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SEASON1 ACT.28

 帰ってもいいですか? 
 ……ええっと、ギャングにまさぐられてぐっちゃかもしれないけれど、ちゃんとした自分の、あのアパートに。
 挨拶でキスをすることはある。わたしだって、なにかに感激した時、キャシーとだってするし、パパやママとだってする。近頃ではさすがにパパと、というのはちょっと避け気味だけれど。
 でもそういうのではない。挨拶なんてとっくに済んでいるし、それをわたしは見た。
 がっかり、でもなくショック、でもない、ずーんと地面に沈んでいくこの感覚はなんだろう。
 ほんの一瞬だったし、しっかり見たわけではない(見たくもないので)。タキシードの後ろ姿は、斜めの角度でわたしに背を向ける感じだったし。だけどニナのまぶたを閉じた顔は、しっかりと見ちゃったのだ。
 背格好や髪の色、ちらりとかすめた横顔の印象は、WJに似ていた。いやわからない。でもたぶん、相手はWJだろう。
 WJだって男の子だ。アーサーがわたしにアドバイスしてくれたみたいな経験がないとはいいきれない。だけどありえないと思っていたのだ。それに、WJのいいところは、わたしやキャシーしか知らないって、これまた思い上がっていたという証拠。
 ニナとはいい感じみたいだ。だったらニナのことを教えてくれてもよかったのに。こんな女の子がいて、いい感じだから、好きなのはキャシーじゃないって、いってくれてもよかったじゃない。その機会はいままでたんまりあったはず。なのになんにもいってくれなかった……とまで考えて、はっとした。
 わたしがあまりにキャシー、キャシーというから、気がとがめていえなくなっちゃってたのだ。いいずらくさせていたのは、わたしということだ。まあ、どちらにしても、わたしの片思いはあっけなく終了。気持ちを告げるつもりなんて全然なかったけれど、告げる前に終わってる、こんなのいつものことだ。
 大丈夫、こんなことは山ほどあったのだ。これも同じことだし、いつかはこうなるってわかってたはず。たぶんすぐに慣れるし、納得できるだろう……、いますぐは無理だけど。でも、ああああああ……。
 ノックもなしに、背後でドアが開く。その灯りがもれて、わたしの影がテーブルに落ちた。またこっそりべたべたしようとしている男女が来たらしい。長椅子に座ったまま、振り返らずに、
「……すみませんけど、ここはいま、わたし専用の避難所になってます」
 しょんぼりしていえば、
「やっぱり。こっちに向かってるのを見たんだ、だろ?」
 まったく聞き覚えのない声。やっとの思いで顔を上げてドアを見る。立っていたのは、二人の若い男性だ。内緒話でもするつもりらしい。
「……あのう。できればここ以外で」
 わたしの気弱なつぶやきが聞こえないのか、ドアを閉めた二人が歩いて来る。せっかく見つけた避難所が、内緒話で汚染されるのは耐えられない。トイレを捜して、個室に避難するしかなさそうだ。腰を上げようとしたら、二人がわたしを挟むみたいにして立つ。育ちが良さそうな、お金持ちの大学生といった雰囲気。
「ほら、すごくかわいいっていっただろ?」
 わたしの右側に立った短髪ブロンドがいった。肩をつかまれて、長椅子に座らされる。なんだろう、これ。内緒話じゃないみたいだ。
「こういうパーティで、きみを見たことがないな。学生? 名前は? 誰と一緒に来たの?」
 左側に立った、栗色のくせ毛がいう。わたしの頭は衝撃の場面でいっぱいで、どうしてこの人たちがわたしを挟んで座るのか、まったく理解できない。ぼうっとしながら二人を交互に見て
「……ええ、と?」
 二人が覗き込むみたいにしてわたしに顔を近づける。もしかしてわたし、かなりまずいことになってる?
「かわいいなあ。まだ若いね。どうしたの、おとなしいじゃない。びっくりしてる?」とブロンド。
「慣れてないんだろ、こういう場所に。そうだよね? 一緒に来た誰かとはぐれた?」 
 口ごもって身を縮込ませていたら、くせ毛がわたしの腰に腕をまわした。ぼんやりしてる場合じゃない、いますぐに立って、ここから出なければ! だけど出たらまたあの二人のキスシーンを見てしまいそうだ。それとも抱き合ってたりして? 泣きそうになってきたけど、泣いてる場合でもない。思いきって平手打ちするべき? どうしよう。どうしよう!
