが。数日中には看護士つきで退院するだろう。とはいえ引退は間違いない。だから生前の遺言を、テレビで流すのが目的だ。いまここでやっておかなければ、もっと手が出なくなる」
アーサーが答える。
でも、大丈夫だろうか。だって。
「……キャシーは、パンサーの弱み、と受け取られて、追いかけられていたんでしょう? それって、キャシーをおとりにして、パンサーを捕まえたい、からじゃない? なのにボスの前にあらわれちゃって、身も蓋もないっていうか」
「おそらく、兄弟間の抗争が続きすぎて、くだらない賭けでもしたんだろう。先にパンサーを捕まえたほうがボス、といったような」
リックが苦笑した。十分ありえる。わたしはうつむいて視線をそらす。もうしわけないよ、キャシー。誤解が誤解を生んで、わたしが心配していたとおりのことになっちゃってる。
「なるほどね。まあでも、それならそれで、ラッキーかも」
アリスさんがにやりとした。
「だってそうだろ? 追いかけていた相手が父親のそばで笑ってる映像が、テレビに映っちまうんだから。捕まえたところでって話になるさ」
マルタンさんはキャップを脱いで、もじゃもじゃ頭を手でくしゃりとする。
「そのうえ、うまくすれば、市民はこう考えるかもな。キンケイドはギャングをやめて、パンサーと仲良くやっていくつもりだ、とかなんとかな」
「へたをすれば、パンサーがキンケイドと手を組んでると思われるかも。それを避けるには、デイビッド用に脚本がいるね。手配するよ」
アリスさんはリビングに設置された、電話の受話器を持ち上げた。
「ともかく」とマルタンさん。「テレビの影響ってのはデカいからな。本気でうまくいけば、マスコミにのまれて、キンケイドのボスが改心するかもしれないぜ? ギャングはやめた、ってな」
「そうなるかどうかはわかりませんが、住所不定の末っ子をボスに認定するには、これしか考えられなかったんですよ。ギャング内でのボスの発言は絶対ですからね。それをテレビで流してしまう。目には目をです、ミスター・ロドリゲス。マスコミにはマスコミを」
マルタンさんに向かって、ていねいな口調でアーサーがいった。ふう、と息をついたマルタンさんは、
「きみをいますぐ、会社に引き抜きたいぜ」
「ああ、それは丁重にお断りさせていただきます」
そうだろう、だってそれって、デイビッドの部下になる、ってことだから。想像すれば笑えるけれど。
そんなにうまくいかない気もするけれど、前向きに考えたほうが、このさい自分の精神的安定には効きそうだ。と、キャシーがわたしを見る。視線を感じて顔を向ければ、キャシーは首を傾げていった。
「そういえば、WJはどこなの? 自分のお家?」
……うん。いまデイビッドと一緒にいるよ。どうして一緒なのかってことは、そのうち、わかるんじゃないかな。ミスター・スネイクばりに鈍感でなければね。
……って、ああ。ああ、もうっ、すべてをぶちまけてしまいたい!