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SEASON2 ACT.08

 わたしったら、全然ゾンビモードから抜け出せない。 

 リビングにいる大人チームが、ひっきりなしに議論しあってるけれど、内容なんかわからないし、というよりも、わたしの頭の中はまたもや、パンサー項目でいっぱいになってる。

 こんなこと間違ってる、絶対に間違ってる。間違ってるってことだけはわかっているけれど、その間違いをただす方法も、かといってほかによさそうな方法も、思い浮かばない。

「……どうでもいいんだが」

 ソファに座っているわたしの右隣にいるアーサーが、肘掛けに肘をのせた恰好でほおづえをつきながら、暖炉の前でカルロスさんの胸ぐらをつかみあげている、アリスさんを眺めて、

「……彼らはなにをしているんだ? 喧嘩か?」

 アリスさんの両脇に腕を入れ、動きを止めようとしているのはマルタンさんだし、カルロスさんをかばうべく、アリスさんの髪を引っ張っているのはスーザンさんだ。

「会議中だよ」

 わたしの左隣に座っているデイビッドが、平然と答える。

「……すごいな。ちなみに」

 アーサーがわたしを横目にして

「死んだ魚の目みたいになっているのはなぜだ?」

「……それって、わたしのこと?」

「ほかにいないぞ」

 いまの自分の顔がどんなことになっているのかわからないし、死んだ魚の目を見たことがないので、比べようがない。どんよりした雰囲気を漂わせながらうつむいていると、リビングのドアが開く。Tシャツにジーンズ、眼鏡をかけたWJが、両手に荷物を抱えてあらわれる。なにごとも起こらないのは、割れる電球がすでに皆無な状態だからか、それとも、わたしがひどいことをいったから?

 WJはちらりとわたしに視線を向けたけれど、すぐにそらして、

「きみのだよ」 

 短くいい放ち、わたしの足下へ荷物を静かに置いた。マルタンさんのそばにもバッグを置いて、リビングを出て行く素振りを見せる。

「ど、どこに行くの?」

 訊いてしまった。ドアの前で立ち止まったWJは、一瞬肩越しに振り返っただけで、なにもいわずに出て行く。たくさん助けてもらったうえに、荷物まで持って来てくれたというのに、わたしったらお礼もいわずに、友達でいたくないみたいなことをいったくせに、なにを訊いちゃってるわけ?

「なにがあったのかわからないが、カウントダウン開始だな」とアーサー。

「……カウントダウンって、なんのだよ」とデイビッド。

 わたしはまだ、WJのパーカーを着ている。ぐずぐずと鼻水が出てきそうになって、長い袖口でぬぐう仕草をすると、アーサーが苦笑した。

「捨てられた犬が泣くまでのカウントダウンだ。仲良しが仲良しじゃなくなってみたり、もとに戻ったと思えば、会話にならない間柄。おれにはどうでもいいが、なにがどうなってこんなことになっているんだ? ほら、ゼロだぞ」

「う。うう」

 心の中でいっぱいごめんなさいをいったところで、WJに伝わるわけもない。いまやわたしたちの距離は、地球と月ぐらい離れちゃってる。

 いや、地球と冥王星? ともかく、だけど、これでいいのだと自分にいいきかせるしかないのだ。とはいえ。

 ……ないの? ほんとに?

 涙をぬぐいつつ、腕を組んでいるデイビッドを横目にすると、目が合った。デイビッドは、なにもかもが気に入らない、みたいな表情の片眉を上げて、

「なに?」

「……こ、これって、正しいのかな?」

「なにが?」

 うまく言葉にできそうもないけれど、ドアを指し、わたしを指して、

「……なんか、気持ち悪いなって。というか、やっぱりこんなこと間違ってる気が、するなって。ほかになにかできないのかなあって……」

「……ほっぺたにバンドエイドを貼ってなにをいいだすかと思えば。おれのいったことを忘れたわけ? スーパーカーを暴走させる気? というか現にもう暴走してるだろ。それを止めるために、していることなんじゃなかったっけ?」

 う。そのとおりです。

 デイビッドがげんなりとする。腰を上げて、わたしの左腕を強引に取ると、わたしを引きずるみたいにしてリビングを歩き、ドアを開けた。真っ暗のエントランスに出て、扉を開ける。外へ出てしまった。欠けはじめた月が闇夜に浮かんでいた。

 デイビッドは邸宅の前を歩き、二台の車が停まっているそばで立ち止まる。わたしの腕から手を離したので、また意味不明な説教めいたことをいわれるのだろうと覚悟する。うつむいて、デイビッドの説教を聞き入れる体勢をととのえたのに、なにもいわない。不思議に思って顔を上げようとしたら、腰に片手がそえられる。なにしろ辺りは、相手の輪郭がうっすらとわかるていどの暗さなので、デイビッドの表情もわからないし、なにをしようとしているのかも察知できない。

 腰にそえられた手に力がこもり、引き寄せられる感覚があった。右の頬が、大きな手のひらに包まれる。それで、唇に柔らかな感触があたった。

 これはあきらかに挨拶ではない。もちろん、なにかの偶然でもない。しかも、唇が触れただけで終わらない。これは、これは? これは!