「失礼」
 ドアが開いた。立っていたのは肩で息をしているWJだ。すごく怒ってるみたいな顔で
「ぼくの友人です」
 なんだよ、と二人が腰を上げ、わたしを見下ろして肩をすくめ、部屋から出て行った。WJの息は荒い。ずいぶんわたしを捜してくれたみたいなようすだ。だけどすぐそこで、ニナとキスをしていたはず。ぽかんとしてWJに視線を向けていると、はあ、と深い息をついて、ドアは開けたまま歩いて来る。
「うろうろしないでっていったのに」
 言葉は優しいけれど、かなり険しい声色だ。
「広間から気配が消えた気がして、ぐるぐる捜して、二階の奥まで行っちゃったよ。広すぎる豪邸には、立ち入り禁止の札でもかけておいてもらいたいな。そうすれば無駄に歩き回らなくてすむから」
 ちょっとだけ笑ってしまった。だけど笑ってる場合じゃない。
「あれ? だって……」
「だって、なに?」
 わたしの横に座って、ふうっとため息をついた。長椅子の背もたれに頭をのせた恰好で、わたしを横目にする。
「だって、……そのお。ニナと」
 わけがわからない。おろおろしながら、衝撃の場面方向を指でしめすと、WJは眉根を寄せて苦笑した。
「……ちゃんと見たの? もしかしてニナの相手を、ぼくだと思った? ぼくもいま見かけたけど、ぼやけてて気にしなかったよ。ぼくに似てる?」
「え。違うの?」
 違うらしい?
「違うよ。どうしてぼくがニナとそんなことするの?」
 ……ああ、違うらしい。違うらしい、違うらしい!
「だって! わたしはてっきり、あなたかなって!」
「みんな正装してるからね。だけどしっかり見てよ。なにがどうなって、そんな勘違いをおこしちゃうの。……ほんとに、きみはもう」
 はあ、と呆れてるみたいなため息をついて笑う。
「彼はたぶんニナの恋人だよ。……あれ? どうしてニナって。名前は誰に訊いたの?」
 怒られそうな気がしたけれど、料理ゾーンでジョセフ・キンケイドに話しかけられたことを告げる。天井をあおいだWJは、呆れをとおりこして疲れましたといわんばかりにまぶたを閉じて
「……またそんな」
「ごめん。捜してくれたんだね。だけどニナとは仲良しみたいだったから、ついいい感じなのかなって。邪魔したら悪いと思って」
 WJが苦笑した。
「……うん、まあ。ニナにはパーティでよく会うんだ。面白いし、きみもきっと好きになると思って、紹介したかったのに。いつまでたってもきみは来ないし、料理の方を見たら誰もいないし。そのうちにいろんな香りに混じって、きみがどこに消えたのかわからなくなって焦ったんだよ。いったじゃない、ずっとそこにいてって。どうして気づかないの?」
「気づかないって、なにが?」
 まぶたを開けて、でも天井を見上げたまま、
「いろんな視線がきみに集中していて、いやな感じだったってことだよ」
 また深い息をつく。誤解した自分が情けなくなってきた。沈黙が流れて、開けられたドアから、さまざまな声がもれてくる。笑ってる声や、かすかに聞こえる広間の音楽。そうしていると、ふいにWJが
「……だったら、どうなの?」
 え、と顔を上げると、WJの視線は天井に向けられている。小ぶりのシャンデリアが、ほんのりとした灯りを落している。
「……もしもぼくとニナが、いい感じだったら? だったらなに?」
 横顔を見せたままで、視線でわたしをとらえる。
「どうって?」
 頭を起こしたWJが、わたしの正面を向いた。WJがなにかいおうとする。でも、口を閉ざしてなにもいわない。いわないかわりに、わたしを見つめる。視界がぼやけているからか、顔が少しだけ近づく。けれどもそこで、つ、と視線がドアに向く。WJはうつむくと顔を離して、すぐに立ち上がった。直後、コン、とドアが叩かれた。
「発見」
 すっごいタイミングだ。牢獄から解き放たれた、デイビッドが立っていた。WJはデイビッドの横を通って
「記者がたんまりいるんだ。デイビッド、ドアは閉めないでオープンにしておいて。カルロスを呼んでくるから」
 出て行った。そのとたん、バン、と音をたてるほど、右腕をふりきって、デイビッドがドアを思いきり、……閉めちゃった。
「どうしておれのそばに来ないんだよ。逃げるみたいにしてうろうろしたあげく、密会ってわけ?」
 まずい。ものすごくまずそうだ。怒っているし、不機嫌きわまりないのはあきらかだ。それはそうだろう、長時間牢獄に突っ込まれて、自由のきかない囚人さながら、愛想を振りまくかわりに、内心では耐えて耐えて、耐え抜いていたはずだ。そのストレスがいままさに、わたしにぶちまけられようとしている。
