SEASON2 ACT.09
教訓その５。アーサーを敵にまわしてはいけない。敵にまわしたらこちらが息絶えるまで、追いつめられそうな気がするから！
深夜。マルタンさんの運転する車に乗って、幽霊屋敷さながらな邸宅を出た。
グイード・ファミリー＆他ギャングの動向が気になるところではあるけれど、ともかく一度は巻いたわけで、今夜は中心街のホテルに泊まることに落ち着いたのだ。なにしろ、明日は学校へ行かなければいけないし、それに、邸宅は電気も水も通っていないので、とても住める状態ではないからだ。ただし、望遠鏡はリビングに設置してある。業者を呼んで、明日中に住める状態にするらしい。
うしろを走っているのは、カルロスさんの運転する車だ。助手席にアーサーが乗っていて、後部座席にスーザンさんとアリスさんが乗っている。こちらの車の助手席にはＷＪ、後部座席にわたしとデイビッドが座っている。
「あそこへ着くまで、車の中で少ししゃべっただけだが、やっぱり彼は頭がいいな。おそろしくもあるけど」
苦笑まじりにマルタンさんがいった。ブリッジを渡る車の窓から、天までそびえる中心街の灯りの群れが見える。
「でも金をつぎこんで、手を回すのはこっちだ。マルタン、たのむからあの警官気取りをほめないでくれ。イラついて仕方ない」
どうしても気に入らないらしい。アーサーはデイビッドに対して、もうなんとも思ってないみたいなのにな。バックミラー越しに映っているマルタンさんの顔がいっきにこわばる。核爆弾着火をおそれているのだ。
「……わ、わかったよ」
ＷＪは静かだ。なにかを考えているふうで、ひとこともしゃべらないし、腕を組んで窓の外を眺めている。これでいいのだ、たぶんこれでいいに違いない、これでいいし、これしかないのよ、わたし！ ……ああ。
「そういえばＷＪ、あの部屋にコスチュームはあったのか？」
ふいにマルタンさんが訊く。
「え？ ああ、うん。まるまる残っていたから、全部回収してカルロスの車のトランクに入れておいたよ。興味なかったんじゃないかな。触っても特殊な素材だってわかるようなものじゃないし、どう見てもただのコスチュームだからね」
「……間抜けなファミリーだな」とカルロスさん。
「だからギャングの中で一番甘く見られてるんだろ」とデイビッド。
「……そうだね。でも、建物を停電させるぐらいのことはするんだ。油断はできないよ」
ＷＪが答えて、口をつぐんだ。マルタンさんはため息をついて
「……やれやれ。面倒くさいことになったもんだな」
わたしも同感だ。いろんな意味で。
★ ★ ★
キャシディ家専用ともいうべき超高級ホテル、地上四十五階建てのミラーズホテルに着くと、深夜だというのにきっちりとしたスーツ姿の支配人が、カウンターの奥からロビーにあらわれた。ミラーズホテルになんて、わたしみたいな一般市民は、ロビーにすら絶対に入ることなんてできない。宿泊を許されるのはギャング以外（あたりまえだけど）の有名人ばかりだし、一泊の料金が、わたしの家の月収ぐらいしちゃうからだ。
支配人は白髪まじりの上品な紳士で、デイビッドとカルロスさんに挨拶をすると、スイートルームまで案内してくれる。エレベーターに乗り、最上階で降りたところで、二部屋にわかれることになる。というか、そもそも最上階には、ご立派な両面扉が対面している二部屋しかない。ここで男性チームと女性チームにふりわけられて、わたしはスーザンさんとアリスさんと一緒の部屋になった。
ちょっとほっとする。ＷＪの動きを気にしなくてもいいし、デイビッドとアーサーのやりとりに、いちいち振り回されなくても済みそうだから。
アリスさんが扉を開ける。おっそろしいほどの広さに、宮廷みたいな家具、絨毯、調度品が視界に飛び込む。ここは貴族の住まい？ ぽかんと口を開けて、高すぎる天井のシャンデリアに見入っていたら
「プチ・ビートルズ、バスルームはあっちよ。ああ、こっちにもあるわね」
スーザンさんに指示される。プチ・ビートルズ？
「わたしが先に使うわよ」
荷物を抱えつつ、ぶつぶつと文句をいいながら、スーザンさんが浴室に入った。
リビングみたいな部屋に、光沢のある黒いカーテンの下がった大きな窓、ドアは三つもあって、全てを開けてみればどれもツインルームだ。六人分のベッドしかないけれど、八人だったらなんとかひと部屋で足りたのでは、なんて考えるのは、わたしがしがない芸人一家の娘だから？ だって、バスルームだってふたつもあるのだ！
「すっごい」
「あんた、ミニミニ、それよこしな」
ミニミニ？ アリスさんにいわれて振り返れば、ソファにどっかりと腰をおろした彼女が、たばこをくわえてわたしに手を差し伸べていた。
