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SEASON1 ACT.29

 帰りのリムジンの車内で、深いため息をつく。

 カルロスさんとWJが入って来た時、すでにジョセフ・キンケイドは図書室から逃げたあとだった。デイビッドが事情を説明すると、カルロスさんはかなり苦い顔をして、またもやゾンビになりそうな気配を漂わせる。冷静なデイビッドは、これ見よがしにわたしの額にキスをして、WJの肩を軽くたたき、カルロスさんと出て行った。

 料理も満足に食べられなかったうえ、WJとニナを誤解し、あげく、デイビッドに真実を聞かされて、わたしの脳みそは破裂寸前。妙にひんやりとした感覚が胸のあたりににじんでいて、隣に座っているWJを、まともに見ることもできない。ただひとつ、目の前のSPの存在が、いまはありがたい。

 またため息をつくと

「三十二」 

 ふ、っと笑って、窓に顔を向けたWJがいう。

「え?」

「ため息の数だよ。大丈夫、カルロスが写真をうまく手に入れるから、心配しないで」

 うん、それも心配だけど、あなたのことをどうしたものかと、考えているところだなんて、いえるわけない。

 中心街に近づいて行く。交差点に立ち並ぶ高層ビルの屋上に、ライトを浴びたダイヤグラムの巨大掲示板が見える。最新モードに身を包んだ男女が笑っている広告だ。無数の車、たくさんの人たち。そういった光景を窓から眺めながら、決心する。

 ビッチぶるのは無理だし、だったけど、気のないそぶりには自信がある。男の子に好かれることなんてなかったから、自分が傷つかないように防護するため、いつの間にか身につけてしまったかなしい得意技だ。自分の気持ちが伝わらないように、伝わって困らせないように、おどけまくったり、男の子みたいな接し方をする。すると相手は、わたしを女の子扱いしなくてもいいんだと、安心してくれるのだ。

 どのみち終わりはわかってた。このあたりで、自分の気持ちにきっぱりと、頑丈な蓋をするのは悪くない。蓋をして、鍵をしっかりとかけて、二度と開けない。いいきっかけなのかもしれない。それで、自分にもしも余裕があれば、デイビッドのいいところを、ちゃんと見てみることにしよう。恋人同士って、なんとなく気恥ずかしいし、納得もいかないけれど、人生ではじめて、好きだといってくれた貴重な相手であることはたしかだ。なにか微妙に、複雑でもあるけれど。

 ……ああ、パパは喜ぶだろうな。

「三十三」とWJ。

 わたしは苦笑まじりで、またため息をつく。自分で

「……三十四」

 すると、WJは笑った。

★​ ★ ​★

 

 部屋へ戻ってから、マルタンさんが徹夜だったことに気づく。でももうパニくらないし、てんぱらない。うう、さようなら、わたしの片思い。こんなに近いのに、もう近づけない。いい感じの超お友達な距離を保つのが、WJのためなのだ!

 覚悟が決まれば、あとは簡単。おれは貴様の親友だぜ、みたいな態度をとれば、それで終了だ。寝室に引っ込むまでなりきればいいだけ。いますぐにでも引っ込みたいところだけれど、ヘンに避けてすぐさまそうすれば、それこそ逆に心配される。ここはいつもどおり、いや、いつも以上に明るくふるまうべきだ。

「じゃんけんしようぜ、WJ」

 げ。うっかり男の子っぽすぎる口調でいっちゃった。

 脱いだジャケットをソファに放った、WJが

「え?」

「……じゃなくて、よ。じゃんけんしよう、よ」

 落ち着こう。まずは。

「どうして?」

「どっちが先にシャワーを浴びるか、決めるためだよ。早くこの着ぐるみを脱ぎたい衝動にかられてるけど」

 はははとWJが笑う。じゃんけんして勝ったのはわたしだ。リビングを出て、寝室に向かい、着替えを用意して浴室に入る。シャワーを浴びて、女の子らしさゼロの、だらけたスウェットとぐだぐだの靴下を履けば、いつものわたしが鏡にあらわれる。Tシャツの上にパーカーを羽織って、タオルで髪を乾かしながらリビングへ行くと、テレビもつけずに、WJは窓の外を見ていた。パンサーの玄関は、きっちり閉じられている。

