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SEASON2 ACT03

 たっぷり三十分考えた。ものすっごく。そしておすすめできない作戦を実行することにする。アーサーの勘違いならそれでいいし、勘違いじゃなかったら、どうしてわたしを、どこから尾けていたのか、知りたいからだ。

 立ち上がったアーサーが、不審人物の横を通って、奥にあるもうひとつのリーディング・ルームへ向かう、ふりをする。わたしも立ち上がって、書架にある本を適当に眺める、ふりをする。適当に本を手にしてめくったり、それを戻したりしてから、ゆっくりとカウンターの前を過ぎ、出入り口へ向かう。廊下を歩いて、さらに階段をのぼり、三階にある女性用トイレまで歩く。絶対に振り返るなとアーサーにいわれていたので、我慢して振り返らない。端から端まで行くのに一ブロック分もありそうな館内なので、三階のトイレまで来ると、人があまりいない。というか、全然歩いていない。廊下の天井もやけに高いし、平日の午前中だというのにどこか暗めだし、こうして歩いていると、まるでタイムスリップして、ヨーロッパあたりの宮殿の中に放り出された気分になってきた。

 トイレのドアを押して中へ入る。案の定誰もいない。べつにわたしを尾けているふうの気配も、背後に感じなかったので、アーサーの勘違いだと安堵したら、ドアが開いた。

 ここは女性用のトイレのはず。なのにどうして、男性が入って来るんだろ。革靴はたしかにピカピカだ。なのにラフでカジュアルな恰好、キャップから見える髪は、ポマードできれいに撫でつけられてるみたいに、たしかに見えた。顔はまったく見覚えがない、というか、その顔をじろじろ眺めるなんて、おっかなくてできない! まぶたを閉じた瞬間、首をつかまれた。壁に押し付けられて、息ができなくなる。

 わたし死ぬかも! ここで死ぬのかも! 

「いつから尾けてるんだ?」

 アーサーの声。わたしの首をつかんでいた手がゆるんだので、咳き込みながらまぶたを開ける。男が両手を上げていた。その背後に立つアーサーが、男の後頭部に、ありえないものをつきつけちゃってる。

 ……そ、そのピストル、まさか本物じゃないよね?

「おれみたいなやつは、あちこちにたんまりいる。山ほどな」

 にやりと笑って男がいう。その言葉の発音には、かすかに訛りがあった。

「訛りがあるぞ、グイード・ファミリーか?」

 う。それ、知ってます。ワイルド男の名前と同じだから!

「だったらどうした」

「で?」とアーサー。

 後頭部にそれをつきつけたまま、男の衣服をまさぐる姿は、本物の警官としか思えない。いつも家族を相手に訓練してるのかも! フランクル家がほんとうにおそろしくなってきた。

 ベルトにささった小型のピストルを、アーサーは自分のベルトの中へおさめる。男のジーンズのポケットをまさぐって、一枚の写真を取り出す。

「大変だ、ニコル」

「な、な、なに?」

 壁に背をつけて硬直しているわたしに、アーサーがその写真を掲げた。写真の中の人物には、とっても見覚えがある。

 ……だって、それは、わたしだからよ!

「きみの顔が指名手配されてるみたいだぞ。ギャングの間で」

「な、なんで?」

 ピストルをつきつけられているというのに、男は肩をすくめて、余裕たっぷりな感じで笑みをもらし、

「あんたじゃない。あんたが耳にくっつけてるものに、いい値段がついてるだけだ」

 ちらりと、男が鏡を横目にした。にやりと笑って

「玩具と本物の見分けはつくぜ、小僧」

 わたしの名前を呼んで、アーサーが退く。瞬間、男がアーサーのシャツのむなぐらをつかんだ。同時にアーサーは、手にしていた玩具(なの?)らしきピストルを床に放り、奪った本物のそれをつかんで、男の額につきつけた。

 警備員だ、いますぐ警備員を呼ぶべきだ! わたしがドアへ突進し、体当たりさながらに開けようとした刹那、両手を上げた男が一歩退いて、

「おいおいおいおい、撃てるわけないだろう?」

 にやける。けれどもアーサーは動じない。いつものポーカーフェイスで、試してみるかとおそろしい言葉を吐く。そしてアーサーは、自分のジーンズのポケットに左手を入れ、至近距離の男の顔面に向かって、スプレーを発射した。催涙スプレーだ。痛みと涙で手で顔をおおう男の……とてもデリケートな部分を思いきり蹴りつけたアーサーは、ベルトに本物のピストルをねじこんで、わたしの腕をつかむ。

 ドアを開けて、ふたたび気の遠くなるような長い廊下を走る。走る、走る!

