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SEASON2 ACT.02

 謎の美少女みたいな書かれ方をしていたら、学校の誰もが、相手はキャシーだと思うはずだ。そのことにまったく気づかなかった自分の首を、いますぐ締めたい。

 キャシーは盲腸で入院していることになっているし、だから出歩けるはずもない。でも、みんなはそう考えてしまう。デイビッドがキャシーを追いかけまわしていたことも知っているのだし、なによりキャシーは学校一、素敵な女の子なのだ。もちろん、これは一般生徒のただの意見だし、実際の相手が判明したわけじゃない。

 ……まあ、その実際の相手はここにいて、美少女からはほど遠い、最高に間抜けな寝起きの恰好で、髪をわしづかんでいるわけだけど。

 これをギャングが見ていたら? そうしたらキャシーがパンサーの弱みと受け取られて、もしくはその可能性ありと考えられて、キャシーは一難去ってまた一難、みたいなことになってしまうのかも!

 立ちすくみ、垂れ流されるテレビを凝視したままフリーズする。と、テレビの中に映る校門の前に、一台の黒い車が……来ちゃった。

「マ、マ、マルタンさん」

 ぬおう~、と声を上げて、マルタンさんが上半身を起こした。

「どうした、ミス・ジェローラ?」

「デ、デ、デイビッドがテレビに」

 マルタンさんがまたもや芋虫のまま、這ってわたしに近づいて来る。寝袋から顔だけ出した状態で、テレビを見上げた。校門前にカメラが突進して、画面がぶれる。デイビッドが爽やかな笑顔で車から降りた。でも、いまのわたしにはわかる。デイビッドは超不機嫌だ。だって、目の奥が死んでるみたいに見えるから。ちなみに、すでに遅刻の時間だ。

「こいつは最悪だな。ストレスだらけの笑顔だ」

 マルタンさんにもわかるらしい。校門の向こうにも生徒が群れていて、見覚えのある先生方が、ひっきりなしになにかわめいていた。学校の警備員がマスコミ集団を制すも、たったのひとりじゃ力不足。相手は誰だと詰め寄られたデイビッドは「まあまあ、落ち着いて」と髪をかきあげ、校門の前に立ってにっこりと微笑み、

「この学校の生徒じゃないよ。これ以上ぼくの邪魔をしたら、皆さんが困った状況に追いやられた時、ぼくは空からそれを静かに眺めて、助けないことにするからね」

 ていねいな口調でいい残し、校門の中へ去って行った。まあ、うまい逃げ方だった、といえなくもない。

「……カルロスに仕込まれたな。いつになく棒読みだった」

 やれやれとマルタンさんが、床に額を押し付けた。

 中継は終わり、普通のニュースに切り替わる。朝からなにかものすごく疲れた。もうテレビは消そう。そしてパンを焼いて食べ、もう一度眠るというのはどうだろう。ソファの肘掛けには、WJが眠る時にかけているブランケットがあって、まぶたを閉じるマルタンさんを確認してから、それをつかんで、……なにげなーく、鼻に近づけてしまった。わたしとおんなじにおいがする。浴室にあるシャンプーや石けんを、一緒に使っているからだ……って、おっとまずい。無意識で行う自分の行動を制御するには、いったいどうすればいいのだろう。

 ため息をついて、ブランケットをたたみ、元の位置へ戻す。その時、電話が鳴ってびくりとする。きっとまたパパだろう。受話器を取ると

「……ロドリゲスに変わって」

 名乗りもせず、ここがどこかも訊かずに、しゃがれたみたいな低い女性の声がいう。

「え?」

「……あんた誰? スーザン? んなわけないわね。なにこの緊急連絡先の電話番号、ロドリゲスがどうしてそこに寝泊まりしてるのかわかんないけど、んなことあたしにはどうでもいいわ。あんたが誰かも興味なし。早く出して」

「ロドリゲス?」 

 マルタンさんの名字だろうか。わたしが声を出した時、マルタンさんが叫ぶ。

「いますぐきるんだ! その電話をいますぐきってくれ!」

「聞こえてるんだよ。いいからそいつを出しな!」

 わたしがおろおろしていると、ものすごく深いため息をついて、マルタンさんが寝袋のジッパーを下ろす。起き上がったので、わたしが受話器を差し出せば、うなだれたままそれをつかんだ。