 こ・れ・は・な・に・!?

 デイビッドの胸あたりをまさぐって、のけぞりながら身体を離そうとしても、力が入らなくて慌てる。パニくっているし混乱しているし暗いし、怖くなって震えはじめた時、唇から感触がなくなる。でも、デイビッドの顔が間近にあるのはわかる。わたしの頬に、デイビッドの頬があたった。ひどく冷たい。でも、おそろしくて硬直する。なにかいいたいのに、なにもいえない。デイビッドもなにもいわなくて、わたしをぎゅうっと抱きしめる。そのつかの間、デイビッドの肩越しに見上げた邸宅の屋根に、人影がぼわりと浮かんだ、ように見えたけれどすぐに消えた。

「嫌がるかと思ったのに」

 嫌がるすき間もあたえられなかったのだ。

「お、お、お、おっかない!」

 最高に間抜けな返答だ。くすりとデイビッドの声がもれる。

「わかってると思うけど」

 ふうっと息を吐いて、デイビッドがいう。

「おれはいま、最高にムカついてるんだよ」

「え! そ、そうなの?」

 わたしの肩に、デイビッドの額がおしつけられる。がっくりしているようだ。というかわたし、デイビッドとキスした。というよりも、されてしまった! それも、信じられないようなやつを。そのうえあれは。

 屋根の上にあった人影は、たぶんWJだ。ということはもしかすれば見られたはず。暗がりで見えないかもしれないけれど、どうだろう、わからない。

 デイビッドに抱きしめられているくせに、WJのことを気にしているなんて最低だ。こんなの間違ってる、絶対に間違っている、わたしが男の子の間を右往左往するだなんて、料理なんてしたことのない人が、極上のフランス料理にいきなり挑戦するみたいなものだ。スクランブルエッグぐらいから、はじめるべきなのに。

「……わ、わかった」

「なにが?」

 WJのことは遠くから見守ろう。ひどいことをいったし、嫌われただろうけれど、だからといってまたわたしが中途半端に近づけば、苦しむのはWJのほうだ。

 このままでいれば、WJはわたしの心配をしなくなるし、混乱もしないのだ。それで、自由にパンサーでいられる。そんなふうに自分の気持ちを決めてしまわないと、デイビッドのことも傷つけることになってしまう、というよりも、すでに傷つけているのかも。

「あ、あ、あなたは。あなたはわたしのことが、ほんとうに好きなんだね。わたしは断ったけど、そのお。あのう。……なんていうか」

「ややこしいことは抜きで、残念ながらそのとおりだよ。自分でもどうしたらいいのかわからないんだ。半分は嘘でもいいっていったけど、やっぱり嘘はいやだね」

 わたしはぎゅうっとまぶたを閉じる。

 人生って、むずかしい。誰も傷つけたくないのに、傷つけてしまう時もある。急にパパやママに会いたくなってしまった。こんな時、パパならなんていうだろう、ママなら?

 アランなら、なんていってくれるだろう。

「……ええっとう」

 でも、アランはどこにもいないし、パパもママも芸人協会のビルの中だ。だから、決めるのは自分だ。決めたことが間違っていたとしても、その時に方向転換すればいいだけ。

「わかった。わたし、もう少しで誕生日なの」

「そうなんだ、いつ?」

「来週の日曜日。それでね、その時まで待ってもらえないかな。ちゃんとあなたと付き合ってみるかどうかっていう答えなんだけど。あなたのことをきちんと考えるし、WJのことは遠くから見守ることにするから。だから、その、なんていうか、それまでは友達、みたいにしてもらいたいの。なにしろわたしは、いまみたいなこととか慣れていないし、もうほんとうにおっかなくて」

 デイビッドは無言だ。わたしの肩に額をおしつけたままで、しばらくしてからやっと口を開く。

「……みたいだね。キスした相手に震えられたのははじめてだよ。まあ、それでよしとしとくか。おれが女の子を追いかけるはめになるだなんて、考えたこともなかったな」

 その相手がわたしってこと自体、コメディ映画みたいだけど。

「それから、WJと仲良くしてほしいなって。わたしはもう仲良しみたくなれないけど、ずっと友達だったし、WJがひとりぼっち、みたくなるのはやっぱり嫌な感じだから。ダメかな?」

 はあ、とデイビッドがため息をつく。けれどもくすりと笑ってくれた。

「わーかったよ。きみにはかなわないな。ムカついてたけど、もうどうでもよくなってきた。……まったく」

 腕をゆるめて、わたしから離れる。暗がりに目が慣れてきて、デイビッドのようすがうっすらと見えてきた。ジーンズのポケットに両手を軽く入れた恰好で肩をすくめると、

「……ひとつだけ訊かせてくれない? もしも、なんだけど」

「なに?」

「もしも、おれがヤバそうな目にあったら、きみはどうする?」

 そんなの決まってる。もう知らない人じゃないし、時々意味不明なことをいって周囲をびっくりさせたり、凍らせたりするけれど、デイビッドは意地悪ではないし、嫌な人間でもないのだ。きっとほんの少し、ほかの人よりも寂しさを多めに抱えているだけで。

「もちろん心配するし、できることはするよ。……まあ、わたしだから、いろんなことが裏目にでちゃうかもしれないけど」

 ふ、というデイビッドの笑い声が聞こえた。それからもっとも重要な約束を、とりつけておかなければ!