「……だそうだ」とアーサー。

「……う、うん、よくわからないけど、なんとなく事情はのみこめた。というか、あ、あれはおもちゃ?」

「あたりまえだ。水しか出ない」

「その、ほ、ほ、本物はどうするの?」

「警備員に渡す」

 階段を下り、さらに階段を下りようとした時、大きな荷物を背負ったWJが、二階のリーディング・ルームの前で、周囲を見まわしている姿が視界に飛び込む。

「パパだぞ」とアーサー。

 わたしたちを見つけたWJの表情がいつになく険しい。おかしげな気配を察知したのか、小走りで近づいて来る。リーディング・ルームの方向を指して、

「どうしていないの?」

 アーサーを見て

「アーサー? きみもどうして?」

 アーサーは背後を気にし、振り返ってから

「すまない、ジャズウィット。少しばかりよろしくない事態を引き起こした。あとで説明するから、いますぐここを出てくれ。おれは警備員を呼んで来る。ああ、あと」

 アーサーがわたしに、催涙スプレーを放って

「これはきみにやる」

 カウンターへ向かって行った。

 おもちゃのピストルといい、スプレーといい、アーサーはいつもこんなものを持ち歩いているのだろうか。これもフランクル家の家訓、とかだったりして? ちょっと面白いのでくすりと笑ったら、頭上からものすごく冷ややかな波動の流れを感じた。

 むう、とWJが眉根を寄せてわたしを見下ろしている。だからわたしもにやけた顔を神妙にしてみた。珍しい、ものすごく怒っているみたいだ。WJが怒るのなんて、もしかするとはじめて見るかも。ごめんといおうとしたのに、WJはわたしの右手を強引につかんで、ぎゅうっと握ると、大股で歩き出す。

「は、早かったね」

「マルタンから電話があったから、授業を抜けたんだ。抜けてよかったって、思っているところだよ」

 ぐいぐいと引っ張られて、自然に小走りになってしまう。どうやらほんとうに、怒っているようだ。

「わたしを尾けてるみたいな人がいたんだよ」

「それでなにをしたのか想像はつくけど、その先は聞きたくないよ。もう、どうして……」

 ぴりぴりとしたかすかな刺激が、WJの指先からわたしの指へ流れ込む。

「……うう。ごめん」

 階段を下りて、エントランスを歩き、外へ出る。いい天気だ、とかのんきに口を開けて、空を見上げている場合ではない。また階段を下って、二頭のライオン像の間を過ぎようとした時、それが起きた。

 けたたましいクラクションと共に、信号を無視して北方向から暴走して来るシルバーの車、その前方に、同じく暴走する黒い車が見える。歩道を歩く人びとが頭を抱えて、その場にしゃがむ。叫び声があちこちからこだまして、暴走する二台を避けようとしたタクシーが歩道に乗り上がる。

 シルバーの車の窓から、身を乗り出す男が見えた。手にしているのは……機関銃だ! わたしの手をぐいと引っ張ったWJが、ライオン像の影に隠れて、背後からわたしをおおうようにして抱きしめ、その場にしゃがんだ。連打で発砲される音、パトカーのサイレンが聞こえる。ギャング同士の抗争だ。中心街で、いままでこんなことなかったのに。あきらかになにかが、悪化している証拠だ。

 ぎゅうっとわたしを抱えるWJの腕に、力がこもっているのがわかる。パンサーだったら、あの集団の暴走を止められる。でも、デイビッドは学校にいて、だからそれは不可能なのだ。

 ……それにしても、この距離はまずい。自分のうなじのあたりに、WJの頬がくっついている気がするし、そのせいで心臓が口から飛び出そうなほどバクついていて、いまや身体全部が心臓みたいになっているのだ。しかも微妙に、さっきは指先に感じた刺激が、WJの腕からわたしの身体に入り込んでいて、自分の血管の中を、ものすごく小さなこびとたちが、ダンスしながらかけずり回ってるみたいな感覚におそわれている。これはあれに似ている。寝起きなんかに足がしびれていて、うまく立てない感じ。血流がソーダみたいに発泡しているような、あれにそっくりだ。こそばゆいような、痺れるような、それに痛みも含まれてくる。まぶたをきつく閉じて、我慢してみたけれど、ううーん、これは痛くなってきた。

「……ち、ちょっと、痛いみたいな気がする」

 パッとWJが腕を緩めた。ふうっとわたしが息をつくと、

「ごめん」

 背後でWJがいう。おそるおそる振り返れば、WJが苦しそうに顔をしかめている。と、図書館へ目を向けて、立ち上がった。わたしも腰を上げて視線をたどる。図書館から姿をあらわしたアーサーが、走りながら近づいて来て、

「……いまのはなんだ?」

「ギャングだよ。かなりヤバくなってきているね」

「さらにヤバいことが判明したぞ。あと、いい忘れていたが、おれはきみとデイビッドのことを知っている」

 WJはうなずいた。

「……うん。うっすらと、きみがデイビッドの家にいたことは覚えてるんだ。他言しないでくれて、ありがとう。で? もっとヤバいことって、なに?」

 アーサーがわたしを親指でしめす。

「彼女が指名手配されている」

 わたしはうなだれる。

「どうして? 誰に?」とWJ。

 アーサーが答えた。

「グイード・ファミリーに」

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