「そ、それって？」
アリスさんはたばこに火をつけて、
「あんたがしてるピアスだよ。いつまでもくっつけてたんじゃ、またおっかない目にあうんだろ？ 預かっとくっつってるわけ」
すうっと煙を吐いた。しゃべらなければ神秘的な美女なのに、なんだかとっても残念な感じだ。慌ててピアスを取って彼女に渡す。手のひらにピアスをのせたアリスさんが、なぜだかちょっと笑った。
「……こんなちっさいものがなんだっつーんだろ。んなことあたしにはどーでもいいけど、男ってほんと、くっだらないこと考えるよね。あきれてくるよ」
アリスさんに近づいて、そばの肘掛け椅子に座る。
「あ、あきれちゃうんですか？」
ふ、とアリスさんが笑う。
「バカばっかりだよ。特にしょーもないのは、強さを誇示するやつらだね。頭のからっぽさに自信がないから、ピストル振り回して、強く見せるのさ。かしこい男はそんなことしないよ。ボクサーだって、リング以外じゃ戦ったりしないだろ？ 自分の強さを知ってるし、相手を傷つけるってわかってるからしないんだ。まあ、ギャングに加担して、金をもらったりしてるやつもいるけどさ。そんなのはアホの仲間」
サタンの申し子だってマルタンさんはいうし、強烈な人だと思ったけれど、なにか違う気がしてきた。
アリスさんがジャケットのポケットから、金細工のシガレットケースを出した。中にピアスを入れて、きっちりとケースを閉じる。
「……まあ、かわいいっちゃあかわいいもんだけどさ。ロドリゲスのおびえる姿を見ると、もっと怖がらせてやれって気になってくるしね」
フフフ、とアリスさんが笑う。前言撤回、やっぱり強烈な人みたいだ。
スーザンさんと入れ替わりで、アリスさんがバスルームへ入る。ガウン姿でタオルを髪に巻いたスーザンさんはすっぴんだ。
「……ああ、最悪。肌のコンディションがすっごく最悪だわ」
「た、大変ですね」
ちらりとわたしを見て、スーザンさんは肩をすくめた。
「そうよ。すっごく大変だけど、でも辞めようとは思わないわね。ある意味面白いから、この仕事」
ブロンドの髪をタオルではさみながら、
「……ＦＢＩの試験に落ちたのよねえ、わたし」
びっくりだ。そういえばデイビッドは、会社の人はただ者じゃないみたいなことをいっていたはず。すっぴんでもじゅうぶんセクシーで美人なスーザンさんは、遠い眼差しで
「……だからムカつくのよ。あの女が！」
なるほど。ローズさんのことだろう。
「カ、カルロスさんと、デートとか、するんですか？」
「しないわよ。そんな時間ないし、人目を盗んでヤるぐらいだわね」
う。とっても大人な会話だ。そろそろわたしもシャワーを浴びよう。そしてたっぷり眠ることにしよう。椅子から立ち上がろうとすると、わたしをじいっと見つめるスーザンさんの視線を感じたので、
「え？ なんですか？」
「……謎、なのよね。どうしてデイビッドがあなたに執着するのか、まるっきりわからないのよ」
ああ、わたしも同感です。
「ですよ、ね」
「彼の相手は全員知ってるのよ、ほらわたし、一応秘書だから。デートの予定を組み込んだりね。でもたいてい一度きりって感じ。だから特定の恋人がいないわけ。それがなぜだか、あなたにはすっごい食いつく感じなのよねえ。はじめはたんなる気まぐれかと思ったけれど」
そうではない、みたいです。すごいキスもされたので、とはいわないことにしておこう。
わたしは荷物を抱えて、浴室に入り、シャワーを浴びた。部屋着に着替えて、リビングへ出ると、アリスさんしかいない。一緒の部屋で眠ろうとアリスさんにいわれたので、うなずく。ＷＪに借りたパーカーを返したいけれど、どうしよう。そういえばレベッカさんに借りた革のジャケットも、荷物に入ったままだ。
先に眠るとアリスさんがあくびをして、ベッドルームに向かった。わたしは大きな窓に近づいて、カーテンから顔をのぞかせる。こんなところ、もう二度と来られない気がするから、できるだけ堪能しておきたい。大理石みたいな床の広いバルコニーがあったので、そうっと窓を開けて外へ出てみる。隣り合わせのバルコニーは、がっしりとした壁で遮られていた。わたしの首あたりまである高さの、コンクリート造りのフェンスから、おそるおそる頭を出して、隣をのぞいてみる。
するとそこに、ＷＪがいた。
ＷＪが、長い足を空中に投げ出して、フェンスに座っている。座って、ぼうっと夜景を眺めていた。シャワーを浴びた直後なのか、髪がほんの少し濡れていて、眼鏡はしていない。だから景色はぼやけているはずだ。
声をかけて、ともかく荷物のお礼をいうべき？ それともなにもいわずにベッドルームへ向かったほうがいいのだろうか。この場合、ベッドルームに直行するのがいいのかも。
