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SEASON2 ACT.01

 翌朝。目をこすりながらリビングへ向かうと、巨大な緑色の芋虫が床に転がっていて、うっかり悲鳴を上げそうになった。

「マルタンだよ」

 通常仕様の姿に戻ったWJは、すでにテーブルについてパンを食べていた。芋虫に近づけば、横向きになって眠っているマルタンさんの顔だけが、もこもこの寝袋からはみ出している。

「……ああ。こんなところで、こんなふうに寝なくても」

「……大丈夫だ。おれは地獄からの生還者だ。このほうが落ち着くんだ」

 うたた寝状態だったのか、狭苦しそうなくぐもった声で、マルタンさんが答えた。どうして地獄からの生還者だから、このほうが落ち着くのか、まったくわからない。

 マルタンさんがもぞもぞと、ひとさし指をあごにくっつけた恰好で出し、WJを指した。WJはミルクを飲みながら、わたしに向かって、おりたたまれた新聞をかかげる。ニューズ・ウィーク紙だ。

「え?」

 ……ま・さ・か・?

 わたしはWJから新聞を受け取って、ゴシップ記事コーナーを開く。

「う」

 昨夜のわたしとデイビッドが、写真つきでバッチリ掲載されているのはどうして?

「きみの顔は隠れているし、記事にも名前はないけど」とWJ。

 わたしの顔は手前に映っているデイビッドによって隠れていたため、相手が誰かははっきりしていない。記事も「一般人の謎の美少女」という触れかたでとどまっていたので、ギャングはわたしだと気づかないはず。でもこれはかなりまずいのでは……?

「な、なんで?」

「……パンサーのゴシップネタは売れるんだ。カルロスが金で買おうとしても、向こうが首を縦に振らなかったんだろう。もしくは売りましたと見せかけて、裏切ったか。編集長には愛人がいて、やつの妻にそれを知らせるって手もあるが、妻の愛人問題ですでに離婚調停中だ。意味ないからな」

 むむむ、とうなりながら、いまだ芋虫状態のマルタンさんがいった。大人は入り乱れているらしい。

「ジョセフ・キンケイドは、ニューズ・ウイーク紙の名刺を持ってるが、ほとんどフリーのライター状態だ。おいしいネタがあれば持ち込んで報酬を受け取る。住所不定、神出鬼没。つかまえようにも数時間じゃ無理だ。そしてギャングが背後にくっついている。抜けてはいるがな。パンサーなら捜し出すのも可能だろうが、そんなことをしたら、ネタのおいしさに判を押すみたいな事態になっちまう。まあ、どうにもできなかったってことだ」

 わたしはうなだれる。まあいい。誰もわたしだとは思わないだろう。たぶん、アーサーとパパ以外は……と思ったところで電話が鳴った。朝のこのタイミング。ものすごく嫌な予感がする。

 もしものために、パパにこの部屋の電話番号を伝えたのは、間違いだったとしか思えない。受話器を取ったわたしの鼓膜に、案の定、興奮気味なパパの声がひびいた。

「ニコル・ジェロームの父親です。娘をお願いします!」

「……わたしです」

 おおおお! と喜ぶパパ。わたしがはじめてジャグリングを成功させた時よりも、あきらかに興奮している。

「……うん。ねえ、わたしじゃないからね」 

 興奮をおさえてもらうため、嘘をつく。

「なにをいってるんだ! おまえじゃなければ、誰・な・ん・だ・!」

 目の前にパパがいないのに、わたしは自分の肩甲骨を手のひらで守ってしまった。

 ダメよ、アーサーなんだから! と叫ぶママの声がうっすらと聞こえたので、わたしは静かに受話器を置くことにする。

 もう、どうしてくれよう……。

「……休みたい、かも」

 椅子から腰を上げたWJが

「ほんとう?」

 にっこり微笑む。どうして微妙に嬉しそうなのかわからない。

「……うーん。でも行かなくちゃ。ミセス・リッチモンドにレポートを提出しなくちゃいけないし」

 今日はデイビッドが登校してくる。きっと新聞を見たマスコミがわらわらと押し寄せて、ジェニファー・パーキンズはおっぱいを盛り上げた恰好で、相手は誰か問いただすだろう。もろもろ、ほかの女の子たちも。デイビッドはうまくいいくるめるだろうけれど、わたしの姿を見るやいなや、突進してきそうだ。それを遠くから観察しているであろうアーサーは、たぶん腕を組んで苦笑する。アーサーだけは、相手がわたしだとわかっているはずだから。それで「ビッチ作戦」が失敗に終わったと知るアーサーに見つかったら最後、わたしはたぶん、あの上から目線な役人口調で、ちくちくとからかわれるはめになるのだ。今日一日、ずうっと。……ううう。

 昨日は、デイビッドのいい部分を見てみようと誓ってみたけれど、それは落ち着いてからのことで、こんな状況じゃ正直、逃げまわりたい!

