SEASON2 ACT.11
「……ああ」
ひとつ落ち着いたと思えば、別の難題がふりかかってくる。すべての授業を終えて校舎を出た時、うしろからぐいっと、Tシャツの襟元が引っ張られた。振り返ればジェニファーで、凶器的な長いまつげの顔をわたしに近づける。
「ちょっと顔貸してくれる?」
貸したくても顔は取りはずせない、といいそうになったけれど、くだらないジョークなのでやめておく。ジェニファーは駐輪場まで、わたしをずるずると引きずり、手を離した。わたしの自転車がまだ、哀しげに放置されている。ほかの生徒に盗まれていないのは、あちこち錆びついたボロボロのマウンテンバイクだから?
「ぼうっとしてるんじゃないわよ。ちょっと、どういうことなわけ? どうしてあんたがデイビッドと仲良し、みたいになっちゃってんのよ?」
わたしの肩をつんつんとつつくたびに、大きな胸がはちきれんばかりに揺れている。このビッチな姿態と口調をもっと早く、もっと身近で観察したかった……とか思っている場合ではない。この場合も、対ジェシカにいったセリフが通じるだろうか? というわけで、試してみた。するとジェニファーは、
「……まあ、わかるけど。まあ、そうだけど! だけどあんた、なんか最近オシャレっぽくなってきちゃってるじゃない、モンキーのくせに!」
ひとこと余計だけれど、初耳だ。
「……はあ?」
また髪型効果、なのだろうか。たしかに似合ってはいる。だけどそれだけで、服装なんていつもどおりだし、相変わらずわたしは地味地味なのだ。
「オシャレ? その発想はどこから?」
「わっかんないけど。雰囲気っつーか。そんな気がすんの。なんか、ほかの女の子とかと違う感じっていうか。だから妙にムカつくのよ。あんたなんて、胸もぺったんこで、地味だし、キャサリン・ワイズみたいに美人でもないのに、なんでデイビッドがあんたを気にしてるのか謎すぎて、わっかんないのよ! それに一緒に朝食ってどういうことなわけ? デイビッドに訊いても、冴えないジャズウィットがいちいち邪魔してきて、教えてもらえないんだもの!」
考えてみたら、ジェニファーとまともにしゃべるのははじめてだ。これはあきらかにやきもちだ。ジェニファーはデイビッドが(表の)パンサーで、スターで、お金持ちで目立っていて、ハンサムだから、てっきりミーハーなファン心理で、好きなのかと思っていたけれど。
もしかして違うのかも?
「あんたなんか、おとなしくジャズウィットの相手をしてればいいのよ!」
そうしたいのは山々なのよ! とはいえ、そうなれないからこんなことになっている、なんてジェニファーにいえるはずもない。やがてジェニファーが、黒塗りの巨大な瞳に涙をためはじめてしまった。え、ええええ?
「ちょっ。ええ? なんで?」
「なによ! あんたなんてちんちくりんなくせに、いきなりデイビッドに好かれてるみたいになって、マジでこんなのイケてないし、最高にイラつくったら。あたしがいっぱいがんばったところで、お情けみたいな感じでデートしてくれるだけなのに。それで、キスもしてくれない。あたしってそんな魅力ないわけ? これでも男の子に人気あるんだから!」
おかしな方向に会話が流れてきている。
「……み、魅力はあるって思うよ。わたしなんかよりも」
あったりまえよ! とジェニファーが叫んだ。
「あ、あなたって。ほんとうにデイビッドのことが好き、なの?」
「あったりまえでしょ? ほかの女の子と一緒にしないでよ! たしかにはじめはミーハーな気分だったけど、彼ってときどき、ちょっと寂しそうなんだから。あんたにはわかんないだろうけどね! それって、目立ってる彼の孤独な部分だってあたしは思ってるのよ! あんたにはわかんないだろうけどね!」
わたしはばかみたいに口を開けて、ジェニファーに見入ってしまった。考えてみれば、ジェニファーは見た目はビッチだけれど(時々、人間的にもそうなってしまうけれど)、デイビッド以外の男の子に、まともにくっついているのは見たことがない。よくいえば彼女はセクシーなので、もちろん、男の子たちはジェニファーにいい寄ったりしているけれど、まあそこそこはいちゃつくけれど、いちゃつきつつやんわりかわすという、上級者テクニックを駆使しているのは知っている。男の子間での自分の人気は保ちつつ断る、というやつだ。
「……なるほど」
「なにがなるほどなのよ! すましちゃって、つねってやるんだから!」
どおしてわたしの頬をつねるの! まだバンドエイドを貼ったまんまなのに!
