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SEASON1 ACT.27

 高層ビルやマンションのひしめく中心街から北へ向かうと、シティを斜めに横切るようにして、北西から南東の海へ流れるルーナ河がある。巨大な鋼鉄製の吊り橋、セント・ジョン・ブリッジを渡れば、景色は一変する。緑に囲まれた広大な敷地の広がるアップタウン。フェスラー家でのトラウマがよみがえる、立派な門扉をそなえた、資産家の邸宅ばかりが立ち並ぶ区域だ。

 カルロスさんの用意してくれた運転手付きのリムジンには、二人のSPも乗っていた。宵闇の空に欠けはじめた月が浮かび、とろりとおだやかに流れるルーナ河の上から、摩天楼を背後にして走る車内で、わたしは最高に気まずい時間をやり過ごす。

 いや、気まずいと感じていたのはわたしだけかも。WJはわたしの隣で腕を組んで、眠っていたから。眠り姫を見下ろす王子さまみたいな気分で、わたしは超至近距離のWJの寝姿をちらちらと眺めながら、近づきたいような、離れたいような、おかしな欲求をおさえるのに必死で、ため息ばかりついていた。とはいえそんなわたしを、正面に座っているSPが、じいっと無言で見つめているわけで、不自由きわまりない居心地の悪さを解消するため、WJから顔をそむけて、まぶたを閉じて眠っているふりをするはめになる。そして自分に暗示をかけた。 

 この姿のWJにも慣れなければ! 

 慣れなければしょっちゅう挙動不審になるし、そのたびにひとり勝手にどきまぎして、バカみたいなことをやらかしそうだ。仕事でピエロは大歓迎だけれど、プライベートまで道化師になる勇気はない……と考えていたら、なんとなく落ち着いてきた。

 よし、大丈夫そうだ(わからないけど)。

 ご立派な門に囲まれた、ウッドハウス家の敷地内にリムジンごと入り、WJに連れられて豪邸の中へ入る。パーティの余興で、仕事としてこういった場所を訪れたことはあるけれど、ゲストとしてはもちろんはじめてだ。わたしはいつもピエロの恰好で、きれいに着飾った女の子たちを眺めていた。あっちの女の子たちと、わたしみたいな女の子はあきらかに違う。そう思っていたし、わたしがその見えない境界線を超えることは、絶対にないと思っていたのに。

 思っていたのに、こんなことになっちゃってる。

「うろうろしないで」

 着飾った大人ばかりのエントランスに入り、リストをチェックする男性に名前を告げ終えたWJが、きょろきょろと周囲を見まわすわたしにいう。まるでコンサートホールみたいなお屋敷を目にして、WJを意識するどころか、いろんなことがいっきに吹っ飛んでしまった。

 フェスラー家が静寂に包まれた博物館だとすれば、ここは華やかな歌劇場だ。高い天井から下がるきらびやかなシャンデリア。階段には赤い絨毯で、あちこちに高価な調度品が置かれてある。談笑している大人たちの間を、トレイにグラスを載せたウエイターが行き交っていた。ケータリング会社が雇った人たちだろう。

「ニコル」

 わたしのジャケットを軽く引っ張って、WJがため息をついた。そのままわたしの背中に軽く手をそえると、

「頼むからうろうろしないで。予想外に人が多いんだ」

 うろうろなんてしていない。ただ、部屋数がどれほどあるのかたしかめたいし、トレイに載っているピンク色のドリンクが、どんな味のものなのか興味がわいて、なんとなくトレイが移動する方向へ足が向いたというだけで。

 WJが何度も、うろうろするなとわたしにいう。まるで感謝祭のパレードで、子どもに忠告する心配性な母親みたいだ。

 エントランスの左側、重厚な両面扉が開いている広間に顔を向けた時、広間の正面、全開に放たれた敷地に面した窓の手前に、大量の料理が並んだテーブルを発見してしまった。きわめつけは四段重ねのウエディングケーキさながらなデザート。背伸びをして、人混みの間からそれを眺める。

 仕事で呼ばれて、お土産としてケーキをもらったり、休憩に食べたりしたことはあったけれど、料理はさすがにない。だからいつかお皿にたんまりと、料理を盛って食べたいと思っていたのだ。

 パーティで素敵なことは、一銭も払わずにおいしい料理が好きなだけ食べられることだ。それ以外になにがあるっていうわけ? 