「……じゃあ、ぼくも休む?」 

 いきなりWJがいう。

「え?」

 すると、芋虫のマルタンさんが

「おれは今日、どこにも出ないぞ。ずうっとここにいるからな。一歩外へ出たらそこは魔界だ。おれのデザインを豚呼ばわりする、サタンの申し子につかまりたくないからな……」

 寝ぼけてるのかうなされてるのか、ぼそぼそとしゃべる。うつむいたWJは笑みを浮かべて、寝癖まじりの髪をくしゃりと握り

「……そうだね。いや、ぼくは行くよ。よければミセス・リッチモンドに、レポートを渡そうか?」

 助かる!

 WJが食べ終えた食器をキッチンへ持って行く間に、わたしは寝室へ戻り、バックパックからレポートを出した。リビングへ引き返すと、WJが食器を洗おうとする音がしたので

「洗いものはやっておくよ。洗うくらいはできるから」

 キッチンに立つWJに、あんまり近づかないようにして立ち、レポートを差し出す。でもきちんと笑顔でいえた。

「じゃあ、たのむよ」

 タオルで手を拭いたWJが、見てもいいかとレポートをつかむ。うなずくと、ぺらぺらとそれをめくる。とたん、くすりと笑う。

「え、なに? おかしいかな?」

「なんだいこれ。この提出が遅れた理由。アイスの食べ過ぎでお腹を壊して、トイレに三時間いたからって」

「だって、それしか思いつかなかったんだもの」

 めくるたびに楽しそうに笑う。わたしもつられて笑ってしまったけど、うっかりかなり近づいていたみたいだ。レポートをのぞくWJの顔が近いと気づいて、一歩退く。いけない、心の距離もそうだけど、現実的な距離も視野に入れて過ごさなければ!

「どうしたの?」

 WJが顔を上げたので

「え? ううん。ともかく、よろしく!」

 片手を上げていってから、後ろ向きに歩いてテレビに近づく。少しばかり挙動不審だけれど、WJは奇妙に思っていないようだ。椅子に置いたバッグにそれを入れ、背負った。

「行くよ。マルタンもいるから、きみはずっとここにいてね、絶対に」

 もちろんだ。うろうろしようにも、する場所がこの空間には皆無。うううん、ズル休みって最高。たまにどうしても気分が向かなくて、休みたくなって仮病のふりをしたことがある。でもいつもママに勘づかれて、叱られながら家を出るはめになっていたのだ。それが今日は許されている! むしろ休んだほうがいい、みたくなってる!

 眠るマルタンさんの邪魔をしないよう、ソファに座ってクッキーを食べながら、一日ずうっとテレビを見よう。

 WJがリビングを出たので、一応見送ることにする。いってらっしゃいと手を振ると、ドアを開けたWJがにっこり微笑んで、行ってきます、と答える。ドアが閉められて、ふと壁にかかった丸鏡に目を向ければ、そこには寝起きで、いやににやけた顔の自分がいた。

 ……いけない。まずかったかも。なんだか結婚したての夫婦みたくなっちゃってたんじゃない? わたしだけが。気をつけなければ!

 リビングに戻って、

「マルタンさん、テレビを見てもいいかな?」

 マルタンさんがうなずいた。本物の芋虫みたいに、うねうねと寝袋のままリビングを這って、テーブルのあるあたりまで移動してくれる。

「気にしなくていいから、好きなだけ音量を上げて見てくれ」 

 スイッチをひねる。チャンネルボタンを回していたら、じりじりとしたカラー画面に、ものすごく見覚えのある光景が映り込む。あきらかにどこかの……校門前だ。その手前に立っている女性が

「クレセント・シティのゴッド・オブ・ヒーロー、パンサーに、新しい恋の訪れです! 直撃レポートを生中継で、わたくし、ルーシー・キャラウェイがお送りします!」

 興奮していた。

「……行かなくて正解だったかも」

 というか、デイビッドも休むべきだったのでは? だけどそうすれば、マスコミがあの自宅前に、押し寄せることになるのだろう。結果ほかの住人に迷惑がかかってしまうわけで、どっちにしても、どうにもならないことになってしまったらしい。

 もちろんわたしはすぐにチャンネルを変える。だけど、どこもかしこもそればかり。この街は朝からどうなっちゃってるの? そんなに騒ぐべきことにも思えないのに。 

 やっとまともなチャンネルに出くわす。スタジオのセットはグレー一色で、視聴率なんてどうでもいいみたいな顔つきの、生真面目そうな男性キャスターが、

「皆さまお待ちかね、昨日よりも賢くなるために、のコーナーです。宇宙の質量のわずか五パーセントだけが、人間を作っている種類の材料、バリオン物質だと提唱しているスティーブ・ローリー博士をお迎えしました」