「そ、それから! ち、ちゃんとなるまで、いまみたいなことをいきなりしないでもらいたいんだけど! だって、なんていうか、なんていうか……」

「わかったよ」

 デイビッドの声は笑いまじりだ。

「できるかぎり我慢しとく。自信はないけどね」

★ ​★​ ★

 

 リビングへ戻ると、大人チームのさっきまでの喧嘩ごしな会議が一転、かなりクールダウンしていて、ソファの前のテーブルに、マルタンさんが地図を広げていた。ソファにはアーサーと、隣にWJが座っている。WJは、深く思索しているような表情でうつむいていて、顔を上げてわたしを見ようともしない。でも、これでいいのだ。

 いますぐは無理でも、いつかまた友達に戻れる時がくるだろう。その時まで、気まずくてもわたしは我慢できる。まあたぶん、時々はぐだぐだと泣いてしまうかもしれないけれど。

 ほんとはいまだって、かなしくてせつなくて、泣きそうだけれど!

 だけど傷ついているのはWJのほうだし、WJのほうがもっと、かなしくてせつないはず。だって、わたしに思いきり拒否されてしまったのだから。だから、ぐずぐずとわたしが泣いたりしてはいけないのだ! ううう。

「ジョセフ・キンケイドの所在が不明、という点を解消しなければいけないね」とカルロスさん。

 どうやらデイビッドの、ありえないアイデアを実行に移す方向で、会話が進んでいるらしい。

「友人知人をかたっぱしからあたってみよう」

 マルタンさんがいった。アリスさんはたばこに火をつけ、戸口に立っているわたしとデイビッドに視線を向けて、

「……ずうっとあんたがパンサーだと思ってたよ。すっかり騙されてたわけね。いい度胸じゃない。んなことあたしにはどーでもいいけど、全然よくないね」

 う。いいの、悪いの、どっちなの?

 デイビッドがうんざりした顔で、カルロスさんをにらむ。その視線に気づいたカルロスさんも、同じくうんざりした顔で

「……レイが入院したんだ。仕方ないだろう?」

 パンサーの戦略チームって、もしかしてカルロスさんとマルタンさんしかいなかったってことかも? ふと疑問に思って、デイビッドに耳打ちすれば、デイビッドが答えた。

「海の向こうにたんまりいるよ。カルロスとは電話で会議して、最終的には父親が決定を下す。だけどこの状況じゃ、こっちでもチームを新たに組まなくちゃいけないだろ? というか、戦略チームというよりもこれは、対ギャングのチーム、みたいなものだけどさ」 

 そこで声を大きくして

「で? カルロス、やることにしたんだね?」

 デイビッドがカルロスさんのそばに歩み寄る。

「……正直ぼくはいまでも反対だよ、デイビッド。でもアリスにこのことを伝えた時、首を絞められて、自分の命に危険を感じたから、死なないために最善の方法を試行錯誤することにしてみたんだ。とはいえ、最善の方法が見つからない場合には、即座にこのチームの解散が希望だけれどね」

 いまさらなにをいっているのかと、アリスさんがカルロスさんのネクタイを締め上げるので、スーザンさんがまたもやアリスさんの髪を引っ張りはじめた。女性好き(?)なカルロスさんも、さすがにアリスさんには手を出せないらしい。というか、こんなことで大丈夫な気がしないのはわたしだけ?

「……たしかに、いつまでもギャングの抗争をおそれているわけにもいかないしな。それにきみも」

 マルタンさんがわたしを見て

「いい加減、家に帰りたいだろ?」

 もちろんだ! わたしは大きくうなずく。

 わたしのピアスのこと、キャシーのネックレスのことなどは、すでにアーサーが伝えたらしく、カルロスさんたちは知っているらしい。それもふまえたうえで、ああでもないこうでもないと、地図をしめしながら大人チームが試行錯誤を繰り返す。けれども最善な答えが出るはずもなく、ひととおりしゃべり終えると、全員がいっきにため息をついた。

「ジョセフ・キンケイドはファミリーから足を洗っている。その相手をボスに仕立てるなんて、至難の業だな」

 マルタンさんが、もじゃもじゃの頭をさらにもじゃもじゃと両手でかきまぜる。

「罠にはめるしかないだろうね……」

 カルロスさんが腕を組み、まぶたを閉じた。この人数じゃ、全然足らない気がする。一瞬静まり返ったその時、

「ちょっといいですか」

 アーサーがゆっくりと右手を上げた。まぶたを開けたカルロスさんが、

「……なんだい?」

「ジョセフ・キンケイドをボスにする、という、突拍子もないアイデアについて会議していたことは、さっきからの会話でなんとなくわかってましたが」

 アーサーが眼鏡を指で上げる。

「……もしもそうであれば、お言葉ですが、ものすごく簡単なことだと思いますけど?」

 にやりとした。

 え?

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