「お料理を食べてもいいかな?」

 WJは苦笑する。着いて早々だよと批難するような口調で、

「デイビッドとカルロスを捜してから、デイビッドと一緒に食べればいいよ。ぼくも一緒に行きたいけど、きみと一緒だとデイビッドはいやがるかもしれないから。ただでさえ一緒にいる時間が長いから、それでなくても苛立ってると思うんだ。だから少し待って」

 デイビッドをそんなに気にしなくてもいいのに。

「わかったけど。でもすぐそこだし、わたしはずうっとあそこにいるよ?」

 それにできれば、デイビッドは避けたい。嫌われる意気込みはあるものの、まだ今夜の作戦がきっちりと練られていないし、覚悟もできていないのだ。

「ダメだよ。うろうろしないで、頼むから」 

 自分が三歳児の子どもみたいに思えてきた。

「わたしは三歳児じゃないのに。あなたがどこにいるかわかるし、自分がどこにいるのかもちゃんとわかるのに」

 WJは視線を落している。けれどもほかの感覚を総動員して、周囲を見極めている雰囲気は伝わった。

「……そういう意味じゃないんだけど」

 なにをそんなに心配しているのか、めずらしくWJの表情が険しい。もしかすればわたしには察知できない、あやしげな気配かなにかを感じとっているのかも?

「もしかしてギャングがいる?」

 WJがまた苦笑した。

「そうじゃないよ。そういうことじゃないんだ」

 じゃあなに? と訊こうとした時、どこからかゾンビではなくなった通常モードのカルロスさんが近づいて来た。ゾンビではないけれど、寝不足なのか目が赤い。

「ミス・ジェローム? ……女の子は化けるね、すごくキュートだ」

 そう、自分の予想に反して。こんなはずじゃなかったし、わたしは思いっきり場違いな、革のパンツなんか履いたロッカーになるはずだったんですともいえない。いっそ自分のジーンズとTシャツでよかったかもとため息をついた時、カルロスさんがありえない挨拶をわたしにした。

 これは挨拶だし、びっくりすることでもないけれど、わたしの頬にキスをしたのだ。いきなりな女の子扱いにパニくりそうになって、一歩退く。こけそうになったところを、WJが支えてくれる。

「なんだい、ただの挨拶だよ」

 そういえばカルロスさんって、あちこちの女性を口説くのが家系だ、とかなんとかいっていたのでは? カルロスさんが苦笑して

「きみの友達ににらまれるから、もうしないよ」

 笑う。たしかにWJは眉根を寄せていた。もしかしてやきもち! ……って、わたし相手にそんなわけはない。ただ単にカルロスさんの女性癖を懸念しているだけだろう。だけどわたし、ということはやっぱり、女の子扱いされている、ってこと? いやそれもありえない。勘違いは恥ずかしいから、このへんでやめておこう。

「今夜はすまなかったよ。ほんとうはきみに来てもらいたくはなかったんだ。デイビッドにはモデルを用意していたし、彼女とならゴシップになってもたいして痛手はないから」

 おどけていた表情をすぐに消して、カルロスさんが続ける。

「きみは普通の女の子で、こういった場所でデイビッドがそういう女の子と一緒なのははじめてだ。いつもはぼくの用意したモデルだったり、新人の俳優だったりするからね。この意味がわかるかい?」

 いいえ、まったく。首を振ると

「みんなこう考える。パンサーの本命はあの子だ。ここには記者もたんまりいて、記事になったら最悪だ。その記事をギャングが読んだら、きみが」

 わたしを指して

「パンサーの弱みになるんだよ」

 ぎゅっと、わたしのジャケットを、背中に添えたWJの手で握られた、ような気がした。

「え?」

「まあ、手は打つから気にしないで。デイビッドはきみとしゃべりたいだけだろう、二人きりにならなければ大丈夫。どのみち今夜は人が多いし、デイビッドがそうなりたくてもなれない状態だしね。それにいつもの気まぐれだよ。嵐が過ぎるのを待つさ」