 例の、おっかないアリスとかいう人のような気がする。わたしはパンを焼くためキッチンへ向かう。マルタンさんがため息をつきながらなにやらしゃべっている声がとどく。トースターからパンが飛び出たので、お皿に載せてジャムの瓶をつかみ、テーブルに移動する。もじゃもじゃの髪をさらにもじゃもじゃといじりながら、マルタンさんが電話をきった。ふうっと身体全部で吐息をつくと、再びダイヤルを回す。誰も出ないのか受話器を置く。すると、テレビの上に置きっぱなしの無線機をつかんで、リビングから出て行った。

 パンにジャムを塗り、かじった時だ。マルタンさんが戻って来て、わたしのそばに立った。

「ミス・ジェローラ。かなしいお知らせだ。おれは今日休むと同僚に伝えたんだ。でも、サタンの申し子が聞き入れてくれなかったらしい。午前三時に決定したはずの広告戦略を、変えることにしたそうだ。新聞を読んで」

「え?」

「デイビッドのゴシップ記事だ。あれで、なにか新しいイメージに襲われたらしい。というわけで、おれは魔界へ行かなくちゃならなくなった」

 会社のことだろう。

「だけどきみを、この部屋でひとりにしておけない。紳士ぶった恰好を装った悪いやつが、堂々と入り込んで、この部屋のドアをぶち破るかもしれないからな。まあ、ないとは思うが。だからといって会社へ連れて行くこともできない。部外者の立ち入りを、アリスが嫌うんだ。いまはマスコミだらけだから、カルロスとスーザンのいるあっちへ連れて行くのも不可能だ。フロアにもドアの前にも、暇なやつらが押し寄せているだろうから。やれやれ、核爆弾はたぶん、今夜はこっちに泊まるぞ」

「え!」

 う。……まあいい。いや、よくないけど。

「SPを呼んでもらおうと思ってカルロスに連絡したが、無線機も電話もつながらない。というわけで、こういうのはどうだい? 会社のすぐ近くに市立図書館がある。そこには警備員もいるし、人もいる。二階のカウンターの近く、警備員の目につく場所に座っていてくれれば、おれが学校に電話して、授業が終わってからきみを迎えに行くように、WJに伝えておくよ。きみは彼が迎えに行くまでそこにいて、一緒にこの部屋に戻る。一時間程度いてもらえればいいところだな。悪くないだろ? どうだい? それともいまから学校へ行くかい?」

 今日だけは学校へ行きたくない。というか、気分がもうお休みモードになってしまっているので、行く気もしない。だけどそうすれば、WJの勉強の邪魔をしてしまうし、そしてまたもやそのあと二人きり……って、まあ、デイビッドが来るまで、だけど。いや、それはそれでものすごく面倒くさそうだ。まあいい、もう先のことを考えるのはよそう。それだけで疲れすぎて、倒れそうになるから。

 芸人協会のビルへ行く、という方法もある。だけどそうすれば、デイビッドとのことをパパに責められ、どうして学校を休んでいるのかママに責められ、結局ひとりで学校へ行くはめになりそうだ。その途中でミスター・マエストロにつかまったら? ないとは思うけどトラウマにはなっているし、できることなら避けたい。だったら、やっぱり。ううう、仕方がない。

「と、図書館案でお願いします!」

 マルタンさんがうなずいた。

「了解」

★ ​★​ ★

 

 高層ビルが立ち並ぶ中心街のど真ん中に、市立図書館がある。大理石造りで、中世の貴族のお屋敷、みたいな大きな建物だ。道路を挟んだ正面にクレセント・タワー、その右隣に、おそるべきフェスラー銀行、さらに西へ向かうと、駅がある。