 ものすごく地味な番組みたいだ。朝からこの内容もどうかと思うけど、ゴッド・オブ・ヒーローの新恋人直撃レポートよりは、ずうっとマシ。

 テレビの中で、地味なキャスターと、男の子向けのコミックに出てくる、いかにも博士みたいな白髪まじりの男性が、わたしには理解できない内容を、神妙な面持ちで語り合いはじめる。パンを焼こうとしてソファから立った時、博士がパネルにはめこんだ写真を持った。

「わたしの友人、リチャード・ワイズ博士が抽出に成功した物質の拡大写真です」

 ……ちょっと待って。それって、もしかして、キャシーのパパ? 写真は一見、アラスカのオーロラみたいに見える。暗闇に浮かぶ、極彩色のリングのような写真だ。

 ん?

「彼の研究は荒唐無稽で、理解してくれる仲間も少ないのが現状です。ひっ迫する研究資金の中で、抽出したこの物質は、簡単にいえばゴムバンドに例えられるもので、張力を持っており、この世界の空間を、一種、別空間へと開けるためのトンネルを保つため、それに必要な粒子からなる、いわゆる暗黒エネルギーの一部です。我々がまだ知らない、この宇宙の中に静かに潜んでいるエネルギーは無限です」

 極彩色って、誰かがわたしにいった気がする。誰が、どこで、わたしにいったの? 思い出せない。

 男性キャスターが微笑んだ。

「まるでコミックの世界ですね。しかしとても興味深い。静かに潜んでいる、といえば、この街のギャングのようでもありますね」

 ジョークのつもりみたいだけど、まったく笑えないし、ギャングは静かじゃないし! でも博士はウケたみたいだ。フフフと笑う。知識人のジョークレベルって、もしかしてすっごく低いのかも。

「しかし、その物質をもちいて、なにが可能になるのでしょうか? サイエンス・フィクションのタイム・トラベル?」とキャスター。

「さすがにそれは不可能といえます。しかし、空間を一時的に、巨大なホールへ落し込み、停止させる、といった予測はできます。もちろんこの物質だけでは不可能です。もっとさまざまな知識や資金などが必要になりますから」

「空間を停止させて、可能なこととは?」とまたもやキャスター。

「ご想像におまかせしましょう。あなたの恋する相手の裸を長時間、堂々と見つめる、といったことも可能かもしれませんが。しかしあなた自信もまた、停止している。見つめたまま」

 フフフ、とまた博士。ねえ、これって夜に流したほうがいいんじゃない? 博士はコホンと咳をして、画面を気にしたのか表情を真面目にする。

「それに耐えうる量を、ワイズ博士は抽出済みです」

「盗まれたら?」とキャスター。博士は答えた。

「いくつかに分散して保管しているでしょう。ほんの少し、塩の量が足りないというだけで、料理はまずくもおいしくもなる、と、例えるにとどめておきます」

 なるほど、とキャスターが笑う。

「そこで、この件についても触れている、この著書ですね」

 どうやら出演博士の、出版した本を紹介するために、長々とキャシーのパパの話題を持ち出したらしい。本の内容も博士とキャスターのしゃべくってる内容にも興味はないけど、なんだかいてもたってもいられなくなってきた。

 ヴィンセントが手に入れた、キャシーのパパが抽出した物質は、もしかするとそれだけでは足りないのかも。博士がいっていることを信じるとすれば、いくつかの場所に分散して保管しているということだ。じゃあ、ええっとう、C2Uだけじゃなくて、どこかにまだある、ということだろうか。

 この番組をミスター・マエストロが見ていたら、またもや暴れだしそうな予感がしてきた。もう、どうしてそんないらないことをしゃべってしまうの? これはテレビで、おっかない人も見ているかもしれないのだから、さっさと自分の研究と本の話だけはじめればよかったのに!

 ……まあいい。わたしはじっとしていよう、じっとしていなければならない、じっと動かずに、でもいますぐパンを焼こう。

 そろそろ授業のはじまる時間だ。おかしな中継も終わったはず。チャンネルを変えたとたん、興奮している女性キャスターにつかまった、上級生らしき男の子が、肩をすくめるのが映る。もうテレビを消すしかないらしい。スイッチをつまんだ時、女性キャスターがいった。

「謎の美少女って、この学校の女の子だと思う?」

 テレビに映っているのがまんざらでもないのか、彼はテレビ目線で肩をすくめた。

「……うーん。わかんないけど。デイビッドは人気があるし、モテるからね」

「もしもカーデナルの生徒だとしたら、あなたは誰だと思う?」

「ああ、だったら決まってるさ」

 彼が微笑んで答えた。

「キャサリン・ワイズだ」

 じっとなんてしてられない!

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