「密会?」
 長椅子から立ち上がって、本棚が並んでいる奥まったゾーンに背を向けながら退く。
「でたね。超鈍感独自のセリフが」
 わたしは猛獣をなだめる調教師みたいに、がんばって微笑みながら両手をつきだす。
「よくわからないけど、落ち着いて。あなたは牢獄……じゃなくて、いろんな人に囲まれてたし、邪魔したらダメかなって」
 最高におそろしい。すっごくわたしをにらんでいるし、ゆっくりと近づいて来るから、ずるずると壁つたいに退いて、逃げるはめになる。どうしてわたし、こんなことしてるんだろ……と思ってから、いろんなことがありすぎて忘れていたけれど、やっと思い出した。本日の使命だ。
 どうしよう、怒ってるデイビッドの迫力に押されて、追いかけまわすなんて全然できそうに思えない。だいたいいま、追いかけられているのはわたしなんだから。この関係を逆にするためにはどうすればいいんだろう? アーサーのアドバイスなんてまったく思い出せないし、いきなり抱きつくとかできる雰囲気でもない。
「こ、こういうのって、おかしくないかな? それに、あなたも面白くないでしょ?」
「なにが?」
「……なんていうか。なんていうか」
 おかしなわがままをなだめるために、わたしが無理矢理つきあおうとしてることを、うまく伝えられない。
 と、デイビッドが歩みを止めた。
「わかってるよ。おれだってバカじゃない。自分がどういう意味のことをいったのかも、きみにそれを押し付けてることもわかってるさ」
 え。そうなの?
「おれにだっていいところはある。きみにはそれを知ってもらいたいんだよ。きみのお友達ゾーンに入って、仲良しになればわかってもらえるって自信はある。だけど、そのまま仲良しごっこを続ければ、そのうちきみは、のほほーんとおれに恋愛相談でもしはじめる。しょんぼりしてるきみを元気づけるために時間を割くなんて、おれにはアホらしいことこのうえないんだ。もうこの際、はっきりいってやる」
 ドアに背中を向けたまま、そちらを指して
「WJはやめておけ。時間の無駄だ。何度もいってるじゃないか。WJは誰も好きにならないし、誰にも興味がないんだよ。優しいときみは思ってるんだろ。おれだってWJが優しいのは知ってるさ。だけどそれって、誰にも興味がないってことなんだよ。みんなに優しい、そして誰にも興味がない。もったら最後だからだ」
 え。
「それ、どういうこと?」
 デイビッドはポケットに片手を入れてうつむく。髪をかきあげ、ため息をついて
「ブレーキがきかなくなったスーパーカーになるからだ。どうしておれがきみに、こんな無茶を強いてるのか、カルロスにはまだいってないけど、教えてやる。もちろんおれはきみが好きだよ。友達カテゴリー圏外でつきあうのは大歓迎だし、いまおれがいっている別の意味でも、今夜のことでムカついてるのは本当だ。すごくキュートなくせに、自分のことを全然わかってないみたいにうろうろするし、妙なやつらに話しかけられて、あげくおれを避けてる」
 はあ、とデイビッドが両手で顔をおおった。
「いますぐきみに、下品なことをしたいし、意地の悪いことをして泣かしたい気もしてる。でも、きみが嫌がることはしたくないから必死におさえてるんだ。でもそうじゃないこともある。おれはきみらの邪魔をしなくちゃいけないんだよ。たのむからWJに、これ以上興味を抱くのはやめてくれ」
「え」
 ぽかんとして立ちつくすわたしに向かって、デイビッドがゆっくりと近づく。
「おれとのことは、半分は嘘でいいんだ。きみはWJに一番近い女の子で、WJが誰かに、最初に興味をもつとすれば、たぶんきみだろう。まだ間に合ううちに、手を打たなければ本気でヤバいことになる。猛スピードで走るスーパーカーのブレーキが壊れたら、誰にも止められないってことをいいたいんだよ、おれは」
 いいたくなかったけど、といって、デイビッドがわたしのそばに立った。
「きみが恋してる相手は、超スーパーカーなんだ。運転を間違えたら一貫の終わり。最高速度が320マイルの、高級車に興味をもってほしいんだって、いってるんだよ、おれは」
 それがおれ。
 両手を広げてデイビッドが肩をすくめる。本当なのか嘘なのか、判別できなくて動けなくなる。でも、デイビッドの表情は険しい。
「……それって。それって、WJが誰かに興味をもって、好きになったら、しょっちゅうパンサーになっちゃう、ていう意味?」