 その嵐が一刻も早く去ることを祈ろう。

 デイビッドはあそこにいるとカルロスさんに指をさされ、人混みの中から背伸びをして見れば、ものすごい人だかりができていた。わたしにとってこれはかなりラッキーな出来事だった。デイビッドにはぜひ、そのまま人の渦の中にまぎれていて欲しい。デイビッドも発見できたし、カルロスさんもいる。いまこそ、あの料理ゾーンに突進する時だ。

「お料理を食べてもいいかな?」

 ダメだよとWJがいうのと、どうぞとカルロスさんがいうのは、同時だった。わたしはもちろん、カルロスさんの意見を優先する。

「WJ、さっきから三歳児を心配するママみたいになっちゃってるよ」

 肩をすくめてわたしがおどけると

「友達が心配なんだね。すごくキュートになっちゃったから」

 そうだったら嬉しいけれど、ありえない。きっとわたしがうろうろして、フェスラー家での出来事みたいな事態になるのを、心配しているだけだ。その気持ちはわからなくもない。

 カルロスさんが苦笑した。WJは「違います」といわんばかりに、わたしの背から手を離してため息をついた。

「いいよ。だけど絶対に、あそこから離れないで。こんなに人が多いと思わなかったんだ。いろんな気配が混じっていて、きみの香りもかき消されそうだよ」

 念を押された。もちろん顔も耳も赤くない。そこで、カルロスさんの知人みたいな男性がくわわり、WJも話しかけられたので、わたしはその場を離れ、料理に突進する。べつに料理に執着しているわけではないけれど、こんなことは最初で最後だろうし、高級な料理なんて家族で食べられないかもしれないのだ。あとで「もっと食べればよかった!」なんて思いたくない。

 遠目でもWJは目立つ。広間の戸口に立って、しゃべっていると確認しつつ、お皿を手にして料理を盛る。ちなみにこんなことをしているのは、お子さまなわたしぐらいで、上品に着飾った女性たちは、それぞれのグループをつくって談笑していた。

 あちこちでカメラのフラッシュがたかれ、静かに音楽が流れる中、料理を口に運ぶため大口を開けた直後、わたしはいっきに料理を忘れた。

 女性たちの視線が、ある一点に集中していた。もちろん、主には若い女の子たちで、たぶんみんなお金持ち。上品に着飾っていて、立ち居振る舞いも洗練されている子たちばかりだ。その中から、シンプルな黒いドレスを着た女の子が離れ、カルロスさんのそばに立った。女の子というよりも、女性と表現したほうが正しいかもしれない。わたしよりも少し年上に見える、落ち着いた雰囲気で、肩のあたりで切りそろえた黒髪が、知的で聡明そうな顔立ちをひきたてている。派手で目立つタイプの美人ではないけれど、すっと伸びた背筋の感じとか、物怖じしないようすの態度が印象に残る、凛としたたたずまい。まさに、わたしみたいな女の子が憧れる、大人っぽい女の子の王道だ。

 そんな彼女が、WJの肩に手をおいて、頬にキスをした。これは挨拶だし、べつに驚くことでもないけれど、WJも同じように挨拶を交わして顔を離す。微笑んでいて、彼女がなにかしゃべると、WJも応じるように笑う。遠目では判別のしようもないけれど、たぶんWJの耳は赤い。

 WJもなにかしゃべる。彼女もしゃべって、二人同時に笑う。WJはあきらかにリラックスしている。でも、顔はほんのり赤いのだ。

 これは大問題だ。

 学校でWJに話しかける女の子といえばわたしかキャシーしかいない。キャシーが話しかければWJは照れてしまってしゃべれなくなる。わたしとしゃべる時はリラックスしているかわりに、顔はまったく赤くならない。だから彼女は、WJにとって、女の子として意識していて、なおかつしゃべりやすい相手である、という意味になるのだ。

 考えてみたら、わたしは学校でのWJしか知らなかったわけで、こうしてしょっちゅうデイビッドと一緒に、さまざまなパーティに参加しているとなれば、いろんな女の子とも出会うはず。そのうえ、WJは冴えない外見じゃない。誰よりも目立ってクールで、ハンサムになっちゃってるのだ。

 そのことにいままで気づかなかった自分をどうしてくれよう……って、わたしにはどうすることもできないけれど。というか。

 あの人は、ダレデスカ!