とはいえ。ともかく。
キャシーに意地悪をしていたことを、忘れたわけではないけれど、どうしよう、ちょっとだけジェニファーが好きになってきてしまった。純粋にデイビッドが好きなだけなのだ。わたしよりも、よっぽどデビッドに好ましい相手に思えてきた。
「わ、わかった!」とわたし。
「なにがよ!」
ジェニファーがわたしの頬から指を離す。
「ジェニファー落ち着いて。わたし、なんとかあなたに協力してみたいと思う」
だって、デイビッドもジェニファーに好意を抱いたら、本当に両思いってことになる。これは素敵なことだ。なんとか無理矢理、デイビッドを好きになろうみたく思っているわたしを相手に、時間を費やすよりも!
……いや、まあ、デイビッド次第ではあるけれど。
「はあ?」
ジェニファーが眉根を寄せた。わかってる、すんごい無謀なことをいってしまったってことは。……ああ。
★ ★ ★
「……ああ」
なんていってしまって、いったいどうすれば? なぜだか最近、自分で自分の首を絞めるようなことばかり、してる気がするのはわたしの気のせい?
生徒たちがあちこちで群れながら、校門を出て行く。そんな中、校門の前にアーサーが立って、通りを見わたしていた。
「どうしたの?」
「あのヒステリー秘書が、迎えに来ていないんだ。なぜか無線機もつながらない」
スーザンさんのことだ。通りを挟んだ向こうには、あきらかにマスコミっぽい車が二台、駐車されている。けれども朝方あった、例の派手なライトバンは行方不明だ。
「あれ? パンサー号がいないね」
「派手すぎるから雲隠れしたんだろ」
と、ブロックの角を曲がって、アリスさんの運転する車が目の前に停車した。窓を開けたアリスさんが、小型無線機をかかげて、
「あんたら、無線機の電池切れてない?」
「え?」
アリスさんが舌打ちした。わたしとアーサーは、渡された無線機を確認したけれど、スイッチは入るし、切れていない。
「ちょっと待ってて。電池切れてるからスタンドで買ってくるよ。ったく」
さらに、いよいよ不安だ。車のエンジンはかけたままで、アリスさんが一ブロック北にある、ガソリンスタンドまで走って行く。そこで、わたしとアーサーの立っている背後から、デイビッドとWJがあらわれた。
「運転手不在の車の理由はなんなんだ?」とデイビッド。
「デカ女は電池を買いに行ったぞ。無線機の電池が……」
アーサーがいいかけたその時だ。なにやら重点音のリズムが、遠くから近づいてくる。不良が女の子をナンパするために、大音量の音楽を車から流して、悪っぽさをアピールする時に使う手と同じ。と、耳をすましていたWJが、
「……これは、ラジオでよくかかってるよね? アイ・フィール……」
そこで、車に乗れと叫んだのはアーサーだ。
「アイ・フィール・グッド。ジェームス・ブラウンだ!」
運転席にアーサーが乗り込む。わたしはデイビッドに手を引っ張られ、助手席に押し込められた。WJとデイビッドが後部座席に乗り込んだ直後、ブロックの角を曲がって突進して来る、どピンクのキャデラックがあらわれる。バックミラーを見上げると、こちらに向かって走ってくるアリスさんが見えた。けれどもかまわず、アーサーはキーを回してエンジンを入れ、いっきにスピードを上げた。
ああ、ほら! うまくいく気がしなかった予感が当たっちゃってる!