 わたしはテレビのスイッチをひねる。ソファに座って、WJがシャワーを浴び終えるまでテレビを見て、あとはレポートを理由に寝室へ引き上げれば、今夜は終了だ。よし。

「あ。保安官シリーズだ。今日は部下のジャネットが子どもを助ける回みたい」

 ばかみたいにひとりでしゃべる。テレビの音量を上げようとして腰を上げた時、WJが窓から顔をそらして

「ひとつだけ、どうしても、きみに訊きたいことがあるんだ」

「え?」

 それ、消してもらってもいい? WJがテレビを指す。消したら深刻な雰囲気に包まれそうな予感がした。だからわたしは、音量だけ消す。

「ちょっと気になるから。画面だけ。いいでしょ」

 WJは苦笑してうなずく。

「どうしたの」

 わたしはソファの上であぐらをかく。窓を背にして立っているWJは、腕を組んでうつむき、自分の足下に視線を落した。

「……ばかみたいかもしれないけど。妙に気になっていて」

「なにが?」

 WJはそのまま微笑んだ。軽く首を左右に振って

「いや、やっぱりいいよ。どうかしてる」

 さらに問いただすべき? すごくそうしたいけれど、そうしないほうがいいように思える。

「そう。じゃあ、音量を上げるよ」

 なるべくそっけない態度で、あぐらを崩して、ふたたび腰を上げれば

「……ぼくは、パンサーでいることが好きだよ」

 とうとつにいった。

「パンサーでいる間は、誰かの役にたっていると思えるし、なにも我慢しなくていいから。だから、今夜みたいな日は、いつもキツいんだ、ほんとうは」

「デイビッドのオフ日で、パンサーもお休みだから?」

 うん、とWJが笑みを浮かべて顔を上げた。わたしは即座にテレビに視線を戻す。

「ギャングは大暴れ、だね」

 冗談まじりでいってみる。くすりと声がもれた。

「不定期で休んでいるからそうでもないよ。わからないけど」

 普通のスピードで走るスーパーカーは、我慢を強いられている。エンジン全開で走った時が、ほんとうの気持ちよさを味わえる瞬間だ。

「パーティで、べつになにも起きなかったもんね。ねえ、デイビッドに電話してみたらどうかな? それで、パンサーになってもいいよ。わたしはここでレポート書いてるから」

「……いや。そういうことじゃないんだ。なんでもないよ。ごめん」

 WJはタイをゆるめながら、クローゼットへ向かう。着替えの入った荷物をつかんで、クローゼットを閉める。そしてなぜか、ドアの前で立ち止まった。

「……きみが」

 わたしには背を向けた恰好で

「きみが好きなのはデイビッド、なんだよね?」

 音量を上げようとした手の動きを忘れてしまった。

「え、……え?」

 ふう、とWJが息をつく。うつむいて、くしゃくしゃと指で髪をやって

「……さっきからばかみたいなことを考えているんだ。なんでもないよ、忘れて」

 息をのんで、自分がなにをいったらこの場に適切なのか考える。でも、うまく考えがまとまらない。いや、答えは決まってる。わたしはWJを見ずに、保安官がジャネットに向かって怒っている、無音の画面に見入った。

「そうだよ。わたしは、デイビッドが好き」

 すっごい。アーサーの棒読みなセリフみたい。

 どうしてこんなことを訊くのか、ものすごく訊きたい。WJがなにをいいよどんでいるのかも知りたい。でもダメ。訊いたらもっとこれについてしゃべるはめになるし、そうしたらうっかり、わたしは泣いてしまうかもしれないから。

 安堵したみたいな息がもれるのが聞こえた。そしてWJは、ドアを開けて、閉めずにリビングを出て行った。

 テレビの音量を上げられない。だから、外の音がかすかに聞こえる。わたしは無駄に広くて、さみしい空間に取り残される。無音のテレビでは保安官が、なにやら必死になってしゃべってる。いまごろパパも見ているだろう。その画面が、視界でどんどんにじんでいく。

 なんにも知らなかったら、いまごろわたしはパニくって、でも二人っきりでいられるのが嬉しくて、ちょっとせつないみたいになっていて、どきどきしながらソファに一緒に並んで座って、テレビを見たのかもしれない。レポートを寝室で仕上げるんじゃなくて、このリビングのあのテーブルで、WJに教えてもらいながら、終わらせていたかも。そのあとでゲームをする。マルタンさんが帰ってくるまで、ゲームで夜更かししたのかもしれない。