頭を引っ込めようとした時、はあっと、うっかりため息がもれた。
「誰？ スーザン？」
こちらに顔が向く。わたしは即座に頭を引っ込め、ついたての壁を背にして立つ。
「ニコル？」
返事ができない。声が途絶えたので、リビングへ戻ろうとしたら、
「ニコル」
ものすごい近さで声がして、振り返る。この部屋のバルコニーのフェンスに、ＷＪが立っていた。飛べるってことを一瞬忘れていた。ＷＪがこちらを向いて、そこへ腰をおろす。
「少し話したいんだ。いいかな」
悪いとはいえない。けれども、ＷＪを直視することもできない。うつむいたまま立っていたら、痛くないかとわたしに訊ねる。頬の傷をまだ気にしてくれているのだ。わたしはなんとか、小さくうなずく。
「……ずっと考えていたんだ。さっきはおかしなことをいって悪かったって、思ってる。きみがぼくを、こわいと思ってるのもわかったし、きみとデイビッドがほんとうにいい関係だってこともわかったから。邪魔をするつもりもないし、謝りたいと思って」
やっぱり。あの時見られてたんだ！
「だけどそれでも、ぼくはきみと友達でいたいんだ。きみが嫌なら近づかないよ。でも、なにかおかしい気がしているんだよ。昨日から、やっぱりきみはなにか悩んでるんじゃない？ それともなにか隠してる？」
傷つけるようなことをいったのに、嫌われたと思っていたのに、ＷＪはまたもやわたしの心配をしている。
「なんとなく違和感があって、ずっとそう考えていたんだけど。ぼくの勘違いかな？」
どうしよう、涙があふれてきてしまった。ぼろぼろと滴が、頬を伝っていく。
「どうして泣くの。デイビッドと、また喧嘩でもしたの？」
わたしは首を振る。パーカーを返さなければと思うのに、身体が動かない。
「ぼくにはわかってるよ。きみは誰かに、ひどいことをいったりする女の子じゃないよね。じゃなきゃ、学校で一番冴えないぼくに、話しかけたりしなかったはずだから」
「え？」
なんとか涙をぬぐって、ＷＪに視線を向けた。ＷＪはうつむき加減で、小さく微笑んでいる。
「ぼくはずっと、ひとりでいいって思ってたんだ。本さえあれば、友達はいらないって。ぼくは普通じゃないし、こんなぼくに友達なんかできるわけないって思っていたからね。だからカーデナルに入った時も、他人に興味なんてなかった。デイビッドと、彼の家族には出会っていたけれど、うまく距離を保っていけばそれでいいって考えていたし。それまでぼくに話しかけてくる人もいなかったから、それが当たりまえだったし、そう思ってたんだけど」
顔を上げる。神秘的で大きな切れ長の瞳に、わたしはぼやけて映っているはず。
「きみがぼくに、いつもなにを読んでるのって、話しかけてくれたから。ぼくはすごく驚いて、しどろもどろになった気がする。あの時からきみは、ぼくの人生ではじめての友達なんだ。ぼくがそう思うぐらいは、迷惑ではないよね？」
もちろんだ。でもわたしはうなずかない。ただし、微笑むぐらいはありだろう。ＷＪはそれで満足してくれたようだ。
「やっと笑ったね。デイビッドと仲良くしなよ。時々わがままだけど、でも彼なりにいろんなことを考えているし、いいやつだから」
ＷＪがフェンスに立つ。わたしに背を向けて、
「ぼくのいったことは忘れて。いろんなことがあって、たぶんちょっとおかしくなってたんだ。……だけど」
「え？」
だけどなんだろう。けれどもそれきり、ＷＪは「おやすみ」といい残して、バルコニーから姿を消した。
わたしは心の中で、たくさんたくさん、ごめんねとありがとうを繰り返す。
ＷＪ、いまだけ、正直にいろんなことがいえなくてごめん。
それから、ちょっとでもわたしのことを、好きになってくれてありがとう。わたしもあなたが好きだけど、わたしがそう伝えちゃったら、あなたは暴走するスーパーカーになってしまうみたい。かといって、このことをあなたに伝えたら、きっとあなたはもっと傷ついてしまうと思う。だからわたしたちはこのままで、なんとかうまくやっていくしかないのだ。
わたしがもっとしっかりしていて、気持ちの強い女の子だったら、誰も傷つけずにすむのだろうか。もしもそうなら、もっともっと強い人になりたい。もっと心が強くて、優しい人になりたいと、この瞬間に思う。まあ、たくさん嘘をつきまくってるし、行く末は魔界かもしれないけれど、サタンを蹴散らせるぐらいに、いつか心の強い女の子になれたらいいな。
わたしは思い出す。ＷＪを見かけたとき、アランが生きていたのかと思ってびっくりしたことを。もちろんアランではなかったけれど、仲良くなりたいとあの時たしかに、思ったのだ。
「おやすみ」
小さくつぶやいて、わたしはリビングに入り、バルコニーの窓を閉めた。