 歩道に寄せたマルタンさんの車から降り、左右に二体のライオン像がそびえる入り口をくぐって、階段をのぼり、ライトが空間を黄金色に染めている館内へ足を踏み入れる。荘厳な雰囲気に包まれたエントランスから、正面階段をさらにのぼり、リーディング・ルームへ向かう。あちこちに制服姿の警備員が立っていて、なんとなく安心だ。

 絵画が並ぶ美術館みたいな廊下を通って、中へ入る。格子をはめこんだアーチ型の窓から射し込む光と、高い天井から下がるシンプルなシャンデリアのほのかな灯りが、重厚な木製の机に座る人たちを照らしている。灰色の石壁にずらりと書架があって、この部屋の右側のさらに奥にも、同じような部屋がある。

 ほんの一時間ほど時間をつぶすには、子ども向けの絵本なんかが良さそうだ。それを捜すことに決め、カウンターの前を過ぎた時、ものすごく見覚えのある人物に遭遇した。

 カウンターのそば、書架の手前に座って、積んだ本を読みあさっているその人物の横顔は……どう見てもアーサーだ。

 学校をサボって、なにをしちゃってるの? ……って、わたしも人のことはいえない。声をかけるべき? いや、知らんふりをしたほうがいいかも。と、迷っているうちに目が合ってしまった。う。目が合ったのに無視はできない。そうっと静かに近づいて、アーサーの隣に腰をおろす。

「……なにしてるの?」

 ものすごく静かな声で訊ねれば

「見てのとおり、調べ物だ。次の授業から出席する。きみこそなにをしてるんだ?」

「……休んだほうが、いいかなって」

 ぼそりとつぶやけば、アーサーは本に視線を落したまま、けれどもにやりと笑って

「失敗したようだな。例の作戦は」

 新聞を見たらしい。

「……う、うう。まあ」

 積まれた本を手に取れば、どれも難しそうなタイトルばかり。だけど著者は同じだった。リチャード・ワイズだ。

「キャシーのパパの?」

「論文だ。学校の図書室じゃ見つかりそうもないからな」

「どうしたの、これ」

「今朝のテレビで気になったから調べていただけだ。きみは絶対に見ていないと思うが」

 ……いや、あれだ。なるほど、アーサーみたいな人があの番組のファンらしい。

「変な博士が出てたやつ?」

 アーサーが意外そうな顔をわたしに向けると、本を閉じる。

「恋人が追いかけられるニュースを見なかったのか?」

 わたしはうなだれる。ほうらね。絶対にこうやってからかわれるのはわかっていたのだ。

「……そうだね。もう、恋人、なのかもね」

「まるで人ごとだな。いいじゃないか。不釣り合いといえなくもないが」

 にやりと笑う。ああ、そこで笑うわけね。もういい加減慣れてきたかも。

「どうしてこんなの読んでるの?」

「写真を見ただろう? あの物質が、ミスター・メセニのいっていた宝物とかいうやつなんじゃないのか? 守りたいとかいっていたじゃないか」

 そういえばアーサーに、それがヴィンセントに渡ってしまったことを伝えていなかった。わたしがそのことを短く話すと、アーサーが指で眼鏡を上げた。

「それは全部なのか? C2Uにあったもので?」

「え?」

「あの博士のいい分では、数カ所に分けて保管されているという意味に受け取れたぞ。それら全ての量がなければ、時間を止めるとかいっていたミスター・マエストロの目的は果たせないんじゃないのか? しかも、彼らがそれを、全部手に入れたとはおれには思えない」

 わたしもそう考えたことを、うっかり忘れていた。

「その意見に賛成。だけど、ほかがどこにあるかわからないじゃない」

 アーサーは呆れたようにため息をつく。片眉を上げてわたしの耳を指し、

「その一部を、きみが耳にくっつけて、歩き回ってるんじゃないのか」

 キャシーのくれたピアスを、昨晩からはずしていない。

「えっ」

「ついでにキャサリンも持っているんだろう? ネックレスを。それを彼女にプレゼントした相手は誰だ?」

 トン、とアーサーが本を指でついた。そこで間抜けなわたしは思い出すことができた。光の加減で極彩色、そういったのは売れないアーティストのグイードとかいうワイルド男だ。