 でも、それができない。一緒にいても、なるべく不自然じゃない感じで、離れているのがわたしたちの、WJのためだからだ。

「どうして泣いてるの」

 いわれてびっくりする。WJはまだ、ドアの外に立っていた。パーカーの袖で涙をぬぐいながら

「浴室に行ったかと、思ったのに」

 なんとか笑う。

「デイビッドと喧嘩でもしたの?」

 わたしは顔をそらす。わたしの心配なんかしてほしくない。決心がにぶりそうになるから。

「うーん、まあ。そんなとこかな」

 テレビから視線はそらさずに、肩をすくめて、なんとかおどける。でも、WJが近づいてくる気配を感じて、次になにをいうべきか焦る。

「大丈夫だよ。なんでもないんだ。ここのところいろいろあったし、疲れたのかも」

「なんでもないって感じじゃないのはわかるんだよ。ぼくにはいっていいって、前もいったじゃない。デイビッドのこと?」

 超お友達な距離の仲良しでいたいけど、それだけじゃ無理みたいだ。WJはわたしの心配をしてくれるし、そのたびにわたしは、仕舞い込んだはずの蓋を開けたくなって、鍵を握りしめるはめになる。そうしたら、ただの勝手な片思いが、どんどんあふれてしまって、勝手ではすまなくなるだろう。

 いっそ、ニナといい感じだったほうが、ずうっとマシだったかも。だって、そうすればわたしは少しずつあきらめていくし、わたしだけがしばらく落ち込むだけでいいから。

 どうしてこんなことになっちゃったんだろ。学校で一番地味だったはずのわたしたちに、こんな時が訪れるなんて、想像したこともなかったのに。

 WJがわたしの隣に腰をおろした。

「シャワーは?」とわたし。

「……うん。あとで浴びるよ」

 テレビは無音だし、妙な沈黙が続く。なのにわたしはテレビを見つめてる。

「もしかして、なにか悩んでる?」

 わたしは笑って首を振る。気のないそぶりもなかなか難しいらしい。すでに不自然だ。だってわたしは、WJから顔をそらし続けているのだから。

「レポートを仕上げるよ。明日が締め切りなんだ」

 テレビはつけたまま、ソファから立ち上がる。なんとか笑みを浮かべて、一瞬だけWJを見下ろした。WJもテレビを見ていた。でも、眼鏡をしていないので、きっとぼやけまくっているはず。

 寝室に入ったとたん、ぼわっとまたもや涙がにじんできた。おっかしいなあ、わたしってこんなに泣き虫じゃなかったはずなのに。

 ともかくレポートと教科書を取り出して、ベッドの上であぐらをかく。いますぐベッドに入って泣きたいところだけど、それはあとのお楽しみとしてとっておこう。いまはレポートに集中すべきだ。

 やがて、浴室から物音がしはじめる。ドア一枚隔てたところに、大事な友達がいる。優しくて、クールで、スーパーカーみたいな友達が。

 キャシーのことを好きだと思っていたのに、それは違うとデイビッドはいう。WJは誰も好きにならない、いまも誰も好きじゃない。誰も好きにならないから、パンサーでいられる。

 そういう感情が身体中にしみついているといった、デイビッドの言葉を、いまごろになってやっと、わたしはほんとうに理解している。

 浴室の音が途絶えた。わたしはレポートを仕上げる。バックパックに出来たそれを突っ込んで、ライトを消し、ベッドの中へ潜り込む。

 邪魔なのはわたし。わたしのこの気持ちが、いつかWJの邪魔をする。

「……ああ。すっごくややこしい」 

 ばかみたいにひとりごちて、身体を丸めるとちょっと笑えた。椅子にかけた革のジャケットを、レベッカにどうやって返したらいいのか、デイビッドに訊かなくちゃ。そう思って、そういうどうでもいいことに意識を集中するようにして、まぶたを閉じた。

★ ​★​ ★

 

 まどろみが本物の眠りになる、うとうととした空間を漂っていた間に、おぼろげな夢を見た。

 そうっと寝室のドアが開いて、誰かが入って来る。ベッドの隅に腰をかけて、わたしを見ている。そういう気配がする。わたしは、枕に左の頬を押し付けたまま、うっすらとまぶたを開ける。暗がりに目が慣れなくて、それらのことはよく見えない。

 またまぶたを閉じようとした時、指を鳴らす音がした。同時に、一瞬だけ、火花のようなものが闇に散って、小さな、すごく小さな星空が、そこに浮かんですぐに消えた。わたしはくすっと笑って、すごい夢だなあと思う。魔法みたいだなあと思う。

「……星空だ」

 寝言でいえば。

 うん、そうだね。

 闇が答えた。

 パパかも。それともアランのゴーストかも。そう思いながら、とろとろとした眠りに落ちていく。

 ふわりとわたしの頭に、指先が触れて、ビリッとしたかすかな刺激を感じた。びっくりするほどのものではなく、どこかこそばゆくてわたしは笑う。そしてそのまま、ほんとうに眠ってしまったのだった。

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