「そうだよ。おさえたくてもおさえる方法を思い出せなくなって、あの冴えない姿で、学校で窓ガラスを全部割るかもしれないし、自分の意思に反して誰かを傷つけるかもしれない。これ以上きみがWJに興味をもてば、WJは絶対に勘づく。ただでさえ仲良しなんだ、きみに引きずられて、きみに興味を持って、普通の人間でいられなくなったら、辛いのはWJだ、そうだろ? あんな眼鏡をかけなくたって、クールな眼鏡はたんまりある。わざと冴えない外見にしてるのは、誰も近寄らせないためだ。こういう場所じゃ、それも難しいからはずしてるけど。だから女の子はたんまりあいつに近寄る。とはいえWJは、いつもたいしたことはしゃべってない。微笑んでいても、あんがい態度はそっけないしね。でも、きみは特別だったんだろ。きみにはそういう感情を抱かないって、自信があったから仲良くなったのかもしれない。キャサリン・ワイズはわからないけど」
 嫌われる作戦なんて、脳裏からいっきに消えてしまった。
「あなたは。じゃあ、あなたはWJを守りたい、っていうこと?」
 デイビッドが苦笑した、
「よくいえばね。そうじゃない部分も、混じってはいるけど」
 うつむくわたしの右手を握る。
「正直にいえば、きみが気になりだしたのは、WJに友達以上の感情を抱いてるって、うっすらとわかったからだよ。それがなければおれの視界に、きみは入らないままだったかもね。まずいことになりそうだと思いながら、きみをどうしたらいいのかと思って、思ってるうちに、笑えた」
「笑えた?」
 顔を上げれば、デイビッドは笑みを浮かべてる。
「だってそうだろ? あんな化粧で、あんな衣装で、バスに揺られて部屋まで来たのかと思ったら、無性に笑えた。きみは滑稽だし、おれの好きな女の子のタイプからは全然離れてる。だけどいいなあと思ったんだよ。しゃべればもっといいなあと思う。WJを好きだってわかって、やきもちやいたのは本当だし、いまもかなりムカついてる。種明かしをするつもりはなかったけど、もう仕方がない。自分の手の内を見せるのもひとつの手だ。で。どうする?」
「どうするって?」
「半分は嘘でいいから、WJを遠ざけるために、ほんとうにおれとつきあってみたらっていう提案。このまま放っておけば、最悪な事態が起きる可能性があるってことだよ。こういうことをいえば、もちろんおれに有利だってわかってる。でも、そうじゃない真実もおれはきみにいってるんだ。それをふまえて判断しろよ。ここじゃなくて」
 胸に手をあててから
「ここでいいから」
 自分の頭を指した。
 WJがわたしを好きになるわけはない。でも、誰よりも長い時間一緒にいるのはたしかだ。わたしがWJを意識しまくってるのを、気づかれたら? WJもわたしを意識しはじめるのかな。ありえないと思うし、そうなったらすっごく嬉しいけど、だけど、そうなっちゃいけないんだ。
 そうなったら、スーパーカーは暴走してしまう?
「……わたしのこと、WJは意識したり好きになったりしないと思うよ」
 暴走したら、誰にも止められない。そしてマスコミに追いかけられる。
「わかってるよ。ただの仲良しなら、ときどきおれが猛烈なやきもちをやいて、きみを困らせる程度で、放っておくさ。でもそうじゃないだろ。少なくともきみは、あきらかに意識してる。そのうえ、一緒にいる時間が長くなったんだ。危険視しないわけにいかないよ」
 いままではデイビッドが、WJの代わりにパンサーでいるという、盾になっていたのだ。でも、その盾が崩されたら、どうなるんだろう。
 わたしにわかるわけもない。
「……だって、WJはキャシーを好きだよ。そうしたら、どうすればいいの?」
 は、とデイビッドは笑った。
「好きだろうけど、たいして興味はないだろ。だったらとっくに、ブレーキがきかなくなってるはずだよ」
「好きだ、みたいなことを、わたしにはいってたから」
「なんて?」
「友達は、ずっと友達でいられるって。だから、べつにいいんだって」
 デイビッドが急に、一瞬だけわたしの鼻をくいっとつまんだ。
「アホまるだし。キャサリン・ワイズのファンは山ほどいるんだ。WJがその中のひとりでもおかしくないだろ。ファンってのと、好きってのは違う。全然違う。のんきに、友達でもいいんだ、なんていってられなくなるのが恋ってやつなんじゃないの? まあそれを、恋愛なんか避けてる本人が、気づいているかどうかはわからないけど。おれはWJじゃないからね」