「食べるの、食べないの?」

 とうとつに話しかけられて、声のした方向を振り返る。二十代前半と思われるタキシード姿の男性が立っていた。髪も瞳もブラウンで、彫りの深い顔立ち。どこかで見たような覚えのある風貌だけれど、自分の記憶を探る余裕は、いまのわたしにはない。

 彼はスプーンとフォークに挟んだハムを、山盛りのわたしのお皿にのっけて

「これはイケる」

 この人、誰だっけ。というか、あの女の子は誰! 視線を二人に戻したところで

「……来てるだろうと思ったけど、きみだとはわからなかったよ。料理を凝視してるかわいい子がいるなあと思って見てたら、びっくりだ。マーケットでぼうっとしていた、デイビッド・キャシディのお友達、だからな」

 いわれて思い出した。ジョセフ・キンケイド!

「ジャーナリスト!」

 叫んでしまった。

 すぐには気づけないはずだ。あの時は起きたばっかりですみたいに、もっさりしていて、無精髭まで生えていたのだ。今日はその髭がないし寝癖もない。

「そういう名前じゃないけど、職業はそうだ」

 ジョセフが大口を開けてサラダをほおばる。よし、離れよう。ゆっくりと横歩きしていると、ジャケットを引っ張られた。

「逃げなくてもいいじゃないか。どうやらきみもひとりぼっちみたいだし、おれもひとりぼっちだ。一緒にこの場にいる人間どもを観察しよう。楽しめるから」

「ひとりぼっち、じゃないですよ」

 そう? とジョセフは料理をほおばりながら肩をすくめた。

「デイビッド・キャシディは人混みにがんじがらめ。ミスター・ウッドハウスとその娘、市長の息子にその妻、アーティストのロバート・ブライアンに資産家のルイス・ミッチェル、マーク・ラズリー、そのほかもろもろに囲まれて、あの牢獄をぶちやぶるのは指南の技だ。彼にとってはどれも重要な人物だからな。いや、彼が背負ってるもの、かな」

 デイビッドにはその牢獄に、ずうっと入っていてもらいたい。

「ここにいる人を、だいたい知っているの?」

「もちろん」

 じゃあ、あれは誰? わたしがWJと一緒にいる女の子を指すと

「カルロス・メセニはどうせきみも知ってるだろう? ダイヤグラムの広報担当、一緒にいる青年はきみと一緒に来たね。そしてマーケットでも一緒だった、普段は牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけているデイビッド・キャシディのいとこ。彼としゃべってるのはニナ・シモンズ、C2Uの学生で、若干十九歳にして新進気鋭のフォトグラファーだ」

 素敵すぎる肩書きだ。それとは別に、この人がなにをどこまで知っているのか、おそろしくなってきた。

 彼女はまだ、WJと談笑している。そばにいるカルロスさんも男性としゃべっている。そしてわたしは、ギャングであるキンケイド・ファミリーの末っ子で、ファミリーから抜けたジャーナリストとしゃべっている。

「もしかしてきみはデイビッドの恋人?」

 ジョセフはテーブルに皿を置いて、たばこをくわえると火をつける。あまりにもさらりとしたようすなので、うっかりいろんなことをしゃべってしまいそうになる。

「いいえ。う。ええ、いいえ!」

 記事になったら最悪なことになる。カルロスさんはそういっていたのだ。

「どっちなの? べつにいいじゃないか、恋人でもゴシップ記事に小さく載るだけだから」

 いいわけはない。ジョセフは煙を吐いて

「おれとしてもそんなことはどうでもいいんだけどね。一応担当だからネタを探っておかないと」

「あなたはゴシップ記事担当なの?」

 自嘲気味に笑ったジョセフは

「下っ端だからな」

「じゃあ、どうして社会面担当です、みたいなことをわたしに訊いたの?」

「一発当てたいってところかな。度肝を抜かせる記事を書いて、一面におれの名前を載せる。誰でも野心はあるだろう? おっと、面白くなりそうだ」

 わたしの背中を軽くたたいてにやりとする。ジョセフの視線の先には、牢獄のすき間からこちらをにらむデイビッドの姿がある。

 まずい、気づかれた……。

「わかりやすい人間は大好きだ」

 ふっとジョセフが笑った。

「今夜は素敵なお嬢さん方がいっぱいだけれど、きみはかなり目立ってるよ。やんちゃな子猫を相手に、火遊びしたいと思ってる金持ちの暇な男どもに気をつけたほうがいいかもね。もっとも、そんなことに気づいてたら、ここで料理を凝視するなんてこともしないんだろうけど」

 意味不明なことをいい残し、じゃああとで、といってジョセフが去る。 

 火遊びって、なにが?