「あれって、グイード・ファミリーの車?」
「間違えるわけがない。下校時間を見計らって来たとしか思えないぞ」
ハンドルを握りながらアーサーがいう。無線機を手にしたデイビッドがスイッチを入れたけれど、
「って、おい! 電池が切れてるのはなぜだ!」
わたしはジーンズのポケットから自分の無線機をつかんで、デイビッドに放る。WJが服を脱ぎはじめた。荷物をまさぐってマスクをつかむと、眼鏡をはずして装着する。夕暮れの下校時に、しかも近くに学校がある状況で、パンサーが初出没だ。
「彼らをいっきに捕まえるよ。逃がさないから、きみたちはあの家に向かって」
ドアを開けると、昨日のように、片膝をついた状態で、地面に着地する。わたしはぐいっと身体をひねって、後方の窓越しに、小さくなっていくパンサーの後ろ姿を見つめる。軽く右手をくいっと揺らしただけで、キャデラックの車体が斜めに曲がり、車道の真ん中で転がってしまった! ほかの一般車がそれを避けていく。
「カルロス? おい、どこにいるんだ? くそっ、つながらない」
デイビッドが舌打ちする。
え?
「ええええ?」
「向こうの無線機も電池が切れてるんじゃないのか?」とアーサー。
「やめてくれよ! それよりもかなりマズい。似たような車が、あっちこっちのブロックから、こっちを追いかけて来ているのはなぜだ?」
「き、気のせいじゃない?」とわたし。
いや、気のせいではなさそうだ。後ろの窓から見える三台の車は、赤に黄色に水色のキャデラック。こんなに派手なキャデラックが、シティで人気だとは知らなかった……って、感心している場合じゃない!
しかも三台の車の窓から、ご丁寧に身を乗り出して、ピストルをかかげている姿が見えるからおそろしい。バックミラーに視線を向け、後方を気にししつつ、アーサーがハンドルをきりまくる。そのたびにわたしは左右に転がりそうになるから、必死になってシートベルトにしがみつく。
発砲する音が響く。けれども、まるで瞬間移動したみたいに、パンサーがこの車を守るようにして、背後にあらわれ、一台づつ蹴散らしていく。でも、安心はできない。
ギャングは山のようにいて、わたしは指名手配されていたのだ。そのうえ、ヒーローはひとりきり。どんなにスーパーな能力があるとはいえ、無数のギャングと敵対するには、あまりにも心もとない。それになにより、WJが心配だ! というか、というか。
「ま、まさかあの人たち、わたしを追いかけてる、ってことじゃないよね?」
「きみとおれを追いかけているんだろう」とアーサー。
「だあって、わたしもあなたも、単なる高校生なのよ? フツーの高校生なのに!」
「いっただろう」
ぐるん、とハンドルをきってアーサーが叫んだ。
「あ・い・つ・ら・は・暇・な・ん・だ・!」
うお、とアーサーが、アーサーらしからぬ声を発する。背後にいるであろうパンサーのおかげで、追跡車からは遠ざかっている。けれども、ブロックの交差点、前方右側から、似たような車があらわれる。デイビッドが身を乗り出し、わたしの目の前にあるダッシュボードに手を伸ばす。中には、あきらかに本物な、ピストルがおさまっていた。
こんなアクション耐えられない、というよりもわたしの人生にありえない。でも、ありえちゃってる、どうしよう!