「照れて、しゃべれなくなってるのに?」
「照れてしゃべれないから好きだなんて、恋愛初心者の思い込みだよ。きれいでかわいい女の子には、異性に慣れてなければそういう態度になる。まあ、好きな場合もあるだろうけど。でもほんとの意味での好きとは違うと、おれは思うけどね。じゃあきみに誰か好きな俳優がいたとして、彼の前に立ったら、きみはそうなるんじゃないの。でも、それって、つきあいたいってこととは違うだろ? それとおんなじだ……って、ほら。またおれはお友達ゾーンな会話をさせられてる。もううんざりだ」
「……そうだね。ごめん」
 わたしが嫌われなくちゃいけない相手は、デイビッドじゃないみたいだ。
「……教えてくれて、ありがとう」
 うつむいていたら、涙があふれてきた。
「じゃあわたし。嫌われたほうがいいのかな」
 わたしが好きな相手は超スーパーカー。わたしに運転できるはずもない。わかっていたけれど、ほんとうはわかっていなかったのだ。両手で顔をおおったら最後、涙がほろほろとこぼれてしまった。
「べつに、そこまでしろとはいわないけど。距離は保ったほうがきみのためだし、WJのためだよ。一緒に暮らしてもらうのは、ほんとうはいやだし、避けたいけど、きみの安全のためにはしかたがないしさ。頭ではわかってても、かなり苛つくのはたしかだけど。まあ、マルタンもいるから」
 でも、どうしてこんなにかなしいんだろ。最初からうまくいくはずないって思っていたから、べつにいいのに。
 わからない。でもたぶん、WJがひとりぼっち、みたいに思えるのがいやなのだ。誰にも興味を持たないように、ひとりぼっちにさせるのがWJのためだなんて、そんなの間違ってるのに。でもこれはもう、常識を超えてる。だって、WJの存在が、すでに常識を超えちゃっているんだもの。
「……うう。わたしのことなんて、好きにならないと思うし、好きじゃないと思うけど」 
 ぐずぐず泣きながらつぶやけば、デイビッドがやれやれ、とため息まじりに呆れる。そうっと、わたしの背中に腕をまわして、自分に引き寄せる。
「……もうなんか疲れてきたよ。正直なところ、ほんとうになにもかも放り出したくなってくるね。まるでおれが道化師だ。このおれが」
 意味不明のことを押し付ける、わがままな核爆弾だと思っていたのに。わたしには想像もつかないことを、ひとりでぐるぐる考えていたなんて知らなかった。
「……わたし。ほんとうはあなたに嫌われようと思って」
 はあ? とデイビッド。
「だって。なんか意味不明なこといわれて、そしたら嫌われるしかないかなって」
 そうしなくて、よかったのかも。
「ああ、そう。それで、どういう作戦だったわけ?」
 ビッチで。わたしが告げると、デイビッドが笑いだした。
「なれるわけないだろ。なに考えてるの?」
 そのとおり。なりきれるわけがない。
「でもまあ」
 わたしの頬に自分の頬を近づける。
「今夜のきみは、すごくかわいいよ。それにいい香りだね」
「こんなの、ただの着ぐるみだし、香水はレベッカが勝手に」
「着ぐるみ?」
「……だって、洋服脱いでシャワー浴びたらいつものわたしだもの。全然イケてない感じ。こんなの着ぐるみみたいなものだし、脱いだらもっさりしたわたしだから」
 今夜は最悪なことばかり。でも、知らされてよかったのかもしれない。でも、知らなかった時のほうが、幸せだったかも。自分の気持ちがまったく、報われないとしても。
「……なんか。大変なんだね、デイビッド。ほんとはいろいろ考えてたんだね」
「遅いよ。いまごろ気づいたわけ?」
「みんなにわがままいったりするのも、なにか理由があるから?」
 それはない、とデイビッドは答える。わたしがくすりと笑うと、腕をゆるめて身体を離す。すると、そうっとした仕草で、デイビッドがわたしの頬を両手で包む。
「……涙が黒いよ」
 大量のマスカラのせいだ。まぶたを閉じたまま、ふ、とわたしが笑った時、デイビッドがわたしの頬に、静かにキスをした。あ、と思って、離れようとした直後。
 ドアが開いた。
 デビッドが振り返ったけれど、遅い。戸口でパッとフラッシュがまたたき、カメラをかかげた見覚えのある人物が、デイビッドの背中越しに見えた。
 ジョセフ・キンケイドは肩をすくめて
「見出しはできてるぞ。パンサーの本命登場」
 にやりと笑った。

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