「わたしのこれって、それなの?」

「……なのかどうなのかを調べているんだ。どのみち今日、病院へ行って彼に訊いてみるつもりだが、その前に調べておきたかったんだ。キャサリンも知らないだろうし、知っていたらきみにプレゼントするわけはないしな。ちなみに」

 ペンをつかみ、レポート用紙に矢印をぐっと書いて

「この方向を見ずに答えてくれ。ここへはひとりで来たのか?」

 入り口付近をしめす矢印をたどり、顔を向けようとすると、見るなといわれた。だからとっさにうつむいて

「カルロスさんの部下の、マルタンさんっていう人に送ってもらったんだよ。その人も一緒に住んでるの」

「……ふうん。それでどうして図書館に?」

 尋問される泥棒みたいな気分になってきた。

「マルタンさんが会社を休むから、わたしも休みにしちゃったんだけど、急にマルタンさんが会社に行くことになって。わたしはほら、ひとりになっちゃいけないみたいになってるから。それで、WJは学校だけど、ここには警備員もいるし、人もいるから、ここで待ってればWJが来てくれるように、マルタンさんが電話してくれるって」

 ふ、とアーサーが笑った。

「ジャズウィットに同情するな。まるでベビーシッターだ」

 ……たしかに。それについてはなんの反論もできない。わたしは用紙のやじるしを指して

「で?」

 アーサーは本をきれいにまとめはじめる。

「ぼうっとしながら入って来たきみのうしろにくっついていた男が、この方向に座っている。二十代で、大学院生風のカジュアルな服装、だが靴は高価な革靴だ。キャップもかぶってるが、髪は短髪で整いすぎてるのが見える。目立たないために、まるでついさっきキャップをかぶり、パーカーを羽織って、ジーンズに履き替えたみたいな恰好だ。奇妙だな」

「そんな人、どこにでもいるでしょ?」

「そうか? ピカピカに磨かれてある革靴だぞ。踏みつぶされた誰かのお下がりじゃない。スニーカーでもない。どうして安っぽい服装に、そんな靴を履くんだ。不自然な髪型といい、スーツから着替えたみたいにおれには見えるけどな」

「じ、じゃあわたしを、どこかから尾けてたってこと?」

「さあな」

 アーサーが本を抱えて席を立ち、床に置いてあるバッグを肩から斜めにかけた。

「パパがお迎えにくるまで、せいぜい気をつけるんだな」

 帰るらしい?

「え? 帰るの?」

「ここじゃ読みきれない。二冊借りて行く」

 ちょおっと待った! わたしはアーサーのストライプのシャツのすそをつかむ。

「……デジャヴか? これに似た場面を、おれは経験済みな気がするな」

「お、おっかないから、WJが来るまでもうちょっといてくれない?」

 周囲に座っている人が、じろりとわたしたちに目を向ける。まぶたを閉じたアーサーは、耐えきれないといわんばかりの表情を浮かべて、静かに腰を下ろした。

「どうしてわたしを尾けるの?」

「おれにわかるわけないだろう」

 そうっと、アーサーとしゃべっているふりをして、横目でその人物を探ってみる。入り口付近の席でうつむき、新聞を読んでいる。だから顔は見えない。

「あなたの勘違いじゃない?」

「ならそれでいい。ただ、きなくさいと思っただけだ」

 もしも尾けていたのだとすれば、いったいどこからなのだろう。マルタンさんと車に乗った時? とすれば、わたしが暮らしているのがどこなのか、すでに知られているということになる。そこの持ち主がデイビッドだってバレている? パンサーが出入りしているのをどこかで誰かが見ていたとか? そうしたら、わたしとデイビッドが一緒に暮らしていると思われているのかも?

 ううううう。全然わからない。机に肘をつけて頭を抱える。

「このままWJと帰っても、あの人が尾けてるなら、暮らしてる場所がバレるかも。それとももうバレてるのかな。というか、どうしてわたしを尾けるんだろ」

「知る方法はあるが、おすすめはできないな」

「それなに?」

 アーサーは腕を組んで、わたしにいった。

「パパに叱られることになるぞ」

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