 そんなことよりも、デイビッドと二人っきりで一緒にいたら、即座にゴシップ記事になるらしい。パパは喜びそうだけれど、そんなことは絶対に避けなければ。そのうえ嫌われなければいけなくて、WJはまだ素敵すぎるニナと談笑しているし、周囲は知らない大人だらけ。もう、わたしがここにいていいことなんて、ひとつもないように思えてきた。いますぐここから飛び出して、タクシーに乗って帰りたい。

 でも帰れない。だってわたしはいま、一銭のお金も持っていないんだから。それともカルロスさんに借りる? 

 デイビッドに気づかれたわたしは、そうっと料理ゾーンを離れる。牢獄はどうやら強固なようで、デイビッドは視線だけでわたしを追いかけている。あのようすだと、内心では何発も爆弾が爆発してそうだけれど、その隙にわたしは人混みにまぎれてみた。だいたいあの、すごすぎる人物だらけの牢獄のすき間から、デイビッドに近づいてなにができるっていうの? みんなが見ているところで抱きつくとか? 全然できる気がしない。

 と、WJのいるほうをまた見てしまう。ニナがWJに腕をからませて笑っている。腕をからませているのに、いやらしい感じがしないのは、ニナがカジュアルな態度だからだ。仲良しの友達と接してます、みたいな気軽な雰囲気。WJの視線が一瞬だけ、料理ゾーンに向いた気がした。だけどそこにわたしがいないと確認してオーケイ、でもないのか、急に顔がこわばる。いや、そんな気がしただけ。

 ハーイ、とかいって、WJの近くに行くべき? でもその勇気がいまいちわかない。わたしの見たことのないWJのようすに気後れしてしまう。間に入ったら、楽しいひとときの邪魔をすることになるかも。

 あんな素敵な女の子と仲良しだなんて知らなかった。仲良しな女の子はわたしやキャシーしかいないと思っていたのに、どうやらそうではなかったみたいだ。

 WJが好きなのは、キャシーじゃなくてニナなのかも。あのようすだとそんなふうに見える。ふたりがもういい感じになっちゃってたら、わたしには邪魔をする資格はないし、見守る以外に方法はない。どうしよう、かなしくなってきてしまった。

 わたしは壁際でひとりぼっち。ここにキャシーがいたら、二人でくすくす笑いながら、いろんな人を観察していただろう。だけどキャシーはいないし、みんな着飾っているお金持ちで、大人で、わかっていたけれど、いまさら場違いな状況に立たされていることを、思い知らされる。

「きみはミュージシャン?」

 いきなり声をかけられてぎょっとする。どうにも今夜は、やたらに声をかけられる日らしい。かなりワイルドな風貌、首のあたりまで伸びている髪を、ラフに耳にかけている。正装しているけれど、そういうこの人こそ、ミュージシャンみたいだ。

 もう誰がなんなのかわけがわからなくなってきた。一見ミュージシャンっぽいこの人も、徹夜明けの記者とかだったりして! ありえなくはない、よし、離れよう。壁つたいにそうっと横歩きすると

「どうして逃げるんだよ? まあドリンクでも飲んで」

 通りすがりのウエイターのトレイから、男性がグラスを取る。ピンクのドリンクだ。それはいただきたい。甘酸っぱい、薄めたベリーのジュースかなにかかと思ったら、違った。これはアルコールだ!