「ニコル、姿勢を低くして、頭を下げて!」
デイビッドがわたしの頭を手のひらでつつみ、一瞬くしゃりと撫でる。いわれたとおりにシートに身体をうずめると、ピストルをつかんだデイビッドが舌打ちした。
「って、忘れてた! 一発しか装弾されてないんだった、くそっ! マルタンは減給だ!」
それは昨日、WJがデイビッドに渡したリボルバーだ。マルタンさんの安全措置(?)のせいで、弾は一発。前方の車が迫ってくる。
「まともに撃てるのか、オシャレバカ!」
うっわ、オシャレバカっていっちゃった。信じられない、アーサーからいつもの冷静さが失われはじめてる。
「黙れ、警官気取り! なんでもいいからスピードを上げろ!」
自分のあだ名につっこむことも忘れて、デイビッドがてんぱってる。この姿をジェニファーが見たら、それでも好きでいられるだろうか。
信号なんて……無視だ。
「アーサー、あなた、捕まっちゃうよ!」
「正当防衛だ、事故らないように祈っていてくれ!」
車は猛スピードで交差点を左へ曲がり、北へ向かう。だから、前方に見えていた車はいまは後方、とはいえ、至近距離にいる。
数発、発砲された音がこだまする。右へ左へ、激しく車体が揺れ、デイビッドはパーカーのフードをかぶり、座席左側の窓を開けながら、
「いつもいつも父親に、おかしな体勢で射撃訓練されたことを、いまだけ感謝しておくよ」
身を乗り出して、ピストルを持った右手を伸ばす。息をつく間もあけず、デイビッドが発砲する。それはタイヤに命中し、車体が斜めに曲がってスピードを落とした。そこに、パンサーがどこからともなくあらわれる。ぐるん、と大きく左手を回して、車体を転がす。それで、後ろ向きで手を振った。もう大丈夫、という意味だろう。
ずるずるとシートに身体を沈めて、デイビッドがまぶたを閉じる。
「……さすがに死ぬかと思った」
「……おれもだ」
「……わたしもです」
はあ、と三人同時に息をついたあとで、アーサーが歩道脇に車を寄せはじめる。
「どうしたの?」
小さなストアやダイナーが並んでいる庶民的な界隈だ。レンガ造りの建物の影から、女の子の手を引く男性の姿がいきなり飛び出す。その光景をアーサーは見つけて、車を停める。
窓を開けて、アーサーが叫んだ。
「リック!」
リックと呼ばれた男性が近づいて来る。アーサーによく似た端正な顔立ち、だけれど眼鏡はかけていないし、黒髪は少し長めだ。スーツ姿で、右手にはピストル、周囲を気にしていて、手をつないでいる女の子は。
女の子は!
「キャシー?」
「ニコル!」
二人が車に乗り込む。市警本部まで行ってくれと、後部座席に乗り込んだリックがいう。息は荒くて、ずいぶん走ったみたいなようすだ。
「キャ、キャシー? どうしたの?」
「親戚の家まで送ってもらってたら、いきなり変な車に追いかけられはじめてタイヤがパンク。だから車を捨てて逃げまくってたの」
「どういうことだ?」とアーサー。
「彼女が。どうやら、彼女が、パンサーの弱みと受け取られてしまったらしいぞ。車や乗っていた男たちは、たぶんキンケイドの一味だ。ファミリーには個性がある。グイードは派手、ヴィンセントは絵に描いたようなギャングスタイル、キンケイドは基本的に地味。どいつもこいつもビジネスマンのような恰好で、車は白やシルバー、黒のシボレーだ。近頃は兄弟間で崩れてきてるが」
リックが息もきれぎれにいった。口調も声もアーサーそっくり。
う。
キンケイド・ファミリーから足を洗ったはずの、末っ子ジョセフの激写スクープが、兄弟間での抗争道具に、間違って使われているみたいな気がしてきた。
キャシーはデイビッドを見て目を丸め、それから息をついていった。
「あなたには、助けてもらったお礼をいわなくちゃって思っていたんだけど。だけどあなた、ニコルの恋人でしょう? なのにいつからわたしが、あなたと付き合ってるってことになっちゃったわけ?」
わたしの脳裏に、昨日の朝のテレビ番組、ゴッド・オブ・ヒーローの新恋人直撃レポートが過ったのは、いうまでもない。