「かわいいなあと思って、ずっときみを見てたんだ。パンサーの知り合いだろう? カルロス・メセニとしゃべってた」

 ほうら、記者だ。ここは記者だらけ。

「わたしはなんにもしゃべらないわ。なんにも!」

 はあ? と男性。WJはまだニナとしゃべってる。でも、ちょっとそわそわしている、気もするけれど気のせいだろう。もしくはあちこちにいる記者の気配を感じとって、そわそわしているのかも。

「ふうん、かわいいピアスだ。それに似た物をどこかで見たな」

 ワイルド記者はグラスをいっきに飲み干して、

「……どこだったか思い出せないな」

「はあ」

「店じゃない。写真か? ちょっと見せて」

 ものすごく顔を近づけて、わたしの耳たぶをつまむ。

「プラチナじゃない。光りの加減で極彩色だ。くそ、全然思い出せない」

 初対面で失礼なことは承知だけれど、手で振り払ってのけぞる。履き慣れない靴にうまく体重がのらなくて、うしろに転びそうになったところを、誰かが支えてくれた。顔を上げて振り返れば、またもやジョセフ・キンケイド。

「おどろいたな、キンケイド。兄弟が殺し合ってるのに、おまえはのんきにパーティか?」

 素性のわからないワイルドがいう。

「おれには関係ないし、そっくりそのままお返しするさ、グイード。売れない絵を描くのは、一刻も早くやめたほうがいいんじゃないのか? 仕切る区域がヴィンセントに浸食されてるぞ」

 ……いやな予感。

「グイード?」

 聞いたような、聞いたことのないような、イタリア系の名字だ。仕切る区域だとか、ヴィンセントだとか、わたしのトラウマになっている単語が羅列されて、予感が事実になりそうでおそろしい。

「おれにだって関係ないさ。こっちよりもそっちの心配をしたほうがいいんじゃないのか? 誰の味方につけばいいのか迷っているうちに、兄弟の数が減ってるぜ」

 いい争いが静かにはじまりそうな気配をいいことに、わたしはそうっと、その場を離れる。

 察するに、ワイルドは売れていないアーティスト。誰かのつてを頼って、ここには自分を売り込みに来たのだろう。だけど背後には、どこを仕切ってるギャングなのかわからないけれど、ファミリーがくっついている。ギャングのファミリーがくっついている!

 あっちもこっちも、記者とギャング関係者だらけ!

 ふと戸口を見ると、ニナもカルロスさんもWJの姿もない。デイビッドはまだ牢獄の中だ。それはいいけれど、三人がどこへ行ったのか、急にほんとうにひとりぼっちになってしまったように思えて、急いで広間を出る。見まわしてもどこにもいない。エントランスに戻って、広間とは反対側にある、廊下を捜してみる。たくさんのドアの前にも人が群がっていたけれども、もっと奥へ行くと誰もいないゾーンに入った。それにしても長い廊下だ。右へ曲がるとキスをしている男女に出くわす。おっとまずい。左へ曲がってから息をつく。

 ……ん? いや、ちょっと。

 ちょっと、待って。

 わたし、いま、すごく重要なものを見た気がする。だけどもう一度確認する勇気はない。だけど確認したほうがいいような気もする。

 いや。確認しなくたってわかってる。

「……どうしよう」

 パーティって嫌いだ。ピエロの時もこっそり隠れてべたべたしている男女をよく見かけたものだ。そのたびに気まずい思いをして、おどけた顔をするはめになった。

 目の前にドアがある。ノブを回すと鍵はかかっていなかった。開ければそこは図書室だ。天井まで伸びた棚にはびっしり、本が詰まっている。ドアをしっかりと閉じて、自分の見間違いだと思い込むことに専念したけれど、うまくいかない。

 円形の立派な図書室。ローテーブルを囲むようにして、長椅子と肘掛け椅子が置かれてある。暗い照明、敷地に面した窓にはカーテンもブラインドもない。左側の壁が奥まっていて、図書館の書架みたいにずらりと本棚が並んでいる。その奥から、わたしが入ってきたのに気づいたのか、慌てたようすの男女が出て来た。気まずそうなようすでわたしを一瞥すると、部屋を出て行く。

 ねえ、みんな、パーティになにをしに来てるの?

 そんな男女を思いやる余裕なんて、もうわたしにはこれっぽっちもない。ドアに背を向け、長椅子に腰をおろして、両手で顔をおおう。

 信じられない。あれはニナとWJだった。

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